死の餞ヲ、君ニ

弋慎司

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第1部

#03 猫耳フードの少年

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「お……驚かせてごめんね、えぇぇっとぉ……」
「あぁ……こっちこそ驚きすぎて悪かったな、ハハ……」
 互いに反発し合うようにあとずさった僕と、猫の耳が付いた黒いパーカーを着ている人影──ではなくちゃんとした、人。
 勢い余ってカウンターの椅子から落ちかけたその人は、顔を上げると困ったような表情を掻き消すためか、にこりとした。
「名前……聞いてもいいかな?」
「あぁ。俺はグレイだ、宜しく」
 グレイが僕に手を差し出す。僕はその手を取って握手をした。彼は照れくさそうに笑った。
 茶色の毛髪を垂らし、金色の瞳が酒場の照明光を受けてきらきらと揺れている。
「あ……そこの兄ちゃん、名前は?」
 一通りの挨拶を終えると、今度はグレイが、僕の後ろで腕組みをしているレイセン君の方へと視線を変えた。
「私はレイセンです」
「お、おぅ……宜しくな」
 あまりにも素っ気のないレイセン君の返事に、僕も言葉を失った。確かに初対面だが、僕と比較するとあからさまに態度が違う。
「…………」
 蚊帳の外にいる僕にも、何故か体感的に長い沈黙が続いた。それが我慢ならなかったのか、グレイが話題を作ろうと口を開く。
「……そうだ! お前らも何か飲めよ。俺の奢りだ」
「馴れ馴れしい」
 レイセン君の小さく冷たい声が、僕とグレイを驚かせた。
「へ??」
 グレイは戸惑いを見せたが、僕はまるでリアクションを取ることができなかった。
「私に馴れ馴れしく話しかけないでください。それと今後、私の事はレイセン様と呼びなさい……いいですね」
 レイセン君はその鋭い目付きのまま、グレイを威圧するかのように言い放った。
「宜しいですか?」
「わ……わかり……ました」
 笑顔の少年はその表情を歪ませ、そう応えた後カウンタに椅子ごと向きを変えた。そして僕に不安げな視線を投げかけると、注文したミルクティーを一口啜った。
 グレイの心情などまるで気にかけないレイセン君は、さっさと宿へ行きませんかと呆れた様子で僕に声を掛けた。
 僕たちはグレイと顔を見合わせる。お互いに状況を理解できないまま、猫耳フードの少年を置いて宿へと足を進めた。

 ***

「あぐうぅぅぅ!! やっと腕が解放された……」
「どうされました? 腸にナイフが突き刺さったみたいな声を上げて」
 どのくらい長い間、棒付きキャンディーの山を抱えていたのだろう。手を放した瞬間の開放感といったら。
 身体が軽くなり、つい声を上げてしまっただけだ。言葉に起こす程のものでもないと、溜息を代わりに吐く。
「ねえ、さっきグレイに対してすごく冷たかった気がするんだけど……どうかしたの?」
 僕には全くあんな態度を取らないのに、グレイにはひどく淡白だったことが気がかりで聞かずにはいられなかった。
「……いえ。普段の私があれなだけです」
「ふぅん。じゃあ、僕には普段と違うってこと……?」
 レイセン君の眉が少し下がる。すると、僕に背を向けて窓の扉を少しばかり開いた。
「言わせないでください。それに、グレイと関係を築けば面倒事に巻き込まれると、私の勘がそう言っていたので」
 窓の外から、聞き覚えのある声がする。僕はレイセン君に誘われるまま、彼の隣に立って窓の隙間を覗いた。

 暗い街で蠢く人影を掻き分けながら、後ろを気にしつつ走っている少年──グレイが、大声で叫んでいる。
『いやいや!! 人違いだってーー!! 盗んだのは俺じゃなーーーーい!!!!』

「ほら、言ったじゃないですか」
 ああ、これは確かに面倒事だ。と、僕は苦笑いをした。
「そんな事よりご主人様、夕食の時間です」
 レイセン君は、グレイの事などやはりお構いなし、という感情を顕にしながら窓を閉め、口元を緩ませる。
 僕は彼の「夕食の時間」という言葉に思わず郷愁のような、今まで経験したことのないような懐かしさを感じた。
「うん。飴を片付けたら、すぐに行くよ」

 ***

 階段を降り食堂へ足を運ぶと、美味しそうな匂いがした。肉片が焼けた時の、あの焦げたような香りとソースの辛味の効いた芳香とが入り混じり、僕の鼻孔をくすぐった。
 胸を弾ませ食堂を覗く。しかし人はいない。
「そこに座ってください」
 姿なき声に応え、テーブルの大きさに釣り合わない程の小さな椅子に腰をかける。料理が来るのを待っていたその時、ソースの香りと共にレイセン君がやってきた。
──何故か、エプロン姿で。
「え!?」
「……何か?」
「い、いや……あの、その」
 僕の反応とは裏腹に、彼は「これが普通ですがどうかしましたか?」と言いたそうな顔だった。
「この宿の者から借りたのです」
 返答は案外、平然。
「じゃあ、ここの人に作ってもらえば良かったのに……」
「あんな怪しい奴の作るものなど食べさせませんよ。毒でも盛られていたら、どうするおつもりですか」
 とは言っても正直な所、彼も信用し難い。僕が眉を顰めると、レイセン君が察した様子で言葉を付け加えた。
「私の料理に、毒など一切入っておりません。保証致しましょう、この命に代えても」
 彼はわかり易い作り笑いを浮かべ、次の食事を持ってくると言って調理場へ消えた。

 ***

「レイセン君……?」
 宿屋のベッドにて。僕は眠気と同時に、偶然にも指輪のことを思い出し、欠伸をしながら呟くように呼んだ。「なんでしょう」とだけ聞き取れた。ベッドにこそ横たわってはいるものの、目は冴えているらしい。
「話しておきたいことがあるんだ」
 レイセン君は真剣な眼差しでいる。
「えっと、この前拾ったっていうか、持ってたというか……指輪があってね。この指輪、つけてほしいと、思って。友情の印……かな」
 僕が始め目を覚ました時から持っていた箱だ。エンゲイジリングに付いた九色の宝石が、月光に照らされ淡く光を放っている。
「あぁ……それのことですか。勿論良いですが、どの色でも構いませんか?」
「うん、何でも」
「ではこちらを戴きます。ありがとうございます」
 彼は瑠璃色の指輪を、右手の人差し指に嵌めた。
「まぁ、この指輪を嵌めた程度で縁起の良いことがあるとは思えませんけれど。それではおやすみなさい」
 レイセン君の嫌味を聞いた後、僕は魂の抜けた人形のようにぐっすりと眠った。

 ***

 目を覚ますと既に、早々と身支度を済ませて椅子に座るレイセン君、が……?
「え!!?? い、今何時?」
 毛布を突き飛ばし、大慌てで支度を始める。
「そうですね……昼頃でしょうか。クク」
 僕が突き飛ばした毛布を丁寧に、そして緩慢と片付けながら彼は微笑した。
「そんなに寝ていたの? 起こしてくれても良かったのに……」
「私が早起きなだけ、ですから。……それともう一つ。朝食(・・)の支度ならとうの昔に終わってしまいましたので、いつでも声を掛けてください」

 僕は身支度を済ませると、夕食を採った時と同じ席に座る。
 テーブルに並べられたのは、ローストビーフにサラダ、少量のスープと、ハーブが飾られたいちごのムースだ。
「こ、これは……。美味しそう、いただきます!」
「焦らなくて結構ですので」
 レイセン君は自分用に作ったガトーショコラを、フォークで掬って食べ始めた。
「本当に君の作る料理は最高だね。これ本当に……うぉ、ごふ……」
「食事中のお喋りは禁止にしたほうがよろしいでしょうか」
 呆れか、或いは怒りを表したレイセン君は、黙って水を汲んできてくれた。
「はー……。あ、ありが……とう」
「どういたしまして。ところで、前から気になっていたのですが」
? はひなに?」
 彼は急に不思議なものを見る目になった。
「ご主人様……名前は、なんと仰るのですか?」
「え……?」
 驚きのあまりに、手に持っていた食器を落としそうになる。僕自身も知らなかった、気にもしなかった。
「……分かりました。では私が今、ここで考えて差し上げましょう」
「あ、はい……」
 椅子から立ち上がり、少し考える素振りをした後、ゆっくりとその口を開く。
 僅かに笑みを含んだ、彼の口から────。

 ***

「……様、万歳!!」
「……様、万歳!!」
「……様、万歳!!」
 一人の人物めがけて、湧き上がる歓声。
「遂に神となられるのですね!! ……様、万歳!!」
「……様!! おめでとう!!」
 肝心なその名前までは聞き取れない。
 老若男女、ほぼ全ての人種が揃ったこの場では、一人の少年の儀式を行っている。僕は直感的にそう理解した。
 儀式を見守る観客の眼差しは、宛ら生まれたての赤ん坊を慈愛する親のようだ。
「皆の衆、よく聞くのだ。……今、この刹那において、……──は神となった!!」
 老人の声にどっ、と巻き起こる盛大な拍手喝采。少年は俯いていた。老人が肩を叩くと、静かに微笑んだ。
「さて、皆も知っての通り……神になるということは、人の道を捨て、我々の崇高の対象となるということだ……。これから、新たに誕生する神に名を与える」
 静寂に包まれながら、少年と老人は身体を向かい合わせる。「心配はいらない」と微笑む老人に、少年は頷いて応え、凛々しい表情で跪く。──と同時に、目の前の背景や音響にノイズが走った。邪魔だ。見えない。
「彼の名を……」
 ノイズが更にひどくなる。嗚呼、邪魔。
「   」
 何も見えない。
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