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十四話
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その後、日が暮れるまで、鬼ごっこや的当てなどをして遊んだ。
「雪姫~帰るわよ~」
雪姫の母親が、縁側に顔を出すと、二人は、慈雷夜の膝枕で、気持ち良さそうに寝ていた。
「あらあら。また寝てしまったんですか」
「えぇ。二人共、毎日、頑張ってますからね」
「そうですね」
二人の寝顔を見て、クスクスと笑い、慈雷夜が、今日の様子を話し、母親は、ニコニコと、微笑みを浮かべていた。
「ありがとうございました。失礼します」
「いえいえ。こちらこそ。お疲れ様でした」
寝ている雪姫を抱え、帰って行く母親を見送り、慈雷夜は、修螺の頬を優しく撫でた。
「おい。何故、子供に戦いのノウハウを教えるんだ」
真剣な顔の季麗に、横目で視線を向け、慈雷夜は、鼻で笑い、空を見上げた。
「子供だから。としか、言い様がありませんね。私達から見れば、何故、この子達に、それらを教えていないのか、とても不思議でなりません」
「当たり前だろ。子供を危険に晒すような真似など、大人であれば、避けなければならないはずだ。それが、大人である俺らの役目だ。それを…」
「それは、大人の自己満足にしか過ぎない」
口調が変わり、慈雷夜の纏っていた優しい雰囲気が一転し、冷たく厳しくなった。
「子供は、いつまでも子供のままで、大人は、いつまでも大人のままか」
横目で、季麗達を見つめる慈雷夜の瞳は、とても冷たかった。
「子供も成長すれば大人になる。大人は死んで逝く。そんな中で、この子達に、多くの事を教えてやるのが、大人である我らの役目なのだ。それを己の自己満足だけで、何も教えぬなど、それこそあってはならん事よ。勘違いするな」
普段の慈雷夜からは、想像も出来ない程、低く野太い声に、羅雪達の背中には、寒気が走り、体が震えた。
「だが、妖かしは、人や他の動物よりも、長く生きられる。今、子供達に多くを教える必要などない」
羅雪達と違い、季麗達は、真っ直ぐ慈雷夜を見つめて反論した。
「確かに、元々の寿命は、長いかもしれんが、死なぬ理由にはならん」
「だけど、すぐに死んだりなんかは…」
「明日には、死ぬかもしれん」
「何故、そうなる」
「形在るもの、生を持つものには、必ず死があるからだ」
慈雷夜の目が細められ、何処か遠く、過ぎ去った日々を思い出しているようだった。
「慈雷夜さん。良かったら、知っていることを教えて頂けませんか?」
慈雷夜は、静かに目を閉じた。
「…だだ、蜘蛛なだけで、嫌がられるのに、我と八蜘蛛は、その妖かしで、人々に恐れられ、嫌われていた」
蜘蛛の姿で、細々と生きていても、人は、それを許さない。
巣を作れば、すぐに取り払われ、発見されれば、すぐに追い払われる。
肩身の狭い暮らしで、我慢の限界を迎えた者が、暴れたりもしたが、結局は、陰陽師や祓い屋に退治されてしまった。
多くの同族が、死んで逝くのを見つめ、残った者は、飛び火を受け、追われる日々を送る。
「そんな中で、蓮花様だけは、我らを優しく、暖かく、迎え入れてくれた。その時、我らは、蓮花様から教わったのだ」
長く生きられることは、それだけ、多くの困難や苦悩を味わい、それを乗り越える知恵と力を身に付けられる。
「だが、それだけなのだ。形在るもの、生を持つものは、必ず消えてしまう。それは、妖かしである我らも、変わらない」
急な病に倒れるかもしれない。
誰かに殺されるかもしれない。
事故で死んでしまうかもしれない。
「予期せぬ出来事など、この世の中には溢れている。だからこそ、明日は、どうなるかなど誰も分からない。今、大人である我らも、いつかは、この世から消えて無くなる。そんな中、子供だからと、何も教えないまま、己が死んでしまったら、その子供達は、どう生きれば良い。長き時間の中を途方もなく迷わせるのか?それが、大人の役目なのか?」
慈雷夜の話は、今を飛び越え、遥か遠くの未来を見据えている。
「蓮花様が、そうしてるように、我も、我が知っている事の全てを教えてやりたい」
「蓮花さんから、どんな事を教えて頂けたのですか?」
「全てだ。生きる為に必要なことの全て」
「だからって、子供に戦いのノウハウは、必要ないんじゃない?」
「子供でも、自分の身を守れる程度の力は、必要なんじゃないのか」
「確かに、そうだが、それでも、今の修螺達には、早いんじゃないのか?」
「学ぶ事に、早いも遅いもないんじゃないか」
「あの。一つ、お聞きしても良いですか?」
険悪な雰囲気の影千代と慈雷夜の間に、ずっと、黙っていた雪椰が割って入った。
「村の子供達は、修螺達よりも、厳しい修行をしてると聞きましたが、それも、蓮花さんの教えですか?」
「そうだ」
「そんな無茶苦茶。一体、どんな教えなんだ」
「どんなに小さくても、強くなる権利がある。子供であっても、その意志は、尊重しなければならない」
「それじゃ、子供も、大人のように扱わなければならないだろう」
「全ての命は皆同じだ。子供でも、大人でも、同じでなければならない」
雪椰の振った話題でさえ、影千代と慈雷夜は、言い合いを始めてしまいそうになる。
そんな険悪な雰囲気の中で、修螺が動き始めた。
「おやおや。起きてしまいましたか」
一瞬にして普段の慈雷夜に戻り、体を起こした修螺を優しく支え、ニッコリ笑った。
「そろそろ、帰りましょうか」
眠そうに瞼を擦り、頷いた修螺と慈雷夜は、手を繋いで歩いて行く。
影千代は、拳を握り、その背中に、憎しみに染まった目を向けていた。
「影千代」
その肩に手を置き、季麗が首を振ると、影千代は、それを見て、大きな溜め息をついた。
「どうかしてる。あんな子供に戦いを教えるなんて。何を考えてるんだ」
「そんなこと誰も分からん」
「そうかな?俺は、なんとなく分かるな」
影千代が、奥歯を噛み締めて、皇牙を睨むと、雪椰が、盛大な溜め息をついた。
「どうして、そんなに、こだわってるのですか?」
「…修螺や雪姫を見て、お前らは、何も思わなかったのか」
「そりゃ、凄いと思ったよ?」
「そうですね」
「この短期間で、二人共、かなりの実力になったじゃないか。それの何が不満なんだ」
影千代は、拳を震わせ、季麗の手を払い除け、勢い良く振り返った。
「あれは、身を守るような戦い方じゃない。実戦向けだ。お前らは、修螺達を実戦に出す気か」
二人の手合わせで、感じた恐怖感を思い出し、季麗達の頬が引き吊った。
「これじゃ、二人に戦えと言ってるのと同じだ。無垢な子供に、そんなこと、あまりにも酷だ」
影千代の言い分にも一理あるが、皇牙だけは、それを納得しきれなかった。
「そんなこと言っても、いつかは、二人だって、戦いに出なきゃならない。そんな時が、あるかもしれないでしょ」
「だからと言って、今じゃなくとも良い」
「いつ習っても一緒でしょ?なら、今でも良いじゃない」
影千代が、皇牙に掴み掛かりそうになり、季麗が、二人の間に入り、影千代の肩を押しやった。
「それより、今は、羅偉の方が先だ。アイツを封印しないで済む方法を探さなければ」
「そうですね。僕も、蔵の古書を漁ってみます」
「俺らも、菜門と同じように、各々の蔵を調べてみるぞ。何か方法があるかもしれん」
「そうですね。では、これで解散にしましょう」
雪椰が一足先に歩き出し、それに続いて、季麗達も、それぞれの場所へと向かい、歩き始めた。
いつもの冷静で、物静かな影千代の雰囲気が、一変してしまい、葵は戸惑っていた。
天狗族の屋敷に戻っても、部屋に籠ってしまい、葵は、溜め息をつきながら、一人で蔵に向かった。
「すみません。荒らしてしまいましたか?」
蔵の近くに植えられた木から、蜘蛛の姿の慈雷夜が現れ、葵の肩に降り立った。
「いえ。こちらこそ、すみませんでした」
暗い顔をして、葵は、蔵の扉を開け、古書を漁り始めた。
「宜しければ、影千代殿の事を教えて頂けませんか?」
「ご両親の英才教育を受け、影千代様は、幼き頃から、族長としての座を約束されておりました」
だが、同年代の妖かし達と遊んだり、話をしたりすることが出来ず、いつも、一人で、必死に両親の期待に応えるべく、学問も、妖術も学び、学問所では、常に上位に入る程だったが、影千代の上には、必ず、皇牙の名前があった。
その為、両親の教育も、更に厳しくなった。
そんなこともあり、影千代は、学生でありながら、大人以上の実力になり、学問所に通いながらも、何かあれば、大人達に交じり、その腕を振るわなければならなくなった。
「影千代様は、それで、とても苦しく、淋しい思いをしました」
「それで、影千代殿は、あんなにも、修螺達の事で、熱くなられたのですか…それは、悪い事をしましたね」
慈雷夜の申し訳なさそうな雰囲気に、葵は、小さく微笑んだ。
「ですが、修螺達の事は、譲れません」
「どうして、あの様に、実戦向けの戦闘方法を教えてるのですか?」
「当たり前ですよ。強くなりたいと願う者に、子供騙しのような事を教えられませんよ」
「しかし、彼らは、自身の身を守れる程度ならば、別に、子供騙しでも良いのでは?」
「葵殿は、襲われた時、いつも護身で戦っているのですか?」
「いえ。もしもの事を考え、里を守る為に戦います」
「何故ですか?」
葵は、肩に乗る慈雷夜を見つめた。
「何故、もしもの事を考えるのですか?何故、里を守るのですか?」
「それは、大事な里を守る為なら、当然ですよ」
「あの子達も、同じ気持ちなんですよ?」
葵の目が、少しずつ大きくなり、慈雷夜は、肩から飛び降りると、蔵の鉄格子の窓に向かい、壁を登り始めた。
「あの子達も、影千代殿や葵殿と同じように、大事なモノを守りたい。そんな気持ちなんですよ?それを踏みにじる様なこと、私には出来ません」
「…っ!!待って!!」
呼び止める声など聞かず、慈雷夜は、さっさと出て行ってしまい、葵は、薄暗い蔵の中で、一人、その場に座り込み、ボーッと鉄格子を見上げていた。
葵が、二人の想いを理解すると、扉を開け放したまま、影千代の元へと走った。
「影千代様!!」
「なんだ。騒々しいぞ」
葵は、影千代の側で、正座をすると、深々と頭を下げ、慈雷夜が来ていたこと、修螺達の想いを伝えた。
「…影千代様。自分は、彼らよりも、天戒の方が、可哀想に感じます」
影千代の眉間に、シワが寄り、強い殺気が漂った。
「お前は、俺の指導が甘いとでも言いたいのか」
「違います。天戒の想いを影千代様に理解してもらえない。それが、とても惨めで、可哀想に思えるのです」
「想いだけで強くなどなれん」
「しかし、短期間で修螺と雪姫は、あれ程、強くなりました」
「それは、アイツが、厳しい修行を…」
「気持ちがなければ、強くなりません」
強い口調で影千代の声を遮り、頭を上げた葵の視線が、驚く程、真っ直ぐに向けられた。
「あの様な厳しい修行、大人であっても、すぐに投げ出してしまいたくなります。しかし、修螺達は、弱音も吐かず、投げ出さないのは、それだけ、強い気持ちがあるからなんです」
影千代を真っ直ぐに見つめ、拳を作る葵の姿は、初めてだった。
「…どうか…天戒の気持ちと向き合ってやって下さい」
その姿に驚き、何も言えずにいると、再び頭を下げ、葵は、そのまま、部屋を出て行ってしまった。
突然のことで、何も考えられず、ただ襖を見つめていたが、暫くして、影千代は、見えない力に動かされたように立ち上がると、天戒の元へと向かった。
「天戒」
庭の片隅、一人で、必死に修行をしている天戒に声を掛けると、手招きをして、影千代は、縁側に片膝を着いた。
「天戒。お前は、どのようになりたい」
「お師匠様のように、強くなりたいです」
改めて、影千代に聞かれ、天戒は、首を傾げた。
影千代は、そんな天戒を真っ直ぐに見つめた。
「本当に強くなれるが、厳しい修行をしなければならなかったら、お前はどうする」
「頑張ります」
「泣き言や弱音を吐くことが、許されないとしてもか?」
「はい」
天戒と見つめ合い、影千代は、フゥ~と息を吐き出してから、腕組をした。
「お師匠様?」
「天戒。明日、一緒に来い」
「何処にですか?」
「行けば分かる。今日は、もう寝ろ」
差し出された手を握り、縁側に上ると、天戒は、訳が分からず、首を傾げていたが、素直に影千代に従い、部屋に戻ることにした。
「分かりました。おやすみなさい」
「あぁ」
天戒の背中を見送り、影千代が、蔵に向かうと、そこには、嬉しそうに微笑む葵が立っていた。
そんな葵に、影千代は、鼻で溜め息をつき、蔵の扉を開けた。
「何かあったか?」
「いえ。まだ何も見付かっておりません」
「そうか。今日は、早めに切り上げるからな」
「はい」
だが、古書を漁るのに夢中になった。
空が明るくなるのも、夜が明け始めていたことさえも、薄暗い蔵の中では分からず、葵が気付いた時には、もう修螺達の修行が始まる時間になっていた。
仮眠もせず、影千代は、天戒を連れ、屋敷に向かうと、よく晴れた空から、ハラハラと舞う雪が、二人の頬を掠めた。
「力み過ぎです!!しっかり集中なさい!!」
「はい!!」
雪を纏った風が、徐々に小さくなり、慈雷夜の糸で作られた的の中心を凍り付かせる。
「今です!!」
舞い上がっていた雪が、小さな氷柱となり、凍った糸を砕いて、風の中に散り、大きな結晶を修螺の雷が粉々に砕いた。
「もっと細くなさい!!」
「はい!!」
修螺の雷が細くなり、結晶を掠めると、慈雷夜の糸が、それらを集め、雪姫に向けて投げた。
雪姫が、それを避けると、拳を炎で包んだ修螺が、殴り飛ばした。
肩で息をしながら、粉々に砕けた結晶が、ハラハラと舞い落ち、二人を包んでいた。
「…すごい…」
朝日を浴び、キラキラと輝く光の中に立つ二人を見つめ、天戒の口から、心底、驚いた呟きが漏れた。
「おや。来てましたか」
その小さな声にも反応し、振り返った慈雷夜が、影千代と天戒の姿に、小さく微笑むと、汗を拭いながら、雪姫と修螺も、二人に視線を向けた。
「おはようございます」
「あぁ」
「そちらは?」
慈雷夜の視線は、天戒に向いていた。
雪姫と修螺も、慈雷夜を挟んで立つと、天戒を見つめていた。
「俺の弟子だ。少し相手をしてやってくれ」
「そうですか。ですが、我らは、実戦向きです。彼に対応出来ますか?」
じっと見下ろす影千代を見上げ、天戒は、不安そうな顔をしていた。
「分からん」
目を閉じた影千代を見つめ、慈雷夜は目を細めた。
「朝の修行は、これくらいにして、朝食まで遊びましょうか」
「良いんですか?」
「はい。皆で遊びましょう」
「やった」
喜びに飛び跳ねて、雪姫と修螺は、天戒に顔を向け、嬉しそうに笑った。
「私、雪姫」
「僕は修螺。君は?」
「天戒と申します」
「天戒君。一緒に遊ぼう?」
天戒に視線を向けられ、影千代は、盛大な溜め息をついて頷いた。
それを見て、天戒も、嬉しそうな顔をすると、三人に視線を戻した。
「では、何からしましょうか?」
「的当て!!」
「追いかけっこだよ」
「修螺、早いから、なかなか終わんないじゃん」
「だからって、的当てばっかじゃつまんないよ。それに、僕、的当て苦手だなぁ」
「苦手だからって、やんないのは、良くないんだよ?」
「それ言ったら、雪姫ちゃんだって、終わらないからって、やんないのは、良くないよ?」
本気で言い合っているのか、冗談で言い合っているのか、分からない二人を見つめ、天戒が、話についていけなくなると、慈雷夜が手を叩いた。
「では、最初に追いかけっこをして、次に的当てをしましょう」
「二つも出来ますか?」
「大丈夫です。私が、捕まえますから」
「それならやる~」
二人に抱き付かれ、笑っている慈雷夜を見つめ、天戒は、不安そうに下を向いた。
「では、やりますよ?」
「はぁ~い!!」
二人が走って離れると、慈雷夜は、天戒に視線を向け、優しく微笑んだ。
「さぁ。天戒殿も逃げて下さい」
「え?あ…えっと…」
「おーい!!天戒く~ん!!」
「早く~!!」
二人に呼ばれ、不安そうにしていた天戒も、元気に走り出し、影千代は縁側に座った。
「では、いきますよ~」
ただの追いかけっこだと、思っていた影千代の期待は、次の瞬間、見事に裏切られた。
慈雷夜が声を掛けると、雪姫と修螺は二手に分かれ、一気に走り出し、天戒も一足遅れて走り出した。
だが、その足に、慈雷夜の糸が絡み付き、転びそうになった。
「天戒君!!飛んでも良いんだよ!!」
木に登った修螺の言葉で、天戒は、足の糸を切って、翼を羽ばたかせたが、慈雷夜の糸が、張られていて、上手く飛べない。
焦った天戒が振り返ると、慈雷夜が糸を放つが、修螺は、それを上手く避けて逃げた。
「おぉ。上手く避けましたね」
「えへへ。捕まりたくないですもん」
「ならば、次にいきましょう」
今度は、雪姫に向かい糸を放つが、パチンと指を鳴らし、糸を凍らせて逃げ出した。
「こちらも、やられましたか」
「私もやですよ~」
「では、次です」
今度は、二人同時に糸を放つと、慈雷夜は、修螺の目の前に現れた。
だが、修螺も、慈雷夜に負けない位の速さで動き、雪姫の方へと走っていた。
「おやおや。また、逃げられましたか」
「だって、今日の慈雷夜さん、ちょっと遅いですから」
「そりゃ、初めて遊ぶ子がいるのですから、当然ですよ」
「それじゃ、いつまで経っても、終わんないですよ?」
「それもそうですね…それでは、いつも通りに行きます」
次の瞬間、慈雷夜の速さが増し、風のように駆け出すと、二人も、同じように速さが増してしまい、天戒は、完全についていけなくなった。
「捕まえました」
修螺を抱えた慈雷夜の姿が見え、雪姫は、ケタケタと笑っていたが、天戒は、驚くしか出来なかった。
「いつまで、笑ってるのですか?」
また走り出した慈雷夜と逃げる雪姫を見つめ、天戒は、その場にボーッと立ち尽くしていた。
「捕まえましたよ?」
天戒は、慈雷夜の腕の中で、ケタケタと笑う雪姫と修螺を見つめた。
「どうしました?逃げないのですか?」
優しく微笑んだ慈雷夜に、視線を向けられ、天戒は、糸の隙間を縫うようにして、やっと動き出したが、その腕に抱き止められていた。
「はい。捕まえました」
何が起きたのか分からず、ボーッとする天戒を見下ろす慈雷夜は、とても優しく微笑んでいた。
「もっと、周りを見た方が良いですよ?」
ニッコリ笑う慈雷夜に、修螺と雪姫が抱き付き、天戒から、その腕のぬくもりが離れた。
「慈雷夜さん。次、的当てですよ?」
「そうですね。では、ちょっと待って下さい」
池の上に、慈雷夜の糸で的が作られると、雪姫が手を挙げた。
「私一番!!」
「じゃ、僕が二番。天戒君は、最後で良い?」
天戒が頷くと、修螺は、ニッコリ笑って、的の方に視線を向けた。
「いっきま~す!!えい!!」
雪姫が、雪の玉を投げると、慈雷夜の糸に引っ掛かった。
「あ~ずれちゃった」
中央から、少し離れただけでも、雪姫は、悔しそうに声を上げ、頬を膨らませた。
「次、僕の番ね?」
修螺が、小石を拾って投げると、雪姫よりも、多少離れているが、ちゃんと糸に引っ掛かった。
「あ~。なんで、雪姫ちゃんは、そんなに上手なの?」
「えへへ~。ナイショ~」
「教えてよ~」
「やぁよ」
修螺が、プクッと頬を膨らませたが、それを気にすることもなく、雪姫は、小石を拾うと、天戒に差し出した。
「天戒君の番」
それを受け取り、投げてみたが、ポチャンと音を発てて、小石は、池に落ちてしまい、天戒は、哀しそうな目をして、うつ向いてしまった。
「ねぇ。天戒君」
視線を向けると、雪姫は、天戒に小石を渡して、真っ直ぐ的を指差した。
「あの真ん中に集中して投げてみて?」
天戒は、雪姫の指差す先に向かって、小石を投げてみたが、また池の中へと沈んでしまった。
「惜しい~。もう一回」
修螺に小石を握らされたが、自棄になり、適当に投げた。
全く検討違いの所に飛んで行ってしまい、二人は、ぶっ垂れる天戒を見つめた。
「…楽しくない?」
雪姫が聞いてみても、天戒は、ぶっ垂れたまま、何も言わなかった。
「…やめようか」
「そうだね。慈雷夜さん。修行の続きしよう」
「おや。良いのですか?」
「だって…」
唇を噛む天戒を見てから、修螺と雪姫に視線を戻し、ニッコリ笑った。
「分かりました。では、先程の続きから」
天戒から離れ、三人は、修行を始めてしまい、天戒は、トボトボと、影千代の所に戻り、静かに縁側に座った。
「お師匠様…僕も…なりたいです…」
天戒は、修行をしている三人を真っ直ぐに見つめた。
「僕も、あの二人みたいになりたいです」
「だが、それには、今までが、比じゃない程の厳しい修行をしなきゃならんぞ?」
「頑張ります」
「遊ぶ時間などなくなるぞ?」
「…大丈夫です」
暫く黙っていると、影千代は、真っ直ぐ三人を指差した。
「あの男は、蓮花の式神と言って、蓮花に全てを捧げた妖かしだ。雪姫は、雪を降らせられないと言って、蓮花に教わり、降らせられるようになった。修螺は、半妖だと言われ、同族達にいじめられていたのを蓮花に助けられ、強くなることが出来た。あの三人の共通点は分かるか?」
「…蓮花様ですか?」
「そうだ。だが、それだけじゃない。分かるか?」
影千代は、真っ直ぐ三人を見つめて、もう一つの共通点を探るような天戒を横目で、見下ろした。
「それが分かるまでは、今までと同じ修行をしろ」
「…はい」
それから、天戒は、日頃の修行に加え、影千代と一緒に屋敷を訪れ、必死に三人を観察して、共通点を探していた。
「あの!!」
影千代の姿が見えない時、天戒は、休憩をしている三人に声を掛けた。
「なに?」
村から取り寄せた菓子を食べている三人に視線を向けられ、一瞬、後退りをしそうになったが、天戒は、フゥ~と息を吐いて、その場に留まった。
「お二人は、どのようになりたいのですか?」
天戒の疑問に、雪姫と修螺は、慈雷夜を見上げた。
「慈雷夜さんみたいに、大好きな人を支えられるようになりたい」
「私も。あと、大好きな人の大切なモノを一緒に守れるようになりたいな」
「僕も。それから、羅偉様や茉様の役に立てる大人になりたいな」
「私も。あとあと…」
目を輝かせながら、二人が、あれこれ言い始め、天戒は、口を半開きにした。
「これこれ。そんな欲張らないで。どれか一つを目指さなければ、駄目ですよ?」
慈雷夜が、困ったように、目尻を下げると、二人は、不満そうな顔をした。
「智呂ちゃんも、同じように言ってましたよ?」
「なんで、一つなんですか?」
「智呂は、一つ一つ、ちゃんと、目標を達成してから、次を目指してるんです」
「あ。そうなんですね。なら、私は、ママを守れるくらい強くなる」
「じゃ、僕は、雪姫ちゃんを守れるようになろうかな」
「私、そんな弱くないもん」
頬を膨らませる雪姫を見て、視線を泳がせる修螺に、慈雷夜は、クスクス笑った。
「でしたら、修螺殿は、雪姫殿を守りながらも、自分が傷付けられないようになるのは、どうですか?」
「はぁ~い。天戒君は、どうなりたいの?」
「僕は…」
二人に出会うまでは、胸を張って、影千代のようになりたいと言っていたが、今の天戒は、それを口にするのに躊躇ってしまった。
「…お師匠様…みたいに…なりたい」
「どうして?」
すぐに返って来た雪姫の疑問に、どうして、そうなりたいのかが、自分でも分からず、天戒は悩んだ。
「…影千代様って、格好いいですよね?」
修螺が、慈雷夜を見上げて、ニッコリ笑った。
「確かに。あの黒髪は、凄く素敵ですね」
「そうかな?私は、雪椰様の方が良いな。とっても優しいもん」
「それなら、僕は、羅偉様が、一番、強くて格好いいと思うな」
「天戒殿」
名前を呼ばれ、視線を向けると、慈雷夜は、優しく微笑んだ。
「影千代殿の何処が、お好きなんですか?」
「えっと。お強くて、お優しくて、飛ぶのがお上手で…」
影千代の事を思い出し、夢中になって、好きな所や凄いと思うところを言う天戒は、とても嬉しそうに頬を緩めた。
「では、改めて。天戒殿は、どのようになりたいですか?」
天戒は、少し考えてから、小さく頷き、視線を上げて胸を張った。
「お師匠様のように、なんでも守れるように、強くなりたいです」
そんな天戒を見て、三人で視線を合わせて、ニッコリ笑うと、雪姫は、天戒に視線を戻した。
「お互い、頑張ろうね」
「はい。ところで、どうしたら、慈雷夜様みたいに、強くなれるんですか?」
「慈雷夜さんも、まだまだ強くなってる途中なんだよ?」
「どうしてですか?とても、お強いじゃないですか」
「それがねぇ…」
慈雷夜の代わりに、雪姫と修螺が、自分の事のように、得意気になっていた。
「…そうか…やっと、分かりました」
「何が?」
修螺に聞かれ、天戒が、影千代に言われたことを話すと、慈雷夜は、嬉しそうに微笑んだ。
「それで?その共通点って何?」
慈雷夜と同じように、修螺も、ニコニコ笑って聞くと、天戒は、胸を張って答えた。
「三人共、大好きな人の為に、必死に、頑張って、強くなってるってことです」
「良く分かったな」
そこに、葵が、お盆を持って現れた。
「葵様…この事は…影千代様には…」
「大丈夫。言ったりしないよ」
「それ、なんですか?」
ワクワクしたように、雪姫が、お盆を指差し、期待に、目を輝かせるのを見て、葵は、ニコッと笑った。
「天戒に、色々教えてくれたから、二人に、お礼を持って来たんだ」
二人の前に置かれたお盆には、色とりどりの金平糖と鮮やかな朱色のお茶が、乗せられていた。
「天戒も。皆と仲良くね?」
「はい」
葵が、二人に湯呑みを渡し、天戒にも、同じように湯呑みを渡すと、三人は、仲良く金平糖を口に入れ、笑いながら、子供らしく遊びの話を始めた。
「ありがとう」
「何がですか?」
別に気にする様子もなく、慈雷夜は、優しく微笑みながら、隣に座った葵に顔を向けた。
「天戒の事だ。影千代様は、ご自身の経験上、天戒の修行を無意識に軽くしていたんだ」
修螺と雪姫に挟まれ、頬を赤らめながら、楽しそうに笑う天戒を見つめ、嬉しそうに、小さく笑っている葵を見て、慈雷夜も、三人に視線を移して、小さく笑った。
「修螺殿。雪姫殿。的当ての続きをしてみては、どうですか?」
「え…でも…」
天戒を見つめ、不安そうな顔をする二人に、慈雷夜は、庭に視線を向けて、見えない位置にある池の方へと手を翳し、水面に着いてしまいそうな程、大きな的を作った。
「この位なら大丈夫でしょう。天戒殿。的当ては、とても大切な修行でもあるのですよ」
「どうしてですか?」
「敵の弱点を正確に狙う為です。ですから、途中で投げ出さず、当たるまで、やってみてみましょうか」
人差し指を立てて、そう説明すると、天戒は、雪姫と修螺を交互に見て、畳に視線を落とした。
「教えてもらえますか?」
「良いよ。じゃ、行こう」
二人に手を引かれ、天戒は、池の方に向かった。
その横顔は、恥ずかしそうに赤らんでいたが、とても嬉しそうに微笑んでいた。
慈雷夜は、優しく微笑みながらも、三人を見送ると、淋しそうに目を細めた。
「蓮花様に出会う前、私は、八蜘蛛と違い、肩身の狭い生活が嫌になり、暴れてしまいそうになった事があるんです」
突然、そう切り出して、慈雷夜は、自分の事を語り始めた。
「偉そうな言い方をしましたが、本当は、あの様な事…言えるような立場じゃないのです…」
ただ蜘蛛というだけで、とても苦しい思いをし、同族達が、次々に人々を襲い、更に、苦しくなると、慈雷夜は、生きることなど、どうでも良くなり、フラフラと村に入り、一件の民家を襲った。
「それが、蓮花様の住んでいた村でした」
だが、民家の住人は、慈雷夜よりも強い妖かしだった。
「雪姫~帰るわよ~」
雪姫の母親が、縁側に顔を出すと、二人は、慈雷夜の膝枕で、気持ち良さそうに寝ていた。
「あらあら。また寝てしまったんですか」
「えぇ。二人共、毎日、頑張ってますからね」
「そうですね」
二人の寝顔を見て、クスクスと笑い、慈雷夜が、今日の様子を話し、母親は、ニコニコと、微笑みを浮かべていた。
「ありがとうございました。失礼します」
「いえいえ。こちらこそ。お疲れ様でした」
寝ている雪姫を抱え、帰って行く母親を見送り、慈雷夜は、修螺の頬を優しく撫でた。
「おい。何故、子供に戦いのノウハウを教えるんだ」
真剣な顔の季麗に、横目で視線を向け、慈雷夜は、鼻で笑い、空を見上げた。
「子供だから。としか、言い様がありませんね。私達から見れば、何故、この子達に、それらを教えていないのか、とても不思議でなりません」
「当たり前だろ。子供を危険に晒すような真似など、大人であれば、避けなければならないはずだ。それが、大人である俺らの役目だ。それを…」
「それは、大人の自己満足にしか過ぎない」
口調が変わり、慈雷夜の纏っていた優しい雰囲気が一転し、冷たく厳しくなった。
「子供は、いつまでも子供のままで、大人は、いつまでも大人のままか」
横目で、季麗達を見つめる慈雷夜の瞳は、とても冷たかった。
「子供も成長すれば大人になる。大人は死んで逝く。そんな中で、この子達に、多くの事を教えてやるのが、大人である我らの役目なのだ。それを己の自己満足だけで、何も教えぬなど、それこそあってはならん事よ。勘違いするな」
普段の慈雷夜からは、想像も出来ない程、低く野太い声に、羅雪達の背中には、寒気が走り、体が震えた。
「だが、妖かしは、人や他の動物よりも、長く生きられる。今、子供達に多くを教える必要などない」
羅雪達と違い、季麗達は、真っ直ぐ慈雷夜を見つめて反論した。
「確かに、元々の寿命は、長いかもしれんが、死なぬ理由にはならん」
「だけど、すぐに死んだりなんかは…」
「明日には、死ぬかもしれん」
「何故、そうなる」
「形在るもの、生を持つものには、必ず死があるからだ」
慈雷夜の目が細められ、何処か遠く、過ぎ去った日々を思い出しているようだった。
「慈雷夜さん。良かったら、知っていることを教えて頂けませんか?」
慈雷夜は、静かに目を閉じた。
「…だだ、蜘蛛なだけで、嫌がられるのに、我と八蜘蛛は、その妖かしで、人々に恐れられ、嫌われていた」
蜘蛛の姿で、細々と生きていても、人は、それを許さない。
巣を作れば、すぐに取り払われ、発見されれば、すぐに追い払われる。
肩身の狭い暮らしで、我慢の限界を迎えた者が、暴れたりもしたが、結局は、陰陽師や祓い屋に退治されてしまった。
多くの同族が、死んで逝くのを見つめ、残った者は、飛び火を受け、追われる日々を送る。
「そんな中で、蓮花様だけは、我らを優しく、暖かく、迎え入れてくれた。その時、我らは、蓮花様から教わったのだ」
長く生きられることは、それだけ、多くの困難や苦悩を味わい、それを乗り越える知恵と力を身に付けられる。
「だが、それだけなのだ。形在るもの、生を持つものは、必ず消えてしまう。それは、妖かしである我らも、変わらない」
急な病に倒れるかもしれない。
誰かに殺されるかもしれない。
事故で死んでしまうかもしれない。
「予期せぬ出来事など、この世の中には溢れている。だからこそ、明日は、どうなるかなど誰も分からない。今、大人である我らも、いつかは、この世から消えて無くなる。そんな中、子供だからと、何も教えないまま、己が死んでしまったら、その子供達は、どう生きれば良い。長き時間の中を途方もなく迷わせるのか?それが、大人の役目なのか?」
慈雷夜の話は、今を飛び越え、遥か遠くの未来を見据えている。
「蓮花様が、そうしてるように、我も、我が知っている事の全てを教えてやりたい」
「蓮花さんから、どんな事を教えて頂けたのですか?」
「全てだ。生きる為に必要なことの全て」
「だからって、子供に戦いのノウハウは、必要ないんじゃない?」
「子供でも、自分の身を守れる程度の力は、必要なんじゃないのか」
「確かに、そうだが、それでも、今の修螺達には、早いんじゃないのか?」
「学ぶ事に、早いも遅いもないんじゃないか」
「あの。一つ、お聞きしても良いですか?」
険悪な雰囲気の影千代と慈雷夜の間に、ずっと、黙っていた雪椰が割って入った。
「村の子供達は、修螺達よりも、厳しい修行をしてると聞きましたが、それも、蓮花さんの教えですか?」
「そうだ」
「そんな無茶苦茶。一体、どんな教えなんだ」
「どんなに小さくても、強くなる権利がある。子供であっても、その意志は、尊重しなければならない」
「それじゃ、子供も、大人のように扱わなければならないだろう」
「全ての命は皆同じだ。子供でも、大人でも、同じでなければならない」
雪椰の振った話題でさえ、影千代と慈雷夜は、言い合いを始めてしまいそうになる。
そんな険悪な雰囲気の中で、修螺が動き始めた。
「おやおや。起きてしまいましたか」
一瞬にして普段の慈雷夜に戻り、体を起こした修螺を優しく支え、ニッコリ笑った。
「そろそろ、帰りましょうか」
眠そうに瞼を擦り、頷いた修螺と慈雷夜は、手を繋いで歩いて行く。
影千代は、拳を握り、その背中に、憎しみに染まった目を向けていた。
「影千代」
その肩に手を置き、季麗が首を振ると、影千代は、それを見て、大きな溜め息をついた。
「どうかしてる。あんな子供に戦いを教えるなんて。何を考えてるんだ」
「そんなこと誰も分からん」
「そうかな?俺は、なんとなく分かるな」
影千代が、奥歯を噛み締めて、皇牙を睨むと、雪椰が、盛大な溜め息をついた。
「どうして、そんなに、こだわってるのですか?」
「…修螺や雪姫を見て、お前らは、何も思わなかったのか」
「そりゃ、凄いと思ったよ?」
「そうですね」
「この短期間で、二人共、かなりの実力になったじゃないか。それの何が不満なんだ」
影千代は、拳を震わせ、季麗の手を払い除け、勢い良く振り返った。
「あれは、身を守るような戦い方じゃない。実戦向けだ。お前らは、修螺達を実戦に出す気か」
二人の手合わせで、感じた恐怖感を思い出し、季麗達の頬が引き吊った。
「これじゃ、二人に戦えと言ってるのと同じだ。無垢な子供に、そんなこと、あまりにも酷だ」
影千代の言い分にも一理あるが、皇牙だけは、それを納得しきれなかった。
「そんなこと言っても、いつかは、二人だって、戦いに出なきゃならない。そんな時が、あるかもしれないでしょ」
「だからと言って、今じゃなくとも良い」
「いつ習っても一緒でしょ?なら、今でも良いじゃない」
影千代が、皇牙に掴み掛かりそうになり、季麗が、二人の間に入り、影千代の肩を押しやった。
「それより、今は、羅偉の方が先だ。アイツを封印しないで済む方法を探さなければ」
「そうですね。僕も、蔵の古書を漁ってみます」
「俺らも、菜門と同じように、各々の蔵を調べてみるぞ。何か方法があるかもしれん」
「そうですね。では、これで解散にしましょう」
雪椰が一足先に歩き出し、それに続いて、季麗達も、それぞれの場所へと向かい、歩き始めた。
いつもの冷静で、物静かな影千代の雰囲気が、一変してしまい、葵は戸惑っていた。
天狗族の屋敷に戻っても、部屋に籠ってしまい、葵は、溜め息をつきながら、一人で蔵に向かった。
「すみません。荒らしてしまいましたか?」
蔵の近くに植えられた木から、蜘蛛の姿の慈雷夜が現れ、葵の肩に降り立った。
「いえ。こちらこそ、すみませんでした」
暗い顔をして、葵は、蔵の扉を開け、古書を漁り始めた。
「宜しければ、影千代殿の事を教えて頂けませんか?」
「ご両親の英才教育を受け、影千代様は、幼き頃から、族長としての座を約束されておりました」
だが、同年代の妖かし達と遊んだり、話をしたりすることが出来ず、いつも、一人で、必死に両親の期待に応えるべく、学問も、妖術も学び、学問所では、常に上位に入る程だったが、影千代の上には、必ず、皇牙の名前があった。
その為、両親の教育も、更に厳しくなった。
そんなこともあり、影千代は、学生でありながら、大人以上の実力になり、学問所に通いながらも、何かあれば、大人達に交じり、その腕を振るわなければならなくなった。
「影千代様は、それで、とても苦しく、淋しい思いをしました」
「それで、影千代殿は、あんなにも、修螺達の事で、熱くなられたのですか…それは、悪い事をしましたね」
慈雷夜の申し訳なさそうな雰囲気に、葵は、小さく微笑んだ。
「ですが、修螺達の事は、譲れません」
「どうして、あの様に、実戦向けの戦闘方法を教えてるのですか?」
「当たり前ですよ。強くなりたいと願う者に、子供騙しのような事を教えられませんよ」
「しかし、彼らは、自身の身を守れる程度ならば、別に、子供騙しでも良いのでは?」
「葵殿は、襲われた時、いつも護身で戦っているのですか?」
「いえ。もしもの事を考え、里を守る為に戦います」
「何故ですか?」
葵は、肩に乗る慈雷夜を見つめた。
「何故、もしもの事を考えるのですか?何故、里を守るのですか?」
「それは、大事な里を守る為なら、当然ですよ」
「あの子達も、同じ気持ちなんですよ?」
葵の目が、少しずつ大きくなり、慈雷夜は、肩から飛び降りると、蔵の鉄格子の窓に向かい、壁を登り始めた。
「あの子達も、影千代殿や葵殿と同じように、大事なモノを守りたい。そんな気持ちなんですよ?それを踏みにじる様なこと、私には出来ません」
「…っ!!待って!!」
呼び止める声など聞かず、慈雷夜は、さっさと出て行ってしまい、葵は、薄暗い蔵の中で、一人、その場に座り込み、ボーッと鉄格子を見上げていた。
葵が、二人の想いを理解すると、扉を開け放したまま、影千代の元へと走った。
「影千代様!!」
「なんだ。騒々しいぞ」
葵は、影千代の側で、正座をすると、深々と頭を下げ、慈雷夜が来ていたこと、修螺達の想いを伝えた。
「…影千代様。自分は、彼らよりも、天戒の方が、可哀想に感じます」
影千代の眉間に、シワが寄り、強い殺気が漂った。
「お前は、俺の指導が甘いとでも言いたいのか」
「違います。天戒の想いを影千代様に理解してもらえない。それが、とても惨めで、可哀想に思えるのです」
「想いだけで強くなどなれん」
「しかし、短期間で修螺と雪姫は、あれ程、強くなりました」
「それは、アイツが、厳しい修行を…」
「気持ちがなければ、強くなりません」
強い口調で影千代の声を遮り、頭を上げた葵の視線が、驚く程、真っ直ぐに向けられた。
「あの様な厳しい修行、大人であっても、すぐに投げ出してしまいたくなります。しかし、修螺達は、弱音も吐かず、投げ出さないのは、それだけ、強い気持ちがあるからなんです」
影千代を真っ直ぐに見つめ、拳を作る葵の姿は、初めてだった。
「…どうか…天戒の気持ちと向き合ってやって下さい」
その姿に驚き、何も言えずにいると、再び頭を下げ、葵は、そのまま、部屋を出て行ってしまった。
突然のことで、何も考えられず、ただ襖を見つめていたが、暫くして、影千代は、見えない力に動かされたように立ち上がると、天戒の元へと向かった。
「天戒」
庭の片隅、一人で、必死に修行をしている天戒に声を掛けると、手招きをして、影千代は、縁側に片膝を着いた。
「天戒。お前は、どのようになりたい」
「お師匠様のように、強くなりたいです」
改めて、影千代に聞かれ、天戒は、首を傾げた。
影千代は、そんな天戒を真っ直ぐに見つめた。
「本当に強くなれるが、厳しい修行をしなければならなかったら、お前はどうする」
「頑張ります」
「泣き言や弱音を吐くことが、許されないとしてもか?」
「はい」
天戒と見つめ合い、影千代は、フゥ~と息を吐き出してから、腕組をした。
「お師匠様?」
「天戒。明日、一緒に来い」
「何処にですか?」
「行けば分かる。今日は、もう寝ろ」
差し出された手を握り、縁側に上ると、天戒は、訳が分からず、首を傾げていたが、素直に影千代に従い、部屋に戻ることにした。
「分かりました。おやすみなさい」
「あぁ」
天戒の背中を見送り、影千代が、蔵に向かうと、そこには、嬉しそうに微笑む葵が立っていた。
そんな葵に、影千代は、鼻で溜め息をつき、蔵の扉を開けた。
「何かあったか?」
「いえ。まだ何も見付かっておりません」
「そうか。今日は、早めに切り上げるからな」
「はい」
だが、古書を漁るのに夢中になった。
空が明るくなるのも、夜が明け始めていたことさえも、薄暗い蔵の中では分からず、葵が気付いた時には、もう修螺達の修行が始まる時間になっていた。
仮眠もせず、影千代は、天戒を連れ、屋敷に向かうと、よく晴れた空から、ハラハラと舞う雪が、二人の頬を掠めた。
「力み過ぎです!!しっかり集中なさい!!」
「はい!!」
雪を纏った風が、徐々に小さくなり、慈雷夜の糸で作られた的の中心を凍り付かせる。
「今です!!」
舞い上がっていた雪が、小さな氷柱となり、凍った糸を砕いて、風の中に散り、大きな結晶を修螺の雷が粉々に砕いた。
「もっと細くなさい!!」
「はい!!」
修螺の雷が細くなり、結晶を掠めると、慈雷夜の糸が、それらを集め、雪姫に向けて投げた。
雪姫が、それを避けると、拳を炎で包んだ修螺が、殴り飛ばした。
肩で息をしながら、粉々に砕けた結晶が、ハラハラと舞い落ち、二人を包んでいた。
「…すごい…」
朝日を浴び、キラキラと輝く光の中に立つ二人を見つめ、天戒の口から、心底、驚いた呟きが漏れた。
「おや。来てましたか」
その小さな声にも反応し、振り返った慈雷夜が、影千代と天戒の姿に、小さく微笑むと、汗を拭いながら、雪姫と修螺も、二人に視線を向けた。
「おはようございます」
「あぁ」
「そちらは?」
慈雷夜の視線は、天戒に向いていた。
雪姫と修螺も、慈雷夜を挟んで立つと、天戒を見つめていた。
「俺の弟子だ。少し相手をしてやってくれ」
「そうですか。ですが、我らは、実戦向きです。彼に対応出来ますか?」
じっと見下ろす影千代を見上げ、天戒は、不安そうな顔をしていた。
「分からん」
目を閉じた影千代を見つめ、慈雷夜は目を細めた。
「朝の修行は、これくらいにして、朝食まで遊びましょうか」
「良いんですか?」
「はい。皆で遊びましょう」
「やった」
喜びに飛び跳ねて、雪姫と修螺は、天戒に顔を向け、嬉しそうに笑った。
「私、雪姫」
「僕は修螺。君は?」
「天戒と申します」
「天戒君。一緒に遊ぼう?」
天戒に視線を向けられ、影千代は、盛大な溜め息をついて頷いた。
それを見て、天戒も、嬉しそうな顔をすると、三人に視線を戻した。
「では、何からしましょうか?」
「的当て!!」
「追いかけっこだよ」
「修螺、早いから、なかなか終わんないじゃん」
「だからって、的当てばっかじゃつまんないよ。それに、僕、的当て苦手だなぁ」
「苦手だからって、やんないのは、良くないんだよ?」
「それ言ったら、雪姫ちゃんだって、終わらないからって、やんないのは、良くないよ?」
本気で言い合っているのか、冗談で言い合っているのか、分からない二人を見つめ、天戒が、話についていけなくなると、慈雷夜が手を叩いた。
「では、最初に追いかけっこをして、次に的当てをしましょう」
「二つも出来ますか?」
「大丈夫です。私が、捕まえますから」
「それならやる~」
二人に抱き付かれ、笑っている慈雷夜を見つめ、天戒は、不安そうに下を向いた。
「では、やりますよ?」
「はぁ~い!!」
二人が走って離れると、慈雷夜は、天戒に視線を向け、優しく微笑んだ。
「さぁ。天戒殿も逃げて下さい」
「え?あ…えっと…」
「おーい!!天戒く~ん!!」
「早く~!!」
二人に呼ばれ、不安そうにしていた天戒も、元気に走り出し、影千代は縁側に座った。
「では、いきますよ~」
ただの追いかけっこだと、思っていた影千代の期待は、次の瞬間、見事に裏切られた。
慈雷夜が声を掛けると、雪姫と修螺は二手に分かれ、一気に走り出し、天戒も一足遅れて走り出した。
だが、その足に、慈雷夜の糸が絡み付き、転びそうになった。
「天戒君!!飛んでも良いんだよ!!」
木に登った修螺の言葉で、天戒は、足の糸を切って、翼を羽ばたかせたが、慈雷夜の糸が、張られていて、上手く飛べない。
焦った天戒が振り返ると、慈雷夜が糸を放つが、修螺は、それを上手く避けて逃げた。
「おぉ。上手く避けましたね」
「えへへ。捕まりたくないですもん」
「ならば、次にいきましょう」
今度は、雪姫に向かい糸を放つが、パチンと指を鳴らし、糸を凍らせて逃げ出した。
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「私もやですよ~」
「では、次です」
今度は、二人同時に糸を放つと、慈雷夜は、修螺の目の前に現れた。
だが、修螺も、慈雷夜に負けない位の速さで動き、雪姫の方へと走っていた。
「おやおや。また、逃げられましたか」
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「それじゃ、いつまで経っても、終わんないですよ?」
「それもそうですね…それでは、いつも通りに行きます」
次の瞬間、慈雷夜の速さが増し、風のように駆け出すと、二人も、同じように速さが増してしまい、天戒は、完全についていけなくなった。
「捕まえました」
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「いつまで、笑ってるのですか?」
また走り出した慈雷夜と逃げる雪姫を見つめ、天戒は、その場にボーッと立ち尽くしていた。
「捕まえましたよ?」
天戒は、慈雷夜の腕の中で、ケタケタと笑う雪姫と修螺を見つめた。
「どうしました?逃げないのですか?」
優しく微笑んだ慈雷夜に、視線を向けられ、天戒は、糸の隙間を縫うようにして、やっと動き出したが、その腕に抱き止められていた。
「はい。捕まえました」
何が起きたのか分からず、ボーッとする天戒を見下ろす慈雷夜は、とても優しく微笑んでいた。
「もっと、周りを見た方が良いですよ?」
ニッコリ笑う慈雷夜に、修螺と雪姫が抱き付き、天戒から、その腕のぬくもりが離れた。
「慈雷夜さん。次、的当てですよ?」
「そうですね。では、ちょっと待って下さい」
池の上に、慈雷夜の糸で的が作られると、雪姫が手を挙げた。
「私一番!!」
「じゃ、僕が二番。天戒君は、最後で良い?」
天戒が頷くと、修螺は、ニッコリ笑って、的の方に視線を向けた。
「いっきま~す!!えい!!」
雪姫が、雪の玉を投げると、慈雷夜の糸に引っ掛かった。
「あ~ずれちゃった」
中央から、少し離れただけでも、雪姫は、悔しそうに声を上げ、頬を膨らませた。
「次、僕の番ね?」
修螺が、小石を拾って投げると、雪姫よりも、多少離れているが、ちゃんと糸に引っ掛かった。
「あ~。なんで、雪姫ちゃんは、そんなに上手なの?」
「えへへ~。ナイショ~」
「教えてよ~」
「やぁよ」
修螺が、プクッと頬を膨らませたが、それを気にすることもなく、雪姫は、小石を拾うと、天戒に差し出した。
「天戒君の番」
それを受け取り、投げてみたが、ポチャンと音を発てて、小石は、池に落ちてしまい、天戒は、哀しそうな目をして、うつ向いてしまった。
「ねぇ。天戒君」
視線を向けると、雪姫は、天戒に小石を渡して、真っ直ぐ的を指差した。
「あの真ん中に集中して投げてみて?」
天戒は、雪姫の指差す先に向かって、小石を投げてみたが、また池の中へと沈んでしまった。
「惜しい~。もう一回」
修螺に小石を握らされたが、自棄になり、適当に投げた。
全く検討違いの所に飛んで行ってしまい、二人は、ぶっ垂れる天戒を見つめた。
「…楽しくない?」
雪姫が聞いてみても、天戒は、ぶっ垂れたまま、何も言わなかった。
「…やめようか」
「そうだね。慈雷夜さん。修行の続きしよう」
「おや。良いのですか?」
「だって…」
唇を噛む天戒を見てから、修螺と雪姫に視線を戻し、ニッコリ笑った。
「分かりました。では、先程の続きから」
天戒から離れ、三人は、修行を始めてしまい、天戒は、トボトボと、影千代の所に戻り、静かに縁側に座った。
「お師匠様…僕も…なりたいです…」
天戒は、修行をしている三人を真っ直ぐに見つめた。
「僕も、あの二人みたいになりたいです」
「だが、それには、今までが、比じゃない程の厳しい修行をしなきゃならんぞ?」
「頑張ります」
「遊ぶ時間などなくなるぞ?」
「…大丈夫です」
暫く黙っていると、影千代は、真っ直ぐ三人を指差した。
「あの男は、蓮花の式神と言って、蓮花に全てを捧げた妖かしだ。雪姫は、雪を降らせられないと言って、蓮花に教わり、降らせられるようになった。修螺は、半妖だと言われ、同族達にいじめられていたのを蓮花に助けられ、強くなることが出来た。あの三人の共通点は分かるか?」
「…蓮花様ですか?」
「そうだ。だが、それだけじゃない。分かるか?」
影千代は、真っ直ぐ三人を見つめて、もう一つの共通点を探るような天戒を横目で、見下ろした。
「それが分かるまでは、今までと同じ修行をしろ」
「…はい」
それから、天戒は、日頃の修行に加え、影千代と一緒に屋敷を訪れ、必死に三人を観察して、共通点を探していた。
「あの!!」
影千代の姿が見えない時、天戒は、休憩をしている三人に声を掛けた。
「なに?」
村から取り寄せた菓子を食べている三人に視線を向けられ、一瞬、後退りをしそうになったが、天戒は、フゥ~と息を吐いて、その場に留まった。
「お二人は、どのようになりたいのですか?」
天戒の疑問に、雪姫と修螺は、慈雷夜を見上げた。
「慈雷夜さんみたいに、大好きな人を支えられるようになりたい」
「私も。あと、大好きな人の大切なモノを一緒に守れるようになりたいな」
「僕も。それから、羅偉様や茉様の役に立てる大人になりたいな」
「私も。あとあと…」
目を輝かせながら、二人が、あれこれ言い始め、天戒は、口を半開きにした。
「これこれ。そんな欲張らないで。どれか一つを目指さなければ、駄目ですよ?」
慈雷夜が、困ったように、目尻を下げると、二人は、不満そうな顔をした。
「智呂ちゃんも、同じように言ってましたよ?」
「なんで、一つなんですか?」
「智呂は、一つ一つ、ちゃんと、目標を達成してから、次を目指してるんです」
「あ。そうなんですね。なら、私は、ママを守れるくらい強くなる」
「じゃ、僕は、雪姫ちゃんを守れるようになろうかな」
「私、そんな弱くないもん」
頬を膨らませる雪姫を見て、視線を泳がせる修螺に、慈雷夜は、クスクス笑った。
「でしたら、修螺殿は、雪姫殿を守りながらも、自分が傷付けられないようになるのは、どうですか?」
「はぁ~い。天戒君は、どうなりたいの?」
「僕は…」
二人に出会うまでは、胸を張って、影千代のようになりたいと言っていたが、今の天戒は、それを口にするのに躊躇ってしまった。
「…お師匠様…みたいに…なりたい」
「どうして?」
すぐに返って来た雪姫の疑問に、どうして、そうなりたいのかが、自分でも分からず、天戒は悩んだ。
「…影千代様って、格好いいですよね?」
修螺が、慈雷夜を見上げて、ニッコリ笑った。
「確かに。あの黒髪は、凄く素敵ですね」
「そうかな?私は、雪椰様の方が良いな。とっても優しいもん」
「それなら、僕は、羅偉様が、一番、強くて格好いいと思うな」
「天戒殿」
名前を呼ばれ、視線を向けると、慈雷夜は、優しく微笑んだ。
「影千代殿の何処が、お好きなんですか?」
「えっと。お強くて、お優しくて、飛ぶのがお上手で…」
影千代の事を思い出し、夢中になって、好きな所や凄いと思うところを言う天戒は、とても嬉しそうに頬を緩めた。
「では、改めて。天戒殿は、どのようになりたいですか?」
天戒は、少し考えてから、小さく頷き、視線を上げて胸を張った。
「お師匠様のように、なんでも守れるように、強くなりたいです」
そんな天戒を見て、三人で視線を合わせて、ニッコリ笑うと、雪姫は、天戒に視線を戻した。
「お互い、頑張ろうね」
「はい。ところで、どうしたら、慈雷夜様みたいに、強くなれるんですか?」
「慈雷夜さんも、まだまだ強くなってる途中なんだよ?」
「どうしてですか?とても、お強いじゃないですか」
「それがねぇ…」
慈雷夜の代わりに、雪姫と修螺が、自分の事のように、得意気になっていた。
「…そうか…やっと、分かりました」
「何が?」
修螺に聞かれ、天戒が、影千代に言われたことを話すと、慈雷夜は、嬉しそうに微笑んだ。
「それで?その共通点って何?」
慈雷夜と同じように、修螺も、ニコニコ笑って聞くと、天戒は、胸を張って答えた。
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「はい」
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「ありがとう」
「何がですか?」
別に気にする様子もなく、慈雷夜は、優しく微笑みながら、隣に座った葵に顔を向けた。
「天戒の事だ。影千代様は、ご自身の経験上、天戒の修行を無意識に軽くしていたんだ」
修螺と雪姫に挟まれ、頬を赤らめながら、楽しそうに笑う天戒を見つめ、嬉しそうに、小さく笑っている葵を見て、慈雷夜も、三人に視線を移して、小さく笑った。
「修螺殿。雪姫殿。的当ての続きをしてみては、どうですか?」
「え…でも…」
天戒を見つめ、不安そうな顔をする二人に、慈雷夜は、庭に視線を向けて、見えない位置にある池の方へと手を翳し、水面に着いてしまいそうな程、大きな的を作った。
「この位なら大丈夫でしょう。天戒殿。的当ては、とても大切な修行でもあるのですよ」
「どうしてですか?」
「敵の弱点を正確に狙う為です。ですから、途中で投げ出さず、当たるまで、やってみてみましょうか」
人差し指を立てて、そう説明すると、天戒は、雪姫と修螺を交互に見て、畳に視線を落とした。
「教えてもらえますか?」
「良いよ。じゃ、行こう」
二人に手を引かれ、天戒は、池の方に向かった。
その横顔は、恥ずかしそうに赤らんでいたが、とても嬉しそうに微笑んでいた。
慈雷夜は、優しく微笑みながらも、三人を見送ると、淋しそうに目を細めた。
「蓮花様に出会う前、私は、八蜘蛛と違い、肩身の狭い生活が嫌になり、暴れてしまいそうになった事があるんです」
突然、そう切り出して、慈雷夜は、自分の事を語り始めた。
「偉そうな言い方をしましたが、本当は、あの様な事…言えるような立場じゃないのです…」
ただ蜘蛛というだけで、とても苦しい思いをし、同族達が、次々に人々を襲い、更に、苦しくなると、慈雷夜は、生きることなど、どうでも良くなり、フラフラと村に入り、一件の民家を襲った。
「それが、蓮花様の住んでいた村でした」
だが、民家の住人は、慈雷夜よりも強い妖かしだった。
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嫉妬、裏切り、友情、そして恋愛――。
陽斗の成長は、同級生や教師たちの思惑をも巻き込み、やがて学校という小さな舞台を飛び越え、社会そのものに波紋を広げていく。
「笑われ続けた俺が、全てを変える番だ。」
かつて底辺だった少年が掴むのは、力か、富か、それとも――。
最底辺から始まる、資産も未来も手にする逆転無双ストーリー。
物語は、まだ始まったばかりだ。
貧民街の元娼婦に育てられた孤児は前世の記憶が蘇り底辺から成り上がり世界の救世主になる。
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この作品は小説書き始めた初期の作品で内容と書き方をリメイクして再投稿を始めました。感想、応援よろしくお願いいたします。
クラス転移したけど、皆さん勘違いしてません?
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※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
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