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第十六話
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日は中天から少し傾き始めていた。
ベルガー子爵ベルンハルトの腹心であり彼の護衛騎士を務めるヴォルフ・フェルゼンは、額の汗を拭うこともせず、一度の休憩も挟まずにただひたすら馬を走らせていた。
──時は数刻前に戻る。
応援要請を受け、渋々ながらも最短で蹴りをつけ帰還することを胸に決めて出立したベルガー傭兵団の面々であったが、目的地の領まであと少しというところで違和感に気付いたヴォルフがベルンハルトに合図を出して全員を停止させた。
視線鋭く辺りを見回してヴォルフが問う。
「ベルンハルト、どう思う」
「……野盗の被害に悩まされている領のごく近く、には到底見えんな」
ベルンハルトも同じく辺りの様子を見てフンと鼻を鳴らした。
目的の領に入ってこそいないものの、もう目と鼻の先であるというのに付近に荒らされた様子はなく、遠くに見える畑にはのんびりと草を食む山羊の姿まで見える。
本当に隣接する領が甚大な野盗被害を受けベルガー傭兵団に応援依頼を出すような状態であれば、領内はおろか近隣の領も襲撃を恐れて全力で警戒にあたり、盗まれる危険のある家畜は外になど出せないし、そもそも空気だってもう少し張り詰めているはずだ。武装の気配がこれっぽっちもないのもおかしい。
しかし正式な応援要請が来ている以上、これを無視することも出来ない。
さてどうするかとベルンハルトは思案顔になったが、折良く少し離れた畑に領民の姿を見つけ、傭兵団の中ではダントツで人当たりの良い顔をしているヴォルフが聞き込みに向かうことになった。
しばらくして戻って来たヴォルフは、神妙な顔で領民から得た情報を報告する。
「……野盗被害とか聞いたことないってよ。ここ最近じゃあ隣町で鶏泥棒が出たくらいで平和そのものだと」
「タイミングが悪過ぎると思ってはいたが、こうなると一気にきな臭くなってきたな」
応援要請には領内のあちこちで野賊が出没し、甚大な被害が出ていると書いてあったのだ。
それとはまったく正反対の報告内容にベルンハルトはふむと更に少し考え、おもむろに馬を降りて補給物資を運ぶための荷車に近寄った。
傭兵の遠征には、食糧から始まり補充用の武器や休息時の寝具に至るまで、何かと物資が必要不可欠である。
普通の傭兵であれば個人で迅速に動くために荷物は最小限にして必要物資は現地調達というのが主流なのだが、ベルガー傭兵団では遠征途中で全員分の物資を調達出来るかは不確定なうえ、毎度依頼主にこちらの分まで物資を割いてくれる余裕があるとも限らないので兵站と呼ぶには規模がやや小さいが、最低限はこうして毎回持ち運んでいるのだ。
「ベルンハルト? 何やってんだよ?」
「見た通りだ」
その物資を乗せた荷車の前でベルンハルトは兜を脱ぎ、鎧を外し、籠手と脛当て以外の装備を全て取り去るとそれらを脱いだマントに包んでポイっと荷車に投げ込んだ。
「ヴォルフ。お前は皆を連れて領へ戻れ」
「は?」
「これは俺の勘だが、この要請は俺たちを誘き出すためのものだろう」
ベルンハルトのこういう勘はよく当たる。
主人の言葉に察しの良いヴォルフもピンと何かに気が付いて、一気に表情が険しくなった。
傭兵団への応援要請を送ってベルンハルトを誘き出す。ベルンハルトが出るとなると自動的にヴォルフも同行することになる。
ベルガー傭兵団の主力とも言える二人が武装して出ていった先が、何も起こっていない平和な領であったとしたら。
「相手方は何とでも言えるからなぁ。何も起こっていない場所に武装した俺たちが突然雪崩れ込んできたって言う事もできるよな?」
「あぁ。それを侵略行為だとか言って王に俺たちへの処罰でも求める算段かもしれないな。見る限りここから先に野盗共が潜んでいる様子もないし、主力不在の領に何か仕掛けてくるつもりかもしれん。お前たちは今すぐ戻ってうちの領内に異変がないか確認しろ」
「お前は?」
「俺は頭領としての仕事があるんでな。このまま一人で伯爵邸に向かう」
一人で行くというベルンハルトにヴォルフはさすがに難色を示した。
いくらベルンハルトが怪物のように強くても、護衛もなしに行かせるわけにいかないというのが彼の騎士であるヴォルフの意見である。
だが、ベルンハルトはこれを跳ねつけて再びヴォルフに戻れと命令した。
「ヴォルフ。貴様は戻れ」
「なんでだよ。俺も行くって。行ってすぐ戻れば良いだろ」
「いいか、ヴォルフ。俺は紳士的なお話し合いというやつをしてくるだけだ。手勢はいらん。それよりもマリアが……領地が心配だ。ミアに任せてはいるが、俺たちの不在にうちに襲撃をかけるようなバカもいない訳ではないからな」
「それはほんとにそうなんだけど、お前、今ちょっと本音出てたな」
泣く泣く領地に残して来た婚約者が心配だと暗に告げたベルンハルトに、ついにヴォルフが折れた。
確かに気掛かりではあったし、そもそもベルンハルトを誘き出して危害を加えたいのならそれこそとんでもない軍備が必要になる。
やれやれと肩を竦めたヴォルフは手綱を操って馬首を返し、いつもの調子で言った。
「いいか、ベルンハルト。いくら頭に来るようなことがあっても、伯爵の命までは取ってやるなよ」
「努力しよう。俺が戻るまでマリアと侍女殿を俺の代わりに守ってくれ」
「おうよ。お前も早く済ませて合流しろよな」
「ああ。貴様こそ抜かるなよ」
互いに頷き、ベルンハルトは身軽になった身体で再び馬に跨ると颯爽と伯爵邸へと出発した。
それを見送り、その場に残されたヴォルフと傭兵たちはすぐさま帰還準備へと転じる。
無駄な仕事などしてたまるか。
自分たちだって早く帰って結婚式のお祝いの準備をしたいのだ。
今回は騎馬と徒の混合編成であったので、ヴォルフは騎馬の者をいざという時の伝令にと何名かを指名して徒の者達と共に後から来るように言い付け、自身は残りの騎馬兵を率いて領地への帰還の途についた。
馬上で手綱を握り、着いてこられない者はその場で置いていくと宣言したヴォルフは、そこから一度も休まずただひたすらに馬を走らせたのだった。
──そして話は冒頭へと戻る。
昼過ぎの明るい陽光を浴び、額に汗を滲ませながら、ヴォルフは苦虫を噛んだような顔でベルガー領への道を全速力で進んでいた。
飛ぶように景色が移り変わるが気に留める余裕すらない。
(俺たちが出発してからもう三日だ。領主不在を狙って襲撃するなら……)
奇襲ならば夜が定石だがここまで来たら襲撃に昼も夜も関係ないだろう。
もしもベルガー領への侵攻が目的であるならば、それは既に始まっているはずだ。
領民たちはいつも通り楽しんで防衛にあたるだろうが、領地へ来たばかりのご令嬢とその侍女はそうもいかない。
いくら腕の立つ護衛がついたとて、二人に不安な思いをさせてしまうことは想像に難くなかった。
(頼むから何も起こらないでいてくれよ……!)
ヴォルフは心からそう祈った。
しかし往々にしてこの手の祈りは天に届かないのが定石である。
走り通して行きの半分の時間で領へと帰還したヴォルフは、すぐに領内に響く鐘の音に襲撃の気配を感じて舌打ちをした。
「何があった!」
近くで戦闘していたと思われる部隊の一人を捕まえて問いただせば、昼頃に突如襲撃を報せる鐘が鳴ったのだと答えた。
「どうやら市街に商人に扮装した賊が潜んでいたようで、頃合いを見計らい領民を襲ったと。領民たちはいつも通り応戦しています」
「それが、そいつらか」
「はい。領の外からも後から後から大量に湧いて出てくるんです」
「虫かよ」
取りこぼしが幾らかあったと悔しそうに報告しながらも、彼は伸した賊を的確にふん縛る手を止めなかった。
気絶している賊たちを見てヴォルフの眉がぴくりと動く。
(妙だな)
その辺に転がっている賊は集団で来たにしてはどうにもちぐはぐな印象がある。
賊や野盗と一括りにして呼んではいるが、小数でもグループとなれば知らず知らずのうちに少なからず纏う雰囲気が似てくるものだ。
しかしここに転がっている者たちにはそれがない。まるで寄せ集めだ。
ヴォルフは一緒に帰還した騎馬隊に各々領民の支援に入るように指示を出し、自身はその場でひらりと馬から降りた。
「おい」
そして転がっている賊の一人を胸ぐらを掴んで低い声で言った。
「起きろ」
低い声と鋭い視線。締め上げられる胸ぐら。
気絶していた賊は息苦しさからぐぅと小さな唸り声を上げた。
そのまま揺すられて強制的に意識を覚醒させられた男は、目の前のヴォルフに気がつくとハッと目を見張って身体を強張らせた。
「目が覚めたか? それで、オタクらどこの誰だよ?」
「誰が、言うかよ……!」
「へぇ?」
抵抗を示して睨み返して来た賊に、ヴォルフは楽しそうに目を細めると、腰に提げていた短剣を抜いて男の鼻の下にひたりと当てた。
「なぁ、兄弟。王都では鼻の高い男がモテるんだってな? 鼻が低くなるのは嫌だよなァ?」
放たれたのは明るい声音のとんでもない暴力的な脅迫の言葉だった。
このまま鼻を削ぎ落とされたいかとヴォルフの目が言っている。
顔は笑みの形であるというのに、その目がまったく笑っていない。こいつは絶対に迷いなくやる。そう思わせる目だった。
ベルンハルトの獰猛さは王国に広く知られるところであるが、実はこのヴォルフも知る人ぞ知る傭兵である。
大将であるにもかかわらず先陣を切って敵を薙ぎ払うベルンハルトはその剛腕から暴れ熊の異名を持つが、紳士的でない方のお話し合いを得意とするヴォルフは容赦のない拷問を顔色ひとつ変えずに行うことから『血染めの狼』の異名を持っている。
ちなみに本人曰くネーミングが厨二過ぎて呼ばれたくない名であるらしいので、傭兵団の皆は気を遣ってヴォルフを揶揄う時以外はその二つ名を呼ばないようにしている。今だって、賊を捕縛していた仲間の一人が笑いを堪えて必死に口許を押さえているのだ。
しかしこの賊はそんなヴォルフの事情など知りはしないので、うっかり口を滑らせてしまった。
「お前、まさか『血染めの……」
「俺その名で呼ばれるのものすごい嫌なんだわー」
語尾に被せる勢いで言うヴォルフは、つい手に力が入ったのか短剣を押し付ける力がやや強くなったようだった。
皮膚に押し付けられた刃先がピリと皮膚を裂く感覚に、鼻持ってかれる!と純粋な恐怖を覚えた賊が、喉からヒュッと声にならない悲鳴を上げて唇を震わせた。
「お、おお、俺たちは、ここいらの野盗の集まりで……『野盗連合』だ……!」
「野盗連合」
男が絞り出すように放った言葉をヴォルフが繰り返す。
この辺の野盗の寄せ集めであれば先ほどの違和感にも説明がつく。
同時にヴォルフは心の底からネーミングがクソダセェなと思ったが、大人だったのでその言葉を飲み込んで続きを促した。
「目的は」
「お頭が、ベルンハルトの婚約者だかって女を攫ってやつに一泡吹かせてやるって言って……」
「攫ってどうする」
「身代金をふんだくった上で、ベルンハルトに目にもの見せるんだってよ」
「そうか」
わかった。もういい。
言いながらヴォルフは賊の頭を思い切り地面に叩き付けた。ゴキ、と嫌な音がしたので鼻が折れたかもしれない。
結果的に鼻が低くなっちまったかもなと思いつつ、ヴォルフは昏倒した賊をポイっと道の脇に転がし、その場で未だに笑いを堪えていた他の仲間に後始末を押し付けて立ち上がった。
「あぁああ、クソが! 野盗連合だと?!」
ここいらの、とあの男は言った。
ベルンハルトたちベルガー傭兵団はゴリゴリの戦闘集団だが、有事以外は領地で大人しくしていることもあり、たまに勘違いした馬鹿が辺境ど田舎の子爵という爵位を侮り『たかが田舎貴族に特権など烏滸がましい』と略奪行為を試みるのである。
それら全てを返り討ちにしているうちに、この辺の野盗全てを殴っていたらしい。
「普通に逆恨みじゃねぇかよ! ダセェな!」
とうとう堪えきれず、まったくクソダセェ集団名つけやがってと叫び、ヴォルフは馬に飛び乗って屋敷の方へと駆け出した。
ベルンハルトを領外へ誘き出し、領地に残った婚約者を攫う。
正面からベルンハルトをどうにかするのは難しくとも人質があれば話は変わる。
いかにもな計画ではあるが悔しいことに効果的だ。
だってベルンハルトは会って数日で婚約者のマリアをずぶずぶに溺愛している。
マリアを助けるために死ねと言われたら躊躇なく従うだろう。
そこまで考えてヴォルフは馬上で舌打ちをした。
野盗連合のうち、何割かが商人に扮して市街地から襲撃を開始し、同時に領外に潜んでいた仲間が外から襲撃する。
ベルガー領民は挟撃を易々受け入れるほど弱くはないが、連合を名乗る相手なら数はそれなりにいるはずだ。
既に防衛ラインを潜り抜けて侵入しているものさえいる。片付けは少々梃子摺りそうだ。
(……無事でいてくれ……!)
領内の者であれば、命さえあればなんとでもなる。ベルガー領民の回復力は野生動物並みだ。
だが、マリアとその侍女・ローザについては傷ひとつたりとも許されはしない。
子爵領史初の王都から来た花嫁とその侍女。
しかも、マリアはあの国内の令嬢を号泣・失神させることにおいて他の追随を許さないベルンハルトのことを好いてこの地に嫁ぐことを決めたという稀有な存在であり、侍女のローザはそんなマリアにどこまでもついていくと決めて王都での生活を捨てて共にベルガー領へ来てくれた女性だ。
この領にとって二人は既に大切な存在である。
強行軍続きで無理をさせることを馬に謝り、真っ直ぐに屋敷へと向かうヴォルフの脳裏には、先日窓から中庭を歩く主人たちの微笑ましい姿を共に眺めたマリアの侍女・ローザの横顔が思い出されていた。
ベルガー子爵ベルンハルトの腹心であり彼の護衛騎士を務めるヴォルフ・フェルゼンは、額の汗を拭うこともせず、一度の休憩も挟まずにただひたすら馬を走らせていた。
──時は数刻前に戻る。
応援要請を受け、渋々ながらも最短で蹴りをつけ帰還することを胸に決めて出立したベルガー傭兵団の面々であったが、目的地の領まであと少しというところで違和感に気付いたヴォルフがベルンハルトに合図を出して全員を停止させた。
視線鋭く辺りを見回してヴォルフが問う。
「ベルンハルト、どう思う」
「……野盗の被害に悩まされている領のごく近く、には到底見えんな」
ベルンハルトも同じく辺りの様子を見てフンと鼻を鳴らした。
目的の領に入ってこそいないものの、もう目と鼻の先であるというのに付近に荒らされた様子はなく、遠くに見える畑にはのんびりと草を食む山羊の姿まで見える。
本当に隣接する領が甚大な野盗被害を受けベルガー傭兵団に応援依頼を出すような状態であれば、領内はおろか近隣の領も襲撃を恐れて全力で警戒にあたり、盗まれる危険のある家畜は外になど出せないし、そもそも空気だってもう少し張り詰めているはずだ。武装の気配がこれっぽっちもないのもおかしい。
しかし正式な応援要請が来ている以上、これを無視することも出来ない。
さてどうするかとベルンハルトは思案顔になったが、折良く少し離れた畑に領民の姿を見つけ、傭兵団の中ではダントツで人当たりの良い顔をしているヴォルフが聞き込みに向かうことになった。
しばらくして戻って来たヴォルフは、神妙な顔で領民から得た情報を報告する。
「……野盗被害とか聞いたことないってよ。ここ最近じゃあ隣町で鶏泥棒が出たくらいで平和そのものだと」
「タイミングが悪過ぎると思ってはいたが、こうなると一気にきな臭くなってきたな」
応援要請には領内のあちこちで野賊が出没し、甚大な被害が出ていると書いてあったのだ。
それとはまったく正反対の報告内容にベルンハルトはふむと更に少し考え、おもむろに馬を降りて補給物資を運ぶための荷車に近寄った。
傭兵の遠征には、食糧から始まり補充用の武器や休息時の寝具に至るまで、何かと物資が必要不可欠である。
普通の傭兵であれば個人で迅速に動くために荷物は最小限にして必要物資は現地調達というのが主流なのだが、ベルガー傭兵団では遠征途中で全員分の物資を調達出来るかは不確定なうえ、毎度依頼主にこちらの分まで物資を割いてくれる余裕があるとも限らないので兵站と呼ぶには規模がやや小さいが、最低限はこうして毎回持ち運んでいるのだ。
「ベルンハルト? 何やってんだよ?」
「見た通りだ」
その物資を乗せた荷車の前でベルンハルトは兜を脱ぎ、鎧を外し、籠手と脛当て以外の装備を全て取り去るとそれらを脱いだマントに包んでポイっと荷車に投げ込んだ。
「ヴォルフ。お前は皆を連れて領へ戻れ」
「は?」
「これは俺の勘だが、この要請は俺たちを誘き出すためのものだろう」
ベルンハルトのこういう勘はよく当たる。
主人の言葉に察しの良いヴォルフもピンと何かに気が付いて、一気に表情が険しくなった。
傭兵団への応援要請を送ってベルンハルトを誘き出す。ベルンハルトが出るとなると自動的にヴォルフも同行することになる。
ベルガー傭兵団の主力とも言える二人が武装して出ていった先が、何も起こっていない平和な領であったとしたら。
「相手方は何とでも言えるからなぁ。何も起こっていない場所に武装した俺たちが突然雪崩れ込んできたって言う事もできるよな?」
「あぁ。それを侵略行為だとか言って王に俺たちへの処罰でも求める算段かもしれないな。見る限りここから先に野盗共が潜んでいる様子もないし、主力不在の領に何か仕掛けてくるつもりかもしれん。お前たちは今すぐ戻ってうちの領内に異変がないか確認しろ」
「お前は?」
「俺は頭領としての仕事があるんでな。このまま一人で伯爵邸に向かう」
一人で行くというベルンハルトにヴォルフはさすがに難色を示した。
いくらベルンハルトが怪物のように強くても、護衛もなしに行かせるわけにいかないというのが彼の騎士であるヴォルフの意見である。
だが、ベルンハルトはこれを跳ねつけて再びヴォルフに戻れと命令した。
「ヴォルフ。貴様は戻れ」
「なんでだよ。俺も行くって。行ってすぐ戻れば良いだろ」
「いいか、ヴォルフ。俺は紳士的なお話し合いというやつをしてくるだけだ。手勢はいらん。それよりもマリアが……領地が心配だ。ミアに任せてはいるが、俺たちの不在にうちに襲撃をかけるようなバカもいない訳ではないからな」
「それはほんとにそうなんだけど、お前、今ちょっと本音出てたな」
泣く泣く領地に残して来た婚約者が心配だと暗に告げたベルンハルトに、ついにヴォルフが折れた。
確かに気掛かりではあったし、そもそもベルンハルトを誘き出して危害を加えたいのならそれこそとんでもない軍備が必要になる。
やれやれと肩を竦めたヴォルフは手綱を操って馬首を返し、いつもの調子で言った。
「いいか、ベルンハルト。いくら頭に来るようなことがあっても、伯爵の命までは取ってやるなよ」
「努力しよう。俺が戻るまでマリアと侍女殿を俺の代わりに守ってくれ」
「おうよ。お前も早く済ませて合流しろよな」
「ああ。貴様こそ抜かるなよ」
互いに頷き、ベルンハルトは身軽になった身体で再び馬に跨ると颯爽と伯爵邸へと出発した。
それを見送り、その場に残されたヴォルフと傭兵たちはすぐさま帰還準備へと転じる。
無駄な仕事などしてたまるか。
自分たちだって早く帰って結婚式のお祝いの準備をしたいのだ。
今回は騎馬と徒の混合編成であったので、ヴォルフは騎馬の者をいざという時の伝令にと何名かを指名して徒の者達と共に後から来るように言い付け、自身は残りの騎馬兵を率いて領地への帰還の途についた。
馬上で手綱を握り、着いてこられない者はその場で置いていくと宣言したヴォルフは、そこから一度も休まずただひたすらに馬を走らせたのだった。
──そして話は冒頭へと戻る。
昼過ぎの明るい陽光を浴び、額に汗を滲ませながら、ヴォルフは苦虫を噛んだような顔でベルガー領への道を全速力で進んでいた。
飛ぶように景色が移り変わるが気に留める余裕すらない。
(俺たちが出発してからもう三日だ。領主不在を狙って襲撃するなら……)
奇襲ならば夜が定石だがここまで来たら襲撃に昼も夜も関係ないだろう。
もしもベルガー領への侵攻が目的であるならば、それは既に始まっているはずだ。
領民たちはいつも通り楽しんで防衛にあたるだろうが、領地へ来たばかりのご令嬢とその侍女はそうもいかない。
いくら腕の立つ護衛がついたとて、二人に不安な思いをさせてしまうことは想像に難くなかった。
(頼むから何も起こらないでいてくれよ……!)
ヴォルフは心からそう祈った。
しかし往々にしてこの手の祈りは天に届かないのが定石である。
走り通して行きの半分の時間で領へと帰還したヴォルフは、すぐに領内に響く鐘の音に襲撃の気配を感じて舌打ちをした。
「何があった!」
近くで戦闘していたと思われる部隊の一人を捕まえて問いただせば、昼頃に突如襲撃を報せる鐘が鳴ったのだと答えた。
「どうやら市街に商人に扮装した賊が潜んでいたようで、頃合いを見計らい領民を襲ったと。領民たちはいつも通り応戦しています」
「それが、そいつらか」
「はい。領の外からも後から後から大量に湧いて出てくるんです」
「虫かよ」
取りこぼしが幾らかあったと悔しそうに報告しながらも、彼は伸した賊を的確にふん縛る手を止めなかった。
気絶している賊たちを見てヴォルフの眉がぴくりと動く。
(妙だな)
その辺に転がっている賊は集団で来たにしてはどうにもちぐはぐな印象がある。
賊や野盗と一括りにして呼んではいるが、小数でもグループとなれば知らず知らずのうちに少なからず纏う雰囲気が似てくるものだ。
しかしここに転がっている者たちにはそれがない。まるで寄せ集めだ。
ヴォルフは一緒に帰還した騎馬隊に各々領民の支援に入るように指示を出し、自身はその場でひらりと馬から降りた。
「おい」
そして転がっている賊の一人を胸ぐらを掴んで低い声で言った。
「起きろ」
低い声と鋭い視線。締め上げられる胸ぐら。
気絶していた賊は息苦しさからぐぅと小さな唸り声を上げた。
そのまま揺すられて強制的に意識を覚醒させられた男は、目の前のヴォルフに気がつくとハッと目を見張って身体を強張らせた。
「目が覚めたか? それで、オタクらどこの誰だよ?」
「誰が、言うかよ……!」
「へぇ?」
抵抗を示して睨み返して来た賊に、ヴォルフは楽しそうに目を細めると、腰に提げていた短剣を抜いて男の鼻の下にひたりと当てた。
「なぁ、兄弟。王都では鼻の高い男がモテるんだってな? 鼻が低くなるのは嫌だよなァ?」
放たれたのは明るい声音のとんでもない暴力的な脅迫の言葉だった。
このまま鼻を削ぎ落とされたいかとヴォルフの目が言っている。
顔は笑みの形であるというのに、その目がまったく笑っていない。こいつは絶対に迷いなくやる。そう思わせる目だった。
ベルンハルトの獰猛さは王国に広く知られるところであるが、実はこのヴォルフも知る人ぞ知る傭兵である。
大将であるにもかかわらず先陣を切って敵を薙ぎ払うベルンハルトはその剛腕から暴れ熊の異名を持つが、紳士的でない方のお話し合いを得意とするヴォルフは容赦のない拷問を顔色ひとつ変えずに行うことから『血染めの狼』の異名を持っている。
ちなみに本人曰くネーミングが厨二過ぎて呼ばれたくない名であるらしいので、傭兵団の皆は気を遣ってヴォルフを揶揄う時以外はその二つ名を呼ばないようにしている。今だって、賊を捕縛していた仲間の一人が笑いを堪えて必死に口許を押さえているのだ。
しかしこの賊はそんなヴォルフの事情など知りはしないので、うっかり口を滑らせてしまった。
「お前、まさか『血染めの……」
「俺その名で呼ばれるのものすごい嫌なんだわー」
語尾に被せる勢いで言うヴォルフは、つい手に力が入ったのか短剣を押し付ける力がやや強くなったようだった。
皮膚に押し付けられた刃先がピリと皮膚を裂く感覚に、鼻持ってかれる!と純粋な恐怖を覚えた賊が、喉からヒュッと声にならない悲鳴を上げて唇を震わせた。
「お、おお、俺たちは、ここいらの野盗の集まりで……『野盗連合』だ……!」
「野盗連合」
男が絞り出すように放った言葉をヴォルフが繰り返す。
この辺の野盗の寄せ集めであれば先ほどの違和感にも説明がつく。
同時にヴォルフは心の底からネーミングがクソダセェなと思ったが、大人だったのでその言葉を飲み込んで続きを促した。
「目的は」
「お頭が、ベルンハルトの婚約者だかって女を攫ってやつに一泡吹かせてやるって言って……」
「攫ってどうする」
「身代金をふんだくった上で、ベルンハルトに目にもの見せるんだってよ」
「そうか」
わかった。もういい。
言いながらヴォルフは賊の頭を思い切り地面に叩き付けた。ゴキ、と嫌な音がしたので鼻が折れたかもしれない。
結果的に鼻が低くなっちまったかもなと思いつつ、ヴォルフは昏倒した賊をポイっと道の脇に転がし、その場で未だに笑いを堪えていた他の仲間に後始末を押し付けて立ち上がった。
「あぁああ、クソが! 野盗連合だと?!」
ここいらの、とあの男は言った。
ベルンハルトたちベルガー傭兵団はゴリゴリの戦闘集団だが、有事以外は領地で大人しくしていることもあり、たまに勘違いした馬鹿が辺境ど田舎の子爵という爵位を侮り『たかが田舎貴族に特権など烏滸がましい』と略奪行為を試みるのである。
それら全てを返り討ちにしているうちに、この辺の野盗全てを殴っていたらしい。
「普通に逆恨みじゃねぇかよ! ダセェな!」
とうとう堪えきれず、まったくクソダセェ集団名つけやがってと叫び、ヴォルフは馬に飛び乗って屋敷の方へと駆け出した。
ベルンハルトを領外へ誘き出し、領地に残った婚約者を攫う。
正面からベルンハルトをどうにかするのは難しくとも人質があれば話は変わる。
いかにもな計画ではあるが悔しいことに効果的だ。
だってベルンハルトは会って数日で婚約者のマリアをずぶずぶに溺愛している。
マリアを助けるために死ねと言われたら躊躇なく従うだろう。
そこまで考えてヴォルフは馬上で舌打ちをした。
野盗連合のうち、何割かが商人に扮して市街地から襲撃を開始し、同時に領外に潜んでいた仲間が外から襲撃する。
ベルガー領民は挟撃を易々受け入れるほど弱くはないが、連合を名乗る相手なら数はそれなりにいるはずだ。
既に防衛ラインを潜り抜けて侵入しているものさえいる。片付けは少々梃子摺りそうだ。
(……無事でいてくれ……!)
領内の者であれば、命さえあればなんとでもなる。ベルガー領民の回復力は野生動物並みだ。
だが、マリアとその侍女・ローザについては傷ひとつたりとも許されはしない。
子爵領史初の王都から来た花嫁とその侍女。
しかも、マリアはあの国内の令嬢を号泣・失神させることにおいて他の追随を許さないベルンハルトのことを好いてこの地に嫁ぐことを決めたという稀有な存在であり、侍女のローザはそんなマリアにどこまでもついていくと決めて王都での生活を捨てて共にベルガー領へ来てくれた女性だ。
この領にとって二人は既に大切な存在である。
強行軍続きで無理をさせることを馬に謝り、真っ直ぐに屋敷へと向かうヴォルフの脳裏には、先日窓から中庭を歩く主人たちの微笑ましい姿を共に眺めたマリアの侍女・ローザの横顔が思い出されていた。
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