黄泉世の護人(モリビト)

咲 カヲル

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三十一話

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涙を浮かべて震える天戒が、抱き付くと、葵も、その体を抱いて、三人を見上げた。

「その戯れが、小僧を駄目にしとるのだ」

「戯れって…俺らは、そんなつもり…」

「まだ気付かぬのか」

「いい加減、気付いたらどうだ」

「だから、小僧は、何も出来ぬ。何も変われんのだ」

「そんな事ありません。天戒は、変わろうと…」

「だが、現実はどうだ」

「少しのことで、他者を羨み、その感情で、口を滑らせ、友が危険になっても、震えるだけで、何も出来ない」

「でも…それは、天戒が、まだ成長の途中で…」

「ならば、修螺はどうなる」

「他者を羨まず、自分の感情をコントロールし、他者が危険になれば、体を張って戦う」

「修螺も、その小僧も同じだ。修螺に出来て、小僧に出来ないのは、周りが、それを善しとするからだ」

「一度は、修螺と同じに扱われた」

「だが、耐えられなかった」

肩をビクっと震わせ、天戒は、葵を見上げた。

「図星だな。そこが、お前と修螺の違いだ」

「また、以前と同じに戻り、生緩い修行をしてる中、修螺は、苦しさや辛さを耐え、教えられた修行を続けた。そして、自分に打ち勝ち、見事、真の強さを手に入れた」

「まだです」

そこに、手当てが終わった修螺が戻り、斑尾達を見上げた。

「その年で、ここまで出来たのです。充分ですよ」

「でも、姫ちゃんを巻き込んでしまいましたから」

後ろの雪姫に、ニッコリ笑い、修螺は、胸を張った。

「だから、僕は、もっと強くなります。天戒君も、きっと強くなれるよ」

天戒に優しく微笑んで、修螺は、斑尾達に視線を戻した。

「なので、お願いします。そんなに、怒らないで下さい」

頭を下げる修螺を見つめ、斑尾達の頬が緩むと、雲が散り、空が晴れた。

「仕方ないですね」

「修螺殿からのお願いですからね」

「我らにも非がある。鈴は渡せんが、お前らには、これを渡しておこう」

庭に降り立って、斑尾達が差し出したのを雪姫と修螺が受け取り、朱雀達と天戒に渡して回った。

「理苑さん」

修螺が苦笑いしながら、結界に閉じ込められた季麗達に視線を向けた。

「あぁ。忘れてました。今、出しますね」

パチンと指を鳴らすと、結界が壊れ、無事に着地すると、季麗達にも、朱雀達と同じ物を渡した。

「これは…何ですか?」

「呼子だ。どうしても、助けが必要な時に吹け。気が向けば行ってやる」

笑って飛んでいく斑尾と理苑を見送り、小さな笛を仕舞い、泣きじゃくる天戒を連れ、影千代と葵が帰り、修螺と雪姫は、人の姿に戻った慈雷夜と一緒に夜道を歩いていた。

「修螺殿。雪姫殿。申し訳ないのですが、私も、ここを離れなくてはなりません」

「分かりました」

ニッコリ笑う修螺の隣で、雪姫は、悲しそうに目を伏せた。

「大丈夫です。必ず、帰って来ますから」

「いつ?いつ帰って来るんですか?」

寂しそうな目で、雪姫に見つめられ、慈雷夜の胸が痛んだ。

「すみません。今のは嘘です。今、恐ろしい敵が、沢山の命を狙って、この周辺に潜んでいます」

嘘で別れるよりも、本当の事を話して別れる方が、互いに、しっかりと向き合える。
慈雷夜は、二人に、全てを話して、小さな手を取った。

「蓮花様は、命を賭けて、この里も、妖かしも、全てを守ろうとしています。でも、その為には、今以上の力が必要なんです」

「だから、皆さんとの契約を解除するんですね」

「…イヤだよ…」

ボロボロと涙を流し、しがみ付く雪姫を抱き、慈雷夜は、辛そうに顔を歪めた。

「姫ちゃん。慈雷夜さんも、本当は、イヤなんだよ?それを我慢してるんだ。僕らが、ワガママ言ったら駄目だよ」

「…でも…」

「最後じゃないんだ。また、いつか会えるよ。それまでに、ビックリさせるくらいになろう。ね?」

雪姫の肩に触れ、優しく微笑む修螺は、大人っぽい。

「本当に、大きくなりましたね。修螺殿」

「そんな事ないです。本当は、僕も、とっても辛いんです」

酒天の言葉が、修螺を大人にさせる。

「もう、弱い自分には、負けたくないんです。慈雷夜さんが、帰って来るまで、一緒に頑張ろう?一緒に、笑って見送ろう?ね?」

弱々しく頷き、離れて、修螺の隣に立つと、雪姫は、涙を浮かべたまま、ニッコリ笑った。

「有り難うございます。二人共、とても強くなりましたね」

「感傷に浸るのも良いけど、私の事も忘れないで欲しいな」

木の上から、声を掛けると、修螺と雪姫は、驚いていたが、慈雷夜は、寂しそうに目を細めた。

「まだ、いたいなら、先に理苑と話し…」

「いえ。理苑には、まだやる事があります。私が先にやります」

降り立ち、雪姫の涙を拭った。

「ゴメンね?私が弱いから」

「そんな事ない!!」

着物を掴み、握り締める雪姫は、とても辛いのを我慢してるのが、痛い程、良く分かった。

「蓮ちゃんは、とっても強いよ。ちょっと力が足りないだけ。大丈夫だよ。私、我慢出来るから」

必死に笑おうとする雪姫を見つめ、修螺が震える程、握り締めていた手に触れ、優しく微笑んだ。

「二人共、私に触ってて」

「どうして?」

「慈雷夜の想い、受け止めてあげて」

首を傾げながらも、屈む私の肩に手を置き、慈雷夜を見つめた。

「慈雷夜。お前に名を返します」

「はい」

「その名が元へ還れ」

触れる手を伝い、二人も、淡い光に包まれると、慈雷夜の記憶が流れ込んだ。
悔しそうな修螺。
嬉しそうな雪姫。
抱き付く二人の笑顔。
慈雷夜の中では、二人の存在の方が大きく思えたが、その近くには、必ず、優しく微笑む姿があった。

ー必ず、会いに来ますー

大きな手が、修螺と雪姫の頭を撫で、空高く昇り消えた。

「有り難う。さよなら。優しき心よ。永久に」

そう呟くと、雪姫は、肩に額を着けた。

「ゴメンね。辛い思いさせて」

「大丈夫…私よりも、蓮ちゃんの方が辛いと思うから」

雪姫の頭を撫でて、修螺を見上げると、ずっと空を見上げていた。

「修螺」

手招きをして、近付いた修螺を抱き寄せた。

「強くなっても良いけど、頑張り過ぎちゃ、修螺が、ダメになっちゃうよ?」

村の子も、悲しい時は、ちゃんと泣くし、辛い時は、辛いって叫ぶ。
まだ、不完全な子供が、無理に大きくなろうとすれば、いつか、その心が壊れてしまう。

「大きくなれ。でも、ゆっくりで良い。人も、妖かしも、動物も、どの命も、すぐに大きくなるから」

「蓮ちゃん…僕…強くなるから…絶対…強く…なるから…だから…置いてかないで…」

声を殺して、泣く修螺の涙を隠しながら、一緒に涙を流した。

「強くなるんだよ。修螺。雪姫」

温もりを分け合い、我慢してた分も泣く二人を抱き締めた。
泣き疲れて、眠ってしまった雪姫を送り、目を真っ赤にさせたまま、歩く修螺が袂を見つめた。

「蓮ちゃん。何か光ってるよ?」

冥斬刀を変化させた扇子が、光を放っていた。

「もう、そんな時間なんだ」

「何かあるの?」

「ちょっとね。それより、私の事は、季麗達に言っちゃダメだよ?」

「どうして?皆様、蓮ちゃんに会いたがってたよ?」

「会いたいからって、会ったら、皆、無理するでしょ?だからダメ」

「茉様達は?」

「ダメ。ちゃんと、斑尾に教えてもらったでしょ?」

沢山の可能性を考える。
里の周辺にいる事が、朱雀達に知られれば、季麗達にも、知られてしまうかもしれない。

「それに、私の存在は、彼らの未来をダメにしてしまうかもしれない」

「どうして?」

他人に頼りすぎて、己を駄目にしてしまう者も少なくない。
自身が、違うと思っていても、そうなってしまう事もある。
未来がある者は、他人に頼りすぎないように、自分の考えを持ち、自分の想いを抱いて、生きなければならない。

「でも、頼らなきゃいけない時は、ちゃんと頼らなきゃダメだよ?」

自分で考え、想いを抱いても、どうにもならない時が、どんな者にも必ずある。
そんな時は、自分で信じれる人を頼れば良い。
それが、親であったり、兄弟であったり、親戚であったり、友人であっても、それは、自分で考え、導きだした結果なのだから、必ず、自分を信じられるきっかけになる。
それが、生きる上で、必ず、自信へと変わるのだ。

「だから、どうしようもない時は、自分で信じた人を頼るんだよ?でも、頼りすぎちゃダメ。自分の未来ミチは、自分で考えて決める。分かった?」

「分かった」

真剣な顔で、頷いた修螺の頭を撫でてから、袂から呼子を取り出した。

「これ、あげる」

「呼子?蓮ちゃんの?」

「そう。でも、斑尾達の呼子と、ちょっと違うんだよ?斑尾達の呼子は、普通に吹けば、必ず音が出るけど、私の呼子は、吹いても音が出ないの」

「なんで?」

「それはね。その素質があるなら、ちゃんと吹く事が出来るんだよ?」

「素質?素質って何?」

「想い」

「想い…どんな想い?」

「それは、修螺が気付かなきゃダメ」

教えられ、その想いを自分の中に作っても、呼子は、その音を出してくれない。
自分で気付き、心底、そう想う事で、呼子は、その音を響き渡らせられる。
これは、沢山のイノチに、教えたい事でもある。
大切な想いは、必ず、自分の中にある。

「この呼子は、もしも、修螺や雪姫の身が、危険に陥った時は、ちゃんと助けてくれる。その時まで、ちゃんと想いを探してみて。ね?」

「分かった」

修螺は、呼子を首から掛けて、胸元に隠すように入れた。

「ねぇ。慈雷夜と酒天の鈴なんだけど、ちょっと、貸してくれる?」

首を傾げながらも、取り出された色褪せた鈴は、手に乗せられても鳴らない。
広げた扇子で、手元を隠し、鈴に息を吹き掛けると、小さな光を放ち、綺麗になった。

「はい」

手に乗せた鈴から、コロンと音が鳴り、修螺は、驚いた顔で視線を上げた。

「二人の為に。ね?」

二人が目覚め、道を見失わず、必ず、この地に戻れるように、鈴を目覚めさせた。

「うん。分かった」

修螺が、腰紐に鈴を付けると、動く度に、鈴は、二人を呼ぶように、チリンチリンと、小さな音を鳴らした。

「もちろん。季麗達には内緒」

「うん」

年齢相応に、修螺は、嬉しそうに笑ったが、その笑みは、すぐに消え、視線を落とした。

「どうしたの?」

「僕ばかり…良いのかなって」

修螺の中で、天戒のことが浮かんだ。
同じ年で、同じ男なのに、修螺ばかりが、多くの物を与えられ、多くを教えられてる。
それに比べ、天戒は、何も与えられず、何も教えられない。
それが原因で、天戒が追い詰められ、漏らしてならない事を漏らしてしまい、修螺は、季麗達と、やり合う事になった。

「だから…」

「それで良いんだよ」

眉を寄せ、哀しそうな顔の修螺を見つめ、その肩に手を乗せた。

「皆、同じで、皆、違う」

皆、同じ霊だが、その一つ一つは、違う未来を歩んでいる。
与えられる者もいれば、与えられない者もいる。

「皆、同じ手や足がある。でも、欠けてる者もいる。同じ鼻や口がある。でも、形は、一つ一つ違う」

そんな者が、同じ世に集まり、生きるからこそ、この世は、沢山の想いや夢が生まれ、多くの希望が光を放つ。

「もちろん。他者を思いやる事は、とても、良い事だよ?だけどね?羨んだり、嘆いたりしてるのに、同情するのは、それらを否定することになるんだよ?」

「どうして?」

「その後の未来は、その者が決めるから」

足りないからと、嘆いたり、羨んだりしても、何も変わらない。
それを変えるには、その者自身が、気付かなくてはならない。

「嘆くだけじゃ、未来は、変えられない。誰かを羨むだけじゃ、何も得られない」

その先の未来をどんな風にするかは、その者自身がを決める。

「気付くのも、その者自身だけど、それを周囲が、同情してしまったら、その者の未来は、更に、辛くなってしまうんだよ?」

「なんで?」

同情する者よりも、同情される者の方が、辛くなる事もある。
もし、その者が、立ち直り、明るい未来を目指そうとしてるのに、周囲が、同情してしまったら、その想いが、薄れてしまう事もあり、その同情が、その者の考えや想いを否定させてしまう事もある。

「思いやるのは、良い事だけど、同情しちゃダメ」

「思いやりと同情って、何が違うの?」

同情と思いやりは、とても似ているが、全く違う。
可哀想だからとか、辛そうだからって、何でもやってあげてしまうのは、同情だ。
そして、その同情が、その者が出来ることを奪ってしまうこともある。
そうなれば、ただの偽善になり、やる気や想いを奪い、その者をダメにしてしまう。
思いやりは、その者が、出来ることをやらせ、その者が助けを求めれば、惜しみなく、手を差し伸べ、自分と他者を差別せず、どんな時でも、味方となり、時には、ライバルとなって、他者の為、仏にも、鬼にもなれる。
思いやりの中にいる者は、強くなれる。

「同情は、相手をダメにする。思いやりは、相手を強くさせる。だから、天戒を思いやるなら、修螺は、変わっちゃダメ」

修螺は修螺、天戒は天戒で、出来る事をする。
そうやって、いつまでも、天戒の前を真っ直ぐ走って、その背中を追い掛けさせる。
そうすれば、いつか、天戒は、多くの事を学び、沢山の事が出来るようになる。

「それに気付いた時、天戒も、次の者に、それを伝える事が出来る。だから、修螺は、変わらず、ずっと、自分らしくあれば良いんだよ?」

「僕は…僕らしく」

「そう。今の修螺は、天戒の友達で、目指すべき背中を持つ男。だから、天戒が、辛くて、手を伸ばしたら、迷わず、その手を掴んであげてね?」

「うん」

修螺は、スッキリした顔で、優しく微笑んだ。

「蓮ちゃん。有り難う」

「いいえ。よ~し。お家まで競争!」

「え?あ!ズルい!!」

先に走り出し、修螺が追って来る。
笑って走り、手を伸ばす修羅に、手を差し出して、届きそうで、届かない距離を保ち、長屋の前まで走った。
修螺を送り届けてから、幻想原の奥、誰も立ち入らないような、真っ暗な洞穴に入り、膝を立てて座り、扇子を抱えるようにすると、光が、繭のように包み、卵のような形になった。
式を一つ、解放する度に、力を共用させると、力の暴走が抑えられ、前のように、全身を駆け巡る痛みもなく、冥斬刀が確立されていく。
月蝶を見付けるまでには、冥斬刀を確実の物とする為、一晩、光の卵の中で過ごし、太陽が顔を出すと、そこから抜け出し、人目に触れないようにしながら、月蝶の痕跡を探す。
その途中で、季麗達の姿が見え、見付からないように、離れた所から、見守ることもあった。

「蓮花様」

そんな時、鳥の姿の理苑に呼ばれ、月下の日和の時、力を貸してくれた大樹の更に、奥に向かった。

「これを」

理苑が差した所には、何かの残骸があった。

「これ…骨?」

「えぇ。恐らく、妖かしの物です」

「やられたか。まだ、近くにいるかもしれないから、斑尾に伝えて」

「はい」

理苑と別れ、周辺を警戒しながら、見て回ると、また無惨な屍があり、更に、別の場所にもあった。
月蝶の連れ出した妖かしも、五人だったことを考えると、この屍は、その五人である可能性が高い。
だが、人間世界と違い、妖かしの世界では、骨となった者が誰なのかを知る術はない。
それが、二つの世界の違い。
大きな溜め息をつき、手を合わせて、屍を埋めて、再び、手を合わせてから、その場を離れ、更に、月蝶を探した。
そんな時、また、一つの霊が、月蝶の手に因って、黒き力を蓄え始めていた。
里の周囲を斑尾に任せ、外側を見回っていた時、人間界と里の境の辺りに、真っ黒な靄を纏った霊を見付け、その霊を狭間の世界へと誘った。
発見が早かった為、前回のような苦労はなかった。
だが、黒い靄が邪魔をして、霊は、粒子となれず、靄を取り払おうと、そのままの冥斬刀を振るうが、弾き飛ばされた。

「漁火。我に力を」

漁火の鎖を霊に向けて投げると、意思が宿ったように巻き付き、その動きを止めようとしたが、立ち上がった靄に振り落とされた。
鎌で、それを防いだが、幾つもの筋が向かい、寸前の所で、飛び退いて逃げ、弛んだ鎖を弾いた。
奇声のような雄叫びを上げ、靄の中に、霊の姿が見えた。
制服を着た中学生くらいの女。
人間だった霊が、黒い靄を纏うことはない。
月蝶が、手を加えたに違いない。

「鎮まれ」

ー…イデ…来ナイデ!!ー

来ないでと叫び、黒い靄を振り回す霊は、全てを拒絶してるようだった。
子供の姿になるが、霊は、更に叫び、靄を振り回した。

ーイヤーーーーーー!!ー

叫び狂う霊を蝕むように、靄が、立ち上がった。
このままだと、飲み込まれる。
霊を守る為、半透明な体に抱き付き、靄に飲み込まれた。
何も見えない。
右も左も、上も下も分からない闇の中、燃え尽くすような熱が体を包む。
熱い。
苦しい。
これが、憎しみと呼ばれる感情が、生み出す熱。
逃げ出したくなるような、闇の中を漂い、熱に侵食され、意識が遠ざかり始めた。

ーその程度か。夜月蓮花ー

光を放つ漁火の声に、意識を手繰り寄せ、その光を頼りに、暗闇の中、霊を探そうとしたが、それは、すぐ傍にあった。
膝を抱え、肩を震わせ、泣いている霊は、まだ小さな光を放っていた。

ーだれ?ー

幼き少女のような声で、霊は、顔を上げたが、前髪で、その瞳が見えない。

「君を迎えに来た」

霊の肩が、ガタガタと震え始めた。

ーイヤ…イヤだ…来るな…来るなー

「どうして」

ー来るな来るな来るな来るな来るな来るな来るな来るな来るな来るな来るな来るなー

霊には、何も聞こえなくなってしまい、全てを拒絶し始めた。

「漁火よ。途を標せ」

漁火の強まった光から、糸のような筋が、繭のように覆い、光の暖かさ、優しさによって、霊は、落ち着きを取り戻した。

「君は、もうこの世にいない。還るべき世界へと、向かわなければならない」

ー…私、死んだの?ー

「そう。だから、君は…」

ー死んだ…私…死んだんだ…そっか…死ねたんだ私…ー

哀しむどころか、霊は、喜び、声をあげて笑った。

ーねぇ。死んだんなら、私、幽霊になれたんだよね?ー

「まぁ。人の世界なら」

ーじゃ、あの子達に仕返し出来るよね?呪えるよね?ー

霊の顔が見え、真っ青な瞳から、紅い雫が、幾つも連なり、頬を流れ落ちていた。
自ら、己を殺した者の顔。
そして、この霊は、生前、虐められていた可能性がある。

「…無理だ」

ーどうして?幽霊になれば、呪えるんでしょ?ー

事実を告げたところで、この霊が、考え直すかは、分からないが、告げなければならない。

「死んだところで、力がなければ呪えない」

安易な考えで死ねば、恨みを抱いたまま、死んでしまうだけ。
死んで他者を呪えるのは、生前、力を持つことが出来た者のみ。

「お前は、普通の人だった。お前には、その力がない。そんな思いを抱いていても、何も出来ない」

案の定、霊は、ショックを受け、ガクッと肩を落とし、下を向いた。
その背中は、残念と言うよりも、自分の考えを否定され、悔しそうに見えた。
ここから、この霊の途が分かれる。
自ら黄泉へと逝くか。
強制的に還されるか。
護人として、同じ人間としては、素直に、次へと向かって欲しい。

「行きましょう。還るべき世界に」

手を差し伸べたが、霊は、動こうとせず、肩を震わせると、ブツブツと何かを呟き始めた。
それは、霊が、途を選んだ瞬間だった。

ー…やる…呪ってやる…呪ってヤル…私をバカにして…私ヲ!!呪っテやる!!呪い殺シてヤル!!ー

全てを拒絶し、威嚇するように叫んだ時、何本も立ち上がった黒い筋に突き飛ばされた。
闇の中から弾き飛ばされ、足を滑らせながら、着地すると、黒い靄は、全てを覆う闇となり、小さな霊を蝕んだ。

ー殺シてやる!!殺しテやる!!お前モ!!アイツらモ!!バカにするヤツ!!全部!!殺してヤル!!全部!!壊しテやる!!ー

霊の中心に、紫色の光が見えたのは、一瞬で、次の瞬間には、霊は、化け物へと姿を変え始めてしまった。

ー殺す!!殺ス!!コロス!!ー

化け物となり、狂ってしまった霊は、もう本来の転生の途を歩めない掟がある。

「…我に力を。桜」

漁火が強い光を放ち、化け物が、その光に怯むと、冥斬刀は、その姿を現した。
冥斬刀、弓の形。
その名も桜。
花弁を散らしたように、光が弾け、桜を構え、弦を引く。
一本の光が、矢の形となり、その先を化け物へと向ける。

「散れ。花の如く」

弦を離すと、光の矢は、真っ直ぐ、化け物へと飛び、闇を蹴散らし、その中心、霊の胸に突き刺さった。

ーイ…ヤダ…イヤダ…死ニタク…ナイ…死ニタクナイ…ー

「死ぬんじゃない。黄泉の世界に還るのだ」

霊は、必ず黄泉へと還る。
それは、産まれる前から、決められてる運命サダメであり、その霊に刻まれた掟。
どんな霊も、黄泉に還り、転生を待つ。
だが、悪霊化した霊は、転生へ向かうのに、かなりの時間を必要とする。
苦しみも、哀しみも、憎しみも、その全てを捨て去る為に過ごす時間は、霊にとって、苦しく、辛い物になる。
霊自身なのだから、情を掛けたところで、それを選んでしまった事は、変わらない。
だが、遺された者は、そうならない事を切に願い、想いを馳せる。

「お前を大切にした者も、それを願っている」

霊の目が、大きく開かれ、切なく揺れた。
どんな霊にも、産まれる為には、別の霊が作り出した器がなくてはならない。
そして、その器に、霊が宿り、現世へと産まれる。
それが転生。

「お前も、愛されてたのだ。かけがえのない一つの命として」

幾つかの霊が、寄り添う場所。
それが、家庭であり、生まれた時から、生きる事を学ぶ為、作られるのが家族。
どんな霊にも、家庭があり、家族があった。
憎しみや苦しみを抱いたまま、自ら、死んでしまえば、それらを思い出すことも出来なくなり、悪霊化してしまう。
だが、思い出して欲しい。
個々の霊と分け合った悲しみ。
その霊と持ち合わせた嬉しさ。
それらは、どんな事にも変えられない。

ー…パパ…ママ…お姉ちゃん…ー

己を殺した者が、それらを思い出すと、やっと、遺された者の哀しみ、遺される者の苦しみを知る事が出来る。
そして、やっと、安らぎを得る事が出来る。

「還りなさい。そして、また、次のイノチとなり、現世へと旅立て。次は、お前の望む未来ミチを目指して」

優しく微笑むと、霊も、やっと笑った。
紅い瞳も、紅い雫も消え、本来の可愛らしい女の子の姿となった。

ーパパ達に会ったら伝えて。有り難うって。私、頑張るからってー

同じ霊の元に産まれることが出来るかが、分からなくても、それを願ってしまうのは、その時間が、かけがえのないモノであり、唯一の財産であり、生きてる内に、それを知って欲しかった。
そしたら、もっと、違う未来があったかもしれない。

「…会えたらな」

同じ時間は、二度と流れない。
だからこそ、黄泉へ還るまでは、流れる時の中、現実イマと言う時間の中で、寄り添い、支え合った者達を大切にしなければならない。

ー有り難うー

灰のように白い粒子となり、流れ逝く霊は、黄泉の世界へと向かい、紫色の光を放つ魔石だけが残された。
この世に、多くなってしまった自殺者。
自分で自分を殺す者。
生命の重みを知らない者が増え、自分と違う者を馬鹿にし、自分の力を固持するかのように、相手を虐め始める。
そして、時折、行き過ぎてしまった行動が、他者を傷付け、死へと追い込んでしまう。
単純で、身勝手な考えで、他者を追い込んでも、何とも思わない。
人とは、本当に醜い。
些細な事で、他者を傷付け、己を正当化し、周囲が、それに便乗し、霊が、追い詰められてしまう。
哀しいかもしれないが、それが、今の現世。
皆、同じイノチで、未来があり、未来を決める事が出来る。
それを自ら、断ち切ってしまい、遺された者が、哀しみに溢れる。
そんな現世を作り出したのは、目まぐるしく変わる時代なのかもしれない。
時折、それを思い出させる為、産まれる前から、還ってしまう霊や産まれて、すぐに還る霊がある。
それらは、産まれる事の難しさ、生きる事の尊さを教えてくれている。
だが、人は、それを知りもせず、可哀想と同情するだけで、自分は、違うと思い込み、自分の子は、違うと考えている。
明日は、どうなるか、誰も知る事が出来ない。
本当は、どうであるか、知る事は難しい。
何故、知恵を得た者は、流れる時間の中に、大切な事を忘れてしまうのだろうか。

「ダメだ。戻ろ」

考えれば考える程、空しく、苦しく、哀しくなる。
冥斬刀を常の形に戻し、空間を切り、現世に戻ったが、さっきの霊の事を考えてしまい、胸の中に苦しみが引っ掛かる。
同じ人なのに、月蝶は、霊さえもを道具のように扱う。
霊は、道具じゃない。
同じで産まれることが、出来ないからこそ、道具になってはならない。
その生命として、生きれるのは、たった、一度だけ。
その生命を大切にし、その時間を懸命に生きるのが、どんな者にも許された運命。
それを道具にしようとする月蝶に、怒りが込み上げる。
だが、そんな月蝶も、元は、一つの霊。
彼は、何処で未来を間違え、彼は、何故、他者を憎むのかと、疑問が頭を過り、その根源を知る為、また護人の庭に向かう。
辛く、哀しく、空しい霊の歪みは、とても単純な理由モノだった。
華月に話を聞き、現世に戻ると、すぐに、理苑が飛んで来た。

「…狐が、どうしてもと申しておりまして。我が、共にと申したのですが」

「仕方ないよ。彼なりのケジメなんでしょ。だから、同じ人間と行きたいんだよ」

「しかし…」

「理苑。彼には、彼の想いがあるんだよ。そう邪険に扱わないの」

里から離れ、人の住む辺りに向かいながら、理苑は、拗ねたような、淋しそうな雰囲気になった。

「もうすぐ、全てを終わらせる。二人にも、名を返す時が来る」

小さな理苑の肩が落ち、哀しみが溢れた。

「だから、最後に、一緒に行こう」

驚いて顔を上げた理苑に、ニッコリ笑って見せた。

「彼らが、どんな未来ミチを選ぶのか」

「…はい」

寂しそうに笑う理苑を連れ、待ち合わせ場所に向かい、季麗の背中が見えた。
その手には、紫苑の花束があった。
紫苑は、追憶、貴方を忘れないなど、相手を思う花言葉を持っている。
本当の事を伝えるのが、苦手な季麗が、必死に調べ、考えて、伝えようとしてる。
季麗なりのケジメをつけようとしている。
その姿が、可愛らしく、久々の悪戯心が、目を覚ました。
静かに近付き、膝をカクンさせると、振り返った季麗は、険しい顔付きだったが、次第に、驚きへと変わり、目じりを吊り上げた。

「驚かすな」

「あ。驚いたんだ」

「違う」

「んで?ここから近いの?」

「あぁ」

「んじゃ、行こうか」

並んで歩き、目的の地まで向かう中、季麗は、口数も少なく、離れて後を追う理苑に気付きもしない。
それ程、季麗は、緊張していた。
次第にすれ違う人も減り、季麗の花束を持つ手にも、力が込められる。
隣で、カサっと小さな音がすると、歩くスピードも、ゆっくりになった。

「やめる?」

「…いや」

あと少しの所で立ち止り、季麗は、小さく息を吐き出してから、真っ直ぐ前を見つめ、しっかりとした足取りで、歩みを進めた。

「…ここだ」

大きくも、小さくもない墓石。
その下に、季麗が愛した人が眠っている。
黙って、花束を添え、手を合わせている季麗の背中は、とても哀しく、空しさが漂っていた。

「…あの」

そこに、花束を持った年老いた白髪の女性が、声を掛けて来た。

「お前…死ん痛っ!!」

「え?」

「すみません。知人に似てらしたので、勘違いしてしまって。気にしないで下さい」

足を踏みつけ、季麗が、背中を丸めた瞬間、曖昧に笑いながら、女性に近付いた。

「知人?」

「えぇ。彼の先祖が持っていた写真の方に、そっくりでして」

「そう。ところで、どちら様ですか?」

「こちらの方と、仲良くして頂いた男性をご存知ですか?」

「え?…えぇ。知ってますよ?」

「彼、その孫の孫の子なんです」

立ち上がった季麗を差すと、女性は、目を大きくして、すぐに嬉しそうに微笑んだ。

「そう…貴方が祖母の…」

季麗は、とても淋しそうに笑った。
本当に妖かしと人の寿命の違いが、とても大きいと実感した。
本人であっても、曾孫や玄孫と嘘をつかなければならない。

「良く、祖母も話してたのよ?私も、昔は、素敵な殿方とお付き合いしてたのよ。って、嬉しそうに話してたわ」

懐かしそうに目を細め、墓石を見つめる姿は、その女性が、季麗を想っていたのを語っている。

「それでね?その殿方は、遠方の領主の息子だったのから、一緒になれなかったの。って聞いて。当時の私も、若かったから、そんなのお祖母ちゃん捨てる為の口実だよ。酷い人。って、言っちゃったのよ」

それは、寿命の違いで、迎えに行くのが、遅れてしまった季麗を責めてるようだった。

「でもね?祖母は、笑いながら言ったの。そしたら、彼より、私の方が酷い人ね。って」

必ず戻ると言っていたのに、女性は、いつ戻るか分からない季麗を待たず、すぐに、紹介された男性と結婚してしまった。

「待ってるって言ったのに、じいちゃんと結婚したんだもの。私の方が酷いわ。って言ってたのよ。それで、なんで、じいちゃんと結婚したの?って聞いたら、祖母、寂しそうだったわ」

老いた両親が、季麗に捨てられたと思い、紹介した。

「その殿方に、手紙でも出せれば、祖母は、両親を説得出来たかもしれないけど、住所を聞き忘れたらしくてね」

季麗の目元が、悲しそうに細められた。

「でもね?祖母は、祖父と結婚しても、その人を忘れられなかったから、いつも言ってたわ。約束したら、最後まで、守り続けなさい。って」

大切な者の為に、女性は、自分の想いを押し殺して、他の人と一緒になった。

「お二人が来て、祖母も、きっと、喜んでるわ」

「どうしてですか?」

「その方も、きっと、幸せになってくれたと思うから。祖母、最期の最期まで言ってたの。彼は、幸せになれたかしら。とか、彼も、孫が出来たかしら。とか」

本当に愛するからこそ、相手の幸福を願う。
女性も、季麗を裏切る形になったが、その幸せを願っていた。
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