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第4章 RONDO-FINALE
op.16 春風吹き渡る時(16)
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部屋に入ってきたエリーは、その場の空気の重さなど気にも留めずに軽快な動作で入ってくる。
「エアハルト」
「お久しぶりです、ヴィクトル様」
ヴィオと目が合ったエリーが人懐っこく笑う。
「何の用だ」
伯爵家の女主人の名を聞いて、流石のルートヴィヒも邪険には扱えないと思ったのか、苦虫を噛み潰したような顔で答えた。対するエリーはルートヴィヒの不満の声などどこ吹く風で『はい』と返事をする。
「本日はハーゼンクレーヴァー当主の代わりに、この二ヶ月間私の姉をヴィクトル様に保護して頂いてた件について、ささやかですが当主よりお礼を持って参ったのです」
「保護していた?」
ルートヴィヒが目を剥いて問い返す。
「ハーゼンクレーヴァーは確か一人息子のはずでは」
「はい、表向きには」
ただ、とエリーが憂いを帯びた表情を浮かべて肩をすくめる。
「ルートヴィヒ様においてもご存知かと思われますが、我が家門には黒い噂が絶えないでしょう。もちろん根も葉もないものがほとんどで、私共も意図的に放置している部分もございます。
ただ姉は産まれてすぐに身体が弱いと医師に指摘されておりまして、要らぬ恨みを買う我が家は耐えられないだろう、と秘密裏に養子に出していたのです。
ですが育った場所の空気が良かったのかすっかり病が治りまして。
この度正式に家に迎える事になったのですが、我が家はお恥ずかしながら最近まで落ち着かない様子でしたから、定住していては何か危険が及ぶかもと、旅をしているヴィクトル様に一時的に保護していただいていたのです」
よくぞここまでサラサラと嘘が出てくるものだという事情を、エリーが淀みなく並べ立てる。
(いや、違う)
これはきっと事実だ。
あの当主ならば、きっと事実にするのだろう。
(だがそれ以前に──)
リチェルを正式に家に迎える事になった、とこの少年は言った。
当主であるイングリットは断固としてリチェルの認知を拒否していたのに、だ。
「ただその際、我が家の内部事情でヴィクトル様には姉の出自を伏せていただくように固くお願いしておりました。
先日無事ヴィクトル様が姉を本家に送り届けてくださったのですが、姉の出自を伏せていたことがヴィクトル様にとって不都合な事になっていないかと姉がとても心配しておりまして。早急に事実を伝えるようにと当主に進言し、私がお伺いした次第です」
「……ヴィクトル。本当か?」
整理がつかないのだろう。少し間を置いて、ルートヴィヒが慎重に尋ねてくる。軽く目を瞑って、ヴィオは自分を落ち着かせるように息を吐く。
どうしてイングリットの考えが急に変わったのかはわからない。だがエリーが言った通りなら、これはリチェルが願い出たことなのだろう。
「……」
意識を切り替える。だとしたら、彼女がくれたものを無駄にするつもりはない。
「はい」
真っ直ぐにルートヴィヒの方を見て、ヴィオは肯定する。
「事情を話せずに申し訳ございません、叔父上。私一人の事情であれば如何様にでもお話しできたのですが、他家の内情が関わっている為お伝えすることが出来ませんでした」
「ハーゼンクレーヴァー家と付き合いがあったとは聞いていないが」
「議会でお会いする機会はありますし、私も何度か父の首都行きへは同行しております。エアハルトも同様で当主に同行していた際に面識があります」
「はい。ヴィクトル様には大変良くしていただいております」
ヴィオの話に合わせるようにエリーが頷く。
「と言うことは、その、お前が連れ歩いていた女性、というのは」
「ハーゼンクレーヴァー家からお預かりしていたご令嬢で間違いありません。なのでもちろん、マイヤー殿のおっしゃるような事は事実無根です」
「…………」
ルートヴィヒが黙り込む。地面に膝をついたままのマイヤーはと言うと、信じられないものを見るようにエリーを見ていた。ルートヴィヒもそんなマイヤーを一瞥して、エリーを見て、それからもう一度ヴィオに視線を寄越す。こちらも困惑しているのが手に取るようにわかる仕草だった。
「あの、失礼ですが一つお尋ねしても?」
と、エリーが小首を傾げて声をかけた。
「……何だ?」
「そのマイヤー殿がおっしゃっていた事実というのはどのような?」
「…………っ」
話を振られたマイヤーが息を呑む。
エリーは相変わらず朗らかに笑っているが、細められた深緑の瞳はマイヤーから決して逸らすことはない。
「姉について根も葉もない内容をお話しされていたのであれば、当家としてもそれなりの対応を取らざるを得ませんし。どこでどんな噂を聞いたのか、ぜひ詳しくお聞かせいただきたいのですが」
ニコニコと天使のような笑みを浮かべながら、エリーがマイヤーに歩み寄る。どうぞ、と手を差し伸べられさえして、マイヤーがびくりと身体を震わせる。
「ありがとうございます。ですが自分で起きられますので……っ」
そそくさと起き上がったマイヤーが、逃げるようにルートヴィヒの隣に戻る。
そんなマイヤーの様子を一瞥して、ルートヴィヒは疲れたようにソファの背もたれに身体を預けると、ハァ、と息を吐いた。
「ハンス」
「は、はい?」
「お前の負けだ、ハンス」
その口調はどこか自嘲的ですらあった。ルートヴィヒがくっくっと喉で笑う。
「ルートヴィヒ様……⁉︎ 何をおっしゃるのです……!」
「往生際の悪い奴だな。だからお前の負けだと言っとるんだ。……全く、大したやつだ。全ての証拠が揃うまで徹底的にだんまりを決め込みよって。と言うことは何か。俺はまんまとハンスに踊らされていたのか? まったく、これではただの道化ではないか」
ぐしゃぐしゃと頭をかいて、ルートヴィヒが脱力したように天を仰ぐ。ルートヴィヒの言葉に居心地が悪そうにマイヤーは身じろぎして、だがもう言い訳をするでもなかった。最後にヴィオとエリーの方を一度だけ見て、観念したように肩を落とした。
「そうか」
シンとなった部屋の中、ルートヴィヒのつぶやきがポツリと落ちた。
「──何も知らんのは俺だけだったか」
──────
ここまでご覧いただきありがとうございます。
来週は金土日の3日連続で更新し、Harmoniaは完結となります。
いつもと違い10時更新です!どうぞよろしくお願いします!
これまでご案内出来てなかったのですが、ホームページには各キャラの立ち絵が掲載されていますので良かったらご覧ください^^ツイッターで小ネタやイラストも上がってます~。
https://tfs.pupu.jp/harmonia/
「エアハルト」
「お久しぶりです、ヴィクトル様」
ヴィオと目が合ったエリーが人懐っこく笑う。
「何の用だ」
伯爵家の女主人の名を聞いて、流石のルートヴィヒも邪険には扱えないと思ったのか、苦虫を噛み潰したような顔で答えた。対するエリーはルートヴィヒの不満の声などどこ吹く風で『はい』と返事をする。
「本日はハーゼンクレーヴァー当主の代わりに、この二ヶ月間私の姉をヴィクトル様に保護して頂いてた件について、ささやかですが当主よりお礼を持って参ったのです」
「保護していた?」
ルートヴィヒが目を剥いて問い返す。
「ハーゼンクレーヴァーは確か一人息子のはずでは」
「はい、表向きには」
ただ、とエリーが憂いを帯びた表情を浮かべて肩をすくめる。
「ルートヴィヒ様においてもご存知かと思われますが、我が家門には黒い噂が絶えないでしょう。もちろん根も葉もないものがほとんどで、私共も意図的に放置している部分もございます。
ただ姉は産まれてすぐに身体が弱いと医師に指摘されておりまして、要らぬ恨みを買う我が家は耐えられないだろう、と秘密裏に養子に出していたのです。
ですが育った場所の空気が良かったのかすっかり病が治りまして。
この度正式に家に迎える事になったのですが、我が家はお恥ずかしながら最近まで落ち着かない様子でしたから、定住していては何か危険が及ぶかもと、旅をしているヴィクトル様に一時的に保護していただいていたのです」
よくぞここまでサラサラと嘘が出てくるものだという事情を、エリーが淀みなく並べ立てる。
(いや、違う)
これはきっと事実だ。
あの当主ならば、きっと事実にするのだろう。
(だがそれ以前に──)
リチェルを正式に家に迎える事になった、とこの少年は言った。
当主であるイングリットは断固としてリチェルの認知を拒否していたのに、だ。
「ただその際、我が家の内部事情でヴィクトル様には姉の出自を伏せていただくように固くお願いしておりました。
先日無事ヴィクトル様が姉を本家に送り届けてくださったのですが、姉の出自を伏せていたことがヴィクトル様にとって不都合な事になっていないかと姉がとても心配しておりまして。早急に事実を伝えるようにと当主に進言し、私がお伺いした次第です」
「……ヴィクトル。本当か?」
整理がつかないのだろう。少し間を置いて、ルートヴィヒが慎重に尋ねてくる。軽く目を瞑って、ヴィオは自分を落ち着かせるように息を吐く。
どうしてイングリットの考えが急に変わったのかはわからない。だがエリーが言った通りなら、これはリチェルが願い出たことなのだろう。
「……」
意識を切り替える。だとしたら、彼女がくれたものを無駄にするつもりはない。
「はい」
真っ直ぐにルートヴィヒの方を見て、ヴィオは肯定する。
「事情を話せずに申し訳ございません、叔父上。私一人の事情であれば如何様にでもお話しできたのですが、他家の内情が関わっている為お伝えすることが出来ませんでした」
「ハーゼンクレーヴァー家と付き合いがあったとは聞いていないが」
「議会でお会いする機会はありますし、私も何度か父の首都行きへは同行しております。エアハルトも同様で当主に同行していた際に面識があります」
「はい。ヴィクトル様には大変良くしていただいております」
ヴィオの話に合わせるようにエリーが頷く。
「と言うことは、その、お前が連れ歩いていた女性、というのは」
「ハーゼンクレーヴァー家からお預かりしていたご令嬢で間違いありません。なのでもちろん、マイヤー殿のおっしゃるような事は事実無根です」
「…………」
ルートヴィヒが黙り込む。地面に膝をついたままのマイヤーはと言うと、信じられないものを見るようにエリーを見ていた。ルートヴィヒもそんなマイヤーを一瞥して、エリーを見て、それからもう一度ヴィオに視線を寄越す。こちらも困惑しているのが手に取るようにわかる仕草だった。
「あの、失礼ですが一つお尋ねしても?」
と、エリーが小首を傾げて声をかけた。
「……何だ?」
「そのマイヤー殿がおっしゃっていた事実というのはどのような?」
「…………っ」
話を振られたマイヤーが息を呑む。
エリーは相変わらず朗らかに笑っているが、細められた深緑の瞳はマイヤーから決して逸らすことはない。
「姉について根も葉もない内容をお話しされていたのであれば、当家としてもそれなりの対応を取らざるを得ませんし。どこでどんな噂を聞いたのか、ぜひ詳しくお聞かせいただきたいのですが」
ニコニコと天使のような笑みを浮かべながら、エリーがマイヤーに歩み寄る。どうぞ、と手を差し伸べられさえして、マイヤーがびくりと身体を震わせる。
「ありがとうございます。ですが自分で起きられますので……っ」
そそくさと起き上がったマイヤーが、逃げるようにルートヴィヒの隣に戻る。
そんなマイヤーの様子を一瞥して、ルートヴィヒは疲れたようにソファの背もたれに身体を預けると、ハァ、と息を吐いた。
「ハンス」
「は、はい?」
「お前の負けだ、ハンス」
その口調はどこか自嘲的ですらあった。ルートヴィヒがくっくっと喉で笑う。
「ルートヴィヒ様……⁉︎ 何をおっしゃるのです……!」
「往生際の悪い奴だな。だからお前の負けだと言っとるんだ。……全く、大したやつだ。全ての証拠が揃うまで徹底的にだんまりを決め込みよって。と言うことは何か。俺はまんまとハンスに踊らされていたのか? まったく、これではただの道化ではないか」
ぐしゃぐしゃと頭をかいて、ルートヴィヒが脱力したように天を仰ぐ。ルートヴィヒの言葉に居心地が悪そうにマイヤーは身じろぎして、だがもう言い訳をするでもなかった。最後にヴィオとエリーの方を一度だけ見て、観念したように肩を落とした。
「そうか」
シンとなった部屋の中、ルートヴィヒのつぶやきがポツリと落ちた。
「──何も知らんのは俺だけだったか」
──────
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