131 / 137
第六章 美しき世界
第百三十一話 険しい山路
しおりを挟む
何度越えても、この山道はこたえる。
ホルガーは懐かしさに目を細めた。
夏が終わり、涼しく香しい風が吹き始めたヒシャーリャ山脈。
東国特有の黒い土が足の下で音を立て、あちこちに、背の低い紫色の花が揺れている。
辺りに木々は少なかったが、時折落ちている鮮やかなカエデの葉がさわさわと乾いた音を奏でた。
遠くから、微かな教会の鐘の音が響いてくる。
ホルガーは背中のばあやに話しかけた。
「ばあや殿、もうすぐ着きますよ」
ホルガーの背に揺られていたばあやは「まぁ、あっという間でしたね」と驚きの声を上げ、それから、「そろそろ自分で歩きますよ」と遠慮した。
しかし、それはホルガーが聞き入れなかった。
「頂上を越え、街道に入ってからにしましょう。ここの山道は険しいですから。軍属の彼らでさえ、息を切らしているでしょう?」
そう言って、後ろを振り返ると、後方から「たいしょーう! 置いてかないでくださいよー!」と次々声が上がった。
ばあやは呆れたように笑い、「どこかの陸軍大将殿が甘やかすからですよ。鍛え方が足りぬのです」と嘯いた。
「これは手厳しい」
ホルガーは笑うと、後ろを振り返り、部下たちに呼びかけた。
「ほら、頑張れ! お前たちが付いてくると言ったんだろう」
息を切らした部隊の面々は、膝に手を当てながら「やっぱり鉄道で来ればよかった……」と呟いた。
しかしそれでも、また黙々と歩き始める。
すると、ホルガーの隣を歩いていたルコットが、明るい曲調の歌を魔術師の言葉で口ずさんだ。
あたりが一瞬だけ白くぼんやりと明るく光った。
「何だ?」
「体が軽くなったぞ」
首をかしげる面々にルコットは笑いかける。
「簡単な疲労回復のまじないですわ。あともう少し、頑張りましょう」
途端に一同は勢いづき、「気合いだ!」と雄叫びを上げて山道を駆け上がっていく。
ホルガーは呆れたように嘆息した。
「まったく、調子のいい……ルコットさん、大丈夫ですか?」
「えぇ、平気ですわ。大したまじないではありませんもの」
ルコットは額にうっすらと浮いた汗をハンカチで押さえ、微笑む。
疲労の色はうかがえたが、この登山――もといハイキングを楽しんでいるようだった。
この険しい山路を、多少魔法で体を支えながらも、自力で登ってきた。景色を楽しむ余裕さえある。それが嬉しくてたまらないといった様子だ。
確かに、体力のなさを嘆いていたあの頃からは考えられないことだった。
* * *
元々、ホルガーはシュタドハイスまで鉄道を使って行くつもりでいた。
ホルガー、ルコット、ばあや、それに、エドワード、ヘレン、アサト――屋敷に住まう全員が移動するなら、間違いなくそれが最も楽な道程だったからだ。
しかし、夕食の席で、それを話題に出したとき、ルコットがこう言ったのだ。
「以前仰っていたヒシャーリャ山脈からの眺めを、私も見てみたいですわ」
ルコットの願いをホルガーが無下にできるはずもない。
それに、一度はあの眺めを彼女に見せたいとも思っていた。
ホルガーは二つ返事で賛成した。
「いいですね、そうしましょう」
ヒシャーリャ山脈を通るなら、山門の一つ手前の街に、最近転移塔ができたはずだ。そこまでは苦もなく行けるだろう。
そこから山門までは少し距離があるが、日に何度も観光馬車が出ている。
ルコットの魔法ならひとっ飛びだろうが、人数が増えれば増えるほど多くの魔力が必要になる。彼女の負担を考えれば馬車を使うべきだろう。
本来魔術師にとって魔力の消耗は特に気にすべきことでもない。
運動するとお腹が空くようなものだと、ルコットも常々言っている。
ホルガーも理解はしているのだが、しかし、彼女が疲れる方法と、疲れない方法があるのなら、後者を選ぶのが自然というものだろう。
しかし、ホルガーの提案に、ルコットは遠慮がちに首を振った。
「いえ、なるべく歩いて行きたいのです。できれば、ばあやも一緒に」
自分の足で登り、そこからの景色が見てみたいのだとルコットは語った。きっと格別だろうから、と。
「なるべく足を引っ張らないように、これから毎朝屋敷の丘で足腰を鍛えますわ。疲れたらすぐに申し出ますし、きちんと休憩もとりますから」
ここまで言われては、ホルガーも首を横には振れなかった。
「……本当に、無理はなさらないですね?」
最後にそう念を押し、結局、期待に満ちたルコットの眼差しに負けてしまった。
配膳中のエドワードにじとりと睨まれ、思わず目をそらす。
女性の体力にはかなり厳しい道程だ。彼もそれを心配しているのだろう。
「……ルコットさんの鍛錬は俺が責任持って務めるから」
言い訳のようにこそこそとささやくと、執事は「いいでしょう」と言わんばかりに片眉を上げ、何事もなかったかのように去っていった。
ホルガーは懐かしさに目を細めた。
夏が終わり、涼しく香しい風が吹き始めたヒシャーリャ山脈。
東国特有の黒い土が足の下で音を立て、あちこちに、背の低い紫色の花が揺れている。
辺りに木々は少なかったが、時折落ちている鮮やかなカエデの葉がさわさわと乾いた音を奏でた。
遠くから、微かな教会の鐘の音が響いてくる。
ホルガーは背中のばあやに話しかけた。
「ばあや殿、もうすぐ着きますよ」
ホルガーの背に揺られていたばあやは「まぁ、あっという間でしたね」と驚きの声を上げ、それから、「そろそろ自分で歩きますよ」と遠慮した。
しかし、それはホルガーが聞き入れなかった。
「頂上を越え、街道に入ってからにしましょう。ここの山道は険しいですから。軍属の彼らでさえ、息を切らしているでしょう?」
そう言って、後ろを振り返ると、後方から「たいしょーう! 置いてかないでくださいよー!」と次々声が上がった。
ばあやは呆れたように笑い、「どこかの陸軍大将殿が甘やかすからですよ。鍛え方が足りぬのです」と嘯いた。
「これは手厳しい」
ホルガーは笑うと、後ろを振り返り、部下たちに呼びかけた。
「ほら、頑張れ! お前たちが付いてくると言ったんだろう」
息を切らした部隊の面々は、膝に手を当てながら「やっぱり鉄道で来ればよかった……」と呟いた。
しかしそれでも、また黙々と歩き始める。
すると、ホルガーの隣を歩いていたルコットが、明るい曲調の歌を魔術師の言葉で口ずさんだ。
あたりが一瞬だけ白くぼんやりと明るく光った。
「何だ?」
「体が軽くなったぞ」
首をかしげる面々にルコットは笑いかける。
「簡単な疲労回復のまじないですわ。あともう少し、頑張りましょう」
途端に一同は勢いづき、「気合いだ!」と雄叫びを上げて山道を駆け上がっていく。
ホルガーは呆れたように嘆息した。
「まったく、調子のいい……ルコットさん、大丈夫ですか?」
「えぇ、平気ですわ。大したまじないではありませんもの」
ルコットは額にうっすらと浮いた汗をハンカチで押さえ、微笑む。
疲労の色はうかがえたが、この登山――もといハイキングを楽しんでいるようだった。
この険しい山路を、多少魔法で体を支えながらも、自力で登ってきた。景色を楽しむ余裕さえある。それが嬉しくてたまらないといった様子だ。
確かに、体力のなさを嘆いていたあの頃からは考えられないことだった。
* * *
元々、ホルガーはシュタドハイスまで鉄道を使って行くつもりでいた。
ホルガー、ルコット、ばあや、それに、エドワード、ヘレン、アサト――屋敷に住まう全員が移動するなら、間違いなくそれが最も楽な道程だったからだ。
しかし、夕食の席で、それを話題に出したとき、ルコットがこう言ったのだ。
「以前仰っていたヒシャーリャ山脈からの眺めを、私も見てみたいですわ」
ルコットの願いをホルガーが無下にできるはずもない。
それに、一度はあの眺めを彼女に見せたいとも思っていた。
ホルガーは二つ返事で賛成した。
「いいですね、そうしましょう」
ヒシャーリャ山脈を通るなら、山門の一つ手前の街に、最近転移塔ができたはずだ。そこまでは苦もなく行けるだろう。
そこから山門までは少し距離があるが、日に何度も観光馬車が出ている。
ルコットの魔法ならひとっ飛びだろうが、人数が増えれば増えるほど多くの魔力が必要になる。彼女の負担を考えれば馬車を使うべきだろう。
本来魔術師にとって魔力の消耗は特に気にすべきことでもない。
運動するとお腹が空くようなものだと、ルコットも常々言っている。
ホルガーも理解はしているのだが、しかし、彼女が疲れる方法と、疲れない方法があるのなら、後者を選ぶのが自然というものだろう。
しかし、ホルガーの提案に、ルコットは遠慮がちに首を振った。
「いえ、なるべく歩いて行きたいのです。できれば、ばあやも一緒に」
自分の足で登り、そこからの景色が見てみたいのだとルコットは語った。きっと格別だろうから、と。
「なるべく足を引っ張らないように、これから毎朝屋敷の丘で足腰を鍛えますわ。疲れたらすぐに申し出ますし、きちんと休憩もとりますから」
ここまで言われては、ホルガーも首を横には振れなかった。
「……本当に、無理はなさらないですね?」
最後にそう念を押し、結局、期待に満ちたルコットの眼差しに負けてしまった。
配膳中のエドワードにじとりと睨まれ、思わず目をそらす。
女性の体力にはかなり厳しい道程だ。彼もそれを心配しているのだろう。
「……ルコットさんの鍛錬は俺が責任持って務めるから」
言い訳のようにこそこそとささやくと、執事は「いいでしょう」と言わんばかりに片眉を上げ、何事もなかったかのように去っていった。
0
あなたにおすすめの小説
そのまさか
ハートリオ
恋愛
「そのまさかですわ、旦那様!」
ーーベナ・マギネは、16才の誕生日の前日、ギネオア邸3階からロープで脱出しようとして失敗、その際、残念前世をうっすら思い出し、今世をちゃんと生きようと、先ずは旦那様を色仕掛けで骨抜きにしようとトッチラカル・・!
前世が残念な事もある・・・何のスキルも無い事だってある・・・そんなベナが全力でトッチラカリます!
設定ゆ~るゆるです。緩い気持ちで読んで頂けると助かります。
第15回恋愛小説大賞にエントリーしました。
読んで、良いなと思ってもらえたら、投票お願いします。
短編ではないので長編選びますが、中編だと思います。
雪解けの白い結婚 〜触れることもないし触れないでほしい……からの純愛!?〜
川奈あさ
恋愛
セレンは前世で夫と友人から酷い裏切りを受けたレスられ・不倫サレ妻だった。
前世の深い傷は、転生先の心にも残ったまま。
恋人も友人も一人もいないけれど、大好きな魔法具の開発をしながらそれなりに楽しい仕事人生を送っていたセレンは、祖父のために結婚相手を探すことになる。
だけど凍り付いた表情は、舞踏会で恐れられるだけで……。
そんな時に出会った壁の花仲間かつ高嶺の花でもあるレインに契約結婚を持ちかけられる。
「私は貴女に触れることもないし、私にも触れないでほしい」
レインの条件はひとつ、触らないこと、触ることを求めないこと。
実はレインは女性に触れられると、身体にひどいアレルギー症状が出てしまうのだった。
女性アレルギーのスノープリンス侯爵 × 誰かを愛することが怖いブリザード令嬢。
過去に深い傷を抱えて、人を愛することが怖い。
二人がゆっくり夫婦になっていくお話です。
妃殿下、私の婚約者から手を引いてくれませんか?
ハートリオ
恋愛
茶髪茶目のポッチャリ令嬢ロサ。
イケメン達を翻弄するも無自覚。
ロサには人に言えない、言いたくない秘密があってイケメンどころではないのだ。
そんなロサ、長年の婚約者が婚約を解消しようとしているらしいと聞かされ…
剣、馬車、ドレスのヨーロッパ風異世界です。
御脱字、申し訳ございません。
1話が長めだと思われるかもしれませんが会話が多いので読みやすいのではないかと思います。
楽しんでいただけたら嬉しいです。
よろしくお願いいたします。
「私に愛まで望むとは、強欲な女め」と罵られたレオノール妃の白い結婚
きぬがやあきら
恋愛
「私に愛まで望むな。褒賞に王子を求めておいて、強欲が過ぎると言っている」
新婚初夜に訪れた寝室で、レオノールはクラウディオ王子に白い結婚を宣言される。
それもそのはず。
2人の間に愛はないーーどころか、この結婚はレオノールが魔王討伐の褒美にと国王に要求したものだった。
でも、王子を望んだレオノールにもそれなりの理由がある。
美しく気高いクラウディオ王子を欲しいと願った気持ちは本物だ。
だからいくら冷遇されようが、嫌がらせを受けようが心は揺るがない。
どこまでも逞しく、軽薄そうでいて賢い。どこか憎めない魅力を持ったオノールに、やがてクラウディオの心は……。
すれ違い、拗れる2人に愛は生まれるのか?
焦ったい恋と陰謀+バトルのラブファンタジー。
侯爵令嬢ソフィアの結婚
今野綾
恋愛
ソフィアは希少なグリーンアイを持つヴィンセントと結婚した。これは金が欲しい父の思惑と、高い爵位が欲しいヴィンセントの思惑が一致したからに過ぎない。
そもそもヴィンセントには恋人がいて、その恋人は身分に大きな差があるために結婚することは叶わないのだ。
結婚して早々、ソフィアは実家から連れてきた侍女夫婦とあばら屋に住むように言われて……
表紙はかなさんのファンアートです✨
ありがとうございます😊
2024.07.05
恋詠花
舘野寧依
恋愛
アイシャは大国トゥルティエールの王妹で可憐な姫君。だが兄王にただならぬ憎しみを向けられて、王宮で非常に肩身の狭い思いをしていた。
そんな折、兄王から小国ハーメイの王に嫁げと命じられたアイシャはおとなしくそれに従う。しかし、そんな彼女を待っていたのは、手つかずのお飾りの王妃という屈辱的な仕打ちだった。それは彼女の出自にも関係していて……?
──これは後の世で吟遊詩人に詠われる二人の王と一人の姫君の恋物語。
助けた騎士団になつかれました。
藤 実花
恋愛
冥府を支配する国、アルハガウンの王女シルベーヌは、地上の大国ラシュカとの約束で王の妃になるためにやって来た。
しかし、シルベーヌを見た王は、彼女を『醜女』と呼び、結婚を保留して古い離宮へ行けと言う。
一方ある事情を抱えたシルベーヌは、鮮やかで美しい地上に残りたいと思う願いのため、異議を唱えず離宮へと旅立つが……。
☆本編完結しました。ありがとうございました!☆
番外編①~2020.03.11 終了
【完結】灰かぶりの花嫁は、塔の中
白雨 音
恋愛
父親の再婚により、家族から小間使いとして扱われてきた、伯爵令嬢のコレット。
思いがけず結婚が決まるが、義姉クリスティナと偽る様に言われる。
愛を求めるコレットは、結婚に望みを託し、クリスティナとして夫となるアラード卿の館へ
向かうのだが、その先で、この結婚が偽りと知らされる。
アラード卿は、彼女を妻とは見ておらず、曰く付きの塔に閉じ込め、放置した。
そんな彼女を、唯一気遣ってくれたのは、自分よりも年上の義理の息子ランメルトだった___
異世界恋愛 《完結しました》
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる