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第1部
#13 宝石めぐり
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港町オレイアスに戻った僕たちは、先日も宿泊した宿を借りて一息ついた。閉鎖は解除されており、街を出た時の張り詰めた空気は、跡形もなく消え去っていた。
「わーん! 怖かったよー、アクアさんー」
「あはは……よしよし」
「そうですね……明日の予定ですが」
手首の拘束を解かれたセナが真っ先に、僕に抱きついてくる。涙目で僕を見上げるセナを撫でていると、お構いなしにレイセン君が話を逸らした。
「兵隊さん、その事なんだけど……」
「何でしょう」
「黒猫さんの指輪が壊れちゃって……出来れば、直してあげたいの。お願い!!」
ベンティスカは掌に乗せたグレイの指輪をレイセン君に見せ、軽く頭を下げた。レイセン君は突然の要件に少し困った顔をしていた。
「それは……形のみ直したいのか、それとも……」
「形だけで十分!! ……それ、どういうこと?」
「……ご主人様は、以前出会ったノアという男を覚えていますか」
「ああ……うん」
「エンゲイジリングは、鉱石と悪魔の血を錬金窯で混ぜ合わせて生成される宝石……本物を作るとなると手間がかかりますが、形だけなら私たちだけでも修復できるでしょう」
「錬金術でもするの?」
彼のことだから何か策があるのだろうと、僕は考えなしに曖昧な返事をする。
「それに近いということです。因みに、鉱石はサラマンダー岩窟に行けば採れるとも仰っていましたね。ですから、明日はその先にある鍾乳洞で鉱石を採ってきましょう」
「本当?! ありがとう、兵隊さん」
「……折角ですから、予備にいくつか欲しいと思っていた所でした」
ベンティスカはレイセン君の手を取った。グレイが死んだあの日から元気がなかった彼女が、久々に本心からの穏やかな笑みを見せた。
***
「ご主人様、私です」
「どうしたの?」
寝静まった宿の中、こつこつと扉を叩く音と、レイセン君の声がする。じきに眠りそうだった僕は半開きの目を擦って、本を片手に抱えている彼を自分の部屋に招き入れた。
「要件が二つほど。まずは、エンゲイジリングのことです」
「何かわかったの?」
「いえ。ですが、この本に載っているのです。これをご覧ください」
レイセン君は付箋が貼ってある頁を開いてある箇所を指さした。確かに、エンゲイジリングの写真がそこにあった。
「本当だ……」
「この本は、スペリォールの館で見つけたものです。ただ、残念なことに文字が古くて……辞書か何かがなければ解読は不可能でしょう」
「辞書は、どこに?」
「もう崩壊してしまいましたが、瓦礫の下敷きになっているのではないでしょうか……」
「そっか……」
僕には到底解読なんてできないだろうという諦めか、はたまた眠気か。少し文字を目で追っただけで嫌気がさした。
「それからもう一つ。……こちらを必ず読んでください」
レイセン君は紙切れを僕に渡すと、おやすみなさいと言って何事もなかったように部屋を後にした。
〝セナに指輪を渡さないこと。〟
遅れてノックなしに扉が開いた。咄嗟に紙切れを隠して、ベッドに入ろうとした。
「あ……セナ? まだ起きてたんだ」
「……アクアさんこそ」
噂をすればというほどでもないが、セナが部屋に駆け込んできた。今までの会話を聞かれていたかもと勘ぐってしまったが、考えすぎだと思う。
「ねえ、さっき……なに話してたの、あの人と」
「ああ、これからの予定……かな」
「そう。……ボク、眠れなくって。一緒に寝てもいい?」
「それなら、いいよ」
セナの顔がぱっと明るくなり、僕が捲った布団の中に飛び込んだ。それを見て心を癒した僕も同様に、セナの隣で寝そべった。一人用のベッドに二人は窮屈かと思いきや、丁度良い。というのも、セナが想像以上に小柄だったのだ。
「アクアさん、優しいよね」
「そう、かな……よくわからない」
「……そういうところも全部、好きだよ」
「ああ、うん。僕もセナのことは好き」
セナはどこか不思議そうな顔をしながら、僕の頬に手を乗せた。人肌のぬくもりを感じる。僕は、顔の縫い目に触れたセナの拍子抜けた顔に、心を擽られた。
「アクアさんのこれ、なぁに……?」
「これ? ……うーん、僕もよくわからないけど、目が覚めた時からこんな状態。あはは、僕っておかしいところばかりだからさあ」
「そんなことないよ。ボクはそう思わない」
その言葉に、僕は思わず言わなくてもいい愚痴まで吐露してしまった。出会って間もないセナに押しつけるように。罪悪感を覚えながらも、それを抑えることはできなかった。
「セナと出会う前、ある人と喧嘩しちゃったんだ。そしたら次の日、死んじゃって……まだ、謝れてなくて……」
「アクアさんのせいじゃないよ、それは偶然だよ。タイミングが悪かっただけじゃん」
「……セナの方が、僕より優しいよね」
僕の頬を撫で続けるセナの手を払い、小さな体に背を向ける。
「僕は人じゃないのかも。……セナに慰めてもらう資格だって、あるのかどうかもわからない」
「もし、アクアさんが人じゃなくっても、好きだよって言う。ボクは見えないから」
セナも寝相を変え、互いの背をくっつけた形になった。気になってそっと一瞥すると、寝息を立てて、今丁度眠りに入ったように装ったセナの肩が見えた。
僕は暫く気持ちの整理がつけられずにいたが、考えあぐねているうちにいつの間にか意識は薄れていった。
***
「では、行きましょうか」
「うん! わたし、先に外出てるね」
朝から張り切った様子のベンティスカは、誰よりも先に宿を飛び出していった。無邪気な笑顔を振り撒く彼女を微笑ましく見送り、僕たちもその後を追う。
「あの……さ、セナ。流石に腕に抱きつかれると、歩きにくいかな」
「……じゃあ、手、つなぐ」
「それならいいよ」
「……物好きですね」
セナがあまりにも僕にべったりとしていることに辟易したレイセン君は、溜息をついて僕を追い越した。
サラマンダー岩窟はスイートハウスと正反対の方角に屹立する山で、岩窟を超えた先の鍾乳洞に、エンゲイジリングの素材となる鉱石は眠っているという。
「ねえねえ、その鉱石って、どんな色なの? 名前は?」
「鉱石の名前は『宝石』。色は透明に近く、ダイヤモンドに似ています。熱にめっぽう弱いので、加工して装飾品を作る際によく用いられていたそうです」
「へぇ……ジェムかあ……なんだかとっても素敵……」
今頃ベンティスカの妄想の中は、ジェムをあしらった調度品でいっぱいであろう。
目の輝きと同時に、彼女の周囲にも星々が飛び散っていた。
「もうすぐ登山口ですよ、あの山を登るんです。……と言っても、道なりに歩けば着くんですが」
青く晴れ渡る空を背景に、望む山岳はまるで巨躯な怪物を思わせる。更に、お城にも似た建造物が、妙なほどに山と同化していた。
「うわ……暗っ、レイセン君これ、大丈夫なの?」
洞穴のような暗闇の中を歩く。足元が覚束ない感覚に、幾度となくふらついた。幸い、セナが手を握ってくれていたおかげで恐怖は和らいでいる。どこが左右で、前後かもよくわからないまま、ただ前進した。
「暫く歩けば慣れますよ。……ほら、外の光が見えます」
問いに答える声は、覆われた岩肌に反響して僕の耳に届いた。レイセン君が示した場所に近づくにつれて、暗がりに慣れてきた目が沁みるほど、眩い光が溢れ出していた。
「わあ……!! お城みたい!!」
外側から見た景色と照らし合わせ、ここが建物の入口だとわかる。
しかし、大きなこの城に不釣り合いなほどに小さく、古傷の目立つ木製のドアが、この建物の閑散とした雰囲気を一層際立たせた。
今にも外れてしまいそうな目の前のドアを、興味津々なベンティスカは平気な顔で開けた。
「わあ……セナ!! あそこに港町が見えるよ」
「そう。ボク、見えないけど。」
「ああ……そうだった、ごめん」
「いいの。くんくん……何だか変な臭いがする。くさい」
「この建物、もう何年も使われてないみたいで埃っぽい、あとちょっとの辛抱だよセナ」
両手を広げてもあり余る大きさの硝子窓から、外の世界を一望する。王様がたった一人、この城から外の景色を眺めている場面を想像してしまう。
「今では廃れた建物ですが、ここも昔は栄えていたのでしょう。……さあ、鍾乳洞の入口を探しますよ。日が暮れてしまいます」
「そうだね。にしても……思ってたより広いなあ……」
「迷子にならないよう、お気をつけて」
寂しさの念に押し固められた廃墟の中を探索する。僕らの足音さえも、悲しげに城内を巡っていた。
「ここが鍾乳洞の入口ですか。案外分かりやすい所にありましたね」
城の最上階にある、玉座の間らしき部屋の突き当たりに、探している扉はあった。
手分けをして探していたところ、最初に見つけたのは意外にもセナだった。鼻がとても敏感なセナ曰く、湿っぽい臭いがするのだとか。
本来ならばあって然るべき場所に玉座がない。代わりに、隙間の開いた扉が僕たちをいざなう。
「このドアの向こうが鍾乳洞なんだね……この光が漏れてるのって、もしかして……」
「中、入ってみようか」
ドアの軋む音が部屋全体に鳴り響く。何かがこちらへ向かって押し寄せてくる。徐々に悲鳴のような轟音が近づき、僕たちの上部を──。
「きゃあ!! な、何今の!?」
洞窟の暗がりから放たれたのは、蝙蝠の群れだった。騒がしさも束の間、あたりはすぐに静まり返った。セナは全くの無反応で、催促するように扉の向こうに耳を立てる仕草を始めた。
「……行こうよ」
「うん、そうだね」
鍾乳洞の中はひんやりとしていて、時折背中を通り過ぎる寒風に不気味な印象を受ける。更に奥へと進んでいくと、風光明媚な結晶が、地面、天井、壁をぐるりと輝きで満たしていた。一体、どれがエンゲイジリングの材料となるジェムなのだろうか。
「こ、この赤色は、るびーじゃないかな! あの青いのは、さふぁいあで……あっちは、とぱーず! はわあ……全部採っていきたい……いいかな、いいよね!?」
「好きなだけ採るといいでしょう。反対する者もいませんし」
ベンティスカはレイセン君の許可をもらうや否や、瞳孔を星に変えて宝石狩りに出かけて行った。そもそも許可など必要なのだろうか。
「私たちはジェムを探しに行きますよ……。この辺りにないのなら、奥へ進むしかありませんね」
「透明……なんだよね?」
「ええ、残り滓でもあれば良いんですけれど……」
なんとも言えない不吉な予感を覚えながらも、透明な結晶を求めて僕たちは歩き続けた。
歩けど歩けど同じ景色ばかりで飽き始めた頃、鍾乳洞の行き止まりに差し掛かる。
「あ……これ、透明だ。もしかして、これがジェム!?」
「もしかしなくてもジェムですよ。……まだこれだけ残っていたとは、予想外です」
道幅よりも僅かに広い部屋で僕たちは足を止めた。壁一面に咲いた結晶は、透き通った水のように透明で、触れた途端に腕がすり抜けてしまいそうだ。
遥か昔に、ジェムが流通していた時代があって、もう殆ど残っていないだろうというのがレイセン君の予測だった。
そんな予測を裏切るように、素材として消費しても有り余るくらい、数多くのジェムがここには眠っていた。
「じゃあ、僕とセナはあっちで採ってくるよ!!」
「わかりました。足元にはお気をつけて」
二手に分かれてジェムの回収に取り掛かる。
セナは歩き疲れてしまったのか、先程から黙り込んでしまっている。僕の腕を掴んだまま、うとうとしていた。
「セナ、今だけ包丁と杖、交換しよう?」
「うん、いいよ……はい」
「ありがとう。僕が採るから、セナは座って待ってて」
「わかったあ……」
セナは目蓋を擦って壁伝いに歩いた後、僕の杖を抱きしめた姿勢で座り込んだ。僕はそれを確認した後、交換した包丁を握りしめてジェムを採掘する。
鉱石と言うわりには脆く、包丁を一回振り下ろしただけで根元の部分から情けないほど崩れ落ちていった。氷のような透明感を保った宝石を、腰のポシェットに詰めた。
「レイセン君……なんか一回振っただけでものすごい量採れたよー。もういいんじゃないかなー」
「そうですね、今そちらに行きます」
レイセン君は鉱石を入れるための袋を肩に下げ、居眠りをしているセナを睥睨しつつ僕の元へとやって来た。
「多分、疲れちゃったんだよ……ここまで結構長かったし」
「いいんです、それは。……帰りは貴方が背負ってくださいね」
「え、僕!?」
「当然です。貴方が連れてきたんですよ、責任は取ってください。私は採ったジェムを集めてますから、どうぞ起こしてきてください」
「はあ……わかったよ……。セナ、帰ろう。もう終わったよー」
セナの肩を揺すって反応を待つと、少し間を置いてうーんと唸り、不機嫌そうな顔で欠伸をした。僕はおぶって帰ろうかと提案したが、大丈夫と言ってまた僕の手を握った。
「一体、ベンティスカはどこまで宝石を探しに行ったんですか……」
「あ、来たみたいだよ。足音が」
「本当だ。なんかすごい抱えてるけど……」
向こうから笑顔で走ってくるドレスの女性は、その両腕にいっぱい宝石を抱えて、僕たちの名前を叫んだ。
「ふふ……見て見て!! こんなに沢山!!」
「わ……すごい……」
多彩な石を満足げに見つめるベンティスカは、どこに仕舞おうかと悩んでいた。持っていた小物入れにも、はち切れんばかりに入れたという。ため息をついたレイセン君が、肩にかけていた袋の口を開け、そこに入れる様に促した。
「さあ、港町に戻りましょう。これからが肝心です」
「そうだね……グレイ……もうすぐ直すから、待ってて」
「ねえアクアさん、帰ったら何するの?」
「僕たちだけで指輪が作れるかどうか、試すんだって」
「ボクにもちょうだい?」
「あ……でもまだ、できるかどうかわからないよ?」
それを聞いて残念そうに頬を膨らませたセナに、僕は申し訳なく苦笑する。
城の出口はすぐそこまで迫っている。しかし僕たちがこの城を去るには、目前で阻む敵を倒してからになりそうだ。
犬に似た作りをした獣の群れが、二足歩行で立ち塞がる。身体の節々は焼け爛れ、骨が浮かび上がっていた。
よく見ると、その骨は犬ではない──人骨。城を、王を守らんと部外者を排除する兵士の意志なのだろうか。腕にはサーベルと盾を持ち、特有の呻き声を上げ、僕たちを威嚇している。
「いつの間に……兵隊さん、こんなに敵がいるけど、どうする?」
「全て相手をする必要はありません。私が道を開けます、ベンティスカは念のため後ろを」
「わかった!! 小人さんもお願いね」
セナはこくりと頷くと、僕の手を放し、両手で包丁を力強く握った。
「ご主人様!!」
「わっ!! ……とと」
「それお願いしますよ、道が開けたらすぐに走ってください」
レイセン君は鉱石の入った袋を僕に向かって投げた。落とす一歩手前でなんとか袋の端を掴んだ。
ジェムの素材にと言って僕たちが入れた分に加えて、ベンティスカが採掘した宝石の余りの分が重なってずっしりと重たい。
「雑魚ほど群れたがるものです。……はぁ!!」
先陣を切ったレイセン君は力に任せ鉈剣を振り払った。前列の獣たちが後ろへ弾き飛び、衝撃波となってドミノ倒しの如く崩れていった。
「ガアアアアオオオオオオ──!!!!」
「魔法使いさん上!!」
頭上から何かが降ってくる──獣だ。牙を剥いて剣を突き出している。僕は反射的にしゃがみ込んだ。──が、いつまで経っても攻撃されず、代わりに顔を上げた直後鮮血を浴びた。──セナが飛びかかって獣を一突きにしたのだ。
「アクアさんはボクが守る。出口へ走れば今なら……!」
「うん、ありがとうセナ!!」
セナが横から迫ってくる敵を刺し穿ち、その後ろを僕が追いかける。
遅れてベンティスカが出口を潜ると、最後にレイセン君が扉を閉めた──と思いきや、諦め悪く部外者を追跡しようとする獣たちの方へと踏み倒した。
扉の先は洞窟だ。遁走するにつれ視界は暗くなっていく。僕は抱えた袋の重さを気にせず走り続けた。
次第に外の光が見え始め、背後からは凄まじい轟音と、地震にも似た揺れが響いた。暖かく柔らかな夕日が、僕たちの帰りを待っていたかのように迎えてくれた。
全員が洞窟を抜け出すと同時に、砂煙が巻き起こった。
「はぁ……はぁ……この砂煙は……」
「無事でしたか、ご主人様。申し訳ありません。足止めをしようと辺りの岩を崩していたら、洞窟ごと破壊してしまったようで……」
「で、でも……これであの怪物が来ることもない……よね?」
「今頃、岩雪崩に押し潰されて全滅でしょう……まあ、この状況ではこちら側に来ることさえ困難です」
「それもそうだね……はああぁぁ……びっくりした」
「さあ、帰りますよ……。……あれは」
レイセン君が帰路を凝視した。座り込んだ僕もえいやと立ち上がり、そこに視線を移す。
少し距離を置いた所で、スーツ姿の青年が、僕たちに向かってお辞儀をした姿勢で立っていた。青年は顔を上げると、優しく微笑んで見せた。
「初めまして。皆さん、随分汚れが目立ちますが……どうされたんですか」
「まさか……貴方の仕業ではないでしょうね? それと、先ずは名乗るのが礼儀ではありませんか?」
「おやおや、何の話でしょう? それに名乗る程の者ではありませんよ、フフ」
最後の含んだような笑みを見て、この青年の印象が逆転した。妖艶な雰囲気を纏った青年は、ゆっくりと僕たちの方へと歩を進める。
人なのに、人ではないようだと直感が訴えている。そんな気がしてならないのは僕だけではなかった。
レイセン君もまた警戒し、剣を下ろしはしなかった。
「別に、何もしませんよ。僕はあなた方に、これを渡したかっただけです」
青年は顔をしかめて懐から数枚の紙切れを出すと、レイセン君に手渡した。
「これは……」
「三日後に王国フォシルで行われる舞踏会への招待状です。これがないと、城に入ることすら許されません。……ああ、きちんと全員分ありますのでご心配なく」
「何故、私たちに?」
「フフ……運命の悪戯、といったところでしょうか」
益々怪しく見えてきた。青年は首を傾げ、「可笑しなことでも言いいましたか」という表情をしている。つり目がちのブルーの瞳と目が合うと、スーツの青年はうっすらと微笑んでたれ目になった。
「では、僕はこれで失礼致します。……舞踏会、お待ちしています」
そう言って青年が去ろうとした直後、何かを思い出したように話し続けた。
「ところで、貴方とどこかでお会いしている気がするのです。覚えていらっしゃいませんか?」
整った執事服の青年は、懐かしむようにレイセン君の手を取った。
その時に感じた僕の戦慄は量り知れない。
「さあ、私の記憶にはありませんね。人違いでしょう」
レイセン君は青年の手を拒むように振り払った。
「そうでしたか、ごめんなさい。僕、出会った方の顔を覚えるのが少し苦手みたいで、人違いをしてしまいました」
青年は出会った時と同じように礼をした。
「では、失礼致します」
青年が薄暗くなった灰色の帰り道に姿を消すまで、レイセン君はずっと警戒の糸を解かなかった。
「……で、どうしますか? ベンティスカ」
「もちろん行く!! ……えっとどうして、わたしに聞いたの?」
「こういう事に興味がありそうだったので。……まあ何にせよ、海を渡る理由ができました」
確かに、派手なものが好きなベンティスカの意向を聞くのは正解だ。
彼女は誰が反対しても、一人でそこまで行ってしまいそうだ。ここ最近で把握できたベンティスカの趣味を繋ぎ合わせ、こじつけて納得しまった事に、僕はつい苦笑いをしてしまう。
「では、帰りましょうか。王国へ行くには、早朝の船に乗るしかありません」
「ええ……起きれるかなぁ……」
「アクアさんは、ボクが起こしてあげるよ」
「ところで兵隊さん、指輪は? 宿に着いたらできる?」
「ええ。それに、どこかで型になりそうなものを探さなければ。あと、染色液も」
ベンティスカは、歩き出したレイセン君を追いかけて、ジェムをどうやって加工するのか、エンゲイジングをどうやって作るのかを熱心に聞いていた。
海を渡る──つまり、もう一度この島に戻ってくる可能性は低い。僕はふとレイセン君の言葉を思い出した。
──もう崩壊してしまいましたが、瓦礫の下敷きにでもなっているのではないでしょうか。
「……ねえ、セナ」
「どうしたのアクアさん、ボクの性別でもわかった?」
「う、うーんと……その事じゃなくて……。……皆が寝た後、一緒に散歩しない?」
「え……? あ、アクアさんからそんな、お誘い、来るなんて……」
セナはぽうと赤くなると、頬に両手を被せてうっとりしていた。
あの一言でセナの妄想がどこまで繰り広げられているのか、教えてもらいたいものだ。
「あ、あのね、そういうのじゃないんだけど……夜しか現れない館があって……ちょっとそこまで探し物に」
「うん、行く! 二人きりで……夜に……ふふふ」
「わーん! 怖かったよー、アクアさんー」
「あはは……よしよし」
「そうですね……明日の予定ですが」
手首の拘束を解かれたセナが真っ先に、僕に抱きついてくる。涙目で僕を見上げるセナを撫でていると、お構いなしにレイセン君が話を逸らした。
「兵隊さん、その事なんだけど……」
「何でしょう」
「黒猫さんの指輪が壊れちゃって……出来れば、直してあげたいの。お願い!!」
ベンティスカは掌に乗せたグレイの指輪をレイセン君に見せ、軽く頭を下げた。レイセン君は突然の要件に少し困った顔をしていた。
「それは……形のみ直したいのか、それとも……」
「形だけで十分!! ……それ、どういうこと?」
「……ご主人様は、以前出会ったノアという男を覚えていますか」
「ああ……うん」
「エンゲイジリングは、鉱石と悪魔の血を錬金窯で混ぜ合わせて生成される宝石……本物を作るとなると手間がかかりますが、形だけなら私たちだけでも修復できるでしょう」
「錬金術でもするの?」
彼のことだから何か策があるのだろうと、僕は考えなしに曖昧な返事をする。
「それに近いということです。因みに、鉱石はサラマンダー岩窟に行けば採れるとも仰っていましたね。ですから、明日はその先にある鍾乳洞で鉱石を採ってきましょう」
「本当?! ありがとう、兵隊さん」
「……折角ですから、予備にいくつか欲しいと思っていた所でした」
ベンティスカはレイセン君の手を取った。グレイが死んだあの日から元気がなかった彼女が、久々に本心からの穏やかな笑みを見せた。
***
「ご主人様、私です」
「どうしたの?」
寝静まった宿の中、こつこつと扉を叩く音と、レイセン君の声がする。じきに眠りそうだった僕は半開きの目を擦って、本を片手に抱えている彼を自分の部屋に招き入れた。
「要件が二つほど。まずは、エンゲイジリングのことです」
「何かわかったの?」
「いえ。ですが、この本に載っているのです。これをご覧ください」
レイセン君は付箋が貼ってある頁を開いてある箇所を指さした。確かに、エンゲイジリングの写真がそこにあった。
「本当だ……」
「この本は、スペリォールの館で見つけたものです。ただ、残念なことに文字が古くて……辞書か何かがなければ解読は不可能でしょう」
「辞書は、どこに?」
「もう崩壊してしまいましたが、瓦礫の下敷きになっているのではないでしょうか……」
「そっか……」
僕には到底解読なんてできないだろうという諦めか、はたまた眠気か。少し文字を目で追っただけで嫌気がさした。
「それからもう一つ。……こちらを必ず読んでください」
レイセン君は紙切れを僕に渡すと、おやすみなさいと言って何事もなかったように部屋を後にした。
〝セナに指輪を渡さないこと。〟
遅れてノックなしに扉が開いた。咄嗟に紙切れを隠して、ベッドに入ろうとした。
「あ……セナ? まだ起きてたんだ」
「……アクアさんこそ」
噂をすればというほどでもないが、セナが部屋に駆け込んできた。今までの会話を聞かれていたかもと勘ぐってしまったが、考えすぎだと思う。
「ねえ、さっき……なに話してたの、あの人と」
「ああ、これからの予定……かな」
「そう。……ボク、眠れなくって。一緒に寝てもいい?」
「それなら、いいよ」
セナの顔がぱっと明るくなり、僕が捲った布団の中に飛び込んだ。それを見て心を癒した僕も同様に、セナの隣で寝そべった。一人用のベッドに二人は窮屈かと思いきや、丁度良い。というのも、セナが想像以上に小柄だったのだ。
「アクアさん、優しいよね」
「そう、かな……よくわからない」
「……そういうところも全部、好きだよ」
「ああ、うん。僕もセナのことは好き」
セナはどこか不思議そうな顔をしながら、僕の頬に手を乗せた。人肌のぬくもりを感じる。僕は、顔の縫い目に触れたセナの拍子抜けた顔に、心を擽られた。
「アクアさんのこれ、なぁに……?」
「これ? ……うーん、僕もよくわからないけど、目が覚めた時からこんな状態。あはは、僕っておかしいところばかりだからさあ」
「そんなことないよ。ボクはそう思わない」
その言葉に、僕は思わず言わなくてもいい愚痴まで吐露してしまった。出会って間もないセナに押しつけるように。罪悪感を覚えながらも、それを抑えることはできなかった。
「セナと出会う前、ある人と喧嘩しちゃったんだ。そしたら次の日、死んじゃって……まだ、謝れてなくて……」
「アクアさんのせいじゃないよ、それは偶然だよ。タイミングが悪かっただけじゃん」
「……セナの方が、僕より優しいよね」
僕の頬を撫で続けるセナの手を払い、小さな体に背を向ける。
「僕は人じゃないのかも。……セナに慰めてもらう資格だって、あるのかどうかもわからない」
「もし、アクアさんが人じゃなくっても、好きだよって言う。ボクは見えないから」
セナも寝相を変え、互いの背をくっつけた形になった。気になってそっと一瞥すると、寝息を立てて、今丁度眠りに入ったように装ったセナの肩が見えた。
僕は暫く気持ちの整理がつけられずにいたが、考えあぐねているうちにいつの間にか意識は薄れていった。
***
「では、行きましょうか」
「うん! わたし、先に外出てるね」
朝から張り切った様子のベンティスカは、誰よりも先に宿を飛び出していった。無邪気な笑顔を振り撒く彼女を微笑ましく見送り、僕たちもその後を追う。
「あの……さ、セナ。流石に腕に抱きつかれると、歩きにくいかな」
「……じゃあ、手、つなぐ」
「それならいいよ」
「……物好きですね」
セナがあまりにも僕にべったりとしていることに辟易したレイセン君は、溜息をついて僕を追い越した。
サラマンダー岩窟はスイートハウスと正反対の方角に屹立する山で、岩窟を超えた先の鍾乳洞に、エンゲイジリングの素材となる鉱石は眠っているという。
「ねえねえ、その鉱石って、どんな色なの? 名前は?」
「鉱石の名前は『宝石』。色は透明に近く、ダイヤモンドに似ています。熱にめっぽう弱いので、加工して装飾品を作る際によく用いられていたそうです」
「へぇ……ジェムかあ……なんだかとっても素敵……」
今頃ベンティスカの妄想の中は、ジェムをあしらった調度品でいっぱいであろう。
目の輝きと同時に、彼女の周囲にも星々が飛び散っていた。
「もうすぐ登山口ですよ、あの山を登るんです。……と言っても、道なりに歩けば着くんですが」
青く晴れ渡る空を背景に、望む山岳はまるで巨躯な怪物を思わせる。更に、お城にも似た建造物が、妙なほどに山と同化していた。
「うわ……暗っ、レイセン君これ、大丈夫なの?」
洞穴のような暗闇の中を歩く。足元が覚束ない感覚に、幾度となくふらついた。幸い、セナが手を握ってくれていたおかげで恐怖は和らいでいる。どこが左右で、前後かもよくわからないまま、ただ前進した。
「暫く歩けば慣れますよ。……ほら、外の光が見えます」
問いに答える声は、覆われた岩肌に反響して僕の耳に届いた。レイセン君が示した場所に近づくにつれて、暗がりに慣れてきた目が沁みるほど、眩い光が溢れ出していた。
「わあ……!! お城みたい!!」
外側から見た景色と照らし合わせ、ここが建物の入口だとわかる。
しかし、大きなこの城に不釣り合いなほどに小さく、古傷の目立つ木製のドアが、この建物の閑散とした雰囲気を一層際立たせた。
今にも外れてしまいそうな目の前のドアを、興味津々なベンティスカは平気な顔で開けた。
「わあ……セナ!! あそこに港町が見えるよ」
「そう。ボク、見えないけど。」
「ああ……そうだった、ごめん」
「いいの。くんくん……何だか変な臭いがする。くさい」
「この建物、もう何年も使われてないみたいで埃っぽい、あとちょっとの辛抱だよセナ」
両手を広げてもあり余る大きさの硝子窓から、外の世界を一望する。王様がたった一人、この城から外の景色を眺めている場面を想像してしまう。
「今では廃れた建物ですが、ここも昔は栄えていたのでしょう。……さあ、鍾乳洞の入口を探しますよ。日が暮れてしまいます」
「そうだね。にしても……思ってたより広いなあ……」
「迷子にならないよう、お気をつけて」
寂しさの念に押し固められた廃墟の中を探索する。僕らの足音さえも、悲しげに城内を巡っていた。
「ここが鍾乳洞の入口ですか。案外分かりやすい所にありましたね」
城の最上階にある、玉座の間らしき部屋の突き当たりに、探している扉はあった。
手分けをして探していたところ、最初に見つけたのは意外にもセナだった。鼻がとても敏感なセナ曰く、湿っぽい臭いがするのだとか。
本来ならばあって然るべき場所に玉座がない。代わりに、隙間の開いた扉が僕たちをいざなう。
「このドアの向こうが鍾乳洞なんだね……この光が漏れてるのって、もしかして……」
「中、入ってみようか」
ドアの軋む音が部屋全体に鳴り響く。何かがこちらへ向かって押し寄せてくる。徐々に悲鳴のような轟音が近づき、僕たちの上部を──。
「きゃあ!! な、何今の!?」
洞窟の暗がりから放たれたのは、蝙蝠の群れだった。騒がしさも束の間、あたりはすぐに静まり返った。セナは全くの無反応で、催促するように扉の向こうに耳を立てる仕草を始めた。
「……行こうよ」
「うん、そうだね」
鍾乳洞の中はひんやりとしていて、時折背中を通り過ぎる寒風に不気味な印象を受ける。更に奥へと進んでいくと、風光明媚な結晶が、地面、天井、壁をぐるりと輝きで満たしていた。一体、どれがエンゲイジリングの材料となるジェムなのだろうか。
「こ、この赤色は、るびーじゃないかな! あの青いのは、さふぁいあで……あっちは、とぱーず! はわあ……全部採っていきたい……いいかな、いいよね!?」
「好きなだけ採るといいでしょう。反対する者もいませんし」
ベンティスカはレイセン君の許可をもらうや否や、瞳孔を星に変えて宝石狩りに出かけて行った。そもそも許可など必要なのだろうか。
「私たちはジェムを探しに行きますよ……。この辺りにないのなら、奥へ進むしかありませんね」
「透明……なんだよね?」
「ええ、残り滓でもあれば良いんですけれど……」
なんとも言えない不吉な予感を覚えながらも、透明な結晶を求めて僕たちは歩き続けた。
歩けど歩けど同じ景色ばかりで飽き始めた頃、鍾乳洞の行き止まりに差し掛かる。
「あ……これ、透明だ。もしかして、これがジェム!?」
「もしかしなくてもジェムですよ。……まだこれだけ残っていたとは、予想外です」
道幅よりも僅かに広い部屋で僕たちは足を止めた。壁一面に咲いた結晶は、透き通った水のように透明で、触れた途端に腕がすり抜けてしまいそうだ。
遥か昔に、ジェムが流通していた時代があって、もう殆ど残っていないだろうというのがレイセン君の予測だった。
そんな予測を裏切るように、素材として消費しても有り余るくらい、数多くのジェムがここには眠っていた。
「じゃあ、僕とセナはあっちで採ってくるよ!!」
「わかりました。足元にはお気をつけて」
二手に分かれてジェムの回収に取り掛かる。
セナは歩き疲れてしまったのか、先程から黙り込んでしまっている。僕の腕を掴んだまま、うとうとしていた。
「セナ、今だけ包丁と杖、交換しよう?」
「うん、いいよ……はい」
「ありがとう。僕が採るから、セナは座って待ってて」
「わかったあ……」
セナは目蓋を擦って壁伝いに歩いた後、僕の杖を抱きしめた姿勢で座り込んだ。僕はそれを確認した後、交換した包丁を握りしめてジェムを採掘する。
鉱石と言うわりには脆く、包丁を一回振り下ろしただけで根元の部分から情けないほど崩れ落ちていった。氷のような透明感を保った宝石を、腰のポシェットに詰めた。
「レイセン君……なんか一回振っただけでものすごい量採れたよー。もういいんじゃないかなー」
「そうですね、今そちらに行きます」
レイセン君は鉱石を入れるための袋を肩に下げ、居眠りをしているセナを睥睨しつつ僕の元へとやって来た。
「多分、疲れちゃったんだよ……ここまで結構長かったし」
「いいんです、それは。……帰りは貴方が背負ってくださいね」
「え、僕!?」
「当然です。貴方が連れてきたんですよ、責任は取ってください。私は採ったジェムを集めてますから、どうぞ起こしてきてください」
「はあ……わかったよ……。セナ、帰ろう。もう終わったよー」
セナの肩を揺すって反応を待つと、少し間を置いてうーんと唸り、不機嫌そうな顔で欠伸をした。僕はおぶって帰ろうかと提案したが、大丈夫と言ってまた僕の手を握った。
「一体、ベンティスカはどこまで宝石を探しに行ったんですか……」
「あ、来たみたいだよ。足音が」
「本当だ。なんかすごい抱えてるけど……」
向こうから笑顔で走ってくるドレスの女性は、その両腕にいっぱい宝石を抱えて、僕たちの名前を叫んだ。
「ふふ……見て見て!! こんなに沢山!!」
「わ……すごい……」
多彩な石を満足げに見つめるベンティスカは、どこに仕舞おうかと悩んでいた。持っていた小物入れにも、はち切れんばかりに入れたという。ため息をついたレイセン君が、肩にかけていた袋の口を開け、そこに入れる様に促した。
「さあ、港町に戻りましょう。これからが肝心です」
「そうだね……グレイ……もうすぐ直すから、待ってて」
「ねえアクアさん、帰ったら何するの?」
「僕たちだけで指輪が作れるかどうか、試すんだって」
「ボクにもちょうだい?」
「あ……でもまだ、できるかどうかわからないよ?」
それを聞いて残念そうに頬を膨らませたセナに、僕は申し訳なく苦笑する。
城の出口はすぐそこまで迫っている。しかし僕たちがこの城を去るには、目前で阻む敵を倒してからになりそうだ。
犬に似た作りをした獣の群れが、二足歩行で立ち塞がる。身体の節々は焼け爛れ、骨が浮かび上がっていた。
よく見ると、その骨は犬ではない──人骨。城を、王を守らんと部外者を排除する兵士の意志なのだろうか。腕にはサーベルと盾を持ち、特有の呻き声を上げ、僕たちを威嚇している。
「いつの間に……兵隊さん、こんなに敵がいるけど、どうする?」
「全て相手をする必要はありません。私が道を開けます、ベンティスカは念のため後ろを」
「わかった!! 小人さんもお願いね」
セナはこくりと頷くと、僕の手を放し、両手で包丁を力強く握った。
「ご主人様!!」
「わっ!! ……とと」
「それお願いしますよ、道が開けたらすぐに走ってください」
レイセン君は鉱石の入った袋を僕に向かって投げた。落とす一歩手前でなんとか袋の端を掴んだ。
ジェムの素材にと言って僕たちが入れた分に加えて、ベンティスカが採掘した宝石の余りの分が重なってずっしりと重たい。
「雑魚ほど群れたがるものです。……はぁ!!」
先陣を切ったレイセン君は力に任せ鉈剣を振り払った。前列の獣たちが後ろへ弾き飛び、衝撃波となってドミノ倒しの如く崩れていった。
「ガアアアアオオオオオオ──!!!!」
「魔法使いさん上!!」
頭上から何かが降ってくる──獣だ。牙を剥いて剣を突き出している。僕は反射的にしゃがみ込んだ。──が、いつまで経っても攻撃されず、代わりに顔を上げた直後鮮血を浴びた。──セナが飛びかかって獣を一突きにしたのだ。
「アクアさんはボクが守る。出口へ走れば今なら……!」
「うん、ありがとうセナ!!」
セナが横から迫ってくる敵を刺し穿ち、その後ろを僕が追いかける。
遅れてベンティスカが出口を潜ると、最後にレイセン君が扉を閉めた──と思いきや、諦め悪く部外者を追跡しようとする獣たちの方へと踏み倒した。
扉の先は洞窟だ。遁走するにつれ視界は暗くなっていく。僕は抱えた袋の重さを気にせず走り続けた。
次第に外の光が見え始め、背後からは凄まじい轟音と、地震にも似た揺れが響いた。暖かく柔らかな夕日が、僕たちの帰りを待っていたかのように迎えてくれた。
全員が洞窟を抜け出すと同時に、砂煙が巻き起こった。
「はぁ……はぁ……この砂煙は……」
「無事でしたか、ご主人様。申し訳ありません。足止めをしようと辺りの岩を崩していたら、洞窟ごと破壊してしまったようで……」
「で、でも……これであの怪物が来ることもない……よね?」
「今頃、岩雪崩に押し潰されて全滅でしょう……まあ、この状況ではこちら側に来ることさえ困難です」
「それもそうだね……はああぁぁ……びっくりした」
「さあ、帰りますよ……。……あれは」
レイセン君が帰路を凝視した。座り込んだ僕もえいやと立ち上がり、そこに視線を移す。
少し距離を置いた所で、スーツ姿の青年が、僕たちに向かってお辞儀をした姿勢で立っていた。青年は顔を上げると、優しく微笑んで見せた。
「初めまして。皆さん、随分汚れが目立ちますが……どうされたんですか」
「まさか……貴方の仕業ではないでしょうね? それと、先ずは名乗るのが礼儀ではありませんか?」
「おやおや、何の話でしょう? それに名乗る程の者ではありませんよ、フフ」
最後の含んだような笑みを見て、この青年の印象が逆転した。妖艶な雰囲気を纏った青年は、ゆっくりと僕たちの方へと歩を進める。
人なのに、人ではないようだと直感が訴えている。そんな気がしてならないのは僕だけではなかった。
レイセン君もまた警戒し、剣を下ろしはしなかった。
「別に、何もしませんよ。僕はあなた方に、これを渡したかっただけです」
青年は顔をしかめて懐から数枚の紙切れを出すと、レイセン君に手渡した。
「これは……」
「三日後に王国フォシルで行われる舞踏会への招待状です。これがないと、城に入ることすら許されません。……ああ、きちんと全員分ありますのでご心配なく」
「何故、私たちに?」
「フフ……運命の悪戯、といったところでしょうか」
益々怪しく見えてきた。青年は首を傾げ、「可笑しなことでも言いいましたか」という表情をしている。つり目がちのブルーの瞳と目が合うと、スーツの青年はうっすらと微笑んでたれ目になった。
「では、僕はこれで失礼致します。……舞踏会、お待ちしています」
そう言って青年が去ろうとした直後、何かを思い出したように話し続けた。
「ところで、貴方とどこかでお会いしている気がするのです。覚えていらっしゃいませんか?」
整った執事服の青年は、懐かしむようにレイセン君の手を取った。
その時に感じた僕の戦慄は量り知れない。
「さあ、私の記憶にはありませんね。人違いでしょう」
レイセン君は青年の手を拒むように振り払った。
「そうでしたか、ごめんなさい。僕、出会った方の顔を覚えるのが少し苦手みたいで、人違いをしてしまいました」
青年は出会った時と同じように礼をした。
「では、失礼致します」
青年が薄暗くなった灰色の帰り道に姿を消すまで、レイセン君はずっと警戒の糸を解かなかった。
「……で、どうしますか? ベンティスカ」
「もちろん行く!! ……えっとどうして、わたしに聞いたの?」
「こういう事に興味がありそうだったので。……まあ何にせよ、海を渡る理由ができました」
確かに、派手なものが好きなベンティスカの意向を聞くのは正解だ。
彼女は誰が反対しても、一人でそこまで行ってしまいそうだ。ここ最近で把握できたベンティスカの趣味を繋ぎ合わせ、こじつけて納得しまった事に、僕はつい苦笑いをしてしまう。
「では、帰りましょうか。王国へ行くには、早朝の船に乗るしかありません」
「ええ……起きれるかなぁ……」
「アクアさんは、ボクが起こしてあげるよ」
「ところで兵隊さん、指輪は? 宿に着いたらできる?」
「ええ。それに、どこかで型になりそうなものを探さなければ。あと、染色液も」
ベンティスカは、歩き出したレイセン君を追いかけて、ジェムをどうやって加工するのか、エンゲイジングをどうやって作るのかを熱心に聞いていた。
海を渡る──つまり、もう一度この島に戻ってくる可能性は低い。僕はふとレイセン君の言葉を思い出した。
──もう崩壊してしまいましたが、瓦礫の下敷きにでもなっているのではないでしょうか。
「……ねえ、セナ」
「どうしたのアクアさん、ボクの性別でもわかった?」
「う、うーんと……その事じゃなくて……。……皆が寝た後、一緒に散歩しない?」
「え……? あ、アクアさんからそんな、お誘い、来るなんて……」
セナはぽうと赤くなると、頬に両手を被せてうっとりしていた。
あの一言でセナの妄想がどこまで繰り広げられているのか、教えてもらいたいものだ。
「あ、あのね、そういうのじゃないんだけど……夜しか現れない館があって……ちょっとそこまで探し物に」
「うん、行く! 二人きりで……夜に……ふふふ」
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