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舞い上がっていた埃が沈み、新たに積もり始める 3
しおりを挟むある日お姉さんと同居しているおじさんが、ランニングから帰って来た美那子を廊下で呼び止めて、ひどい風邪なんだが仕事に穴をあけられない、港湾の倉庫内作業なんだが代わりに行ってくれないかということだった。
オレンジジュースを持って玄関で美那子を待ち構えていた命子が顔を出し、途中から話を聞いていたと思うと、
「二人でもいいですか」
と尋ねた。小さな鼻をふくらませて、異様な張り切りようであった。美那子が話を整理する暇もなく、
「ああ、ちょっと社長に聞いてみるから」
と答えておじさんは電話しに戻った。命子は美那子を見上げて瞳を輝かせている。それで美那子はだんだん澄みつつあった感覚――尋常の流れの淀みにはまってしまったか、なにかに引っかかって打ち上げられたか、完全に沈んでしまったような感覚――もはやなにが始まるもなくなったために、なにも終わらなくなったので、ただなにか続き続けるしかなくなったような感覚――が一気に濁る。
それはしかし今ひっくり返って遠い救いになるようでなくもなかった。早朝の風に満たされた肺が涼しい。この先が醜かろうとなんだろうと少なくとも今より軽くはなると信ぜられる楽観の涼しさに鼻がすうすう通る。
「なに揉めてるの」と顔を出したお姉さんのあられもない服装もとたんに理解できるような気持ちであった。
おじさんが戻って来て、玄関を塞いでいる半裸のお姉さんを優しく押しのけると、かすれ声の鼻声で
「二人でもいいから、早く行ってくれ」
それで美那子は場所と行き方を教えてもらい、シャワーも浴びずに急いで着替えると命子と連れ立って地下鉄に乗った。降りた駅からまっすぐ南下して、言われたコンビニの手前で路地に入ると事務所があった。
社長というのはたいそう腫れぼったい顔をした背の高い初老の男性で、ほかの社員は十代半ばに見える若者たちや、どう見ても浮浪者のような老人たちがほとんどだった。なにやらとつぜんバックレた若者がいるらしく、それに電話で凄んでいるのは二十代の半ばくらいか、二度と表を歩けないようにしてやるからなという趣旨のことを怒鳴っていた。
女性は美那子と命子だけだった。若者も老人もその場で作業服に着替えていた。それから全員が慣れた様子で契約書にサインしていた。「偽名でいいよ」と言われたので二人とも適当に女優の名前を書いた。
それからトイレで作業服に着替えて安全靴を履き、ヘルメットをかぶったけれど、貸し出されたそれらの染みやら湿り気やらにおいやらは、まあ結構な御点前であった。
すこぶる年季の入ったワゴン車で、ぎゅう詰めになって本日の職場へ運ばれるはずだったが、美那子と命子は特別に、社長が手ずから高そうなセダンで送ってくれた。
革張りのシートにはもう一人、徹底して無口な、ロックバンドでもやっていそうな凛々しい金髪の青年も座っていた。自前らしいつなぎの作業服もそれなりに清潔だったが、彼は社長の親戚かなにかであろうか、それともお気に入りなだけであろうか、これはけっきょく最後まで謎であった。
事務所では奥のソファに座って我が物顔に煙草をふかしつつ社長と対等のようにしゃべっていた老人たちが今は貨物のようにすし詰めなワゴン車をセダンは優雅に追って行った。
社長から家族構成やら職歴やら尋ねられた。呂律の少々怪しい社長は、なにを答えても感心したようにハハァ、ホホォとうなっていたけれど、なんだかすぐに忘れそうだった。
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