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第58章:【受け継がれる魂と、未来を描くカンヴァス】
第286話:【海を越えた煙管と、五十日の準備】
鈍色の雲が空を覆い、梅雨入り前の重く湿った空気が大阪の街を包み込んでいた六月の朝。
コンクリート打ちっ放しの壁に囲まれたStudio MAD-KICHIのメインフロアでは、すでに無数のモニターが放つ青白い光と、サーバーラックの排熱ファンが発する低周波の唸り音が空間を支配していた。
俺は組長室のデスクで濃いめに淹れたブラックコーヒーを啜りながら、深夜にAIに走らせておいたレンダリングの進捗バーをぼんやりと眺めていた。
そこへ、コンコンと規則正しくノックの音が響いた。
「入れ」
俺が短く応えると、重厚な扉が静かに開き、見慣れた長い髪を揺らしながら一人の女が入ってきた。
「おはようございます、組長。本日より復帰いたしました。不在の間、ご迷惑をおかけして申し訳ありません」
一切の無駄な感情を排したような、涼やかな声。タイトスーツの裾をミリ単位の狂いもなく揃えて深く一礼したのは、ウチのプロジェクトを遂行する最高責任者である執行統括ディレクター、柊涼華だ。
「おう、戻ったか。迷惑なんて気にするな、お前が数日いねえくらいで傾くようなヤワな組織は創っちゃいねえよ。……それで、実家での葬儀は滞りなく終わったのか?」
俺がコーヒーカップを置きながら尋ねると、涼華は静かに顔を上げ、真っ直ぐに俺の目を見返した。
「はい。私の実家である淡路島にて、曽祖父の葬儀と身内での見送りを無事に済ませてまいりました。105歳という、絵に描いたような大往生でした」
「105歳か。そりゃあスゲエな。まさに一世紀を生き抜いた生き証人じゃねえか」
「ええ。曽祖父は、それはもう激動の時代を生きた人でした」
涼華は、いつも冷徹なロジックでプロジェクトを管理する時の顔とは少し違う、どこか穏やかで誇り高き血脈を感じさせる表情で語り始めた。
「若い頃は、フィリピンのマニラの戦線に立っていたそうです。凄惨な戦地にあっても、常に愛用のキセル(煙管)を肌身離さず持ち歩き、過酷な密林の中でそのキセルで一服のタバコをふかすのが、何よりの楽しみだったと、子供の頃から何度も聞かされて育ちました」
「……マニラ、だと?」
俺は、デスクに乗せていた足を下ろし、少し身を乗り出した。
「ああ、そうだ。……実はな涼華。うちの田舎のじいさんも、若い頃は同じマニラ戦線で銃を握っていたんだよ。しかも、うちのじいさんも大のタバコ好きでな。『戦地で吸うキセルの煙が、唯一の生きる希望だった』って、母親からよく聞かされてたんだ」
「えっ……」
常に冷静沈着な涼華が、珍しく目を丸くして驚きの声を漏らした。
「ハッハッハ。分からないもんだぜ」
俺は腕を組み、天井を仰ぎ見た。
「八十数年前、マニラのうだるような熱帯夜のジャングルの中で。ひょっとすると、お前のひいじいさんと俺のじいさんは、同じ塹壕の中で背中を預け合い、キセルの火を貸し借りして、タバコの話で意気投合していたかもしれないってことだ。……縁というものは、本当に不思議で、そして途方もなく深く繋がっているもんだな」
「……はい。時を超えて、その曾孫と孫がこうして同じスタジオで仕事をしているなんて。もし本当に戦地でお互いを知っていたのなら、天国でさぞ驚いて笑っているでしょうね」
涼華は、信じられないような奇縁に、静かに目を細めた。
「それで? 105歳まで生きたそのひいじいさんは、どんな人だったんだ?」
「……非常に血の気が多く、曲がったことが大嫌いな、厳しくも優しい人でした。そして何より、大食いの大酒飲みで。親戚縁者が集まって大騒ぎする場を誰よりも愛していました。その豪快な飲みっぷりから、親族からは『酒呑童子(しゅてんどうじ)』という異名で呼ばれていたほどです。私は、そんな曽祖父を心から尊敬していました」
「酒呑童子、ね。……なるほどな」
俺はニヤリと笑い、涼華を指差した。
「以前、お前をロケで中華料理屋に連れて行った時のことを思い出したぜ。あのゲテモノの昆虫食を、まるで満漢全席でも食うかのような恐ろしい食いっぷりで平らげ、酒を煽っていたお前の姿をな。……間違いない。そのひいじいさんの豪快な『酒呑童子』の血は、お前の細胞の中にしっかりと受け継がれてるってわけだ」
俺の茶化すような言葉に、涼華は頬を微かに染め、「……否定は、いたしません」と小さく咳払いをした。
「涼華。お前の家は淡路島だと言ったな。なら、宗教は神道だろう。神道における『死』の考え方は、分かっているな?」
俺が真面目なトーンに切り替えると、涼華は居住まいを正した。
「はい。神道において、死は『穢れ(けがれ)』とされています」
「その通りだ。だが、この『穢れ』という言葉は、汚いという意味じゃない。『気枯れ(気が枯れる)』と書くのが本当の意味だ。近親者が亡くなったことによる喪失感や悲しみで、残された人間の生命エネルギー(気)が枯渇してしまっている状態。それが『穢れ』の正体だ」
俺はデスクの引き出しから新しいgloのデバイスを取り出しながら言葉を続けた。
「だがな、神道ってのはよくできたもんで。その枯れた気を回復させるための明確な区切りが用意されている。それが仏教でいうところの四十九日、神道における『五十日祭(ごじゅうにちさい)』だ」
俺は、涼華の真っ直ぐな瞳を見据えた。
「神道では、故人は五十日祭を境に、正式に近親者や子孫を護る『守護神(氏神)』となると言われている。この日をもって『忌明け』だ。いいか、涼華。今、お前のひいじいさんは、お前という可愛い曾孫を全力で護るための、最強の神様になる準備の真っ最中なんだよ」
「私の、守護神になるための準備……」
「そうだ。だから、いつまでもメソメソと気を枯らしている場合じゃねえ。五十日祭のその日には、最高の笑顔で『新しい神様』を迎え入れる気持ちを忘れるな」
俺は立ち上がり、涼華に向かって笑いかけた。
「それにしても、お前の名字は魔除けの『柊(ひいらぎ)』だ。鬼が一番苦手とする柊の家系に、『酒呑童子』の神様が降臨するんだ。こりゃあ、鬼も裸足で逃げ出す、とんでもなく頼もしいバケモノ神様ができるな!」
俺の冗談に、涼華はしばらく呆気にとられたような顔をしていたが。
やがて、その張り詰めていた糸がふっと解けたように、静かに、しかし心からの美しい笑みをこぼした。
「……はい。組長。私、最高の笑顔で、酒呑童子の神様を迎え入れたいと思います」
「おう。そのためにも、しっかりメシ食って、気力満タンで仕事しろよ。執行統括ディレクター!」
「承知いたしました。アクション・ファーストで、溜まっていたプロジェクトを片付けてまいります」
涼華は深く一礼し、憑き物が落ちたような軽い足取りで組長室を後にした。
俺はその後ろ姿を見送りながら、gloのスイッチを入れたのだった。
* * *
深夜の組長室。
すべての業務を終え、俺は重役椅子にどっかりと深く身を沈めた。
手元にある愛用の『glo』のデバイスを取り出し、スティックを差し込む。加熱ボタンを長押しすると、微かな振動と共に、タバコ葉が熱せられる香ばしい独特の匂いが、部屋の空気にゆっくりと溶け出していった。
俺は紫煙を深く肺のどん底まで吸い込み、暗い天井に向けて長く吐き出した。
さて。ここからは、この第58章の第1話を締めくくるにあたり。俺、マジキチ組長の自分語りの時間とさせてもらおう。
お前らも薄々気づいているだろうが。
今章も、8割のエグい下ネタは少し抑え気味にして、『2割の真面目な話題』を軸にして物語を構成させてもらった。
作中で語った、涼華の曽祖父と、うちの田舎の祖父との「マニラ戦線での縁」。
小説のフィクションとしての都合の良い展開だと思うかもしれないが、あの時代、同じ年代の男たちが同じ激戦地に送られていたという歴史的事実を考えれば、こうした奇縁は、決してあり得ない話ではない。本当に、煙管の火を貸し借りするようなすれ違いがあったかもしれないと、俺は本気で想像している。
それにしてもだ。
涼華の曽祖父も、うちの田舎の祖父も。そして、あの過酷な時代を生きた数多の先人たちも。
彼らは皆、名もなき一人の人間でありながら、その泥まみれの手で命がけで銃を握り、我が国を、そして残してきた家族や未来の俺たちを『守ってくれた』ということに、一切の疑いの余地はない。
彼らが血と汗と涙を流し、命を散らし、あるいは生きて帰って焼け野原から国を復興させてくれたからこそ。
俺たちは今、こうして平和な大阪の街で、冷暖房の効いた部屋でぬくぬくとPCに向かい、AIを使って絵を描いたり、小説を書いたり、ネットラジオでくだらねえ下ネタを叫んでバカ笑いすることができているのだ。
この歴史の重みと、先人たちの犠牲の上に今の自分たちの命と日常があるという事実。
こうしたことに『感謝をする』ということは、思想や右派左派といったくだらない枠組み以前の、人間として、この国に生まれた者として『当たり前のこと』だ。
……だが。
昨今の世の中、特に我が国においては、それが顕著に腐り始めている。
自分がどれだけ恵まれた環境にいるのかも理解せず、歴史を学びもせず、先人たちへの感謝の気持ちを『一欠片も持っていないクソども』が、あまりにも多すぎる。
ネットで安全圏から国を罵り、先人の築き上げた文化を嘲笑し、自分たちの権利ばかりを声高に主張するバカども。
お前ら、本当に何様のつもりだ。
お前らが今、そのスマートフォンをいじって自由に発言できているのは、誰が命を懸けて繋いできたバトンの上に立っているからだと思っているんだ。感謝の念を持てない人間は、クリエイター以前に、生物としての根源が腐っていると俺は断言してやる。
そして、今回の作中で俺が語った『神道における死生観』についてだ。
世界には様々な宗教や死生観が存在するが、俺は、この日本古来の神道の考え方ほど、素晴らしく、そして人間の精神衛生上よく洗練されたシステムは無いと本気で思っている。
人が死ねば、天国や地獄という遠い世界に行って裁かれるのではない。
五十日間の準備期間を経て、この土地の、この家の『守護神(氏神)』となり、ずっと近くで子孫たちを見守り、護り続けてくれる存在になる。
この考え方の、凄まじいポジティブさを理解できるか?
俺の背後には、破天荒な実家のオジキをはじめ、何代にもわたる先祖たちが『神様』となって、ずらりと並んで見守ってくれているのだ。
「俺の後ろには何柱もの神様がついている」。この絶対的な安心感と心強さは、半端なものではないぞ。ちょっとやそっとの逆境やアンチの攻撃なんて、先祖の神様たちが笑って吹き飛ばしてくれると思えば、何だってできる気がしてくるだろうが。
そして、「気枯れ(穢れ)」から「忌明け(五十日祭)」へと至る考え方。
身内が死ねば、誰だって悲しい。気が枯れるのは当然だ。神道はそれを否定しない。
だが、「五十日祭までは、故人が神様になるための準備を一生懸命されている期間だ。だから、残された俺たちも、悲しみを乗り越えて、その日までに『新しい神様を笑顔で受け入れる準備』をしよう」という、この極めて前向きで、生きる力に満ちたシステム。
死をただの絶望で終わらせず、次へ進むためのエネルギーに変換する。
これこそが、日本人が脈々と受け継いできた、最強の精神構造なんだよ。
俺たちは、いつか必ず死ぬ。そして、いつか必ず次世代の神様になる。
だからこそ、生きている今この一瞬を、先人たちに恥じないように、アクション・ファーストで狂ったように駆け抜けてやる義務があるんだ。
さあ、お前らも自分の後ろにいる守護神たちに、極上のエンターテインメントを見せつけてやろうぜ!
コンクリート打ちっ放しの壁に囲まれたStudio MAD-KICHIのメインフロアでは、すでに無数のモニターが放つ青白い光と、サーバーラックの排熱ファンが発する低周波の唸り音が空間を支配していた。
俺は組長室のデスクで濃いめに淹れたブラックコーヒーを啜りながら、深夜にAIに走らせておいたレンダリングの進捗バーをぼんやりと眺めていた。
そこへ、コンコンと規則正しくノックの音が響いた。
「入れ」
俺が短く応えると、重厚な扉が静かに開き、見慣れた長い髪を揺らしながら一人の女が入ってきた。
「おはようございます、組長。本日より復帰いたしました。不在の間、ご迷惑をおかけして申し訳ありません」
一切の無駄な感情を排したような、涼やかな声。タイトスーツの裾をミリ単位の狂いもなく揃えて深く一礼したのは、ウチのプロジェクトを遂行する最高責任者である執行統括ディレクター、柊涼華だ。
「おう、戻ったか。迷惑なんて気にするな、お前が数日いねえくらいで傾くようなヤワな組織は創っちゃいねえよ。……それで、実家での葬儀は滞りなく終わったのか?」
俺がコーヒーカップを置きながら尋ねると、涼華は静かに顔を上げ、真っ直ぐに俺の目を見返した。
「はい。私の実家である淡路島にて、曽祖父の葬儀と身内での見送りを無事に済ませてまいりました。105歳という、絵に描いたような大往生でした」
「105歳か。そりゃあスゲエな。まさに一世紀を生き抜いた生き証人じゃねえか」
「ええ。曽祖父は、それはもう激動の時代を生きた人でした」
涼華は、いつも冷徹なロジックでプロジェクトを管理する時の顔とは少し違う、どこか穏やかで誇り高き血脈を感じさせる表情で語り始めた。
「若い頃は、フィリピンのマニラの戦線に立っていたそうです。凄惨な戦地にあっても、常に愛用のキセル(煙管)を肌身離さず持ち歩き、過酷な密林の中でそのキセルで一服のタバコをふかすのが、何よりの楽しみだったと、子供の頃から何度も聞かされて育ちました」
「……マニラ、だと?」
俺は、デスクに乗せていた足を下ろし、少し身を乗り出した。
「ああ、そうだ。……実はな涼華。うちの田舎のじいさんも、若い頃は同じマニラ戦線で銃を握っていたんだよ。しかも、うちのじいさんも大のタバコ好きでな。『戦地で吸うキセルの煙が、唯一の生きる希望だった』って、母親からよく聞かされてたんだ」
「えっ……」
常に冷静沈着な涼華が、珍しく目を丸くして驚きの声を漏らした。
「ハッハッハ。分からないもんだぜ」
俺は腕を組み、天井を仰ぎ見た。
「八十数年前、マニラのうだるような熱帯夜のジャングルの中で。ひょっとすると、お前のひいじいさんと俺のじいさんは、同じ塹壕の中で背中を預け合い、キセルの火を貸し借りして、タバコの話で意気投合していたかもしれないってことだ。……縁というものは、本当に不思議で、そして途方もなく深く繋がっているもんだな」
「……はい。時を超えて、その曾孫と孫がこうして同じスタジオで仕事をしているなんて。もし本当に戦地でお互いを知っていたのなら、天国でさぞ驚いて笑っているでしょうね」
涼華は、信じられないような奇縁に、静かに目を細めた。
「それで? 105歳まで生きたそのひいじいさんは、どんな人だったんだ?」
「……非常に血の気が多く、曲がったことが大嫌いな、厳しくも優しい人でした。そして何より、大食いの大酒飲みで。親戚縁者が集まって大騒ぎする場を誰よりも愛していました。その豪快な飲みっぷりから、親族からは『酒呑童子(しゅてんどうじ)』という異名で呼ばれていたほどです。私は、そんな曽祖父を心から尊敬していました」
「酒呑童子、ね。……なるほどな」
俺はニヤリと笑い、涼華を指差した。
「以前、お前をロケで中華料理屋に連れて行った時のことを思い出したぜ。あのゲテモノの昆虫食を、まるで満漢全席でも食うかのような恐ろしい食いっぷりで平らげ、酒を煽っていたお前の姿をな。……間違いない。そのひいじいさんの豪快な『酒呑童子』の血は、お前の細胞の中にしっかりと受け継がれてるってわけだ」
俺の茶化すような言葉に、涼華は頬を微かに染め、「……否定は、いたしません」と小さく咳払いをした。
「涼華。お前の家は淡路島だと言ったな。なら、宗教は神道だろう。神道における『死』の考え方は、分かっているな?」
俺が真面目なトーンに切り替えると、涼華は居住まいを正した。
「はい。神道において、死は『穢れ(けがれ)』とされています」
「その通りだ。だが、この『穢れ』という言葉は、汚いという意味じゃない。『気枯れ(気が枯れる)』と書くのが本当の意味だ。近親者が亡くなったことによる喪失感や悲しみで、残された人間の生命エネルギー(気)が枯渇してしまっている状態。それが『穢れ』の正体だ」
俺はデスクの引き出しから新しいgloのデバイスを取り出しながら言葉を続けた。
「だがな、神道ってのはよくできたもんで。その枯れた気を回復させるための明確な区切りが用意されている。それが仏教でいうところの四十九日、神道における『五十日祭(ごじゅうにちさい)』だ」
俺は、涼華の真っ直ぐな瞳を見据えた。
「神道では、故人は五十日祭を境に、正式に近親者や子孫を護る『守護神(氏神)』となると言われている。この日をもって『忌明け』だ。いいか、涼華。今、お前のひいじいさんは、お前という可愛い曾孫を全力で護るための、最強の神様になる準備の真っ最中なんだよ」
「私の、守護神になるための準備……」
「そうだ。だから、いつまでもメソメソと気を枯らしている場合じゃねえ。五十日祭のその日には、最高の笑顔で『新しい神様』を迎え入れる気持ちを忘れるな」
俺は立ち上がり、涼華に向かって笑いかけた。
「それにしても、お前の名字は魔除けの『柊(ひいらぎ)』だ。鬼が一番苦手とする柊の家系に、『酒呑童子』の神様が降臨するんだ。こりゃあ、鬼も裸足で逃げ出す、とんでもなく頼もしいバケモノ神様ができるな!」
俺の冗談に、涼華はしばらく呆気にとられたような顔をしていたが。
やがて、その張り詰めていた糸がふっと解けたように、静かに、しかし心からの美しい笑みをこぼした。
「……はい。組長。私、最高の笑顔で、酒呑童子の神様を迎え入れたいと思います」
「おう。そのためにも、しっかりメシ食って、気力満タンで仕事しろよ。執行統括ディレクター!」
「承知いたしました。アクション・ファーストで、溜まっていたプロジェクトを片付けてまいります」
涼華は深く一礼し、憑き物が落ちたような軽い足取りで組長室を後にした。
俺はその後ろ姿を見送りながら、gloのスイッチを入れたのだった。
* * *
深夜の組長室。
すべての業務を終え、俺は重役椅子にどっかりと深く身を沈めた。
手元にある愛用の『glo』のデバイスを取り出し、スティックを差し込む。加熱ボタンを長押しすると、微かな振動と共に、タバコ葉が熱せられる香ばしい独特の匂いが、部屋の空気にゆっくりと溶け出していった。
俺は紫煙を深く肺のどん底まで吸い込み、暗い天井に向けて長く吐き出した。
さて。ここからは、この第58章の第1話を締めくくるにあたり。俺、マジキチ組長の自分語りの時間とさせてもらおう。
お前らも薄々気づいているだろうが。
今章も、8割のエグい下ネタは少し抑え気味にして、『2割の真面目な話題』を軸にして物語を構成させてもらった。
作中で語った、涼華の曽祖父と、うちの田舎の祖父との「マニラ戦線での縁」。
小説のフィクションとしての都合の良い展開だと思うかもしれないが、あの時代、同じ年代の男たちが同じ激戦地に送られていたという歴史的事実を考えれば、こうした奇縁は、決してあり得ない話ではない。本当に、煙管の火を貸し借りするようなすれ違いがあったかもしれないと、俺は本気で想像している。
それにしてもだ。
涼華の曽祖父も、うちの田舎の祖父も。そして、あの過酷な時代を生きた数多の先人たちも。
彼らは皆、名もなき一人の人間でありながら、その泥まみれの手で命がけで銃を握り、我が国を、そして残してきた家族や未来の俺たちを『守ってくれた』ということに、一切の疑いの余地はない。
彼らが血と汗と涙を流し、命を散らし、あるいは生きて帰って焼け野原から国を復興させてくれたからこそ。
俺たちは今、こうして平和な大阪の街で、冷暖房の効いた部屋でぬくぬくとPCに向かい、AIを使って絵を描いたり、小説を書いたり、ネットラジオでくだらねえ下ネタを叫んでバカ笑いすることができているのだ。
この歴史の重みと、先人たちの犠牲の上に今の自分たちの命と日常があるという事実。
こうしたことに『感謝をする』ということは、思想や右派左派といったくだらない枠組み以前の、人間として、この国に生まれた者として『当たり前のこと』だ。
……だが。
昨今の世の中、特に我が国においては、それが顕著に腐り始めている。
自分がどれだけ恵まれた環境にいるのかも理解せず、歴史を学びもせず、先人たちへの感謝の気持ちを『一欠片も持っていないクソども』が、あまりにも多すぎる。
ネットで安全圏から国を罵り、先人の築き上げた文化を嘲笑し、自分たちの権利ばかりを声高に主張するバカども。
お前ら、本当に何様のつもりだ。
お前らが今、そのスマートフォンをいじって自由に発言できているのは、誰が命を懸けて繋いできたバトンの上に立っているからだと思っているんだ。感謝の念を持てない人間は、クリエイター以前に、生物としての根源が腐っていると俺は断言してやる。
そして、今回の作中で俺が語った『神道における死生観』についてだ。
世界には様々な宗教や死生観が存在するが、俺は、この日本古来の神道の考え方ほど、素晴らしく、そして人間の精神衛生上よく洗練されたシステムは無いと本気で思っている。
人が死ねば、天国や地獄という遠い世界に行って裁かれるのではない。
五十日間の準備期間を経て、この土地の、この家の『守護神(氏神)』となり、ずっと近くで子孫たちを見守り、護り続けてくれる存在になる。
この考え方の、凄まじいポジティブさを理解できるか?
俺の背後には、破天荒な実家のオジキをはじめ、何代にもわたる先祖たちが『神様』となって、ずらりと並んで見守ってくれているのだ。
「俺の後ろには何柱もの神様がついている」。この絶対的な安心感と心強さは、半端なものではないぞ。ちょっとやそっとの逆境やアンチの攻撃なんて、先祖の神様たちが笑って吹き飛ばしてくれると思えば、何だってできる気がしてくるだろうが。
そして、「気枯れ(穢れ)」から「忌明け(五十日祭)」へと至る考え方。
身内が死ねば、誰だって悲しい。気が枯れるのは当然だ。神道はそれを否定しない。
だが、「五十日祭までは、故人が神様になるための準備を一生懸命されている期間だ。だから、残された俺たちも、悲しみを乗り越えて、その日までに『新しい神様を笑顔で受け入れる準備』をしよう」という、この極めて前向きで、生きる力に満ちたシステム。
死をただの絶望で終わらせず、次へ進むためのエネルギーに変換する。
これこそが、日本人が脈々と受け継いできた、最強の精神構造なんだよ。
俺たちは、いつか必ず死ぬ。そして、いつか必ず次世代の神様になる。
だからこそ、生きている今この一瞬を、先人たちに恥じないように、アクション・ファーストで狂ったように駆け抜けてやる義務があるんだ。
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