軍事大国のおっとり姫

江馬 百合子

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第六章 美しき世界

第百三十一話 険しい山路

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 何度越えても、この山道はこたえる。
 ホルガーは懐かしさに目を細めた。

 夏が終わり、涼しく香しい風が吹き始めたヒシャーリャ山脈。
 東国特有の黒い土が足の下で音を立て、あちこちに、背の低い紫色の花が揺れている。
 辺りに木々は少なかったが、時折落ちている鮮やかなカエデの葉がさわさわと乾いた音を奏でた。
 遠くから、微かな教会の鐘の音が響いてくる。

 ホルガーは背中のばあやに話しかけた。

「ばあや殿、もうすぐ着きますよ」

 ホルガーの背に揺られていたばあやは「まぁ、あっという間でしたね」と驚きの声を上げ、それから、「そろそろ自分で歩きますよ」と遠慮した。
 しかし、それはホルガーが聞き入れなかった。

「頂上を越え、街道に入ってからにしましょう。ここの山道は険しいですから。軍属の彼らでさえ、息を切らしているでしょう?」

 そう言って、後ろを振り返ると、後方から「たいしょーう! 置いてかないでくださいよー!」と次々声が上がった。
 ばあやは呆れたように笑い、「どこかの陸軍大将殿が甘やかすからですよ。鍛え方が足りぬのです」と嘯いた。
 
「これは手厳しい」

 ホルガーは笑うと、後ろを振り返り、部下たちに呼びかけた。

「ほら、頑張れ! お前たちが付いてくると言ったんだろう」

 息を切らした部隊の面々は、膝に手を当てながら「やっぱり鉄道で来ればよかった……」と呟いた。
 しかしそれでも、また黙々と歩き始める。
 すると、ホルガーの隣を歩いていたルコットが、明るい曲調の歌を魔術師の言葉で口ずさんだ。
 あたりが一瞬だけ白くぼんやりと明るく光った。

「何だ?」
「体が軽くなったぞ」

 首をかしげる面々にルコットは笑いかける。

「簡単な疲労回復のまじないですわ。あともう少し、頑張りましょう」

 途端に一同は勢いづき、「気合いだ!」と雄叫びを上げて山道を駆け上がっていく。
 ホルガーは呆れたように嘆息した。

「まったく、調子のいい……ルコットさん、大丈夫ですか?」
「えぇ、平気ですわ。大したまじないではありませんもの」

 ルコットは額にうっすらと浮いた汗をハンカチで押さえ、微笑む。
 疲労の色はうかがえたが、この登山――もといハイキングを楽しんでいるようだった。
 この険しい山路を、多少魔法で体を支えながらも、自力で登ってきた。景色を楽しむ余裕さえある。それが嬉しくてたまらないといった様子だ。
 確かに、体力のなさを嘆いていたあの頃からは考えられないことだった。


* * *


 元々、ホルガーはシュタドハイスまで鉄道を使って行くつもりでいた。
 ホルガー、ルコット、ばあや、それに、エドワード、ヘレン、アサト――屋敷に住まう全員が移動するなら、間違いなくそれが最も楽な道程だったからだ。

 しかし、夕食の席で、それを話題に出したとき、ルコットがこう言ったのだ。
 
「以前仰っていたヒシャーリャ山脈からの眺めを、私も見てみたいですわ」

 ルコットの願いをホルガーが無下にできるはずもない。
 それに、一度はあの眺めを彼女に見せたいとも思っていた。
 ホルガーは二つ返事で賛成した。

「いいですね、そうしましょう」

 ヒシャーリャ山脈を通るなら、山門の一つ手前の街に、最近転移塔ができたはずだ。そこまでは苦もなく行けるだろう。
 そこから山門までは少し距離があるが、日に何度も観光馬車が出ている。

 ルコットの魔法ならひとっ飛びだろうが、人数が増えれば増えるほど多くの魔力が必要になる。彼女の負担を考えれば馬車を使うべきだろう。

 本来魔術師にとって魔力の消耗は特に気にすべきことでもない。
 運動するとお腹が空くようなものだと、ルコットも常々言っている。
 ホルガーも理解はしているのだが、しかし、彼女が疲れる方法と、疲れない方法があるのなら、後者を選ぶのが自然というものだろう。
 しかし、ホルガーの提案に、ルコットは遠慮がちに首を振った。

「いえ、なるべく歩いて行きたいのです。できれば、ばあやも一緒に」

 自分の足で登り、そこからの景色が見てみたいのだとルコットは語った。きっと格別だろうから、と。

「なるべく足を引っ張らないように、これから毎朝屋敷の丘で足腰を鍛えますわ。疲れたらすぐに申し出ますし、きちんと休憩もとりますから」

 ここまで言われては、ホルガーも首を横には振れなかった。

「……本当に、無理はなさらないですね?」

 最後にそう念を押し、結局、期待に満ちたルコットの眼差しに負けてしまった。
 配膳中のエドワードにじとりと睨まれ、思わず目をそらす。
 女性の体力にはかなり厳しい道程だ。彼もそれを心配しているのだろう。

「……ルコットさんの鍛錬は俺が責任持って務めるから」

 言い訳のようにこそこそとささやくと、執事は「いいでしょう」と言わんばかりに片眉を上げ、何事もなかったかのように去っていった。


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