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第四章 知の都 リヒシュータ領 ダヴェニス
第八十四話 二年後
しおりを挟む「ルコットさん、これ、今日のお昼にでも持って行ってくださいな」
午前の家庭教師の授業を終えたところで、後ろからそう声をかけられました。
振り返ると、さきほどの生徒のお母さんが、バケットいっぱいのサンドイッチを持って走って来られます。
今日はこれからすぐ北部に飛んで、学舎の打ち合わせでした。
お昼ご飯は抜きかなと思っていたので、とてもありがたいお言葉です。
「よろしいのですか?」
「もちろんです。毎日忙しく飛び回られて、二年前よりずいぶんお痩せになられたでしょう」
そう、あれから二年、月日は飛ぶように流れました。
毎日の魔術の稽古、教育の勉強、家庭教師の仕事のほかに、学舎の設計相談、魔導師団員の方々への教育、大学連盟との教育体制の協議、そして、ティルナノーグ号に関する相談。
やるべきことが多すぎて、ときには一睡もしないまま飛び回る日もありました。
食事もつい食べそこねてしまっています。
それでも、そんなことは全く気になりませんでした。
あちこち飛び回っているうちに魔力の使い方も上達したようで、今では行ったことのあるところなら、どこへでも飛んでいけます。
さらに、元々「飛行」に適性があったようで、今では文字通り「鳥のように浮いて飛ぶ」こともできるようになりました。
便利なことに、そのように魔術で移動するときは、重力が魔力で相殺されるらしく、何人抱えて飛んでも大丈夫なのです。
病気の子や、産気づかれた妊婦さんを抱えて病院まで飛ぶこともありました。
ハントさまいわく、「ここまでできるなら『行ったことのない場所』にも座標を合わせて飛ぶことができるはず」とのことなのですが、それはまだできずにいます。
見たこともない場所に飛んでいくイメージが上手く掴めないのです。
「『行きたい』と強く願うことだよ、ルコットちゃん。君の場合、それが魔術発動のトリガーだ」
同様に、人を呼び寄せるのもまた至難の業でした。
物を転移させるのは容易いのですが、なかなか上手くいかないものです。
* * *
現在、各国との調整も大詰めを迎えています。
ホルガーさま率いる部隊の皆さまが、ついに西国セントラインとの調整を終えられたとのことでした。
これで、周辺三カ国との調整は実質完了したことになります。
あとは南国エメラルドだけです。
「……やりましたね、ホルガーさま」
青空を見上げ、私は晴れやかな、誇らしい気持ちで呟きました。
今となっては赤の他人なのですが、彼はいまだ私にとっての特別な人なのです。
とはいえ、「また会いたい」という未練とは少し違います。
いえ、むしろ、もう二度と出会わないことを祈ってさえいるのかもしれません。
私の彼に対する感情は、いうなれば一方的な仲間意識のようなものでした。
この使命を共に完遂する同志。
遠くから、その活躍を伝え聞いていたい。
ちょうどそのような感じです。
なので、彼のご活躍を聞くと、まるで自分のことのように誇らしく思うのでした。
一国一国着実に交渉を終えながら、各地の学舎建設を手伝われてきたホルガーさま。
そのお噂を耳にするたび、私は「さすがですわ」と喜ばずにはいられませんでした。
はじめは、ばあやもヘレンさんもエドワードさんも「無理して強がっているのでは」と心配されていたようですが、私が本心から喜んでいることがわかると、呆れたように笑われました。
「時間というのは一番の霊薬ですね」
「そうね。まったくマイペースなんだから」
「姫さま、本当にもう未練はないのですか?」
消沈していた私を知っているだけに、ばあやは心配げに私の目をのぞき込みます。
リリアンヌさまとターシャさまも、こちらにじっと耳を澄ませていらっしゃいました。
しかし、それは私の本心でした。
「ええ、もう未練はありませんわ。ホルガーさまはとてもお元気そうですし、私も、ここでやりたいことがありますもの。こうなるのがきっと、お互いのためだったのですわ。そんな気がするの」
穏やかな気持ちでそう告げると、とうとうばあやも納得したようで、ここ数年で初めて、心底安心したように笑ってくれました。
「……それなら良いのです。綺麗に吹っ切れたのですね」
予想外だったのは、その言葉を聞いた瞬間、リリアンヌさまがガタッと立ち上がられたことでした。
「ルコット! 見合いをするわよ!」
「え!?」
何でも、私に紹介したい人が山のようにいたのだとか。
私が失恋から立ち直るまではと待ってくださっていたのだそうです。
「先方がたから『ぜひ紹介してくれ!』って強く頼まれているのよ!」
そんな奇特な方がいらっしゃるはずがありませんから、これはリリアンヌさまのお気遣いなのでしょう。
しかし彼女は会うたびにたくさんの釣書を押し付けようとしてこられます。
「失恋の傷は新しい恋で癒やすのよ!」とのことです。
お気持ちは嬉しいのですが、何となく気が進まず、かわし続けている状態です。
今朝も郵便受けに新しい釣書が入っていました。
偶然居合わせたテディさんに「それは……?」と複雑な目で見られてしまったのが、今でもいたたまれません。
「な、何でもありません!」
と目にも留まらぬ速さで隠したのですが、今思えばかえって不自然でした。
妙な誤解をされていないことを祈るばかりです。
テディさんは、勉強を始めてからメキメキと頭角を表され、今ではお仕事の後、ハップルニヒ侯爵さまの元で学ばれるようになっていました。
リリアンヌさまやターシャさまともすっかり顔なじみです。
「あいつ、軟派な見た目な割に見所あるじゃない」
リリアンヌさまもその実力を認めていらっしゃるようでした。
* * *
もう一つ、嬉しいお知らせが。
アサトさまがここダヴェニスに越して来られたのです。
「ルコットさま! ヘレンさん! お久しぶりです」
転移施設までヘレンさんと迎えに行くと、アサトさまは二年前と全く変わらない笑顔で走って来られました。
何でも、セントラインとの交渉の後、そのままダヴェニスの警護を命じられたのだとか。
「何せこの地は、計画の要地ですからね。ルコットさまをはじめ、要となる方も多数いらっしゃいますし」
心なしか、アサトさまの声が弾んでいるような気がします。
「ルコットさまがお元気そうで安心しました。ヘレンさんからのお手紙にはいつも、『少しやつれられた』とあったので、心配していたのです」
手紙?
ヘレンさんの方を見ると、ふい、と視線を逸らされました。
なるほど。そういうことだったのですか。
「わ、わざわざ来なくても、私がルコットを守ったのに」
「はい、わかっていますが、これも上からの命令ですので」
アサトさまは爽やかにそう仰いましたが、それだけではないだろうと私の第六感が告げていました。
きっと無茶しがちなヘレンさんが心配だったのですね。
「アサトさま、ヘレンさん共々、またよろしくお願いしますね」
そう言うとアサトさまははにかみながら、「はい、光栄の至りです」と美しく礼をされました。
「……アサトの出番はないと思うけど」
赤い顔で口を尖らせるヘレンさんに、アサトさまが小さく笑われます。
きっと強がりだと思われているのでしょう。
「ヘレンさんの『最愛の幻人形、私の声を聞いて』をご覧になったら、きっとびっくりされるでしょうね」
何せあの魔術は、ハントさまでさえ「ありえない」と腰を抜かされたほどですから。
フレイローズ国全域に鉄道が張り巡らされた、とある春の日。
試験運転に半年。
最も軋轢のある南国エメラルドとの調整に一年。
学舎開校は、ちょうど来年の春に迫っていました。
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