死の餞ヲ、君ニ

弋慎司

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第1部

#27 それは暖かな

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「ふふふ……ついに、やってまいりましたわ!!」
 コテージの中心で仁王立ちするフィリアが、間髪をいれずに叫ぶ。
「入・浴・タ・イ・ム!! ……と、いうことで、フィリアは一足お先ですわ!」
 いつの間にか用意したタオルとパジャマを抱えて、少女はシャワー室へ直行した。
「はいはい……僕はともかく、優先順位があべこべだと思う……」
「あはは……まあ、いいんじゃないかな」
「一番風呂だけは譲らないんだ……本当にごめんよ」
 ノアの気苦労は、優雅にシャワーを浴びる少女の耳には届いていないようだ。ガラス扉の向こうからは歌声が聞こえる。
「ご主人様、まずは身体を拭きましょう」
「うん……ありがとう」
 レイセン君から手渡された布を広げ、夕日で中途半端に乾いた髪や服を拭う。布には血がべっとりとこびり付いた。
 懸命に腕を動かし拭いて、顔を上げる。レイセン君は胸部を覆う革鎧を脱ぎ、手袋を外すと、布を肩にかけて装備を袋へ仕舞う。腹部に巻かれた包帯は解けかけ、痛々しい色に染まっている。
「レイセン君……その包帯、なんとかした方がいいよ」
「ええ、後ほど」
 乾きかけの髪を垂らし、僕を振り返るレイセン君。僕はふと、綺麗だなと息を吐いた。
「ご主人様、どうかなされましたか」
「いや、なんでもないよ、本当に」
 僕が見ていたことが、バレてしまったのではないだろうか。
──いやそれはないか。レイセン君の顔は微動だにしていないし。
「では、私は手を洗った後、念入りに消毒をした上で調理の準備をします」
 彼の言葉に真っ先に反応したのは、僕ではなくノアだった。
「え、いいのかい!? それは……僕と、フィリアの分もってこと??」
「端からその予定でしたが」
「ありがとうございます!! ……これは正しく、太古の戦で困窮する人々に食料を分け与える聖女……? いや、彼は男だから……」
 ノアは涙を流し、大絶賛しながらレイセン君を拝んでいた。
「ノア、大袈裟じゃない?」
「大袈裟なもんか。僕もフィリアも、食の文化には疎くてね……碌な食べ物も作れないから」
 呆れ顔で語るノア。でも僕も──。
「まあ、僕もよくわかってないんだけど……」
「ご主人様はもっと私を労っても良いと思うのですがね」
 早々に消毒まで終えたレイセン君が、木箱から取り出した野菜類を水洗いしていた。
「ありがとーございまーす」
「クク、大変よろしい」
 照れくさそうにしている僕を見て、ノアがクスリと笑う。
「じゃ、よくわからない者同士、ここで大人しく雑談といこうか」
「うん、そうしよう」
 僕はふと、ノアとフィリアの事について聞いてみたくなった。
 なぜ、二人は出会ったのか──。
 魔獣が彷徨う危険な世界を、二人で旅しているということも──。
「うーん……そうだね、どこから話したものか。……よし、最初の質問から答えていくことにしよう」
 困った顔──だけれど、喜々とした声でノアは言う。
「僕とフィリアは……実を言うと、ていうか、別に血縁関係があるわけでもなんでもない、赤の他人だよ」
 まあ、それは見ていればわかると思うけれど。と、後から付け加えられた。
 僕には、血縁関係であるか否かの境目がわからない。髪型、目の色、または性格だろうか。そのいずれかであり、そうでないのかもしれない。今は雰囲気を感じ取り、わかったようなフリをする。
「でも、本当に大事な人なんだ。時々、フィリアを守ってあげなきゃと思う気持ちが強くなるくらいには」
 ノアの頬が赤くなる。一度咳払いをして気を取り直した様子だ。
「で、えーと。出会い……か」
 朧気な記憶を掻き出すように、唸るノア。
「はっ。そうだ、思い出した。僕、実は家出したんだよ」
「家出って……」
 あまりにも意外な言葉に、開いた口が塞がらなかった。
「うん、なんか……このままじゃ駄目だって思って……突然飛び出して……だからこんな格好のままだし。……最初から旅に出るつもりだったら、もっと良い装備を整えていただろうね。それに、僕が精一杯貯めたお小遣いで買った錬金釜だって置いてきた……」
 ノアは俯き顔で、悔し涙を流していた。それくらい、ノアにとっては大切なものなのだろう。
「あ、話が脱線しちゃったね。家出をして、地理的に言うと下の方に降りてきたわけだけど……。アクアは覚えてる? 王国フォシルの周り、見渡す限り森があっただろう?」
「ああ、そうだね。……それがどうかしたの?」
「その森を僕が歩いていた時に……笑い声が聞こえてね。女の子の」
「もしかして、それが……?」
「そう、後で一緒に旅をすることになるフィリア──。だけどあの時、僕はすぐ彼女に話しかけることはできなかった。他にもいたから」
──他にもいたから。含みのある言い方だ。
 部屋中にシャワーの流れる音が響く。
 僕は話の続きを待った。

 *

 僕はゆっくりと、声のする方に近づいた。
 もちろん、気づかれないようにね。
「…………ですの、……ふふふ」
 でも様子がおかしかった。聞こえてくるのは、女の子の声だけで──。
「……してよ。それで…………」
 少女の話し相手をしているのが誰なのか。
 僕は少し離れた茂みの上から覗き込んだ──。
 森の一角に、円を描くように咲いた花畑を一望したら……。
「!!」
 そりゃ、僕の喉から声が出たって不思議じゃないくらい、驚いたよ。急いで口元を手で覆ったんだ。ギリギリセーフって感じでね。
 少女と話していたのは、人の姿をした化物だったから──。
 しかも、少女の他に二人もいたんだ。
 一人は少女と話をしていたけど、もう一人は花畑に横になってた。
 僕は、もしかしたら自分が夢を見ているんじゃないだろうか、と思って、頬を抓ったり腕の皮を摘んだりしたけど。夢ではなかった。ただ痛いだけだったよ。
 理由はわからなかったけれど、僕の心はざわめいていた。「こんなことがあって良いはずがない」って、叫んでた。
 でも、僕の中を埋め尽くしていた警戒心は、杞憂に終わった。
 僕が来た道をふらりと歩いていく彼女を引き止めて、一緒に旅をしようって誘ったんだ──。

 *

「フィリアも君よりはひどくないけれど、記憶の一部が欠けている。両親の顔もわからなければ、なぜ自分がここにいるのかもわからない。そんな状態だったけど……今はご覧の通り。本調子を取り戻したみたいだよ」
「ノア……あのさ、その……フィリアと一緒にいたっていう二人は?」
「ああ、二人は僕が花畑を背に歩いた時にいなくなったよ。そんな気はしたけれど」
「化物だったって……どんな顔をしていたの? 特徴とか……」
「そうだね……」
 ノアは見た限りの情報を僕に伝えた。
 一人は、顔の至る所が縫合されていて、痛々しささえ感じる──けれど、柔らかい表情をした男。
 一人は、顔半分の皮膚と頬杖をついていた手が焼け落ちて、骨が剥き出しになっていた。だけど穏やかな表情でうたた寝をする男。
「それって……」
「…………」
 僕はその『悪魔』の名を発しようと口を開いた──。
「オーランとレクタルがどうしたんですの」
──フィリアだ。知らないうちに、シャワーを終え、パジャマ姿で立っていた。
「ああ、フィリア! 今、君と始めて会った時の話をしていたんだよ」
「あら、そうでしたの」
 無邪気な笑顔を見せるフィリア。
「いつもより五分程早かったんじゃない?」
「そうやってまた無意味に几帳面を発揮しなくてもよくてよ!! ……さて、お次はどなたが?」
「私は手が離せませんので後ほど」
「僕は勿論最後で構わないよ! ささっ、次はアクアだよー、入って入って」
「僕何も言ってない……。はいはい、行ってきまーす」
 一瞬、フィリアが凍りついたように口を閉じて、虚ろな目をしていたように見えたが、きっと見間違いだろう。
 僕はノアに催促されるがまま立ち上がり、シャワー室の扉へ向かった。

 ***

「申し訳ありません。貴方にこんな夜更けまで付き合っていただいて」
「いや……いいよ。だって、それは君も同じでしょ?」
「いえ、私は……ご主人様よりも必要とする睡眠時間が短いですから」
「あぁ……! だからいつも早起きなのか、レイセン君は」
「……単に、ご主人様が寝過ぎているだけです」
「ぎくぅ……」
 コテージの外で、僕とレイセン君は駄弁っている。
 でも、ただ駄弁っているわけではない。
 今日の出来事で汚れてしまった僕等の服を、手洗いしていたのだ。
 織布に染み付いた血は、しつこくこびり付き洗い落とすことが困難だった。
 犯した罪が綺麗に拭えることはないように。
「……この様子なら、早朝には乾くでしょう」
「本当? それなら良かった……」
 坦道を歩く人はおらず。開けた道の中心で焚き火を囲い、洗濯物と椅子を並べる。
 火付石によって起こされた火は、瞬く間に辺りを照らした。
 夜風の冷たさと、焚き火の熱さが協働して心地が良い。
「あれ、魔獣は? 全然姿を見せないけど」
「それなら、心配は無用ですよ。コテージは魔除けの効果もありますから」
「へぇーー……」
 レイセン君曰く、コテージが展開されると自動的に、その中心から半径約二、三十フィートの空間に膜を張る。
 その膜は『魔晶壁』という。魔晶壁によって、外部からコテージを認識することはできなくなるため、安心して中で過ごすことができる。と、理屈ではそういうことらしい。
「ノアとフィリアはもう寝たようですね。何か温かい飲み物でもお持ちしましょうか」
「いいの? じゃあ、お願いしようかな」
「畏まりました」
 レイセン君は快く頷くと、さっと二つのカップを携えて戻ってきた。
「わ、随分と早かったね」
「予め用意しておきましたから。どうぞ、貴方のはホットココアにしてみました」
 湯気の上がるカップを貰い、早速一口──。
「あっつ」
「『お熱いですから気をつけて』と言う前に……。猫舌なら、冷ましてから飲むべきです」
「僕、猫舌だったかな……。そうするよ。ふー、ふー」
 気を取り直して、今度は慎重に啜る。
 うまい。こっくりとした甘さが引き立ち、ほっと一息つく。
「うん、丁度いい味! ……そうだ、今日の夕飯、美味しかったよ」
「そうですか、それは良かったです」
 レイセン君も、カップに唇をあて一口啜る。
 心まで暖かくなった僕は、レイセン君に日頃の感謝を告げておこうと思い立つ。
「……あの、いつもありがとう。一緒に旅ができて、嬉しいよ」
「私にできることをしているだけです。……ですが、感謝されるのは悪くない」
 レイセン君は、閉じた目蓋をゆっくり開いた。
「私は貴方の旅が終わるまで、共に戦うことを誓いました。貴方は、真実を知るべき……否、真実を知る必要があるのです。誰よりも」
「…………」
「例え貴方が望まなくとも、ご主人様の身に危険が及ぶ場合は……私が命を投げ出すことさえある。この事を、どうかご理解してください」
「……うん」
「それが、私でなく、仲間の死だったとしても……同様です」
 レイセン君の眼は切に、だけど優しく真実を教えてくれた。
「……うん、君の言いたいことは分かっていたつもりだけど。今ちゃんと分かったよ」
「それは、喜ばしいことです」
 二人きりで話したのはいつぶりだろう。今、目の前の青年が、こんなにも笑んでいることが、僕にはとても嬉しかった。
「ねえ、レイセン君」
「何でしょうか」
 僕は未だはっきりとしないその疑問を口にした。
「旅の終わりって……なんだろうね」
「……今の私には、最適な回答を導き出すことはできません。ですが……いつか貴方に、お伝えしなければならないことがあります。それは、貴方の知るべきことの一つでもあります」
 僕には、レイセン君の言っていることが少しだけ理解できなかった。
「それ、どういう意味?」
「それをお伝えするには、まだ早すぎる……。そうですね、『旅の終わり』に伝えることにしましょう」
「え!? それっていつなんだろう……」
「いつでしょうね」
 レイセン君は立ち上がった。枝の山を燃やす火は、段々と弱くなっている。
「ご主人様、もうそろそろ就寝に致しましょう。貴方が朝ちゃんと起きられるかどうか、心配ですから」
「む、今馬鹿にしたなー。多分起きられないけれど、その時はよろしく」
「言われるまでもありません。叩いてでも起こしましょう」
 僕は少し温度の下がったココアを飲み干し、空を見上げた。
 星空が無数に広がり、今にも落ちてきそうなほど煌いていた。
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