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「早かったですか?」
彼女はテクラ・ショーダーといった。落ち着いた色合いの金髪を、すっきりとポニーテールにしてまとめている。
ライニケン・ドルフ区のテーゲルに住んでいるテクラは、通勤途中にみつけたというレナの古書店を気に入り、週に一度は必ず立ち寄ってくれる実にありがたい客だ。
最近は本以外の目的もあったりするようなのだが。
「今から出勤なの? 早いのね」
彼女の吐く息が白いのに気づき、レナは急かすように店内へと手招きした。
テクラは嬉しそうに目を細めて微笑むと、本に囲まれて迷路のような通路を歩いてくる。
「ずいぶんと寒そうね」
真っ赤になっているテクラの鼻の頭を見てレナは苦笑した。
アパレル関係の仕事をしている彼女はとてもおしゃれな服装なのだが、けして暖かなスタイルとは言い難かった。
膝丈の淡いピンクのコートから伸びるスラリとした脚を、スキニーパンツとロングブーツでまとめている。首周りをすっぽりと覆う厚手のマフラーがなければ見ているこちらが凍えてしまいそうだ。
「おかしいですか? 雪が降り出してきたから失敗したかなって後悔はしているんですけど」
非難したつもりはなかったが、テクラはそう感じてしまったらしい。傷ついたようにしゅんと項垂れてしまった。
「似合ってるからそんなに落ち込まないで」
レナは慌てて取り繕う。大切な客に嫌な思いをさせるなどとんでもない失態だ。それにテクラは客というよりは友人と呼んでもいいくらいに親しくなっているのに。
「ごめんね、あたしトレンドとかファッションとかそういうのに疎くて」
彼女のためにカップを新しく用意する。
「コーヒー淹れるからあったまって行って」
「寒そうだから?」
からかうようにテクラが言った。
「だからごめんってば。砂糖もミルヒも大盛りにしちゃうから許して」
「大盛りはやめてください」
二人は顔を見合わせて、同時に噴き出した。
「ソファで待ってて、すぐに持っていくから」
「あ! 言っておきますけど、コーヒーが飲みたくて寄ったんじゃないですからね」
テクラは壁面全体が書架になっているスペースへ向かいながら言った。
そこにはゆったりと寛げる大きなソファが置いてある。ソファの横には大理石でできた丸テーブルがあり、年代物のランプからは落ち着いた橙色の明かりが注がれている。
客もレナも好きな本を広げて読み耽る、そこは癒やしの空間なのだ。
「レナ、雪! 雪が降り出したぞ! 買付けで外出すなら俺のトラックで送っていくけど」
鼻を真っ赤にしたラファエルが、雪から庇うようにアレンジメントフラワーを抱えて駆け込んできた。
「ああ、アンタ、週に一度の常連さん」
勝手知ったるなんとやら。ラファエルは奥の癒やし空間へとやって来ると、当たり前の顔でテクラの横へ腰を下ろした。
彼女の名前を知らないので『週に一度の常連さん』と呼んでいるようだ。
ラファエルの目の前を、湯気をなびかせながらカップが通り過ぎた。ラファエルは大げさな表情でそれを見送り、俺のがない愛が足りないと子供のような駄々を捏ねた。
無造作に髪をはねさせたままのラファエルの頭に、
「お客様優先デス」
レナは、ごつんと音が聞こえそうな勢いで彼専用のマグカップを載せた。
「レナに捨てられたのかと思って、胸が押しつぶされそうだった。危うく天に召されるところだったんだけどこの責任の所在はどこにあると思う?」
「どこにもないし、そもそも捨てる前に拾ってもいないから」
二人はそうだったの? と目を瞠っているテクラにウィンクしながら、レナは花屋の頭をぴしりと叩いた。
笑いを堪えているテクラの視線がラファエルの手元に注がれると、それに気づいたラファエルは得意そうに笑った。
「こう見えても俺は花屋だったりするんだなあ。このアレンジメントもラファエル作」
レナの手からカップを受け取り、注文のアレンジメントフラワーをレナへ差し出す。
「もしかしてお店の中に飾ってあるブーケやアレンジメントフラワーは貴方がぜんぶ作られているんですか?」
「そう。あれ、惚れちゃった? でもその気持には応えられないんだ。俺の心はレナのものだからね」
「また、そういうふざけたことを言う」
大仰な身振りをつけて話すラファエルの額を小突きながら、レナが返す。
テクラの両目がまた見開かれ、青灰色の瞳は緩やかに、そして楽しそうに細められていく。
「二人はとても息がぴったりですね」
「親友だから」とラファエル。
「恋人じゃなくていいんですか?」
「しまった、言い直すよ。もう恋人だから」
「はいはい、おふざけはそこまで」
「俺は本気デス」
二人のやり取りを楽しそうに眺めていたテクラが、ちらちらと入口の方へ視線を向ける。
「ここで誰かと待ち合わせでもしてるの?」
レナはようやく自分が淹れたコーヒーに口をつけながら訊いた。
「あ、いいえ。今日は、あの、ローランさんはいらっしゃらないのかなって」
慌てたように早口で答えるテクラの様子に、レナがにやりと口角をあげて笑った。
「ふーん。そういうことか」
テクラの口から飛び出した幼馴染の名前、ローラン・ミュレルを小さく呟いた。
「あいつは頻繁に来るわけじゃないのに、そうか。テクラは、なるほど」
「ち、違いますよ? ここでよく見かけているので今日もいらっしゃるのかなって」
テクラの反論は段々と小声になっていく。
「そういえば、この間二人で話していたでしょ。イイ雰囲気だったよ」
ぱちんとウィンクをして見せながらレナが言うと、テクラの頬にぽっと朱色が差した。
恥ずかしそうに両手で顔をぱたぱたと仰いでいたテクラが、なにかを思い出したように、あ、と声を上げた。
「忘れてしまうところでした。この間の本を購入しようと思って寄ったんです、私」
テクラはソファから立ち上がり、まだ口もつけていないカップをレナへ戻した。
「贈り物なんですけど、リボンをかけてもらってもいいですか?」
「希望の色はある?」
レナも彼女に続いて立ち上がる。
「父なので、あまり派手な色でなければ」
「了解しました」
にこりと笑みを返すと、テクラもつられて微笑んだ。
ほかの客の手に渡らないように店頭から下げておいた、古い花のイラスト集をレジカウンターの棚から取り出した。チョコレート色のリボンを器用にかけ、袋へとしまうとそのままテクラに差し出した。
代金を受け取りいつものようにレシートを渡すと、テクラはその紙片をみつめて小さく笑った。
「このレシート、大好きなんですよね。古書と小鳥って可愛い組み合わせだもの」
レシートにプリントされている本と小鳥のイラストを指先で撫でた。
「ローランに夕方でも顔を出すように言っておくから、テクラも帰りに寄ってみたら? みんなで一緒にコーヒーを飲もうよ」
「ありがとうございます。お言葉に甘えて寄らせてもらいますね。ローランさんはお忙しい方でしょうから、レナのコーヒーを目当てに来ます」
テクラは肩にかけた大きめのショルダーバッグに本をしまうと、レナとラファエルに手を振り、同じ通りの先にある勤務先――アパレルショップへ向かった。
彼女はテクラ・ショーダーといった。落ち着いた色合いの金髪を、すっきりとポニーテールにしてまとめている。
ライニケン・ドルフ区のテーゲルに住んでいるテクラは、通勤途中にみつけたというレナの古書店を気に入り、週に一度は必ず立ち寄ってくれる実にありがたい客だ。
最近は本以外の目的もあったりするようなのだが。
「今から出勤なの? 早いのね」
彼女の吐く息が白いのに気づき、レナは急かすように店内へと手招きした。
テクラは嬉しそうに目を細めて微笑むと、本に囲まれて迷路のような通路を歩いてくる。
「ずいぶんと寒そうね」
真っ赤になっているテクラの鼻の頭を見てレナは苦笑した。
アパレル関係の仕事をしている彼女はとてもおしゃれな服装なのだが、けして暖かなスタイルとは言い難かった。
膝丈の淡いピンクのコートから伸びるスラリとした脚を、スキニーパンツとロングブーツでまとめている。首周りをすっぽりと覆う厚手のマフラーがなければ見ているこちらが凍えてしまいそうだ。
「おかしいですか? 雪が降り出してきたから失敗したかなって後悔はしているんですけど」
非難したつもりはなかったが、テクラはそう感じてしまったらしい。傷ついたようにしゅんと項垂れてしまった。
「似合ってるからそんなに落ち込まないで」
レナは慌てて取り繕う。大切な客に嫌な思いをさせるなどとんでもない失態だ。それにテクラは客というよりは友人と呼んでもいいくらいに親しくなっているのに。
「ごめんね、あたしトレンドとかファッションとかそういうのに疎くて」
彼女のためにカップを新しく用意する。
「コーヒー淹れるからあったまって行って」
「寒そうだから?」
からかうようにテクラが言った。
「だからごめんってば。砂糖もミルヒも大盛りにしちゃうから許して」
「大盛りはやめてください」
二人は顔を見合わせて、同時に噴き出した。
「ソファで待ってて、すぐに持っていくから」
「あ! 言っておきますけど、コーヒーが飲みたくて寄ったんじゃないですからね」
テクラは壁面全体が書架になっているスペースへ向かいながら言った。
そこにはゆったりと寛げる大きなソファが置いてある。ソファの横には大理石でできた丸テーブルがあり、年代物のランプからは落ち着いた橙色の明かりが注がれている。
客もレナも好きな本を広げて読み耽る、そこは癒やしの空間なのだ。
「レナ、雪! 雪が降り出したぞ! 買付けで外出すなら俺のトラックで送っていくけど」
鼻を真っ赤にしたラファエルが、雪から庇うようにアレンジメントフラワーを抱えて駆け込んできた。
「ああ、アンタ、週に一度の常連さん」
勝手知ったるなんとやら。ラファエルは奥の癒やし空間へとやって来ると、当たり前の顔でテクラの横へ腰を下ろした。
彼女の名前を知らないので『週に一度の常連さん』と呼んでいるようだ。
ラファエルの目の前を、湯気をなびかせながらカップが通り過ぎた。ラファエルは大げさな表情でそれを見送り、俺のがない愛が足りないと子供のような駄々を捏ねた。
無造作に髪をはねさせたままのラファエルの頭に、
「お客様優先デス」
レナは、ごつんと音が聞こえそうな勢いで彼専用のマグカップを載せた。
「レナに捨てられたのかと思って、胸が押しつぶされそうだった。危うく天に召されるところだったんだけどこの責任の所在はどこにあると思う?」
「どこにもないし、そもそも捨てる前に拾ってもいないから」
二人はそうだったの? と目を瞠っているテクラにウィンクしながら、レナは花屋の頭をぴしりと叩いた。
笑いを堪えているテクラの視線がラファエルの手元に注がれると、それに気づいたラファエルは得意そうに笑った。
「こう見えても俺は花屋だったりするんだなあ。このアレンジメントもラファエル作」
レナの手からカップを受け取り、注文のアレンジメントフラワーをレナへ差し出す。
「もしかしてお店の中に飾ってあるブーケやアレンジメントフラワーは貴方がぜんぶ作られているんですか?」
「そう。あれ、惚れちゃった? でもその気持には応えられないんだ。俺の心はレナのものだからね」
「また、そういうふざけたことを言う」
大仰な身振りをつけて話すラファエルの額を小突きながら、レナが返す。
テクラの両目がまた見開かれ、青灰色の瞳は緩やかに、そして楽しそうに細められていく。
「二人はとても息がぴったりですね」
「親友だから」とラファエル。
「恋人じゃなくていいんですか?」
「しまった、言い直すよ。もう恋人だから」
「はいはい、おふざけはそこまで」
「俺は本気デス」
二人のやり取りを楽しそうに眺めていたテクラが、ちらちらと入口の方へ視線を向ける。
「ここで誰かと待ち合わせでもしてるの?」
レナはようやく自分が淹れたコーヒーに口をつけながら訊いた。
「あ、いいえ。今日は、あの、ローランさんはいらっしゃらないのかなって」
慌てたように早口で答えるテクラの様子に、レナがにやりと口角をあげて笑った。
「ふーん。そういうことか」
テクラの口から飛び出した幼馴染の名前、ローラン・ミュレルを小さく呟いた。
「あいつは頻繁に来るわけじゃないのに、そうか。テクラは、なるほど」
「ち、違いますよ? ここでよく見かけているので今日もいらっしゃるのかなって」
テクラの反論は段々と小声になっていく。
「そういえば、この間二人で話していたでしょ。イイ雰囲気だったよ」
ぱちんとウィンクをして見せながらレナが言うと、テクラの頬にぽっと朱色が差した。
恥ずかしそうに両手で顔をぱたぱたと仰いでいたテクラが、なにかを思い出したように、あ、と声を上げた。
「忘れてしまうところでした。この間の本を購入しようと思って寄ったんです、私」
テクラはソファから立ち上がり、まだ口もつけていないカップをレナへ戻した。
「贈り物なんですけど、リボンをかけてもらってもいいですか?」
「希望の色はある?」
レナも彼女に続いて立ち上がる。
「父なので、あまり派手な色でなければ」
「了解しました」
にこりと笑みを返すと、テクラもつられて微笑んだ。
ほかの客の手に渡らないように店頭から下げておいた、古い花のイラスト集をレジカウンターの棚から取り出した。チョコレート色のリボンを器用にかけ、袋へとしまうとそのままテクラに差し出した。
代金を受け取りいつものようにレシートを渡すと、テクラはその紙片をみつめて小さく笑った。
「このレシート、大好きなんですよね。古書と小鳥って可愛い組み合わせだもの」
レシートにプリントされている本と小鳥のイラストを指先で撫でた。
「ローランに夕方でも顔を出すように言っておくから、テクラも帰りに寄ってみたら? みんなで一緒にコーヒーを飲もうよ」
「ありがとうございます。お言葉に甘えて寄らせてもらいますね。ローランさんはお忙しい方でしょうから、レナのコーヒーを目当てに来ます」
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