捕獲されました。

ねがえり太郎

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番外編・うさぎのきもち

44.ヨツバとオモチャ

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『結婚』に重苦しいイメージしか抱けなかった俺だが、亀田夫妻を見ていると『結婚』も悪くないかも、なんて思えて来るから不思議だ。

 とはいえ新婚なんてあんなものかもしれない。長く付き合って行けば相手の嫌な部分も目に付くだろうし、倦怠期が訪れればパートナーとは違う相手に目が行く事もあるかもしれない。仕事で追い詰められて性格が変わってしまう男、近所付き合いや姑から受けるストレスでヒステリックになってしまう女。お互い自分の苦境に夢中で相手を思い遣る事を忘れてしまうなんてよくある話だ。例えそれが大恋愛で結ばれた相手だとしても。

 すれ違いの要因になる落とし穴は、人生の何処にでも転がっている。あの夫婦は今はまだそう言った時期に差し掛かっていないというだけかもしれない。

 いや、世の中のカップルや夫婦皆が皆、破綻するとは限らないんだ。最期の時まで仲良く互いを気遣い会う夫婦だって、いるにはいるだろう。ただ俺の周りにはいなかったと言うだけで。自分の経験だけをもってネガティブな見方をしてしまうのは視野が狭い証拠なのかもしれない。それこそトイレで鏡ばかり見入っている新人が、周りに目を向けるのを忘れていたみたいに。
 だからもし身近にいるあの夫婦、亀田夫妻がずっとあんな感じで仲良く過ごしてくれたら。そんな夫婦もいるんだって証明してくれたなら、俺は……。



「ただいまーっと」



 つれづれとそんな益体も無い事を考えていたが自宅に辿り着き、扉を開けて思わず口をついた言葉に驚く。俺今なんつった?誰に『ただいま』だって?!

 動揺しつつ顔を上げると運動場の端で丸くなっていたヨツバがピクリと体を起こし、僅かに耳を持ち上げて鼻を突き出しヒクヒクと匂いを嗅ぎだした。
 それが俺の『ただいま』に対する返事のように見えて、思わず目元が緩む。

 うーん、やっぱ帰った時に誰かがいるのって良いもんだな。この場合『誰か』つーより『何か』って言った方が正しいが。ペットをナチュラルに擬人化してしまう自分に唸ってしまう。
……みのりは仕事の繁忙期以外は大抵俺より早く帰っていた。だから彼女が出て行った後、その不在が身に染みるのかもしれない。彼女もこんな気分だったのか? だからヨツバを飼い始めたのだろうか? 寂しさを埋める為に。

―――分からない。例えばそれこそあの、今日俺に告白まがいに迫って来た花井さんなら、あり得ると思う。遠回しに自分の境遇をアピールするとか、寂しいと伝える為にうさぎと言う小道具を使って男の庇護欲を掻き立てるとか。だけどみのりは……花井さんとは謂わば真逆の性格だった筈だ。

 いや、近頃のみのりは何処か違った。もの言いたげな雰囲気があったんだ、だからこれまで好ましく思っていた彼女とは違ってしまったような気がして、仕事の鬱屈だけじゃなくてそれもあって家に帰る時間が徐々に遅くなっていったのだ。彼女の友人達が立て続けに結婚したのも、その少し前だった気がする。

 長い付き合いの中でみのりは変わってしまったのか?それとも実は隠していた気持ちが溢れてしまって、限界に達したのか?本当は俺が『みのり』だと思っていたのは彼女が装っていた人格で……なんて。まさかとは思うが。
 やはりみのりも結婚したかったのだろうか?……俺がそれを避けているのを感じていて、それで愛想を尽かしてしまったのだろうか。

「……」

 ケージに近付き考えを巡らしながら、ボンヤリとヨツバを眺めていた。すると焦れたようにヨツバが後足で立ち上がり、グイッと鼻をを高く上げた。鼻のヒクヒクが忙しなくなったような気がしてハッと我に返る。手に持ったままの紙袋から藁で編まれた四角い座布団のような物を取り出し、ヨツバに見せつけるようにしてしゃがみ込む。

「これか?」

 ヒクヒクヒク……!

 更に鼻をヒクヒクを加速させてその存在を確認したらしいヨツバは、次の瞬間トタタッと俺の傍に近寄って来た。勿論運動場を囲む柵越しではあるが。そうしてヨツバはもどかしそうに、鼻づらを柵に押し当てて来た。

「ぶっ……!」

 思わず噴き出してしまう。細い隙間からヒクヒク動く鼻がはみだし、柵に両側が引っ張られる格好で前歯が剥き出しになったのだ。
 なんて顔だ、おい!! 黙っていれば可愛い顔してんのに、台無しじゃねえか!! 俺は笑いを堪えきれずに、震えながらツッコミを入れた。

「どんだけ気になってるんだ?!あーもう、分かった!」

 シャワーを浴びて着替えて、ビールとツマミを用意してからゆっくりヨツバがオモチャとどのように遊ぶのか見てやろうと思っていたのだ。だけど其処まで必死に食い付かれて、お預けを続けられるほど非情にはなれそうも無い。

「わーった、わーった。コレやるから先に遊んでろ。俺、風呂入って来るから」

 そう言って笑いながら運動場に藁のオモチャを入れてやる。すると瞬時にダッと駆け寄りフンフンと匂いを嗅ぎだした。

「コレの商品名……『うさぎ・まっしぐら』でもいいんじゃねえか?」

 なんか昔そんなCMあったな。たぶんネコかイヌの餌のCMだったと思うけど。
 流石うさぎに詳しい亀田部長のお勧めだけあるな。と感心しつつニヤつきながら、上着を脱いで俺は浴室に向かったのだった。






 軽くシャワーを浴び終えて、短パンだけ履いて上半身は裸のままバスタオルでガシガシ頭を拭きつつ居間に戻った。

 さて、ヨツバはどんな風にオモチャで遊んでいるかな? オモチャの見た目はほぼ『座布団』だから―――ノシっとあの藁の編み物の上に乗っかって丸くなっているのだろうか?それともさっき剥き出しになったあの尖った前歯でグイグイ引っ張って遊んでいるとか?
 あの暴れる時以外いつもおっとりしているヨツバが、遊ぶ時は意外とアクティブだったりすると面白いだろうな。

 なんて想像しつつ口元を緩ませて柵の中を覗き込んだ俺だったが―――

「あれ?無い……」

 さっき置いた場所に藁の座布団が無かった。やっぱり引っ張って遊んだのだろうか?

 ケージの中で水ボトルに口を付けてカシャカシャ水を飲んでいるヨツバを覗き込む。
 水ボトルの先は金属製の管になっていて、先っぽが可動式のボールで塞がっている。それをヨツバが舌で舐めるとボールが奥に押され管とその間に隙間が空き、その隙間から水が染み出す仕組みだ。上手く作ってあるなぁと、感心したものだ。その金属の管の入口をヨツバが舐める度にボールと管が触れ合ってカシャカシャと音が鳴るのだ。

「……中には無いな」

 ヨツバがケージの中に引っ張り込んだのかと思ったのだが。

「ヨツバ?さっきのオモチャは何処にやった?」

 カシャカシャカシャ……

 勿論ヨツバは俺の問いかけなど無視、だ。
 この手にパイナップルかマンゴーを握っていたなら、きっと関心を持ってくれただろうが。

 もう一度運動場を見る。ん?そう言えば牧草が散らばっているのかと思ったが―――この色、俺が補充している牧草と違う。

「え?まさか……」

 そうだ。この色、藁だ。食べこぼしの牧草じゃなくて、俺が持って来てさっき運動場の中に置いたあの藁の座布団と、同じ色だ。

「えええ!」

 俺がシャワーを浴び、浴室から出て来るのに十分も掛かっていない。
 そんな短時間でまさか。

「まさか……こんなバラバラにしちゃったのかよ?あの短い時間で?!」

 よく見るとケージと柵の隙間に押し込むようにバラバラになった藁の束が入り込んでいた。その無残な様子に、思わず俺の頭に浮かんだのは―――



『座布団バラバラ事件』



 バラバラになる経緯を見たかったような、見たくないような。

 やはりコイツ、結構凶暴なのかもしれない。
 草食動物のくせに……『草食系』って大人しい性格の代名詞じゃなかったっけ?!

 シラッとした涼しい顔で水を飲むヨツバを見ながら、俺は愕然と立ち竦んだのだった。
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