死の餞ヲ、君ニ

弋慎司

文字の大きさ
47 / 74
第2部

#44 神の業

しおりを挟む
──遠い昔から語り継がれていた、とある一人の神の話をしましょう。

 昔むかし、幾度と重なる戦いに疲れ果てた人々は、平等に看取られる死を願いました。
 神様たちは、そんな人々たちの願いを聞き入れ、受け入れてくださりました。
 イトスギの木、鏡のついた懐中時計、希望を詰め込んだ石、あたたかな心を集めて天に捧げると、新しい神様が生まれました。
 新しく生まれた神様は、人々の死を暖かく迎えてくださる時にだけ現れました。
 死は怖がらなくてもいいものだと言って、人々をお空の国へと導いてくださりました。
 その神様の名は、死神といいます。
 それからというもの、人々は死ぬことを怖がることはなくなりました。

 ある日のことでした。偉い神様たちが、死神にこう言いました。
「死神よ、あなたはもっと死を学ぶと良いでしょう。そうすれば、人々に寄り添うことができる。あなたはもっと良い神様になれるのです」と。
 それから死神は「死」を学ぶため、偉い神様たちに与えられた、たくさんの死を味わいました。
 病死した死体を喰らい、病に冒される苦しみを知りました。
 焼死した死体を喰らい、炎に焼かれる痛みを知りました。
 安楽死した死体を喰らい、幸せの中で永久に眠ることを知りました。
 孤独死した死体を喰らい、独りは寂しいことを知りました。
 餓死した死体を喰らい、餓えることの悲しみを知りました。
 凍死した死体を喰らい、魂が凍りつくほどの冷たさを知りました。
 溺死した死体を喰らい、届かぬ声があることを知りました。
 自殺した死体を喰らい、生きる希望を失うことを知りました。

 ある日、こっそりと地上へ降りた死神は、一人の子どもと出会いました。今にも死んでしまいそうな、うす汚れた男の子です。可哀想だと思った死神は、男の子の隣に座って話を聞いてみることにしました。
「もうすぐ死ぬんです。でもこれで良いんです。私は追いかけてきた兵士に見つかって殺されるか、体に病気が蔓延して死ぬか、どちらかしか残されていません」
 男の子は生きることを望んではいませんでした。死神はうんうんと頷きながら、話を聞いていました。
 死を看取ることしかできない死神は、男の子に「僕と一緒に行こう」と言って、仲良く手を繋ぎました。
 そして男の子の頭を喰らい、お空の国へと帰っていきました。

 死神は死を学ぶうちに「死」とは何なのかがわからなくなってしまいました。
 いつしか死神は、与えられた地上の人々の死だけでは物足りなくなり、無闇に人を殺し始めるようになったのです。
 誰も彼も何人も、嬲って殺して破壊してしまいました。
 ついに地上には人がいなくなり、世界は壊れました。死神は人を殺めただけでは飽き足らず、神様をも死に至らしめる脅威になりました。
 そして死神は、生き残った何人かの神様によって出口のない塔に幽閉されました。
 それから、死神を見た者はおりません。

──以上です。昔に読んだ物語なので、あまりよく覚えていないのですが。

 *

 お風呂場でひとしきりシャワーを浴びた僕たちは、いつもの格好に着替え終えると、乾いたテーブルに向かい合って座った。
「ねえ、レイセン君……泣いて、る?」
「──いいえ」
 物語を紡ぐ青年が俯くと同時に、一筋の線を描いて落ちる涙を見た。しかし、ここまではっきりと断られてしまっては言及しようがない。
「よくそんなに長い話、覚えていられるね」
「…………」
 沈黙を誤魔化すように、冷めた珈琲を少しだけ啜ってみる。確かに苦味はあるが、砂糖のおかげでだいぶ軽減している。
「今でも迷っているんです。どの順番で話せば、貴方に伝えられるか……」
「……うん」
 僕はコーヒーカップを、なるべく音を立てないように置いた。僕とレイセン君の間を、通り風が抜けていく。
──考えていても仕方がありませんね。そう嘯くと、レイセン君は顔を上げた。
「ご主人様、貴方はこの世界の者ではありません。厳密に言えば、この言い方には語弊があるのですが……」
「いいよ長くなっても。ちゃんと聞いてるから」
「……では、そのように。遥か昔、神は人から作られていたのです。人身御供といって、幼い子どもを殺害し、その亡骸を天に捧げる……。つまり、神はもとを辿れば人であるという事です」
「それは……今じゃあ考えられない話?」
 ただ静かに頷いて、少し古い方法だ、と付け加えた。青年の言葉は、何かに気を遣っているようだった。
「ですから、厳密には貴方も人なのです。しかし、地上にいた時間は遥かに短い。故に、貴方はこの世界の人ではない、と言わせてもらいました」
「なら……僕がいたのは……どこ?」
 瞳の真ん中を射抜くような眼差しが、僕の目を見据えていた。
「お空の国……またの名を、オプス=デイと」
──オプス=デイ。
 初めて聞く名前──という感じはしなかった。懐かしく、目蓋を閉じれば今にも風景が思い出されそうなほどだ。
「そして、それは私も同じでございます。ご主人様、私は、貴方にずっと仕えておりました」
「それじゃあ……君は、知っていてずっと隠していたの?」
「……はい」
 するとレイセン君はゆっくりと立ち上がった。テーブルの縁に沿って、時計回りに僕の方へと歩み寄ると、僕の脇で跪いた。
「……どうしたの」
 低く屈んだ青年の表情は、読み取ることができない。僕は青年の方に足を向けて座り直した。
「正直に告白します。私は、貴方が記憶を失ってよかったと、思っています」
「…………」
 僕は少し悩んだ。目の前の男性に何を言われても、受け入れるつもりでいた。
 しかし気持ちとは裏腹に、厄介者のような扱いを受けたときと同じような感情が、僕の心を取り巻いている。
 それでも。青年は言葉を選んだのだろう。
 レイセン君の言葉の真の意味を汲み取らなければいけない、という気持ちで開けた口は、青年の台詞に遮られた。
「ですが──それは、私が扱いやすいから。などという、くだらない理由からではありません。……本来の貴方が、この現実を目の当たりにしていたら、きっと自暴自棄になり自分を失って、自滅していたでしょう」
「…………」
──私がそうだったから。
 いつも冷静沈着な青年が、正常でいられないならば。この僕が平常を保てるはずがないだろう。
 彼が慌てふためく姿など、僕には想像もできない。
 今では記憶がなかったことが、この世界のあらゆる衝撃を緩和していたのかもしれないと思えるようになっていた。
「貴方はオプス=デイから逃れるために、この世界へと降りたのです」
 それから青年は、僕がこの世界に来るには障害が多すぎた事。無理矢理この世界に侵入したことで、僕自身は概念を保てなくなり、体がいくつにも分裂したことを話した。
 振り絞るような声で、レイセン君は止めることなく語り続けた。その肩を、僕は穏やかに撫でた。
「もういいよ、わかったから。……この世界を壊したのは、僕なんだね」
 目尻を赤く染めた青年は、目を見開いて僕のことを見ていた。言いたくなかった事実を、本人に言わせてしまったとでも思っているのだろう。困ったような、申し訳なさそうな表情を浮かべていた。
 レイセン君から昔話を聞いている間、僕はこの物語を他人事とは思えなかった。そして、物語に登場した『男の子』の事も──。
 神殿で聖典を見た時、必要以上に驚くことができなかったのも、僕の内にある基盤が、崩壊したこの世界を識っていたからなのかもしれない。
 喋るのも億劫そうな青年が、すべてを悟ったような僕の笑顔を眺めてまた俯いた。
「貴方がずっと気にかけていた、記憶のことですが……。貴方が分裂した際に、オプス=デイに置き去りになってしまったのかもしれません」
「ああ、だから思い出せないってことか」
「はい。これだけの時を経ても、一向に戻ってこないとなるとやはり……」
 青年は一度息を吐くと、これが最後です。と言って、僕のつま先あたりに目線を落とした。
「私の拙い言葉では、信じられない部分も多いでしょう。私は、貴方が記憶を取り戻した上で、その後どうするかをご決断していただきたい。だから、ご主人様、貴方にはオプス=デイに辿り着いてほしいのです」
 僕は──結局レイセン君の言うことに賛同するのだが──少し考える素振りを見せながら、余っていた椅子の縁に両手を下ろした。
「わかったよ。君がそう言うなら」
「ありがとうございます……。あの、少しだけ足をお借りしてもよろしいでしょうか」
 足なんて使って何をするのだろう、とは思ったものの、僕はその場の雰囲気に呑まれて承諾してしまう。
 レイセン君は僅かばかり頬を上気させながら、一心に僕のブーツを脱がし始めた。その間暇を持て余していた僕は、照れ隠しのついでに気になったことを質問する。
「レイセン君。きみって何者? 僕と一緒にいたのは、わかったんだけど……」
「私には死がありません。今際の際と再生が繋がっていることを知っています。貴方にそう作り変えていただいたのです。私は、貴方に死を恐れないことを教わった者、真に貴方のものです。ご主人様」
 右足のブーツを完全に脱がし終えると、椅子の脇に丁寧に置いた。
「あっ……」
 青年は浮かせた状態の素足を、添えるように優しく支えた。
 それから僕の爪先にキスを落とした。舌を這わせながら足の甲、脛へと唇を触れさせていく。両足を揃えて折りたたみ、低い姿勢でいる青年のしなる背中を見下ろす僕の心は、情欲のような愛染のような激しい衝動でいっぱいだった。
 後で飲み干そうと、半分くらい残していた珈琲は冷めきった。

 ***

「レイセン君、これからどうするの」
「……もうすぐ夜が明けますね。ここを発つ前に、もう一眠りしておきましょうか」
 銀の髪を揺らす青年は、太陽が昇り始めようとしている絵画のような窓辺を見つめてそう言った。
「そうだね、それがいいよ。一緒に行こう」
「……お気遣いなく。私は、やることがありますので。どうぞお先に」
 突如として睡魔に襲われた僕は、階段の途中から、レイセン君が振り返って微笑むのを見届けた。

 ***

 我は汝、霊クロセルをいと高き君の力とともに召喚し呼び出さん。
 我はベアラネンシス、バルダキエンシス、パウマキアエ、アポロジアエ・セダス、更に第九地獄アポロジアの玉座に坐す最も力ある大公ゲニオ・リアチディの名において汝に厳重に命ずる。
 我は先に述べた名によって、更に最も聖にして真の神、最も聖なる御名アドナイ、エル、エロヒム、エロヘ、ツァバオト、エリオン、エスセアチィェ、ヤー、テトラグラマトン・シャダイの聖にしていと高き栄光のすべての御名において、汝霊クロセルを祓い強く命ずる。
 汝は疾く現れこの円の前に姿を見せよ。見目好く、人の姿で、何ら奇形や醜くなく、遅れることなく、世界のいずこからでもここに来て、我が尋ねる事全てに理性的な答えを返せ。
 そして平和的に見える姿で遅れることなく現れ、我が願いを現実のものとせよ。
 永遠に生きる真の神ヘリオレンの御名において我は汝を召喚する。
 格別にして汝が従う真の神の御名と、汝が直接仕える王の名において、我は汝を召喚する。
 遅れることなく来たれ、我が願いを満たし我が目的を追求するように命ずる。
 万物が従う方、その名を聞けば四大精霊はいずれも転覆し、風は震え、海は走り去り、火は消え去り、大地は揺すぶられ、天空と地上と地獄の霊すべてが震える、聖なる御名テトラグラマトン・イェホヴァによって、我は汝を召喚する。
 見える姿で愛想よく来たれ。
 清澄な声で知的でなんら曖昧にせずに我に語れ。
 更に、アドナイ・ツァバオト、アドナイ、アミオレムの御名によって来たれ。
 来たれ、来たれ。
 なぜ留まる? 急げ。
 アドナイ・シャダイ、諸王の王が汝を命ずる。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

吊るされた少年は惨めな絶頂を繰り返す

五月雨時雨
BL
ブログに掲載した短編です。

強制悪役劣等生、レベル99の超人達の激重愛に逃げられない

砂糖犬
BL
悪名高い乙女ゲームの悪役令息に生まれ変わった主人公。 自分の未来は自分で変えると強制力に抗う事に。 ただ平穏に暮らしたい、それだけだった。 とあるきっかけフラグのせいで、友情ルートは崩れ去っていく。 恋愛ルートを認めない弱々キャラにわからせ愛を仕掛ける攻略キャラクター達。 ヒロインは?悪役令嬢は?それどころではない。 落第が掛かっている大事な時に、主人公は及第点を取れるのか!? 最強の力を内に憑依する時、その力は目覚める。 12人の攻略キャラクター×強制力に苦しむ悪役劣等生

BL団地妻-恥じらい新妻、絶頂淫具の罠-

おととななな
BL
タイトル通りです。 楽しんでいただけたら幸いです。

大嫌いだったアイツの子なんか絶対に身籠りません!

藤吉めぐみ
BL
国王の妾の子として、宮廷の片隅で母親とひっそりと暮らしていたユズハ。宮廷ではオメガの子だからと『下層の子』と蔑まれ、次期国王の子であるアサギからはしょっちゅういたずらをされていて、ユズハは大嫌いだった。 そんなある日、国王交代のタイミングで宮廷を追い出されたユズハ。娼館のスタッフとして働いていたが、十八歳になり、男娼となる。 初めての夜、客として現れたのは、幼い頃大嫌いだったアサギ、しかも「俺の子を孕め」なんて言ってきて――絶対に嫌! と思うユズハだが…… 架空の近未来世界を舞台にした、再会から始まるオメガバースです。

やっと退場できるはずだったβの悪役令息。ワンナイトしたらΩになりました。

毒島醜女
BL
目が覚めると、妻であるヒロインを虐げた挙句に彼女の運命の番である皇帝に断罪される最低最低なモラハラDV常習犯の悪役夫、イライ・ロザリンドに転生した。 そんな最期は絶対に避けたいイライはヒーローとヒロインの仲を結ばせつつ、ヒロインと円満に別れる為に策を練った。 彼の努力は実り、主人公たちは結ばれ、イライはお役御免となった。 「これでやっと安心して退場できる」 これまでの自分の努力を労うように酒場で飲んでいたイライは、いい薫りを漂わせる男と意気投合し、彼と一夜を共にしてしまう。 目が覚めると罪悪感に襲われ、すぐさま宿を去っていく。 「これじゃあ原作のイライと変わらないじゃん!」 その後体調不良を訴え、医師に診てもらうととんでもない事を言われたのだった。 「あなた……Ωになっていますよ」 「へ?」 そしてワンナイトをした男がまさかの国の英雄で、まさかまさか求愛し公開プロポーズまでして来て―― オメガバースの世界で運命に導かれる、強引な俺様α×頑張り屋な元悪役令息の元βのΩのラブストーリー。

【完結】毎日きみに恋してる

藤吉めぐみ
BL
青春BLカップ1次選考通過しておりました! 応援ありがとうございました! ******************* その日、澤下壱月は王子様に恋をした―― 高校の頃、王子と異名をとっていた楽(がく)に恋した壱月(いづき)。 見ているだけでいいと思っていたのに、ちょっとしたきっかけから友人になり、大学進学と同時にルームメイトになる。 けれど、恋愛模様が派手な楽の傍で暮らすのは、あまりにも辛い。 けれど離れられない。傍にいたい。特別でありたい。たくさんの行きずりの一人にはなりたくない。けれど―― このまま親友でいるか、勇気を持つかで揺れる壱月の切ない同居ライフ。

【完結】抱っこからはじまる恋

  *  ゆるゆ
BL
満員電車で、立ったまま寄りかかるように寝てしまった高校生の愛希を抱っこしてくれたのは、かっこいい社会人の真紀でした。接点なんて、まるでないふたりの、抱っこからはじまる、しあわせな恋のお話です。 ふたりの動画をつくりました! インスタ @yuruyu0 絵もあがります。 YouTube @BL小説動画 アカウントがなくても、どなたでもご覧になれます。 プロフのwebサイトから飛べるので、もしよかったら! 完結しました! おまけのお話を時々更新しています。 BLoveさまのコンテストに応募しているお話を倍以上の字数増量でお送りする、アルファポリスさま限定版です! 名前が  *   ゆるゆ  になりましたー! 中身はいっしょなので(笑)これからもどうぞよろしくお願い致しますー!

処理中です...