縁日ヶ丘物語

尼子猩庵

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命子 1

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 主任は常に誰かターゲットを決めていびっていた。主任のそういう教育態度が不快だとお客さまからクレームが入ることも少なからずあり、本社から注意を受けることもたびたびだったけれど、しぶとく居座り続けている古株だった。

 美那子だけ敵に回されないのは、確かな売り上げの実績のみならず、その性格的な強さもさることながら、しょせん外見上の長身や美貌によるところもあるのであろうと売り子たちは結論していた。

 それに比べて舞などは格好の標的で、美那子がそれとなく最低限の防波堤になっているとは言え、攻撃される分量と陰湿さはほかの売り子たちより酷かった。舞は主任に対して、いつもしょぼんとしているか、ぷんぷんしていた。ある一定の限度に達するたび、美那子を縁日ヶ丘へ誘った。

 舞と良助がバタンバタンと大きな音を立てて輪投げに興じている隙に、美那子はそっと抜け出して展望台へ行った。缶ビールを開けた。同僚の売り子たちから崇拝されていても、あまり積極的には守ってくれないことへの怨み言や、ひねくれた嫉妬や、陰険な当てこすり等々がまったくないわけではなかった。美那子は長い髪を大きくかき上げたり強めに振ったりして、頭に新鮮な風を入れ、胸のくさくさを清掃せんと努めた。

 その仕草がじっさい目的通りに機能しているのかわからぬまま、ともあれせっせと清掃に励みつつ、ふとそちらを見ると、またしても先客が二人いる。男女であった。美那子はビールを大きく飲んで、ゆっくり眺めた。変に大きい気分だった。礼儀作法に関する日ごろの流儀を楽しく破って、あからさまに眺めながら、だってこれは眺めるでしょ、と思った。

 まあよく会うこと。今日は男と会ってら……ところが、声は聞こえないものの、なにかこう所作や姿勢から漂う雰囲気を察するに、別れ話をしているらしかった。それで、見るのはよした。夜景に向き直り、清掃の続きをした。

 ……さて、耳をふさぐのも違うし。――風向きの加減で如何ともしがたく聞こえて来る会話は、向こうから侵略して来ているのであって、いやでも触発される好奇心に罪を感ずるというのも疲れることだった。

 途切れ途切れに聞こえるところでは、男がやわらかに提案する事々を、左手の人があくまで断るらしかった。とうとう男がなにやら優しいらしいことを言い置いて、静かに去ってゆくと、左手の人はしばし佇んだのち、柵まで歩いて来て、夜景を見始めた。

 そこからは美那子は目を逸らさなかった。果たして目が合った。ついこのあいだまで美那子と同じくらい長かった髪がバッサリ短くなっていた。舞よりは大きいけれど、まあ小柄なほうであることが、いやに目立った。

 昼間のくさくさとビールによる大きい気分のまにまに「おこんばんは」と言うと、左手の人は目元に少々警戒のような色を帯びつつ、口元だけでほほ笑んだ。

「よく会いますね」だとか、「ほんとに」だとか、そういうことを言い合った。そこへやかましい団体様が来たので、見つめ合い、肩をすくめ合ったのち、暗くて静かな、松の匂う細道を並んでぶらぶら歩き出した。

「骨相屋さんは、おいくつでいらっしゃるの」

 と尋ねた。自分だけ酔っていてなんだか卑怯に有利だけれども、こういう時は向こうもそのほうがよろしかろうと思われて。
 左手の人は美那子より三つ下で二十九歳、年齢の次にとうとう名前も聞かれて命子と答えた。美那子もお返しに名乗った。

 小さな広場のベンチに座った。蚊が耳元で鳴ったと言って、命子が両手をぶんぶん振り回すので、美那子が

「私が引き寄せますからご心配なく」

 命子はちょっと意味を考えて、
「蚊に好かれるんですか? 血液型とかで好き嫌いがあるとかって、聞いたことあります」

「まあそういうのもあるかもしれないけど、お酒飲んでるほうに行くでしょ。落語でね――
『おう、どうだい調子は』
『よくねえや』
『どうして』
『蚊が多くて困ってんだ。うちん中に蚊柱が立ってら。あちこち痒くって仕様がねえ。なんかねえか、蚊を退治する方法なんてェのは』
『そうだなァ……昔の中国に呉猛ごもうてえ野郎がいたんだよ。ェえ? 親孝行な野郎で、おっ母さんが蚊に食われねえようにてんで、自分の体に酒ェ吹きかけて、蚊を集めたってえ話があるな』
『へぇえ? ……で、それをどうすりゃいいんだい』
『だからよ、おめえのうちには二階があるだろ? 二階の壁に酒ェ吹きかけて、蚊がみんな上に行ったら、梯子を下ろしゃァいいんだよ』
『…………駄目だよそりゃァ。おめえバカだな』
『どうして』
『どうしてったって、それじゃァ次梯子かけた時にみんな降りて来るじゃねえか』――」


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