死の餞ヲ、君ニ

弋慎司

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第2部

#65 アクアとメルド

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 僕はアクアと名付けられた。この名は当然、両親が与えたものだ。
 僕の父と母は、僕という逸材を産み出してしまったせいで、産後すぐに亡くなった。殺されたのだ。
 神となるに相応しい子どもを産み落とした男女は、以後優れた子どもを産むことはできない。──つまり僕の両親は、僕を産んだ時点で用済みだったのだ。それが村のしきたりなので仕方がなかった。少なくとも村の人々に「儀式を止める」という選択肢はない。
 だから僕は両親の顔を知らない。それに赤子の僕からしてみれば、周囲に映る人々に違いなどなかった。親と認識するには数が多すぎて、僕の世話をする人々は人である以外のなにものでもないのだから。
 唯一曖昧なことを無理やり思い出そうとする場合を除いて、幼少期の事などまるで覚えていない。
 あれは六、七歳になった頃だったような気がする。何せ子どもの時代というものは、何にも縛られず好きなことができたので──今となってはその好きなことさえも忘れたが──あっという間だった。時間という概念などないように感じられた。
 僕は祝福された。優秀な神になる素質をいつの間にか村長に認められていたらしく、村中が僕のことを祝った。この時既に、姿形があるにもかかわらず崇拝されていたような気もする。当時の僕は、なんだか照れくさかったのを思い出した。
 そして祝の宴が行われた翌日、僕は死んだ。
 子どものアクアが目の前にいる。アクアを囲んで立つ、槍を持った大人たち。洞穴の奥深くへ、入り組んだ地形の一筋縄ではいかない仕掛けを解いて進む大人と、目隠しをされながら手をひかれるアクア。今にも消えそうな灯火が四隅の角を照らす部屋。
 神になる為の儀式の空間が、第三者の目線から忠実に再現された。
 アクアは何人かの大人に串刺しにされて死んだ。──ああ、思い出したぞ。確かにこんな死に方をしたな、と僕は懐かしい気持ちになった。
 僕の、人としての人生は、ここで幕を下ろした。

 それから僕はオプス=デイという空の向こうへ辿り着いた。
 メルドと出会ったのもここだ。
 原色にほぼ近い金髪、深海のように青い瞳。見た目は少年だが、中身は僕の何十倍、何百倍も大人びていた。その事を僕が口に出すと、からかうのも大概にしろよ、と怒られたものだ。僕たちは気が合ってすぐに仲良くなることができた。
 しかし長くは続かなかった。次第にメルドは剣の稽古ですれ違うようになり、僕自身も一人にさせられる時間が増え、周囲が僕を神にする為の準備を着々と進めていた。そう、僕はただ成り行き任せにしているだけでよかった。
 僕は一人でだだっ広いテーブルの前に座って、無駄に美味しく見せるためのこだわりが強い料理を出されて、ただそれを教えられた手順で丁寧に食すだけの日々が続いた。
 人の腕。人の爪を剥いだ指。人の髪を髪で束ねたサラダ。人の目玉がごろごろ入ったスープ。人の大腸、小腸、膵臓、胃、肝臓の詰め合わせ。人、人、ヒト!
 人の臓器は重要じゃない。大事なのはその人がどうやって死んだか、だ。
 茶髪で金色の目をした男の子は、病気で死んだ。死ぬまで苦しんだらしい。何を考えて過ごしたんだろう。
 髪が長くて子どもにしては背が高い男の子は、音楽の才能に嫉妬されて家を燃やされた挙げ句に焼け死んだ。かわいそう。
 金髪の女性は愛していた男性に捨てられて辛くなり、薬をたらふく飲んで死んだ。僕は愛を知らないうちに死んだけど、もし知ってたらこういう事もあったのかな。
 白髪の女の子はずっとひとりぼっちで寂しくて、寂しいと泣きながら死んだ。そもそも寂しいってどういう感情なんだろう。
 深緑の大きな瞳をした痩せた子どもは胸もあれば男性器もあって、それを面白がった人々に身体を売られてろくに食事もできずに死んだ。なんで人は意味不明なことをするのだろう。
 水色の髪をした男の子は、勉強漬けの日々が嫌になって逃げ出した。それから雪山で遭難して死んだ。凍えて感覚が麻痺してくるまで、どれくらい時間がかかるのかな。
 桃色の髪をした女の子は、外で遊んでいる最中に崖から落ちて、底なしの海から出られなくなり死んだ。誰も助けに来なかったのだろうか。
 紫目が一つしかない少年は、まわりから単眼であることを忌み嫌われたことに耐えられず首を吊って死んだ。人って本当にくだらないなあ。
 次第に僕の食べ方は汚くなって、素手で食事をしていたが、誰も文句を言わなかった。
 僕の中にあった常識のヴェールが剥がれ落ちていって、そこで人らしさを失った。

 ある日、僕はお腹いっぱいになって食べること以外の別のことをしたくなり、最も仲のいい老人に強請って下界に降りた。
 ふらふらと道を歩いていると、一人の少年が目に入ったので話しかけた。銀髪で青い目の少年。とても目を惹かれた。少年の死が近いからだろうか。
 結局適当な言葉を並べて、少年の頭を食べてしまった。あとで老人にひどく叱られたことを覚えている。
 あの少年も食べ物になって僕の前に出されるのかな、と思っていた。何日か過ぎてから少年は僕の前に現れた。神様たちの気まぐれで、僕の食材になることを免れたらしい。
「仲良くするんだよ」
 老人はそう言った。僕はメルド以外にも遊び相手ができたことが嬉しくて、元気よく返事をした。
 けれど仲良くするということが何を指すのか、よく分からなくなっていた。
 メルドと二人で居た時を思い出そうとしたが、それすらできなかった。
 だから僕なりに少年と仲良くすることにした。少年の名前はレイセン。

 月日が経つに連れ、僕も、少年だったレイセンも大きくなった。僕に関しては見た目が若干大きくなっただけで、中身は相変わらずだが。レイセンは僕よりも背が伸びて見た目も綺麗になっていた。
 成長の仕方が全く違えど僕たちは仲が良かったし、レイセンはいつも僕のそばにいたから、なんだかんだ毎日遊んでいた。
 そして僕は唐突に面白いことを思いついたので、外界に降りて全員殺した。
 人が死んでいく姿は素敵だし、それを観るのも面白いことだと思った。こうすれば皆が笑ってくれる。レイセンにも見せてやりたい。
 ある人は全身が爛れて、ある人は血を噴水みたいに吹き出して、ある人は破裂して、ある人は叫びながら崖の下に落ちた。僕はその様を眺め、あまりにも可笑しくなり腹を抱えて笑った。
 世界の人々の半分ほどが死んだところでメルドが二回ほど僕を止めに来たけど、理由は分からない。僕は楽しくなってメルドとも遊んだ。気づいたらどこかへ隠れてしまったみたいで、寂しくなった。
 誰もが死んでしまい、つまらないなあと口を尖らせていると神様が迎えに来た。僕はまだ遊び足りないと言ったけれど聞く耳を持たず、無理やりオプス=デイに連れ戻された。
 どうして? 僕は皆を楽しませたかっただけなのに。
 神様は僕なんか要らないと言った。僕なんか作らなければよかった、とも言った。酷いなあ、僕をこうしたのは神様なのに。
 そして僕は廃れてしまった世界で、僕に殺された怨念どもに抹殺され、消滅する運命を言い渡された。
 僕は十字架に縛り付けられたまま、外界へ落ちた。僕も黙って消されるつもりはない。メルドから盗み取ったエンゲイジリングを持って行き、僕が吸収した死の大元を喚び出す。彼らに指輪を着けさせて使役すれば、いずれオプス=デイに戻れるだろう。もし途中で彼らが死んだとしても、その力を自分のものにすればいい。
 この事は拘束され罰がくだされるまでの期間、レイセンに会った際にも伝えた。彼も僕のあとに続いて外界に降りてくるだろう。その時、僕がどうなっているかはわからない。
 何せ、オプス=デイと外界を行き来するには、本来ならば定められた路を通らなければならない。さもなくばたとえ神様であろうと壊れる。オプス=デイと外界の間に生じる壁は、例外なく互いに干渉を許さない。
 あるべき手順を踏まずして外界に降ろされた僕の体は、幾つもの部品がばらけたように亀裂が入り、バラバラになった。

 ***

 思い出した、全て──。
 星屑の螺旋が筒のようになって壁を構築している。その中に僕たちはいて、下から上へとエレヴェータのように動いている。これがオプス=デイへと続く──名も無き路。
 そして、僕の目の前には、今もなお僕を葬りたいと怪物になった旧友、メルドが立ち塞がっていた。
『俺は……オマエガ……憎い、憎いぞ……許さない、許せない、許すはずがない!!!!』
 オプス=デイへと近づくにつれて記憶を取り戻していった僕は、彼の姿に唾を飲み込んだ。
「メルド……」
 メルドは既に人と呼べる姿をしていない。
 それは蜘蛛のようでもあり、また蟻のようにも見える。下半身には脚の代わりとして、黒くて丸い袋がついている。腹からは昆虫類の脚が四本生え、肩から先まで虫の脚ように長く変形していた。そのアンバランスな部位が見事に繋がり、絶妙な釣り合いを保ちながら佇んでいる。
『あの時お前を止めらレテいれば、俺の大事な子どもたちは、お前に殺されずに、済んだ!!』
「…………」
 黒い涙を流すメルドは、僕を叱責しているようには見えず、自分自身を批難しているようだった。
 ──僕はこのまま生き続けて良いのだろうか。否、滅ぶべきではないのだろうか。
 ふと、そんな疑問が頭をよぎる。
『俺だけジャ、ナい。俺の子どもタチも、ゲカイノ人たちもみんな、みんな……。だのに、オマエだけがのうのうと存在する。こんな理不尽を、誰が許す?! ダカラ、オレガ、オワラセル……』
「ご主人様、記憶が戻られたようですね。時間がありません、エンゲイジリングに留まっている死を──」
 刹那、僕とメルドの間で抑制をしていたレイセン君が、視界から消えた。正確には、メルドの一撃を受け天高くまで吹き飛んだ、の方が正しい。
 そして僕は思い出す。
 ──あの森林で、彼に出会わなければ、今頃僕はここにいない。あの時、魔獣に襲われて、血塗れで倒れた僕の代わりに、反撃の一手を加えた者がいなければ、そこで僕は潰えていた。僕は、いつも隣にいた青年の名を、叫んだ──。
『エンゲイジリング……?? それは、俺が、子どもたちに渡そうとしたモノだ!! 返せ、カエセよおオオオオオオ!!!!』
 メルドが咆哮するように叫んだ。こちらへ向かってくるが、焦る必要はない。僕には皆がついている。
 青年の名を呼ぶと、心の声でできる限り大きく、響くように、あの世界で死を迎えた彼らに届くように、みんなを呼んだ。
「ごめん、メルド。僕は悪い事をした。それも取り返しがつかないような……。今ここにいることが奇跡なんだってこともわかるよ……」
 グレイの死は赤。
 カノンの死は朱。
 ベンティスカの死は黄。
 エレナの死は若草。
 セナの死は深緑。
 ノアの死はスカイブルー。
 フィリアの死は青。
 アイネの死は紫。
 それぞれの光が虹色の輪っかになって、僕の周りを囲んだ。みんなが僕を見守ってくれているような気がした。力のほとおり具合が、これまでとは段違いだ。
 そう、僕は死そのもの。死を集めてできたのが僕だ。人々に平等な終わり方を与える概念だ。
「でも、この旅で、死を間近に見てわかったんだ。僕の罪はここにあればいいし、僕は君に許されなくていい。それでも、僕の罪を覆してでも護りたい人がいる──それだけだ!!」
 僕は死を蓄えることで力を得る。それなら、僕自身がメルドを死へ導いて、彼の苦しみをここで断ち切るんだ。
 死を与えることが罪になるというのならば、僕はその罪をさらなる死で塗り潰そう。
 僕にできることなど、これひとつしかないのだから。
 メルドの手足は壊死し始める。急速な痛みの訪れに、支えをなくして体の中心部である胴体が地面に叩き落された。身体が思うように動かないもどかしさから、虫のように喘ぐ怪物に、僕は早く終わりを示したいと強く感じた。そこで目に留まったのが、レイセン君の鉈剣だ。僕は「少し借りるよ」と呟いて、剣を動かし、メルドの心臓を貫いた。
『う……!! ああ……』
 命という糸が途切れる瞬間が迫っている怪物は、呻きながら腕や脚の根本を必死にばたつかせている。
 僕は、彼の──メルドの最期の言葉を聞かなければならないという使命感に駆られた。メルドは今に至るまで、憎み、呪い、憤慨し、僕を探していたのだ。何にせよこれが彼にとっての最期であるならば、僕にはそれを見届ける義務があるだろう。
『アア……こども、たち……。ぼく、の、あいした……』
 糸が切れた音が聞こえたような気がする。
 少年の醜くなってしまった身体は黒に染まり、シャボン玉のような泡になって空へと浮かび、弾けて霧散した。
 あたりは静まり返り、名のつけようもない路は、たいした抑揚もなくオプス=デイへと上っていった。
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