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第二章 セレスティアの伝承
第四十話 『めくれぬ図鑑と、囁きの間で』
しおりを挟むふと、目を開けると、そこは見慣れた天蓋のある寝台で。視界の端で紅茶の湯気が揺れる。
「エリオット……?」
「あっ、ルイス様……! ご気分はいかがでしょうか?」
エリオットが慌てて駆け寄ってきて、心配そうに、俺の顔を覗き込む。俺はゆっくりと身体を起こし、微笑み返した。
「だいぶ良くなったかも? 紅茶、もらってもいい?」
「ぜひ! 少し熱いですので、お気をつけてお飲みください」
「……ありがとう」
震えそうな指でカップを受け取る。口元に運ぶと、ふわりと香りが広がり、胸に優しく沁み込んだ。ひとくち含むたびに、身体の強張りが、ゆっくりとほどけていく。
「……少し顔色が戻りましたね。よかったです……」
エリオットの安堵の声が聞こえた頃には、頭の重さも薄れていて。それでも、まだ身体には少しぼんやりとした熱が巡った。
「エリオット……俺、もう大丈夫だよ」
そう伝えると、エリオットは小さく微笑み、頭を下げた。
「ご気分が落ち着いて何よりです。……殿下に報告した後、しばらく扉の前で待機していますね」
「うん。ありがとう」
扉が閉まり、部屋に静けさが戻る。枕元に置かれた本に、ふと目を留めた。
(……せっかく借りたのに。今日、殿下と会えるかな……)
表紙にそっと触れる。硬い革の手触りに意識を預けていたそのとき、ノックの音が響いた。
「ルイス、入っていいか?」
その声だけで、心臓が跳ねる。
「……リアム殿下?」
扉が開き、殿下が入ってきた瞬間、全身にじんわりと熱が広がった。前髪がわずかに乱れ、そこには焦りと安堵の入り混じった顔があった。
「エリオットから聞いた。大丈夫か?」
「うん……もう、だいぶ良くなってる」
立ち上がろうとした俺の肩に、そっと手が添えられた。
「横になっていていい……まだ、顔が少し赤い」
「そ、そうですか……?」
殿下の指先が頬に触れ、それだけで、またぶり返すように、頬が熱を帯びる。
「……香りのせいかな。やっぱり、まだ……熱いかも」
殿下の眉がわずかに寄る。でもその目は、どこか安らいでいて。愛おしそうに、俺を見ていた。
「……怖い思いをさせてしまったな。すまない」
「い、いえっ……俺の方こそ、ディナーの時、話を聞いていたのにも関わらず……」
「……君が無事で、本当に良かった」
その言葉が、あたたかく胸に落ちる。殿下はベッドの縁に腰を下ろし、枕元の本に目を留めて、ふっと微笑んだ。
「今から約束の読書の時間としようか」
「はいっ……!」
ゆっくりと殿下が俺のそばへ寄り、隣に座ると、懐から眼鏡を取り出してかけた。それだけで、ぐっと雰囲気が変わる。知的な色気に満ちた横顔に、心臓がどきりと跳ねた。
「めがね……?」
「夜、読書するときはな。本も持ってきた」
「殿下は何を読むのですか?」
「王政会議録」
「それ、読書じゃなくて執務です~~っ!」
思わず返しを入れると、殿下は楽しげに微笑んだ。俺は花の図鑑をそっと脇に置き、借りてきたもう一冊の本を手に取って開いた。
「他にも借りてきたのか」
「ええ。殿下が執務をするなら、俺は今から、『リアム・アッシュフォード伝記』を読みます」
「私の前で、私の伝記を読むのか?」
「そうです!!」
頬を膨らませながらページをめくる。紙の擦れる音が、静けさの中で心地よく響いた。伝記のページの途中に挟まれた一文が目に入り、思わず、読む手がぴたりと止まった。
「……なっ!『100人もの花生みとの縁談を行い、交わりだけを重ね、花生みから花を摘んで食した』?! さ、さいてーーっっ!!」
「っ?! 何を言っている! そんなことするわけないだろう!」
「書いてあります!! ほらっ!!」
「誰がそんなデタラメを書いたんだ! 燃やしてしまえ!!」
伝記のページを突きつけると、殿下はそのまま、奪い取り床へ叩きつけた。
「だ、だめですよっ! 大公文書室で借りた本なんですから!」
「知らん!! あとで処分する!」
「もぉ~~っっ!」
背後からぎゅっと優しく腕が回され、殿下の胸板に背中が包まれる。鼓動が背中越しに伝わった。
「……ん、ルイス」
「……な、なんですか」
殿下の手が図鑑を取り、重みのある本が俺の膝の上で広げられた。背後から寄せられるぬくもりに頬が赤く染まる。
「……一緒に読もう」
「……もぉっ……!」
殿下は穏やかに笑って図鑑のページをそっとめくった。草花の挿絵が彩られた紙面に、殿下の指がすっと触れる。
「この花は、中庭にも咲いているな」
「そうですね。あ、こっちはこの前植えました!」
「綺麗な花だな。君が摘んで持っていたら、きっと似合う」
「っ……そ、そんなこと……」
言葉を濁した瞬間、ページを押さえていた指の上に、殿下の指が重なった。手と手が触れ合い、殿下の指先が俺の指を絡めとるようになぞった。
「……っ、ページがっ、めくれませんっ……」
「……本当に、熱は引いたのか?」
甘い囁きが耳元を撫でる。吐息が首筋にあたり、思わず身を縮めた。殿下の指が手の甲から腕へとゆっくりと這う。膝の上に開かれた図鑑の文字なんて、もう目に入らなかった。
「……ルイス」
優しく名前を呼ばれ、心臓が跳ねる。肩を引き寄せられ、そのままふたりで向かい合うようにベッドへ横たわった。
包み込まれる腕はあたたかくて。でも、その奥に潜む熱に、肌がぞくりとする。
「やっぱり……顔が赤い。これは香りのせいなのか?」
「っ……わからないです……でも、殿下に触れられると……」
頬に触れた指先が、髪をかき上げて、耳元を唇がなぞる。びくりと身体が甘く震えた。
「……触られると、なに?」
「……っ、変な気持ちになっちゃう……」
「ふふ、そうか。だからかな、君の肌が、火照っている。……ここも、ここも」
そのまま襟元に唇が落とされる。ちゅっ、ちゅっ、と音を立てて、小さく啄ばまれるたびに、顔が熱くなる。
「っ……や、あっ、あの……読書……っ……」
「そうだな。君がページをめくるたびに、私はルイスに触れよう」
「えっ、や、やだっ……」
恥ずかしくて顔を背けると、顎に手を添えられて、やさしく向き直された。
「……めくらないのか? 図鑑を」
囁きが耳に触れ、内側がきゅうっと波打つ。息も、声も、上手く出なくて、本を握る手に力が入る。
唇が近づき、指が胸元、腰、太腿を、なぞるように触れては、すっと引いていく。焦らされるような指先に、腰の奥が甘く疼いた。
「……いじわるっ……」
ぽつりと漏らすと、殿下は低く笑った。
「あはは、でもーー今夜は我慢するよ。君の身体が回復したら、続きをしよう」
図鑑をめくりながら、空いた腕で俺をしっかりと抱き寄せる。その手のひらがあまりにもあたたかくて、安心してしまう。
「つ、続きって……?」
「ん~~?」
ぱらり、と図鑑のページがめくられても、殿下の腕は、最後まで俺を離さなかった。
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