黄泉世の護人(モリビト)

咲 カヲル

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三話

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斑尾が掛けた毛布が、肩から滑り落ちた。
その斑尾は、既に出掛けていて、もういない。
仕事をしながら、寝てしまい、外は、明るくなっていた。

「なに」

「甘味処に連れてけ」

起きたばかりの頭では、意味を理解するのに時間が掛かる。
首を傾げると、羅偉は、苛立ちを露にした。

「早くしろよ」

「なんで私?菜門さんに聞けば良いじゃん」

「菜門が、お前の方が知ってるって」

菜門に押し付けられたのを理解し、溜め息をついた。

「仕事あるから無理だよ」

「んなの帰ってからすれば良いだろ」

諦める事なく、食い付く羅偉に、更に溜め息をついた。

「分かったよ。教えたら、私は、すぐ帰るからね?」

「あぁ。そうと決まれば、早く行くぞ」

羅偉の手が、腕を掴もうとするのをさりげなく避け、浴衣を羽織り、玄関に向かった。
宙に浮く手に拳を作り、羅偉も、後を追い、自宅から十分弱くらいのカフェに向かった。

「…なんで私なのさ」

羅偉を置いて帰ろうしたが、押し切られるような形で、一緒になって珈琲を飲んでいた。

「だから、菜門に言われたんだって」

視線を泳がせるのを見つめ、また溜め息をついた。

「嘘は、宜しくないんじゃないの?」

「…だって、そう言わなきゃ一緒に出掛けないだろ」

「別に?仕事さえ、詰まってなければ、普通に出掛けるよ」

「本当か!?」

「そんな事に嘘付きません。だから、早く食べて」

歯を見せ、嬉しそうに笑った羅偉は、パフェを急いで食べ始めた。
自宅に戻ると、出掛けていた斑尾が、退屈そうに縁側で寝ていた。
その姿に、頭を掻きながら、溜め息をつき、仕事を再開した。
その日も、賑やかな食卓で、夕食を摂り、仕事を終わらせると、真夜中になってから就寝した。
次の日。
朝から賑やかな食卓で、天戒と影千代の間に座り、斑尾に与えながら食事をしていた。
その時、じっと見上げている天戒と目が合った。

「なに?」

「蓮花様。お願いが…」

「天戒」

その声を遮ると、影千代は、首を振り、天戒は、哀しそうに眉を寄せ、視線を下げた。

「蓮花さん」

視線を向けると、菜門は、ニッコリと笑っていた。

「天戒を連れて、少し出掛けてもらえますか?」

菜門の提案に、何度も瞬きをし、首を傾げると、天戒は、驚いたように、瞳を大きくさせ、次第に、キラキラと輝かせた。

「え~っと…何故です?」

「会合があるので、今日だけ、出掛けるうに、お願いしてたんです」

「聞いてないんですけど」

「言いそびれました」

「それで何故に私?仕事が…」

「今日一日、宜しくお願いしますね?」

菜門に笑顔の威圧を向けられ、話が打ち切られると、横目で、天戒を見下ろし、その不安そうな表情に、溜め息をついた。

「分かったよ。何処行きたいの?」

キラキラとした笑顔になった天戒は、嬉しそうに頬を桃色にした。

「あのでんしゃと言う箱に乗ってみたいです」

乗りたいだけで、出掛けるのは、安易過ぎる。
天戒の思考は、まだまだ子供だ。

「乗って何処行くの」

「えっと…あ!ここに行きたいです」

天戒が指差したテレビには、一駅隣にあるショッピングモールのリニューアルオープンの様子が、放送されていた。
その映像に、顔を顰めると、天戒の表情が曇った。

「蓮花様も、こうゆう場所は、お嫌いなんですか?」

「も?」

「お師匠様は、こうゆう場所が、お嫌いなんです」

隣に座る影千代を見上げると、何故か睨まれる。

「嫌いじゃなくて苦手なのよ。色んな臭いが混ざって、気分が悪くなるから」

「蓮花ちゃんって、鼻が良いんだね」

「そういえば、昔から臭いって、結構気になってましたね」

そんなの当たり前のことだが、わざとらしく返すと、斑尾が、おかわりを要求しながら、ほくそ笑んでいた。

「留守番、よろしく」

おかわりを置いて、頭を撫でると、斑尾は、背中に頭突きをして、食事を再開した。

「ということですので、影千代。お願いしますね?」

「あぁ」

同意をした影千代に、天戒は、恐る恐る聞いた。

「お師匠様は、どうされるんですか?」

「お前らと一緒に行く」

横目で、チラリと見上げると、視線がぶつかり、影千代は、不機嫌な顔をした。

「なんだ」

「嫌々ついて来るなら、来なくていいですよ」

「自分の弟子を他人に任せっきりには、出来ないだろ」

「へぇ~。それくらいの常識は、あるんですね」

「…馬鹿にしてるのか?」

少し怒った口調になった影千代を無視して、食事をしていると、天戒は、少し焦ったように、落ち着きなくなった。

「馬鹿になんてしてませんよ?ただ、ちゃんとしてるなって、理解しただけです」

「なんか、俺らに厳しいよな?」

羅偉が、皇牙に耳打ちしたのを聞きながら、玉子焼きを口に運んだ。

「厳しいんじゃない。ただ知りたいだけ」

「どうしてだ」

「君達が、人じゃないから」

菜門や季麗までもが、箸を止めたのも見ず、食事を続ける。
人じゃない。
それだけで、人の間で噂になり、噂が噂を呼び、糸が絡むように複雑になる。
その噂は、やがて、多くの人の耳に入り、踊らされた人によって、追い込んでいく。
そうならないように、それなりに理解し、手助けしなければならない。
それが自然な流れだ。

「ご馳走さま」

食器を片付け、出掛ける準備をして、玄関で待っていると、斑尾が視線を上げた。

ー大丈夫か?ー

ーいざとなれば、彼らの記憶を消すよー

「蓮花様!!」

準備を終えた天戒と影千代と共に家を出て、ショッピングモールに向かった。
お目当ての電車に乗ると、天戒の瞳が、キラキラと輝いた。

「楽しい?」

「はい!速いんですね」

嬉しそうに笑う天戒とは、対照的に、影千代は、不機嫌そうな顔で、外を見つめていた。

「帰りますか?」

そんな影千代に横目で睨まれた。

「何故だ」

「嫌そうだからです」

「別に嫌ではない」

「不機嫌になるのは、嫌だと思ってる証拠ですよ」

溜め息をつき、視線を合わせると、うんざりしたように、眉間にシワを寄せた。

「また、誰かの教えか」

「いえ。実体験です」

首を傾げた影千代から、天戒に視線を向けた。

「彼くらいの時、そう思いました。誰かに何かを頼まれて、不機嫌になる子は、それを嫌だと思ってるんだって」

「嫌なら断る」

「私も、そう思います。でも、それでも、やらなきゃないなら事ってありますよね?」

横目で見ると、影千代は、外に視線を反らした。

「大人になれば尚更です。嫌でもやらなきゃ。そう決めたら、それを顔や態度に出しちゃいけない」

天戒を見つめる影千代に、静かに小さな微笑みを浮かべた。

「顔や態度に出してしまえば、相手の気持ちの負担になる。その態度が、彼の負担になるのは、本望じゃないですよね?」

目を細め、横目で見つめると、影千代は、少し考えるような仕草をした時、電車のアナウンスが流れた。
電車を降り、ショッピングモールに着くと、平日ということもあり、あまり混んではいなかった。

「天戒君は、洋服とかあるの?」

「いえ。これだけです」

着ているジーンズとトレーナーを見下ろし、首を傾げた天戒の頭を撫でて、子供服の店に入った。

「人間は、毎日服を取り替える。いつも同じだと、怪しまれちゃうよ?」

不思議そうに首を傾げる天戒に、洋服を合わせ、二、三着選んで、支払いをして渡した。

「ちゃんと着てね?」

小さく微笑んで、天戒は、洋服の入った袋を抱き締めた。

「そういえば、天戒君のお師匠さんも、いつも同じだよね?」

「はい」

影千代を見上げてから、天戒に、顔を寄せ、そっと耳打ちをした。

「…ってどう?」

「良いと思います」

「なんだ。二人でコソコソと」

「何でもないですよ。ね?」

「はい」

天戒と微笑み合うと、影千代は、首を傾げた。

「ちょっと、お手洗い行ってくるね」

その場を離れ、紳士服の店で、服を選び、それを入れた袋を持って、二人の元に戻った。

「なんだ。それは」

「何でもないです。さて、次はどうする?」

「お腹が空きました」

「じゃ何食べたい?」

「あれが食べたいです」

天戒の指差した店に入り、昼食を済ませた後、雑貨屋に入ったり、アイスを食べたり、ゲームセンターで遊んだりして、ショッピングモールを歩き回った。
夕暮れが近付き、電車に乗り込むと、天戒は、すぐに寝てしまった。

「あらら。疲れちゃったかな?」

気持ち良さそうに眠る天戒の頬を突っつき、笑っていると、影千代は鼻で笑った。

「こんな天戒は初めてだ」

「そう。来て良かったですか?」

寝ている天戒の頭を優しく撫でる影千代は、嬉しそうに目を細めた。

「あぁ」

そんな影千代を見て、気付かれないように、小さく微笑み、その微笑ましい光景を眺めた。
その後、ブツブツと文句を言いながらも、天戒をおぶる影千代と並んで、自宅を目指して歩く。
穏やかで暖かな時間は、斑尾といる時と変わらない。

「蓮花様…お師匠様…」

影千代の背中から聞こえた天戒の寝言に、クスクス笑うと、影千代も、柔らかな微笑みを浮かべた。

「…また、頼んでもいいか?」

影千代の呟きに、静かに頷きを返した。
影千代の部屋に、天戒の服と持っていた袋を置き、自室に戻った。

「…有難う…」

起きた天戒から、事情を聞いた影千代が、部屋を訪れ、頬を桃色に染めながら、ボソッと、それだけを告げて、逃げるように自室に戻って行った。
その背中を見送り、仕事を始めたが、久々の遠出で、疲れが出てしまい、アクビが出た。

ーもう寝たらどうだー

「うん。そうする」

その日は、夕食も摂らずに寝た。
次の日。
朝食を済ませて、仕事をしていると、縁側から季麗が現れた。

「ちょっと来い」

首を傾げながら、季麗について行くと、玄関に向かった。

「何処行くの」

「いいから来い」

溜め息をつきながら、季麗と一緒に外に出た。
隣を歩く季麗の横顔は、日の光を浴びて、青い前髪が輝いていた。

「なんだ?見惚れたか?」

「別に?どうでもいいけど、何処行くのさ」

「あれはなんだ」

季麗の視線の先には、羅偉を連れて行ったカフェがあった。

「カフェ」

「何があるんだ」

「珈琲。紅茶。甘い物。軽食」

納得したように頷く季麗は、次々に、周りの店や建物を聞き、それに答えながら、歩き回り、近所の公園のベンチに座った。

「もしかして、案内して欲しかったの?」

「誰がだ」

「君が」

「違う。暇そうだから、付き合わせたんだ」

「仕事してたし」

その時、目の前をクレープを持った子供が通り過ぎ、季麗は、じっと見つめていた。

「あれ。クレープって言う甘い物。食べる?」

クレープ屋を指差すと、季麗は鼻で笑った。

「お前が、どうしてもと言うなら、食ってやってもいいぞ」

素直じゃない。
それが季麗なのだ。
静かに溜め息をつき、クレープ屋に向かい、さっき通った子供と同じものと珈琲を買い、ベンチに戻り、季麗に、クレープを押し付けた。
暫く、眺めてから、一口かじると、季麗の頬が緩んだ。

「美味い」

「そう」

「人間にしては、美味い物を作るな」

「そらどうも」

珈琲を飲みながら、前に視線を戻すと、季麗の視線が、横顔に突き刺さった。

「なに」

「それはなんだ」

珈琲の入った紙コップを季麗に差し出す。

「飲んでみれば」

珈琲を受け取り、一口含むと、季麗の顔が歪んだ。
クスクスと笑うと、季麗は、不機嫌そうに眉を寄せた。

「珈琲。甘い物を食べながら、一緒に飲むと、美味しいよ」

季麗は、珈琲を飲んでから、クレープを食べると、目を輝かせた。

「苦い物と甘い物。相反する物は相等しい。私は、人と妖かしも、そうであったら、良いと思うんだけどね」

穏やかな風が、髪を揺らして吹き抜けた。

「…人と妖かしは、そうあれるのだろうか」

「それは考え方だよ。人と人だって、足りないモノを補い合いながら、他者と共に生きるなら、人と妖かしだって同じだと思うよ?」

「人は弱く脆い。だから、そうであるだけだろ?」

「でも、君達だって、気付かない内に、足りないモノを補い合ってるんだよ?」

「俺には、何が足りない?」

「ん~…支え合う意志…かな。あんな風に」

風に髪を撫でられ、目を細めて、公園で遊ぶ子供達や笑っているカップルを見つめた。

「今すぐは、無理だろうけど、色んなモノが溢れるこの世界で、楽しみながら、少しずつ、知っていけば良いんじゃないかな」

微笑みながら、視線を向けると、季麗は目を細めた。

「言われずとも、そうしてやる」

季麗の微笑みは、優しくて暖かだった。

「他に聞きたい事は?」

「そうだな…」

珈琲を飲みながら、クレープを食べ、視線を迷わせる季麗の姿は、好奇心を煽られた子供のように輝いていた。

「早く食べて。歩きながら説明するから」

立ち上がると、季麗は、柔らかく微笑んで、クレープを口に放り込み、珈琲を一気に飲み干した。
それから、季麗と一緒に近所を散策し、その全てに目を輝かせ、素直に説明を聞く姿は、子供のようであり、瞳を輝かせる横顔が、天戒の横顔と重なった。
お昼近くに、家に帰って来ると、仕事を再開した。

「…何故、言わねばならんのだ」

「何処に行ったか、分かんねぇんじゃ困んだろ」

夕食の時、羅偉と季麗が、小さな言い合いを始めた。

「俺の勝手だろ。小鬼に言われる筋合いはない」

「小鬼じゃ」

「羅偉。やめなさい。食事中ですよ?」

「季麗も。羅偉を煽るのはやめなさい」

「だけど…」

「やめなさい」

雪椰と菜門に注意され、羅偉が不満そうを漏らすと、二人は、無表情になった。
大人しく、羅偉がご飯を口に掻き込む。

「季麗。次はないですからね?」

勝ち誇った顔をしていた季麗は、雪椰の笑顔の威圧に肩を揺らし、視線を反らした。
そんな、とても賑やかで、暖かく、柔らかな時間が過ぎていく。
それから三日後。
仕事の合間を縫って、花の世話をしていた。
昨日までは、美しく咲いていた水仙の元気がないことに気付き、肥料を買いに玄関に向かった。

「蓮花さん?」

玄関の戸に手を掛けると、通り掛かった雪椰が、その背中に声を掛けた。

「どちらへ?」

「花屋さん」

顎に指を添え、考えるような仕草をしてから、雪椰は、ニッコリ笑った。

「ご一緒してもよろしいですか?」

「別にいいですけど。肥料買いに行くだけですよ?」

「えぇ。荷物持ちくらいしますよ」

「別にいいですよ」

近所の花屋に向かい、いつもの肥料を手に取ると、雪椰は、店先の勿忘草を見つめていた。
その瞳は、切なげに揺れている。

「私を忘れないで」

驚いて、目を見開いた雪椰の隣に立ち、勿忘草を見下ろす。
この言葉をどれだけの生命が、抱いているだろうか。
言葉を交わすことが出来なくとも、花を通じて伝えることが出来るが、それを考えるものは、どれ程、この世に存在しているかは分からない。
だが、その小さな想いが、広がり、沢山の幸福が育まれることを願わずにはいられない。

「花言葉ですよ。勿忘草の」

「そうですか…」

勿忘草を見つめる雪椰の横顔をチラッと盗み見し、その場から離れ、肥料と勿忘草の会計をした。
勿忘草の苗を一つ持ち、店を出ると、雪椰は、慌てたように後を追った。

「どうしたんですか?急に」

「前に壊れたプランター。あれには、これが植えてあったんです」

大きく揺れた雪椰の瞳で、幼い記憶が浮かんだ。
祖父母が、まだ健全だった頃、祖父に連れられ、あちこち、歩き回っていた時、偶然、出会い、勿忘草を贈った男の子も、同じように揺れていた。
今の雪椰の表情は、記憶の表情が、ピッタリ重なった。

「好きですか?」

その言葉に反応し、雪椰の頬が、桃色に染まっていく。

「勿忘草は、好きですか?」

「…えぇ」

雪椰は、ちょっとガッカリしたように、淋しそうな笑みを浮かべた。
記憶と現在では、もう二十年近くの時が過ぎている。
雪椰が言わない限り、この現状が変わることはない。
帰宅すると、雪椰も、一緒に勿忘草を庭に植え、水仙に肥料を与えた。
それから二日後。
気晴らしに、斑尾と一緒に散歩に出ると、玄関前で、皇牙と出会した。

「あれ?お散歩かな?」

「えぇ。それじゃ」

石段を降りると、皇牙も、石段を降り始めた。

「なんですか」

「俺も散歩」

「そうですか」

それ以降、話し掛けず、斑尾と並んで歩く。
皇牙は、付かず離れずの距離を保ちながら、その背中を追うようにして歩いた。
その状態が、図書館近くまで続き、溜め息をついて、皇牙に振り向いた。

「一緒行きますか?」

「いいの?」

ビックリしたような声色に、頷くと、皇牙は、嬉しそうな笑みを浮かべ、斑尾を挟んで隣に並んだ。

「首輪とか着けないの?」

「着けなくても、大丈夫なんです」

「でも、リードは着けなきゃダメなんじゃないの?」

「こんな状態なので、誰も何も言いません」

ピッタリと寄り添うように、隣を歩く斑尾を見下ろす。

「本当に家族なんだね」

「そうですよ」

「いいなぁ~。俺も、そんな家族が欲しいな」

そんな皇牙を無視し、近くの公園に向かった。
ベンチに座り、斑尾の頭を撫でる皇牙は、優しく微笑んだ。

「俺。半妖なんだ」

唐突な皇牙の発言に、視線を向けた。

「そうは見えませんけど?」

「そう?これでも、子供の頃は、イジメられてたんだよ?」

「私もイジメられましたよ」

視線を上げた皇牙は、驚いた顔をした。

「両親がいない孤児って」

「でも、お爺さんや、お婆さんがいたんでしょ?」

「えぇ。でも、事実をねじ曲げる事も出来ないので、なんとも思いませんでした」

皇牙の瞳が、切なげに、大きく揺れた。

「淋しくなかったの?」

「私の中に生きてますから」

そっと、胸に手を置き、自身の鼓動を感じて、その暖かさに目を閉じた。

「こうすれば、父さんと母さんがいる。そう思うだけで、淋しさなんて、忘れちゃいました」

「蓮花ちゃんは、強いんだね」

「いいえ。とっても弱いです」

「どうして?強いじゃない」

斑尾を見下ろし、そっと、頭に手を置いた。

「祖父母や斑尾。多くのモノに支えられてる。その支えが無くなったら、私は、きっと地べたに倒れて、起き上がれない。だから、私は弱いです。それに、人は、支えが無ければ、立っていられない程、非力な生き物ですから」

微笑みを浮かべると、皇牙は、哀しそうに目を細め、その手を伸ばした。

「さて。帰って仕事しなきゃね?それじゃ」

だが、皇牙の手に触れられることなく、わざと明るい声で告げると、その場から逃げるように歩き出した。

ーへたくそー

ーうるさい。苦手なのよー

頭の中の会話は、それっきりで終わり、帰宅すると、夕食まで仕事をしていた。
その次の日。

「…ねぇ斑尾。一緒行こうよ」

ーお前は。一人で行けー

「なんでよ」

ーこれから亥鈴と仕事だー

「えー。少しくらい、遅れてもいいよ」

ー阿呆ー

部屋から飛び出した斑尾は、猛スピードで裏山に消えた。
斑尾に振られ、暫くは、仕事をしていたが、ガバッと立ち上がり、玄関に向かう途中、菜門が、台所から出てきた。

「お出掛けですか?」

「はい」

「何処行くんですか?」

「スーパーです」

普段は、出ることのない単語に、菜門は、首を傾げ、足元に視線を落とした。

「今日は、一緒じゃないんですか?」

「フラれました」

「じゃ、一緒に行きましょうか」

「別にいいですよ?」

菜門の表情が、パッと明るくなり、嬉しそうに笑った。

「準備してきますから、玄関で待ってて下さい」

足早に部屋に向かう背中を見送り、玄関先で待っていると、菜門は、買い物袋を持って、すぐに戻ってきた。
菜門は、良い主夫になれるだろう。

「お待たせしました。行きましょう」

菜門と並び、スーパーに向かい、買い物カゴを下げ、店内を見て回る。

「夕食は、何がいいですか?」

「和食で、お願いします」

菜門は、少し悩むように、視線を泳がせた。
家の冷蔵庫の中身を思い出し、素早く頭の中で、献立を考えたようで、カゴに食材を入れていく。
そんな菜門から離れ、缶詰めが並ぶ棚の前に立つ。

「何か食べたいんですか?」

食材を見て回っていたはずの菜門が、後ろに立ち、同じ棚を見上げた。

「桃缶です」

「あぁ。これですか?」

背中越しに、桃缶を手にした菜門から受け取ろうと、手を出したが、カゴに入れられた。
菜門は、レジに並び、夕食の食材と共に桃缶の会計を済ませた。
荷物を持とうと、買い物袋に手を伸ばしたが、菜門に止められ、手持ちぶさたのまま帰宅した。

「桃缶下さい」

菜門は、振り返らず、台所に入ってしまった。

「菜門さん」

「ちょっと待ってくださいね」

菜門は、買い物袋から桃缶を取り出すと、背中を向けた。

「ねぇ~。菜門さん」

「はいはい。もう少し待ってくださいね」

菜門の肩越しから、手元を覗くと、桃を切って、ガラスの器に盛っていた。

「別に、そんな事しなくていいですよ。洗い物増えちゃいますから」

「ダメです。はい。どうぞ」

渡されたガラスの器をテーブルに置き、爪楊枝に手を伸ばすと、フォークが差し出された。

「どうぞ」

受け取ったフォークで、一口大に切りそろえられた桃を口に運ぶ。

「美味しいですか?」

お茶の入った湯呑みが置かれ、菜門も椅子に座った。

「えぇ。食べますか?」

フォークに刺した桃を菜門の口元に近付けると、その頬が、少し赤く染まった。

「いいですよ。それは、蓮花さんの…」

「買ったのは、菜門さんでしょ。どうぞ」

「でも…」

「あ。シロップ垂れる」

慌てて開いた菜門の口に、桃を押し込む。

「美味しいでしょ?」

モグモグと口を動かす菜門に向い、ニヤリと笑うと、その頬が、真っ赤になった。

「菜門さんって、純情ですね」

グッと口元に力を入れた菜門から視線を反らし、桃を口に運んだ。

「何食ってんだ?」

そこに羅偉が現れ、手元を覗いた。

「桃」

「お!いいな。俺も食いたい」

その声に、雪椰達も台所に集まってきた。

「ダメ~。私の」

「ずりぃぞ。なんで蓮花だけなんだよ」

「だって、一缶しか買って貰わなかったもん」

「菜門は、蓮花さんに甘くないですか?」

「長くいれば甘くなる」

「あれ?菜門ちゃん、顔、赤くない?」

皇牙に指摘され、菜門は、慌てたように立ち上がった。

「そんな事ないですよ?夕食の支度しますね」

「はぁ~い。ご馳走さまでした」

シンクに器を置いて、台所から出ると、部屋に向かう廊下まで、六人の声が響き、その声に、クスクスと笑いながら部屋の襖を閉めた。
そんな日々を過ごしていたが、仕事の締め切りが近付いてしまい、それ以降の誘いを全て断り、仕事を仕上げることになった。
まだ残ってはいるが、切羽詰まっていた仕事を終わらせ、子供たちとの約束を果たしに図書館を訪れた。

「やっほ~」

「れんちゃん!!」

「おしごとおわった!?」

「終わったよ?」

「じゃ、えほんよんで」

「いいよ?静かにしたらね?」

「はぁ~い」

子供達との楽しい時間を過ごし、帰宅すると、六人との賑やかな時間を過ごす。
それからも、仕事の合間に、影千代や羅偉と出掛けたり、季麗や皇牙と散歩をしたり、雪椰や菜門と買い物に行ったりと、色んな事を六人と楽しんで生活していた。
静かだった家の中が、賑やかになり、くだらない事でも笑える生活に、菜門でさえ、積極的に接するようになった。
それは、くだらない契約や子を成すなど関係なく、純粋に、この生活を謳歌してるようだ。
そんな日々を送り、仕事が落ち着き始めたある日。
事務所から帰って来ると、家に菜門すらいない。
真っ直ぐ部屋に向かい、畳に突っ伏していると、庭から一匹の黒猫が現れ、部屋に入ってきた。

「お疲れね」

「ん~…かなりね」

起き上がって、黒猫に向き直り、姿勢を正すと、斑尾が隣に座り、同じように姿勢を正した。

「どうだ?何か分かったか?」

真面目な雰囲気になると、黒猫も、真面目な雰囲気になった。

「あの者達、ただの妖かしではございません」

「どうゆう事?」

「ちょっと、厄介な妖かしでして…」

黒猫の説明に、頭を抱え項垂れた。

「どうする?」

「どうするも、こうするも、なんとしても、帰ってもらわなきゃ。このままじゃ、大変な事になっちゃう」

「それと、もう一つ、気になる事がありました」

「なに?」

「アレの気配が、里の周辺からしておりました」

「里の住人か?」

「分かりません。ただ、アレを持ち歩いているようで、常に移動しておりました」

「ヤバいな」

「早急に、手を打たなきゃね。ありがとう。そのまま、里の周辺を探ってみて?見付けたら、すぐに知らせて」

「御意」

黒猫が走り去るのを見送り、畳の上に寝転んだ。

「あの里に気配があるという事は、彼らに関係がある者の仕業となるな」

「そうかもね」

「また、お前の勘が当たったな」

「そうとは、限らないかも」

「どうしてだ?」

「里の周辺って事は、里の住人である可能性が出ただけで、彼らに関係してる可能性は、変わらない。もしかしたら、彼らじゃなくて、私達に関係している者が、彼らを利用しようとしてるだけかもしれないよ?」

悩むような仕草をした斑尾が、溜め息をついた時、ガラガラと、玄関が開く音が響いた。

ーどうやって里に行くー

ーこちらも、彼らを利用しようー

ー良いのか?ー

ー仕方ないよ。それに、彼らは、私を里の為に利用しようとしてるのだから、お互い様でしょ?ー

彼等が、寺に来た理由を利用し、里に向かう。
それが、一番確実であり、一番手っ取り早い方法だが、蟠りが残る方法でもある。
斑尾達が、大切にしようとしていたモノを利用しても良いのかと、罪悪感に苛まれる。

ーこれで…良いのかな?ー

ーお前が決めたのならば、我らは従うまでだー

頬を擦り寄せた斑尾の頭を撫でながら、その想いも、願いも、絶対に守り、誰にも傷付けさせないと、改めて、強い決意を宿すと、静かに眠りに落ちた。
仲良くなる前の状態に戻り、雪椰達は、少し苛立っていた。
あまり部屋から出ない。
会話らしい会話もしない。
あまり家に居ない。
同じ家で生活してるのに、何の発展もない。
彼等との接触を避け続け、一ヶ月が続きた頃、行動を起こしたのは、彼等の里の方だった。
多くの花が咲き乱れ、春の香りに混ざり、夏の陽射しが増したある日。
斑尾に寄り掛かり、本を読みながら、微睡んでいると、菜門達が部屋に訪れた。

「蓮花さん」

「ん~?」

本から視線を移すと、六人は、真剣な表情で、縁側に正座し、雪椰が口を開いた。

「一緒に来て下さい」

「何処に?」

「着いたら分かる」

影千代の答えは当然だ。
里が動いたことを知られては、周囲の悪妖達が慌て始め、大事を起こし兼ねない。

「あっそ。何しに行くの?」

「何もしなくていい。ただ、一緒に来るだけでいいんだ」

「ふぅ~ん。いいよ」

本に視線を戻すと、菜門達は、驚いたように、何度も瞬きをしていた。

「どうゆう風の向き回しだ」

「何が?」

「だって、いつも断られてたから」

この一ヶ月間、仕事や色々な口実を付け、その誘いの全てを断り続けた。
だが、里が動いたならば、もう、その必要もない。

「てっきり、嫌になったと思ってました」

「別に?そんな事ないよ」

嫌になった訳ではない。
何気ないことでも、貪欲に吸収し、変化を遂げる彼等は、非常に興味深く、面白い存在だ。
だが、彼等のような妖かしが、長く里を離れていては、非常にまずいのだ。
元のあるべき形に治さなければ、もっと厄介な問題が生じてしまう。
それだけは、なんとしても避けなければならない。

「別に?そんな事ないよ」

「大丈夫なんですか?」

里に近付く為、彼等の帰還を狙っていた。
今更、誘いに乗ったところで、なんの問題もない。

「仕事も一段落して暇だし。だから、別に気にしないで。明日でいい?」

「あ…あぁ」

影千代が気の抜けたら返事をし、他の五人は、間抜け面を晒して、唖然としている。
その様子は、本当に妖かしなのかと疑ってしまう程だ。

「…まだ何かあるの?」

「いえ。それでは、明日を楽しみにしてます」

やっと我に返り、六人は、バタバタと、その場から足早に去った。

ーいいのか?ー

ー丁度いいじゃない。手間が省けたしー

ーそうだが…ー

ー行きたくない?ー

グッと黙って、視線を泳がせる斑尾に、クスクスと、笑い声が漏れ出てしまった。

ー大丈夫。私が、なんとかするからー

目を細め、心底、安心したように、斑尾が、腕に頬を擦り寄せる。
そんな斑尾の頭を優しく撫でると、穏やかな時間が流れ、静かな寝息が木霊した。

「守ってみせるよ。斑尾」

寝ている斑尾の頬に、小さなキスを落とし、呟いた小さな言葉は、吹き込んできた風に乗って消え、多くの暖かなぬくもりが包み込む、優しい時間に浸った。
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