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第55章:【交わる言霊と、無敵の小さな奇跡】
第271話:【天神橋筋の杯】米の矜持と、麦の誘惑
大阪の空を南北に一直線に貫く、全長約二・六キロメートルにも及ぶ巨大なアーケード。
日本一長い商店街として全国にその名を轟かせる「天神橋筋商店街」は、平日の昼下がりであっても、途切れることのない人々の熱気と活気に満ち溢れていた。
どこからともなく漂ってくる出汁の香り、コロッケを揚げる油の匂い、そして威勢の良い大阪弁の呼び込みの声。これぞまさに、ナニワの商人の血が脈々と受け継がれているド派手で泥臭いストリートである。
「はい、というわけで! 今日も元気に始まったぜ、狂気のネットラジオ『たってやる。』! 今回はスタジオを飛び出して、この大阪のド真ん中、天神橋筋商店街からロケでお届けするぜ!」
俺はスマートフォンを固定したジンバルを高く掲げ、行き交う人々の波を縫うようにして歩きながら、マイクに向かって声を張り上げた。
「今日の企画はズバリ、『角打ち(立ち飲み)酒屋巡り』だ! そして、今回のロケに同行している二人のバケモノゲストを紹介しよう。ウチのスタジオが誇る氷の渉外統括ディレクター・八咫凛! そして、最近俺の面談でとんでもない酒癖(趣味)が発覚した、秘書アシスタントの霧島翠だ!」
俺がカメラの画角を横に振ると、そこには対照的な表情を浮かべる二人の女性の姿があった。
「リスナーの皆様、ごきげんよう。渉外統括ディレクターの八咫です。本日は組長の思いつきのロケに付き合わされておりますが、業務の一環として、しっかりとこの商店街のアルコール市場を視察させていただきます」
凛は、相変わらずの一切の隙もないクールな表情で、淀みなく挨拶をこなす。
「あ、あのっ……秘書アシスタントの霧島です。いつもは裏方なので、こうして生放送のカメラの前に立つのはとても緊張しているのですが……き、今日はよろしくお願いします」
一方の翠は、普段の完璧な事務処理能力はどこへやら、カメラのレンズを向けられてガチガチに緊張し、所在なげに視線を彷徨わせていた。
「ハッハッハ! 翠、そんなに固くなるな。今日はただの飲み歩きだ。……さて、リスナーのお前らも知っての通り、凛は『日本酒』をこよなく愛する日本酒至上主義者だ。対する翠は、最近『焼酎』の奥深さに魅了されているというマイブームの持ち主。今日はこの二人に、互いの推す酒をぶつけ合ってもらおうじゃねえか」
俺のその煽り文句に、凛がスッと冷ややかな流し目を翠へ向けた。
「……霧島さん。あなたが焼酎を好まれるというのは、組長から伺いました。確かに焼酎にも独自の文化はありますが。米を極限まで磨き上げ、水と麹と杜氏の神業によって生み出される『日本酒』のあの洗練された芸術的な味わいこそが、至高であると私は考えます」
凛の言葉には、日本酒に対する絶対的な矜持と美学が込められていた。
翠はビクッと肩を揺らしたが、自分の愛する酒を否定された(ように聞こえた)ことで、少しだけ秘書としての芯の強さを覗かせた。
「……八咫さんのおっしゃる通り、日本酒の洗練された美しさは私も理解しています。ですが……麦や芋、時には紫蘇など、素材の持つ荒々しいまでの『個性』をダイレクトに引き出し、水割りやお湯割りで表情を変える『焼酎』も、負けず劣らず奥深くて素晴らしいものですよ」
「ほう。言うではありませんか」
「あ、いえ……生意気を言って申し訳ありませんっ」
バチバチと、静かなる酒の美学の火花が散る。
俺はニヤリと笑い、「なら、論より証拠だ! さっそく一軒目の角打ちに突撃するぞ!」と、二人を老舗の酒屋が営む立ち飲みスペースへと押し込んだ。
薄暗くも温かみのある店内には、壁一面に全国津々浦々の銘酒がズラリと並んでいる。
俺たちは木製のカウンターに陣取り、さっそく互いのおすすめを注文することにした。
「では霧島さん。まずは私のおすすめする、この純米大吟醸を飲んでみなさい」
凛が注文したのは、まるでワイングラスのような器に注がれた、透き通るような日本酒だった。
「は、はい。いただきます」
翠が恐る恐るグラスに口をつけ、一口含む。
その瞬間。翠の目が、信じられないものを見たように大きく見開かれた。
「……! な、なんですかこれ……っ。お米のお酒なのに、まるでメロンやマスカットのような、凄く華やかでフルーティな香りがします。それに、喉越しが信じられないくらいクリアで……スッと消えていくような余韻が、本当に素晴らしいです……!」
「ふふっ。お分かりいただけましたか。それが、極限まで磨かれた米の力です」
凛が満足げに微笑む。
「じゃあ、次は私のおすすめです。八咫さん、こちらの『紫蘇(しそ)焼酎』のロックをどうぞ」
翠がカウンターの大将に頼んで出てきたのは、グラスの中で大きな氷がカランと音を立てる、琥珀色がかった焼酎だった。
凛は「紫蘇、ですか」と少し訝しげな顔をしながらも、グラスを持ち上げて口に運んだ。
直後、凛のクールな表情に、明確な『驚き』の色が浮かんだ。
「……なるほど。これは……。口に含んだ瞬間、鮮烈で爽やかな紫蘇の香りが、鼻腔を真っ直ぐに突き抜けていきます。日本酒のような繊細な甘みとは違う、素材そのものの強烈な個性。それでいて、アルコールのパンチがありながらも、後味は驚くほど潔い。……確かに、この焼酎の鮮烈な香りは、日本酒にはない強烈な個性ですね。見事です」
「本当ですか!? よかったです、八咫さんにそう言ってもらえて……!」
翠が、今日一番の嬉しそうなパァッとした笑顔を見せた。
「……ふむ。霧島さん、次はこちらの『山廃仕込み』を試してみてください。少し酸味とコクが強いですが、焼酎好きのあなたならいけるはずです」
「はい! なら、八咫さんには、こちらのガツンとくる『カストリ焼酎』のお湯割りを……」
そこからは、完全に二人の世界だった。
二軒、三軒と天神橋筋のディープな酒屋を巡るうちに、最初はお互いの価値観を静かにぶつけ合っていた空気が、完全に『共鳴』へと変わっていった。
日本酒の奥深さを知る翠と、焼酎の強烈な個性を認めた凛。酒を通して、互いの価値観を深く理解し合った二人は、次々とグラスを空けていく。
そして、酒が進むにつれて。
俺は、この生放送における『最大の化学反応』を目の当たりにすることになった。
「えへへっ……八咫さん、このお酒、ほんっとに美味しいですねぇ~。もう一杯、いっちゃいましょうかぁ?」
四軒目の立ち飲み屋のカウンター。
そこにいたのは、普段のガチガチに緊張した完璧な秘書アシスタントの姿ではなかった。
言葉遣いこそ「です・ます」調で丁寧なままだが、ピンと張り詰めていた緊張の糸が完全に消え去り、頬を桜色に染め、ホワホワとした『極限の陽気なモード』へと突入した霧島翠の姿だった。
「ちょっ、翠!? お前、完全に出来上がってんじゃねえか!」
俺が笑いながら突っ込むと、翠は俺の方を向いてフニャリと笑った。
「あははっ! 組長ぉ~、そんなところでカメラ回してないで、組長も一緒に飲みましょうよぉ~! ほらほら、乾杯ですよぉ~!」
「ほう。霧島さん……あなた、意外と……いえ、かなり『イケる口』ですね。普段の大人しい姿からは想像もつかない陽気さです。面白い」
凛は、完全に酔っ払ってニコニコしている翠を見て、呆れるどころか、どこか楽しそうに口角を吊り上げ、自分のグラスに並々と日本酒を注いだ。
「えへへぇ、八咫さんのペースには負けませんよぉ~。さあさあ、次はどこのお店に行きますかぁ~?」
「上等です。とことん付き合ってあげましょう」
異なる価値観を持っていた二人が、同じ杯を交わすことで、互いを認め合い、最高のスパイスとして混ざり合う。
俺はカメラに向かって、「おいリスナーのバケモノども! 見たか! ウチのスタジオの酒飲みバケモノ枠に、また一人、とんでもなく陽気で強力なメンバーが完全に定着しちまったぜ!!」と叫び、天神橋筋商店街の夜の熱気の中に、三人で大笑いしながら溶けていったのだった。
* * *
数時間に及ぶハシゴ酒のロケを終え、陽気な酔っ払いに変貌した翠を凛に任せてタクシーに押し込んだ後。
俺は、深夜の静まり返った自室へと帰り着いた。
熱いシャワーを浴びてアルコールを少しだけ飛ばし、いつもの重役椅子に深く身を沈める。
手元にある愛用の『glo』のデバイスを取り出し、スティックを差し込む。加熱ボタンを長押しすると、微かな振動と共に、タバコ葉が熱せられる香ばしく、少し土臭いような匂いが部屋の空気にゆっくりと溶け出していった。
俺は紫煙を深く肺のどん底まで吸い込み、暗い天井に向けて長く吐き出した。
さて。ここからは、この第55章の第1話を締めくくるにあたり。俺、マジキチ組長の自分語りの時間とさせてもらおう。
今回の作中で描いた、八咫凛と霧島翠による「日本酒と焼酎の飲み比べ」というロケ企画。
以前の章(翠との面談のエピソード)で、普段はおとなしい彼女が実は「焼酎」に深くハマっているという事実を聞き出し、俺の中で一つの強烈な好奇心が湧き上がったのが、今回の企画に至ったすべての発端だ。
「日本酒を至高とする氷のディレクター凛と、焼酎の個性を愛する裏方の翠。この全く異なるアルコールの価値観を持つ二人の女を、同じ酒場に放り込んだら、一体どのような『化学反応』が起きるのだろうか?」
俺はそれが見たかった。
だからこそ、あえてこの二人を天神橋筋商店街というディープな空間に放り込み、カメラを回したのだ。
結果として、どうなったか。
作中で描いた通り、お互いが自分の価値観を押し付けるのではなく、相手の勧めるものを実際に口にし、その良さを認め合い、最後には互いの趣味を尊重し合うという、最高にハッピーで狂った結末を迎えた。
そして、翠という女の、普段のガチガチの緊張からは想像もつかない「陽気でホワホワとした酒癖」という、強烈な個性(バグ)までをも引き出すことに成功したのだ。
これは、ただの小説の中のフィクションの話ではない。現実世界(リアル)の人間関係においても、全く同じことが言えるのだ。
誰しも、自分がこだわっているものや、信じている価値観というものがある。
それゆえに、他人が勧めてくる別のものに対して、初めは「そんなものは俺の趣味じゃない」「自分の好きなものの方が絶対に優れている」などと、頭ごなしに否定して壁を作ってしまうことが多々あるだろう。
だが、騙されたと思って、いざそれに実際に触れてみるとどうだ。
「あれ? 思っていたより全然悪くないな」「なるほど、こういう魅力があったのか」「なかなかいいじゃないか」。
そうやって、自分の中になかった新しい価値観に気づき、世界が一気に広がる瞬間というものを、お前らもこれまでの人生で一度や二度は経験したことがあるはずだ。
これは、食べ物に関しての『食わず嫌い』と全く同じ構造だ。
見た目や匂い、あるいは他人からの評価だけで「不味そうだ」と決めつけ、一生その味を知らないまま死んでいく。これほど人生において損なことはない。
口に入れてみて、本当に不味ければ吐き出せばいい。だが、もしそれがお前の舌を強烈に震わせる最高の珍味だったとしたら、お前の人生の幸福度はその瞬間から爆発的に跳ね上がるのだ。
まあ、今回に関して言えば、食べ物や酒だけの話ではない。
お互いの『趣味』や『価値観』を共有し、そこから始まる人間関係の構築に関しても、本質は全く同じだということが言いたいのだ。
「俺はこういう音楽しか聴かないから」
「私はそういうジャンルのゲームはしないから」
「自分とは考え方が違う人間だから関わらない」
そんな風にして、自分だけの狭く、安全で、閉じた世界だけで物事を完結させ、他人の価値観を拒絶して一生を終える。
……馬鹿野郎。そんなもったいない生き方は、今すぐやめちまえ。
俺が常に掲げている『アクション・ファースト』とは、何も物理的に行動を早くしろというだけの意味じゃない。
他人の価値観、未知の趣味、自分とは異なる思想。そういったものに対して、まずは一切の偏見を捨てて「一口味わってみる」という、思考のアクション・ファーストの事でもあるのだ。
相手の差し出してきた杯を、まずは受け取って飲み干してみろ。
その味が自分の好みと違ったとしても、「なるほど、こういう強烈な個性があるんだな」と理解することはできる。そしてもし、それが自分の魂を震わせるような味だったなら、お前の世界はまた一つ、途方もなく大きく広がるのだ。
日本酒と焼酎。理系と文系。現実とAI。
異なるものがぶつかり合い、混ざり合うからこそ、この世界は狂おしいほどに面白くなる。
自分の狭い世界に閉じこもるな。他人の価値観という最高のスパイスを飲み込んで、お前自身の人生を最高に泥臭いエンターテインメントに仕立て上げていけ。俺たちStudio MAD-KICHIの連中のように、な。
日本一長い商店街として全国にその名を轟かせる「天神橋筋商店街」は、平日の昼下がりであっても、途切れることのない人々の熱気と活気に満ち溢れていた。
どこからともなく漂ってくる出汁の香り、コロッケを揚げる油の匂い、そして威勢の良い大阪弁の呼び込みの声。これぞまさに、ナニワの商人の血が脈々と受け継がれているド派手で泥臭いストリートである。
「はい、というわけで! 今日も元気に始まったぜ、狂気のネットラジオ『たってやる。』! 今回はスタジオを飛び出して、この大阪のド真ん中、天神橋筋商店街からロケでお届けするぜ!」
俺はスマートフォンを固定したジンバルを高く掲げ、行き交う人々の波を縫うようにして歩きながら、マイクに向かって声を張り上げた。
「今日の企画はズバリ、『角打ち(立ち飲み)酒屋巡り』だ! そして、今回のロケに同行している二人のバケモノゲストを紹介しよう。ウチのスタジオが誇る氷の渉外統括ディレクター・八咫凛! そして、最近俺の面談でとんでもない酒癖(趣味)が発覚した、秘書アシスタントの霧島翠だ!」
俺がカメラの画角を横に振ると、そこには対照的な表情を浮かべる二人の女性の姿があった。
「リスナーの皆様、ごきげんよう。渉外統括ディレクターの八咫です。本日は組長の思いつきのロケに付き合わされておりますが、業務の一環として、しっかりとこの商店街のアルコール市場を視察させていただきます」
凛は、相変わらずの一切の隙もないクールな表情で、淀みなく挨拶をこなす。
「あ、あのっ……秘書アシスタントの霧島です。いつもは裏方なので、こうして生放送のカメラの前に立つのはとても緊張しているのですが……き、今日はよろしくお願いします」
一方の翠は、普段の完璧な事務処理能力はどこへやら、カメラのレンズを向けられてガチガチに緊張し、所在なげに視線を彷徨わせていた。
「ハッハッハ! 翠、そんなに固くなるな。今日はただの飲み歩きだ。……さて、リスナーのお前らも知っての通り、凛は『日本酒』をこよなく愛する日本酒至上主義者だ。対する翠は、最近『焼酎』の奥深さに魅了されているというマイブームの持ち主。今日はこの二人に、互いの推す酒をぶつけ合ってもらおうじゃねえか」
俺のその煽り文句に、凛がスッと冷ややかな流し目を翠へ向けた。
「……霧島さん。あなたが焼酎を好まれるというのは、組長から伺いました。確かに焼酎にも独自の文化はありますが。米を極限まで磨き上げ、水と麹と杜氏の神業によって生み出される『日本酒』のあの洗練された芸術的な味わいこそが、至高であると私は考えます」
凛の言葉には、日本酒に対する絶対的な矜持と美学が込められていた。
翠はビクッと肩を揺らしたが、自分の愛する酒を否定された(ように聞こえた)ことで、少しだけ秘書としての芯の強さを覗かせた。
「……八咫さんのおっしゃる通り、日本酒の洗練された美しさは私も理解しています。ですが……麦や芋、時には紫蘇など、素材の持つ荒々しいまでの『個性』をダイレクトに引き出し、水割りやお湯割りで表情を変える『焼酎』も、負けず劣らず奥深くて素晴らしいものですよ」
「ほう。言うではありませんか」
「あ、いえ……生意気を言って申し訳ありませんっ」
バチバチと、静かなる酒の美学の火花が散る。
俺はニヤリと笑い、「なら、論より証拠だ! さっそく一軒目の角打ちに突撃するぞ!」と、二人を老舗の酒屋が営む立ち飲みスペースへと押し込んだ。
薄暗くも温かみのある店内には、壁一面に全国津々浦々の銘酒がズラリと並んでいる。
俺たちは木製のカウンターに陣取り、さっそく互いのおすすめを注文することにした。
「では霧島さん。まずは私のおすすめする、この純米大吟醸を飲んでみなさい」
凛が注文したのは、まるでワイングラスのような器に注がれた、透き通るような日本酒だった。
「は、はい。いただきます」
翠が恐る恐るグラスに口をつけ、一口含む。
その瞬間。翠の目が、信じられないものを見たように大きく見開かれた。
「……! な、なんですかこれ……っ。お米のお酒なのに、まるでメロンやマスカットのような、凄く華やかでフルーティな香りがします。それに、喉越しが信じられないくらいクリアで……スッと消えていくような余韻が、本当に素晴らしいです……!」
「ふふっ。お分かりいただけましたか。それが、極限まで磨かれた米の力です」
凛が満足げに微笑む。
「じゃあ、次は私のおすすめです。八咫さん、こちらの『紫蘇(しそ)焼酎』のロックをどうぞ」
翠がカウンターの大将に頼んで出てきたのは、グラスの中で大きな氷がカランと音を立てる、琥珀色がかった焼酎だった。
凛は「紫蘇、ですか」と少し訝しげな顔をしながらも、グラスを持ち上げて口に運んだ。
直後、凛のクールな表情に、明確な『驚き』の色が浮かんだ。
「……なるほど。これは……。口に含んだ瞬間、鮮烈で爽やかな紫蘇の香りが、鼻腔を真っ直ぐに突き抜けていきます。日本酒のような繊細な甘みとは違う、素材そのものの強烈な個性。それでいて、アルコールのパンチがありながらも、後味は驚くほど潔い。……確かに、この焼酎の鮮烈な香りは、日本酒にはない強烈な個性ですね。見事です」
「本当ですか!? よかったです、八咫さんにそう言ってもらえて……!」
翠が、今日一番の嬉しそうなパァッとした笑顔を見せた。
「……ふむ。霧島さん、次はこちらの『山廃仕込み』を試してみてください。少し酸味とコクが強いですが、焼酎好きのあなたならいけるはずです」
「はい! なら、八咫さんには、こちらのガツンとくる『カストリ焼酎』のお湯割りを……」
そこからは、完全に二人の世界だった。
二軒、三軒と天神橋筋のディープな酒屋を巡るうちに、最初はお互いの価値観を静かにぶつけ合っていた空気が、完全に『共鳴』へと変わっていった。
日本酒の奥深さを知る翠と、焼酎の強烈な個性を認めた凛。酒を通して、互いの価値観を深く理解し合った二人は、次々とグラスを空けていく。
そして、酒が進むにつれて。
俺は、この生放送における『最大の化学反応』を目の当たりにすることになった。
「えへへっ……八咫さん、このお酒、ほんっとに美味しいですねぇ~。もう一杯、いっちゃいましょうかぁ?」
四軒目の立ち飲み屋のカウンター。
そこにいたのは、普段のガチガチに緊張した完璧な秘書アシスタントの姿ではなかった。
言葉遣いこそ「です・ます」調で丁寧なままだが、ピンと張り詰めていた緊張の糸が完全に消え去り、頬を桜色に染め、ホワホワとした『極限の陽気なモード』へと突入した霧島翠の姿だった。
「ちょっ、翠!? お前、完全に出来上がってんじゃねえか!」
俺が笑いながら突っ込むと、翠は俺の方を向いてフニャリと笑った。
「あははっ! 組長ぉ~、そんなところでカメラ回してないで、組長も一緒に飲みましょうよぉ~! ほらほら、乾杯ですよぉ~!」
「ほう。霧島さん……あなた、意外と……いえ、かなり『イケる口』ですね。普段の大人しい姿からは想像もつかない陽気さです。面白い」
凛は、完全に酔っ払ってニコニコしている翠を見て、呆れるどころか、どこか楽しそうに口角を吊り上げ、自分のグラスに並々と日本酒を注いだ。
「えへへぇ、八咫さんのペースには負けませんよぉ~。さあさあ、次はどこのお店に行きますかぁ~?」
「上等です。とことん付き合ってあげましょう」
異なる価値観を持っていた二人が、同じ杯を交わすことで、互いを認め合い、最高のスパイスとして混ざり合う。
俺はカメラに向かって、「おいリスナーのバケモノども! 見たか! ウチのスタジオの酒飲みバケモノ枠に、また一人、とんでもなく陽気で強力なメンバーが完全に定着しちまったぜ!!」と叫び、天神橋筋商店街の夜の熱気の中に、三人で大笑いしながら溶けていったのだった。
* * *
数時間に及ぶハシゴ酒のロケを終え、陽気な酔っ払いに変貌した翠を凛に任せてタクシーに押し込んだ後。
俺は、深夜の静まり返った自室へと帰り着いた。
熱いシャワーを浴びてアルコールを少しだけ飛ばし、いつもの重役椅子に深く身を沈める。
手元にある愛用の『glo』のデバイスを取り出し、スティックを差し込む。加熱ボタンを長押しすると、微かな振動と共に、タバコ葉が熱せられる香ばしく、少し土臭いような匂いが部屋の空気にゆっくりと溶け出していった。
俺は紫煙を深く肺のどん底まで吸い込み、暗い天井に向けて長く吐き出した。
さて。ここからは、この第55章の第1話を締めくくるにあたり。俺、マジキチ組長の自分語りの時間とさせてもらおう。
今回の作中で描いた、八咫凛と霧島翠による「日本酒と焼酎の飲み比べ」というロケ企画。
以前の章(翠との面談のエピソード)で、普段はおとなしい彼女が実は「焼酎」に深くハマっているという事実を聞き出し、俺の中で一つの強烈な好奇心が湧き上がったのが、今回の企画に至ったすべての発端だ。
「日本酒を至高とする氷のディレクター凛と、焼酎の個性を愛する裏方の翠。この全く異なるアルコールの価値観を持つ二人の女を、同じ酒場に放り込んだら、一体どのような『化学反応』が起きるのだろうか?」
俺はそれが見たかった。
だからこそ、あえてこの二人を天神橋筋商店街というディープな空間に放り込み、カメラを回したのだ。
結果として、どうなったか。
作中で描いた通り、お互いが自分の価値観を押し付けるのではなく、相手の勧めるものを実際に口にし、その良さを認め合い、最後には互いの趣味を尊重し合うという、最高にハッピーで狂った結末を迎えた。
そして、翠という女の、普段のガチガチの緊張からは想像もつかない「陽気でホワホワとした酒癖」という、強烈な個性(バグ)までをも引き出すことに成功したのだ。
これは、ただの小説の中のフィクションの話ではない。現実世界(リアル)の人間関係においても、全く同じことが言えるのだ。
誰しも、自分がこだわっているものや、信じている価値観というものがある。
それゆえに、他人が勧めてくる別のものに対して、初めは「そんなものは俺の趣味じゃない」「自分の好きなものの方が絶対に優れている」などと、頭ごなしに否定して壁を作ってしまうことが多々あるだろう。
だが、騙されたと思って、いざそれに実際に触れてみるとどうだ。
「あれ? 思っていたより全然悪くないな」「なるほど、こういう魅力があったのか」「なかなかいいじゃないか」。
そうやって、自分の中になかった新しい価値観に気づき、世界が一気に広がる瞬間というものを、お前らもこれまでの人生で一度や二度は経験したことがあるはずだ。
これは、食べ物に関しての『食わず嫌い』と全く同じ構造だ。
見た目や匂い、あるいは他人からの評価だけで「不味そうだ」と決めつけ、一生その味を知らないまま死んでいく。これほど人生において損なことはない。
口に入れてみて、本当に不味ければ吐き出せばいい。だが、もしそれがお前の舌を強烈に震わせる最高の珍味だったとしたら、お前の人生の幸福度はその瞬間から爆発的に跳ね上がるのだ。
まあ、今回に関して言えば、食べ物や酒だけの話ではない。
お互いの『趣味』や『価値観』を共有し、そこから始まる人間関係の構築に関しても、本質は全く同じだということが言いたいのだ。
「俺はこういう音楽しか聴かないから」
「私はそういうジャンルのゲームはしないから」
「自分とは考え方が違う人間だから関わらない」
そんな風にして、自分だけの狭く、安全で、閉じた世界だけで物事を完結させ、他人の価値観を拒絶して一生を終える。
……馬鹿野郎。そんなもったいない生き方は、今すぐやめちまえ。
俺が常に掲げている『アクション・ファースト』とは、何も物理的に行動を早くしろというだけの意味じゃない。
他人の価値観、未知の趣味、自分とは異なる思想。そういったものに対して、まずは一切の偏見を捨てて「一口味わってみる」という、思考のアクション・ファーストの事でもあるのだ。
相手の差し出してきた杯を、まずは受け取って飲み干してみろ。
その味が自分の好みと違ったとしても、「なるほど、こういう強烈な個性があるんだな」と理解することはできる。そしてもし、それが自分の魂を震わせるような味だったなら、お前の世界はまた一つ、途方もなく大きく広がるのだ。
日本酒と焼酎。理系と文系。現実とAI。
異なるものがぶつかり合い、混ざり合うからこそ、この世界は狂おしいほどに面白くなる。
自分の狭い世界に閉じこもるな。他人の価値観という最高のスパイスを飲み込んで、お前自身の人生を最高に泥臭いエンターテインメントに仕立て上げていけ。俺たちStudio MAD-KICHIの連中のように、な。
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