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「芝居……でございますか?」
金さんの言葉に、私は思わず聞き返した。
一体、何が始まろうというのだろう。
「左様。狐を捕まえるには、狐を騙すのが一番の近道。悪党どもを炙り出すには、奴らが好みそうな餌を、目の前にぶら下げてやるのが一番でございます」
金さんは、にやりと口の端を上げた。その顔は、腕利きの役者か、あるいは百戦錬磨の将軍のようだ。
「おし乃さん。明日、このやわらぎ亭で、ある男をもてなしていただきたい」
「もてなす……?」
「はい。その男は、庄兵衛と裏で繋がっていると見られる、大店の商人です。名を、相模屋徳兵衛と申します。表向きは手広く商いをしておりますが、裏ではあくどいやり口で私腹を肥やしていると、もっぱらの噂の男でしてな」
「その相模屋を、この店に……」
「ええ。私が、ある名目で彼をこの店に呼びつけます。そして、おし乃さんには、とびきり豪華な料理で、彼をもてなしていただきたい」
豪華な料理……。
私は、金さんの意図を必死に探った。
「その宴の席で、私は、わざと甲州屋の旦那の悪口を言います。『あの男も、とうとう年貢の納め時よ』などとね。そして、こう付け加えるのです。『甲州屋が潰れた跡地は、中々の値がつくらしい。誰ぞ、良い買い手はおらぬかのう』と」
「……!」
私は、はっと息をのんだ。
金さんの狙いが、ようやく見えてきた。
「金に目のない相模屋のこと。甲州屋の跡地の話に、食いつかぬはずがありませぬ。そして、私が甲州屋をすっかり見限ったと安心すれば、奴はきっと気を緩める。その緩んだ心の隙を突き、庄兵衛の居場所、そして悪事の証拠を吐かせる……。そういう筋書きでございますよ」
「なるほど……。お芝居、というわけですわね」
「左様。そして、その芝居の主役は、おし乃さん、あなたです。あなたの作る料理が、奴の心を解き、口を滑らせるための、何よりの小道具となる」
金さんの瞳が、私をまっすぐに射抜く。
その信頼に満ちた眼差しに、私はごくりと喉を鳴らした。
これは、大役だ。
けれど、甲州屋さん一家の笑顔を取り戻すためならば。
「……承知いたしました。私にできることでしたら、喜んで。金さんのお芝居、見事、お付き合いさせていただきますわ」
私の言葉に、金さんは満足そうに頷いた。
「頼もしいお言葉、感謝いたします。では、おし乃さん。明日の献立、お考えいただけますかな。相模屋のような、金と欲にまみれた男の度肝を抜くような……それでいて、心の臓を鷲掴みにするような、そんな一品を」
「お任せください。今宵、じっくりと考えさせていただきます」
「うむ。では、儂はこれで失礼する。明日の段取りは、また追って知らせますゆえ」
金さんはそう言うと、嵐のようにやって来て、そして嵐のように去っていった。
後に残されたのは、私と良太、そして、明日への緊張感だけだった。
「おし乃さん……大丈夫ですか?」
良太が、心配そうに私の顔を覗き込む。
「ええ、大丈夫よ。むしろ、腕が鳴るわ」
私は不敵に微笑んでみせた。
料理で、悪党を追い詰める。
そんなこと、考えたこともなかったけれど、面白いじゃないか。
父が聞いたら、きっと目を丸くするだろう。
いや、あるいは、「それもまた、料理の道よ」と、笑ってくれるかもしれない。
「さあ、良太。明日のための、最高の献立を考えましょう。あの越後屋さんから頂いた、とびっきりの食材を使う時が来たようね」
私は、店の奥に仕舞ってあった桐の箱に、手を伸ばした。
箱の中には、見事な鯛と、きらきらと輝く干し鮑が、静かに出番を待っている。
この子たちの力を借りれば、きっと、どんな悪党の心だって、動かしてみせる。
翌日。やわらぎ亭は、表向きはいつもと変わらぬ静かな佇まいだった。
しかし、水面下では、金さんの描いた筋書き通り、着々と芝居の準備が進められていた。
店の周囲には、町人に扮した同心たちが、それとなく配置されている。
弥之助さんたち火消し組も、万が一に備え、近くで待機してくれていると聞いた。
そして、昼過ぎ。
立派な身なりの、けれどどこか品のない、恰幅の良い男が、尊大な態度で店の暖簾をくぐった。
相模屋徳兵衛だった。
「ここが、例の飯屋か。お奉行様ご贔屓の店と聞いて来てみれば、ずいぶんとこぢんまりとしたものよな」
相模屋は、値踏みするような目で店内を見回し、不遜な口調で言った。
私の心に、ちりりと小さな火が灯るのを感じる。
けれど、今は芝居の最中だ。
私は、にこやかな笑顔を崩さずに、彼を奥の席へと案内した。
「これはこれは、相模屋様。ようこそおいでくださいました。私、この店の主人、おし乃と申します」
「うむ。話は聞いている。お奉行様が、儂をもてなしてくださるのだろう? さあ、さっさと料理を持ってまいれ。腹が減ってかなわん」
ふんぞり返る相模屋に、私は深々と頭を下げた。
「はい、ただいま。今宵は、腕によりをかけて、とびきりのご馳走を用意させていただきました」
私は炊き場に戻ると、良太と目配せをした。
いよいよ、芝居の幕開けだ。
まずは、前菜。
越後屋から頂いた、極上の干し鮑を、柔らかく煮含めた一品。
添えるのは、これもまた頂き物の、新鮮な雲丹。
見た目にも華やかで、贅沢な一皿だ。
「ほう……。これはまた、見事な鮑じゃな」
相模屋は、目の前に置かれた皿を見て、目を見開いた。
その強欲そうな目が、きらりと光る。
「まずは、一口……。む、むぅ……!」
鮑を口に運んだ相模屋は、驚愕に言葉を失っている。
「な、なんという柔らかさ……! そして、この奥深い味わい……! 鮑の旨味が、口の中にじゅわっと広がるわい! この雲丹も、とろけるように甘い……!」
「お口に合いましたようで、何よりでございます」
私は静かに微笑んだ。
これは、まだ序の口。
本当のご馳走は、これからなのだから。
次に、お椀物。
昨日、見事な出汁が出た、鯛の骨と頭で取った潮汁。
具は、シンプルに、ふわふわの鯛の身と、手まり麩、そして三つ葉だけ。
鯛の持つ、本来の旨味を、存分に味わってもらうための一品だ。
「ふぅ……。この汁は、五臓六腑に染み渡るのう……」
潮汁をすすった相模屋は、うっとりとした表情で目を閉じた。
その顔からは、先ほどまでの尊大な態度は消え、ただひたすらに、料理の味に没頭しているのがわかる。
よし、いい具合に、心が解れてきたようだ。
そして、いよいよ、主役の登場だ。
私は、大皿に盛り付けた、見事な鯛の姿造りを、相模屋の前に、どんと置いた。
「こ、これは……!」
相模屋は、あまりの豪華さに、息をのんだ。
皿の上には、透き通るように美しい鯛の刺身が、菊の花のように盛り付けられている。
中央には、伊勢海老が勇ましく鎮座し、周りには、色とりどりの季節のあしらいが添えられていた。
「さあ、どうぞ。本日、市場で一番の鯛でございます」
「お、おお……!」
相模屋は、震える手で箸を取ると、おずおずと鯛の刺身を一切れ、口に運んだ。
その瞬間。
彼の顔が、驚きと喜びに、ぱあっと輝いた。
「う、うまい……! うますぎるぞ、これは……! ぷりぷりとした歯ごたえ、そして、噛むほどに広がる、上品な甘み……! 今まで食ってきた鯛は、一体何だったのじゃ……!」
相模屋は、まるで子供のようにはしゃぎながら、夢中で刺身を頬張っている。
その姿を見て、私は心の中で、そっと笑った。
さあ、芝居は、第二幕へ。
ちょうどその時、店の戸がからりと開き、金さんが、いつもの浪人風の出で立ちで入ってきた。
その顔には、わざとらしいほど、上機嫌な笑みが浮かんでいる。
「おお、相模屋さん。お待ちしておりましたぞ。いやはや、今日は良い日ですな!」
金さんの言葉に、私は思わず聞き返した。
一体、何が始まろうというのだろう。
「左様。狐を捕まえるには、狐を騙すのが一番の近道。悪党どもを炙り出すには、奴らが好みそうな餌を、目の前にぶら下げてやるのが一番でございます」
金さんは、にやりと口の端を上げた。その顔は、腕利きの役者か、あるいは百戦錬磨の将軍のようだ。
「おし乃さん。明日、このやわらぎ亭で、ある男をもてなしていただきたい」
「もてなす……?」
「はい。その男は、庄兵衛と裏で繋がっていると見られる、大店の商人です。名を、相模屋徳兵衛と申します。表向きは手広く商いをしておりますが、裏ではあくどいやり口で私腹を肥やしていると、もっぱらの噂の男でしてな」
「その相模屋を、この店に……」
「ええ。私が、ある名目で彼をこの店に呼びつけます。そして、おし乃さんには、とびきり豪華な料理で、彼をもてなしていただきたい」
豪華な料理……。
私は、金さんの意図を必死に探った。
「その宴の席で、私は、わざと甲州屋の旦那の悪口を言います。『あの男も、とうとう年貢の納め時よ』などとね。そして、こう付け加えるのです。『甲州屋が潰れた跡地は、中々の値がつくらしい。誰ぞ、良い買い手はおらぬかのう』と」
「……!」
私は、はっと息をのんだ。
金さんの狙いが、ようやく見えてきた。
「金に目のない相模屋のこと。甲州屋の跡地の話に、食いつかぬはずがありませぬ。そして、私が甲州屋をすっかり見限ったと安心すれば、奴はきっと気を緩める。その緩んだ心の隙を突き、庄兵衛の居場所、そして悪事の証拠を吐かせる……。そういう筋書きでございますよ」
「なるほど……。お芝居、というわけですわね」
「左様。そして、その芝居の主役は、おし乃さん、あなたです。あなたの作る料理が、奴の心を解き、口を滑らせるための、何よりの小道具となる」
金さんの瞳が、私をまっすぐに射抜く。
その信頼に満ちた眼差しに、私はごくりと喉を鳴らした。
これは、大役だ。
けれど、甲州屋さん一家の笑顔を取り戻すためならば。
「……承知いたしました。私にできることでしたら、喜んで。金さんのお芝居、見事、お付き合いさせていただきますわ」
私の言葉に、金さんは満足そうに頷いた。
「頼もしいお言葉、感謝いたします。では、おし乃さん。明日の献立、お考えいただけますかな。相模屋のような、金と欲にまみれた男の度肝を抜くような……それでいて、心の臓を鷲掴みにするような、そんな一品を」
「お任せください。今宵、じっくりと考えさせていただきます」
「うむ。では、儂はこれで失礼する。明日の段取りは、また追って知らせますゆえ」
金さんはそう言うと、嵐のようにやって来て、そして嵐のように去っていった。
後に残されたのは、私と良太、そして、明日への緊張感だけだった。
「おし乃さん……大丈夫ですか?」
良太が、心配そうに私の顔を覗き込む。
「ええ、大丈夫よ。むしろ、腕が鳴るわ」
私は不敵に微笑んでみせた。
料理で、悪党を追い詰める。
そんなこと、考えたこともなかったけれど、面白いじゃないか。
父が聞いたら、きっと目を丸くするだろう。
いや、あるいは、「それもまた、料理の道よ」と、笑ってくれるかもしれない。
「さあ、良太。明日のための、最高の献立を考えましょう。あの越後屋さんから頂いた、とびっきりの食材を使う時が来たようね」
私は、店の奥に仕舞ってあった桐の箱に、手を伸ばした。
箱の中には、見事な鯛と、きらきらと輝く干し鮑が、静かに出番を待っている。
この子たちの力を借りれば、きっと、どんな悪党の心だって、動かしてみせる。
翌日。やわらぎ亭は、表向きはいつもと変わらぬ静かな佇まいだった。
しかし、水面下では、金さんの描いた筋書き通り、着々と芝居の準備が進められていた。
店の周囲には、町人に扮した同心たちが、それとなく配置されている。
弥之助さんたち火消し組も、万が一に備え、近くで待機してくれていると聞いた。
そして、昼過ぎ。
立派な身なりの、けれどどこか品のない、恰幅の良い男が、尊大な態度で店の暖簾をくぐった。
相模屋徳兵衛だった。
「ここが、例の飯屋か。お奉行様ご贔屓の店と聞いて来てみれば、ずいぶんとこぢんまりとしたものよな」
相模屋は、値踏みするような目で店内を見回し、不遜な口調で言った。
私の心に、ちりりと小さな火が灯るのを感じる。
けれど、今は芝居の最中だ。
私は、にこやかな笑顔を崩さずに、彼を奥の席へと案内した。
「これはこれは、相模屋様。ようこそおいでくださいました。私、この店の主人、おし乃と申します」
「うむ。話は聞いている。お奉行様が、儂をもてなしてくださるのだろう? さあ、さっさと料理を持ってまいれ。腹が減ってかなわん」
ふんぞり返る相模屋に、私は深々と頭を下げた。
「はい、ただいま。今宵は、腕によりをかけて、とびきりのご馳走を用意させていただきました」
私は炊き場に戻ると、良太と目配せをした。
いよいよ、芝居の幕開けだ。
まずは、前菜。
越後屋から頂いた、極上の干し鮑を、柔らかく煮含めた一品。
添えるのは、これもまた頂き物の、新鮮な雲丹。
見た目にも華やかで、贅沢な一皿だ。
「ほう……。これはまた、見事な鮑じゃな」
相模屋は、目の前に置かれた皿を見て、目を見開いた。
その強欲そうな目が、きらりと光る。
「まずは、一口……。む、むぅ……!」
鮑を口に運んだ相模屋は、驚愕に言葉を失っている。
「な、なんという柔らかさ……! そして、この奥深い味わい……! 鮑の旨味が、口の中にじゅわっと広がるわい! この雲丹も、とろけるように甘い……!」
「お口に合いましたようで、何よりでございます」
私は静かに微笑んだ。
これは、まだ序の口。
本当のご馳走は、これからなのだから。
次に、お椀物。
昨日、見事な出汁が出た、鯛の骨と頭で取った潮汁。
具は、シンプルに、ふわふわの鯛の身と、手まり麩、そして三つ葉だけ。
鯛の持つ、本来の旨味を、存分に味わってもらうための一品だ。
「ふぅ……。この汁は、五臓六腑に染み渡るのう……」
潮汁をすすった相模屋は、うっとりとした表情で目を閉じた。
その顔からは、先ほどまでの尊大な態度は消え、ただひたすらに、料理の味に没頭しているのがわかる。
よし、いい具合に、心が解れてきたようだ。
そして、いよいよ、主役の登場だ。
私は、大皿に盛り付けた、見事な鯛の姿造りを、相模屋の前に、どんと置いた。
「こ、これは……!」
相模屋は、あまりの豪華さに、息をのんだ。
皿の上には、透き通るように美しい鯛の刺身が、菊の花のように盛り付けられている。
中央には、伊勢海老が勇ましく鎮座し、周りには、色とりどりの季節のあしらいが添えられていた。
「さあ、どうぞ。本日、市場で一番の鯛でございます」
「お、おお……!」
相模屋は、震える手で箸を取ると、おずおずと鯛の刺身を一切れ、口に運んだ。
その瞬間。
彼の顔が、驚きと喜びに、ぱあっと輝いた。
「う、うまい……! うますぎるぞ、これは……! ぷりぷりとした歯ごたえ、そして、噛むほどに広がる、上品な甘み……! 今まで食ってきた鯛は、一体何だったのじゃ……!」
相模屋は、まるで子供のようにはしゃぎながら、夢中で刺身を頬張っている。
その姿を見て、私は心の中で、そっと笑った。
さあ、芝居は、第二幕へ。
ちょうどその時、店の戸がからりと開き、金さんが、いつもの浪人風の出で立ちで入ってきた。
その顔には、わざとらしいほど、上機嫌な笑みが浮かんでいる。
「おお、相模屋さん。お待ちしておりましたぞ。いやはや、今日は良い日ですな!」
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