91 / 137
第五章 南国 エメラルド
第九十一話 軍人ウォルド=ゼノビアとの出会い
しおりを挟む緑色にきらめく蝶が、王宮の庭をのんびりと飛んでいる。
室内ハンモックに揺られ、真っ青な空を窓越しに見上げていると、南国特有の風が日よけをはたはたと揺らした。
「……暇だ」
果物を抱え、枕元に佇んでいた女性がびくりと肩を揺らす。
何せ相手はあの冥府の悪魔だ。
退屈しのぎに何をされるかわかったものではない。
しかしホルガーは、彼女の予想とは裏腹に、何とも穏やかな声色で口を開いた。
「あの」
「は、はい……」
「外に出てもいいだろうか。もし仕事の邪魔でなければ、どこか案内してもらえると助かるんだが」
まだ若い侍女は内心、「どうしよう」と狼狽えた。
王からは部屋から出すなと命じられている。
しかし今この男に逆らえば――。
数瞬の躊躇いの後、彼女はとうとう、王への忠誠を取った。
「な、なりません。部屋から出てはならないという王のご命令です」
心臓が早鐘を打つ。
くらくらとする視界の中、それでも、この恐ろしい悪魔から目が離せなかった。
すぐに怒り始めるに違いない。
きっと、助けを呼んでも間に合わないだろう。
ぎゅっと両手を握り、覚悟を決める。
しかし、ホルガーはただ一言、
「そうか」
そう言っただけだった。
暴れる気配も怒鳴り出す様子もない。
侍女はそろそろと視線を上げ、ホルガーを視界に収めた。
彼は数刻前と全く変わらぬ穏やかな表情で、「それなら君はここにいてくれ。ちょっとその辺を散歩してくる」と立ち上がった。
「な」
唖然とする侍女の横をスタスタと通り過ぎ、扉に手をかける。
扉の向こうに消える直前、「あぁ、心配はいらない」と付け加えられた。
「夕飯までには戻ってくるから、君が咎められることはない」
ばたん。
あくまで静かに扉が閉められた。
はっとした侍女は、ようやく自体を飲み込み、その場で叫んだ。
「な、なりません!」
そうして泣き出しそうな表情で、後を追った。
* * *
宮殿から外に出て、敷地内を散策していると、ふいに懐かしい掛け声が聞こえてきた。
思わず口角が上がる。
周囲の草木をかき分け、そちらへ目を凝らした。
「一、二、三、四!」
はたして、そこは軍の鍛錬所だった。
ホルガーの眼前では、屈強な男たちが全身に汗をしたたらせ、素振りを行っている。
奥には打ち合いをしている者たちもいた。
その周りを二部隊ほどの人数が外周し、掛け声を上げる。
「国が変わってもやってることは同じなんだな」
自部隊の面々が懐かしい。
まだ数日しか経っていないはずなのだが、早くもあの場所が恋しかった。
「よし、まぜてもらおう」
思い立ったが吉日と、立ち上がり、周囲に指示を飛ばしていた男の方へ近づいた。
周囲の怪訝な視線は受けるが、帯刀していないためか、斬りかかってくる者もいない。
「あの」
振り返った男は、訝しげに眉を寄せた。指先は剣の柄に触れている。
「なんだ。お前、何者だ」
ホルガーは両手を上げ、敵意がないことを示した上で、名を名乗った。
「ダンラス王に世話になっているホルガー=ベルツという者だ」
男は「あぁ」と納得した顔で、周囲に戻るように手を振った。
危険はないと判断されたのだろう。
「王より伺っている。冥府の悪魔をこの城に留めたと。お前がそうか?」
ホルガーは「冥府の悪魔」という呼び名にためらいを見せたが、結局「そうだ」と頷いた。
「しかしその名はあまり好きではない。できれば名で呼んでもらえると嬉しい」
男は驚いたように眉を上げた。
軍人にとって、その二つ名は誉以外の何物でもない。
「何故?」
「……誰も、悪魔になどなりたくないだろう」
そう言って、ホルガーは困ったように、そして少しだけ悲しげに眉を下げた。
男は面食らったように固まった。
この男は、本当にあの、フレイローズ最強の軍人、ホルガー=ベルツなのだろうか。
人々の噂や戦場での姿とあまりに噛み合わない。
「お前は戦場が嫌いだったのか?」
「……ああ」
何だそれは。
男の頭上には疑問符が浮かぶばかりだ。
「それなら何故退役しなかった? 何故戦場に出ていたんだ?」
ホルガーは、じっと何かを考えているようだった。
それから、ゆっくりと自分の気持ちをなぞるように言葉を発した。
「俺はただ、この手の届く範囲全ての人を――仲間を、家族を、国を、守りたかった。守るためには戦うしかない。そう思っていた。しかし――」
そこでホルガーは眼前の男と視線を合わせた。
困惑に揺れる、意思の強そうな瞳と。
「結局、戦いは何も解決してくれなかった。それに気付くまで、随分多くの犠牲を払ってしまった。俺はもう、何も奪いたくない」
男は、驚きに目を見張っていた。
――人の心を持たない冥府の悪魔。
そうではなかったのか。
聡明な男には、ホルガーの迷いや葛藤が、手に取るようにわかった。
彼が、誰より実直で心優しいということも。
男は、ホルガーに向かって愛剣を投げた。
泣き笑いのような複雑な表情だった。
「俺は、ウォルド=ゼノビア。退屈なんだろう。運動がてら打ち合おう、ホルガー=ベルツ」
ホルガーは、草地に投げ出されたその剣を拾い上げた。
赤い石の嵌まった美しい剣だった。
「借りていいのか?」
「構わん。ハンデだ」
そう言って、ウォルドは演習用の複製剣を適当に拾った。
ホルガーの頬が思わずほころぶ。
「そうか、ありがとう」
ウォルドはまたきまり悪そうに顔をしかめた。
(何ともまぁ、気の抜けたやつだ)
気を取り直すかのようにきつく剣を握り直し、構える。
「いくぞ」
ホルガーもまた、何度か剣を握り直し、一度試し振りをすると、晴れやかな笑顔とともに構えた。
「あぁ、全力でいこう」
二人を遠巻きに眺めていた兵たちが、緊張の面持ちで息をのんだ。
0
あなたにおすすめの小説
そのまさか
ハートリオ
恋愛
「そのまさかですわ、旦那様!」
ーーベナ・マギネは、16才の誕生日の前日、ギネオア邸3階からロープで脱出しようとして失敗、その際、残念前世をうっすら思い出し、今世をちゃんと生きようと、先ずは旦那様を色仕掛けで骨抜きにしようとトッチラカル・・!
前世が残念な事もある・・・何のスキルも無い事だってある・・・そんなベナが全力でトッチラカリます!
設定ゆ~るゆるです。緩い気持ちで読んで頂けると助かります。
第15回恋愛小説大賞にエントリーしました。
読んで、良いなと思ってもらえたら、投票お願いします。
短編ではないので長編選びますが、中編だと思います。
雪解けの白い結婚 〜触れることもないし触れないでほしい……からの純愛!?〜
川奈あさ
恋愛
セレンは前世で夫と友人から酷い裏切りを受けたレスられ・不倫サレ妻だった。
前世の深い傷は、転生先の心にも残ったまま。
恋人も友人も一人もいないけれど、大好きな魔法具の開発をしながらそれなりに楽しい仕事人生を送っていたセレンは、祖父のために結婚相手を探すことになる。
だけど凍り付いた表情は、舞踏会で恐れられるだけで……。
そんな時に出会った壁の花仲間かつ高嶺の花でもあるレインに契約結婚を持ちかけられる。
「私は貴女に触れることもないし、私にも触れないでほしい」
レインの条件はひとつ、触らないこと、触ることを求めないこと。
実はレインは女性に触れられると、身体にひどいアレルギー症状が出てしまうのだった。
女性アレルギーのスノープリンス侯爵 × 誰かを愛することが怖いブリザード令嬢。
過去に深い傷を抱えて、人を愛することが怖い。
二人がゆっくり夫婦になっていくお話です。
「私に愛まで望むとは、強欲な女め」と罵られたレオノール妃の白い結婚
きぬがやあきら
恋愛
「私に愛まで望むな。褒賞に王子を求めておいて、強欲が過ぎると言っている」
新婚初夜に訪れた寝室で、レオノールはクラウディオ王子に白い結婚を宣言される。
それもそのはず。
2人の間に愛はないーーどころか、この結婚はレオノールが魔王討伐の褒美にと国王に要求したものだった。
でも、王子を望んだレオノールにもそれなりの理由がある。
美しく気高いクラウディオ王子を欲しいと願った気持ちは本物だ。
だからいくら冷遇されようが、嫌がらせを受けようが心は揺るがない。
どこまでも逞しく、軽薄そうでいて賢い。どこか憎めない魅力を持ったオノールに、やがてクラウディオの心は……。
すれ違い、拗れる2人に愛は生まれるのか?
焦ったい恋と陰謀+バトルのラブファンタジー。
妃殿下、私の婚約者から手を引いてくれませんか?
ハートリオ
恋愛
茶髪茶目のポッチャリ令嬢ロサ。
イケメン達を翻弄するも無自覚。
ロサには人に言えない、言いたくない秘密があってイケメンどころではないのだ。
そんなロサ、長年の婚約者が婚約を解消しようとしているらしいと聞かされ…
剣、馬車、ドレスのヨーロッパ風異世界です。
御脱字、申し訳ございません。
1話が長めだと思われるかもしれませんが会話が多いので読みやすいのではないかと思います。
楽しんでいただけたら嬉しいです。
よろしくお願いいたします。
侯爵令嬢ソフィアの結婚
今野綾
恋愛
ソフィアは希少なグリーンアイを持つヴィンセントと結婚した。これは金が欲しい父の思惑と、高い爵位が欲しいヴィンセントの思惑が一致したからに過ぎない。
そもそもヴィンセントには恋人がいて、その恋人は身分に大きな差があるために結婚することは叶わないのだ。
結婚して早々、ソフィアは実家から連れてきた侍女夫婦とあばら屋に住むように言われて……
表紙はかなさんのファンアートです✨
ありがとうございます😊
2024.07.05
恋詠花
舘野寧依
恋愛
アイシャは大国トゥルティエールの王妹で可憐な姫君。だが兄王にただならぬ憎しみを向けられて、王宮で非常に肩身の狭い思いをしていた。
そんな折、兄王から小国ハーメイの王に嫁げと命じられたアイシャはおとなしくそれに従う。しかし、そんな彼女を待っていたのは、手つかずのお飾りの王妃という屈辱的な仕打ちだった。それは彼女の出自にも関係していて……?
──これは後の世で吟遊詩人に詠われる二人の王と一人の姫君の恋物語。
【完結】灰かぶりの花嫁は、塔の中
白雨 音
恋愛
父親の再婚により、家族から小間使いとして扱われてきた、伯爵令嬢のコレット。
思いがけず結婚が決まるが、義姉クリスティナと偽る様に言われる。
愛を求めるコレットは、結婚に望みを託し、クリスティナとして夫となるアラード卿の館へ
向かうのだが、その先で、この結婚が偽りと知らされる。
アラード卿は、彼女を妻とは見ておらず、曰く付きの塔に閉じ込め、放置した。
そんな彼女を、唯一気遣ってくれたのは、自分よりも年上の義理の息子ランメルトだった___
異世界恋愛 《完結しました》
助けた騎士団になつかれました。
藤 実花
恋愛
冥府を支配する国、アルハガウンの王女シルベーヌは、地上の大国ラシュカとの約束で王の妃になるためにやって来た。
しかし、シルベーヌを見た王は、彼女を『醜女』と呼び、結婚を保留して古い離宮へ行けと言う。
一方ある事情を抱えたシルベーヌは、鮮やかで美しい地上に残りたいと思う願いのため、異議を唱えず離宮へと旅立つが……。
☆本編完結しました。ありがとうございました!☆
番外編①~2020.03.11 終了
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる