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第3章 秋

第5話 真夜中の告白

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 今宵は満月でほのかな光が庭を照らしていた。すでに夜が更けて辺りはしんと静まり返っていた。紅之介は部屋で横になっていた。だがどうしても眠ることはできない。

(姫様がもういなくなる・・・)

そう思うと寂しさが胸の底を突き抜けていった。今日も葵姫と言葉を交わすことができなかった。最後に言葉を交わしたのは3日前、葵姫が麻山城に戻ることに

「姫様。よろしゅうございました。この紅之介もうれしく思います。」

と言ったきりだった。あのように言ったものの、紅之介の心は複雑に揺れ動いていた。明日の迎えが来るまでは時間がある。それまでに一言だけでも姫様にお別れの言葉をおかけして・・・いや、それもこの椎谷の里を笑顔で出て行かれるようにお話ししようと思ったりもした。
 だが葵姫を前にしてそれを言うことができないような気がしていた。いやもしかすると抑えが利かず、あらぬことを口走るかもしれない。それが紅之介の本心であるにかかわらず・・・。それは許されぬことと紅之介もわきまえているつもりだったし、もしそうしてしまうと別れが身を裂くほど辛くなるような気がしていた。

(もう今夜は考えることは止めて寝てしまおう。そうすれば明日にはすっきりして悩まなくなっているのかもしれない。)

そう思って目をつぶると葵姫のあの美しい笑顔が浮かんできた。そうなるとまた考え込んでしまってなかなか寝付けなかった。

 しばらくして廊下に何者かの気配を感じた。紅之介は半身を起こして刀をさっと引き寄せた。

(また襲撃か!)

と思ったが殺気は感じられない。その気配は何かやさしいもののように感じた。紅之介は扉越しに廊下にいる者に尋ねた。

「誰だ?」
「私だ。葵じゃ。」

その声は紛れもなく葵姫だった。そして扉を開けてすっと紅之介の部屋に入ってきた。満月のほのかな光が差し込み、涼しげな秋風が部屋に吹き込んできた。

「姫様!」

紅之介は驚いた。夜分に葵姫がわざわざ紅之介の部屋を訪ねてくるとは・・・。紅之介はすぐに刀を置いて、体を起こして座った。

(なぜ、姫様がここに?)

不思議に思った紅之介は葵姫の様子をうかがおうとしたが、暗闇でその表情ははっきりわからなかった。紅之介が尋ねた。

「姫様。いかがいたしました?」
「少し話がしたい。」

そう言って、葵姫はゆっくりと紅之介の前に座った。

「もう夜が遅うございます。明日にでもお伺いいたします。」
「待てぬ。今、話がしたいのじゃ。」

葵姫が言った。確かに明日になれば話す暇などないのかもしれない。しかしこの夜半に用とは・・・。大事なことかもしれぬと紅之介は背筋を正した。

「何事でしょうか。急ぎの話とは?」
「私は城に帰ることになった。紅之介はどう思うのじゃ?」

葵姫は問うた。彼女は紅之介の本心を知ろうとその目をのぞきこんでいるかのようだった。紅之介はそれについて心のままに正直に答えるわけにはいかなかった。

「おめでたい話と思っております。」

紅之介は本心ではないことを言った。それは3日前と同じだった。

「姫様とお別れしたくはありません。このまま里のお留まりになられて下さい。」

などとはとても言えないし、言ってはいけないと心の中で思っていた。葵姫はその言葉を聞いて悲し気な声を上げた。

「もう会えなくなるのじゃぞ。」

その言葉は紅之介に重くのしかかった。だが紅之介は何も言えなかった。ただじっと黙っていた。その態度を見て葵姫は寂しそうに言った。

「それでもいいのか? 紅之介は。」

それでも紅之介は言葉を発しなかった。言えば葵姫への思いの言葉が出てしまう。それを必死にこらえていた。だが葵姫はもう決意してこの場所に来ていたのだ。今夜こそ自分の心の内を紅之介にさらけ出そうと。

「紅之介。私は嫌じゃ。このまま別れとうない!」
「なんと仰せられます・・・私は・・・」

紅之介は驚いて、それ以上、言葉が出なかった。葵姫はさらに紅之介の手を取ってしっかりと握り締めて言った。

「私は紅之介を愛している。それが自分でもはっきりわかってしまった。もうどうにもならぬ。紅之介は私を愛してくれぬのか?」

その告白に紅之介は気が動転していた。

「私は・・・私は身分卑しき身。姫様を愛することなど・・・」

わずかに残った理性がそう言わせていた。しかも本当は女である身で葵姫の愛を受けるわけにいかなかった。

「身分など関係ない。紅之介の気持ちが聞きたい。たとえもう会えなくなるとしても、お互いの気持ちを伝えあいたい。時間はもう残り少ないのだから。」

葵姫は切なく言った。その言葉に、ずっと心の奥で押し殺していた紅之介の感情があふれ出した。

「私は・・・私は姫様を愛しております。このままずっと。」

ついに心の内の声が出てしまった。紅之介はそう言うと葵姫への思いが止まらなくなり。ぐっと葵姫を抱き寄せた。葵姫はそのまま紅之介の胸に顔を埋めた。

「私はずっと姫様のそばにいたいのです。」

紅之介は葵姫の髪をやさしくなでていた。葵姫は紅之介に胸の中でうっとりと目を閉じた。

「こうなる運命だったのじゃ・・・」

葵姫はそう呟いた。紅之介は静かにうなずいた。2人はそのまま何も言わず、朝まで抱き合って最後の夜を過ごした。
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