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帰らず
弐
しおりを挟む靴のまま玄関を上がると足裏がぐわりと沈んで「ヒッ」と息を飲んだ。咄嗟に前を歩いていた慶賀くんが手首を掴んでくれて、何とか体勢を立て直す。
「あ、ありがとう」
「気を付けろよ! 床が腐ってるみたいだから、体重かけすぎると抜けちまうからな」
わかった、と顔を引き攣らせながら頷き慎重に足を出した。
こっち、と嘉正くんが先陣を切って廊下を進んでいく。どうやら一階ではないらしく階段を使って二階へ上がって行った。
今にも抜け落ちそうなほどしなる階段を息を潜めながら登り切る。
二階からは神職たちの私室らしい。開け放たれた襖の奥には誇りを被った誰かの部屋があった。
「たぶん一番奥だ」
失せ物探しの音が近いのか顔を歪めながら嘉正くんが廊下の奥を指さした。
軋む廊下を進む。突き当たりの壁の小窓から月明かりが差し込み、埃が揺れるのを映しだした。
「開けるよ」
振り返った嘉正くんに私たちは息を飲み深く頷く。
締め切られた襖を静かに開いたその時、形容しがたい異臭が奥からふわりと流れ込んできて思わず「うっ」と鼻を抑えた。古びた脂と腐った肉が混じったような臭いだ。
顔を顰めながら中へはいる。箪笥と机くらいしかものがない質素な部屋だった。窓側にはひと組の布団が敷きっぱなしになっている。
「全員で手分けして探すぞ。おい来光、一旦窓開けてくれ」
了解と応えた私たちは散り散りになって部屋の捜索を開始した。
私は机の中を探そう。
腐った畳を避けながら机に歩み寄ったその時。
「────あった」
誰よりも真っ先に声を上げたのは来光くんだった。
ハッと振り返った私たち。来光くんは窓の前に敷かれた布団の前に膝を着いていた。
「彼が、守ってくれていたみたいだよ」
そう振り返った来光くんの目には大粒の涙が滲んでいて、私たちは戸惑いながら歩み寄る。
来光くんの背中の影から覗き込む。布団の上の光景に息が止まった。
骨だ。人の骨だった。肉が削げ落ちた骸骨が布団に横たわっていた。
薄汚れて灰色になった白衣、虫に食われて穴が空いた紫袴。胸の前に握られているのは真っ白な穂首に金の装飾が施された朱い筆管の一本の筆だ。
考えたこともなかった。鳥居を閉じた社の中がどうなっていたのか。
空亡が現れ社ごと封印しようと社を閉じ、けれど空亡には逃げられた。
その後もこの中にいた神職さま達は生きていたんだ。水もなく食料も限られている。自分の命がいつ尽きるのかが目に見えている状況で、命が尽きるその瞬間まで、ここにいた神職さま達はこの筆を守り続けた。
彼は、きっとふくらの社の宮司だ。
自然と布団の前に膝をおった。白骨化したご遺体に手を合わせる。
「かけまくも畏き 天つ神国つ神 八百万の神達の大前に 謹みて申さく 今ここに 彼の者の御霊 隠れましぬる由を 畏み畏みも申す────」
皆が隣に膝を着いた。そして私の声に続けて、同じ祝詞を奏上する。
これは故人の魂が神の世界へ帰ったことを報告し、御霊の安寧を祈る帰幽報告の祝詞だ。
どうか安らかに、そしてその命を賭してまで神器を守ってくれたことへの感謝を声に乗せて。
「彼の者は 産土の神の御恵みを受け 世の為人の為に尽くし勤め奉りき 然るに今 世の常として 隠れましぬる事となりぬ」
来光くんが手を伸ばす。握られた払日揮毫筆をそっと手に取った。傷も汚れもない。
宮司が最期まで、守ってくれたからだ。
「この御霊を永久に安らかに 御霊の安み処に鎮め給い 守り幸わい給えと 畏み畏みも申す────……」
祝詞奏上が終わると、長い沈黙が流れた。誰もすぐに立ち上がって背を向けることなんて出来なかった。
「……帰るぞ」
恵衣くんは私たちに静かにそう声をかける。唇を噛み締めて立ち上がった。
本当なら土に埋めて弔ってあげたかった。けれどきっとすぐにこの社のことは知れ渡る。私たちには時間がない。
せめてもという気持ちなのか、嘉正くんは剥がした布団を綺麗に元に戻した。そして持ってきた水とおにぎりを枕元に供える。
精一杯の感謝を手向けて、私たちは社を後にした。
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