死の餞ヲ、君ニ

弋慎司

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第2部

#66 死の餞を君に

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 レイセン君がいなくなってから、どれくらいの時間が経っただろう。
 あの二匹の蛇さえ、どこにもいない。
 外界の、だだっ広い海のどこかを、小舟にあたる波に揺られながら、僕は彷徨っていた。
 行く宛もない。
 話しかける相手もいない。
 僕の存在を誰も知らない。
 この世界に、生きている人はもういないのだ。世界では唯一、破滅が去った後の静寂だけが鳴り止まない。
 僕はオプス=デイで審判を下された。あの時のことを、今でも時々思い出す。それも鮮明に。早く忘れてしまいたいと願うほど、その瞬間は色褪せずに再生された。
 しかし、その始終を思い出せる訳ではない。
 僕の記憶に鮮明に残る記憶というのは、その一部のことで、青年が消える直前に見せた微笑みと、青年が消える瞬間を指している。
「わたくしは、貴方が生きて、死を間近にすることで、何を考え決意するのか……。ただそれだけ、それが見たかったんです」
 レイセン君は、最期僕にそう言った。復唱しようと、一言一句を思い出しながら、丁寧に言葉を発した。
「……君は、それすら見もしないで居なくなっちゃったじゃないか」
 久々に声を出したせいか、少し喉が掠れていたような気がする。独り言を呟いたのが誰かに聞かれていたような気がして恥ずかしくなり、咳払いをした。
 今、君が僕の隣に来て『調子はどうですか』と聞いてくれるのならば、僕はこう答えるだろう。
 ──僕は何もしてないよ。君がいなくなって、これからどうすればいいのかさえわからない。僕はこの世界に独りぼっちで取り残されたんだ。ただぼうっと、本当にぼうっとしてるだけで時間が過ぎていくんだよ。
『そうですか』と言って、レイセン君がくすりと笑ったような気がしたのだが、おそらくそれは僕の幻聴だろう。
 僕は君に、死の餞さえも送ることを許されなかったのだ。当たり前だと言われればそこまでだ。散々罪を犯しておきながら、のうのうとし続けられるはずがない。できることならば、何よりも重い罰を下してほしいと、誰でも思うようなことをしてしまったのだから。
 しかし、その罰は僕という概念が滅びることよりも辛く、僕はそれにほとんど堪えきれなかった。
 僕は彼が消えることを望んでいなかった。けれど青年は、自らの存在をなかったことにしてでも僕というものを残したかった。それがどれだけ尊い意志であることか──。今の僕にとっては、傷に潮を塗るように染みてわかる。
 ふと、レイセン君が消えた時のことを思い出した。
 僕は少し離れた所にいる青年の元へと走った。最期に彼に触れたくて──触れたところで救えるはずもないのだが──とにかくレイセン君を抱きしめたかった。
 けれど僕の望みは叶わなかった。
 僕の両腕は交差し、青年を支えに倒れたはずの身体は、そのまま水溜りに落下した。
 抱きしめようとした青年がいたところには、僕はこれから独りなんだと思わせるには十分すぎるくらいの空きがあった。
 青年は、レイセン君は、最初から居なかったことになったのだ。
 風が吹いた。僕が思い切り風を吸い込むと、とっくに慣れたはずの鼻が潮のかおりを認識した。
 いつまでこの海で彷徨い続けるのだろう。
 終わりは来るのだろうか。来るならばいつになるのだろう。
 するべきことはいつになれば見えてくるのだろう。
「レイセン君、僕はこれからどうすればいい?」
 僕の問いかけはいつもいつも、空を切るばかりだ。
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