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第四章 知の都 リヒシュータ領 ダヴェニス
第七十八話 魔導師団塔
しおりを挟むスノウ姉さまの私室にふわりと着地すると、アーノルドさまが、驚いたように剣に手をかけられました。
「アーノルドさま! 私です!」
思わず両手を上げると、「ルコットさまでしたか……」と警戒を解いてくださいます。
城外から入城すると手続きが煩雑なので、こうしてお部屋に直接伺うことが多いのですが、その度にアーノルドさまの寿命を縮めてしまっているような気がしてなりません。
「いつも驚かせてしまってすみません」
そう言うと、アーノルドさまは「いやいや、こちらこそ」と手を振られました。
「そういえば、スノウさま、『今日はルコットが来るのよ』と嬉しそうにされていましたね」
「黙りなさいアーノルド!」
バンッと扉が開かれ、お姉さまが現れます。
どうやら隣室で執務をされていたようです。
「お姉さま、お邪魔しています」
「えぇ、待っていたわ」
お姉さまは流れるようにアーノルドさまをひと睨みされると、こちらへ目を向けられました。
「……あなた、また痩せたわね」
微かに眉を寄せられるお姉さまに、私も苦笑します。
さすがにこの頃体が軽いのは自分でもわかっていました。
「ちゃんと食べているの?」
「はい、……ただ、少し忙しなくしていたので」
お姉さまは小さくため息をつかれると、諦めたように話題を変えてくださいました。
「さて、それじゃあ、ルコットも来たことだし、移動するわよ」
「え、どこへですか?」
てっきりこの場でお話が進むのだと思っていたので、きょとんとしてしまいます。
対するお姉さまは、少しだけ面白そうに、にやりと笑われました。
「この国の魔術師の巣窟――魔導師団塔よ」
* * *
王室魔導師団。
様々な魔術の使い手である彼らは、陸軍とは別個に彼らだけの「居場所」を持っていました。
それが、「魔導師団塔」。
塔とは名ばかりの、古めかしい館です。
ギィギィと音を立てる板張りの床に、内心冷や汗をかきながら、私たちは魔導師団塔内にある薬事室を目指していました。
そこに、今回の「鉄道計画」参加メンバーが集まっているのだそうです。
廊下に面する部屋の中から、不気味な鳴き声が聞こえてきたりするのですが、決して気にしてはいけません。気のせいに違いありません。
「うへぇ、いつ来てもここは不気味だよなぁ」
頭の後ろで手を組まれたアーノルドさまがぼやかれます。
スノウ姉さまも、「それには同意するわね」と涼しいお顔で仰っていました。
ゴポゴポという音に振り返ると、開け放された扉の向こうに、紫色物体が煮立った釜が見えます。
いえ、私は何も見ていません。
お姉さまがそちらに目を向けられると、室内の魔術師の方が、「コーヒーを淹れていただけです!」と慌てて扉を閉められました。
かつてなく禍々しいコーヒーでしたが扉を閉めてしまって大丈夫なのでしょうか。
窓を開けて換気していらっしゃることを祈ります。
* * *
突き当たりまで行くと、一際大きな扉に「薬事室」と古めかしい手書きのプレートが掛けられていました。
もうこれ以上怪しいものを見たくなかった私たちは迷わず扉を叩きます。
すると、すぐに扉が開きました。
「やぁ、ルコットちゃん、待っていたよ」
「マシューさま!」
そこにいらっしゃったのは、元薬事室室長のマシューさまでした。
今は退役されているので、今日はこのためにわざわざ王都まで来てくださったのでしょう。
緑色のふわふわとした御髪に、柔らかな新緑のような眼差し。
先ほどまでの緊張が嘘のように癒されました。
すると、その後ろから、ハントさまがひょこりと顔を出されました。
「私も忘れてもらっては困るな」
「昨日ぶりですわ、ハントさま」
くすくすと笑うと、「そうだね」と笑い返してくださいます。
しゃらりと揺れる金髪にエメラルドグリーンの瞳が今日も眩しいです。
「スノウ殿下もアーノルドくんも、入って入って」
何故か一瞬躊躇われた二人の手を引いて、ハントさまは中へ入って行かれました。
残された私とマシューさまは、しばらく無言で見つめ合います。
実は、王都を出てからお会いするのは、これが初めてなのでした。
「ルコットちゃん、また会えて嬉しいよ」
「マシューさま……」
大切な義弟君に恥をかかせた女なのに。
マシューさまは再会を心から喜んでくださっているようでした。
「しばらく会わないうちに、もっと綺麗になったね」
「い、いえ……少し体は軽くなりましたけれど」
「いやいや、見た目だけじゃないよ」
ゆっくりとした穏やかな声に、吸い寄せられるように顔を上げると、森のように優しい瞳と目が合いました。
「意志が、強くなったね。とても強い覚悟だ。それに、たくさんの知識が蓄えられている。……いっぱい努力したんだね」
私は、じわじわと滲む涙が抑えきれませんでした。
努力。
そうなのでしょうか。
がむしゃらに駆けてきたこの数ヶ月は、無駄にはならなかったのでしょうか。
進むべき道は、本当にこちらで、正しいのでしょうか。
喉の奥が鳴り、そのまま嗚咽が漏れました。
マシューさまはそっと手を伸ばし、頭を抱き込んでくださいます。
耳元に聞こえる心音と、優しい香りに安心してしまい、涙が溢れて止まりませんでした。
「ルコットちゃんは本当に努力家だ。でも、頑張りすぎるところが玉に瑕だよ。もっと僕たちを頼ったら良い」
「……でも、今更シュタドハイスの方々に頼るなんて、できません」
泣き疲れてぼんやりとした頭で答えると、マシューさまが小さく笑われたのがわかりました。
「君の性格ならそうだろうと思ったよ。でもね、それなら僕たちは、積極的にお節介を焼いていこうと思う」
「え?」
意味がわからず問い返すと、まるで幼子にするように優しく頭を撫でられました。
「本当は今回の鉄道計画に僕は含まれていなかったんだ。でも、君が噛んでると聞いて、居ても立っても居られなくなって、スノウ殿下に直談判して、こうして無理矢理ねじ込んでもらったんだよ」
お姉さまに直談判?
何故? どうして?
疑問が多すぎて言葉が出てきません。
しかし、マシューさまはそれを正しく汲み取ってくださったようで、少し呆れたような愛情深い笑みを浮かべられました。
「不思議そうな顔だね、まったく。いいかい? 全部、可愛い義妹のためだよ。君が心配で、君の力になりたくて、アスラもルイもオルトも義両親も、あちこちで動いてる。元だとか関係ない。たとえ君が迷惑だと言っても、僕たちは離れないよ。だって、君はもう、僕たちの家族なんだ」
――家族。
その言葉を、口の中でもう一度転がします。
茫然としたまま、マシューさまを見つめていると、ポロポロと溢れる涙をハンカチで拭ってくださいました。
「『戸籍上』とか言わないでおくれよ。いいかい?」
「……はい」
頷いて、そのまま俯くと、マシューさまは静かに私の背をとんとんと叩いてくださいました。
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