死の餞ヲ、君ニ

弋慎司

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第2部

#45 魔女たちの為の村

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「武器を捨てなさい、あなたたち。早く!」
「…………」
「何をしているの? あなたも、早く捨てなさい。本気だから」
「いっ……。わかった」
 僕は片手に握りしめていた弓から手を放した。がらがらと音を響かせながら、弓は地面に落ちていく。
 僕は真後ろでフードを深く被る人物に、羽交い締めに近い形で拘束され、首にナイフをあてがわれている。首の皮が裂けて、生暖かいものが伝う感触に、本気を疑う余地などない。

──今から数時間前に遡る。
 夜明けとともに眠りについた僕は、日差しの差し込む昼過ぎに再び目を覚ました。
 心臓を取り戻したことによって、僕の力は以前よりも発揮される、とのことだったしかし、レイセン君はそれだけでは満足せず、自分自身も力を得る必要があると述べた。
 彼が力を得るために僕たちは、旧市街アトロシティの隠し通路からのみ辿り着ける──イビルの村へと行くことにしたのだ。
 そして、その道中。隠し通路ならぬ地下道を歩いていた僕らは、反対側からやってきた外套を羽織る人物と対峙した。

──こうして今に至る。
「あなたもいい加減にしないと……彼の首がどうなっても知らないから。それとも──」
 レイセン君は首を少しだけ傾けた。剣の切っ先は地面に埋もれ、柄は掌を離れようとしている最中だった。
 フードの中から聞こえてくる声は、はっきりとした女性の声だ。威嚇するように唸るような息が、度々聞こえてくる。
「魔女の証を持っているとでも言うの? そうでもなければ、こんな村に何の用事があって来るのか分からない。魔女を殺しに来たというのなら、容赦なく首を刎ねる」
 想像以上に力の強い女だ。振り解こうと藻掻けば、首を斬られるだろう。転移術を使うにも、怪しい動きを読まれた時点で終わりだ。
 どうすればこの状況を打破できるか、と試行錯誤を重ねていたその時だった。「魔女の証」という単語に、レイセン君の睫毛が揺れた。
 そして鉈剣を道中の壁に立てかけると、腹部を覆っている包帯の結び目を急いで解き始めたのだ。
 しっかりとした結び目を手際よく解くと、肌と綿糸が擦れ合う音とともに、包帯が青年の周りに円を描きながら剥がれていく。
「ッ……それは……?」
「まだ! 全部見せなさい、偽物かもしれない」
 包帯の下には、何があるというのだろう。
 上から下、下から上へと白い布ははだけて地面に落ちていく。すると、文字なのかあるいは意味のある紋章の類いのように見える、刺し傷が正体を現した。
 全体が露わになると、痛々しいほどの切り傷の数々が顔を出したのだ。出血はしていないものの、つい先程止血を終えたような赤い色だった。
「……これでよろしいですか」
「…………本物、ね」
「ええ、当然。私はイビルの村に、魔女の儀式を行いに来たのです」
「ああ、そう。あたしが裁判官じゃなくてよかったね」
 首を絞めていた腕の力が弱まり、僕はようやく開放された。
「疑ってごめんなさいね。首の傷、治してあげる。住処にしていた家があるの、案内するからついてきて」
 女性はフードを被ったまま、振り返ると手招きをした。
「どうやら、村の住人の許可は下りたようですね。行きましょうか」
「うん……。あのさ、その傷どうしたの? いつから?」
 僕は弓を拾い上げ、歩きながら青年の腹にできた創痍を見た。
「貴方が寝た後に、自分で……。ああ、治そうとしなくて結構ですよ。儀式が済めば消えますから。……それより、貴方の傷のほうが痛々しいです」
そう答えたレイセン君は、優しく僕に微笑みかける。傷を癒そうと掲げた腕を下ろし、僕は出口に向かっていった。

 ***

 外套を羽織った女性の後を追い、壁についた取っ手を掴みながら洞窟の階段を登っていく。
 まだ昼過ぎだというのに、外は薄暗く雲がかかっていた。
「ここが村の入口。家はあっちの方にある」
 女性はそう言うと、今にも崩れ落ちてきそうな、腐敗した木のアーチを指差した。
 村の中心は広場になっており、周りを囲うように点々と家が建っている。
 空は暗雲が立ち込めていて、黒い鳥の群れが出て行けと言わんばかりに鳴いて、渦を巻いていた。
「着いた、こっちこっち。さあ入って」
「う、うん……」
 黒らしい色の樹皮が目立つ家の前へと立った。
 扉を開け放った女性に連れられるがまま、いざなわれるがまま中へと入る。ドアが閉まると、飾りのベルが音を立てた。
「わあ、あったかい……」
「でしょ? 外とは段違いだから、出たくなくなっちゃうんだよねえ。引きこもりたいくらい」
「確かに……ふぁ、あ。眠たくなってきたかも」
「ふふ、これも魔法だよ。えいっ」
 先程まで寝ていたでしょう、とレイセン君から指摘されて固まる。一部始終を見ていた女性は声を出して微笑んだ。
しばらくすると、女性は僕の前で指を回し始めた。首の周りが暖かくなる。
「……傷が……」
不思議に思い、指元にできた切り傷をそっと指の腹で撫でるように触る。開いた皮は既に繋がり、何事もなかったかのように治癒されていた。
「こっちの部屋に入って、実はもう一人いるの」
 隙間風が刺さりそうな外観とは真逆の、暖かい色をした木材があしらわれた一室。床で寝そべっても、温もりを感じられそうだ。
 部屋は大きく二つに分かれていて、この小屋に入ったときと同じ作りの扉で仕切られている。
 奥の部屋は寝室となっているようだ。ドレッサーの横に、ダブルサイズのベッドが二つ置かれていた。
「ふぅー。やっと脱げる、息苦しいったらありゃしない」
「わだかまりが解けた時点で、脱いでもよかったのでは?」
「それもそうね。でもこのローブ、獣の皮で作られていて、魔獣除けにはもってこいなの。ま、あなたたちがいればその必要もなさそうだけど」
 ドレッサーの脇にあるポールハンガーに外套を掛けながら、少女のような幼さを残す女性は身なりを整えた。
 金の髪を、後ろで三つ編みに束ねたものが肩にかかっていた。毛先はシンプルなリボンで纏められている。
 そのローブ姿からは予想できないほど、露出の際どい可憐な衣装を身に纏っていた。肩をさらけ出し、スカートは太腿がほとんど見えるくらい短い。
「あたし、エレナっていうの。二人は?」
「ん? 僕は──」
 エレナと名乗る女性は、顔を覗き込むようにして背を丸くした。
 僕は自分自身を指差して、名前を言えばいいのかと確認をする。エレナが二度頷いた後で「アクア」と告げると、続けてレイセン君も自ら名乗った。
「もう一人っていうのは……?」
「ああ! すぐそこ、多分あれは聞こえないフリね」
 エレナは足の付根から僅かしか隙間がない白のロングブーツを鳴らしながら、もう一人の元へと歩み寄っていった。
 部屋の奥には四つに仕切られた窓が取り付けられ、壁に沿って机が一つ置いてある。机の上や周辺の床には、四つのまとまった線がいくつか並んでいる用紙が散開していた。
「──ん」
「カノンくん、お客さんよ」
「……アンタたちが部屋に来てお喋りを始めた瞬間に、集中力が途切れた」
 集中していたという言葉に反して、存在を感じなかった。手が動いていなかったのだ。
 しかし、手は動いていなくとも考えることはできると気づき、口をつぐむ。
「カノン」
「……え?」
「オレの名前。アンタたちの名前は聞いてたから言わなくていい」
 カノンと呼ばれ、自分からもそう名乗ったぶっきらぼうな態度の男性は、苛立ちを隠すことなく顔だけで振り向いた。
 緋色の髪は床に垂れてしまうほど長い。カノンはロングヘアを、逆さにした双葉のように三つ編みでまとめている。
「もう、どうしたの? いつにもまして無愛想ね」
「うるせえな、久々の作曲に精を出して、なにが悪い」
「ふふっ、わかったわかった。ごめんね、あの人いつもああだから、あまり気にしないで」
 カノンとエレナは、まるで年頃の子どもと、その反抗っぷりを見て楽しんでいる母親のようなやり取りを繰り広げた。
 素っ気なく、どこか見た目以上の若々しさを感じるカノンと目を合わせる。淡い緑がかった、水色の瞳をしていた。
 返答する言葉が思いつかず黙り込んでいると、カノンはそっぽを向いて筆を握った。
「あたしたちはまた出かけてくるから、お留守番よろしくね」
「ん」
 あたしたち──ということは、僕とレイセン君も同時にこの部屋を出ることになるのだろう。
 エレナはこちらをもう見向きもしない男に話しかけると、僕たちの元へと戻ってくる。
 カノンはおそらく椅子から立ち上がれば、僕より背が高いだろう。体躯の良さから大人びて見える。けれど内面は攻撃的な幼い子どものようだ。そんな矛盾に、僕は疑問を感じていた。
「じゃあ、儀式の準備をしましょうか。……魔女は二人?」
「え? い、いや僕は──」
「──私一人です。イビルの村に来れば、七つ道具が揃うと思いまして」
 エレナがぐいぐいと押してくるのを両手で制しながら、なんのことだかさっぱりわからない、という振る舞いをする。レイセン君が咄嗟にフォローをしてくれるのは、いつもの流れだ。
「あらら、早とちりしちゃった。レイセン、あなただけね。んー、あたしもここに来たのはつい昨日だから、道具の場所はわからないんだよね」
「七つ道具? なにそれ──」
「おい、ここで話す必要がないならそっちの部屋に行ってくれ、うるせえから」
 同じく集中を切らしてしまった僕たちは、カノンのいた寝室から出て、キッチンのある隣の部屋へと移動する。
 テーブルを囲って三人で立つ。レイセン君が分厚い本を取り出し、テーブルの上に開いた本を置いた。
「そんなものどこから……」
「ベンティスカを見つけた、スペリォールの館を覚えていますか? そちらで私が探していたものです」
 懐かしい名前に浸っていると、青年は広げた本に描かれてたものを指差した。
「魔女の七つ道具は、ワンド、聖杯、大釜、アサメイ、ブックオブシャドウ、香炉、箒、ベル、ペンタクル。この中から、それぞれの持つ属性に偏りがないよう集めます」
 レイセン君がページを一枚ずつめくりながら、丁寧に道具の見た目とその属性を説明する。
「七、八……七つ道具なのに、全部で九つあるみたいだけど?」
「九つの中から、二つはなくてもいいってことよ。ベルは扉のを使えばいいし、ペンタクルはあたしが持ってるのを使ったら?」
「そうします。ではあと五つ……」
「なんか、思っていたより適当っていうか……」
「条件さえ満たしていれば、見てくれは何でもいいのよ」
「そういうものかあ……。ワンドって、杖だよね? なんでも良いなら、僕のこれどうかな」
 僕は不確かで曖昧な知識を絞り出しながら、港町オレイアスで買ってもらった杖を差し出した。
 レイセン君はそれを受け取ると、口元を綻ばせた。
「これでしたら十分ですよ。あと残るは四つです。ご主人様もたまには良いことを言いますね」
「たまにはって何さ、たまにはって」
「あははっ、あなたたち仲が良いのね」
 初めて仲が良いなどと言われ、なんとも言い難い喜びが湧き上がってきた僕の口元は緩みっぱなしだった。
「──では、残る三つの道具を探しに他の建物へ参りましょう。できれば、聖杯と釜が見つかるといいのですが……」
 僕は本で見た七つ道具の形を繰り返し思い出しながら、残る四つを探すために薄暗い外へと出たのだった。

 ***

「うっ、ごほごほっ……」
「ちょっと、アクア大丈夫──あ! 箒見つけたんだ、すごいじゃない!」
 廃村となった古びた建物を別々に探索した結果、僕は箒を見つけた。
 箒は崩れた屋根や箪笥の下敷きになるように挟まっていて、無理に引っ張って取り出そうとしたところ、木材の雪崩が起きて巻き込まれた。舞い上がった埃や砂を吸い上げてしまった僕は、もれなくむせたというわけだ。
「うん……だいじょぶ……げほ」
「あたしも見つけたよ、じゃーん大釜! にしても儀式をするのは久しぶり。少し見ただけだけど、レイセンは魔女の素質があると思うな」
 僕は他人の口から、彼のことが聞けることに嬉しいという感情を覚えた。ますます、レイセン君がどんな人かを知りたくなる。
「それ、どういうこと?」
「えっと……多分だけど、あの人は元々魔女の家系の生まれだと思う。むしろ、あたしが最初に見た時に魔女なのかもって思ったくらいだったし」
──多分だからね、と念を押しながら、エレナは言葉を続けた。
「レイセンが欲しがっていたのは水属性の道具だから、なんとなくどの悪魔を呼ぶのかは想像がつくけど、きっと──」
「え!? あ、悪魔だって?」
「ん、聞かされていなかった感じかな。魔女になるにはね、悪魔を呼んで契約を結ぶ必要があるのよ」
 悪魔と契約する──。それは僕の敵であるものを指しているのか、それとも違うものを示しているのか。僕なりに言葉を選びながら、エレナに問いただす。
「そんなものと契約して、何をしようっていうの……?」
「悪魔って聞くと、取り憑かれたり、好き放題暴れたりと物騒なイメージばかりで、悪いように聞こえちゃうよね。でも大丈夫。悪魔はね、願いを叶えてくれるの。奇跡を起こすことだってできるの」
 エレナは目を閉じて、願い事をするかのような優しい表情を僕に見せた。そして、レイセン君が悪魔と契約するというのを口にしなかったのは、僕のためではないかと言った。僕を心配させないように気を遣ったのではないか、ということらしい。
「こんな所で立ち止まって、どうかしましたか」
 タイミングよく、僕とエレナを見つけたレイセン君が現れる。そして、エレナに合わせるように二人で同時に大釜と箒を見せて笑った。
「ううん、なんでもないよ。それより見て、ちゃーんと見つけたわ!」
「あったのですね、ありがとうございます。ちょうどこちらでも聖杯を見つけたところです、最後のひとつなのですが……」
 そう言うと青年は、戦闘の際に使う鉈剣を取り出した。
「こちらをアサメイの代わりとして用いるのは、如何なものかと……」
 余程判断に苦しみ、懊悩したのだろう。僕にというよりは、儀式に詳しいもう片方に確認を取るレイセン君。エレナは剣をぐるりと眺めたあとで、助言をした。
「うん、柄が黒いからこれをアサメイの代わりにするのはアリでしょう。にしてもちょっと変わった剣ね……」
 レイセン君が一息つきながら、剣を脇に寄せる。
「ではこれで全て揃いましたね。では早速、儀式を執り行いたいと思います」
「じゃ、儀式が終わるまでアクアはカノン君の相手をしてあげて」
「ええ、どういうこと? 見れないの?」
 エレナに背中を無理やり押されながら、温もりを思い出すあの小屋へと誘導されていく。
「そういう事! 護衛はあたしがするから、魔獣が出てきても大丈夫。安心して」
「申し訳ありませんが……。暫しお待ちください、ご主人様。すぐに終わらせますので」
 僕はこの青年が、得体の知れないものになってしまうのではないかという恐怖に苛まれていた。けれど、レイセン君の眉をひそめた形容しがたい微笑みにとどめを刺され、僕は頷いてその場を後にした。

 ***

 一人で小屋へと戻る。行き場がわからず、寝室の部屋を開けた。
「……なに、アンタ一人で帰ってきたの」
「う、うん……」
「ふぅん……」
 カノンと数回だけ言葉を交わすと、僕はゆっくりとベッドに向かって歩きだし、隅っこに腰を下ろした。
──カノン君の相手をしてあげて。
 エレナの言葉が再生された。彼と話すことなど、正直特にない──。沈黙の雨が降る。部屋には万年筆が紙の上を滑る音だけが鳴り響いていた。
「なあ、あのさ」
 カノンの集中の妨げにならないよう、静かに俯いていると、彼の方から話しかけてきた。
「なに?」
「…………オレの顔見て、何か思い出さないか?」
 突拍子もない話を振られて僕は困惑した。カノンの方を振り返ると、同様に僕を見ていた男の頬は、少しだけ赤みがかっている。
「……え? ……いや、別になにも……」
「あっそう、じゃあいい」
 口を尖らせながら、カノンはまた背を向けて作業をし始める。僕はベッドに横になりながら、カノンの顔をぼんやりと頭の中で思い浮かべた。
「言っておくけど、何も言うなよ。あと、仮に思い出しても、何も言うな、絶対だ」
 今度は強い口調で警告を飛ばしてくる。
──何か思い出さないかな。
 そう聞かれれば、カノンと全く同じ外見の人を知っているかという質問と意味は同じだから「違う」と答えるほかないだろう。
 では、似た人ならばどうだろうか。
──そういえば、ある気がする。
 類似した人物と仮定して、真っ先に思いついたのは綺羅びやかな雰囲気の場所だった。
 緋色の髪に、青い瞳──。
 ああ、そうだ、思い出した。思い出された場面は、王国フォシルの舞踏会。
 舞踏会で、僕はとても印象的な人物と出会った。
 確か、髪は三つ編みではなかった。僕でさえありえないと思う程、大量のケーキを頬張っていた。そして、深緑のドレスを着て────。
「あーーーー!!!!」
「だーかーらー。何も言うなって言っただろうが!!!!」
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