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玲子様とお呼び! ~続・黛家の新婚さん~
1 黛家のその後
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久しぶりにお話を追加します。
出産後のお話になります。
ヤマオチのない設定集のような小話ですが、暇つぶしに覗いていただけると嬉しいです(*´ω`)
よろしくお願いしますm(_ _)m
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
出産後ひと月ほど里帰りしていた七海だが、現在は黛家に戻っている。作業に慣れたこともあるが、龍太郎の生活リズムが徐々に安定してきたため、お世話も随分と楽になった。更にその宣言通り、義母となる玲子が孫の世話をするため日本に戻ってくれため七海の負担はとても軽くなった。
確かに以前、仕事を休んで子育てを手伝う! と玲子は宣言していた。
しかし世界を股にかけて活躍するジャズピアニストである彼女が、本当に育児のためだけに仕事を休めるとは七海は考えていなかった。
なのになんと、玲子は長期休業と銘打って復帰時期を明言しないまま帰ってきてしまったのである。もちろん所属事務所と話し合いの上でのことだが。しかし随分引き留められたらしい、と言うのは友人の義弟である本田家の三男坊からの情報である。玲子に尋ねると「そうねぇ。まぁ、でも代わりに休業前にコンサート一杯こなして手打ちにして貰ったから、大丈夫よ。もともとそろそろ日本に帰ってのんびりしようって考えてたし」と呑気に笑っていた。
七海の『姑』である玲子は七海の夫、黛のような大きな子供がいるとは思えないほど美しい、奇跡の四十代である。
ただ黛から聞いた話では彼が幼い頃から彼女はピアニストとして世界中を飛び回っており、子供の頃黛は友人である本田家で家族同然の扱いを受けていたという。だから七海は、彼女は子供の世話についてあまり経験して来なかったのでは? と推測している。それに長期休業中とは言え、ピアニストとして指を大事にしなければならない彼女に子育てや家事のような作業を分担させるのはいかがなものか?……などと、あれこれ七海は心配していた。
だが、それは彼女の杞憂であった。
玲子は「久しぶりで忘れてるかも?」などと呟きつつ、まず七海のやり方を見学していた。だが一通り見学した後は、あっさりとスムーズに乳幼児の世話をこなしたのだった。外国住まいになったのは黛が小学生になった以降のことで、それまでは日本で友人である本田の母の手ほどきを受けつつ黛の世話をしていたそうだ。
ただ料理だけはほとんど経験がないそうで、台所仕事は七海の担当だ。それでも子供の動向を気にせず料理に集中できるのは本当に楽で、七海としては大助かりだった。
母乳メインで育てているものの、龍太郎はそれほどミルクを嫌がらない子供だ。寝不足気味の七海が昼寝をしている間も、玲子が龍太郎を見てくれる。お風呂もゆっくり浸かれるし長く眠ることも出来、実家にいる頃と遜色ない暮らしが出来た。
黛や龍一は当然仕事で忙しく、家事や育児にかかわる時間がとれない。もともと料理も家事も外注で済ませていた二人に、七海が家事をやれないことを責められることはないだろうが―――自分である程度やりたい七海は、玲子がいなかったらきっと加減が分からず頑張り過ぎ、ワンオペ育児に疲れ切ってしまったことだろう。本当に感謝しかなかった。
昼食の後、洗い物をキッチンの食洗機に収めた七海が戻ると、ソファの近くで龍太郎をあやしていた玲子がパッと顔を上げて華のような笑顔を見せた。
玲子の稀有な才能は、いつでも本当に自分がやりたいことしかやっていない、と言う所だと七海は思う。その証拠に、天職ともいえる自分の仕事を休業してまで孫の世話をしているのに、本当にそれを楽しんでいるようなのだ。
そして屈託のなく向けられる眩しい笑顔に、そのあまりに美しさに七海は毎回胸を撃ち抜かれる。
ひょっとすると夫の黛より、玲子の女性らしい顔の造作の方が七海にとっては好みなのかもしれない……なんて思ったりする。夫にうるさく絡まれそうなので、その推測を決して口には出しはしないが。
「七海! 見て見て!」
ソファの足元のラグのところにペタリと座り、手招きする玲子に近づく。すると彼女は嬉しそうに、寝かせている龍太郎を、敷物にしているクッションごと抱き上げた。
「クッションに全部収まっちゃうのよ?! ね? すごぉく、ちっちゃいっ!」
なるほど。確かに小さなクッションの上に、まるでお土産のように寝そべっている龍太郎を見ると、その小ささが際立って見える。
赤子の小ささは毎日見て感動するが、やはり日常的に使う家具や物と比べると、改めて実感が深まるような気がする。七海自身も、日常周囲にある物……例えばペットボトルや雑誌やら、そういった物と比較した写真を飽きるほど撮って楽しんできた。
が―――クッションにすっぽりと収まる様子は宝物めいて、また格別だ! と感じる。
「ふふっ、これでも生まれた時よりずいぶん大きくなったのにね?」
「ホントですねぇ」
それこそ毎日何時間も、世話のたび世話がなくとも七海は息子の龍太郎を、眺めている。それこそ龍太郎がいる景色は見慣れたものになっている筈だが、彼は毎日毎日、新しい発見を彼女達に与えてくれる。
昨日だってほとんんど寸分たがわぬ大きさだった筈なのに、こうして、大人がお尻を乗せると潰れてしまうほどの小さなクッションと比較すると―――その小ささに、改めて驚いてしまう。
「これでちゃあんと細部まで人間なんだから……驚くよねぇ……」
もう一度、龍太郎を乗っているクッションごとラグの上に下ろし、玲子が愛しそうにその小さな掌を人差し指で開いた。
何度見ても飽きないのが不思議だが、指の先までちゃんと大人と同じようにできているのを確認して、また改めて感心する。小さな爪が付いていたり、関節に大人と同じように皺があるのをマジマジと眺めてしまう。
既に一通り経験した子育ての先輩である玲子も、新鮮な感情を抱いているようで、昨日など二人でうっとりと龍太郎のかかとに付いて語りあってしまった。そんな些細なことで、気づいたら小一時間経ってしまったりする。
「わぁ、もうこんな時間? 龍太郎見てると、一瞬で時間が溶けますね」
なんだかんだ話していると、今日もアッと言う間に時間が過ぎてしまった。
時計を見ると、黛の出勤時間が近づいている。今日は夜勤なので彼はまだ寝室で眠っていて、食事をして、それから出勤する予定だ。
起こして来ようか、と立ち上がろうとしたところで、寝ぐせのついた頭を掻きながら黛が寝ぼけ眼で居間に現れた。
「あ、良かった、起きて。おはよう、龍之介」
「おぁよ……ふぁ」
ツルリとしたシルクの寝間着のまま、七海の夫、黛は返事をする。完全に目覚めてはいないらしく、ふらふらしながらソファの方へ歩いてきて、そこには座らずラグに膝をついた。ラグの上、そのまたクッションの上に土産物のように収まる乳児に目を細め、かがみこんで顔を覗き込む。
「りゅうたろー、今日もお前は可愛いなぁ?」
嬉しそうにぷにぷにと頬を触る。と、眠っていた龍太郎が身じろぎしたので、遠慮するように手を引っ込めた。
「コーヒー飲む?」
「うん」
七海がそう言って立ち上がると、黛は素直にうなずく。入れ替わるようにラグの上に座り込み、コーヒーを準備している間、玲子と一緒に眠る龍太郎を眺めることにしたようだ。
忙しく家にあまりいない黛だが、暇があれば、龍太郎を眺めたり触ったりしている。しかし二人の女性が母性全開で接するのに対して、黛の方は可愛くて仕方がないというより、むしろ珍しい生き物から目が離せないといった感じに見える。
七海も玲子も育児経験者だから、そう感じるのだろうか? それともこれが女性と男性の違いだったりするのだろうか? などと益体もなく考えてみるが、七海の感じ方があっているか間違っているかも分からないし、あっていたとしてもその答えは明確ではない。
しかし絶対に、これだけは確実だと思う。―――乳幼児の人目を引き付ける吸引力は、本当に強力だ!
「コーヒー入ったよ。危ないから、こっちで飲んでね」
ダイニングテーブルにマグカップを置くと、名残り惜し気に黛が立ち上がる。
その背中を見て、玲子が笑った。
「ホント、おっきくなっちゃったなぁ。龍之介も、ちょっと前はこれくらい小さかったのにねぇ」
肩を竦めて、黛が反論する。
「ちょっと?……およそ四半世紀前が?」
息子の反論を、玲子は笑い飛ばす。
「二十年なんて、あっと言う間だわ。一瞬よ!」
理性的なツッコミを強引に退けたが、息子を眺める玲子の瞳は優しかった。懐かし気に目を細める様子に、七海は改めて新鮮な気持ちになる。このがっしりとした肩を持つ大きな男にも……当然のように、クッションにすっぽり収まってしまうくらい小さな、赤ちゃんの頃があったのだなぁ……と。
「赤ちゃんの時の龍之介は、私より龍一さんに似てたのよ? だから彼そっくりになるって期待していたのに!―――大きくなったら私の方に似てきちゃって。今はっきり似てるってわかるのは、耳の形くらいよ」
七海にはその、玲子にそっくりな黛の容貌がドストライクだったから、それをいかにも残念そうに語る玲子の言葉の方が、不思議に感じた。それに世間一般でも、玲子や黛のような美しい顔に生まれてきたい、でなければ傍で眺めていたい、と思う人間の方が多数派だろうに。
だが、それだけ玲子が『夫大好き!』と言うことなのだろう、と二人を身近に感じている七海は納得した。
「そうしていると、まるで若い頃の『ハルちゃん』みたい……そうそう! 昔、彼の息子って間違えられたこともあったわ。龍之介ってば」
玲子が言う『ハルちゃん』とは、彼女の従兄である。一度会ったことがあるが、確かに彼は玲子や黛によく似ていたと、七海は思う。
彼はもともと玲子の婚約者だったと、何かの拍子に聞いたことがある。元婚約者に似ている息子がいるなんて、誤解を招いたり揉めたりしなかったのだろうか? と言う疑問がふと頭を掠めた。
ただ現在、その従兄の『ハルちゃん』との関係は良好なようだ。それに、義父の龍一が気にしているような感じは見受けられない。(と言うか、龍一は普段表情に乏しいし滅多に無駄口を叩かないから、何を考えているかそもそも七海には分からないのだが……)
息子である黛はその経緯について知っているだろうか? 気にしたりすることもあっただろうか?
いや、黛に聞いた所で無駄だな、と七海はすぐさまその疑問を一掃する。黛はあまり人の恋愛とかそういった事に興味を持たない性質だ。それが例え自分の親であろうと、変わらないに違いない。
「覚えてないな」
思った通りの回答であった。
黛は特に関心がないようで、一言そう返すと、コーヒーを飲んで七海にニッコリした。
「七海が入れるコーヒーは、上手いな!」
好みの顔で満面の笑みを浮かべて褒められると―――やはり、ドキリとする。
結婚して子供ももうけている間柄なのに、なぜだろうか。彼は何度だって彼女をてらい無く褒めてくれる。誠に有難いことなのだが……準備が無かった七海は、ついつい照れてしまい、思わずまっすぐな好意の矢印を受け流してしまう。
「私じゃなくて、コーヒーメーカーが作ったんだよ……」
「七海がカップに注いだから、美味しいんだ」
「……っ」
不意打ちでこういう事を言うから、全く油断できない。
口をパクパクさせ言葉に詰まり頬を染めると、その様子を眺めていた玲子がニコニコと笑ってこう言った。
「誉め言葉を惜しまないトコも、龍一さんにそっくりなトコよね」
「んぶぅ!」
するといつの間にか目を覚ました龍太郎が、同意するように声を上げた。
「あら、おはよう、龍太郎」
玲子は龍太郎を優しく、柔らかく抱き上げる。
そして顔を覗き込み、ふふふと笑いながらこう囁いたのだった。
「龍太郎、君も奥さんに誉め言葉を惜しまない、いい男になりなさいね!」
そして、龍太郎の耳も龍一さん譲りね、と嬉しそうに微笑んだのだった。
出産後のお話になります。
ヤマオチのない設定集のような小話ですが、暇つぶしに覗いていただけると嬉しいです(*´ω`)
よろしくお願いしますm(_ _)m
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出産後ひと月ほど里帰りしていた七海だが、現在は黛家に戻っている。作業に慣れたこともあるが、龍太郎の生活リズムが徐々に安定してきたため、お世話も随分と楽になった。更にその宣言通り、義母となる玲子が孫の世話をするため日本に戻ってくれため七海の負担はとても軽くなった。
確かに以前、仕事を休んで子育てを手伝う! と玲子は宣言していた。
しかし世界を股にかけて活躍するジャズピアニストである彼女が、本当に育児のためだけに仕事を休めるとは七海は考えていなかった。
なのになんと、玲子は長期休業と銘打って復帰時期を明言しないまま帰ってきてしまったのである。もちろん所属事務所と話し合いの上でのことだが。しかし随分引き留められたらしい、と言うのは友人の義弟である本田家の三男坊からの情報である。玲子に尋ねると「そうねぇ。まぁ、でも代わりに休業前にコンサート一杯こなして手打ちにして貰ったから、大丈夫よ。もともとそろそろ日本に帰ってのんびりしようって考えてたし」と呑気に笑っていた。
七海の『姑』である玲子は七海の夫、黛のような大きな子供がいるとは思えないほど美しい、奇跡の四十代である。
ただ黛から聞いた話では彼が幼い頃から彼女はピアニストとして世界中を飛び回っており、子供の頃黛は友人である本田家で家族同然の扱いを受けていたという。だから七海は、彼女は子供の世話についてあまり経験して来なかったのでは? と推測している。それに長期休業中とは言え、ピアニストとして指を大事にしなければならない彼女に子育てや家事のような作業を分担させるのはいかがなものか?……などと、あれこれ七海は心配していた。
だが、それは彼女の杞憂であった。
玲子は「久しぶりで忘れてるかも?」などと呟きつつ、まず七海のやり方を見学していた。だが一通り見学した後は、あっさりとスムーズに乳幼児の世話をこなしたのだった。外国住まいになったのは黛が小学生になった以降のことで、それまでは日本で友人である本田の母の手ほどきを受けつつ黛の世話をしていたそうだ。
ただ料理だけはほとんど経験がないそうで、台所仕事は七海の担当だ。それでも子供の動向を気にせず料理に集中できるのは本当に楽で、七海としては大助かりだった。
母乳メインで育てているものの、龍太郎はそれほどミルクを嫌がらない子供だ。寝不足気味の七海が昼寝をしている間も、玲子が龍太郎を見てくれる。お風呂もゆっくり浸かれるし長く眠ることも出来、実家にいる頃と遜色ない暮らしが出来た。
黛や龍一は当然仕事で忙しく、家事や育児にかかわる時間がとれない。もともと料理も家事も外注で済ませていた二人に、七海が家事をやれないことを責められることはないだろうが―――自分である程度やりたい七海は、玲子がいなかったらきっと加減が分からず頑張り過ぎ、ワンオペ育児に疲れ切ってしまったことだろう。本当に感謝しかなかった。
昼食の後、洗い物をキッチンの食洗機に収めた七海が戻ると、ソファの近くで龍太郎をあやしていた玲子がパッと顔を上げて華のような笑顔を見せた。
玲子の稀有な才能は、いつでも本当に自分がやりたいことしかやっていない、と言う所だと七海は思う。その証拠に、天職ともいえる自分の仕事を休業してまで孫の世話をしているのに、本当にそれを楽しんでいるようなのだ。
そして屈託のなく向けられる眩しい笑顔に、そのあまりに美しさに七海は毎回胸を撃ち抜かれる。
ひょっとすると夫の黛より、玲子の女性らしい顔の造作の方が七海にとっては好みなのかもしれない……なんて思ったりする。夫にうるさく絡まれそうなので、その推測を決して口には出しはしないが。
「七海! 見て見て!」
ソファの足元のラグのところにペタリと座り、手招きする玲子に近づく。すると彼女は嬉しそうに、寝かせている龍太郎を、敷物にしているクッションごと抱き上げた。
「クッションに全部収まっちゃうのよ?! ね? すごぉく、ちっちゃいっ!」
なるほど。確かに小さなクッションの上に、まるでお土産のように寝そべっている龍太郎を見ると、その小ささが際立って見える。
赤子の小ささは毎日見て感動するが、やはり日常的に使う家具や物と比べると、改めて実感が深まるような気がする。七海自身も、日常周囲にある物……例えばペットボトルや雑誌やら、そういった物と比較した写真を飽きるほど撮って楽しんできた。
が―――クッションにすっぽりと収まる様子は宝物めいて、また格別だ! と感じる。
「ふふっ、これでも生まれた時よりずいぶん大きくなったのにね?」
「ホントですねぇ」
それこそ毎日何時間も、世話のたび世話がなくとも七海は息子の龍太郎を、眺めている。それこそ龍太郎がいる景色は見慣れたものになっている筈だが、彼は毎日毎日、新しい発見を彼女達に与えてくれる。
昨日だってほとんんど寸分たがわぬ大きさだった筈なのに、こうして、大人がお尻を乗せると潰れてしまうほどの小さなクッションと比較すると―――その小ささに、改めて驚いてしまう。
「これでちゃあんと細部まで人間なんだから……驚くよねぇ……」
もう一度、龍太郎を乗っているクッションごとラグの上に下ろし、玲子が愛しそうにその小さな掌を人差し指で開いた。
何度見ても飽きないのが不思議だが、指の先までちゃんと大人と同じようにできているのを確認して、また改めて感心する。小さな爪が付いていたり、関節に大人と同じように皺があるのをマジマジと眺めてしまう。
既に一通り経験した子育ての先輩である玲子も、新鮮な感情を抱いているようで、昨日など二人でうっとりと龍太郎のかかとに付いて語りあってしまった。そんな些細なことで、気づいたら小一時間経ってしまったりする。
「わぁ、もうこんな時間? 龍太郎見てると、一瞬で時間が溶けますね」
なんだかんだ話していると、今日もアッと言う間に時間が過ぎてしまった。
時計を見ると、黛の出勤時間が近づいている。今日は夜勤なので彼はまだ寝室で眠っていて、食事をして、それから出勤する予定だ。
起こして来ようか、と立ち上がろうとしたところで、寝ぐせのついた頭を掻きながら黛が寝ぼけ眼で居間に現れた。
「あ、良かった、起きて。おはよう、龍之介」
「おぁよ……ふぁ」
ツルリとしたシルクの寝間着のまま、七海の夫、黛は返事をする。完全に目覚めてはいないらしく、ふらふらしながらソファの方へ歩いてきて、そこには座らずラグに膝をついた。ラグの上、そのまたクッションの上に土産物のように収まる乳児に目を細め、かがみこんで顔を覗き込む。
「りゅうたろー、今日もお前は可愛いなぁ?」
嬉しそうにぷにぷにと頬を触る。と、眠っていた龍太郎が身じろぎしたので、遠慮するように手を引っ込めた。
「コーヒー飲む?」
「うん」
七海がそう言って立ち上がると、黛は素直にうなずく。入れ替わるようにラグの上に座り込み、コーヒーを準備している間、玲子と一緒に眠る龍太郎を眺めることにしたようだ。
忙しく家にあまりいない黛だが、暇があれば、龍太郎を眺めたり触ったりしている。しかし二人の女性が母性全開で接するのに対して、黛の方は可愛くて仕方がないというより、むしろ珍しい生き物から目が離せないといった感じに見える。
七海も玲子も育児経験者だから、そう感じるのだろうか? それともこれが女性と男性の違いだったりするのだろうか? などと益体もなく考えてみるが、七海の感じ方があっているか間違っているかも分からないし、あっていたとしてもその答えは明確ではない。
しかし絶対に、これだけは確実だと思う。―――乳幼児の人目を引き付ける吸引力は、本当に強力だ!
「コーヒー入ったよ。危ないから、こっちで飲んでね」
ダイニングテーブルにマグカップを置くと、名残り惜し気に黛が立ち上がる。
その背中を見て、玲子が笑った。
「ホント、おっきくなっちゃったなぁ。龍之介も、ちょっと前はこれくらい小さかったのにねぇ」
肩を竦めて、黛が反論する。
「ちょっと?……およそ四半世紀前が?」
息子の反論を、玲子は笑い飛ばす。
「二十年なんて、あっと言う間だわ。一瞬よ!」
理性的なツッコミを強引に退けたが、息子を眺める玲子の瞳は優しかった。懐かし気に目を細める様子に、七海は改めて新鮮な気持ちになる。このがっしりとした肩を持つ大きな男にも……当然のように、クッションにすっぽり収まってしまうくらい小さな、赤ちゃんの頃があったのだなぁ……と。
「赤ちゃんの時の龍之介は、私より龍一さんに似てたのよ? だから彼そっくりになるって期待していたのに!―――大きくなったら私の方に似てきちゃって。今はっきり似てるってわかるのは、耳の形くらいよ」
七海にはその、玲子にそっくりな黛の容貌がドストライクだったから、それをいかにも残念そうに語る玲子の言葉の方が、不思議に感じた。それに世間一般でも、玲子や黛のような美しい顔に生まれてきたい、でなければ傍で眺めていたい、と思う人間の方が多数派だろうに。
だが、それだけ玲子が『夫大好き!』と言うことなのだろう、と二人を身近に感じている七海は納得した。
「そうしていると、まるで若い頃の『ハルちゃん』みたい……そうそう! 昔、彼の息子って間違えられたこともあったわ。龍之介ってば」
玲子が言う『ハルちゃん』とは、彼女の従兄である。一度会ったことがあるが、確かに彼は玲子や黛によく似ていたと、七海は思う。
彼はもともと玲子の婚約者だったと、何かの拍子に聞いたことがある。元婚約者に似ている息子がいるなんて、誤解を招いたり揉めたりしなかったのだろうか? と言う疑問がふと頭を掠めた。
ただ現在、その従兄の『ハルちゃん』との関係は良好なようだ。それに、義父の龍一が気にしているような感じは見受けられない。(と言うか、龍一は普段表情に乏しいし滅多に無駄口を叩かないから、何を考えているかそもそも七海には分からないのだが……)
息子である黛はその経緯について知っているだろうか? 気にしたりすることもあっただろうか?
いや、黛に聞いた所で無駄だな、と七海はすぐさまその疑問を一掃する。黛はあまり人の恋愛とかそういった事に興味を持たない性質だ。それが例え自分の親であろうと、変わらないに違いない。
「覚えてないな」
思った通りの回答であった。
黛は特に関心がないようで、一言そう返すと、コーヒーを飲んで七海にニッコリした。
「七海が入れるコーヒーは、上手いな!」
好みの顔で満面の笑みを浮かべて褒められると―――やはり、ドキリとする。
結婚して子供ももうけている間柄なのに、なぜだろうか。彼は何度だって彼女をてらい無く褒めてくれる。誠に有難いことなのだが……準備が無かった七海は、ついつい照れてしまい、思わずまっすぐな好意の矢印を受け流してしまう。
「私じゃなくて、コーヒーメーカーが作ったんだよ……」
「七海がカップに注いだから、美味しいんだ」
「……っ」
不意打ちでこういう事を言うから、全く油断できない。
口をパクパクさせ言葉に詰まり頬を染めると、その様子を眺めていた玲子がニコニコと笑ってこう言った。
「誉め言葉を惜しまないトコも、龍一さんにそっくりなトコよね」
「んぶぅ!」
するといつの間にか目を覚ました龍太郎が、同意するように声を上げた。
「あら、おはよう、龍太郎」
玲子は龍太郎を優しく、柔らかく抱き上げる。
そして顔を覗き込み、ふふふと笑いながらこう囁いたのだった。
「龍太郎、君も奥さんに誉め言葉を惜しまない、いい男になりなさいね!」
そして、龍太郎の耳も龍一さん譲りね、と嬉しそうに微笑んだのだった。
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