死の餞ヲ、君ニ

弋慎司

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第1部

#04 誕生の朝

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「……様? ……ご主人様?」
 知れた呼び名をどこかで呼ぶ音吐が聞こえる。真上で照り返す蛍光灯が眩しくて、つい腕で目を覆った。
僕はゆるりと体を起こし、彼らをまじまじと眺めた。
「ご主人様? 無理はなさらず……」
「もう大丈夫。ちょっと、悪い夢を見ただけ……うん」
 珍しく眉をハの字に傾けたレイセン君に、これ以上心配をかけまいと笑んで見せたが、それは更に傾いているように見えた。
「あ……。ねぇ、レイセン君、どうして……その名前なの?」
 僕にアクアという名前をくれた、その理由を知りたかった。由来とか、意味なんてなくても──。
「それは……貴方の名前だから、ですよ」
「え、ええー!? それ、意味がわからないよ……」
 レイセン君は意地悪く微笑んでいた。これ以上言及しても、逸らされてしまうのは目に見えていた。
 すると、昨夜聞いた音と似たような声が聞こえた。
「お、ようやくお目覚めかい。へへ、驚いたぜ、果たし状を置き逃げするつもりがこんな事になってたなんてな」
「果たし状? お前のような下衆の戯言に、耳を貸すとでも? それと、もう一つ言わせて貰えば、お前に手伝いを要求した覚えもない。帰りなさい」
 会話が途切れる。
 レイセン君の背後、ドアの片隅に、背丈の低い少年が落ち着かない様子で立ち尽くしていた。
「話がある。……あんたは薄々感づいているだろ」
「確か名は……グレイと言いましたね。 詳しく聞かせてもらいましょうか」
 レイセン君の表情が一変して冷徹さを纏う。グレイが話の続きを話すべく口を開いた。
「ソノラ樹林に現れたそいつは、チェーンソーを持っていると、実際に見たやつから聞いた。おそらく『第五の悪魔』だろうな……。俺は、あいつを倒しに行くつもりだ。もしこの街に入ってきたらって、考えただけで……」
 グレイは口籠った。これ以上、先を言う事を恐れている。そんな気を漂わせていた。
「グレイ……レイセン君……? 何の話をしているの……?」
「あんた……何も、何も知らないのか」
 そう呟いた彼の顔は、黒ずくめのフードに覆われ確認することすら叶わない。
「落ち着きなさい、グレイ。私は、あなたの気持ちが理解できないわけではない。……ご主人様については私が後でお話ししましょう」
「……俺は必ず殺す。あいつを……俺の大事な人たちを奪った奴を!!」

 ***

『第五の悪魔』は、ソノラ樹林にいる────。
 グレイの情報を頼りに、僕とレイセン君が初めて出会った森林を歩く。
「本当は駄目元だった。……悪いな、巻き込むみたいになっちまって」
「いえ、こちらとしても都合が良かったので。それはそうと……ご主人様、先程渡した治療薬の使い方は覚えていますね?」
 彼の言う治療薬とは、白銀の糸と黄金の針、そして天使の涙のことだ。白銀の糸と黄金の針は──当然だが組み合わせて使用する。取れたり、開いたり、身体に支障が出た場合に傷口を縫い合わせることで、皮膚を修復する治癒魔法の効果が働き、次第に塞がってゆく仕組みだという。
「うん、覚えたよ」
「私とグレイに何かあれば、それらを使うのは貴方です」
 レイセン君の表情が強張る。
「僕は戦えないの?」
「そうです」
 何故? と問いかけようとしたが、青年の前髪をかき上げる動作に止められてしまう。
「貴方は死んではいけない。 貴方が死ねば、誰が私を生き返らせてくれるというのですか」
「ちょっと待ってくれよ……何だよ、それ、生き返るってのか、死んだ人が? できるわけねえぜ。あんた頭でもおかしくなっちまったのか」
「そうかもしれませんね。……少しながら語弊がありました。詳細に話すと、こうです。ご主人様には、並の人間に無い絶大な回復力やそれに関する魔力が備わっています。先程、私もこの身をもって体験しました」
 レイセン君の言葉が淡々と耳に入っていく感覚はあるが、たった一つ、腑に落ちないことが気になって仕方がない。
「僕の魔法のような力は、誰かを生き返らせるためじゃないの? あの時君は死ん……」
「あの時、私は死んでいません。確かに、瀕死状態ではありましたが……。つまり、ご主人様はどんなに深い傷を負おうとも瞬時、そして欠損を残すことなく再生させることができる。例え二度と機能しないような重傷でも……私はそう考えました」
「それじゃあ……死んだらお終いじゃねぇかよ」
「そうです。死ねばそこでお終い……。ですが、それを回避するためのものがあります」
 レイセン君が自らの右手を差し出す。人差し指には静かに光る藍色の指輪が嵌められている。
「エンゲイジリング……これは身につけた者を、死の概念から解放する指輪なのです」
「つまり……死なないってことか?」
「簡単に言ってしまえばそうなります。補足説明をしますと、例えば死ぬ程の傷を普通の人が受けたとします……。当然ですが死にますね、ここは常識ですよ」
 僕とグレイが同時にこくん、と頷く。
「しかし、エンゲイジリングを装備した者が同じく、死ぬ程の傷を受けたとしても、それは重症あるいは瀕死になる傷として処理され、死という過程に至らずに済むのです」
「そこで……僕の?」
「その通り、ではご主人様の力を仮に治癒魔法と呼ぶことにしましょう……。死にかけの者に貴方が治癒魔法を唱えれば……傷はすっかり元通り。いつまでも、永遠に戦えるというわけです。理屈としてはお分かりいただけたでしょうか」

 森は重苦しさを増してくる。悪魔が近い証拠だ。その傍らで、震えを抑えるため自らを抱くようにしゃがみ込む少年は、その強固な意思と反し怯えていた。
「時間がありません……。グレイ、早く指輪を」
「わからねぇ……わからねえよ……何だよそれ……あんた、ご主人様とか呼ばれてたな……あんたも何か言ったらどうなんだよ!? こいつは悪魔だぞ!」
 グレイは錯乱した様子で僕の肩を揺さぶった。
「ごめん。事実だから……」
「あぁ……いいさ。あんたたちを信用した俺が馬鹿だったよ。もう、俺に関わらないでくれ。俺は一人でも、あいつを倒してみせるさ。その後は……あんたたちだ」
 グレイは深い闇の中を、一人走って行ってしまう。取り残された僕たちは、呆然と彼が闇の中に消えてゆくのを見ていた。
「私とご主人様が悪魔ですか。面白い冗談ですね。笑えます」
 銀色の長い前髪で隠れた彼の口元は、笑っていなかった。
「さて、グレイを迎えに行きますよ、ご主人様。彼に勝ち目などありませんからね。……本当に……馬鹿だ」

「レイセン君! グレイはどこへ向かったの?」
 息が上がるのも忘れる程に全力で走る。が、追う者の姿は見えない。
「さあ、どこでしょうね……」
 猫耳フードの小さな少年を探す僕たちを遮るように、悍ましい獣どもが現れる。
「魔獣共め……覚悟!!」
 魔獣と呼ばれた怪物は、無情な騎士の剣技に為す術もなく崩れ落ちていった。
「こちらへ。できるだけ魔獣の少ない道を通りましょう」
 レイセン君に誘導されるがまま、茂みを駆ける。
────世界が歪んだ。

 ***

 息苦しい。そんな気がしてふと目蓋を開くと、今まで走り回っていた森からは想像もつかない程に、腐った木が生い茂っていた。剥き出しの樹皮は悲鳴をあげているようにも見えた。目の前に聳え立つ木々は、行く手も、視覚さえも奪ってしまう。
「ご主人様、お怪我はありませんか?」
「うん。それより、早くグレイを見つけ出そう……嫌な予感がする」
 僕たちは力の限りに走った。細い道を駆け抜けると視界が開け、グレイが力無く座り込んでどこかを力強く指差していた。
「……グレイ!」
「お前……。って悠長に話してる場合じゃない! あれを見ろ!」
 目の前にはやけに紅く、怪しく光る魔法陣が描かれていた。──いや、寧ろ瞬時に現れたと言った方が適切だろう。その中から禍々しい気配をも携える手が生えてきたのだ。手の主はゆるりと、魔法陣の底から這い上がってくる。
『誰かと思えば……大目玉……ケケ』
 声はその人そのものから発せられているようには感じられない。木々の間を縫って響く惨憺たる声音は、招かれざる客を歓迎していた。
「あれが……」
「間違いない、あれが第五の悪魔……オーランだ!!」
『そこの黒い男……久しいな』
 僕とレイセン君には目もくれず、悪魔はグレイに語りかけた。
「何が、だよ……俺の家族を殺しやがって……よくも!」
『あの時お前も死んでいればよかったのに……けけけけけ』
「ふざけるな!!」
 悪魔の笑い声がぴたりと止まる。見開いた形をそのまま縫い付けられたような目玉がこちらを向いた。
『おお……おまえは……お前は』
「ご主人様、木の陰に隠れていてください」
 悪魔の双眸から予兆なく赤い涙が噴き出し、頬をつたう。
 僕は言われた通り木の影に身を置き、いつ何が起きてもいいようにと姿勢を立て直した。憤怒に駆られる悪魔は、忽然と掌から凶器──チェーンソーを湧き上がらせる。全身が露になると、それは騒々しいまでに金属音を響かせた。
『兄弟の敵!! 殺す!!殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺すころすころすころすころすころすコロスコロスコロスコロスコロスコロ』
 悪魔──オーランの身体から迸る血潮。レイセン君だ。痺れを切らして初撃を与えた彼は、挑発でもするように不敵な笑みを浮かべている。
「選びなさい」
 蹌踉めき、呻き声を上げるオーランを横目に、レイセン君はグレイに問いかける。それは、まだ幼い少年が決断するにはあまりに重すぎるものだった。
「そこでおとなしく私が奴を倒すところを眺めているのか、悪魔になって直々に仇を討つのか……。あなた自身で決めるのです。グレイ」
 レイセン君は僅かに口元を緩めた。それは己の予期通りであることに満足したかのような表情だ。彼は再度、悪魔を睨みつけると剣を構えた。
「俺は……どうすれば……。決めた。俺は、大人しくしない、けど悪魔にもならない!!」
 グレイは仇の元へと光の如く疾駆する。風を受けて舞い上がる黒い布の内側から、短剣が二本、姿を現した。それを逆手に持つと、オーランの首元めがけて食らいつく。
 ギイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイ────。
 ああ、まずい。第五の悪魔、オーランの一撃。チェーンソーを軽々と振り翳すとほぼ同時に降ろされるのだ。とっさの判断で身を翻したグレイの肩から、なにか赤い液体が弾くように飛び散る。チェーンソーは衣服を貫通してグレイの皮膚を切り裂いた。
 悪魔はその隙を見逃しはしない。チェーンソーの取っ手部分を少年に向けると、僅かばかりの力で突き飛ばした。
「うわあ!! ……がっ」
「グレイ!!」
 木の幹にぶつかり地面へと落ちたグレイの元へ駆け出した。焦りにも似た感情が僕を襲う。あの時僕が感じた、死に類似した感覚だ。
『人の子よ……我らに抗うことは罪、万死に値する』
 オーランは致命傷を負わせた少年が動かないことを確認すると、もう一つの存在を凝視した。
『次は、お前』
「ええ、そうです。次の相手は私です」
 その冷静さに恐ろしささえ感じる程、剣士は落ち着き払った様子のまま言葉を付け加えた。
「あなたが死なない限り、物語は進みませんから」
『図に乗るな……。その息の根、第五の悪魔が止めてくれるッ!!』
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