【読者賞】江戸の飯屋『やわらぎ亭』〜元武家娘が一膳でほぐす人と心〜

旅する書斎(☆ほしい)

文字の大きさ
34 / 100

34

そして迎えた当日。私は良太に見送られ、少し緊張しながらも、晴れやかな気持ちで水戸藩の江戸藩邸へと向かった。立派な門構え、そして厳重な警備。その全てが、これから私が足を踏み入れる場所の格式の高さを物語っている。

案内されたのは、広大な庭園に面した、それは見事な客間だった。そして、その上座には、柔和な笑みを浮かべた、品の良い老人が座っていた。この方こそが、私の料理を所望された、水戸藩のご家老様だという。

「ようこそおいでくださった、おし乃殿。長旅、さぞお疲れであったろう」

「いえ、とんでもないことでございます。この度は、このような晴れがましい席にお招きいただき、身に余る光栄に存じます」

「はっはっは、そう固くならずとも良い。今日は、そなたの料理を存分に楽しませてもらいに来たのだからのう」

ご家老様の気さくな物言いに、私の緊張も少しほぐれた。

厨房をお借りし、私は持参した食材と、水戸藩で用意してくださった地元の食材を使い、心を込めて料理を作り始めた。一品一品、丁寧に、そして大胆に。やわらぎ亭で培ってきた私の全てを、この一食に注ぎ込むつもりだった。

前菜には、地元で獲れた新鮮な白魚を使ったお造りと、春野菜のおひたし。椀物には、蛤の真薯。焼き物には、常陸牛の炭火焼き。そして、煮物には、水戸名産の干し芋と、地元で採れた根菜を炊き合わせたもの。最後に、ご飯は土鍋で炊いた白米に、水戸の梅を使った自家製の梅びしおを添えて。

料理が一品ずつ運ばれるたび、ご家老様は目を細め、じっくりと味わってくださった。そして、その度に「うまい、うまい」と、心からの称賛の言葉をかけてくださる。その言葉が、私にとって何よりの喜びだった。

全ての料理を出し終え、私がご家老様の前にご挨拶に伺うと、ご家老様は満面の笑みで私を迎えてくださった。

「おし乃殿、実に見事な料理であった。儂は長年、様々な料理を食してきたが、これほどまでに心に沁みる味わいは、初めてかもしれん」

「もったいないお言葉、恐れ入ります」

「いや、決して大げさではない。そなたの料理には、食材への愛情と、食べる者への真心が込められておる。それが、儂の心に深く響いたのじゃ。特に、あの干し芋と根菜の煮物…あれは絶品であった。素朴な食材ながら、それぞれの持ち味が実によく引き出されており、懐かしくも新しい、実に奥深い味わいであったわ」

「ありがとうございます。干し芋は、水戸の豊かな風土が育んだ、素晴らしい食材でございます。その持ち味を損なわぬよう、丁寧に出汁を含ませました」

「うむ。そして、締めのご飯と梅びしお。あの梅びしおは、そなたの手作りか?」

「はい。水戸の梅を使い、私なりに工夫して調製いたしました」

「あの塩梅、そして梅の風味…。実にご飯が進んだわ。あれだけでも、十分に一品料理として通用するであろう」

ご家老様の尽きない称賛の言葉に、私はただただ恐縮するばかりだった。しかし、それと同時に、大きな達成感と喜びが胸いっぱいに広がっていくのを感じていた。

「おし乃殿、そなたに頼みがある」

ご家老様は、改まった口調でそう言った。

「はい、何なりと」

「これからも、折に触れて、この藩邸へ来て、儂らにそなたの料理を振る舞ってはくれまいか。もちろん、無理強いはせぬ。そなたの都合の良い時で構わん。だが、儂は、そして恐らくは藩の者たちも、そなたの料理を心待ちにするようになるであろう」

「…はい、喜んで。私でお役に立てることがございましたら、いつでも馳せ参じます」

その言葉に、ご家老様は満足そうに頷いた。

「それは嬉しい言葉じゃ。では、また近いうちに使いを出すとしよう。今日は、本当にご苦労であった。そして、素晴らしい料理を、ありがとう」

深々と頭を下げるご家老様に送られ、私は水戸藩邸を後にした。空はすっかり夕闇に包まれていたが、私の心は、達成感と新たな目標への期待で、明るく照らされているようだった。

やわらぎ亭に戻ると、良太が心配そうに私を待っていた。

「おし乃さん、お帰りなさい!どうでしたか…?」

「ええ、大丈夫よ、良太。とても、喜んでいただけたわ」

私は、水戸藩での出来事を良太に語って聞かせた。良太は、目を輝かせながら私の話に聞き入り、そして、自分のことのように喜んでくれた。

「やっぱり、おし乃さんはすごいです!俺、おし乃さんの弟子で、本当に良かった!」

「ふふ、ありがとう、良太。でも、これは私一人の力じゃないわ。いつも支えてくれる良太、そして、やわらぎ亭を愛してくださるお客様たちのおかげよ」

「おし乃さん…」

その夜、私は久しぶりに、父の夢を見た。夢の中の父は、何も言わず、ただ優しく微笑んでいた。その笑顔が、まるで私の新たな門出を祝福してくれているかのようで、私は温かい気持ちで目を覚ました。

水戸藩への出仕は、その後も定期的に続くことになった。初めは緊張していた私も、次第に藩邸の雰囲気にも慣れ、ご家老様をはじめとする藩の方々とも、料理を通じて心を通わせることができるようになっていった。

ある時など、ご家老様から「おし乃殿の料理は、まるで母の味のようだ」と、涙ながらに感謝されたこともあった。その言葉は、私の胸に深く刻まれ、料理人としての喜びを改めて感じさせてくれた。

もちろん、やわらぎ亭の仕事も、これまで通り手を抜くことはない。日中は藩邸で腕を振るい、夜はやわらぎ亭の暖簾を守る。忙しい日々ではあったが、充実感に満ちていた。

良太も、私が藩邸へ行っている間、一人で店を切り盛りし、ますます腕を上げていった。時には、常連客から「良太の奴、おし乃姐さんに負けず劣らずの腕前になったじゃねえか」と冷やかされることもあったが、それは彼にとって何よりの励みになっているようだった。

そんなある日、やわらぎ亭に、一人の意外な客が訪れた。それは、以前、私に蕪の菊花煮を絶賛してくれた、あの鋭い眼光の武士だった。

「おし乃殿、久しいな。相変わらず、繁盛しているようで何よりだ」

「これはこれは…先日は、過分なお褒めの言葉と、お代までいただき、誠にありがとうございました」

「ふん、礼には及ばん。それより、今日はそなたに紹介したい者がいてな。一緒に入っても構わんか?」

武士がそう言うと、彼の後ろから、一人の若者が姿を現した。年の頃は二十歳前後だろうか。まだどこか幼さの残る顔立ちだが、その瞳には強い意志の光が宿っている。そして何よりも、その若者が身にまとっているのは、水戸藩の家紋が入った羽織だった。

「こちらは、我が藩の若様だ。訳あって、しばし江戸で暮らすことになってな。どこか、心落ち着ける場所で、美味いものを食わせてやりたいと思って、そなたの店を思い出したのだ」

水戸藩の若様…。私は驚きを隠せなかった。まさか、このような高貴な方が、この小さな飯屋を訪れるとは。

「おし乃殿、この若様のことを、よろしく頼む。色々と、難しい立場におられる方なのだ。そなたの料理で、少しでも心を癒してやってほしい」

武士の言葉には、若様を案じる深い思いが込められていた。私は、その若様の顔を改めて見つめた。どこか影のある表情だが、その奥には、純粋で真っ直ぐな心が隠れているように感じられた。

「かしこまりました。私にできますことがございましたら、精一杯、おもてなしさせていただきます」

私は深々と頭を下げた。この若様とやわらぎ亭との出会いが、また新たな物語を生み出すことになるのかもしれない。そんな予感を胸に、私は静かに、若様を店の奥へと案内した。
感想 8

あなたにおすすめの小説

剣客居酒屋草間 江戸本所料理人始末

松風勇水(松 勇)
歴史・時代
旧題:剣客居酒屋 草間の陰 第9回歴史・時代小説大賞「読めばお腹がすく江戸グルメ賞」受賞作。 本作は『剣客居酒屋 草間の陰』から『剣客居酒屋草間 江戸本所料理人始末』と改題いたしました。 2025年11月28書籍刊行。 なお、レンタル部分は修正した書籍と同様のものとなっておりますが、一部の描写が割愛されたため、後続の話とは繋がりが悪くなっております。ご了承ください。 酒と肴と剣と闇 江戸情緒を添えて 江戸は本所にある居酒屋『草間』。 美味い肴が食えるということで有名なこの店の主人は、絶世の色男にして、無双の剣客でもある。 自分のことをほとんど話さないこの男、冬吉には実は隠された壮絶な過去があった。 多くの江戸の人々と関わり、その舌を満足させながら、剣の腕でも人々を救う。 その慌し日々の中で、己の過去と江戸の闇に巣食う者たちとの浅からぬ因縁に気付いていく。 店の奉公人や常連客と共に江戸を救う、包丁人にして剣客、冬吉の物語。

わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...

MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。 ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。 さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか? そのほかに外伝も綴りました。

【時代小説】 黄昏夫婦

蔵屋
歴史・時代
 江戸時代、東北地方の秋田藩は貧かった。  そんな中、真面目なひとりの武士がいた。同僚からは馬鹿にされていたが真面目な男であった。俸禄は低く貧しい。娘二人と実母との4人暮らし。  秋田藩での仕事は勘定方である。  仕事が終わると真っ直ぐ帰宅する。 ただひたすら日中は城中では勘定方の仕事をまじめにして、帰宅すれば論語を読んで知識を習得する。   そんな毎日であった。彼の名前は立花清左衛門。年齢は35歳。  娘は二人いて、一人はとめ15歳。もう一人は梅、8歳。  さて|黄昏《たそがれ》は、一日のうち日没直後、雲のない西の空に夕焼けの名残りの「赤さ」が残る時間帯のことを言う。「|黄昏時《たそがれどき)」。 「黄昏れる《たそがれる》」という動詞形もある。    「たそがれ」は、江戸時代になるまでは「たそかれ」といい、「たそかれどき」の略でよく知られていた。夕暮れの人の顔の識別がつかない暗さになると誰かれとなく、「そこにいるのは誰ですか」「誰そ彼(誰ですかあなたは)」とたずねる頃合いという意味で日常会話でよく使われた。  今回の私の小説のテーマはこの黄昏である。  この風習は広く日本で行われている。  「おはようさんです」「これからですか」「お晩でございます。いまお帰りですか」と尋ねられれば相手も答えざるを得ず、互いに誰であるかチェックすることでヨソ者を排除する意図があったとされている。  「たそかれ」という言葉は『万葉集』に 誰そ彼と われをな問ひそ 九月の 露に濡れつつ 君待つわれそ」 — 『万葉集』第10巻2240番 と登場するが、これは文字通り「誰ですかあなたは」という意味である。  「平安時代には『うつほ物語』に「たそかれどき」の用例が現れ、さらに『源氏物語』に 「寄りてこそ それかとも見め たそかれに ほのぼの見つる 夕顔の花」 — 『源氏物語』「夕顔」光源氏 と、現在のように「たそかれ」で時間帯を表す用例が現れる。  なおこの歌は、帖と登場人物の名「夕顔」の由来になった夕顔の歌への返歌である。  またこの言葉の比喩として、「最盛期は過ぎたが、多少は余力があり、滅亡するにはまだ早い状態」をという語句の用い方をする。 漢語「|黄昏《コウコン》」は日没後のまだ完全に暗くなっていない時刻を指す。「初昏」とも呼んでいた。十二時辰では「戌時」(午後7時から9時)に相当する。  「たそがれ」の動詞化の用法。日暮れの薄暗くなり始めるころを指して「空が黄昏れる」や、人生の盛りを過ぎ衰えるさまを表現して「黄昏た人」などのように使用されることがある。  この物語はフィクションです。登場人物、団体等実際に同じであっても一切関係ありません。  それでは、小説「黄昏夫婦」をお楽しみ下さい。  読者の皆様の何かにお役に立てれば幸いです。  作家 蔵屋日唱    

与兵衛長屋つれあい帖 お江戸ふたり暮らし

かずえ
歴史・時代
旧題:ふたり暮らし 長屋シリーズ一作目。 第八回歴史・時代小説大賞で優秀短編賞を頂きました。応援してくださった皆様、ありがとうございます。 十歳のみつは、十日前に一人親の母を亡くしたばかり。幸い、母の蓄えがあり、自分の裁縫の腕の良さもあって、何とか今まで通り長屋で暮らしていけそうだ。 頼まれた繕い物を届けた帰り、くすんだ着物で座り込んでいる男の子を拾う。 一人で寂しかったみつは、拾った男の子と二人で暮らし始めた。

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

ビキニに恋した男

廣瀬純七
SF
ビキニを着たい男がビキニが似合う女性の体になる話

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

四代目 豊臣秀勝

克全
歴史・時代
アルファポリス第5回歴史時代小説大賞参加作です。 読者賞を狙っていますので、アルファポリスで投票とお気に入り登録してくださると助かります。 史実で三木城合戦前後で夭折した木下与一郎が生き延びた。 秀吉の最年長の甥であり、秀長の嫡男・与一郎が生き延びた豊臣家が辿る歴史はどう言うモノになるのか。 小牧長久手で秀吉は勝てるのか? 朝日姫は徳川家康の嫁ぐのか? 朝鮮征伐は行われるのか? 秀頼は生まれるのか。 秀次が後継者に指名され切腹させられるのか?