ベルガー子爵領結婚騒動記

文月黒

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第十七話

「……何の音かしら?」

 昼食後、自身で刺繍を施した花嫁衣装をウキウキで試着していたマリアは、外から聞こえてくる聞き覚えのない音に気が付いて視線を窓に向けた。
 ベルガー領では日常的に領民が暇潰しに力比べをしたり、傭兵たちが訓練を行なっていたりするので、人の雄叫びだとかそういうものは何度か聞いているのだが、今聞こえているのはそれとはまったく違う音だ。
 金属を打ち鳴らすような音だが、このように大きな音を鳴らすのだから何か意味があるはずだろう。
 ローザが首を傾げながら立ち上がり窓の外を見てみても、屋敷の端にあるこの部屋からでは表の様子はよく見えなかった。
 ちなみにこの部屋はマリアが王都から持参した花嫁衣装やヴェール、アクセサリー、靴、専用の下着類に至るまでを全て保管しており、マリアの私室とは別に用意された支度部屋である。
 壁には他の部屋のように武器の類は飾られておらず、代わりに山羊が草を喰む様子が織り込まれた牧歌的なタペストリーが飾られている。マリアの為になんかちょっと良い感じの可愛いものをとベルンハルトが職人に依頼して作らせたものだ。オーダーがざっくり過ぎて職人は泣いたがしっかり仕上げてくる辺りが職人魂である。

 さて、屋敷の中でもこの部屋はほとんど別棟とも言ってもいい位置にあるため、周りの様子がわからず二人は何が起こったのかとお互いに顔を見合わせるばかりだった。

「お嬢様、様子を確かめてまいりますね」
「えぇ、お願い」

 姿見で念入りにドレスを確認しているマリアを部屋に残してローザが廊下に出てみれば、何やら本館の方が騒がしい。
 元々賑やかな気質のある領民たちではあるものの、子爵邸の使用人たちはよく教育されており、今日までこのような騒がしさはなかった。それがあるから余計に現状が気にかかる。

(何かトラブルかしら)

 聞こえる騒めきの種類が良くないもののような気がして、ローザは一刻も早く状況を確認せねばと淑女としてはしたなくない程度の早足で廊下を進んだ。
 ちょうど昼食が終わったばかりというタイミングである。
 食事のために食堂へ行っていた間に支度部屋の掃除も終わり、食後のお茶を支度部屋に持って来てもらった直後だったのでマリア付きの使用人は皆一時的に出払っていた。
 それでも本館の広間か、使用人たちが使う使用人ホールに行けば誰かしらいるはずだ。
 あまりマリアを一人にしておきたくはないことも気を焦らせ、勢いよく廊下の角を曲がったローザは反対側からやって来たらしい人物と思い切りぶつかって尻餅をついてしまった。

「きゃっ!」
「うわぁ!」
「わ、若様!」
「若様、ご無事ですか」

 幾つかの声が同時に上がり、ローザがぱちりと目を瞬かせるその視線の先には、自分と同じように尻餅をついている青年がいた。
 青年は驚きに目を丸くしていたが、ローザの姿を視認すると慌てて立ち上がって手を差し出した。

「大変失礼致しました、レディ。お怪我は」
「いえ、大丈夫ですわ。こちらこそ失礼致しました」

 ちょっとした仕草が宮廷風であるのを見て、目の前の青年がベルガー領の人間ではないと察する。おそらくは王都に長くいたのだろう。
 彼の後方には初老の男性と若い男性の二人の従者が控えていたが、彼らはそれぞれ何やら包みを持っており、咄嗟に主人を助け起こすことが出来なかったらしい。
 青年の手を借りて立ち上がり改めて己の不注意を詫びたローザは、青年の顔に見覚えがある気がして数秒記憶を辿る。
 そして王都での夜会でマリアと共に挨拶したことがあったと思い至った。

「あの、失礼ですが、ザイゼル伯爵家のトビアス様では……」
「はい。父の名代でお祝いの品をお届けに上がったのですが、急にこんなことになって……。あなたも避難するところなのでしょう?」
「避難? 何があったのですか」
「まさかご存知ないのですか?」
「若様、お早く」
「あぁ。わかっている」

 トビアスは二人の従者に急かされ、自身もちらと後ろを確認してから早口に言った。

「今、この領は賊の襲撃を受けています。僕は屋敷に到着したところで襲撃を知って避難してきました。あの、ベルガー子爵の執務室に行くように言われたのですが、こちらは方向が違いますか?」
「えぇ。こちらは別棟に向かう廊下になりますから、執務室は反対側の本館です。でも賊だなんて」

 お嬢様、と口の中で呟き、ローザは反射的に来た道を戻ろうと踵を返す。
 こんな時に自分が側にいなくてどうするのだ。
 きっと屋敷の誰かが護衛を寄越してくれるはずだが、あの部屋はとにかく屋敷の端にあるのだ。
 ローザはトビアス達を振り返り、彼らがやって来た廊下の先を示しながら言った。

「皆様方はこの廊下を戻って本館へ。誰かしら案内をしてくれるはずですわ」
「貴女は」
「私はお嬢様のもとへ戻ります」
「では我々も参ります。レディ一人で行かせる訳にはいきません」
「しかし」
「皆でラカン男爵令嬢を迎えに行って、皆で執務室へ移動した方が安全です」

 安全という言葉にローザは一瞬揺らぎ、そしてトビアスの言う通りだと頷いた。

「こちらです」
「急ぎましょう」

 そして一行はマリアがいる支度部屋へと駆け出したのだった。

(どなたも部屋にいらっしゃらなかったのは、賊の対応に追われていたからかしら)

 走りながらローザはこれがベルガー領で生活するという事なのだと痛感した。
 傭兵を生業とするこの子爵領は国内でも強いことで有名ではあるが、同時に敵も多いのだ。
 それなのにまだこの領に不慣れな自分達は身を守る術さえ知らない。

(私としたことが……! 緊急事のこともきちんと確認しておかなければならなかったのに!)

 きっと自分も愛するお嬢様の結婚に浮かれてしまっていたのだ。
 己の失態に強く唇を噛み、ドレスの裾をからげる勢いでローザは廊下を進んだ。

「お嬢様! ご無事ですか!」
「きゃっ! なぁに、ローザ。そんなに大きな声を出してどうしたの?」

 ノックもなしに支度部屋のドアを開け放ち、中の様子を確認する。
 部屋を出た時と同じように、マリアはにこにこしながら花嫁衣装のまま姿見の前に立っていて、今は髪飾りを吟味しているところだった。
 主人の変わりのない様子にホッとしたのも束の間、ローザは表情を強張らせてマリアに現状を報告した。
 その報告にマリアは顔を青褪めさせてうろうろと辺りに視線を向ける。

「そんな、賊が? それはたくさんいるの? 皆は無事かしら」
「きっと大丈夫です。お嬢様も早く避難しましょう。ミア様のいらっしゃる執務室まで行けば安全ですわ」
「え、えぇ、そうね。あ、でも私、試着の最中だったから……」

 花嫁衣装を着たままであることにマリアは躊躇した様子だったが、今は避難が先だとローザが言えばすぐに頷いて、手早く一番外側に着ていたローブを脱ぎ捨てるとドレスの裾を持ち上げて部屋を出た。

「ラカン男爵令嬢。お手を」
「え……?」

 廊下で初めてトビアスに気付いたマリアはきょとんと彼を見上げて固まった。
 この領に来てからはベルンハルトとヴォルフの他には領の人間にしか会っていない。
 突然の貴族の登場に驚いたのだろうと察したローザは助け船のようにひそりとマリアに耳打ちした。

「お嬢様。ザイゼル伯爵家のトビアス様です。以前王都でご挨拶なさいました」
「そうなの?」

 戸惑いながらもマリアは挨拶したことがあるのなら、とトビアスの手を取り、ローザにも手伝って貰い本館の執務室を目指す。
 ボリュームのあるドレスにはたっぷりと生地を使っているのでそこそこの重量があるが、日頃からこうしたふわふわのドレスに慣れているマリアはどのように動くのが最も効率的であるかを熟知している。
 ドレスの長いトレーン部分だけ引き摺らないようにローザが抱え、必死に走ってもうすぐ本館というところで前方から数人の使用人がモップや箒片手に駆けて来るのが見えた。
 あぁ、迎えに来てくれたのだ。そう思ってマリアとローザは小さく安堵の息を吐いた。

「お嬢様! ローザさん!」
「皆!」
「皆さん、ご無事で……」

 無事で良かった、と続くはずのローザの言葉は、顔を引き攣らせたメイドの悲鳴にも似た叫びによって遮られた。

「──早く離れて! そいつら、侵入者です!」

 その言葉を聞いて目を見開いたローザの喉元にひたと冷たいものが押し付けられた。
 振り返ろうとした動きが一瞬止まり、その腕の中からマリアのドレスのトレーン部がどさりと落ちる。

「あーぁ、意外と早くバレちゃったなァ」

 隣で小さくマリアが悲鳴を上げ、次いでトビアスが喉の奥で低く笑ったのが聞こえた。
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