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2章 世界で一番嫌いな人
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それからしばらくは平和な日々が続いた。文化祭も滞りなく終わり、文化祭実行委員会も解散された。
文化祭は、私にとって楽しい思い出になった。ベッキー達と一緒に色んな所を回って、美味しい物を食べて。楽器を弾いてみたり、コスプレなんかもしたりして。
来年もまた、同じような一日を過ごせたらいいと思う。
でも、レイチェル嬢にとっては、そうではなかったようだった。学園祭の日の彼女は、いつ見ても顔を顰めていたから。
それに、文化祭の後、彼女は学園を休んだ。ケイン様とミランダの言動に振り回され、心労が積み重なっていたのだろう。レイチェル嬢のクラスの友人は、「酷い頭痛で病欠している」と教えてくれた。
思えば、学園祭の日のレイチェル嬢は顔色が悪かった上、頭が痛いと言っていた。
ケイン様とミランダのダンスを見つめていた彼女の横顔はとてもしんどそうだった。いつも毅然としている彼女が、その時ばかりは物憂げで……。私は内心、彼女に同情を寄せていた。
そんな彼女の事情を知るはずもないケイン様とミランダは、彼女の不在をいいことにやりたい放題だった。
特にミランダは、いつも以上にケイン様といちゃつき、あろうことかその場にいないレイチェル嬢の悪口を捲し立てていた。
口うるさいとか、冷たい性格だとか。胸はある方なのに色気が少しもないから宝の持ち腐れだとか。そんな下品な言葉まで、彼女の口から飛び出した。
「あなたと違って、レイチェル様は女を武器にする必要がないのよ」
見かねたレイチェル嬢の友人がそう反論すると、ミランダは逆上して、さらに罵詈雑言を重ねた。
ケイン様はそんなミランダを咎める事はなかった。それどころか、彼はミランダの発言を肯定している節があった。
それだけならまだしも、彼は友人に向かってレイチェル嬢に対する悪口を言っていた。
「レイチェルといるとイライラするから、このままずっと、学園に来なくていい」
人通りの多い廊下で、堂々とそう言い切ったのだ。偶然それを耳にした私は、堪えきれず口を開いた。
「どうして、そんな酷い事が言えるんですか!」
私の声に、その場の空気が凍りついた。ケイン様の友人はバツが悪そうに目を伏せたが、当の本人は違った。苛立ちを隠そうともせず、私を睨みつけてきたのだ。
「酷い事? それは、レイチェルだって、同じだろう?」
「どういう意味ですか!?」
「レイチェルは、俺のことを政治の駒としか思っていない。あいつは王太子妃の座が手に入ればそれで満足なんだ」
━━何を言ってるんだろう?
レイチェル嬢は、そんな人じゃないのに。
彼女はケイン様を王太子にする事を望んでいるのは間違いない。
でも、それはきっと、彼を想っての事だった。
彼女の言っている事はいつも正しいから。レイチェル嬢は、ケイン様の悪い行いを咎めているに過ぎないのだ。
「そうやって、ミランダとの浮気を正当化するつもりですか」
すると、ケイン様の額に青筋が浮かんだ。彼は血走った目で、私を睨んだ。
「浮気は向こうも同じだろ? あいつは」
「まあまあ、落ち着いて」
私達の話に入り込んで来たのは、どこからともなく現れたニコラス様だった。
ケイン様は苦虫を噛み潰したような顔でニコラス様を見た。
「エレノア。くだらない事をケインに言うんじゃない。王族に向かって失礼だぞ」
そう言いつつ、彼は私達を盗み見ていた周囲の人々に目をやった。
「俺の婚約者を見世物にするわけにはいかないから、これで失礼するよ」
そう言って、彼は私の腕を乱暴に引いた。
力の入った手には爪を立てられていて、私はズキズキとした痛みに眉を顰めた。
彼は黙々と歩き、私を人気のない空き教室に押し込んだ。その時に、私は突き飛ばされた。
勢いよく床に倒れ込んだ事に構う事なく、彼は淡々と扉を閉めて、鍵をかけた。
カーテンの閉まった窓のせいで、外部から遮断された空間が完成した。密室でニコラス様と二人きりにされたのだ。
私は、恐怖のあまり腰が抜けて立ち上がる事ができなかった。
「どういうつもり?」
薄暗い部屋の中でも、彼の冷たい目はよく見えた。
「私はただ、レイチェル嬢が不憫で……」
彼は小馬鹿にしたように笑った。
「レイチェルは君に憐れまれる程、見下げた存在なのかな?」
「ち、違います! 私はそんな事、思ってません」
ニコラス様は刺すような視線を私に浴びせた。
「君の“優しさ”には、反吐が出るよ」
彼はそう言うと踵を返した。そして、扉の鍵を開けて、そのまま振り返らずに言った。
「二度と余計な事をするな。次は容赦しないから」
彼は扉を開けてそのまま教室を出て行った。
私はその場に膝をついたまま、動けなかった。やがて授業開始を告げるチャイムが鳴ったが、それすら遠い世界の出来事のようで……。私はただ、恐怖に震えていた。
それからしばらくは平和な日々が続いた。文化祭も滞りなく終わり、文化祭実行委員会も解散された。
文化祭は、私にとって楽しい思い出になった。ベッキー達と一緒に色んな所を回って、美味しい物を食べて。楽器を弾いてみたり、コスプレなんかもしたりして。
来年もまた、同じような一日を過ごせたらいいと思う。
でも、レイチェル嬢にとっては、そうではなかったようだった。学園祭の日の彼女は、いつ見ても顔を顰めていたから。
それに、文化祭の後、彼女は学園を休んだ。ケイン様とミランダの言動に振り回され、心労が積み重なっていたのだろう。レイチェル嬢のクラスの友人は、「酷い頭痛で病欠している」と教えてくれた。
思えば、学園祭の日のレイチェル嬢は顔色が悪かった上、頭が痛いと言っていた。
ケイン様とミランダのダンスを見つめていた彼女の横顔はとてもしんどそうだった。いつも毅然としている彼女が、その時ばかりは物憂げで……。私は内心、彼女に同情を寄せていた。
そんな彼女の事情を知るはずもないケイン様とミランダは、彼女の不在をいいことにやりたい放題だった。
特にミランダは、いつも以上にケイン様といちゃつき、あろうことかその場にいないレイチェル嬢の悪口を捲し立てていた。
口うるさいとか、冷たい性格だとか。胸はある方なのに色気が少しもないから宝の持ち腐れだとか。そんな下品な言葉まで、彼女の口から飛び出した。
「あなたと違って、レイチェル様は女を武器にする必要がないのよ」
見かねたレイチェル嬢の友人がそう反論すると、ミランダは逆上して、さらに罵詈雑言を重ねた。
ケイン様はそんなミランダを咎める事はなかった。それどころか、彼はミランダの発言を肯定している節があった。
それだけならまだしも、彼は友人に向かってレイチェル嬢に対する悪口を言っていた。
「レイチェルといるとイライラするから、このままずっと、学園に来なくていい」
人通りの多い廊下で、堂々とそう言い切ったのだ。偶然それを耳にした私は、堪えきれず口を開いた。
「どうして、そんな酷い事が言えるんですか!」
私の声に、その場の空気が凍りついた。ケイン様の友人はバツが悪そうに目を伏せたが、当の本人は違った。苛立ちを隠そうともせず、私を睨みつけてきたのだ。
「酷い事? それは、レイチェルだって、同じだろう?」
「どういう意味ですか!?」
「レイチェルは、俺のことを政治の駒としか思っていない。あいつは王太子妃の座が手に入ればそれで満足なんだ」
━━何を言ってるんだろう?
レイチェル嬢は、そんな人じゃないのに。
彼女はケイン様を王太子にする事を望んでいるのは間違いない。
でも、それはきっと、彼を想っての事だった。
彼女の言っている事はいつも正しいから。レイチェル嬢は、ケイン様の悪い行いを咎めているに過ぎないのだ。
「そうやって、ミランダとの浮気を正当化するつもりですか」
すると、ケイン様の額に青筋が浮かんだ。彼は血走った目で、私を睨んだ。
「浮気は向こうも同じだろ? あいつは」
「まあまあ、落ち着いて」
私達の話に入り込んで来たのは、どこからともなく現れたニコラス様だった。
ケイン様は苦虫を噛み潰したような顔でニコラス様を見た。
「エレノア。くだらない事をケインに言うんじゃない。王族に向かって失礼だぞ」
そう言いつつ、彼は私達を盗み見ていた周囲の人々に目をやった。
「俺の婚約者を見世物にするわけにはいかないから、これで失礼するよ」
そう言って、彼は私の腕を乱暴に引いた。
力の入った手には爪を立てられていて、私はズキズキとした痛みに眉を顰めた。
彼は黙々と歩き、私を人気のない空き教室に押し込んだ。その時に、私は突き飛ばされた。
勢いよく床に倒れ込んだ事に構う事なく、彼は淡々と扉を閉めて、鍵をかけた。
カーテンの閉まった窓のせいで、外部から遮断された空間が完成した。密室でニコラス様と二人きりにされたのだ。
私は、恐怖のあまり腰が抜けて立ち上がる事ができなかった。
「どういうつもり?」
薄暗い部屋の中でも、彼の冷たい目はよく見えた。
「私はただ、レイチェル嬢が不憫で……」
彼は小馬鹿にしたように笑った。
「レイチェルは君に憐れまれる程、見下げた存在なのかな?」
「ち、違います! 私はそんな事、思ってません」
ニコラス様は刺すような視線を私に浴びせた。
「君の“優しさ”には、反吐が出るよ」
彼はそう言うと踵を返した。そして、扉の鍵を開けて、そのまま振り返らずに言った。
「二度と余計な事をするな。次は容赦しないから」
彼は扉を開けてそのまま教室を出て行った。
私はその場に膝をついたまま、動けなかった。やがて授業開始を告げるチャイムが鳴ったが、それすら遠い世界の出来事のようで……。私はただ、恐怖に震えていた。
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