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二十九話
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疲れの抜けない体を無理に動かし、流青達の様子を見に行く途中の渡り廊下から、雷螺の背中を見付けた。
「雷螺」
紅夜達と別れた場所に立ち、空を見上げる雷螺の頬には、涙の筋があった。
「もう大丈夫なの?」
「…吾らは…お邪魔なのですか?」
振り返った雷螺の目元は赤く、ずっと泣いていたことを知らせる。
「吾らは、蓮花様の為ならば、盾となり矛となる。蓮花様の為ならば、この命…」
「雷螺。それ以上言ったら許さないよ」
「っ!!…お主は…貴女はどうなのですか」
雷螺は、目尻を吊り上げた。
「里を、村を、我らを守ろうと、その命を投げ捨てようとしてる。貴女こそ、命を粗末に扱ってるのではないか」
「…そうかもしれない」
「ならば、吾らも…」
「でも違う」
真っ直ぐ見つめ返すと、雷螺は、奥歯を噛み締めた。
「私は私の為。自身の為に、この命を使う。誰かの為じゃない」
「そんなの…屁理屈じゃ…」
「屁理屈でも良い。私は、私の幸せの為に、皆を守るの」
「吾らの…吾の想いはどうするのだ!!」
雷螺は、拳を震わせながら、大粒の涙を流した。
「吾は!!吾は…あの時…あの子を失い…死んだのだ…それを拾い…生きさせた…それを…それを!!無責任でないか!!」
「確かに無責任かもしれない」
「ならば!!何故じゃ!!何故…捨てるのだ…」
「捨てるんじゃないよ」
微笑みを向けると、雷螺は、苦しそうに顔を歪めた。
「ただ縛りを無くすだけ。私と雷螺は、ずっと家族だよ。それは、何も変わらないよ」
ニッコリ笑う顔に、亡くなった子供の笑顔が重なり、雷螺は、膝から崩れるように座り込んだ。
「…厭じゃ…吾は…お主と…生きたいのじゃ…吾は…」
雷螺の頭を抱き寄せ、頬を擦り寄せた。
「ごめんね?でも約束だから。あの子との約束。だからさ」
人の勝手で、雷螺の子供は、その小さな体を傷付けられ、母から離れた場所で逝くことになってしまった。
『…ごめんなさい。本当にごめんなさい』
もっと早く気付いていれば、もっと早く駆け付けていれば、救えたかもしれない命が、目の前で消えようとしていた。
『良い…ん…だよ…僕が…信じた…僕が悪い…から…』
人を信じてしまった為に、自身の命が消えようとも、雷螺の子供は、決して人を恨まなかった。
『ねぇ…僕のお願い…聞いて…くれ…る?』
その瞬間まで、人を信じようとする姿は、とても健気で、その命を傷付けた人を恨んでしまいそうになる。
『…もちろん。私に出来ることなら、なんでも聞くよ?』
何も感じ取れない人を恨んだところで、誰も幸せにはなれない。
そんなの無意味でしかない。
逝く者の願いを聞き入れ、叶えることの方が、多くの幸福が生まれる。
他者を恨むよりも、多くの幸福を与えられるように、手の中の小さな命に微笑みを向けた。
『きっと…母は…僕を追って…こようと…する…それを…止めて?…それで…僕の分も…母が…生き…れる…ように…して?』
『分かった』
『あり…がと…は…はを…お…ねが…い…ね』
笑いながら逝くのに、微笑みを返し、この世の理不尽と人の身勝手な行動に、大粒の涙を流した。
せめてもの手向けとして、沢山の花を添え、墓石を建てた。
『…立派な墓。花も、こんなに沢山。有難う。あの子も、喜んでくれるだろう』
雷螺は、静かに涙を流しながらも、穏やかに微笑んでいた。
『…あのね?お願いがあるの』
雷螺が振り返る前に、本来の姿に戻った。
『なんじゃ』
向けられた雷螺の目には、亡き子供の姿が重なって見え、奥歯を噛み締めていた。
その子との約束を守る為、雷螺を生かす為、罵られようとも、恨まれようとも、手段を選ばない。
「…生きて…お願い…」
あの時と同じ言葉を告げると、気高き雷獣は、あの時と同じように、胸に顔を押し当てて泣いた。
何度もしゃくり上げ、子供のように泣く雷螺は暖かい。
「雷螺。お前に名を返します」
無言のまま頷き、雷螺は、式札を取り出した。
「その名が元へ還れ」
紅夜達と同じように、名前を返すと、雷螺の記憶が流れ込む。
母親の優しさを携え、優しく微笑む雷螺が見つめる先には、白夜や流青とじゃれ合う笑顔。
真剣な顔の雷螺が見つめる先には、必死に大切なモノを守る背中。
淋しそうな微笑みを浮かべ、頭を下げる雷螺の見つめる先には、皆を携える主としての姿。
その全てに、亡き子供の姿が重なっていた。
ーお主は吾の子じゃ。吾の大事なお子なのじゃー
静かに涙を流し、抱き締める雷螺が薄れゆく。
「…さよなら。愛しき母よ。永久に」
薄らと星が輝く空を見つめ、涙の筋を乱暴に拭く背中を紗輝に支えられながら、楓雅が見つめていた。
そのまま、護人の庭に向かい、一つ、型を習得すると、次の型へと移った。
「…一体、幾つ型があるんですか?」
「そうだね~…確か、十四だったかな」
一つの型に一日掛かると考えれば、全ての型を習得するには、約二週間掛かる。
「何か効率の良い方法ないんですか?」
「ない事もないけど、そんな簡単じゃないかな」
「その方法とは?」
「やる?」
ニコニコと笑っている華月には、嫌な予感しかしない。
「説明を聞いてから~」
「やるの?やらないの?」
「とりあえず、説明を~」
「聞くって事は、やるんだよね?」
やると言わなきゃ、話してくれない。
「…頑張ります」
「違うよ?」
ご先祖様はめんどくさい。
「面倒で良いよ?どうせ、爺だから」
「すみません。やります。教えて下さい」
露骨に顔に出てしまい、拗ねたように、そっぽを向いた華月に、頭を下げた。
華月は、ニッコリ笑って、岩の上から、ヒラリと、降り立ち手を翳した。
「な!?ちょっ?!わぁ!!」
体が浮き、池に投げ出された。
「なにすっ!!」
「命の危機を感じた時、真の力が解放される」
真剣な華月に見据えられ、背筋が凍るように寒気が走った。
「僕を敵だと思え。そして、そこから這い出て、僕に向かって来い」
「ちょっ!!待っ!!」
引き込まれるように、何度も、池の中に押し込まれ、無駄な抵抗だと知りながらも、何度も水面から顔を出す。
「それじゃ、いつまで経っても、上がれないよ?」
苦しい中、必死に、冥斬刀を変化させようとしたが、光を放つだけで、型は変わらない。
「君の覚悟は、その程度か」
自ら潜り、華月の足元まで泳ぎ、潜ったまま様子を伺い、機会を待った。
「もう終わりか」
落ち着いて、冷静に考え、策を巡らせる。
肺の痛みを耐え、華月が、大きな溜め息をつき、背を向けた瞬間、冥斬刀の刃を蹴り、水面に飛び出し、振り上げた。
「阿呆が」
その考えは見抜かれ、華月の光を放つ手が、鼻先に突き付けられ、池に叩き込まれ、水面に背中を打ち付けた。
「その程度で斑尾達を守れるのか。村を。里を。守れると思っているのか」
水中でも、ハッキリと聴こえる華月の声が、心を掻き乱す。
「甘いのだよ。それでは、何も守れなぬ。全てを失うだけだ。お前は何者だ。お前は何者なのだ!!」
華月の叫び声が響き、護人の庭が揺れた。
霊となってる華月も、越えられない。
全てを失い、声すら出せない現状に、悔しくさ、哀しさ、苦しさ、様々な感情が混ざり合う。
薄れる意識の中で、冥斬刀を握り締めて願った。
華月を越えたい。
全てを守りたい。
叫びたい。
ー護人よ。その名を標せー
その想いに応えるように、力強い声が響き、冥斬刀が強い光を放つ。
暖かく、優しい光に包まれ、冥斬刀の刃に、額を着けるように抱く。
真の強さは、想いの強さ。
想いが強ければ、強くなれる。
「…姓は夜月。名は蓮花。我は、黄泉世の護人なり。冥斬刀よ。その名を示せ」
水の中で、声を響かせると、冥斬刀の形が変わった。
適わなくとも、全てを守れるように強くなる。
祖先が遺したモノも、愛するモノも、その全てを命を懸けて守り抜く。
その強い想いは、大きな力となる。
すぐには、越えられなくとも、その想いを胸に抱き続ければ、いつかは越えられる。
光は落ち着いたが、水面は揺れていて、何も見えない。
暫く、水面を見つめていたが、華月は、大きな溜め息をついた。
「…手の掛かる子孫だね」
一人言を呟き、その場に膝を着こうとした瞬間、水中から、鎖鎌が飛び出し、その頬を掠めた。
地面に刃が突き刺さり、水飛沫を上げながら、水中から飛び出し、光を宿した右手を華月の鼻先に突き付ける。
寸前の所で逃げた華月の前に降り立ち、虚ろな目で睨んだ。
「死んでしまうわ!!」
驚いた顔をしていた華月は、何が、そんなにおかしいのかと思う程、腹を抱えて笑った。
「笑うトコじゃないし!!」
「ごめんごめん。ふぅ~…変えられたね」
冥斬刀、採の型。
その名は漁火。
漁などで、手元や足元、水面などを照す灯火のことで、戦いの中で、使い手の灯火となるようにと造られ、そう名付けられた。
「型には、それぞれ、名が付けられるんだよ」
「なら、習得した型にも、名前があるんですか?」
「あるよ?でも、分からないでしょう」
「はい。何故ですか?」
「それは、声を聞けたか、聞けなかったかの違いだよ」
冥斬刀には、それぞれの型に意思があり、使い手が、心の底から願い、その声を聞ければ、冥斬刀自身が力を解放する。
「今までは、君自身の力だけで、型の解放をしていたから、かなりの力を消耗してたけど、冥斬刀に認められ、名を聞ければ、半分くらいの力で、型を変える事が出来る」
「…もっと、早く教えてくれませんかね?」
「言ったところで、君は、どうする事も出来なかったでしょう?」
「そんな事…」
「君は、とにかく、早く型の変化を習得し、月蝶を何とかしようと考えていたよね?」
人は焦ると、何も見えなくなる。
「それに、君自身が、強く望まなければ、このやり方は成立しないからね」
「望んだってか、そうさせられたと思うんですけど」
「そうだっけ?」
あからさまに、とぼける華月を見つめていたが、そこから記憶が途絶えた。
「やれやれ。本当に手の掛かる子孫だな」
大きな溜め息は、疎ましさや煩わしさがなく、愛しさが込められていた。
華月が、冥斬刀に触れると、それに応えるように光を放つ。
「すまんな。こんな子孫だが、宜しく頼むよ」
光と共に旋風が舞い上がり、冥斬刀が扇子に変わった。
「どれ。よっこいしょっと…大きくなったね…蓮花…」
その呟きも聞こえず、頬を泥で汚したまま、華月に抱えられ、小さな古家で眠った。
だが、布団などない古家で、床に、そのまま寝ていたことで、体が痛み、目を覚ました。
見たことない室内に、一瞬、固まってしまったが、護人の庭の古家には、微かに、華月の残り香があった。
時の流れのない世界で、その流れを知るのはかなり難しい。
古家から出て、空を見上げても、そこには、水彩絵具で描かれたような、偽物の空が広がる。
視線を下げると、近くの岩に座り、扇子で扇いでいる背中が見えた。
「おはよう。良く寝れたかな?」
「はい。有り難うございました。そろそろ失礼します」
「一つ、聞いても?」
「はい」
向き合うと、華月は、小さく微笑んだ。
「何故、皆との契約解除をしてるの?」
「前にも言いました。皆には、自由であって欲しいんです」
「…淋しくない?」
「淋しいですよ?でも、それは、今だけです」
結局、死ねば一人になる。
「今来れば、僕がいるよ?」
「私が死ぬとなれば、転生に向かうでしょ」
「さぁ。分からないよ?」
「…ホント、このご先祖様は、めんどくさい」
「そう?まぁ。その子孫は、更に、手が掛かるけどね」
互いが互いをちゃんと理解してるから、皮肉な事を言っても嫌な感じがない。
「では、また後で」
差し出された扇子を受け取ると、護符に変わり、それが冥斬刀だったことを知り、華月の凄さを痛感する。
「どうかした?」
「…いえ」
護符を胸に抱き、真っ直ぐ華月を見つめる。
「それでは、失礼します」
「…阿呆」
暗闇に消えた背中を見つめ、悲しそうに目を細めた華月の呟きは、届くことなく消え、また次へと向かい進む。
『蓮花。蓮花の名前は、ご先祖さまがくれたんだよ。遠い遠いご先祖さまが、遺してくれた名前なんだよ』
まだ母の腹にいた時、母と父が、あの池を訪れ、季節外れの蓮が、二人と、その子を祝福するように、大輪の花を咲かせていた。
『その後、二人は、産まれてきたお前に、蓮花と名付けたんだよ。きっと、ご先祖さまは、その名前を遺したかったんだろうね』
幼い記憶の中、祖父と叔父に、笑いながら、そんな話をされた。
「…あの人ならやりそうね」
小さく笑い、暗闇を抜け、背伸びをしてから、袂に仕舞っていた護符を取り出した。
ただの紙になってる冥斬刀を華月は、扇子に変えていたが、変えてみたいと思っても、変わらない。
小さく微笑み、護符を仕舞ってから、誰にも言わず、裏山に入り、蓮池よりも、更に奥へと向かった。
流れる小川を上流に向かうと、小さな滝があり、子供の姿で打たれる。
力だけで、変えるのではなく、華月のように理解され、変幻自在に変えられるようにする為、心を無にし、冥斬刀を常の型にして、額を刃に着け、変化を始める。
「姓は夜月。名は蓮花。我は、黄泉世の護人なり。冥斬刀よ。その名を示せ」
淡い光が体を包み、優しい声が聞こえ、その名を告げると、自然の流れで、冥斬刀を変えられるようになった。
だが、漁火までの三つまでは、変えられても、その次が変わらない。
滝を敵に見立て、習得した型で、流れ落ちる水を相手に、何度も変化させ、手に馴染ませる。
一人でも動けるようになった楓雅が、その背中を見つめていた。
日が暮れ、肌寒くなり、修行を切り上げ、護人の庭に向かったが、何もせず、精神統一をする為、華月と坐禅を行い、すぐに戻った時、戸を叩く音がした。
「はい?…楓雅…どうしたの?」
楓雅は、黙って式札を差し出した。
「良いの?」
頷く楓雅の瞳は、力強い光を宿していた。
強い決意を宿す楓雅は、とても心強く感じるが、同時に空しさも感じてしまう。
「…ごめんね…有り難う」
「泣くな。俺は、お前と同じが良い」
抱き寄せる楓雅は、見えないように唇を噛んで、自分の想いを押し殺した。
「有り難う…楓雅…その名が元へ還れ」
淡い光が体に溶け込み、楓雅の記憶が流れ込む。
他者を頼らず、他者を嫌い、他者を避けていた楓雅が選んだのは、山での生活だった。
だが、自然が減った世界では、暮らすには狭かった。
食料を探すにも、かなりの苦労を強いられ、空を移動すれば、人や悪妖の目に止まり、人に紛れようとしても、移り変わりが激しすぎて、対応出来なかった。
楓雅も限界だった。
面識のない女性の後ろから、妖かしの姿の楓雅の手が向かった。
『っ!!なっ!!』
その腕を掴み、口を塞ぎながら、横道に連れ込むと、女性は、振り返ったが、首を傾げ、小走りするように去って行った。
その様子に、止めていた息を吐き出すと、大人しくしていた楓雅は、口を塞いでいた手を叩き落とした。
『何する!!』
『なにって、止めなきゃって思ったから、止めただけなんだけどっ!!』
楓雅の手が首を掴み、背中を壁に打ち付けると、息が詰まった。
『ったぁ~。何すん…』
『俺は妖かしだ』
『だから何?そんなの、人を襲って良い理由にはならないよ』
『煩い。貴様に何が分かる』
『分からないよ。でも、話を聞くことは出来る』
『話をしたところでどうなる。貴様のような人の子が…』
『そんなの、聞いてみなきゃ分かんないでしょ』
悔しそうに歯軋りをしながら、楓雅の手に力が入り、喉が痛んだが、その瞳を見つめた。
『何が…出来るとか…どう…なるとか…一人…で…考えても…仕方ない…じゃん…』
『人はな。俺は妖かしだ』
『妖…かし…だって…誰かに…頼っ…ても…いい…じゃ…ん…みん…な…そうやっ…て…生きて…る…んだから…』
『もういい。死ね』
首の骨が、ミシミシと軋む音が頭に響き、息も吸えない程苦しくなる。
『わ…たしを…殺…し…ても…か…わらな…い…』
楓雅の瞳が揺れ、首の締めつけが弱まった瞬間、大きく息を吸ってしまい、激しく咳き込んだ。
『っだ~~苦しかった。本当に死ぬかと思った』
『…どうして…』
『なにが?』
『どうして逃げない。どうして俺を恐れない。どうして…』
哀しそうに目を細める楓雅のボロボロの手を取り、優しく撫でると、小さな傷が消えた。
『私も同じ』
楓雅の瞳が大きくなり、揺れるのを見つめ、小さく微笑みを浮かべた。
『私も同じなの。人なのに人じゃない。だから、私のように苦しんでるなら、助けてあげたいなって』
『どうして、そう思えるんだ。どうして…』
『私、沢山の人や妖かしに助けてもらいながら生きてるんだ。だから、私も、皆と同じように、困ってる妖かしを助けたいんだ』
ニッコリ笑うと、楓雅は、視線を落とした。
『どうしたの?どっか痛む?』
その腕に抱き寄せられると、楓雅は、肩に顔を埋めた。
『…人の世界って、とっても狭くて、住むには、大変だよね?』
無言で頷く楓雅の背中に腕を回し、その頭に頬擦りした。
『一緒においで?きっと気に入るから』
冷たい楓雅の手を引き、電車を乗り継ぎ、村に連れて来た時、その瞳が大きく揺れ、視線が向けられた。
楓雅に、微笑みを向けると、嬉しそうに細められ、その腕の中に閉じ込められた。
温もりを分け合うように、抱き締めた楓雅の体が透けていく。
ーお前と同じ。それだけが俺の幸せだー
出会えたことも、一緒の時間を過ごせたことも、笑い合えたことも、同じ想いを抱けたことも、その全てが幸せだった。
「さよなら。私の幸せよ…永久に…」
消えた楓雅を追うように、空は、暗さを増し、小さな輝きを放つ星が顔を出したのを見上げ、涙を流しながら、小さく微笑むのを仁刃が、寂しそうに、目を細めて、見つめていた。
その後、すぐに護人の庭に戻り、華月の古家に籠った。
一気に、六つもの式契約を解除したのが悪かった。
体のバランスが崩れ、全身に痛みが走る。
「…本当に手が掛かる」
膝を抱え、痛みに悶えるのを見下ろして、華月は、大きな溜め息と共に呟き、膝を着いた。
「焦り過ぎだよ」
内側から痛む体では、声さえ出すことが出来ない。
必死に痛みを耐え、丸めていた背中に、華月の手が翳されると、少しずつ体の痛みが和らいだ。
「すみません」
「謝るくらいなら、ちゃんと考えてからにしようか」
華月の力で、声は出るようになったが、動くことは出来ない。
「このままだと、弾け飛びそうだね」
「う~~…どうしよ…」
「どうしようって。そこまで、考えてなかったのかい?」
「ここまでとは、思ってなかったんですよ」
「つくづく甘いね」
「面目無いです」
腕を組んで、転がってるのを見下ろし、華月は、大きな溜め息をついて、顎を撫でた。
「塞き止めた力を放出するしかないね」
「でも、どうやって?式以外に、今の力を放出することなんて…」
「ないね。あるとすれば、冥斬刀くらいかな」
「…扇子ですか?」
「そう」
力の放出を抑える為に、護符となっているのを具現化させれば、その分、力を放出してられるが、常の型だと目立ってしまう。
「扇子や鈴など、身に付けていても、変に思われないような物に、変えて持ち歩く」
「しかし、それにも、名があるのでしょう?」
「ん?ないよ?」
使い手が身に付ける物は、使い手自身が決め、自らが産み出す。
「だから、出来た瞬間、自分で名を付けるんだ」
自らが産み出す。
それは、どんなに願っても、叶わない願い。
「君には、とても魅力的でしょう?」
なんでもお見通しの華月を横目で見上げ、すぐに視線を落とした。
「少し休んで、動けるようになったら、やってみればいい。そんな難しいことでもないから」
古家に一人になり、痛みを我慢して、袂から護符を取り出して、見つめてみた。
だが、護符は、なんの反応もせず、ただの紙として、手の中に静かに収まっていた。
大きな溜め息をついて、護符を額に着けて、目を閉じてみても、何も見えない。
「お前は何者なんだい?」
呟いても、誰も応えない。
そんな事をしてる内に、疲れで夢に誘われ、そのまま眠りに落ちた。
目の前に現れたのは、何処かの山奥にある祠だった。
その景色に、懐かしさを感じた。
ーおいで。おいでー
聞こえた声にも、覚えがある。
ーこっちにおいでー
暖かく優しいが、冷たく淋しい声に耳を傾けながら、祠を見つめた。
ーこっちにおいでー
人が、一人で隠れるには、十分の大きさの祠に歩みを進めると、近付く足音に、ニヤリと笑う影があった。
祠の前で立ち止まり、その扉を見つめていたが、ニヤニヤしてる影の期待を裏切り、祠の裏へと向かった。
ーこっちにおいでー
声を無視して、木の根元を見つめた。
ーこっちにおい…ー
「ねぇ。そこで何してるの?」
祠の声を遮り、木に声を掛けると、その姿に苛立った影が、祠から飛び出した。
振り返ると、目の前で、影は、体を引き裂かれ、黒い靄となって消えた。
視線を戻すと、眩しい程の光の中に、美しい黒髪を揺らし、美しい女性がいた。
「貴方は誰?」
ー…さぁねー
聞こえた声は、とても冷たい。
「名前は?」
ー知らないー
寂しそうに目を細める。
「何してるの?」
ー分からないー
女性は、苛立ったような声になり、目の前に降り立った。
ー貴女こそ誰?ここで、何をしているの?ー
「分からない」
ー何をしに来たの?ー
「…分からない」
大事なことを忘れているようで、それを思い出せない。
不安で視線を落とすと、そっと、手が差し出された。
その手に、手を重ねると、彼女の力が流れ込み、体に痛みが走った。
ーお前は何者なんだい?ー
女性の声を聞きながら、膝を着き、背中を丸めて、額を地面に着けた。
体が引き裂かれるように痛み、声すら出ない。
ー何者なの?ー
彼女の足元が、見覚えのある足元に変わり、視線を上げると、良く知っている顔があり、体が軽くなった。
「…私は貴女」
ーそう。私は貴女が造り出した自分。この世にあって、この世にない者ー
冥斬刀は、全ての型を合わせた総称。
元は、一人の護人が造り出した冥刀が、使い手達の意思を次々に宿した物。
十四とは、歴代の中で、その意思を宿らせることが出来た護人の数。
具現化させるとは、意思を宿らせ、その名を決める。
元々ある意思を目覚めさせるよりも、確かに難しくない。
「ご先祖様は、めんどくさい」
ー本当ね。もっと、早く教えれば良いのにー
「でも、やっと分かったよ」
体を起こし、子供の姿になり、ニッコリ笑うと、彼女も、ニコッと笑った。
「貴女のことを」
嬉しそうに微笑み、その姿が、光に包まれると、両腕を広げた。
ーさぁ。我、名を標せー
「お前の名は…」
その名と共に光に包まれ、暖かく、重たい意思を抱き、静かに目を閉じた。
「…ろ…起き…きろ…起きろ!!」
華月に揺すられ、ゆっくりと目を開けると、そこは、古屋の中だった。
「…大丈夫かい?」
「えぇ」
体を起こして、向かい合うと、華月は、優しく微笑んで、手に握られている扇子を見つめた。
「見付けたんだね」
「はい」
「名は?」
「それは…秘密です」
クスクス笑っても、痛まない体を伸ばして、華月に向かい、頭を下げる。
「これからも、宜しくお願いします」
「えぇ。では早速」
「はい」
扇子を握り締め、外に出ると、華月に相手をしてもらい、修行を再開した。
もちろん、荒行も続け、これまで以上に食事もするようになった。
そうして、力を蓄えながら、大切な者を守る為に、強さを身に付けた。
それから二日後。
荒行で、滝に打たれていたところに、仁刃がやって来た。
「仁刃?」
淋しそうに微笑んだ仁刃は、式札を取り出して手で挟んだ。
「…良いの?」
諦めたように、何度も頷く仁刃に、哀しみが湧き上がる。
「…ごめんね。仁刃。その名が元へ還れ」
出会った時は、微笑みを向けるだけだった仁刃が、皆と声を上げて笑っていた。
どんなに強くても、一人で生きるには限界がある。
だから、知らない内に、誰かと手を取り合い、支え合い、笑い合って生きる。
それを拒めば、心が折れ、感情が消えてしまう。
仁刃にも、心から信頼し、支え合える仲間が出来た。
仁刃の体が薄れる中、その手が頬に触れた。
ー信じてます。仲間を、友を、あなたを、これからも、信じていますー
晴れ渡る青空に消える仁刃を見つめ、胸を抉られるような感覚で、後悔してしまいそうになる。
「さよなら…私の友よ…永久に…」
それでも、立ち止まることは許されない。
守ると決め、皆が笑って生きられるように、強い想いを抱いて、進まなければならない。
風に流れる髪を揺らす背中を見つめ、流青は、唇を噛んでいた。
その日の夜は、護人の庭で、冥斬刀に力を与え、共鳴させると、その形が、徐々に確立されていく。
だが、まだ朧気で、完璧な形にはならなかった。
しっかりと形にするには、まだ時間が掛かるようだ。
「蓮花様」
荒行を終え、奥の部屋に向かおうとしていた時、流青の明るい声が聞こえ、振り返ると、その手に腕を掴まれ、走り出した。
「流青?!どこ行くの!?」
「こっち」
流青に手を引かれ、山の中を駆け回り、走り疲れる頃に、元の場所へと戻った。
「な…なに…何が…したかった…の?」
「…僕、一回で良いから、蓮花様と手を繋いで、走りたかったんだよね」
「…なんで?」
「だって、蓮花様と繋いだのって、一回しかないから」
しっかりと手を繋いだまま、式札を取り出した流青は、ニッコリ笑っているが、その頬を涙が滑り落ちた。
「大切な人達を奪ったのに、そんな我儘、言えないでしょ?」
「…流青…ごめ…」
「謝らないで」
繋いでいた手を離し、向かい合い、式札を手で挟む。
「有難う。流青。その名が元へ還れ」
あの日も、太陽が眩しい程の青空だった。
流青は、消え逝く師範に、縋り付くように泣く背中を見つめていた。
『…ごめんなさい…ごめんなさい…』
『もう良い』
『もう泣くな』
『でも…でも!!』
『笑ってくれ…蓮花』
『強くあれよ…蓮』
『いや…いや…嫌だーーーあーーーーーー!!』
大声で泣き叫び、空に向かう粒子に手を伸ばす姿に、抉られるように胸が痛んだ。
その手をすり抜け、粒子が、空へと消えると、泣き崩れ、その頬を泥で汚した。
奪ってはいけないモノを奪ってしまい、流青は、何も言えずにいた。
謝っても、許されることではない。
流青は、消されても仕方ないと、覚悟を決めて座っていた。
その隣には、白夜の姿もあった。
『…ごめんね…大丈夫?』
体を起こしながら、振り返った顔は、泥と涙で汚れていたが、優しく笑っていた。
小さく頷き、目を閉じると、その腕に抱かれ、頬擦りされた。
『…よかった…ごめんね…怖かったよね…』
暖かな腕に抱かれ、流青は、静かに涙を流した。
『…一緒に…行こ…ね』
弱々しい微笑みを見つめ、そのまま抱かれて、連れ帰ると、流青は、その罪を償うように、必死に、村中を駆け回り、復興の手伝いをした。
『ねぇねぇ』
村が元通りになっても、流青は、山には戻らずにいた。
『ん?うわっ!!ちょっと~。やめてよ~』
笑っていて欲しくて、悪戯をしたり、白夜とふざけたりしていたが、夜になると、月を見上げて、泣いている背中を見つめ、流青は、苦しそうに目を細めていた。
自分が傷付いても、笑って欲しい流青は、時折、危ないこともやろうとしていた。
『こら。そんな事したら、危ないでしょ』
滝の上から、丸太に乗って滑り降りようとしていた流青に向かって、手が差し伸べられた。
『おいで』
繋がれた手が、とても暖かい。
『そんな事しなくて良いから。傍にいて、笑っててくれれば、それで良いから。ね?』
浮かべられた明るい笑顔に、流青も、頬を桃色に染めながら、嬉しそうに笑っていた。
ー大事にしてくれて、笑ってくれて、有り難うー
笑いながら、透けて消える空は、星の輝きが綺麗に見える程、晴れ渡っていた。
「雷螺」
紅夜達と別れた場所に立ち、空を見上げる雷螺の頬には、涙の筋があった。
「もう大丈夫なの?」
「…吾らは…お邪魔なのですか?」
振り返った雷螺の目元は赤く、ずっと泣いていたことを知らせる。
「吾らは、蓮花様の為ならば、盾となり矛となる。蓮花様の為ならば、この命…」
「雷螺。それ以上言ったら許さないよ」
「っ!!…お主は…貴女はどうなのですか」
雷螺は、目尻を吊り上げた。
「里を、村を、我らを守ろうと、その命を投げ捨てようとしてる。貴女こそ、命を粗末に扱ってるのではないか」
「…そうかもしれない」
「ならば、吾らも…」
「でも違う」
真っ直ぐ見つめ返すと、雷螺は、奥歯を噛み締めた。
「私は私の為。自身の為に、この命を使う。誰かの為じゃない」
「そんなの…屁理屈じゃ…」
「屁理屈でも良い。私は、私の幸せの為に、皆を守るの」
「吾らの…吾の想いはどうするのだ!!」
雷螺は、拳を震わせながら、大粒の涙を流した。
「吾は!!吾は…あの時…あの子を失い…死んだのだ…それを拾い…生きさせた…それを…それを!!無責任でないか!!」
「確かに無責任かもしれない」
「ならば!!何故じゃ!!何故…捨てるのだ…」
「捨てるんじゃないよ」
微笑みを向けると、雷螺は、苦しそうに顔を歪めた。
「ただ縛りを無くすだけ。私と雷螺は、ずっと家族だよ。それは、何も変わらないよ」
ニッコリ笑う顔に、亡くなった子供の笑顔が重なり、雷螺は、膝から崩れるように座り込んだ。
「…厭じゃ…吾は…お主と…生きたいのじゃ…吾は…」
雷螺の頭を抱き寄せ、頬を擦り寄せた。
「ごめんね?でも約束だから。あの子との約束。だからさ」
人の勝手で、雷螺の子供は、その小さな体を傷付けられ、母から離れた場所で逝くことになってしまった。
『…ごめんなさい。本当にごめんなさい』
もっと早く気付いていれば、もっと早く駆け付けていれば、救えたかもしれない命が、目の前で消えようとしていた。
『良い…ん…だよ…僕が…信じた…僕が悪い…から…』
人を信じてしまった為に、自身の命が消えようとも、雷螺の子供は、決して人を恨まなかった。
『ねぇ…僕のお願い…聞いて…くれ…る?』
その瞬間まで、人を信じようとする姿は、とても健気で、その命を傷付けた人を恨んでしまいそうになる。
『…もちろん。私に出来ることなら、なんでも聞くよ?』
何も感じ取れない人を恨んだところで、誰も幸せにはなれない。
そんなの無意味でしかない。
逝く者の願いを聞き入れ、叶えることの方が、多くの幸福が生まれる。
他者を恨むよりも、多くの幸福を与えられるように、手の中の小さな命に微笑みを向けた。
『きっと…母は…僕を追って…こようと…する…それを…止めて?…それで…僕の分も…母が…生き…れる…ように…して?』
『分かった』
『あり…がと…は…はを…お…ねが…い…ね』
笑いながら逝くのに、微笑みを返し、この世の理不尽と人の身勝手な行動に、大粒の涙を流した。
せめてもの手向けとして、沢山の花を添え、墓石を建てた。
『…立派な墓。花も、こんなに沢山。有難う。あの子も、喜んでくれるだろう』
雷螺は、静かに涙を流しながらも、穏やかに微笑んでいた。
『…あのね?お願いがあるの』
雷螺が振り返る前に、本来の姿に戻った。
『なんじゃ』
向けられた雷螺の目には、亡き子供の姿が重なって見え、奥歯を噛み締めていた。
その子との約束を守る為、雷螺を生かす為、罵られようとも、恨まれようとも、手段を選ばない。
「…生きて…お願い…」
あの時と同じ言葉を告げると、気高き雷獣は、あの時と同じように、胸に顔を押し当てて泣いた。
何度もしゃくり上げ、子供のように泣く雷螺は暖かい。
「雷螺。お前に名を返します」
無言のまま頷き、雷螺は、式札を取り出した。
「その名が元へ還れ」
紅夜達と同じように、名前を返すと、雷螺の記憶が流れ込む。
母親の優しさを携え、優しく微笑む雷螺が見つめる先には、白夜や流青とじゃれ合う笑顔。
真剣な顔の雷螺が見つめる先には、必死に大切なモノを守る背中。
淋しそうな微笑みを浮かべ、頭を下げる雷螺の見つめる先には、皆を携える主としての姿。
その全てに、亡き子供の姿が重なっていた。
ーお主は吾の子じゃ。吾の大事なお子なのじゃー
静かに涙を流し、抱き締める雷螺が薄れゆく。
「…さよなら。愛しき母よ。永久に」
薄らと星が輝く空を見つめ、涙の筋を乱暴に拭く背中を紗輝に支えられながら、楓雅が見つめていた。
そのまま、護人の庭に向かい、一つ、型を習得すると、次の型へと移った。
「…一体、幾つ型があるんですか?」
「そうだね~…確か、十四だったかな」
一つの型に一日掛かると考えれば、全ての型を習得するには、約二週間掛かる。
「何か効率の良い方法ないんですか?」
「ない事もないけど、そんな簡単じゃないかな」
「その方法とは?」
「やる?」
ニコニコと笑っている華月には、嫌な予感しかしない。
「説明を聞いてから~」
「やるの?やらないの?」
「とりあえず、説明を~」
「聞くって事は、やるんだよね?」
やると言わなきゃ、話してくれない。
「…頑張ります」
「違うよ?」
ご先祖様はめんどくさい。
「面倒で良いよ?どうせ、爺だから」
「すみません。やります。教えて下さい」
露骨に顔に出てしまい、拗ねたように、そっぽを向いた華月に、頭を下げた。
華月は、ニッコリ笑って、岩の上から、ヒラリと、降り立ち手を翳した。
「な!?ちょっ?!わぁ!!」
体が浮き、池に投げ出された。
「なにすっ!!」
「命の危機を感じた時、真の力が解放される」
真剣な華月に見据えられ、背筋が凍るように寒気が走った。
「僕を敵だと思え。そして、そこから這い出て、僕に向かって来い」
「ちょっ!!待っ!!」
引き込まれるように、何度も、池の中に押し込まれ、無駄な抵抗だと知りながらも、何度も水面から顔を出す。
「それじゃ、いつまで経っても、上がれないよ?」
苦しい中、必死に、冥斬刀を変化させようとしたが、光を放つだけで、型は変わらない。
「君の覚悟は、その程度か」
自ら潜り、華月の足元まで泳ぎ、潜ったまま様子を伺い、機会を待った。
「もう終わりか」
落ち着いて、冷静に考え、策を巡らせる。
肺の痛みを耐え、華月が、大きな溜め息をつき、背を向けた瞬間、冥斬刀の刃を蹴り、水面に飛び出し、振り上げた。
「阿呆が」
その考えは見抜かれ、華月の光を放つ手が、鼻先に突き付けられ、池に叩き込まれ、水面に背中を打ち付けた。
「その程度で斑尾達を守れるのか。村を。里を。守れると思っているのか」
水中でも、ハッキリと聴こえる華月の声が、心を掻き乱す。
「甘いのだよ。それでは、何も守れなぬ。全てを失うだけだ。お前は何者だ。お前は何者なのだ!!」
華月の叫び声が響き、護人の庭が揺れた。
霊となってる華月も、越えられない。
全てを失い、声すら出せない現状に、悔しくさ、哀しさ、苦しさ、様々な感情が混ざり合う。
薄れる意識の中で、冥斬刀を握り締めて願った。
華月を越えたい。
全てを守りたい。
叫びたい。
ー護人よ。その名を標せー
その想いに応えるように、力強い声が響き、冥斬刀が強い光を放つ。
暖かく、優しい光に包まれ、冥斬刀の刃に、額を着けるように抱く。
真の強さは、想いの強さ。
想いが強ければ、強くなれる。
「…姓は夜月。名は蓮花。我は、黄泉世の護人なり。冥斬刀よ。その名を示せ」
水の中で、声を響かせると、冥斬刀の形が変わった。
適わなくとも、全てを守れるように強くなる。
祖先が遺したモノも、愛するモノも、その全てを命を懸けて守り抜く。
その強い想いは、大きな力となる。
すぐには、越えられなくとも、その想いを胸に抱き続ければ、いつかは越えられる。
光は落ち着いたが、水面は揺れていて、何も見えない。
暫く、水面を見つめていたが、華月は、大きな溜め息をついた。
「…手の掛かる子孫だね」
一人言を呟き、その場に膝を着こうとした瞬間、水中から、鎖鎌が飛び出し、その頬を掠めた。
地面に刃が突き刺さり、水飛沫を上げながら、水中から飛び出し、光を宿した右手を華月の鼻先に突き付ける。
寸前の所で逃げた華月の前に降り立ち、虚ろな目で睨んだ。
「死んでしまうわ!!」
驚いた顔をしていた華月は、何が、そんなにおかしいのかと思う程、腹を抱えて笑った。
「笑うトコじゃないし!!」
「ごめんごめん。ふぅ~…変えられたね」
冥斬刀、採の型。
その名は漁火。
漁などで、手元や足元、水面などを照す灯火のことで、戦いの中で、使い手の灯火となるようにと造られ、そう名付けられた。
「型には、それぞれ、名が付けられるんだよ」
「なら、習得した型にも、名前があるんですか?」
「あるよ?でも、分からないでしょう」
「はい。何故ですか?」
「それは、声を聞けたか、聞けなかったかの違いだよ」
冥斬刀には、それぞれの型に意思があり、使い手が、心の底から願い、その声を聞ければ、冥斬刀自身が力を解放する。
「今までは、君自身の力だけで、型の解放をしていたから、かなりの力を消耗してたけど、冥斬刀に認められ、名を聞ければ、半分くらいの力で、型を変える事が出来る」
「…もっと、早く教えてくれませんかね?」
「言ったところで、君は、どうする事も出来なかったでしょう?」
「そんな事…」
「君は、とにかく、早く型の変化を習得し、月蝶を何とかしようと考えていたよね?」
人は焦ると、何も見えなくなる。
「それに、君自身が、強く望まなければ、このやり方は成立しないからね」
「望んだってか、そうさせられたと思うんですけど」
「そうだっけ?」
あからさまに、とぼける華月を見つめていたが、そこから記憶が途絶えた。
「やれやれ。本当に手の掛かる子孫だな」
大きな溜め息は、疎ましさや煩わしさがなく、愛しさが込められていた。
華月が、冥斬刀に触れると、それに応えるように光を放つ。
「すまんな。こんな子孫だが、宜しく頼むよ」
光と共に旋風が舞い上がり、冥斬刀が扇子に変わった。
「どれ。よっこいしょっと…大きくなったね…蓮花…」
その呟きも聞こえず、頬を泥で汚したまま、華月に抱えられ、小さな古家で眠った。
だが、布団などない古家で、床に、そのまま寝ていたことで、体が痛み、目を覚ました。
見たことない室内に、一瞬、固まってしまったが、護人の庭の古家には、微かに、華月の残り香があった。
時の流れのない世界で、その流れを知るのはかなり難しい。
古家から出て、空を見上げても、そこには、水彩絵具で描かれたような、偽物の空が広がる。
視線を下げると、近くの岩に座り、扇子で扇いでいる背中が見えた。
「おはよう。良く寝れたかな?」
「はい。有り難うございました。そろそろ失礼します」
「一つ、聞いても?」
「はい」
向き合うと、華月は、小さく微笑んだ。
「何故、皆との契約解除をしてるの?」
「前にも言いました。皆には、自由であって欲しいんです」
「…淋しくない?」
「淋しいですよ?でも、それは、今だけです」
結局、死ねば一人になる。
「今来れば、僕がいるよ?」
「私が死ぬとなれば、転生に向かうでしょ」
「さぁ。分からないよ?」
「…ホント、このご先祖様は、めんどくさい」
「そう?まぁ。その子孫は、更に、手が掛かるけどね」
互いが互いをちゃんと理解してるから、皮肉な事を言っても嫌な感じがない。
「では、また後で」
差し出された扇子を受け取ると、護符に変わり、それが冥斬刀だったことを知り、華月の凄さを痛感する。
「どうかした?」
「…いえ」
護符を胸に抱き、真っ直ぐ華月を見つめる。
「それでは、失礼します」
「…阿呆」
暗闇に消えた背中を見つめ、悲しそうに目を細めた華月の呟きは、届くことなく消え、また次へと向かい進む。
『蓮花。蓮花の名前は、ご先祖さまがくれたんだよ。遠い遠いご先祖さまが、遺してくれた名前なんだよ』
まだ母の腹にいた時、母と父が、あの池を訪れ、季節外れの蓮が、二人と、その子を祝福するように、大輪の花を咲かせていた。
『その後、二人は、産まれてきたお前に、蓮花と名付けたんだよ。きっと、ご先祖さまは、その名前を遺したかったんだろうね』
幼い記憶の中、祖父と叔父に、笑いながら、そんな話をされた。
「…あの人ならやりそうね」
小さく笑い、暗闇を抜け、背伸びをしてから、袂に仕舞っていた護符を取り出した。
ただの紙になってる冥斬刀を華月は、扇子に変えていたが、変えてみたいと思っても、変わらない。
小さく微笑み、護符を仕舞ってから、誰にも言わず、裏山に入り、蓮池よりも、更に奥へと向かった。
流れる小川を上流に向かうと、小さな滝があり、子供の姿で打たれる。
力だけで、変えるのではなく、華月のように理解され、変幻自在に変えられるようにする為、心を無にし、冥斬刀を常の型にして、額を刃に着け、変化を始める。
「姓は夜月。名は蓮花。我は、黄泉世の護人なり。冥斬刀よ。その名を示せ」
淡い光が体を包み、優しい声が聞こえ、その名を告げると、自然の流れで、冥斬刀を変えられるようになった。
だが、漁火までの三つまでは、変えられても、その次が変わらない。
滝を敵に見立て、習得した型で、流れ落ちる水を相手に、何度も変化させ、手に馴染ませる。
一人でも動けるようになった楓雅が、その背中を見つめていた。
日が暮れ、肌寒くなり、修行を切り上げ、護人の庭に向かったが、何もせず、精神統一をする為、華月と坐禅を行い、すぐに戻った時、戸を叩く音がした。
「はい?…楓雅…どうしたの?」
楓雅は、黙って式札を差し出した。
「良いの?」
頷く楓雅の瞳は、力強い光を宿していた。
強い決意を宿す楓雅は、とても心強く感じるが、同時に空しさも感じてしまう。
「…ごめんね…有り難う」
「泣くな。俺は、お前と同じが良い」
抱き寄せる楓雅は、見えないように唇を噛んで、自分の想いを押し殺した。
「有り難う…楓雅…その名が元へ還れ」
淡い光が体に溶け込み、楓雅の記憶が流れ込む。
他者を頼らず、他者を嫌い、他者を避けていた楓雅が選んだのは、山での生活だった。
だが、自然が減った世界では、暮らすには狭かった。
食料を探すにも、かなりの苦労を強いられ、空を移動すれば、人や悪妖の目に止まり、人に紛れようとしても、移り変わりが激しすぎて、対応出来なかった。
楓雅も限界だった。
面識のない女性の後ろから、妖かしの姿の楓雅の手が向かった。
『っ!!なっ!!』
その腕を掴み、口を塞ぎながら、横道に連れ込むと、女性は、振り返ったが、首を傾げ、小走りするように去って行った。
その様子に、止めていた息を吐き出すと、大人しくしていた楓雅は、口を塞いでいた手を叩き落とした。
『何する!!』
『なにって、止めなきゃって思ったから、止めただけなんだけどっ!!』
楓雅の手が首を掴み、背中を壁に打ち付けると、息が詰まった。
『ったぁ~。何すん…』
『俺は妖かしだ』
『だから何?そんなの、人を襲って良い理由にはならないよ』
『煩い。貴様に何が分かる』
『分からないよ。でも、話を聞くことは出来る』
『話をしたところでどうなる。貴様のような人の子が…』
『そんなの、聞いてみなきゃ分かんないでしょ』
悔しそうに歯軋りをしながら、楓雅の手に力が入り、喉が痛んだが、その瞳を見つめた。
『何が…出来るとか…どう…なるとか…一人…で…考えても…仕方ない…じゃん…』
『人はな。俺は妖かしだ』
『妖…かし…だって…誰かに…頼っ…ても…いい…じゃ…ん…みん…な…そうやっ…て…生きて…る…んだから…』
『もういい。死ね』
首の骨が、ミシミシと軋む音が頭に響き、息も吸えない程苦しくなる。
『わ…たしを…殺…し…ても…か…わらな…い…』
楓雅の瞳が揺れ、首の締めつけが弱まった瞬間、大きく息を吸ってしまい、激しく咳き込んだ。
『っだ~~苦しかった。本当に死ぬかと思った』
『…どうして…』
『なにが?』
『どうして逃げない。どうして俺を恐れない。どうして…』
哀しそうに目を細める楓雅のボロボロの手を取り、優しく撫でると、小さな傷が消えた。
『私も同じ』
楓雅の瞳が大きくなり、揺れるのを見つめ、小さく微笑みを浮かべた。
『私も同じなの。人なのに人じゃない。だから、私のように苦しんでるなら、助けてあげたいなって』
『どうして、そう思えるんだ。どうして…』
『私、沢山の人や妖かしに助けてもらいながら生きてるんだ。だから、私も、皆と同じように、困ってる妖かしを助けたいんだ』
ニッコリ笑うと、楓雅は、視線を落とした。
『どうしたの?どっか痛む?』
その腕に抱き寄せられると、楓雅は、肩に顔を埋めた。
『…人の世界って、とっても狭くて、住むには、大変だよね?』
無言で頷く楓雅の背中に腕を回し、その頭に頬擦りした。
『一緒においで?きっと気に入るから』
冷たい楓雅の手を引き、電車を乗り継ぎ、村に連れて来た時、その瞳が大きく揺れ、視線が向けられた。
楓雅に、微笑みを向けると、嬉しそうに細められ、その腕の中に閉じ込められた。
温もりを分け合うように、抱き締めた楓雅の体が透けていく。
ーお前と同じ。それだけが俺の幸せだー
出会えたことも、一緒の時間を過ごせたことも、笑い合えたことも、同じ想いを抱けたことも、その全てが幸せだった。
「さよなら。私の幸せよ…永久に…」
消えた楓雅を追うように、空は、暗さを増し、小さな輝きを放つ星が顔を出したのを見上げ、涙を流しながら、小さく微笑むのを仁刃が、寂しそうに、目を細めて、見つめていた。
その後、すぐに護人の庭に戻り、華月の古家に籠った。
一気に、六つもの式契約を解除したのが悪かった。
体のバランスが崩れ、全身に痛みが走る。
「…本当に手が掛かる」
膝を抱え、痛みに悶えるのを見下ろして、華月は、大きな溜め息と共に呟き、膝を着いた。
「焦り過ぎだよ」
内側から痛む体では、声さえ出すことが出来ない。
必死に痛みを耐え、丸めていた背中に、華月の手が翳されると、少しずつ体の痛みが和らいだ。
「すみません」
「謝るくらいなら、ちゃんと考えてからにしようか」
華月の力で、声は出るようになったが、動くことは出来ない。
「このままだと、弾け飛びそうだね」
「う~~…どうしよ…」
「どうしようって。そこまで、考えてなかったのかい?」
「ここまでとは、思ってなかったんですよ」
「つくづく甘いね」
「面目無いです」
腕を組んで、転がってるのを見下ろし、華月は、大きな溜め息をついて、顎を撫でた。
「塞き止めた力を放出するしかないね」
「でも、どうやって?式以外に、今の力を放出することなんて…」
「ないね。あるとすれば、冥斬刀くらいかな」
「…扇子ですか?」
「そう」
力の放出を抑える為に、護符となっているのを具現化させれば、その分、力を放出してられるが、常の型だと目立ってしまう。
「扇子や鈴など、身に付けていても、変に思われないような物に、変えて持ち歩く」
「しかし、それにも、名があるのでしょう?」
「ん?ないよ?」
使い手が身に付ける物は、使い手自身が決め、自らが産み出す。
「だから、出来た瞬間、自分で名を付けるんだ」
自らが産み出す。
それは、どんなに願っても、叶わない願い。
「君には、とても魅力的でしょう?」
なんでもお見通しの華月を横目で見上げ、すぐに視線を落とした。
「少し休んで、動けるようになったら、やってみればいい。そんな難しいことでもないから」
古家に一人になり、痛みを我慢して、袂から護符を取り出して、見つめてみた。
だが、護符は、なんの反応もせず、ただの紙として、手の中に静かに収まっていた。
大きな溜め息をついて、護符を額に着けて、目を閉じてみても、何も見えない。
「お前は何者なんだい?」
呟いても、誰も応えない。
そんな事をしてる内に、疲れで夢に誘われ、そのまま眠りに落ちた。
目の前に現れたのは、何処かの山奥にある祠だった。
その景色に、懐かしさを感じた。
ーおいで。おいでー
聞こえた声にも、覚えがある。
ーこっちにおいでー
暖かく優しいが、冷たく淋しい声に耳を傾けながら、祠を見つめた。
ーこっちにおいでー
人が、一人で隠れるには、十分の大きさの祠に歩みを進めると、近付く足音に、ニヤリと笑う影があった。
祠の前で立ち止まり、その扉を見つめていたが、ニヤニヤしてる影の期待を裏切り、祠の裏へと向かった。
ーこっちにおいでー
声を無視して、木の根元を見つめた。
ーこっちにおい…ー
「ねぇ。そこで何してるの?」
祠の声を遮り、木に声を掛けると、その姿に苛立った影が、祠から飛び出した。
振り返ると、目の前で、影は、体を引き裂かれ、黒い靄となって消えた。
視線を戻すと、眩しい程の光の中に、美しい黒髪を揺らし、美しい女性がいた。
「貴方は誰?」
ー…さぁねー
聞こえた声は、とても冷たい。
「名前は?」
ー知らないー
寂しそうに目を細める。
「何してるの?」
ー分からないー
女性は、苛立ったような声になり、目の前に降り立った。
ー貴女こそ誰?ここで、何をしているの?ー
「分からない」
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「…分からない」
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不安で視線を落とすと、そっと、手が差し出された。
その手に、手を重ねると、彼女の力が流れ込み、体に痛みが走った。
ーお前は何者なんだい?ー
女性の声を聞きながら、膝を着き、背中を丸めて、額を地面に着けた。
体が引き裂かれるように痛み、声すら出ない。
ー何者なの?ー
彼女の足元が、見覚えのある足元に変わり、視線を上げると、良く知っている顔があり、体が軽くなった。
「…私は貴女」
ーそう。私は貴女が造り出した自分。この世にあって、この世にない者ー
冥斬刀は、全ての型を合わせた総称。
元は、一人の護人が造り出した冥刀が、使い手達の意思を次々に宿した物。
十四とは、歴代の中で、その意思を宿らせることが出来た護人の数。
具現化させるとは、意思を宿らせ、その名を決める。
元々ある意思を目覚めさせるよりも、確かに難しくない。
「ご先祖様は、めんどくさい」
ー本当ね。もっと、早く教えれば良いのにー
「でも、やっと分かったよ」
体を起こし、子供の姿になり、ニッコリ笑うと、彼女も、ニコッと笑った。
「貴女のことを」
嬉しそうに微笑み、その姿が、光に包まれると、両腕を広げた。
ーさぁ。我、名を標せー
「お前の名は…」
その名と共に光に包まれ、暖かく、重たい意思を抱き、静かに目を閉じた。
「…ろ…起き…きろ…起きろ!!」
華月に揺すられ、ゆっくりと目を開けると、そこは、古屋の中だった。
「…大丈夫かい?」
「えぇ」
体を起こして、向かい合うと、華月は、優しく微笑んで、手に握られている扇子を見つめた。
「見付けたんだね」
「はい」
「名は?」
「それは…秘密です」
クスクス笑っても、痛まない体を伸ばして、華月に向かい、頭を下げる。
「これからも、宜しくお願いします」
「えぇ。では早速」
「はい」
扇子を握り締め、外に出ると、華月に相手をしてもらい、修行を再開した。
もちろん、荒行も続け、これまで以上に食事もするようになった。
そうして、力を蓄えながら、大切な者を守る為に、強さを身に付けた。
それから二日後。
荒行で、滝に打たれていたところに、仁刃がやって来た。
「仁刃?」
淋しそうに微笑んだ仁刃は、式札を取り出して手で挟んだ。
「…良いの?」
諦めたように、何度も頷く仁刃に、哀しみが湧き上がる。
「…ごめんね。仁刃。その名が元へ還れ」
出会った時は、微笑みを向けるだけだった仁刃が、皆と声を上げて笑っていた。
どんなに強くても、一人で生きるには限界がある。
だから、知らない内に、誰かと手を取り合い、支え合い、笑い合って生きる。
それを拒めば、心が折れ、感情が消えてしまう。
仁刃にも、心から信頼し、支え合える仲間が出来た。
仁刃の体が薄れる中、その手が頬に触れた。
ー信じてます。仲間を、友を、あなたを、これからも、信じていますー
晴れ渡る青空に消える仁刃を見つめ、胸を抉られるような感覚で、後悔してしまいそうになる。
「さよなら…私の友よ…永久に…」
それでも、立ち止まることは許されない。
守ると決め、皆が笑って生きられるように、強い想いを抱いて、進まなければならない。
風に流れる髪を揺らす背中を見つめ、流青は、唇を噛んでいた。
その日の夜は、護人の庭で、冥斬刀に力を与え、共鳴させると、その形が、徐々に確立されていく。
だが、まだ朧気で、完璧な形にはならなかった。
しっかりと形にするには、まだ時間が掛かるようだ。
「蓮花様」
荒行を終え、奥の部屋に向かおうとしていた時、流青の明るい声が聞こえ、振り返ると、その手に腕を掴まれ、走り出した。
「流青?!どこ行くの!?」
「こっち」
流青に手を引かれ、山の中を駆け回り、走り疲れる頃に、元の場所へと戻った。
「な…なに…何が…したかった…の?」
「…僕、一回で良いから、蓮花様と手を繋いで、走りたかったんだよね」
「…なんで?」
「だって、蓮花様と繋いだのって、一回しかないから」
しっかりと手を繋いだまま、式札を取り出した流青は、ニッコリ笑っているが、その頬を涙が滑り落ちた。
「大切な人達を奪ったのに、そんな我儘、言えないでしょ?」
「…流青…ごめ…」
「謝らないで」
繋いでいた手を離し、向かい合い、式札を手で挟む。
「有難う。流青。その名が元へ還れ」
あの日も、太陽が眩しい程の青空だった。
流青は、消え逝く師範に、縋り付くように泣く背中を見つめていた。
『…ごめんなさい…ごめんなさい…』
『もう良い』
『もう泣くな』
『でも…でも!!』
『笑ってくれ…蓮花』
『強くあれよ…蓮』
『いや…いや…嫌だーーーあーーーーーー!!』
大声で泣き叫び、空に向かう粒子に手を伸ばす姿に、抉られるように胸が痛んだ。
その手をすり抜け、粒子が、空へと消えると、泣き崩れ、その頬を泥で汚した。
奪ってはいけないモノを奪ってしまい、流青は、何も言えずにいた。
謝っても、許されることではない。
流青は、消されても仕方ないと、覚悟を決めて座っていた。
その隣には、白夜の姿もあった。
『…ごめんね…大丈夫?』
体を起こしながら、振り返った顔は、泥と涙で汚れていたが、優しく笑っていた。
小さく頷き、目を閉じると、その腕に抱かれ、頬擦りされた。
『…よかった…ごめんね…怖かったよね…』
暖かな腕に抱かれ、流青は、静かに涙を流した。
『…一緒に…行こ…ね』
弱々しい微笑みを見つめ、そのまま抱かれて、連れ帰ると、流青は、その罪を償うように、必死に、村中を駆け回り、復興の手伝いをした。
『ねぇねぇ』
村が元通りになっても、流青は、山には戻らずにいた。
『ん?うわっ!!ちょっと~。やめてよ~』
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浮かべられた明るい笑顔に、流青も、頬を桃色に染めながら、嬉しそうに笑っていた。
ー大事にしてくれて、笑ってくれて、有り難うー
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