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第4章 RONDO-FINALE
op.14 春への憧れ(8)
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翌日、予定通り汽車に乗ってたどり着いたレーゲンスヴァルトは緑の多い豊かな町だった。
人の波ではぐれないようにと、ヴィオの腕に回したままの手から伝わる体温にはまだ少し慣れない。だけどその温もりを最後だと思わなくても良くなったことはとても嬉しくて、同時にもし失うことを考えると怖くもある。
一度諦めなくていいと分かったら今度は離すのが惜しくなるなんて、とても図々しいと思うのだけど、ヴィオに言ったら『リチェルはそれくらいでちょうどいい』と笑っていた。
キュッと回した手に力をこめると、その動きに気付いたのかヴィオがチラリとリチェルを見下ろして、どうした? と声をかけてくれる。
「ううん。何でもないの。人が多いなって思っただけ」
「そうだな。はぐれないようにしないと。リチェルは小さいから見失うと困る」
「大丈夫。ちゃんとついていくわ」
そう言って笑う。
「それに前と違って今はこうしてヴィオが手を引いてくれるし、きっとはぐれないと思うの」
口にするのは少し恥ずかしかったけれど、遠慮がちに口にすると、ヴィオが一瞬動きを止めて『そうだな』と視線を逸らした。
だけどヴィオの足取りが先程よりも、リチェルを気遣ったものになった事は分かった。十分ついていけたと思うのだが、逆に気にさせてしまっただろうか。でも不安になったからだなんて言うと、もっと心配させてしまう気がする。
「まずは泊まる場所を探したらいいかしら?」
「そうだな。ハーゼンクレーヴァーの後継ぎからは着いた時の連絡方法は指定されていたから、落ち着いてから連絡するよ」
ハーゼンクレーヴァー。
何気なく出た名前にドキリとする。そういえば、ここは母が生まれ育った町なのだ。そう思うと、急に周りの景色が違ったものに見えてきた。
駅から出ると明るい色合いの建物が立ち並び、真白の雪をかぶった高い山々がすぐ近くに見える。
(お母さんも、ここを歩いたのかしら……)
そう思って、すぐにドナートの工房で聞いた話を思い出した。きっと母にとってこの町は良い思い出ばかりではなかっただろう。
(でも、お母さんが育った場所であることに変わりはないわ)
町の中を歩いてみたかった。
母のことを知ることができる訳ではないけれど、この空気に触れていることが、町の景色を見ることが、少しでも母と繋がる気がしたのだ。
いけない、と首を振る。この町にはきちんと用があって来たのだし、リチェルが出歩くのは不都合かもしれないのだ。迷惑をかけないようにしないといけない。
ヴィオが選んだ宿は少し駅から離れてはいるが、中心に近い位置だった。いつもならヴィオはヴァイオリンを弾く事も多いから、郊外に取ることが多い。街中でいいの? と聞くと、今回はこれでいい、とヴィオが頷いた。
「君を置いていく事になるから。人通りの多い場所にしたい」
「!」
何気なく伝えられた言葉に、頬が熱くなる。
こんな時でも、ヴィオはリチェルのことを一番に考えてくれていたのだろう。ふっとヴィオが笑う。
「この後昼食にしようか。まだ少し早いから、その前にその辺を散歩しよう。付き合ってくれるか?」
リチェルに部屋の鍵を渡して、ヴィオがそう言ってくれる。まるで町を歩いてみたいと思っていたリチェルの気持ちを汲み取るみたいだった。
いや、ヴィオのことだからきっと汲み取ってくれたのだろう。
「うん。ありがとう、ヴィオ」
ふわりと笑うとヴィオが目を瞬かせて、そっと頭を撫でられた。
後で、と言われてヴィオが部屋に入る。リチェルも自分の部屋に入ると、荷物を下ろして軽く整えて、すぐに外に出た。
少し迷ってヴィオの部屋をノックすると、すぐにヴィオは出て来てくれた。行こうか、と促されてリチェルも慣れないながら差し出されたヴィオの手を取った。
その手が離されたのは、宿を出てすぐの事だった。
あまりに自然に離された手に一瞬自然に外れたのかと思ったけれども、ヴィオが宿を出てすぐに立ち止まったからそうではないと知れた。
宿の前に、一人の少年が立っていた。
良質で仕立てのいい服を身につけた少年は、だけどそれを感じさせない気さくな笑顔を浮かべて、そこに立っていた。
「すみません。お呼び出し頂くまでは行かない方がいいかと思ったのですが、待ちきれなくて」
まだ声変わりしていない少し高いトーンの声。
明るい亜麻色の髪に、森を思わせる深緑の瞳。
何よりリチェルによく似た少年の顔にリチェルは見覚えがあって──。
「……エド?」
思わずリチェルはその名を呟いていた。
ルフテンフェルトから降りてしばらく、アガタの入院していたヴィタリの町で出会った少年がそこにいた。
「はい」
嬉しそうに頷いて、以前と変わらず屈託のない態度で少年はヴィオとリチェルの方に近づいてくる。
「覚えていてくださって光栄です。だけどごめんなさい。実を言うとエドゥアルトは偽名なんです」
悪びれもしない態度でリチェルとヴィオの前で止まると、エドは自然な動作でそっとリチェルの手をとって口付ける仕草をした。
慣れない挨拶に、思わずリチェルの肩が跳ねる。
「本名はエアハルト。エアハルト・ユリウス・フォン・ハーゼンクレーヴァーと言います。どうぞエリーと呼んでください」
周りを気にしてか小声で名乗るとエド、──エリーはにっこりと以前と変わらない愛らしい笑顔を浮かべた。
「ようこそ、レーゲンスヴァルトへ。心より歓迎いたします。ヴィオさん、リチェルさん。いえ──」
少しだけ言葉を濁して、次の瞬間エリーは嬉しそうに笑った。
「姉様」
人の波ではぐれないようにと、ヴィオの腕に回したままの手から伝わる体温にはまだ少し慣れない。だけどその温もりを最後だと思わなくても良くなったことはとても嬉しくて、同時にもし失うことを考えると怖くもある。
一度諦めなくていいと分かったら今度は離すのが惜しくなるなんて、とても図々しいと思うのだけど、ヴィオに言ったら『リチェルはそれくらいでちょうどいい』と笑っていた。
キュッと回した手に力をこめると、その動きに気付いたのかヴィオがチラリとリチェルを見下ろして、どうした? と声をかけてくれる。
「ううん。何でもないの。人が多いなって思っただけ」
「そうだな。はぐれないようにしないと。リチェルは小さいから見失うと困る」
「大丈夫。ちゃんとついていくわ」
そう言って笑う。
「それに前と違って今はこうしてヴィオが手を引いてくれるし、きっとはぐれないと思うの」
口にするのは少し恥ずかしかったけれど、遠慮がちに口にすると、ヴィオが一瞬動きを止めて『そうだな』と視線を逸らした。
だけどヴィオの足取りが先程よりも、リチェルを気遣ったものになった事は分かった。十分ついていけたと思うのだが、逆に気にさせてしまっただろうか。でも不安になったからだなんて言うと、もっと心配させてしまう気がする。
「まずは泊まる場所を探したらいいかしら?」
「そうだな。ハーゼンクレーヴァーの後継ぎからは着いた時の連絡方法は指定されていたから、落ち着いてから連絡するよ」
ハーゼンクレーヴァー。
何気なく出た名前にドキリとする。そういえば、ここは母が生まれ育った町なのだ。そう思うと、急に周りの景色が違ったものに見えてきた。
駅から出ると明るい色合いの建物が立ち並び、真白の雪をかぶった高い山々がすぐ近くに見える。
(お母さんも、ここを歩いたのかしら……)
そう思って、すぐにドナートの工房で聞いた話を思い出した。きっと母にとってこの町は良い思い出ばかりではなかっただろう。
(でも、お母さんが育った場所であることに変わりはないわ)
町の中を歩いてみたかった。
母のことを知ることができる訳ではないけれど、この空気に触れていることが、町の景色を見ることが、少しでも母と繋がる気がしたのだ。
いけない、と首を振る。この町にはきちんと用があって来たのだし、リチェルが出歩くのは不都合かもしれないのだ。迷惑をかけないようにしないといけない。
ヴィオが選んだ宿は少し駅から離れてはいるが、中心に近い位置だった。いつもならヴィオはヴァイオリンを弾く事も多いから、郊外に取ることが多い。街中でいいの? と聞くと、今回はこれでいい、とヴィオが頷いた。
「君を置いていく事になるから。人通りの多い場所にしたい」
「!」
何気なく伝えられた言葉に、頬が熱くなる。
こんな時でも、ヴィオはリチェルのことを一番に考えてくれていたのだろう。ふっとヴィオが笑う。
「この後昼食にしようか。まだ少し早いから、その前にその辺を散歩しよう。付き合ってくれるか?」
リチェルに部屋の鍵を渡して、ヴィオがそう言ってくれる。まるで町を歩いてみたいと思っていたリチェルの気持ちを汲み取るみたいだった。
いや、ヴィオのことだからきっと汲み取ってくれたのだろう。
「うん。ありがとう、ヴィオ」
ふわりと笑うとヴィオが目を瞬かせて、そっと頭を撫でられた。
後で、と言われてヴィオが部屋に入る。リチェルも自分の部屋に入ると、荷物を下ろして軽く整えて、すぐに外に出た。
少し迷ってヴィオの部屋をノックすると、すぐにヴィオは出て来てくれた。行こうか、と促されてリチェルも慣れないながら差し出されたヴィオの手を取った。
その手が離されたのは、宿を出てすぐの事だった。
あまりに自然に離された手に一瞬自然に外れたのかと思ったけれども、ヴィオが宿を出てすぐに立ち止まったからそうではないと知れた。
宿の前に、一人の少年が立っていた。
良質で仕立てのいい服を身につけた少年は、だけどそれを感じさせない気さくな笑顔を浮かべて、そこに立っていた。
「すみません。お呼び出し頂くまでは行かない方がいいかと思ったのですが、待ちきれなくて」
まだ声変わりしていない少し高いトーンの声。
明るい亜麻色の髪に、森を思わせる深緑の瞳。
何よりリチェルによく似た少年の顔にリチェルは見覚えがあって──。
「……エド?」
思わずリチェルはその名を呟いていた。
ルフテンフェルトから降りてしばらく、アガタの入院していたヴィタリの町で出会った少年がそこにいた。
「はい」
嬉しそうに頷いて、以前と変わらず屈託のない態度で少年はヴィオとリチェルの方に近づいてくる。
「覚えていてくださって光栄です。だけどごめんなさい。実を言うとエドゥアルトは偽名なんです」
悪びれもしない態度でリチェルとヴィオの前で止まると、エドは自然な動作でそっとリチェルの手をとって口付ける仕草をした。
慣れない挨拶に、思わずリチェルの肩が跳ねる。
「本名はエアハルト。エアハルト・ユリウス・フォン・ハーゼンクレーヴァーと言います。どうぞエリーと呼んでください」
周りを気にしてか小声で名乗るとエド、──エリーはにっこりと以前と変わらない愛らしい笑顔を浮かべた。
「ようこそ、レーゲンスヴァルトへ。心より歓迎いたします。ヴィオさん、リチェルさん。いえ──」
少しだけ言葉を濁して、次の瞬間エリーは嬉しそうに笑った。
「姉様」
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