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相馬藩の若侍、誠之助殿と乳母のおたえ殿の感動的な再会から、数日が過ぎた。やわらぎ亭には、またいつもの穏やかな日常が戻ってきていた。
そんなある日の昼下がり、店の戸が勢いよくがらりと開いた。
「ちくしょう! やってられるか!」
「なんだと、この半人前が! 少し腕が上がったからっていい気になりやがって!」
怒鳴り声と共に店になだれ込んできたのは、大工の藤吉さんと、その弟子になったはずの信吾だった。二人は顔を真っ赤にして互いを睨みつけている。その間には、ばちばちと火花が散っているかのようだ。
「まあ、お二人とも。どうなさいました? そんな大きな声を出して」
私が呆れて声をかけると、二人ははっとしたようにこちらを振り返った。
「お、おし乃さん……! いや、すまねえ、見苦しいところを……」
藤吉さんがばつの悪そうな顔で頭を掻く。
「この信吾があまりにも生意気な口をきくもんでね。つい、かっとなっちまった」
「師匠こそ! 頭が固すぎます! 俺の言うことも少しは聞いてくれたっていいじゃありませんか!」
信吾も負けじと言い返す。
どうやら仕事のやり方を巡って、大喧嘩をしたらしい。真面目で熱心な二人だからこそ、仕事に対する思いがぶつかってしまったのだろう。
「まあまあ、お二人とも落ち着いて。腹が減っては良い仕事も良い喧嘩もできませんわ。まずは何か腹に入れて、頭を冷やしたらいかがです?」
私はやれやれとため息をつきながら、二人を別々の席に座らせた。
そして炊き場に立つと、さて、この頑固な師弟に何を作ってくれようかと考えた。こんな時はがつんと腹にたまるものがいいだろう。そして二人の意地っ張りな心を、優しく解きほぐしてくれるような、そんな一品が。
そうだ、あれにしよう。
私は店の奥からとっておきの鰻を取り出した。先日、懇意にしている川魚問屋から特別に分けてもらった、極上の天然鰻だ。これを今日は蒲焼き丼にして二人に振る舞おう。
私はまず、鰻を丁寧に捌いていく。背開きにして中骨を綺麗に取り除く。そして金串を打ち、まずは白焼きに。備長炭の強い火力で、皮目はぱりっと、身はふっくらと焼き上げていく。香ばしい匂いが店の中に立ち込めた。
白焼きにした鰻を一度蒸して、余分な脂を落とす。このひと手間が、ふっくらとした食感を生み出すのだ。
そしていよいよ、タレをつけて本焼きに入る。醤油、みりん、酒、砂糖を合わせた、やわらぎ亭秘伝のタレ。これを何度も、何度も鰻に塗りながら、じっくりと香ばしく焼き上げていく。
甘辛いタレの焦げる匂いが、食欲を猛烈に刺激する。良太が隣でごくりと喉を鳴らしたのがわかった。
炊きたての白いご飯を丼に盛り付け、その上に焼きあがったばかりの熱々の蒲焼きをどんと乗せる。仕上げに山椒をぱらりと振りかければ、やわらぎ亭特製「極上鰻の蒲焼き丼」の完成だ。
「さあ、お二人とも。お待たせいたしました。どうぞ、熱いうちに召し上がってくださいな」
私は二人の前に蒲焼き丼を置いた。湯気と共に立ち上るその圧倒的な香りに、あれほどいがみ合っていた藤吉さんと信吾も、思わずごくりと喉を鳴らした。
「……美味そうだ……」
二人はどちらからともなくそう呟くと、無言で箸を取った。そして大きな口で、鰻とご飯を一緒にかき込む。
その瞬間。
「「んんんんんっ!」」
二人の動きがぴたりと止まった。そして、その顔が驚きと感動にゆっくりと変わっていく。
「う、うめえ……! なんだこりゃあ……! 皮はぱりっとしてるのに、身はとろけるように柔らかえ……! この甘辛いタレが飯に染みて、たまらねえぜ……!」
藤吉さんが夢中で丼をかき込んでいる。信吾もまた、無言で一心不乱に箸を動かしていた。
やがて二人は、あっという間に丼を空にしてしまった。
「……ぷはーっ。……ご馳走さん。……美味かった……」
藤吉さんが満足そうに息をついた。その顔にはもう怒りの色はない。
「……師匠」
信吾がぽつりと呟いた。
「……すまなかったです。俺、少し天狗になってました。師匠の言うことも聞かずに、生意気な口ばかり……」
「……いや。俺の方こそすまなかったな、信吾。お前の新しいやり方を頭ごなしに否定しちまって。……お前の言う通り、俺は少し頭が固すぎたのかもしれねえな」
藤吉さんも、ばつの悪そうな顔で頭を掻いている。
「この鰻みてえに、もっと柔らかくならねえとな」
その言葉に、信吾はふっと笑った。そして二人もつられるように笑い出す。
「はっはっは! 違えねえや!」
さっきまでの険悪な空気が嘘のようだ。二人の間にはもう、いつもの温かい師弟の絆が戻っていた。
私はそんな二人の姿を、ただ微笑ましく見守っていた。
「おし乃さん。……ありがとうよ」
藤吉さんが私に向かって深々と頭を下げた。
「あんたのこの鰻丼がなかったら、俺たちまだいがみ合ってたとこだ。……本当に助かったぜ」
「いいえ。私など何も。お二人の心がこの鰻丼を受け入れてくださっただけですわ」
私はにっこりと微笑んだ。
一杯の蒲焼き丼が、頑固な職人たちの心を見事に解きほぐしてくれた。料理の力とは、本当に偉大なものだ。やわらぎ亭にまた一つ、温かい物語が生まれた瞬間だった。
仲直りした藤吉さんと信吾は、その後、肩を組んで上機嫌で店を後にして行った。その後ろ姿は、実に晴れやかで頼もしいものだった。
「良かったですね、おし乃さん」
良太が心底嬉しそうに言った。
「ええ、本当に。あの二人なら、きっと江戸一番の仕事をしてくれるでしょうね」
私たちがそんな話をしていると、店の戸がまたからりと開いた。
「ごめんください」
入ってきたのは、見慣れない一人の異国の男だった。年の頃は三十代くらいだろうか。金色の髪に青い瞳。身なりは立派だが、どこか物珍しそうにきょろきょろと店内を見回している。
「いらっしゃいませ」
私が声をかけると、男は少し辿々しい日本語で答えた。
「コチラ、ヤワラギテイ、デスカ?」
「はい、さようでございますが」
「ワタシ、デジマからキマシタ。ナマエハ、ヤン、トイイマス」
出島から来た、オランダ人の商人。名を、ヤンというらしい。こんな江戸の片隅の小さな飯屋に、一体何の用だろうか。私は少し警戒しながらも、彼を席へと案内した。
そんなある日の昼下がり、店の戸が勢いよくがらりと開いた。
「ちくしょう! やってられるか!」
「なんだと、この半人前が! 少し腕が上がったからっていい気になりやがって!」
怒鳴り声と共に店になだれ込んできたのは、大工の藤吉さんと、その弟子になったはずの信吾だった。二人は顔を真っ赤にして互いを睨みつけている。その間には、ばちばちと火花が散っているかのようだ。
「まあ、お二人とも。どうなさいました? そんな大きな声を出して」
私が呆れて声をかけると、二人ははっとしたようにこちらを振り返った。
「お、おし乃さん……! いや、すまねえ、見苦しいところを……」
藤吉さんがばつの悪そうな顔で頭を掻く。
「この信吾があまりにも生意気な口をきくもんでね。つい、かっとなっちまった」
「師匠こそ! 頭が固すぎます! 俺の言うことも少しは聞いてくれたっていいじゃありませんか!」
信吾も負けじと言い返す。
どうやら仕事のやり方を巡って、大喧嘩をしたらしい。真面目で熱心な二人だからこそ、仕事に対する思いがぶつかってしまったのだろう。
「まあまあ、お二人とも落ち着いて。腹が減っては良い仕事も良い喧嘩もできませんわ。まずは何か腹に入れて、頭を冷やしたらいかがです?」
私はやれやれとため息をつきながら、二人を別々の席に座らせた。
そして炊き場に立つと、さて、この頑固な師弟に何を作ってくれようかと考えた。こんな時はがつんと腹にたまるものがいいだろう。そして二人の意地っ張りな心を、優しく解きほぐしてくれるような、そんな一品が。
そうだ、あれにしよう。
私は店の奥からとっておきの鰻を取り出した。先日、懇意にしている川魚問屋から特別に分けてもらった、極上の天然鰻だ。これを今日は蒲焼き丼にして二人に振る舞おう。
私はまず、鰻を丁寧に捌いていく。背開きにして中骨を綺麗に取り除く。そして金串を打ち、まずは白焼きに。備長炭の強い火力で、皮目はぱりっと、身はふっくらと焼き上げていく。香ばしい匂いが店の中に立ち込めた。
白焼きにした鰻を一度蒸して、余分な脂を落とす。このひと手間が、ふっくらとした食感を生み出すのだ。
そしていよいよ、タレをつけて本焼きに入る。醤油、みりん、酒、砂糖を合わせた、やわらぎ亭秘伝のタレ。これを何度も、何度も鰻に塗りながら、じっくりと香ばしく焼き上げていく。
甘辛いタレの焦げる匂いが、食欲を猛烈に刺激する。良太が隣でごくりと喉を鳴らしたのがわかった。
炊きたての白いご飯を丼に盛り付け、その上に焼きあがったばかりの熱々の蒲焼きをどんと乗せる。仕上げに山椒をぱらりと振りかければ、やわらぎ亭特製「極上鰻の蒲焼き丼」の完成だ。
「さあ、お二人とも。お待たせいたしました。どうぞ、熱いうちに召し上がってくださいな」
私は二人の前に蒲焼き丼を置いた。湯気と共に立ち上るその圧倒的な香りに、あれほどいがみ合っていた藤吉さんと信吾も、思わずごくりと喉を鳴らした。
「……美味そうだ……」
二人はどちらからともなくそう呟くと、無言で箸を取った。そして大きな口で、鰻とご飯を一緒にかき込む。
その瞬間。
「「んんんんんっ!」」
二人の動きがぴたりと止まった。そして、その顔が驚きと感動にゆっくりと変わっていく。
「う、うめえ……! なんだこりゃあ……! 皮はぱりっとしてるのに、身はとろけるように柔らかえ……! この甘辛いタレが飯に染みて、たまらねえぜ……!」
藤吉さんが夢中で丼をかき込んでいる。信吾もまた、無言で一心不乱に箸を動かしていた。
やがて二人は、あっという間に丼を空にしてしまった。
「……ぷはーっ。……ご馳走さん。……美味かった……」
藤吉さんが満足そうに息をついた。その顔にはもう怒りの色はない。
「……師匠」
信吾がぽつりと呟いた。
「……すまなかったです。俺、少し天狗になってました。師匠の言うことも聞かずに、生意気な口ばかり……」
「……いや。俺の方こそすまなかったな、信吾。お前の新しいやり方を頭ごなしに否定しちまって。……お前の言う通り、俺は少し頭が固すぎたのかもしれねえな」
藤吉さんも、ばつの悪そうな顔で頭を掻いている。
「この鰻みてえに、もっと柔らかくならねえとな」
その言葉に、信吾はふっと笑った。そして二人もつられるように笑い出す。
「はっはっは! 違えねえや!」
さっきまでの険悪な空気が嘘のようだ。二人の間にはもう、いつもの温かい師弟の絆が戻っていた。
私はそんな二人の姿を、ただ微笑ましく見守っていた。
「おし乃さん。……ありがとうよ」
藤吉さんが私に向かって深々と頭を下げた。
「あんたのこの鰻丼がなかったら、俺たちまだいがみ合ってたとこだ。……本当に助かったぜ」
「いいえ。私など何も。お二人の心がこの鰻丼を受け入れてくださっただけですわ」
私はにっこりと微笑んだ。
一杯の蒲焼き丼が、頑固な職人たちの心を見事に解きほぐしてくれた。料理の力とは、本当に偉大なものだ。やわらぎ亭にまた一つ、温かい物語が生まれた瞬間だった。
仲直りした藤吉さんと信吾は、その後、肩を組んで上機嫌で店を後にして行った。その後ろ姿は、実に晴れやかで頼もしいものだった。
「良かったですね、おし乃さん」
良太が心底嬉しそうに言った。
「ええ、本当に。あの二人なら、きっと江戸一番の仕事をしてくれるでしょうね」
私たちがそんな話をしていると、店の戸がまたからりと開いた。
「ごめんください」
入ってきたのは、見慣れない一人の異国の男だった。年の頃は三十代くらいだろうか。金色の髪に青い瞳。身なりは立派だが、どこか物珍しそうにきょろきょろと店内を見回している。
「いらっしゃいませ」
私が声をかけると、男は少し辿々しい日本語で答えた。
「コチラ、ヤワラギテイ、デスカ?」
「はい、さようでございますが」
「ワタシ、デジマからキマシタ。ナマエハ、ヤン、トイイマス」
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