黄泉世の護人(モリビト)

咲 カヲル

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二十八話

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流青達が向かった方に向かっていると、隣を飛んでいた亥鈴が、視線を向け、驚いた顔をして叫んだ。

「蓮花様!!どうされた!!」

「へ?」

「足がっ!!」

亥鈴の視線を追うと、護符を貼った辺りの袴が、真っ赤に染まっていた。

「あ~さっきのだ」

「もしやお怪我を!?斑尾!!一旦、妃乃環達の所に…」

「大丈夫だよ。大きな怪我じゃないから」

「しかし!!」

「私の怪我よりも、流青達の方が大切だから」

真っ直ぐ前を向く横顔を見つめ、亥鈴は、小さな溜め息をつき、袴を汚す血から視線を反らした。
次第に、生暖かな雫が、伝い落ちる感覚がし始めたが、黙ったまま、暫く飛ぶと、黒い煙が上がるのが見え、その近くに降り立った。

「流青!!楓雅!!仁刃!!」

大声で呼び掛けても、その姿が現れない。
人は、焦りを感じると、良くない事ばかりを考えてしまう。
もしも三人が襲われていたら、もしも三人が月蝶に喰われていたらと、内心焦り始め、月蝶の存在を忘れたように、声を張り上げた。

「流青!!何処にいるの!!返事しなさい!!」

「蓮花。式札は使えんのか」

袂から、三人の式札を取り出し、破れていないことを確認した。

「来たれ!!流青!!楓雅!!仁刃!!」

呼び寄せてみたが、ハラハラと舞い落ちた。

「ダメ。使えない」

「我は空から探す。二人は、このまま、地上から探してくれ」

「あぁ」

「お願いね」

亥鈴が飛び立とうとした時、近くの茂みから、ガサッと、小さな音が聞こえた。

「誰だ!!」

斑尾の声に反応するように、小さな呻き声が聞こえ、視線を合わせ、頷いてから、その茂みに近付いた。

「気を付けろ」

静かに茂みの影を覗くと、妖かしの姿で、楓雅が倒れていた。

「楓雅!!」

その体を抱えると、その血で、着物が汚れた。

「楓雅!!楓雅!!」

「蓮…花様…」

「しっかりして!!」

「何があった」

「消火…を…してたら…急に…黒い影が…現れて…俺と…仁刃が防ぎ…流…青が消火を…続け…な…んとか…消火…し…たけど…影…が消えな…くて…俺ら…それを…なん…と…か…しようと…」

「もう良いよ。仁刃や流青は?」

楓雅は、ヨロヨロと、奥の茂みを指差した。

「有り難う。亥鈴。これ使って。あとお願い」

護符を渡し、亥鈴に楓雅を任せ、指差された茂みの方に向かうと、何かが引き摺られたような痕があった。
斑尾と辿り、二人を見付けたが、その姿に、その場に崩れ落ちそうになった。
妖かしの姿で、仁刃を庇うように、覆い被さる流青の体には、何か鋭く尖った物が、突き刺さった傷が無数にあった。

「流青…」

大きな流青の体を揺らすと、下にいた仁刃が、目を覚ました。

「蓮花…様…」

「仁刃。大丈夫?今、手当てするからね」

「私より…流青を…」

「分かった」

指を鳴らして、二人を人形に戻し、仁刃を斑尾に任せ、流青の手当てを始めた。

「ごめんね。帰ろう」

二人を斑尾の背に乗せ、楓雅の所に戻り、亥鈴の背中に乗って、妃乃環達の所に向かった。

「有り難う。ごめんね?」

護符の力で、少しは楽になったようで、静かに寝ている三人を見つめ、そう呟く。
それを見つめ、斑尾は、黙ったまま飛んでいた。
それを見上げる影があるのも知らず、溢れそうになる涙を堪え、唇を噛んでいた。
妖かし達が忙しく動き回り、季麗達や朱雀達の目が離れたのを見計らい、皆と自宅へと戻り、妃乃環達に、流青や雷螺達を任せ、理苑を連れて、秘密の部屋に籠り、寺の結界を強めた。

「酒天。慈雷夜。ちょっと頼んで良い?」

「はい」

酒天に大きな鞄と印を付けた地図を渡し、慈雷夜には、六つの茶封筒を渡した。

「この印通りに中の護符を貼ってから、長老様方に、これを渡して来て。それから言伝て。何があっても、里の外に出るな。じゃ、お願い」

「御意」

二人は暗闇に紛れ、里に向かい、地図通りに、護符や巻物を貼って回り、誰にも知られないように、長老の所を回って、伝言と手紙を渡して、夜明け前に戻って来た。

「亥鈴。流青達を佐久の所に運んで。妃乃環達も一緒に行って」

「どうしてだい?」

「巻物が足りないの。佐久の所には、ここより良いのが揃ってるしさ」

「それもそうだねぇ」

「それに、あっちの方が、安全に治療出来るはずだから。お願い」

流青も一命をとりとめ、誰も死なずに済んだが、今の状況では守りきれる自信がない。
だが、それを言ったところで、どうする事も出来ない。
ならば、どうすればいいかと考えたところで、現状で出来ることは限られている。
それらを考えれば考える程、不安が不安が募る。

「…分かったよ」

そんな不安を感じ取り、妃乃環は、優しく微笑んだ。

「紅夜と阿華羽も連れてくよ?」

「分かった」

「ところで、まだ戻らないのかい?」

「なにが?」

「大人にさ。ずっと、そのままじゃないか」

「今だけだよ。終わったら戻す」

「そうかい。あんま、無理しないでおくれよ?」

「分かってるって。じゃ、明日にでも、様子見に行くから」

「あいよ」

亥鈴を見送り、その後は、一人で秘密の部屋に籠った。
戻りたくても、戻れなかった。
袴を捲り上げ、真っ赤に染まる護符を剥がして、新しい護符を貼るが、すぐに赤くなり、深くない傷からは、止めどない血が流れる。
冥斬刀を取り出し、傷に翳してみたが、別に特別な事はない。
真っ赤になる護符を削ぐように、冥斬刀で撫でると、傷は消えたが、その痕が薄らと残った。
冥斬刀で消した傷は、跡形もなく消える。
だが、そこには、確かに傷があったと、示すように、残った痕を見つめ、様々な思考を巡らせ、色々と考えてみる。
その時、魔石の存在を思い出し、床に描かれた五芒星の中央に数珠を置き、袂から魔石を取り出した。
数珠の中に魔石を置き、手を合わせると、小さな筋が数珠から立ち上り、魔石を捕らえて覆い尽くす。
手を叩き、光が弾けて、魔石が消えると、足に痛み走った。
急いで、袴を捲り、傷痕を確認すると、棘の様な模様が浮かび上がっていた。

「…やられた…」

魔石には、古くから使われてる呪術が、掛けられていたのだろう。
模様は、肌を這うように、少しずつ広がり、更には、呪が隠していた怨念によって、傷跡が紫色になった。
古い呪なら、古い術で打ち消す。
親指の先を噛み切り、昔の文字を模様を囲うように書き、手を合わせて、呪文を唱えると、文字から光が放たれた。
黒い靄に光の筋が絡み、それ以上、呪が広がるのを防いだが、光の筋が止められるのは、呪だけであり、魔石の怨念は、止められない。
呪を抑え込んでいる間、手を翳して浄化を行う。
呪に怨念を隠すとは、月蝶も、手の込んだことをする。

「…まさか!!…あれ?」

急いで、雷螺の式札を取り出し、何もなっていないことに首を傾げた。
魔石が消えたことで、怨念が現れたのならば、少年の攻撃を受けた雷螺にも現れるはずだが、雷螺の式札も、流青や楓雅の式札にも変化はない。
月蝶が、魔石を操ったのだろうか。
しかし、魔石は、憎しみや苦しみが、集まり出来上がった物。
怨念の塊と言っても、過言ではない。
そんな魔石だからこそ、触れただけで、邪心に蝕まれ、与えられる力に心酔し、自ら破滅に向かう。
果たして、それを操れるのだろうか。
そもそも、護人でもない月蝶が、魔石に触れていても、正気を保っていられるのだろうか。
魔石を抑えられるくらい、月蝶の力が強いのだろうか。
そこまで強いのならば、魔石を使わずとも、直接、襲いに来れば済むのではないだろうか。
何故、わざわざ、魔石を使い、他者を狂わせて仕掛けるようなことをするのだろうか。
それとも、蝕まれるのは妖かしや霊だけなのだろうか。
だが、一昔前に人が手にした時も、邪心に蝕まれていたと、記録に残っている。
ならば何故、月蝶は、狂わないのだろうか。

「あーーーーーもう!!」

考えれば考える程、次々と疑問が生まれ、その答えが導き出せない。

「…もう分かんないよ」

寝転がり、呟いた所で、誰も答えてはくれない。
この状況で答えを見付けるには、誰かの知識を借りる他ない。
それが出来るのは、夜月一族の中でも、華月くらいだろう。

「…仕方ないか」

大きな溜め息と共に、数珠を外し、手のひらに乗せる。

遺志イシ継ぎし、護人モリビトなりて、後志ゴシ迷いなれば、志士なる途よ、開かれよ」

バラバラになった数珠が、宙で円を描き、その空間が黒い闇に変わった。
その暗闇を進むと、黄泉と似ているが、黄泉と違う世界に繋がっている。
そこは、護人だった霊が、任から解放され、転生に向かうまで過ごす安息の地。
護人の庭。
護人の為だけに用意された黄泉と言えば、聞こえは良いが、護人だった霊以外に何もいない。
護人を囲う為の鳥籠のような場所なのだ。
死んでも、特別な扱いを受けるのは、その霊自身が、強い力を保有しているからであり、その力を失わせない為でもある。
黄泉の護人を受け継ぐ者を途絶えさせない為に、用意された特別な場所。
霊となってしまえば、次の転生ミチは選べない。
だが、護人だった霊は、護人になる運命を背負わなければならない。
何処の世界でも、身勝手で理不尽な事は存在する。
それは、黄泉の世界でも同じだが、華月は、それを善く思っていなかった。
どんなイノチも、自由であり、平等でなければならない。
そう考えていた華月は、何人もの護人となれる霊が、幾つも産まれていたが、それを選ばせていた。
今までの人々は、誰も、その意志を受け継がず、華月は、ずっと護人を続けていた。
同じ未来を用意され、同じ運命を決められていても、それに抗い、己で決めることを華月は望んでいた。
意志を継ぐ者が現れた瞬間、華月も、一つの霊となれた。

『あまり来ないでおくれよ?』

『分かってるよ。次、来る時は、サヨナラの時だよ』

転生するまで、一人で過ごさなければならない。
そんな孤独な庭は、その寂しさが紛れるようにと、色鮮やかな草花が、濁ることのない池の周りに群生してる。
そこに、誰かが訪れ、去った後は、空しさが倍増する。
それが分かるからこそ、多くの知恵を身に付け、解決してきたが、今回の事は、一人の知恵だけでは対処しきれない。
斑尾や亥鈴の知識を借りることも考えたが、斑尾達は、黄泉の成り立ちや、存在意義を知ってても、その細部までは分からない。
誰も分からないことならば、長く護人をしていた華月に聞くしかない。
更には、月蝶と関わりのある華月ならば、今回の事も、何か分かるかもしれない。
確証はないが、現状では、華月を頼るしかないのだ。
暗闇を抜け、椿や山茶花が咲き誇る中を通り、滝が止めどなく流れ込む池の畔にある大きな岩の上で、釣糸を垂らす背中を見上げた。
年寄りなのだが、黒々した長い髪と、その横顔は、かなり若く見える。

「どうしたんだい?そんな格好で」

「すみません。お聞きしたい事がありまして」

ゆっくりと、振り返った華月は、優しい微笑みを浮かべた。

「何かあったのかい?」

華月の優しい声色と微笑みが、少しだけ不安を削ぎ落とす。
なんでも平等の考えがある為、ご先祖様である華月と同じ岩の上に乗るが、華月も、それをどうこうと言わない。
互いに気楽な関係でも、真面目な話をする時は、正座をしてしまうのは、相手とちゃんと向き合うクセである。

「実は…」

今までの事を話すと、華月は、困ったように、眉を寄せ、顎に指で撫でる。

「もしも、月蝶が魔石を操れるとしたら…」

「それはないね」

「何故、言い切れるのですか?」

魔石は、遥か昔、陰陽師や式神、妖かしなど、元から力を持った者が、無念の死を遂げ、その怨念が、他の負の情念を巻き上げ、出来上がった。

「その中心部。つまり、元となる怨念は、我らよりも、遥かに力が強かった者達。その力を抑え込んで、操るとなれば、月蝶は疎か、護人であっても出来ない」

「であれば、私の受けた傷は、どうやったのでしょうか?」

「幻術か。あるいは、少年に何かを施したか」

「しかし、同じように傷を受けた者には、何の異変も見られませんでした」

「ん~~~。そしたら、他の方法があるのかもしれないね」

腕を組んで、悩んでいた華月が、足に視線を止めた。

「…もしかしたら、君自身に術を掛けたのかもしれない」

「まさか。月蝶に触れられた事もありませんよ?」

「対立した時、斑尾達は、居なかったのだろ?」

「えぇ」

「その時、檻糸オリイトを付けられたんだね」

檻糸とは、悪妖や浮遊霊が、何処に行っても、必ず見付けられるようにする為の糸である。
実態に近付かなくとも、小石や枝などを使えば、その体に絡めることが出来る。

「とりあえずは、その檻糸を取った方が良いね。見せてごらん」

足を前に出し、体操座りのような形になると、華月は、そっと手を翳した。
ボンヤリと蒼白い光が、絡んでいた檻糸を浮かび上がらせた。

「こんなに絡ませて。どんな事をしたんだい?」

「ちょっと、頭に来てしまって」

「怒るなとは言わないけど、もうちょっと冷静にね?」

「ごめんなさい」

「そんな顔しないで?君を責めてる訳じゃないから」

絡む檻糸を取りながら、華月は、困ったように微笑んだ。

「…はい。取れたよ」

「有り難うございます。しかし、檻糸が絡んでたなんて、気付きませんでした」

「かなり細いからね。何より、違う方に気を取られてたんじゃないかな?」

確かに、色々と気が散っていた。

「傷の方はどうかな?」

袴を捲り、傷を確認すると、魔石の気配は消えていたが、棘模様は消えない。

「これは、戒めの印かな?」

「私も、そう思ったので、解印を施したんですけど」

「ダメみたいだね。ん~~。これも、ちょっと、いじってあるのかな」

傷に触れようとした華月の指が、黒い影に弾いた。

「かなり強いね。痺れるかい?」

「今は大丈夫です」

華月が解印を撫でると、放たれる光が強くなり、棘の模様が、徐々に小さくなった。
どんな者の力にも、自身の力を練り込ませ、増幅させる事も、減少させる事も出来るうえに、それを自身の力へと返還し、蓄積することも出来る。
譲り受けるのではなく、自らで、それを操ることが出来る。
その技術の高さが、華月の凄さなのだ。

「君の体質には、負けてしまうよ」

「え?」

華月が、自身の頬を指差した。

「…でも、本当に凄いですから」

「君は、多くの命に慕われてるだろ?」

「それは、貴方も同じです。それに、私は、貴方を慕った者に助けられてます。だから…」

「違うよ」

真っ直ぐ見つめる華月は、優しい微笑みを浮かべた。

「斑尾達は、確かに君自身を慕っている。自分を信じるだよ?」

自分を信じるから、自信が産まれる。
言の葉とは、とても不思議で、強さにも弱さにもなる。

「…はい。にしても、月蝶は、どうして、こんな手の込んだ事をしたのでしょうか?」

「分からない。もしかしたら、斑尾達の力を狙ってるのかもしれないね」

「私を消して、斑尾達を喰らうって事ですか?」

斑尾カレらの力は、妖かしの中でも、かなり強大だからね」

「でも、それなら、どうして、流青や楓雅に怪我させただけなのでしょうか?」

「それは、君の方が、月蝶より強いからじゃないかな」

「確かに、斑尾達のおかげで、強いかもしれませんけど」

「それも間違いだよ?」

式となった妖かしが、具現化されているには、主である陰陽師自身の力が、なければならない。

「斑尾達は、常に具現化され、普通の妖かしと同じように生活してる。つまり、君自身が、ずっと力を放出していることになる」

「でも、それだけの事で、私が月蝶より、強い訳じゃないんじゃ?」

「常に放出している力を止めれば、きっと、僕よりも強いはずだよ?」

「でも…」

「死ぬ間際まで、斑尾達を具現化してられたのだからね」

「っ!!何故それを!?」

「これでも、此方側の住人だからね。君の香りがすれば分かるよ?無茶はしちゃいけない」

「すみません」

子供らしく、シュンと肩を落として見せると、華月の手が、頭に乗せられた。

「僕も、偉そうに言えないけどね。ところで、呼式コシキの鏡は、どうしたんだい?」

「ちゃんと、結界の中に保管してあります」

「ならば、一時的に、斑尾達を帰還させてみないかい?そうすれば、君の力がぞう…」

「イヤです」

袴を握るように、拳を作り、小さく震わせると、華月は、大きな溜め息をついて、頬を掻いた。

「もしも、私が消えて、呼式の鏡が奪われてしまったら、斑尾達が危険になる。それだけはイヤ」

「…君は、どうしたいんだい?」

「私は…私は、私の大切なモノを守りたい。私自身が、どうなったとしても、大事なモノを守りたいです」

華月と見つめ合い、風のない世界に、そよ風が流れ、髪に飾られた小さな鈴を鳴らした。

「覚悟はあるんだね?」

「はい」

「…よし。なら、冥斬刀について教えてあげよう。まず、君が使ってる冥斬刀は、ジョウの型と言って、通常の形なんだ。そして、冥斬刀には、幾つか型があり、時と場合によって、その形状を変えることが出来る」

「どうやってですか?」

「それを今から教えるんだよ。とりあえず、冥斬刀を出してくれるかい?」

基礎知識を学び、次の型に移す修練が始まった。

「…そろそろ、夜が明ける頃だ。これから、暫くは、此方に来て、修練に励んだ方が良いね」

「げっ」

「ダメだよ?一度、決めたならやり遂げなきゃ」

「分かってます。ちゃんと来ます」

「なら、そんな顔しないで」

露骨に、本心が顔に出てしまい、華月は、眉を寄せ、困ったような、呆れているような、複雑な顔をした。

「う~~~。ちょっとくらい、良いじゃないですか」

「それとなくならね?」

「は~い。では、失礼します」

「また明日」

華月に見送られ、来た時と同じ暗闇の中を戻る。
足が縺れ、フラフラしながら、歩いているのに、苦笑いが浮かぶ。
少しの修練で、足が縺れていては、皆を守ることは出来ない。
力を蓄えなければ、体が保てなくなる。
だが、周囲の活力や摂取できる命だけでは、限界がある。
少しずつでも、蓄えられるようにするには、放出している力を削らなくてはならない。
ならば、出来ることは一つだ。
不安は残るが、皆と話をしてみなければ、分からない。

「はぁ~。ムチャクチャ忙しくなるな~」

淋しい一人言と溜め息は、暗闇に消え、現世へと帰還した。
秘密の部屋に戻り、大人の姿になって、部屋を出ると、外は完全に明るくなっていた。

「ダルっ。もっと早く言ってくれても良いのに。あ~もう!!斑尾!!斑尾!!」

気持ち良さそうに寝てる斑尾を叩き起こし、理苑と一緒に里へ向かわせ、一睡もしない状態で、事務所に出勤し、仕事を片付け、残りの仕事を同業社に引き継ぐ。

「喜んでお引き受けします」

「有り難うございます。お引き受け致します」

「責任を持って、お引き受けさせて頂きます」

「我々としても、嬉しいお話です」

極小会社でも、ここまで生き残れたのは、同業社からも、厚い信頼を買っていたからなのだろう。
快諾の返事を聞き、何処に紹介するかまで決めてから、取引先に連絡する。

「調整ではなく、停止なんですか?」

「再開の目処は?」

「我々としては、お付き合いを続けさせて頂きたいと思ってます」

「再開され次第、ご連絡を頂けませんか?」

多くの取引先から、再開を願われる中で、会社を紹介するのは、かなり心苦しい。

「…ご迷惑をお掛けしました。失礼します…よし。次行こ」

かなりの労力を使い、疲れていても、休んでる暇はない。
事務所を閉め、自宅に戻り、身の回りの整理を始めた。
もう自宅にも、帰れなくなる。
祖父母が遺した財産を手離す覚悟を決め、遺される者の為を考えるならば、ちゃんと身辺整理はしておいた方が良い。
全てが終わった時には、夕暮れが迫っていた。
最後に、池の水を抜き、空っぽにすれば、覇知でさえ、もう、この寺には来れない。
必要最低限の荷物を牛車に乗せ、入念に戸締まりをしてから、周辺の木々に護符を貼る。
もう、誰も、ここを訪れることはない。
その者の想いが、強ければ、辿り着けるかもしれないが、出来るとすれば、斑尾達くらいで、菜門でさえ無理だろう。

「じゃ。行こうか」

「…御意」

勘の良い亥鈴は、分かっていた。
だが、何も言わず、静かに飛び立った。

「ところで、斑尾は、どうしたのです?」

「理苑と一緒に、里の方に行ってもらってる」

「月蝶ですか?」

「だけじゃないよ。取られた妖かし達のこともあるから」

連れて行かれた時任達が、月蝶の手で、どう変えられているか分からない。
魔石に蝕まれ、暴れれば、季麗達だけでは、どうしようもないが、斑尾や理苑がいれば、対処が出来る。

「二人だけで、大丈夫なのですか?」

「もちろん、村に着いたら、酒天や慈雷夜達を連れて、亥鈴にも向かってもらうよ?」

「ですが、それでは、蓮花様の身辺が…」

「大丈夫。それよりに、これ以上、被害を広げたくないし」

「そうですが…我らが離れれば、月蝶は、蓮花様を…」

「月蝶は、私の倒すよりも、力を欲している。なら、妖かしが住む里は、良い狩り場になる。なら、そこを絶たせる方が先でしょ」

「しかし…」

「亥鈴。私は、そんなに信頼ない?」

「そんな訳では…」

「なら、何が不満?」

「不満などありません。我は、蓮花様を…」

「私は、主として未熟だもんね」

「そんな事!!」

「亥鈴」

風を浴びながら、真っ直ぐ前を見つめ、亥鈴の髪に頬を寄せた。

「分かってるんだよね?だから、心配してるんだよね?有り難う」

「蓮花様…」

「でも、もう決めたの。だからお願い。斑尾の傍にいてあげて」

「…蓮花様も、華月様も、勝手に、我々の想いなど、無視するようにお決めになる。我からも、一つお願いがございます」

「なに?」

「必ず…お帰り下さい」

「…ごめん」

その約束は出来ない。

「帰れたら帰るから」

だが、せめてもの罪滅ぼしに、明るい声で告げた。

「…お待ちしております…」

いつ帰れるかも、分からない。
それでも、待ってると言われるのは、引き裂かれるように胸が痛む。
それ以上、何も言わず、佐久の所に向かい、酒天や慈雷夜達を連れ、亥鈴は飛び去る。
流れる風は、とても優しく、木々を揺らし、葉が擦れ合い、暖かな音色を奏でる中、記憶に焼き付けるように、その背中を見送り、流青達の所に向かった。
雷螺も流青も、だいぶ落ち着いていた。

「佐久。紗輝」

「…来たか」

佐久は、これから何が起こるのかを知ってるように、真剣な顔をしていた。

「蓮花さん…僕ら…」

「妃乃環達って何処?」

不安そうな声を遮り、無理矢理、明るい声で聞けば、紗輝の瞳が揺れ、今にも泣き出してしまいそうな顔をした。

「…裏だ」

「有り難う。佐久。紗輝」

静かに正座をして、二人に向かって頭を下げる。

「皆を、よろしくお願いします」

「…あぁ…」

弱々しく微笑みを浮かべ、二人に背中を向け、離れようとした。

「…蓮花」

佐久は、視線を落としながら、静かに拳を握った。

「本当に…良いのか?俺らは、お前の為なら」

「大丈夫」

何があろうと、絶対に揺らがなかった佐久の瞳が、初めて揺れ、薄らと涙の膜が張った。

「大丈夫だよ?皆が、笑って、生きててくれれば、私、幸せだから」

愛するモノが、笑って生きている。
例え、自身が消えてしまったとしても、それを守れるのならば、これからを笑い、生きてくれるモノがいれば、それだけで、人は、幸福を感じられる。

「それじゃ、よろしくね」

何も変わらない。
誰が何を言おうとも、その決心を変えることは出来ない。
二人は、静かに涙を流した。

「妃乃環、紅夜、阿華羽」

寺の裏。
多くの木々が生い茂る中、三人は、木陰で、悲しそうに目を伏せていた。

「三人共、お疲れ様」

「アタシらは、当たり前のことをしただけさ」

「でも、有り難う」

煙管を持つ妃乃環の手が、小さく揺れた。

「妃乃環、紅夜、阿華羽。お前達に名を返します」

名を返すことは、式契約の解除を意味する。

「…どうしてだい…」

三人の肩が、小刻みに震え、紅夜の呟きと共に、その頬を涙が流れ落ちる。

「…アタシらは、まだ、蓮花様と…共にいたいのに…」

「私も。皆といたい」

「なら!!」

「でも、それだけじゃ足りない」

風に流され、揺れる髪を掻き上げ、ニッコリ笑うと、紅夜と阿華羽の顔が歪んだ。

「私は、皆に笑って欲しい。ずっと、ずっと笑ってて欲しいの。私、欲張りだからさ」

「…ざけんじゃないよ…」

それまで、黙っていた妃乃環が、握り締めていた煙管を投げ付け、胸ぐらを掴んだ。

「何が笑ってて欲しいさ!!何が欲張りさ!!結局はアタシらを置いて逝っちまうんだろ!?そんなんで…そんなんで…どうやって笑えって言うんだよ…アンタがいないのに…どうやって…」

「忘れれば良い」

真面目な顔をして、妃乃環を見つめた。

「忘れて、明日アスに向かって笑えば良い。人も、妖かしも、そうして生きるの。それが、遺されたモノの役目。ただ一つ、私の願い」

妃乃環が肩に顔を埋め、阿華羽も紅夜も、座ったまま、顔を覆って泣き出した。

「…厭だよ…厭だよ…いなくなるなんて…厭なんだよ…」

「あの時は、許してくれたじゃん」

「あの時は、斑尾も一緒でしたでしょ?でも、今回は違うわ」

袂から出て来た八蜘蛛も、目元に涙を溜めていた。

「蓮花様が、独りになるなんて…厭なのよ…」

「独りじゃないよ?」

八蜘蛛の頬を撫で、涙の筋を消す。

「契約が消えても、皆、私の家族だよ?だから独りじゃない」

「…阿呆が…」

馬鹿にする言葉でも、優しさを帯び、愛しさに溢れている。

「…少しだけ…アタシらに…時間をおくれ…」

「良いよ」

泣きじゃくる紅夜と阿華羽をなだめながら、静かに泣く妃乃環と八蜘蛛の涙を拭き、別れを惜しむ四人に、ありったけの愛情を注ぐ。

「…ごめんね?」

日が暮れて、辺りも、すっかり暗くなってしまった。

「良いんだよ」

「アタシらこそ、何も返せなかったね」

「そんな事ないよ。皆が笑ってくれただけで、嬉しいから。有り難う」

ニッコリ笑うと、四人は、腫れぼったくなった目を細めて、小さく笑った。

「アタシらこそ。有り難う」

互いの名前が、書かれた式札を手のひらで、挟むように持つ。

「その名が元へ還れ」

式札から蒼白い靄が上がり、体に溶け込み、互いの記憶が流れ込む。
人の子に捕まり、衰弱してた紅夜と阿華羽を拾い上げた。

『ごめんね…』

『良いんだよ』

『アンタが泣くことじゃないよ』

弱りきって、踏み潰されそうだった八蜘蛛を見付けた。

『大丈夫?ごめんね』

『大丈夫よ。嬢ちゃんが悪いんじゃないんだから、泣かないで』

妃乃環と契約を結んだ。

『…ごめんね…ごめんね』

『良いんだよぉ。こうして、助けてくれたんだ。泣くんじゃないよ』

どの瞬間も、泣いていた。
人の業が、小さな命を奪い、その命を苦しめた。
だが、隣では、皆が笑ってた。

ーありがとよー

ー大好きー

ー大好きだよー

ーありがとー

聴こえる声は遥か遠く。
風に流されながらも、妃乃環達の呟きも、抱き締めてくれる腕も、とても暖かい。

「有り難う。私もよ」

微笑みながら、薄れゆく紅夜達は、記憶の中で、一番に想いを残した場所に帰る。
妃乃環も、一つの命となれた。
これからは、思うように生きられる。
会おうと思えば、幾らでも会える。
そして、妃乃環カノジョ達は、きっと会いに来るだろう。

「さよなら…愛しき者達…永久に」

星の輝く空を仰ぎ、呟きを風が拐う。
それを見つめ、紗輝は、必死に声を殺して泣き、佐久は、奥歯を噛み締めていた。
その日の真夜中。
誰にも気付かれないように、奥の部屋に向かい、数珠の輪を通り、護人の庭に行くと、華月は、その姿を見るなり、悲しそうに目を細めた。

「大丈夫なの?」

「大丈夫です。お願いします」

寂しさに染まるよりも、冥斬刀の変化を修得することを優先する。

「じゃ、昨日やった所までやってみようか」

その日、一つ目の変化を成功させた。

「じゃ、次の型ね」

「はい」

休む暇もなく、次へと移り、フラフラと歩き、数珠の輪を通り抜け、大人の姿に戻ると、そのまま、床で寝てしまい、起きた時は、夕暮れが近付いていた。
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