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第四章 知の都 リヒシュータ領 ダヴェニス
第六十九話 花冠教室
しおりを挟む「薔薇は赤い、菫は青い、砂糖は甘い、そして?」
「あなたも素敵!」
妖精の花冠に着くと、遠くから、若い女性とたくさんの子どもたちの声が、風に乗って流れてきました。
近づいていくと、様々な花の咲き乱れた平原の中に、彼らは円になって座っています。
唯一女性だけが立ち上がって、両手に花を持っていました。
「そう。赤い薔薇はそのままで、青い菫はそのままで、甘い砂糖はそのままで素敵」
女性は手の中の白い花を抜き取って、「このエーデルワイスも白いからこそ素敵なの」と近くの女の子の髪に挿しました。
「だからあなたも、ありのままのあなたが素敵」
愛の詩ね、と彼女が微笑むと、女の子の頬がぽっと上気しました。
「じゃあ今日は、この詩にちなんで周りの人の素敵なところを探しましょう」
オレンジがかったピンキッシュベージュの髪が風になびき、彼女の簡素な麻のドレスに掛かります。
髪色と同じ、優しい夕焼け色の瞳は、見る人を惹きつけずにはいられない美しさです。
(あの方はどなたなのでしょう)
私が立ち尽くしていると、背後でエドワードさまが息を呑む気配がしました。
「あの方は……」
「ご存知なのですか?」
そのとき、一番後ろに座っていた男の子が、声を上げました。
「ターシャ! 知らない人たちがいる!」
ざっと、たくさんの目に見つめられ、私は思わず一歩後ずさります。
ターシャと呼ばれたその方も、疑念に眉をひそめていました。
「どなたですか? どうしてここへ?」
私は、急いで両手を上げ、「怪しい者ではありません」と示しました。
「リリアンヌさまから、ここへ様子を見に行ってほしいと言われたんです」
「リリアンヌから、ですか?」
その名前が出た瞬間、彼女の瞳から警戒心が薄れていくのを感じました。
「私は、ルコット=ベルツと申します。彼は執事のエドワード、彼女は侍女のヘレンです」
「え……! 本当に!?」
彼女は瞳を皿のように見開くと、私の姿を旋毛から足の先まで検分しているようでした。
「確かに、似ているわ。でも、婚礼のときより随分……その、お痩せになりましたか?」
私は一瞬仰る意味がわからずぽかんとしてしまいました。
痩せた、のでしょうか。
確かに、あのバーベキューの一件から、あまり食欲が湧かず、食事を抜くことも度々あった気がします。
お姉さまのあつらえてくださった茶会用のドレスも、少々ぶかぶかでした。
きちんと採寸してくださったのにおかしいなとは思っていたのですが、どうやらサイズが変わってしまったのは私の方だったようです。
「ごめんなさい、気づかなくて。私は……」
ターシャさまはそこで言い淀むと、ちらりと子どもたちの方を気にされました。
「私は、ターシャ。隣町で教師をしています」
「ターシャは僕たちに勉強を教えてくれるんだよ。お金はいらないって」
エドワードさんは微かに刮目された後、口を噤まれました。
「はい、非番の日にここで青空教室を開いているんです」
「青空教室、ですか」
初めて聞く単語でしたが、その意味は先ほどの様子で何となくわかりました。
「えぇ、元々は、リリアンヌのアイデアなのですけれど」
「リリアンヌさまの?」
「はい、私たちは幼馴染なんです」
ターシャさんは、パンパンっと手を叩かれると、「さて、今日の授業はここまでにしましょう。素敵なところ探しは宿題! たくさん見つけてきてね」と子どもたちを帰されました。
子どもたちも特に不満はないようで、「わかった!」「またねー!」と元気よく帰っていきます。
「よかったのですか?」
そう伺うと、ターシャさんは、「元々時間の決まっている教室ではないんです」と大らかに微笑まれました。
「あの子たちに、私の身元を明かすわけにもいきませんし」
そのお言葉に、エドワードさまがようやく口を開かれました。
「やはりあなたは、ターシャ=マチルダ=セントラインさまだったのですね」
(ターシャ=マチルダ=セントライン……?)
「えぇ!?」
私とヘレンさんはたっぷり数瞬の後、辺り一円に響き渡る驚きの声を上げました。
* * *
「先ほどは嘘を申し上げ、申し訳ありませんでした。私は西国セントライン第十姫、ターシャ=マチルダ=セントラインと申します」
開いた口の塞がらないルコットに、ターシャは、完璧な淑女の礼を取った。ルコットも、反射のように頭を下げる。
「な、何故あなたさまのような方が、市井に……? いえ、そもそもどうやって他国の方がフレイローズに……?」
混乱するルコットに、ターシャは一から説明するべく口を開いた。
「セントラインでは、郊外十方位を、私たち十人の王女がそれぞれ管理しているのです」
幼い末王女ターシャは、最も危険と言われていたフレイローズ国国境付近の管理を、押し付けられてしまったのだとか。
「最初は絶望しましたわ。幼いながらに、どうしようって。でも、すぐにそれが杞憂だとわかりました」
初めて開かれたリヒシュータ領主ハップルニヒ侯爵との会談。
そこに現れたのは、戦神サーリの僕でも、いたずらに血を好む戦闘狂でもなかった。
理知的で物腰の穏やかな侯爵。
まだ幼いターシャを気遣うように、甘い紅茶を用意する侯爵夫人。
そして、明るく聡明で溌剌とした侯爵令嬢。
(この方々が、悪魔の手先のように言われているあのフレイローズ国民なの……?)
ターシャの疑念と困惑をよそに、彼らはこの青ざめた少女を、まるで家族の一員のように大切にもてなした。
侯爵夫妻も、娘とそう変わらぬ年頃の少女が、敵国との国境沿いの管理を任されているという状況に、ひどく同情していたに違いない。
たくさんの贈り物は、「警戒しなくても大丈夫だよ」というメッセージの表れだった。
そんな二人の気遣いに、ターシャの心も次第に解けていった。
贈り物の中でも特に嬉しかったのは、毎回内容の違う色とりどりの花束だった。
聞くと、侯爵令嬢が手づから摘み、色紙に包んでくれているらしい。
ターシャはそれを知ったとき、ようやくリリアンヌ=ハップルニヒに自ら話しかける決心ができた。
話してみれば、二人は驚くほど気が合った。
天真爛漫で怖いもの知らずのリリアンヌと、慎重で少し臆病なターシャ。
正反対なようだけれど、胸の内に抱いた志は同じだったのだ。
「私は、民のために、この国をより良い所にしたいの」
「わ、私も……! 私も、民がいきいきと暮らせる未来を、切り開きたい」
ターシャが常になく大きな声で叫ぶと、リリアンヌは一瞬ぱちくりと目を見開き、それから太陽のように眩しく笑った。
「じゃあ、私たちは仲間ね。心強いわ。一緒に頑張りましょうね」
ターシャは真っ赤に染まった頬で、はっきりと頷いた。
その日、生まれて初めてターシャに、生きる意味ができたのだ。
口減らしのように国境に送り込まれた末の王女が、生まれて初めて、喜びを知った瞬間だった。
* * *
「あの日から、私たちはここで、教師の真似事をしています。身分に関わらず、教育を望む全ての人に、学ぶ機会を与えるために。ハップルニヒ侯爵夫妻には、渋い顔をされているのですが……」
私は、サンテジュピュリナ大学でのことを思い出し、伺わずにはいられませんでした。
「私は、市井の方が学んだところで一体何になるのかという問いに、答えることができませんでした」
もしかしたら、「学ぶ機会を作りたい」と願うのは、私の自己満足なのではないか。そんなふうに思えてしまったのです。
しかし、ターシャさまの夕日色の瞳は、決して揺らぎませんでした。
「ルコットさま、私はこう思います」
その姿に、リリアンヌさまの面影が重なります。
「学ぶことは、可能性を広げることだと」
人の持つ無限の可能性を、広げていくことだと。
「小さなことでも良いのです」
例えば、文字が読めれば、本が読める。もしかしたらそれが、その子にとって生涯の楽しみになるかもしれない。
文字が書ければ手紙が書ける。その子は将来、大切な誰かに手紙をしたため、想いを届けるかもしれない。
計算ができれば、日々の買い物で代金をちょろまかされることもない。浮いたお金で、帰り道に砂糖菓子でも買って帰ろうと思えるかもしれない。
「学んだことは決して無駄にはなりません。その人の未来を確かに彩る。私は、教育とはそういうものだと思っています」
私は、そんな未来を想像しました。
誰もが好きなことを学び、可能性を広げ、今より豊かな心持ちで生きる未来を。
気がつくと、私の口は勝手に開いていました。
「……ターシャさま、どうか」
声が震えるのは、そんな途方もない未来を、どうしようもなく熱望しているから。
「どうか、私に力添えをさせてください」
ターシャさまは大きな瞳を更に大きく見開かれると、「あの日の私はそんな顔をしていたのね」と頬を染めて微笑されました。
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