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二話
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朝陽の眩しさに、目を擦りながら、体を起こすと、居間の方から話し声が聞こえてきた。
急いで、斑尾と一緒に向かい、襖を開けると、六人が、ちゃぶ台を囲い、食事をしていた。
「あ!!俺の玉子焼き!!季麗!!てめぇ!!」
「玉子焼き一つで、ギャーギャー騒ぐなんて、お前は、やはり子鬼だな」
「なんだと!!」
「食事くらい、静かに食いたい」
「まぁいいんじゃない?賑やかで楽しいし」
「でも、影千代の言い分も分かりますね」
その賑やかで、異様な光景を見つめたまま、斑尾と同時に溜め息をつくと、菜門が、その存在に気付き、声を掛けた。
「蓮花さん。おはようございます」
「やっと起きたか」
「ずいぶん遅いんですね」
「…これは、どうゆう状況なんですか?」
「あの後、皆で話し合いまして、蓮花さんが選ぶまで、寺で生活することになったそうです」
菜門の説明に、こめかみに触れ、鼻で溜め息をついた。
「暫くの間、お世話になります」
雪椰の言葉に、更に、頭痛のタネが増えてしまったのを実感するが、何をどうすることも出来ない。
こんな妖かしを相手にするのは、とても面倒なことだ。
「何処行くの?」
「餌やり」
「朝食は、どうするんですか?」
「あとでいいです」
背中を向け、会話をすることさえ、面倒になり、振り返らずに、襖を閉めると台所に向かった。
ーいいのか?ー
ー選ばなければ、諦めて帰るでしょー
台所の椅子に座り、斑尾の食事風景を眺めていると、菜門が、大量の食器を持って来た。
居るだけで、自分達のことさえ、何もやらない彼等に心底呆れながら、椅子から立ち上がり、半分を奪い取り、シンクの中に置いた。
「ありがとうございます」
「いいえ」
蛇口をひねり、水を出してから、台所の出入り口に向かった。
「仕事の本ありましたよね?」
「それなら、居間の棚に置いてあります」
「そう。ありがとうございます」
「蓮花さん」
振り返り、視線を向けたが、菜門は、申し訳なさそうに、眉を寄せて、視線を反らした。
「なにか?」
「実は、謝らなければならない事があります」
「なんですか?」
「実は、僕も妖かしなんです」
「ふ~ん」
初めて会った時から、分かっていたが、人として生活していれば、別に構わない。
何も言わないから、知らないと思ったら大間違いなのだ。
だが、自分等を高貴で偉大だと考えている妖かしには、人のことを深読みする能力はない。
偉ぶる者程、単純で単細胞の者が多い。
暫しの沈黙が流れ、菜門は、勢いよく頭を下げた。
「すみませんでした!ずっと、言い出せなくて」
その行動が、菜門は、他の五人と違うのを肯定している。
「誰にだって、他人には、言えない秘密の一つや二つ、ありますよ」
実際、他人のことなど分かりはしない。
だから、人は、他人には、知られたくない秘密を抱える。
上目使いで見つめる菜門も、人のように、知られたくない秘密を抱えていたけだ。
「話してくれて、ありがとうございます」
微笑みを向け、台所から出ると、居間の襖を開けた。
「お?蓮花ちゃんもご飯?」
食後のお茶を飲んでいる皇牙の声を無視し、棚に置かれた本を手に取った。
「仕事するので、邪魔しない下さいね」
無表情になった五人を置いて、自室に戻り、本を見ながら仕事を始め、暫くすると、縁側から斑尾が顔を出した。
「食べ終わった?」
ーあぁー
座ったまま、背伸びをすると、庭から、暖かくも冷たい風が、優しく部屋の中を吹き抜けた。
「散歩でも行こうか」
ー大丈夫なのか?ー
「息抜きも必要って、よく言うじゃん?」
斑尾の頭を撫でて、玄関に向かい、サンダルを突っ掛けて外に出た。
行き先も決めず、ただのんびりと歩くが、自然と図書館に向かった。
近くのベンチに腰掛け、春の陽射しを浴びながら、空を見上げる。
穏やかな時間が流れていると、携帯から受信音が鳴り響いた。
《緊急事態。至急、事務所に集まり願う》
開いたメールは、飾り気のない短い文章で、溜め息を漏らしながら、微睡んでいる斑尾を起こし、その場から離れた。
ー何処に行くのだ?ー
ー亥鈴からのお呼びだし。緊急事態だってー
ー今日中に帰れたらいいなー
ーそうね。とにかく事務所に急ごー
足早に歩みを進めながら、菜門にメールを打つ。
《至急の仕事が入り、遅くなります。先に休んでいて下さい》
送信完了の画面を確認し、電源を切り、小さな事務所のドアを開け、吸い込まれるように姿を消した。
差程、自宅から離れていない事務所から帰宅したのは、日付が変わる少し前だった。
玄関の戸を静かに開け、素早く中に入り、一目散に自室へと向い、閉められていた障子を開け、庭から斑尾を部屋に入れる。
「つっかれたぁ~」
障子を閉めてから、長座布団にうつ伏せになると、斑尾は、溜め息をついた。
「それより、どうするんだ」
「ん~…」
思考を転がしてみたが、良い策は、思い浮かばず、無情にも、時が過ぎるだけだった。
「どの辺りにアレがあるのか、分からない今は、どうする事も出来ないから、とりあえず、白夜達からの報告を待つしかないよ」
「だが、アレを使われでもしたら…」
「今すぐには使わない」
「何故、断言出来る」
「偶然、覚醒の翌日で、偶然、彼らが現れて、偶然、こちらがバタバタしていた時、偶然、入り込んで、偶然、アレを見付けた。そんなに偶然が重なるなんて、おかしいでしょ」
「有り得ない話でもない」
「もし、そうだとしても、丸一日、アレを使わずにいれる?アレを手にしたら、思わず、使ってしまいたくなる。それが悪妖なら、尚更、すぐにでも使うはず。だけど、まだ使われた形跡がない。だとしたら、覚醒を知ったから、盗んだと思うのが、自然じゃない?」
体を起こして、向き合うように胡座で座り、考えを述べると、斑尾は、見据えるように見つめた。
「そうであったとしたら、誰が何の為に盗んだ」
「分からない。もしかしたら、彼らに敵対心のある妖かしの仕業かも」
「お前が覚醒した事で、契約を結び、彼らの力が増す可能性があるからか。有り得る話だな」
斑尾は考え込み、黙って畳を見つめた。
「とにかく。彼らが、寺にいる間は、監視を続けて、白夜達からの報告を待つ。それでいいよね?」
暫くの間、見つめ合うと納得したように、斑尾が頷いた。
「んじゃ寝よ」
長座布団の上に寝転ぶと、斑尾は、溜め息をつきながらも、毛布を運び、いつもの体勢になり、ゆっくり目を閉じた。
眠りに落ちてから数時間後。
ー…か…んか…蓮花!!ー
「ん~?…なに?まだ早いよ~」
ー彼らとは、別の声がするぞー
斑尾に起こされ、目を擦りながら、体を起こした。
頭を掻きながら、フラフラと、居間に向かい、乱暴に襖を開けた。
「久々ですね?元気でしたか?」
「はい!とても元気です!」
「暫く見ない内に強くなってるみたいだな」
「まだまだです!もっと、修行して、お師匠様みたいに強くなります!」
影千代の隣に座り、六人と話をしている子供の姿に、眠気が吹き飛んだ。
「お?蓮花ちゃん。おはよう」
「…誰」
子供の目が、キラキラと輝き、嬉しそうに微笑んで頭を下げた。
「はじめまして!天戒と申します!」
「誰かの子供?」
「天戒は、影千代の弟子なんだ」
「へぇ~そう。それじゃ」
居間の襖を閉め、台所に向かい、斑尾に、食事を与えながら頭を抱えた。
「面倒事が増えましたね」
小さな笑い声と共に柔らかな声が聞こえ、天井に視線を向けると、小さな蜘蛛がツーっと降りてきた。
「うるさい」
腕を上げ、手の甲に乗せた蜘蛛に向かい、イライラを隠さず、悪態をつくと、斑尾が顔を上げた。
「八つ当たりするな。お前が招いた事だぞ」
「分かってるよ」
「これは、蓮花様だけの問題ではございませんよ?何より、予期せぬ出来事に、腹が立つ事もございますから」
「さっすが慈雷夜。やっさしぃ~」
「あまり甘やかすな」
「良いじゃないですか。蓮花様あっての我らなのですから」
斑尾が溜め息をつくと、ガシャンと、何かが壊れる音が聞こえ、慈雷夜を浴衣の袂に入れなが、庭に向かった。
花を植えていたプランターが割れ、その前に、天戒が立ち尽くしていた。
「何してんの」
「蓮花様…その…あの…」
何か言おうとしているが、何も言えない。
そんな天戒の様子に、子供の頃の記憶が浮かんだ。
祖父が、大切にしていた盆栽を壊してしまった時、謝らなければならないと、分かっていても、怒られることを恐れてしまった。
『…ばっちゃん…』
『ん~?どうしたんだい?』
祖父は何も言わず、壊れた盆栽を片付け、部屋に向かってしまい、ボロボロと涙を流しながら、祖母のところに向かい、その膝にしがみついた。
『…じっちゃんの盆栽…壊しちゃった…』
『そうかい』
『…ごめんなさい…できなかった…どう…しよ…』
『そうだねぇ。そうしたいと思ったら、素直にそうすれば良いんだよ。でも、大切な人の事を考えたら、ちゃんとしなきゃ。ね?』
『…うん…』
柔らかな祖母の声で、大切なことを告げられ、すぐに祖父の元に向かった。
『じっちゃん…あのね…ぼん…ぼんざい…ごわじぢゃっで…ごめ…なざい…』
『うんうん。分かった分かった。いいよ』
泣きそうになりながらも、必死に謝ると、祖父は、暖かな微笑みを浮かべ、優しく頭を撫でた。
恐怖を感じながらも、謝ることが出来たのは、祖父が、大切な人であったからだ。
だが、天戒にとって、特別な力の持ち主で、影千代が、必要としているとしか思ってないだろう。
そんな者から、謝罪の言葉など出るはずもなく、視線を下げ、ただ黙っているだけだ。
そんな者に対して、怒りに任せて、怒鳴ったところで、何の意味も成さない。
それ以上は、何も聞かず、黙ったまま、プランターの前に膝を着き、無惨に散ってしまった花びらを拾い上げた。
他者の手によって、失われた生命に、感謝と謝罪を込め、その手で救いあげるように、一つ一つを拾い集めた。
「…ありがとう…さようなら…」
大切に育てた花達に別れ告げ、庭に埋めていく。
最後に、プランターの土を乗せ、割れてしまったプランターを持って、その場から離れた。
天戒は、ずっと見つめているだけで、最後の最後まで、謝罪をすることはなかった。
壊れたプランターを縁側の下に置き、自室に入り、パソコンの前に向かって仕事を始めた。
ーいいのか?ー
ー仕方ないよ。いつかは亡くなる命。それが少し早まっただけー
斑尾は、それ以上、何も言わず、仕事をする腰を包むように丸くなった。
仕事に集中していると、夕暮れが近付き、風の冷たさが増した。
肩を震わせながら、障子を閉め、仕事を続けていると、襖を叩く音が部屋に響いた。
「どうぞ」
スーっと襖が開き、菜門と共に天戒が部屋に入ってきた。
「なに?」
「天戒が話があるそうです」
「…蓮花様が、大事にされてたお花を駄目にしてしまい、すみませんでした」
菜門に背中を押され、一歩踏み出した天戒は、うつ向いたまま、視線を上げず、ボソボソと、小さな声で謝罪したが、その様子は、言わされているようだった。
そんな謝罪は、あまり気持ち良いものではない。
何が悪いかも気付かず、口だけの謝罪なら、言われない方がマシだ。
「謝らなくていいよ。どうせ、いつかは、消えてしまう命だったんだから」
冷たく言い放たれ、天戒は、涙目になりながら、グッと、口元に力を入れ、菜門を見上げた。
「蓮花さん。そんな言い方したら、天戒が…」
「可哀想?なら、あの花は、可哀想じゃないの?」
「それは…」
菜門も黙ってしまった。
言の葉を交わせる者だけが、生命ではない。
言の葉を交わせなくとも、この世に存在するものには、全てに生命がある。
そこに、特別などない。
苦しみを飲み、悲しみを感じ、痛みを受け、傷付くものは、全てが生命なのだ。
それが理解出来ない者を憐れみ、慈悲を与えるのは、神や仏のみで、この世に生きる生命には、それを与える術がない。
誰も与えられないものなのだ。
どんなに特別な力を持っていても、それは変わらない。
「他人に言われて、仕方なく謝るくらいなら、謝らなくていい。話はそれだけ?」
「…はい」
「なら、もういいかな?仕事中だから」
重苦しい雰囲気が充満する中、パソコンに向かい、カタカタと、キーボードを打ち始めると、二人は部屋から去って行った。
「お前も厳しいヤツだな」
「あの言い方がイヤ。仕方なく言ってるのが、丸分かりじゃん」
「確かにな。だからって、あの言い方は、大人げなかったんじゃないか?」
「大人じゃないもん」
鼻で笑う斑尾を尻目に、頬を膨らませながら仕事を続けた。
その後、菜門が呼びに来たが、居間には行かず、斑尾が、食事をしている傍らで、晩酌をしながら、一人で軽く食べ、すぐに部屋に戻り、眠りに落ちた。
次の日。
斑尾と散歩をしながら、事務所に行き、仕事や話し合いをしてから、お昼少し過ぎには帰宅した。
「やぁ!!はっ!!」
部屋に戻り、暫くすると、庭から声が聞こえた。
静かに除くと、庭先で、舞い落ちる葉に向かい、天戒が、片手を翳す姿が見えた。
気合いを入れたような声を上げるが、ヒラヒラと地面に向かい、葉は、舞い落ちていくだけだ。
何度も、それを繰り返す天戒に、首を傾げた。
「あれって…修行かな?」
ー多分、風を操ろうとしてるのだろうー
「ふ~ん…ちょっと、驚かしてみようか」
ニヤリと笑いながら、横目で見ると、斑尾も、ニヤリと笑って頷いた。
周りに誰もいないのを確認してから、印を結ぶと、少し強い風が吹き抜け、葉が舞い上がり、天戒にまとわり付く。
「うわ!!くっ!!はっ!!」
この程度で、声を上げる天戒は、まとわり付く葉を払い除けるようとするが、徐々に、その量を増やし、容赦なく、その小さな体を覆っていく。
「…そろそろかな」
ーそうだなー
鼻だけを出し、葉で覆い尽くされた天戒を見つめ、そっと、縁側に出て声を掛ける。
「何してるの?」
「んん?んーんん、んんんー!!」
斑尾と密かに笑い、印を切れば、バサバサと、音をさせながら、葉は、一気に地面へと滑り落ちる。
「どうしたの?」
驚いた顔をする天戒に、この程度にも、抗えないことに、吹き出しそうになるのを耐えながら、見下ろしていると、影千代達も姿を現し、その足元に盛られた葉に目を丸くした。
「天戒…これは…一体…」
「お師匠様…」
泣き出しそうな顔になる天戒に向かい、優しい声色で、雪椰が声を掛ける。
「何があったんですか?」
天戒は、六人を見上げた。
「分かりません…急に…葉っぱが…舞い上がったと思ったら…貼り付いて…そしたら…急に…剥がれ落ちて…」
「そんな技あるのか?」
「いや。聞いた事も見た事もない」
妖かしの彼等が知らないのは、当たり前だ。
もう現世で、これを知るのは、式神として仕える斑尾達と知り合いの妖かしくらいだ。
彼等のような狭い世界でしか、過ごしていない妖かしには、もう忘れられていても当然で、そんな世界で偉ぶる者には、理解出来ないだろう。
唖然とする影千代達の姿に、耐えられなくなり、クスクスと、小さく笑ってしまった。
「何がおかしいの?」
それを見て、皇牙が首を傾げ、天戒の涙目が向けられた。
その瞳は、切な気に揺れ、やり過ぎたことを示していた。
その姿に、鼻で溜め息をつき、静かに縁側に座った。
「ん~…おかしくはないかな?ただ、さっきの見て、葉っぱが、よくも仲間をいじめたな!って感じだったなって、思ったら、昔、師範に言われたことを思い出したの」
「師範?」
「うん。私さ、護身の為に体術を習ってたんだけどね?その師範が、不思議な人だったの」
その時の事を思い出すと、何も抗えない天戒に納得出来るが、そこには、大きな違いがある。
『強さとは力の事じゃない。目に見えない強さが、真の強さなんだ』
『どんなモノにも命がある。どんなに小さな命でも、真の強さを知る奴が一番強いんだぞ』
『他者を思えない奴に強さはない』
師範の言葉は、本当の強さを示していた。
それが、理解出来ると、人としても、大きく成長することが出来る。
「訳の分からんことを言う師範だ」
だが、ほとんどは、それを理解することが出来ない。
変にプライドの高い妖かしならば、当たり前だろう。
「…私は分かるけどな」
吹き抜ける風に、前髪を揺らし、師範の顔を思い浮かべ、その想いを代弁する。
「どんなに小さな命でも、自分以外を想い、弱いモノを守れるようにならなきゃ、本当に強いとは、言えない。ただ、力だけが強くても無意味。力が弱くても、自分以外を想って、必死になれる者が、本当の強者である。それが、分からなきゃ、どんなに目に見える力が強くても、真の強者にはなれない」
優しい微笑みを浮かべ、天戒を見つめると、その涙が退いていく。
「仲間や家族。大好きな人。大切な時間。天戒君は、そんな守りたいモノってある?」
悩むような仕草をしてから、天戒は、影千代を見上げた。
「君に、葉っぱが貼り付いたのは、葉っぱが、大切なモノを守りたかったから。それなら、君も、大切なモノの為に、本気になってみたら?もしかしたら、上手くいくかもよ?」
少しだけ、助け船を出す。
その想いに気付ければ、まだ小さな天戒ならば、今からでも、強くなることが出来るはずだ。
天戒は、足元の葉を見下ろして、拳を握ると、静かに、手のひらを地面に向けた。
「はっ!!」
天戒の声と共に、足元に、小さな風が起こり、葉は、吹き上げられ、ヒラヒラと宙を舞った。
「出来た…出来ました!!お師匠様!!風を起こせました!!」
無理矢理、その力に従わせるのではなく、その全てを賭ける。
それを感じ取ったものは、必ず、その手を貸してくれる。
今の天戒のように、小さくとも、ちゃんと、その手に風を巻き起こせる。
目の前で、風を起こせたことで、天戒は、目を輝かせながら、歓びに任せ、影千代に飛び付いた。
「スゴいじゃねぇか!!天戒!!」
「ホント。今の一瞬で出来ちゃうなんて」
「だが、お前の師匠は、これくらいで満足してないようだぞ?」
「そんな事ないですよね?影千代」
「まぁ。出来たことは褒めてやる」
羅偉や皇牙が、頭を撫でながら褒める脇で、季麗の嫌味に、天戒は、不安そうな顔付きになり、雪椰が助け船を出し、それに影千代も乗る。
ー懐かしいなー
ーそうねー
そんな微笑ましい光景に、幼い頃の記憶が重なる。
師範は、とても厳しかった。
だが、上手く出来るようになると、驚く程に褒め、自分の事のように笑っていた。
それに喜びを感じ、もっと強くなる為、守りたいものの為、必死に、その路を進み、成長すれば、その想いを受け継ぐ子達が生まれ、今の光景が溢れた。
「蓮花様」
「ん?」
師範との記憶に微睡んでいると、影千代達と歓びを一通り味わった天戒が、隣に座り、キラキラと輝く目を向けた。
「蓮花様は、体術が、お得意なのですか?」
「得意ってか、護身で習っただけよ?」
「手合わせ願えませんか?」
パチパチと瞬きをして、天戒を見つめていると、菜門が、慌てたように口を開いた。
「天戒。蓮花さんは、人間なのですよ?いくら何でも…」
「別にいいけど、あまり期待しないでね?」
菜門の言葉を遮ると、斑尾と天戒以外は慌て始めた。
「やめとけって。いくら、子供でも妖かしだぞ」
「そうだよ。蓮花ちゃんに、もしもの事があったら、どうするの」
「お前は仮にも女だ。そんな事する必要もない」
「これでも、天戒は、俺の弟子だ。甘く見るな」
「無理しないで下さい」
口々に出るのは、人を見下したような言葉ばかりで腹が立つ。
「あのさ。物事って、やってみなきゃ分からないし、最初から何でも否定してたら、何も始まらないよ?いくら、子供の天戒君だからって、手加減出来ない訳じゃないだろうし、お互い、本気でやらないよ。それに、いざとなれば、君らがいるでしょ」
斑尾に浴衣を預け、庭のサンダルを履いて、広い所に移動すると、天戒と向き合った。
「制限時間は十分。その間に相手が、膝を着いたり、寝転がったら負け。術を使っちゃダメ。もちろん、飛ぶのもなし。体術だけの一本勝負。いい?」
「はい!!」
「菜門さん。時間計ってね」
その必要もないが、一応、声は掛けておく。
そうすれば、六人の中に、強烈な印象が残る。
「ちょっと待ってって!!」
「それじゃ始め!!」
開始の声を掛けると、天戒は、距離を縮め、拳や蹴りを繰り出す。
だが、まだまだ速さが足りない。
体をずらしながら、早々に、その動きを見極め、両手の拳を突き出し、蹴りを出すまでの二秒間隔も、しっかり確認した。
二度目の拳を避けながら、足を大きく広げ、腰を落とし、浮き上がった足を手の甲で払うと、天戒は、地面に寝転がった。
ほんの数分で、決着すると、呆然として、空を見つめる天戒を見下ろした。
「終了ね?」
斑尾の元に戻り、預けていた浴衣を羽織った。
「…嘘だろ?」
「嘘じゃないよ」
「夢でも見てるのか?」
「現実」
「妖かしが、人間に負かされるなんて、信じられません」
「私の場合、護身術としての体術だから、これくらいしか出来ないよ。別に負かした訳じゃない」
「ですが、実際、天戒は、貴女に負けてます」
「私が、そう決めたからね。もし、これが、そんな決め事がなかったら?ただ転ばせただけでしょ」
「確かに」
「しかも、君達のような妖かしが、私みたいな人間に転ばされたら、驚いて、一瞬でも動きを止めるでしょ?その隙に逃げる」
「だから、俺らの力は必要ないと?」
言いたい事を汲み取り、影千代の片眉が、ピクリと動き、羅偉は、怒ったように眉を寄せた。
「それとこれとは話が別だろ。いくら、こんな事が出来ても、逃げ続けてる訳にはいかねぇだろ」
「何故?無駄な殺生をする必要ないでしょ。私は、無駄に命が消えて欲しくないの」
強い風に吹かれた髪を掻き上げ、浴衣を揺らしながら、六人を見据える。
「どんな命でも、私が、原因で消えるのは嫌なの。私が逃げれば、その命も長く生きれる」
多くの死と対面し、多くの大切なモノを失った。
その全ての死が、多くの生命が、長く生きてくれることを願わせた。
それは、悪妖も、目の前にいる菜門達も、斑尾も同じである。
この世に存在する生命は、最期を迎えるまで、その運命を背負い、生き抜くことが与えられた使命なのだ。
「私の為に消える命は、もういらない」
自室に消える背中は、とても弱々しいが、凛々しくもあったが、とても哀しくも淋しく見えた。
不安と少しの期待が混ざり合い、体から活力を奪っていく。
ー苦しいか?ー
ー少しねー
ー今日は、もう休んだ方がいいー
久々に体を動かし、疲れが押し寄せ、斑尾に言われた通り、長座布団で寝ていると、静かに襖が叩かれた。
目を擦りながら、襖を開けると、そこには、天戒が一人で立っていた。
「どうしたの?」
首を傾げると、天戒は、勢い良く頭を下げた。
「ごめんなさい!!」
驚きで、パチパチと瞬きをすると、顔を上げて、真剣な顔付きの天戒の目には、強い意志が宿っていた。
「今日、蓮花様のお話を聞いて、蓮花様と手合わせをして、僕、分かったんです」
また頭を勢い良く下げ、大きな声で言った。
「昨日は、本当にごめんなさい!!」
自分のした事を反省し、一人で謝罪しに来た天戒の頭を優しく撫でた。
「もういいよ」
上げられた視線は、不安そうに揺れていた。
「許してくれますか?」
「私の気持ちを分かってくれたら、それで善し。だから、もう気にしない。ね?」
天戒の頬が桃色に染まり、緩んでいくのを見つめ、同じように、優しく微笑みを返した。
「…天戒?」
そこに菜門が現れ、何度も、瞬きをしていた。
「どうしたんですか?」
「あ…えっと…」
「手合わせ志願。ね?」
見上げた天戒に、ウィンクをしてから、菜門に視線を戻した。
「それより、何かご用ですか?」
話題をすり替えると、菜門は、困ったように眉を寄せた。
「えぇ。夕飯が出来たので、呼びに来たんですが…」
「あ~。あとでいいです」
「蓮花様は、何故、いつもお一人で召し上がるのですか?」
不思議そうに、首を傾げた天戒を見つめ、頭を掻いた。
「お一人で召し上がるよりも、皆で、召し上がる方が楽しいですよ?」
「ん~…そう言われてもねぇ。ずっと、一人で食べてたから、そっちの方が気楽なのかな?それに、斑尾のご飯もあるし」
「であれば、一緒に食べればいいのでは?」
天戒の鋭い突っ込みに、何も返せなくなり、じっと見つめる天戒の瞳に、罪悪感を覚え、溜め息をつきながら、斑尾を見下ろした。
「自分の皿。持ってきてね」
尻尾で、太股の裏を叩いてから、斑尾は、台所の方に向かって行く。
「じゃ、行こっか」
「はい!」
嬉しそうに笑った天戒と並び、菜門の後に続いて、居間に入ると、羅偉が驚いた声を上げた。
「お前も食うのか?」
「ダメ?」
「いんや?いいと思うよ」
優しく目を細めた皇牙を見下ろしていると、羅偉は、嬉しそうに笑った。
「じゃ、俺の隣来いよ」
「何を言う。子鬼の隣など、煩くてろくに食えん。俺の隣に来い」
「子鬼じゃねぇ!!」
「空けてやらんこともないぞ」
「俺の隣にする?」
ギャーギャーと騒ぎながら、少しずつずれて、隙間が空けられていくのを見ながら、菜門と雪椰の間に座った。
その行動に、最も驚いたのは、両側の二人だった。
「いいんですか?」
「うんっぐ!」
その時、脇腹に痛みが走り、振り返ると、斑尾が、銜えた皿を突き刺していた。
「痛いってば」
「どうして、そこなのだ」
斑尾から皿を受け取りながら、視線を向けると、季麗が、不満そうな顔をしていた。
「ん~…一番、静かで安全っぽいから?」
配膳を手伝っていると、二人が、クスクスと笑った。
「変ですか?」
「いえ。よく見てるなと思いまして」
「いや。見ておらん。何故、俺が子鬼と同じに扱われるのだ」
「俺だって、なんで、こんな狐と同じにされなきゃねぇんだよ」
「俺が、季麗ちゃん達と一緒にされるなんて。酷いなぁ~」
「皇牙は、当たり前だろう」
「俺は、こんな奴らと一緒なのか…」
「お師匠様。お気を落とさないで下さい」
騒ぐ羅偉達を無視して、目の前の料理を受け取った皿に取り分け、斑尾の前に置いた。
「いつも、そうしてんのか?」
季麗が、不思議そうに首を傾げ、皇牙や影千代も、同じような顔をして首を傾げた。
「変ですか?」
手を合わせてから、お味噌汁を啜ると、皇牙が、箸を動かしながら、斑尾を見つめた。
「変って言うか、なんか不思議」
「いつから、そうなった」
影千代の言葉に、記憶を逆上る。
斑尾と一緒に生活することとなった時、別々に食事を用意していた。
『…あら。それは、あの子の?』
『うん』
『そう。何処であげるの?』
『ここ』
『そりゃ、可哀想じゃないかな?』
『なんで?』
『蓮は、冷たいご飯を一人ぼっちで食べるのは、淋しくないかい?』
『淋しい』
『なら、あの子も同じじゃないかな?ここで、一人ぼっち』
『でも、斑尾は、動物だから』
『家族なら、人も動物も関係ないよ?あの子が、家族だと思うなら、皆と同じように、食べさせてあげなきゃ』
『でも、斑尾、食べれないのあるから』
『それは、人である蓮が、ちゃんとやってあげればいいんだよ?』
『そっか。じゃ、斑尾も、あっちで、一緒の食べよ』
子供らしい満面の笑顔を向けると、祖母と一緒に、斑尾も、嬉しそうに微笑んでいたように見えた。
あの頃の斑尾は、優しく、愛おしさがあった。
「いっ!!」
現在は、人の脇腹に皿を突き刺し、おかわりを要求する。
優しいのは、優しいのだが、あの頃のような愛おしさよりも、憎たらしさの方が大きく感じる。
「お前の周りは、変な奴らばっかりだな」
多めに取り分けた皿を斑尾の前に置き、米を口に運んだ。
「私も変人ですから」
雪椰の目が細められると、切なげに揺れた。
「どうして、そんな事を…」
「人と接するより、一人でいる方が好きだから。人と遊ぶより、猫や犬と一緒にいた方が楽しいから」
雪椰を遮った言葉に、羅偉が、溜め息をついた。
「そんなんで、親は、何も言わねぇのかよ」
「何も。二人共、私が三つくらいの時に、事故で亡くなったらしいから」
その瞬間、隣から寒さを感じると、一気に室内が冷えた。
「羅偉」
無表情の雪椰は、冷えきった声で、その名を呼び、羅偉は、慌てたように手を振った。
「ちょっと待って!わざとじゃねぇよ!本当に知らなかったから!」
彼等は、本当に何も知らない。
知らない時の何気ない一言が、人を傷付けてしまうこともある。
「雪椰。蓮花さんが、凍えてしまいますよ?」
ハッと我に返った雪椰は、眉を寄せ、視線を向けた。
「失礼しました。大丈夫ですか?」
心配そうに、暗い顔をした雪椰が謝ると、室内の温度が元に戻った。
「ん~…大丈夫ですけど、室内は、あまり冷やさないで欲しいですね」
モグモグと口を動かしていると、羅偉が、肩を竦め、申し訳なさそうな顔をした。
「悪かったな…マジで知らなかったんだ」
傷付けてしまうようなことでも、本人が気にしていないこともある。
言葉とは、己を守る盾となり、他者を傷付ける刃となることを忘れてはいけない。
「ん?別にいいよ。もう昔の事だし」
「じゃ、今まで菜門ちゃんと二人?」
「高校の時からね。ご馳走さまでした」
重ねた食器を持って、居間を出た。
ーずいぶん、話したなー
「いいでしょ?少しくらい」
シンクに食器を置き、部屋に戻ると、斑尾の眉間にシワを寄せた。
ーあまり期待を持たせるなー
「少しくらい良いでしょ?」
「あまり期待していると、裏切られた時に傷付きますよ?」
袂から蜘蛛が出てきて、手の甲に乗った。
「分かってるよ。でも、彼らは、違うと思いたい。彼らなら、皆が出来なかった事が出来ると思いたいの」
斑尾の表情が暗くなると、重苦しい雰囲気になった。
「大丈夫。何かあったら、私が何とかするから」
それ以上は誰も何も言わず、キーボードを打つ音だけが部屋に響いた。
「…ん…れ…か…蓮花。おい!起きろよ!!」
乱暴に肩を揺らされ、目を擦って、視線を上げると、羅偉が、眉間に皺を寄せていた。
急いで、斑尾と一緒に向かい、襖を開けると、六人が、ちゃぶ台を囲い、食事をしていた。
「あ!!俺の玉子焼き!!季麗!!てめぇ!!」
「玉子焼き一つで、ギャーギャー騒ぐなんて、お前は、やはり子鬼だな」
「なんだと!!」
「食事くらい、静かに食いたい」
「まぁいいんじゃない?賑やかで楽しいし」
「でも、影千代の言い分も分かりますね」
その賑やかで、異様な光景を見つめたまま、斑尾と同時に溜め息をつくと、菜門が、その存在に気付き、声を掛けた。
「蓮花さん。おはようございます」
「やっと起きたか」
「ずいぶん遅いんですね」
「…これは、どうゆう状況なんですか?」
「あの後、皆で話し合いまして、蓮花さんが選ぶまで、寺で生活することになったそうです」
菜門の説明に、こめかみに触れ、鼻で溜め息をついた。
「暫くの間、お世話になります」
雪椰の言葉に、更に、頭痛のタネが増えてしまったのを実感するが、何をどうすることも出来ない。
こんな妖かしを相手にするのは、とても面倒なことだ。
「何処行くの?」
「餌やり」
「朝食は、どうするんですか?」
「あとでいいです」
背中を向け、会話をすることさえ、面倒になり、振り返らずに、襖を閉めると台所に向かった。
ーいいのか?ー
ー選ばなければ、諦めて帰るでしょー
台所の椅子に座り、斑尾の食事風景を眺めていると、菜門が、大量の食器を持って来た。
居るだけで、自分達のことさえ、何もやらない彼等に心底呆れながら、椅子から立ち上がり、半分を奪い取り、シンクの中に置いた。
「ありがとうございます」
「いいえ」
蛇口をひねり、水を出してから、台所の出入り口に向かった。
「仕事の本ありましたよね?」
「それなら、居間の棚に置いてあります」
「そう。ありがとうございます」
「蓮花さん」
振り返り、視線を向けたが、菜門は、申し訳なさそうに、眉を寄せて、視線を反らした。
「なにか?」
「実は、謝らなければならない事があります」
「なんですか?」
「実は、僕も妖かしなんです」
「ふ~ん」
初めて会った時から、分かっていたが、人として生活していれば、別に構わない。
何も言わないから、知らないと思ったら大間違いなのだ。
だが、自分等を高貴で偉大だと考えている妖かしには、人のことを深読みする能力はない。
偉ぶる者程、単純で単細胞の者が多い。
暫しの沈黙が流れ、菜門は、勢いよく頭を下げた。
「すみませんでした!ずっと、言い出せなくて」
その行動が、菜門は、他の五人と違うのを肯定している。
「誰にだって、他人には、言えない秘密の一つや二つ、ありますよ」
実際、他人のことなど分かりはしない。
だから、人は、他人には、知られたくない秘密を抱える。
上目使いで見つめる菜門も、人のように、知られたくない秘密を抱えていたけだ。
「話してくれて、ありがとうございます」
微笑みを向け、台所から出ると、居間の襖を開けた。
「お?蓮花ちゃんもご飯?」
食後のお茶を飲んでいる皇牙の声を無視し、棚に置かれた本を手に取った。
「仕事するので、邪魔しない下さいね」
無表情になった五人を置いて、自室に戻り、本を見ながら仕事を始め、暫くすると、縁側から斑尾が顔を出した。
「食べ終わった?」
ーあぁー
座ったまま、背伸びをすると、庭から、暖かくも冷たい風が、優しく部屋の中を吹き抜けた。
「散歩でも行こうか」
ー大丈夫なのか?ー
「息抜きも必要って、よく言うじゃん?」
斑尾の頭を撫でて、玄関に向かい、サンダルを突っ掛けて外に出た。
行き先も決めず、ただのんびりと歩くが、自然と図書館に向かった。
近くのベンチに腰掛け、春の陽射しを浴びながら、空を見上げる。
穏やかな時間が流れていると、携帯から受信音が鳴り響いた。
《緊急事態。至急、事務所に集まり願う》
開いたメールは、飾り気のない短い文章で、溜め息を漏らしながら、微睡んでいる斑尾を起こし、その場から離れた。
ー何処に行くのだ?ー
ー亥鈴からのお呼びだし。緊急事態だってー
ー今日中に帰れたらいいなー
ーそうね。とにかく事務所に急ごー
足早に歩みを進めながら、菜門にメールを打つ。
《至急の仕事が入り、遅くなります。先に休んでいて下さい》
送信完了の画面を確認し、電源を切り、小さな事務所のドアを開け、吸い込まれるように姿を消した。
差程、自宅から離れていない事務所から帰宅したのは、日付が変わる少し前だった。
玄関の戸を静かに開け、素早く中に入り、一目散に自室へと向い、閉められていた障子を開け、庭から斑尾を部屋に入れる。
「つっかれたぁ~」
障子を閉めてから、長座布団にうつ伏せになると、斑尾は、溜め息をついた。
「それより、どうするんだ」
「ん~…」
思考を転がしてみたが、良い策は、思い浮かばず、無情にも、時が過ぎるだけだった。
「どの辺りにアレがあるのか、分からない今は、どうする事も出来ないから、とりあえず、白夜達からの報告を待つしかないよ」
「だが、アレを使われでもしたら…」
「今すぐには使わない」
「何故、断言出来る」
「偶然、覚醒の翌日で、偶然、彼らが現れて、偶然、こちらがバタバタしていた時、偶然、入り込んで、偶然、アレを見付けた。そんなに偶然が重なるなんて、おかしいでしょ」
「有り得ない話でもない」
「もし、そうだとしても、丸一日、アレを使わずにいれる?アレを手にしたら、思わず、使ってしまいたくなる。それが悪妖なら、尚更、すぐにでも使うはず。だけど、まだ使われた形跡がない。だとしたら、覚醒を知ったから、盗んだと思うのが、自然じゃない?」
体を起こして、向き合うように胡座で座り、考えを述べると、斑尾は、見据えるように見つめた。
「そうであったとしたら、誰が何の為に盗んだ」
「分からない。もしかしたら、彼らに敵対心のある妖かしの仕業かも」
「お前が覚醒した事で、契約を結び、彼らの力が増す可能性があるからか。有り得る話だな」
斑尾は考え込み、黙って畳を見つめた。
「とにかく。彼らが、寺にいる間は、監視を続けて、白夜達からの報告を待つ。それでいいよね?」
暫くの間、見つめ合うと納得したように、斑尾が頷いた。
「んじゃ寝よ」
長座布団の上に寝転ぶと、斑尾は、溜め息をつきながらも、毛布を運び、いつもの体勢になり、ゆっくり目を閉じた。
眠りに落ちてから数時間後。
ー…か…んか…蓮花!!ー
「ん~?…なに?まだ早いよ~」
ー彼らとは、別の声がするぞー
斑尾に起こされ、目を擦りながら、体を起こした。
頭を掻きながら、フラフラと、居間に向かい、乱暴に襖を開けた。
「久々ですね?元気でしたか?」
「はい!とても元気です!」
「暫く見ない内に強くなってるみたいだな」
「まだまだです!もっと、修行して、お師匠様みたいに強くなります!」
影千代の隣に座り、六人と話をしている子供の姿に、眠気が吹き飛んだ。
「お?蓮花ちゃん。おはよう」
「…誰」
子供の目が、キラキラと輝き、嬉しそうに微笑んで頭を下げた。
「はじめまして!天戒と申します!」
「誰かの子供?」
「天戒は、影千代の弟子なんだ」
「へぇ~そう。それじゃ」
居間の襖を閉め、台所に向かい、斑尾に、食事を与えながら頭を抱えた。
「面倒事が増えましたね」
小さな笑い声と共に柔らかな声が聞こえ、天井に視線を向けると、小さな蜘蛛がツーっと降りてきた。
「うるさい」
腕を上げ、手の甲に乗せた蜘蛛に向かい、イライラを隠さず、悪態をつくと、斑尾が顔を上げた。
「八つ当たりするな。お前が招いた事だぞ」
「分かってるよ」
「これは、蓮花様だけの問題ではございませんよ?何より、予期せぬ出来事に、腹が立つ事もございますから」
「さっすが慈雷夜。やっさしぃ~」
「あまり甘やかすな」
「良いじゃないですか。蓮花様あっての我らなのですから」
斑尾が溜め息をつくと、ガシャンと、何かが壊れる音が聞こえ、慈雷夜を浴衣の袂に入れなが、庭に向かった。
花を植えていたプランターが割れ、その前に、天戒が立ち尽くしていた。
「何してんの」
「蓮花様…その…あの…」
何か言おうとしているが、何も言えない。
そんな天戒の様子に、子供の頃の記憶が浮かんだ。
祖父が、大切にしていた盆栽を壊してしまった時、謝らなければならないと、分かっていても、怒られることを恐れてしまった。
『…ばっちゃん…』
『ん~?どうしたんだい?』
祖父は何も言わず、壊れた盆栽を片付け、部屋に向かってしまい、ボロボロと涙を流しながら、祖母のところに向かい、その膝にしがみついた。
『…じっちゃんの盆栽…壊しちゃった…』
『そうかい』
『…ごめんなさい…できなかった…どう…しよ…』
『そうだねぇ。そうしたいと思ったら、素直にそうすれば良いんだよ。でも、大切な人の事を考えたら、ちゃんとしなきゃ。ね?』
『…うん…』
柔らかな祖母の声で、大切なことを告げられ、すぐに祖父の元に向かった。
『じっちゃん…あのね…ぼん…ぼんざい…ごわじぢゃっで…ごめ…なざい…』
『うんうん。分かった分かった。いいよ』
泣きそうになりながらも、必死に謝ると、祖父は、暖かな微笑みを浮かべ、優しく頭を撫でた。
恐怖を感じながらも、謝ることが出来たのは、祖父が、大切な人であったからだ。
だが、天戒にとって、特別な力の持ち主で、影千代が、必要としているとしか思ってないだろう。
そんな者から、謝罪の言葉など出るはずもなく、視線を下げ、ただ黙っているだけだ。
そんな者に対して、怒りに任せて、怒鳴ったところで、何の意味も成さない。
それ以上は、何も聞かず、黙ったまま、プランターの前に膝を着き、無惨に散ってしまった花びらを拾い上げた。
他者の手によって、失われた生命に、感謝と謝罪を込め、その手で救いあげるように、一つ一つを拾い集めた。
「…ありがとう…さようなら…」
大切に育てた花達に別れ告げ、庭に埋めていく。
最後に、プランターの土を乗せ、割れてしまったプランターを持って、その場から離れた。
天戒は、ずっと見つめているだけで、最後の最後まで、謝罪をすることはなかった。
壊れたプランターを縁側の下に置き、自室に入り、パソコンの前に向かって仕事を始めた。
ーいいのか?ー
ー仕方ないよ。いつかは亡くなる命。それが少し早まっただけー
斑尾は、それ以上、何も言わず、仕事をする腰を包むように丸くなった。
仕事に集中していると、夕暮れが近付き、風の冷たさが増した。
肩を震わせながら、障子を閉め、仕事を続けていると、襖を叩く音が部屋に響いた。
「どうぞ」
スーっと襖が開き、菜門と共に天戒が部屋に入ってきた。
「なに?」
「天戒が話があるそうです」
「…蓮花様が、大事にされてたお花を駄目にしてしまい、すみませんでした」
菜門に背中を押され、一歩踏み出した天戒は、うつ向いたまま、視線を上げず、ボソボソと、小さな声で謝罪したが、その様子は、言わされているようだった。
そんな謝罪は、あまり気持ち良いものではない。
何が悪いかも気付かず、口だけの謝罪なら、言われない方がマシだ。
「謝らなくていいよ。どうせ、いつかは、消えてしまう命だったんだから」
冷たく言い放たれ、天戒は、涙目になりながら、グッと、口元に力を入れ、菜門を見上げた。
「蓮花さん。そんな言い方したら、天戒が…」
「可哀想?なら、あの花は、可哀想じゃないの?」
「それは…」
菜門も黙ってしまった。
言の葉を交わせる者だけが、生命ではない。
言の葉を交わせなくとも、この世に存在するものには、全てに生命がある。
そこに、特別などない。
苦しみを飲み、悲しみを感じ、痛みを受け、傷付くものは、全てが生命なのだ。
それが理解出来ない者を憐れみ、慈悲を与えるのは、神や仏のみで、この世に生きる生命には、それを与える術がない。
誰も与えられないものなのだ。
どんなに特別な力を持っていても、それは変わらない。
「他人に言われて、仕方なく謝るくらいなら、謝らなくていい。話はそれだけ?」
「…はい」
「なら、もういいかな?仕事中だから」
重苦しい雰囲気が充満する中、パソコンに向かい、カタカタと、キーボードを打ち始めると、二人は部屋から去って行った。
「お前も厳しいヤツだな」
「あの言い方がイヤ。仕方なく言ってるのが、丸分かりじゃん」
「確かにな。だからって、あの言い方は、大人げなかったんじゃないか?」
「大人じゃないもん」
鼻で笑う斑尾を尻目に、頬を膨らませながら仕事を続けた。
その後、菜門が呼びに来たが、居間には行かず、斑尾が、食事をしている傍らで、晩酌をしながら、一人で軽く食べ、すぐに部屋に戻り、眠りに落ちた。
次の日。
斑尾と散歩をしながら、事務所に行き、仕事や話し合いをしてから、お昼少し過ぎには帰宅した。
「やぁ!!はっ!!」
部屋に戻り、暫くすると、庭から声が聞こえた。
静かに除くと、庭先で、舞い落ちる葉に向かい、天戒が、片手を翳す姿が見えた。
気合いを入れたような声を上げるが、ヒラヒラと地面に向かい、葉は、舞い落ちていくだけだ。
何度も、それを繰り返す天戒に、首を傾げた。
「あれって…修行かな?」
ー多分、風を操ろうとしてるのだろうー
「ふ~ん…ちょっと、驚かしてみようか」
ニヤリと笑いながら、横目で見ると、斑尾も、ニヤリと笑って頷いた。
周りに誰もいないのを確認してから、印を結ぶと、少し強い風が吹き抜け、葉が舞い上がり、天戒にまとわり付く。
「うわ!!くっ!!はっ!!」
この程度で、声を上げる天戒は、まとわり付く葉を払い除けるようとするが、徐々に、その量を増やし、容赦なく、その小さな体を覆っていく。
「…そろそろかな」
ーそうだなー
鼻だけを出し、葉で覆い尽くされた天戒を見つめ、そっと、縁側に出て声を掛ける。
「何してるの?」
「んん?んーんん、んんんー!!」
斑尾と密かに笑い、印を切れば、バサバサと、音をさせながら、葉は、一気に地面へと滑り落ちる。
「どうしたの?」
驚いた顔をする天戒に、この程度にも、抗えないことに、吹き出しそうになるのを耐えながら、見下ろしていると、影千代達も姿を現し、その足元に盛られた葉に目を丸くした。
「天戒…これは…一体…」
「お師匠様…」
泣き出しそうな顔になる天戒に向かい、優しい声色で、雪椰が声を掛ける。
「何があったんですか?」
天戒は、六人を見上げた。
「分かりません…急に…葉っぱが…舞い上がったと思ったら…貼り付いて…そしたら…急に…剥がれ落ちて…」
「そんな技あるのか?」
「いや。聞いた事も見た事もない」
妖かしの彼等が知らないのは、当たり前だ。
もう現世で、これを知るのは、式神として仕える斑尾達と知り合いの妖かしくらいだ。
彼等のような狭い世界でしか、過ごしていない妖かしには、もう忘れられていても当然で、そんな世界で偉ぶる者には、理解出来ないだろう。
唖然とする影千代達の姿に、耐えられなくなり、クスクスと、小さく笑ってしまった。
「何がおかしいの?」
それを見て、皇牙が首を傾げ、天戒の涙目が向けられた。
その瞳は、切な気に揺れ、やり過ぎたことを示していた。
その姿に、鼻で溜め息をつき、静かに縁側に座った。
「ん~…おかしくはないかな?ただ、さっきの見て、葉っぱが、よくも仲間をいじめたな!って感じだったなって、思ったら、昔、師範に言われたことを思い出したの」
「師範?」
「うん。私さ、護身の為に体術を習ってたんだけどね?その師範が、不思議な人だったの」
その時の事を思い出すと、何も抗えない天戒に納得出来るが、そこには、大きな違いがある。
『強さとは力の事じゃない。目に見えない強さが、真の強さなんだ』
『どんなモノにも命がある。どんなに小さな命でも、真の強さを知る奴が一番強いんだぞ』
『他者を思えない奴に強さはない』
師範の言葉は、本当の強さを示していた。
それが、理解出来ると、人としても、大きく成長することが出来る。
「訳の分からんことを言う師範だ」
だが、ほとんどは、それを理解することが出来ない。
変にプライドの高い妖かしならば、当たり前だろう。
「…私は分かるけどな」
吹き抜ける風に、前髪を揺らし、師範の顔を思い浮かべ、その想いを代弁する。
「どんなに小さな命でも、自分以外を想い、弱いモノを守れるようにならなきゃ、本当に強いとは、言えない。ただ、力だけが強くても無意味。力が弱くても、自分以外を想って、必死になれる者が、本当の強者である。それが、分からなきゃ、どんなに目に見える力が強くても、真の強者にはなれない」
優しい微笑みを浮かべ、天戒を見つめると、その涙が退いていく。
「仲間や家族。大好きな人。大切な時間。天戒君は、そんな守りたいモノってある?」
悩むような仕草をしてから、天戒は、影千代を見上げた。
「君に、葉っぱが貼り付いたのは、葉っぱが、大切なモノを守りたかったから。それなら、君も、大切なモノの為に、本気になってみたら?もしかしたら、上手くいくかもよ?」
少しだけ、助け船を出す。
その想いに気付ければ、まだ小さな天戒ならば、今からでも、強くなることが出来るはずだ。
天戒は、足元の葉を見下ろして、拳を握ると、静かに、手のひらを地面に向けた。
「はっ!!」
天戒の声と共に、足元に、小さな風が起こり、葉は、吹き上げられ、ヒラヒラと宙を舞った。
「出来た…出来ました!!お師匠様!!風を起こせました!!」
無理矢理、その力に従わせるのではなく、その全てを賭ける。
それを感じ取ったものは、必ず、その手を貸してくれる。
今の天戒のように、小さくとも、ちゃんと、その手に風を巻き起こせる。
目の前で、風を起こせたことで、天戒は、目を輝かせながら、歓びに任せ、影千代に飛び付いた。
「スゴいじゃねぇか!!天戒!!」
「ホント。今の一瞬で出来ちゃうなんて」
「だが、お前の師匠は、これくらいで満足してないようだぞ?」
「そんな事ないですよね?影千代」
「まぁ。出来たことは褒めてやる」
羅偉や皇牙が、頭を撫でながら褒める脇で、季麗の嫌味に、天戒は、不安そうな顔付きになり、雪椰が助け船を出し、それに影千代も乗る。
ー懐かしいなー
ーそうねー
そんな微笑ましい光景に、幼い頃の記憶が重なる。
師範は、とても厳しかった。
だが、上手く出来るようになると、驚く程に褒め、自分の事のように笑っていた。
それに喜びを感じ、もっと強くなる為、守りたいものの為、必死に、その路を進み、成長すれば、その想いを受け継ぐ子達が生まれ、今の光景が溢れた。
「蓮花様」
「ん?」
師範との記憶に微睡んでいると、影千代達と歓びを一通り味わった天戒が、隣に座り、キラキラと輝く目を向けた。
「蓮花様は、体術が、お得意なのですか?」
「得意ってか、護身で習っただけよ?」
「手合わせ願えませんか?」
パチパチと瞬きをして、天戒を見つめていると、菜門が、慌てたように口を開いた。
「天戒。蓮花さんは、人間なのですよ?いくら何でも…」
「別にいいけど、あまり期待しないでね?」
菜門の言葉を遮ると、斑尾と天戒以外は慌て始めた。
「やめとけって。いくら、子供でも妖かしだぞ」
「そうだよ。蓮花ちゃんに、もしもの事があったら、どうするの」
「お前は仮にも女だ。そんな事する必要もない」
「これでも、天戒は、俺の弟子だ。甘く見るな」
「無理しないで下さい」
口々に出るのは、人を見下したような言葉ばかりで腹が立つ。
「あのさ。物事って、やってみなきゃ分からないし、最初から何でも否定してたら、何も始まらないよ?いくら、子供の天戒君だからって、手加減出来ない訳じゃないだろうし、お互い、本気でやらないよ。それに、いざとなれば、君らがいるでしょ」
斑尾に浴衣を預け、庭のサンダルを履いて、広い所に移動すると、天戒と向き合った。
「制限時間は十分。その間に相手が、膝を着いたり、寝転がったら負け。術を使っちゃダメ。もちろん、飛ぶのもなし。体術だけの一本勝負。いい?」
「はい!!」
「菜門さん。時間計ってね」
その必要もないが、一応、声は掛けておく。
そうすれば、六人の中に、強烈な印象が残る。
「ちょっと待ってって!!」
「それじゃ始め!!」
開始の声を掛けると、天戒は、距離を縮め、拳や蹴りを繰り出す。
だが、まだまだ速さが足りない。
体をずらしながら、早々に、その動きを見極め、両手の拳を突き出し、蹴りを出すまでの二秒間隔も、しっかり確認した。
二度目の拳を避けながら、足を大きく広げ、腰を落とし、浮き上がった足を手の甲で払うと、天戒は、地面に寝転がった。
ほんの数分で、決着すると、呆然として、空を見つめる天戒を見下ろした。
「終了ね?」
斑尾の元に戻り、預けていた浴衣を羽織った。
「…嘘だろ?」
「嘘じゃないよ」
「夢でも見てるのか?」
「現実」
「妖かしが、人間に負かされるなんて、信じられません」
「私の場合、護身術としての体術だから、これくらいしか出来ないよ。別に負かした訳じゃない」
「ですが、実際、天戒は、貴女に負けてます」
「私が、そう決めたからね。もし、これが、そんな決め事がなかったら?ただ転ばせただけでしょ」
「確かに」
「しかも、君達のような妖かしが、私みたいな人間に転ばされたら、驚いて、一瞬でも動きを止めるでしょ?その隙に逃げる」
「だから、俺らの力は必要ないと?」
言いたい事を汲み取り、影千代の片眉が、ピクリと動き、羅偉は、怒ったように眉を寄せた。
「それとこれとは話が別だろ。いくら、こんな事が出来ても、逃げ続けてる訳にはいかねぇだろ」
「何故?無駄な殺生をする必要ないでしょ。私は、無駄に命が消えて欲しくないの」
強い風に吹かれた髪を掻き上げ、浴衣を揺らしながら、六人を見据える。
「どんな命でも、私が、原因で消えるのは嫌なの。私が逃げれば、その命も長く生きれる」
多くの死と対面し、多くの大切なモノを失った。
その全ての死が、多くの生命が、長く生きてくれることを願わせた。
それは、悪妖も、目の前にいる菜門達も、斑尾も同じである。
この世に存在する生命は、最期を迎えるまで、その運命を背負い、生き抜くことが与えられた使命なのだ。
「私の為に消える命は、もういらない」
自室に消える背中は、とても弱々しいが、凛々しくもあったが、とても哀しくも淋しく見えた。
不安と少しの期待が混ざり合い、体から活力を奪っていく。
ー苦しいか?ー
ー少しねー
ー今日は、もう休んだ方がいいー
久々に体を動かし、疲れが押し寄せ、斑尾に言われた通り、長座布団で寝ていると、静かに襖が叩かれた。
目を擦りながら、襖を開けると、そこには、天戒が一人で立っていた。
「どうしたの?」
首を傾げると、天戒は、勢い良く頭を下げた。
「ごめんなさい!!」
驚きで、パチパチと瞬きをすると、顔を上げて、真剣な顔付きの天戒の目には、強い意志が宿っていた。
「今日、蓮花様のお話を聞いて、蓮花様と手合わせをして、僕、分かったんです」
また頭を勢い良く下げ、大きな声で言った。
「昨日は、本当にごめんなさい!!」
自分のした事を反省し、一人で謝罪しに来た天戒の頭を優しく撫でた。
「もういいよ」
上げられた視線は、不安そうに揺れていた。
「許してくれますか?」
「私の気持ちを分かってくれたら、それで善し。だから、もう気にしない。ね?」
天戒の頬が桃色に染まり、緩んでいくのを見つめ、同じように、優しく微笑みを返した。
「…天戒?」
そこに菜門が現れ、何度も、瞬きをしていた。
「どうしたんですか?」
「あ…えっと…」
「手合わせ志願。ね?」
見上げた天戒に、ウィンクをしてから、菜門に視線を戻した。
「それより、何かご用ですか?」
話題をすり替えると、菜門は、困ったように眉を寄せた。
「えぇ。夕飯が出来たので、呼びに来たんですが…」
「あ~。あとでいいです」
「蓮花様は、何故、いつもお一人で召し上がるのですか?」
不思議そうに、首を傾げた天戒を見つめ、頭を掻いた。
「お一人で召し上がるよりも、皆で、召し上がる方が楽しいですよ?」
「ん~…そう言われてもねぇ。ずっと、一人で食べてたから、そっちの方が気楽なのかな?それに、斑尾のご飯もあるし」
「であれば、一緒に食べればいいのでは?」
天戒の鋭い突っ込みに、何も返せなくなり、じっと見つめる天戒の瞳に、罪悪感を覚え、溜め息をつきながら、斑尾を見下ろした。
「自分の皿。持ってきてね」
尻尾で、太股の裏を叩いてから、斑尾は、台所の方に向かって行く。
「じゃ、行こっか」
「はい!」
嬉しそうに笑った天戒と並び、菜門の後に続いて、居間に入ると、羅偉が驚いた声を上げた。
「お前も食うのか?」
「ダメ?」
「いんや?いいと思うよ」
優しく目を細めた皇牙を見下ろしていると、羅偉は、嬉しそうに笑った。
「じゃ、俺の隣来いよ」
「何を言う。子鬼の隣など、煩くてろくに食えん。俺の隣に来い」
「子鬼じゃねぇ!!」
「空けてやらんこともないぞ」
「俺の隣にする?」
ギャーギャーと騒ぎながら、少しずつずれて、隙間が空けられていくのを見ながら、菜門と雪椰の間に座った。
その行動に、最も驚いたのは、両側の二人だった。
「いいんですか?」
「うんっぐ!」
その時、脇腹に痛みが走り、振り返ると、斑尾が、銜えた皿を突き刺していた。
「痛いってば」
「どうして、そこなのだ」
斑尾から皿を受け取りながら、視線を向けると、季麗が、不満そうな顔をしていた。
「ん~…一番、静かで安全っぽいから?」
配膳を手伝っていると、二人が、クスクスと笑った。
「変ですか?」
「いえ。よく見てるなと思いまして」
「いや。見ておらん。何故、俺が子鬼と同じに扱われるのだ」
「俺だって、なんで、こんな狐と同じにされなきゃねぇんだよ」
「俺が、季麗ちゃん達と一緒にされるなんて。酷いなぁ~」
「皇牙は、当たり前だろう」
「俺は、こんな奴らと一緒なのか…」
「お師匠様。お気を落とさないで下さい」
騒ぐ羅偉達を無視して、目の前の料理を受け取った皿に取り分け、斑尾の前に置いた。
「いつも、そうしてんのか?」
季麗が、不思議そうに首を傾げ、皇牙や影千代も、同じような顔をして首を傾げた。
「変ですか?」
手を合わせてから、お味噌汁を啜ると、皇牙が、箸を動かしながら、斑尾を見つめた。
「変って言うか、なんか不思議」
「いつから、そうなった」
影千代の言葉に、記憶を逆上る。
斑尾と一緒に生活することとなった時、別々に食事を用意していた。
『…あら。それは、あの子の?』
『うん』
『そう。何処であげるの?』
『ここ』
『そりゃ、可哀想じゃないかな?』
『なんで?』
『蓮は、冷たいご飯を一人ぼっちで食べるのは、淋しくないかい?』
『淋しい』
『なら、あの子も同じじゃないかな?ここで、一人ぼっち』
『でも、斑尾は、動物だから』
『家族なら、人も動物も関係ないよ?あの子が、家族だと思うなら、皆と同じように、食べさせてあげなきゃ』
『でも、斑尾、食べれないのあるから』
『それは、人である蓮が、ちゃんとやってあげればいいんだよ?』
『そっか。じゃ、斑尾も、あっちで、一緒の食べよ』
子供らしい満面の笑顔を向けると、祖母と一緒に、斑尾も、嬉しそうに微笑んでいたように見えた。
あの頃の斑尾は、優しく、愛おしさがあった。
「いっ!!」
現在は、人の脇腹に皿を突き刺し、おかわりを要求する。
優しいのは、優しいのだが、あの頃のような愛おしさよりも、憎たらしさの方が大きく感じる。
「お前の周りは、変な奴らばっかりだな」
多めに取り分けた皿を斑尾の前に置き、米を口に運んだ。
「私も変人ですから」
雪椰の目が細められると、切なげに揺れた。
「どうして、そんな事を…」
「人と接するより、一人でいる方が好きだから。人と遊ぶより、猫や犬と一緒にいた方が楽しいから」
雪椰を遮った言葉に、羅偉が、溜め息をついた。
「そんなんで、親は、何も言わねぇのかよ」
「何も。二人共、私が三つくらいの時に、事故で亡くなったらしいから」
その瞬間、隣から寒さを感じると、一気に室内が冷えた。
「羅偉」
無表情の雪椰は、冷えきった声で、その名を呼び、羅偉は、慌てたように手を振った。
「ちょっと待って!わざとじゃねぇよ!本当に知らなかったから!」
彼等は、本当に何も知らない。
知らない時の何気ない一言が、人を傷付けてしまうこともある。
「雪椰。蓮花さんが、凍えてしまいますよ?」
ハッと我に返った雪椰は、眉を寄せ、視線を向けた。
「失礼しました。大丈夫ですか?」
心配そうに、暗い顔をした雪椰が謝ると、室内の温度が元に戻った。
「ん~…大丈夫ですけど、室内は、あまり冷やさないで欲しいですね」
モグモグと口を動かしていると、羅偉が、肩を竦め、申し訳なさそうな顔をした。
「悪かったな…マジで知らなかったんだ」
傷付けてしまうようなことでも、本人が気にしていないこともある。
言葉とは、己を守る盾となり、他者を傷付ける刃となることを忘れてはいけない。
「ん?別にいいよ。もう昔の事だし」
「じゃ、今まで菜門ちゃんと二人?」
「高校の時からね。ご馳走さまでした」
重ねた食器を持って、居間を出た。
ーずいぶん、話したなー
「いいでしょ?少しくらい」
シンクに食器を置き、部屋に戻ると、斑尾の眉間にシワを寄せた。
ーあまり期待を持たせるなー
「少しくらい良いでしょ?」
「あまり期待していると、裏切られた時に傷付きますよ?」
袂から蜘蛛が出てきて、手の甲に乗った。
「分かってるよ。でも、彼らは、違うと思いたい。彼らなら、皆が出来なかった事が出来ると思いたいの」
斑尾の表情が暗くなると、重苦しい雰囲気になった。
「大丈夫。何かあったら、私が何とかするから」
それ以上は誰も何も言わず、キーボードを打つ音だけが部屋に響いた。
「…ん…れ…か…蓮花。おい!起きろよ!!」
乱暴に肩を揺らされ、目を擦って、視線を上げると、羅偉が、眉間に皺を寄せていた。
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