黄泉世の護人(モリビト)

咲 カヲル

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二十五話

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姿は見えなくても、ちゃんと傍にいる理苑に、小さく微笑んでから、再び歩き始めた。

「…大丈夫なの?」

自室に向かう途中で、天井から、八蜘蛛が肩に降り立った。

「なにが?」

「昔の話なかんして」

あの里は、良くない方へと、変わってしまった。
斑尾達が、純粋に哀しみを減らす為に造ったが、欲望に蝕まれた人によって壊され、妖かしの身勝手な行動で、そこに住まい生きた人々に苦痛を与えてしまった。
だが、どんなに隠したとしても、その過去は、決して消えることない事実。
里の未来を担う彼等は、その過去を知り、壊れてしまったものを直し、流れを変えなくてはならない。

「彼らが、その流れを変えられると思えないわ」

「彼らが変えられなくとも、彼らの意志を受け継いで、修螺や雪姫達の世代が、それを成し遂げてくれるかもしれないでしょ?私のように」

その者の時には、変えられなかったことが、何世代も後に産まれた子孫が、それを変えることもある。
そこには、因縁や世継ぎなど、くだらない理由ではなく、ただ純粋に変えたいと願うから、変えようとする。

「彼らだって、それと同じなんじゃないのかな?」

「でも、あの変わり様…彼らに受け入れられるのかしら?」

「受け入れるしかないんだよ。私と同じでね?」

六つの子供が、受け入れたのだ。
長く生きている彼等が、出来ないことはない。

「それに…受け入れられなかった時は、ここに来させないよ」

「どうして?」

「自分で決めた事から、逃げるような人の逃げ場にされたくないし。八蜘蛛も知ってるでしょ?私は、そんなに甘くないよ?」

護符を見せながら、ニッコリ笑うと、八蜘蛛は、喉を鳴らすように笑った。

「お~怖い怖い」

「またまたぁ~。怖くないくせにぃ」

「えぇ。怖くなどないわよ?だって、私達は、お優しい蓮花様を知ってるんだもの」

蜘蛛の姿で、八蜘蛛は、優しく微笑んだ。

「それは、皆も同じでしょ?」

「私達の優しさは、蓮花様にだけよ」

「そう?でも、慈雷夜は、違ったみたいだけどね」

「あれは、素直に言う事を聞くから、優しくしてただけよ」

「なんとも酷い言いようですね?」

逆側の肩に、慈雷夜が、降りて来ると、八蜘蛛は、鼻を鳴らすように笑った。

「でも、ホントの事でしょ?」

「さぁ?お好きにどうぞ」

「八蜘蛛。あの子達が、怪我した時、スゴかったんだよ?」

「あら。そうだったの?」

「さぁ?忘れました」

「またまた~。あの時、全部八つ裂きに…」

「蓮花様」

八蜘蛛と一緒に、ケタケタと声をあげて笑い、部屋の障子を締め、隠していた神酒を引っ張り出した。

「暇だし。付き合ってよ」

八蜘蛛は、人の姿となり、隣に座ると、嬉しそうにグラスを持って、艶やかに笑った。

「いいわよ?」

「やった。慈雷夜は?」

「喜んで」

嬉しそうに微笑んで、グラスを差し出す慈雷夜を見て、八蜘蛛とクスクス笑い、互いのグラスを神酒で満たし、無言で乾杯すると、三人で呑み、退屈な時間を楽しく過ごした。
斑尾達が戻ったのは、深夜になってからだった。

「おかえり~」

ほろ酔い気分で声を掛けると、斑尾は、溜め息を溢して、畳に倒れ込んだ。

「大丈夫ですか?」

その後ろから、理苑と亥鈴も入って来て、斑尾の両脇に、同じように倒れ込んだ。

「こりゃ、がっつやられたね」

斑尾達の様子を苦笑いして、見つめていると、屋根裏から仁刃が現れた。

「本当に凄かったんですよ?」

六人が噛み付くように、斑尾達の話を聞き、現状を話し合い、更に、斑尾達の意見を聞く。
それを繰り返し、最後には、斑尾達の方が、グッタリしていた。

「斑尾が、あの妖狐に押されてる様子は、本当に滑稽でした」

「見てたなら手を貸せ…」

「嫌ですよ」

「なんで、我らだけが、こんな目に…」

「貴殿方が、創造者だからでしょう」

「仕方ないと思っていても、流石に辛い…」

「仕方ないと思うなら、不満を漏らさないで下さい」

斑尾達が、ぐったりしながらも、口々に不満を言い、それを仁刃が、一刀両断する。
ニヤニヤと笑いながら、八蜘蛛と地雷夜と共に、その様子を眺めていた。

「諦めなさい。それが、貴殿方の役目でしょ」

「そうかもしれませんけど…」

「いい加減になさい!!」

仁刃が、怒鳴りながら、白い煙を上げ、人の姿となると、寝転んでいた三人は、驚いて、体を起こした。

「大体、さっきから不満ばかり。日頃から、己を甘やかしているから、そうなるのです。そのくせ、蓮花様ばかりに…」

仁刃の説教が始まり、向かい側で、斑尾達は、背中を丸め、視線を下げ、黙って正座していた。

「なんだかんだで、仁刃と楓雅が、一番まともかもね」

「それは、私らも、まともじゃないって事かしら?」

「そんなことないよ?感覚的にってこと」

「確かに。それはありますね」

三人でグラスを傾け、斑尾達に向かい、それまでの不満を交えながらも、説教を続ける仁刃を見つめた。

「…っとに情けない」

こってり絞られ、無言のまま、ぐったりしてる斑尾達を他所に、仁刃は、また蛇の姿になると、屋根裏に戻ろうとした。

「仁刃」

手招きをすると、首を傾げながらも、膝元までやって来た。

「有り難う」

「何がでしょうか?」

「心配で見てたんでしょ?」

「そんなこと…」

小さな頭を優しく撫でると、気持ち良さそうに、仁刃は目を細めた。

「私が、そう思ってるんだから、それで良いの。ね?」

「…はい」

頭を撫でていると、仁刃は、目を閉じてから、不意に、手を避けて下を向いた。

「蓮花様」

「ん?」

「ほんの少し…甘えても…良いでしょうか」

恥ずかしそうに、白い頬を赤く染める仁刃は、とても可愛らしい。
小さく微笑み、その冷たい体を抱え、優しく背中を撫でると、小さな瞳を細めた。

「…有り難うございます」

腕に頬を擦り寄せ、嬉しそうに、目を閉じる仁刃の表情は、とても愛らしい。

「いつも有り難う」

「いえ。私が、そうしたいだけですから」

優しい時間は安らぎを生み、斑尾達も、幸せそうな仁刃を見つめ、優しく微笑んでいた。
暫くは、雑談をしていたが、疲れていた為、理苑や亥鈴も、一緒に雑魚寝してしまい、自然と目を覚ました時には、出勤時間が、とっくに過ぎていた。
白夜、流青、妃乃環が休みの日は、通常よりも、少し早く出なければならない。
それは、斑尾達も同じだったが、その姿はもういない。

「もう!!なんで起こしてくれないのさ!!」

急いで、シャワーを浴び、濡れた髪も、そのままにして、着替えを終わらせると、廊下を走り抜け、事務所に向かって、全速力で走り抜けた。

「…お…おはよぉ…」

出勤すると、斑尾達は、外回りに行っていて、そこには、紅夜と阿華羽、楓雅と仁刃の四人しかいなかった。

「おはよう。寝坊かい?」

紅夜と阿華羽が、ニヤニヤと笑っている奥で、無表情の楓雅の隣で、仁刃が、頬を赤くして、そっぽを向いた。

「ちょっと!!起こしてくれてもいいでしょ!!」

「いや…あの…ぐっすり寝てらしたので…その…」

「お前。気持ち悪いぞ」

荷物を抱えたまま、モジモジする仁刃に、楓雅は、冷たい視線を向けた。
仁刃は、ニヤニヤしていてる紅夜達の視線を受け、更に、頬の赤みが増し、その場から逃げるように、倉庫の方に消えてしまった。

「…何したの?あれ」

「さぁ?ずっとあんな感じだ。外回り行ってくる」

首を傾げてから、楓雅が、書類を鞄に突っ込んで、事務所から出て行き、二人は、肩を震わせていた。

「…何言ったの」

「別に?特に、何も言ってないさ。ねぇ?」

「あぁ。ただ、珍しいって言っただけね?」

「…二人とも、今日は資料整理」

「はぁ!?」

「どうして…」

「文句ある?」

冷たい視線を向けると、二人は、小さく肩を震わせ、足早に資料庫に消えた。
事務所には、誰も居なくなり、盛大な溜め息をつき、静かに、書類の確認を始めた。
判子を捺し、紙を捲る音だけが響く中、静かに仁刃が倉庫から顔を出し、デスクに戻ると、キーボードを打つ心地良い音が響き始めた。

「仁刃」

後ろに立ったのも分からない程、集中していた仁刃の肩に触れると、その体が、ビクッと大きく揺れ、眼鏡をずらしながら、驚いた顔で振り返った。

「なん…でしょうか…」

「お昼だけど、どうするの?」

時計を指差し、正午になってることを知った仁刃は、眼鏡の位置を直しながら立ち上がった。

「すみませんでした。お昼に…」

「何食べる?」

「…はい?」

「だから、何食べに行く?」

「いえ。一人で…」

「何でも良いなら、近くに新しいお店出来たから、そこ行こうよ」

「蓮花様?私の話を…」

「その呼び方禁止だよ」

現世での仕事中は、様呼びを禁止し、普通の人として、対等に接すると、決めていたが、この時の仁刃は、それすらも、忘れていた。

「あ…すみません…」

「とりあえず、時間がもったいないし。行くよ」

「ちょ!!蓮花さん!?」

仁刃の手を引き、強引に連れ出し、新しく出来たファミレスに向かった。
席に案内され、注文を終わらせてから、視線を向けたると、向かいに座る仁刃は、叱られた子供のように、下を向いたまま、小さくなっていた。

「何したの?」

「いえ。別に…」

「じゃ、顔上げなよ」

そう促しても、仁刃は、顔を上げようとしない。

「紅夜達に、なんか言われた?てか、何言われたの」

「何も…」

「言いなさい。何言われたの」

仁刃は、視線に耐えられなくなり、顔を真っ赤にし、ボソボソと呟いた。

「…斑尾が居るのに…大胆だなと…」

二人は、普段は、決してやらない事をした仁刃をからかっていた。

「昨日は、亥鈴や理苑だっていたじゃん。なんで、仁刃だけが言われるのさ」

「私が一番に部屋を出たので、紅夜達は、それで勘違いをしてるのかと」

「じゃ、そう言えば良いでしょ?」

「言いましたよ…言いましたが、ずっと、あんな感じで」

二人の嫌な笑みと仁刃の様子に、苛立ち始め、大きな溜め息をついた。
その瞬間、下を向いている仁刃が、哀しそうに目を細め、今にも泣き出しそうな顔をした。

「すみません。私の軽率な行動で、ご迷惑を…」

「何が迷惑なの?」

視線を上げた仁刃は、驚いた顔をして、困ったように視線を泳がせた。

「誰が迷惑って言った?誰も言ってないでしょ。紅夜達は、困ってる仁刃を見て、楽しんでるだけ。それに、何も悪い事をしてないんだから、堂々としてなよ」

「でも…甘えては…」

「仁刃。もう昔とは、違うんだよ?」

白蛇は、斑尾達が里を出てから、住み着いた一族で、蛇族を束ねていた為、仁刃も、幼い頃から、その為の教育を受けていた。
両親や周りから、族長となるのだと言われ、その期待が重圧として、小さな背中に掛けられ、他者に甘えることを許されずに生きてきた。
だが、同族に騙され、仁刃は、族長の座を譲り、孤独と哀しみを抱いて、里を飛び出したが、そんな環境で育ち、他者に甘えることも、誰かを頼る方法も分からなかった。
そんな仁刃にとって、外の世界は、とても過酷で、冷たかった。
蛇の姿でいれば、人に追われ、人の姿になれば、何も知らないことを怪しがられ、時には、悪妖に襲われた。
そんな苦しい状況から逃れようと、仁刃は、蛇の姿のまま、車の前に飛び出そうとした。
仁刃が、全てを捨てようとした瞬間、小さな体が抱えられた。

『…離せ…離さぬなら…食い殺すぞ』

妖かしの姿になった仁刃の頬に、優しく触れると、その瞳が大きく揺れた。

『無理しないで良いんだよ?』

一瞬、驚いた顔をしたが、仁刃は、眉を寄せ、牙を剥き出しにした。

『誰にも救って貰えなかったんなら、他の誰かを頼ればいい。諦めないで。必ず、苦しむあなたの手を掴んでくれる人がいる。哀しむあなたを救ってくれる人がいる』

仁刃の口が大きく開かれ、鋭く尖った牙が、首筋に当たるが、肌に刺さることはなかった。

『その誰かに、私を選んで欲しい。私が、あなたの手を引くことを許して欲しい』

小さな傷から、赤い雫が滑り落ちる中、小さく震える背中に腕を回した。

『これが最後。私で最後。もし、あなたが裏切りを感じ、救われないと思った時は、思うがままに、その牙で、この身を貫き、その手で、全てを終わらせればいい』

牙が肌の上を滑り、肩に顔を埋めると、仁刃は、その頬を涙で濡らした。
静かに涙を流す仁刃は、今にも消えてしまいそう程儚かった。
落ち着き始めた仁刃の手を引き、村に連れ帰り、身の上話や事情を聞き、暫くの間、村で過ごさせた。
人の優しさや暖かさを知り、仁刃が、生きることを強く願うようになった。

『私は、貴殿と…あなたと生きたい。あなたと共に生きる時間が欲しい。だから…私の為に…私が生きる為に…あなたの名を…私に下さい…』

その願いを叶える為、式契約を交わした。
だが、式神となっても、仁刃は、誰も頼らずに、一人で、なんとかしようとする時があり、それをやめさせる為、目を掛け、手を掛けた。
最近では、それが薄れ始めたが、たまに、紅夜や阿華羽にからかわれると、また昔に戻ってしまう。
どんなに一人で生きようとしても、その隣には、必ず誰かの存在がある。
目に見えなくとも、そこには、他者と関わり合いがあり、気付かないだけで、互いが互いを頼り、個々の時間を生きる。
それは、この世に生きているモノが、絶対に持ち合わせている。
そうでなくては、この世に生命など生まれない。
その関わりがなくては、この世で、生命は存在出来ない。

「育った環境が、どうであれ、今は、それをする必要がないんだよ?」

仁刃は、目を伏せて、自分の拳を見つめていた。

「てか、楓雅だって、たまに甘えてるんだから、仁刃が、甘えたって良いじゃん」

楓雅も、仁刃と似たような環境で育った為、最初は、甘えようとも、頼ろうともしなかったが、式神となり、少しずつ、頼るようになり、最近では、甘えるようにもなった。

「え!?」

大声が響き、周りの人達から、クスクスと、笑い声が零れると、仁刃は、真っ赤になって、体を小さくした。
そこに、注文した料理が運ばれ、テーブルに並んだ。

「いただきます」

手を合わせてから、食べ始めると、仁刃も、落ち着きを取り戻した。

「楓雅も、甘えてるなんて、知りませんでした」

「そらそうだよ。誰にもバレないようにしてるみたいだから」

モグモグと、口を動かしながらも、仁刃は、驚いた顔をした。

「どうやってですか?」

「楓雅が休みの前日に、たまに、手紙で呼び出されるんだよね。あっちから来ればいいのに」

眉間にシワを寄せると、仁刃の頬が緩んだ。

「彼は、そんな風にしてたんですね」

「そうだよ。だから、仁刃も、たまには、甘えても良いんだよ。ね?」

「…はい」

優しく目を細めて、仁刃は、頬を赤らめ、安心したように微笑んだ。

「ところでさ。眼鏡、変えたら?度、合ってないでしょ」

「でも、これは…」

村での生活の中で、仁刃は、キツい目付きを気にしていた。
契約を交わした時、それを隠せるようにと贈った眼鏡は、大切な記憶と共にある宝物なのだ。
仁刃は、眼鏡に触れ、眉尻を下げた。

「じゃ、今度、新しいの買いに行こうよ。ね?」

「…はい」

瞳を輝かせ、嬉しそうに微笑んだ仁刃に、微笑みを返し、珈琲を飲みながら、穏やかな時間を過ごした。
優しい時間に、ゆっくりし過ぎ、休憩時間は、とっくに過ぎていた。
急いで、事務所に戻ると、外回りに出ていた楓雅達が、もう戻っていて、デスクで作業をしていた。

待ってる

デスクに、四つ折りの置き手紙には、楓雅の字で、それだけが書かれていた。
見た目に似合わず、可愛らしい字を書く楓雅は、パソコンに向かって、真面目な顔をしていた。
その横顔を盗み見てから、誰にもバレないように、小さく微笑んで、仕事を再開した。
その日の真夜中。
誰もが眠りに落ち、静かになってから、楓雅と会う為、自宅の裏にある林を歩いていた。

「楓雅」

木の上で夜空に顔を向け、目を閉じていた楓雅は、静かに視線を向けると、嬉しそうに微笑み、黒い翼を広げた。
目の前に降り立ちながら、抱き付き、胸いっぱいに息を吸い込み、ゆっくりと息を吐き出すと、安心したように、髪に頬擦りした。

「…百合だ…」

その香りに、リラックスした楓雅は、白い煙を上げ、真っ黒の着物に身を包み、その首には、古い首飾りを着けていた。
本で見るような天狗の姿と少し違い、長い刀を腰にぶら下げ、妖かしの姿に変わった楓雅の腕に力が入り、引き寄せるように、きつく抱き締められた。

「…く…苦し…」

その時、懐から小さな声が聞こえ、楓雅は、驚きで、後ろに飛び退き、刀に触れて身構えた。
その様子が、おかしくて、ケタケタと声をあげて笑うと、楓雅の眉間にシワが寄った。

「ごめんごめん。今日は、もう一人連れて来たの。出ておいで」

懐を見下ろし、仁刃が顔を出すと、楓雅は、目を大きくさせた。

「…なんで…」

「実はね?昼間のアレのことで、色々あったらしくてさ。ね?」

仁刃が昼間のことを説明すると、楓雅は、状況が理解出来たようで、腕を組んで溜め息をついた。

「それは、災難だったな」

「二人には、八蜘蛛と亥鈴に言って、キツくお灸を据えてもらったけど、あの二人の事だから」

「暫く言われるだろうな」

人の姿になっていた仁刃が、ガクンと肩を落とし、その背中を擦ると、楓雅は、頭を乱暴に掻いた。

「それで連れて来たのか」

「楓雅には、悪いと思ったけどね?仁刃は、まだ昔のクセが抜けないから。少し、話でもって思ってさ」

木の根に座り、うつ向く仁刃を見下ろし、楓雅は、小さな溜め息をつきながら隣に座った。

「俺で良いのか?」

「…はい。是非」

嬉しそうに頬を染め、目を細めた仁刃と楓雅に挟まれ、二人の話を静かに聞いていた。
最初は、普通に話をしていたが、蛇と鳥の姿になった二人が、大きなアクビをした。

「おいで」

腕を広げると、二人共、遠慮がちに膝に頬を寄せた。
そんな二人を抱き上げ、膝の上に乗せて、その頭を優しく撫でると、嬉しそうに目を細め、頬擦りをしていたが、小さな寝息を発て、寝てしまった。
愛らしい二人を起こさないように、足音を消し、自室に戻ると、斑尾の寝ている腹に、頭を乗せ、二人を抱えて横になり、静かに目を閉じた。
朝日で目を覚ました二人は、静かに、障子を開け、周囲を確認してから、縁側に出ると、それぞれの寝床に向かい姿を消した。
哀しいことに、その日も寝坊した。

「起こしてよ!!」

「良い年して、何言ってんだ。いい加減自分で起きろ」

「だからって置いてかないでよ!!」

「ならちゃんと起きろ」

「起きてないなら起こしてよ!!」

「起きれないなら、目覚ましでも買え」

「斑尾が壊したんじゃん!!」

「知らん」

斑尾との不毛な言い合いが始まると、皆は、笑いながら仕事を始めた。
その後も、変わらない平和な日々を過ごしていると、篠からの手紙が届き、次の日に、皇牙に連れられて、里を訪れた。

「篠。戻ったよ」

目の前の障子を開け、皇牙に続くと、篠は、多くの紙を手にして、真剣な顔をしていた。

「皇牙様。お待ちしてました」

「篠。あの話って、本当なの?」

手紙には、斬島を捕まえていた牢屋の壁が、破壊されていた事が書かれていた。

「はい。昨夜までは、確認できてるんですが、今朝には、いなくなっておりました」

真夜中に、外から牢屋を壊したのだろうが、それだけなら、別に問題はない。
その壁の壊れ方が、問題なのだ。

「その牢屋を見せてもらえますか?」

「分かった。こっちだ」

篠に連れられ、里の外れ、蔵のような造りの牢屋が現れ、その裏側には、人一人が通れるくらいの穴が空いていた。
周囲の壁と比べると、穴が空いている部分は、長い年月が過ぎたように、とても脆く、朽ち果ててしまったかのようだ。
皇牙と篠が話をしてる間、入ったり、出たりを繰り返し、その床や壁に触れてみる。

「何してるの?」

「何かないかなって」

「もう調べてある。何も見付からなかった」

「篠。蓮花ちゃんが、探してるのは、ちょっと違うと思うよ?」

「どうゆう事ですか?」

「多分、残像かなんかだと思う」

この世に存在するものには、それぞれの記憶がある。
記憶は、そこに生きる生命が、持ち合わせている。
靴や服、花や土など、言葉を発せなくとも、そこには、各々の記憶があり、言葉を発するものは、それを残像と呼ぶこともある。
皇牙の言う残像が、ここに生きる生命達の記憶のことならば、その通りなのだが、多くの妖かしが、行き交うばかりで、肝心の壊れた瞬間が見当たらない。
不意に、足元の小石に視線を落とし、それを拾い上げた瞬間、その記憶が浮かび上がった。
暗闇から手が翳され、壁に小さな亀裂が走り、脆くなった壁が、自らの重みで崩れ落ちると、黒々とした影が、グッタリした斬島を引きずり出し、暗闇の中に消えた。

「…あの、手首に着けてる縄って、なんですか?」

その手首に縄が掛けられてるだけで、グッタリしてる斬島に、首を傾げた。

「もしかして、妖力を封じる縄の事かな?」

「それ、見せてもらえますか?」

驚いた顔をし、視線を合わせた二人に連れられ、保管されている所に向かい、壁に吊るされいる縄を見つめた。

「触っても良いですか?」

「あぁ」

一本に、指先だけで触れ、すぐに離した。

「これ。やめた方がいいですね」

「どうして?」

「月蝶の力が、込められてるからです」

縄は、身に着けた者の力を吸収し、月蝶に流れ込む仕組みになっていたが、練り込まれた力が微かな為、力を封じていると勘違いされいた。

「力が強ければ強い程、早く吸収するようになってるみたいです」

「だからか…」

「思い当たる事でも?」

この縄を掛けてから、力を失ったように、斬島の妖力が感じられなくなった。
最初は、気にも止めていなかったが、数日前から、座っていることも出来なくなり、呼吸も弱まり始めていた。
流石に、おかしいことに気付き、それを調べようとしていた矢先、この事件が起きた。

「…つまりは、月蝶が、この仕組みが知られる前に、使えそうな妖かしを連れ出そうと考え、それが斬馬だった」

「あの人、本当は、斬馬っていうんですね」

「でも、困った事になったね」

皇牙は、然程、困っていないように見えたが、篠は、困ったように、眉尻を下げ、腕組みをした。

「どうしてです?」

「この縄を使ってるのは、ここだけじゃないんだよ」

この里では、昔から悪妖や罪人を捕まえると、この縄を掛けて、牢屋に入れていた。

「里全体で使ってるんですか?」

「そう。ほとんどの牢屋が、こうゆう造りだから、簡単に逃げられちゃうんだよね」

「そうなんですね。ってことは、これに代わる物があれば、やめても大丈夫なんですよね?」

「まぁね」

「だが、そんなモノは…」

「ありますよ?」

袂から護符を取り出し、近くの壁に貼ると、二人は首を傾げた。

「壁を触ってみて下さい」

疑いの目を向けながら、篠が、その壁に手を着くと、大きな音を発てて、床に座り込んだ。

「篠!?どうしたの!?」

「…急に…力が…」

「何言ってんの?ただ壁に触っただけでしょ?」

「皇牙さんも、触ってみれば良いんじゃないですか?」

壁を指差すと、皇牙は、床近くの壁に手を伸ばした。
指先が触れると、驚いた顔で、篠と視線を合わせた。

「これ、貼った所を中心に、力を吸収することが出来るんですよ」

成長する過程で、力のバランスが保てなくなり、多くの活力を吸収し、更に、多くの力を放出するようになってしまい、それが、周囲にまで影響を及ぼした時期があり、それを制御する為に、この護符を作った。

「因みに、貼った裏側には、なんの影響もありませんし、そっち側から、力の譲渡も出来ないようになってます。牢屋の上下、左右の四隅に貼ったら、逃げ出せないと思いますよ?」

護符を剥がして、ヒラヒラと揺らしながら、説明すると、立ち上がった二人は、また首を傾げた。

「剥がされたらどうする」

「直接触ったら、倒れますよ?」

自身の力を吸収させ、周りからの活力を減少させることで、無意識でも、そのバランスが保てるようする為に作った護符は、妖かしが触れれば、多くの妖力を奪われ、意識を失ってしまう可能性もある。

「貼る時は、厚手の手袋を何枚か重ねれば、大丈夫だと思います」

「そうか」

「濡れたら?」

「雨や水、汗やお湯などで濡れても、なんの問題もありませんが、大量の血で濡れた場合、効力が失われます」

「どうして?」

血が大量に流れ出るということは、生命の危機が迫っている状態にある。
そんな時に、その生命を維持出来るように、護符の効力が消えるように、試行錯誤した。

「そうなんだ。結構、便利なんだね」

「これを使って死んでたら、元も子もないですからね。もし、必要なら用意しますけど。どうしますか?」

「ここの修繕は、どれくらいで終る?」

「一週間です」

「三日で終わらせられない?」

「…分かりました。やってみます」

「よし。蓮花ちゃん。一旦帰ろう」

「そうですね。皆さんにも、話さなきゃないですしね。それでは」

篠に別れを告げ、すぐに里を出ると、自宅に向かい、大地を走る皇牙を追うようにして、木の上を移動した。

「蓮花ちゃん。大丈夫?辛い?」

別に辛い訳じゃなかったが、枝の細さに気を取られ、普段よりも、早く動けず、皇牙から、離れてしまっていた。
皇牙の前に降り立つと、眉を寄せて、苦笑いを浮かべた。

「少し」

「この辺は、手入れされてないから、当然だよね」

「ですよね。仕方ないから走ります」

「大丈夫?」

普通の人よりも早く走れるが、妖かしの皇牙と比べたら、天と地の差がある。
しかも、狼の妖かしの皇牙は、他の妖かしよりも更に速い。

「蓮花ちゃん。乗って」

目の前に屈み、皇牙は、背中を見せた。

「大丈夫です。早く行きましょう」

横を通り過ぎ、少し先で、振り返ると、皇牙は、淋しそうな顔をしていた。

「分かった。でも、無理しないで、辛くなったら言うんだよ?」

そこからは、鬱蒼と生い茂る木々を避けながら、必死に、足を動かしたが、呼吸が、すぐに上がってしまった。

「大丈夫?」

先を行く皇牙は、まだまだ余裕がある。
これが、人と妖かしの差なのだ。

「ホントに大丈夫?」

並ぶ皇牙に、返事を返そうとしても、声すら出なくなっていた。

「…蓮花ちゃん。ゴメン」

走りながら抱えられ、皇牙は、一気にスピードを上げた。

「怖いなら、目つぶってて」

目の前にある皇牙の顔を見つめ、その声は聞こえなかった。
斑尾達以外に、抱えられたことがなく、どうしたら良いか分からず、そのまま、大人しくしてると、すぐに自宅に着いた。

「…このまま、中まで行く?」

「お降ります!!」

その速さと乗り心地の良さに驚いて、ボーっとしていると、満面の笑みで視線を向けられ、慌てて降り立ち、季麗達を皇牙に任せ、佐久に電話した。

「…ってことで、私の部屋にあるはずだから、集めといてもらっていい?」

「分かった。準備しとく」

「有り難う。斑尾が行くから」

「分かった」

残して来た護符を集めてくれるように頼み、すぐに斑尾に向かわせ、持ち帰った護符を皇牙に渡した。

「ごめんなさい。これしか用意出来なくて」

あまり作っていなかったこともあり、百枚程しかない。

「大丈夫。これだけあれば、なんとかなるよ」

「皇牙。里に戻るぞ」

「あぁ」

渡した護符を持って、季麗達が、里に戻って行く背中を見送った。

「斑尾」

「準備は整ってる」

斑尾達は、もう行動を起こしていた。

「急ぐぞ」

「…ありがと」

急いで、寺の奥に向かい、行き止まりの何もない壁に、五芒星を描き、胸の前で手を叩くと、強い光が放たれた。
五芒星の中央を押すと、観音扉のように、壁が大きく開かれ、真っ暗な闇が広がっていた。
誰もが、躊躇ってしまいそうな程の闇に、迷う事なく入ると、開かれていた扉は、後ろで、重たい音を発てて閉じられた。
足元を風がすり抜け、パチンと指を鳴らし、部屋の中央に置かれたロウソクに火が灯り、揺らめく光で、部屋の中が、浮かび上がった。
巻物や壁掛けなど、装飾品の一切がなく、床にロウソクが、円形に置かれただけの部屋。
その中心には、佐久と作った貴重な墨、斑尾を織り混ぜた筆、妃乃環と力を宿らせた和紙が、綺麗に並べられ、正装した亥鈴と理苑が待っていた。

「やるよ」

「御意」

それから、新たに護符を作り始め、夜が明けるまで、その部屋に籠った。

「頼む」

「あぁ」

出来上がった護符を斑尾が、楓雅に渡し、里に向かって飛び立った。

「本当に、手が掛かる」

「仕方ないだろ」

「そうですよ。これが、斑尾の役目でしょ」

笑い声を夜空に響かせ、亥鈴と理苑は、それぞれの寝床に戻り、斑尾も、いつも通りに、頭を抱えるようにして眠りに落ちた。
護符を里に持ち帰ると、すぐに朱雀達が出て来た。

「季麗様!!大変です!!八百音が!!」

斬島が居なくなった後、その他の者達も、同じように消えてしまった。

「今、総力を上げて…」

「呼び戻せ」

月蝶が絡んでいるとなれば、捜索に出向いた妖かしが、餌食になってしまうかもしれない。

「…分かりました。すぐに呼び戻します」

「呼び戻したら、修繕に回して」

「はい」

朱雀達が走り去るのを見送り、季麗達は、それぞれの牢屋に向かうと、そこにいた妖かしと共に、四隅に護符を貼り、悪妖の縄を外して回った。
縄を回収し終えた時、捜索に出ていた妖かし達を連れ、朱雀達が戻り、壊れた壁の修繕に取り掛かった。
それぞれの場所で、修繕や改装に追われながらも、それぞれの現状確認をしていた季麗達の前に、楓雅が、半妖の姿で現れ、無言で、新しい護符を渡すと、すぐに飛び去った。

「無愛想な奴」

「仕方ないだろ」

「構ってる余裕もありませんし」

「そうだな」

空に向かって苦笑いしていると、遠くから、風に乗り、甘く淡い香りが鼻先を掠めて、静かに消えた。
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