縁日ヶ丘物語

尼子猩庵

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久治さん

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 二人が去ることを涼子さんはひどく惜しんでくれた。社長は、もうこっちからは連絡しないが、いつでも来てくれていい、秘書の話もまたその時、と言ってくれた。

 最後の仕事の帰り道、車の中で、いつも無口な久治さんが柄にもなくしゃべり出した。職場に何人かいる外国人労働者に対する慨嘆がいたんから、だんだん無脈絡に、職業ということ……礼儀ということ……グローバリズムについて……多様性について……文化とは……歴史とは……価値の分裂……意義の喪失……云々、云々云々。

 以前静華さんが古典ということについて、今にして思えば柄にもなく長広舌であったことが思い出され、それは久治さんの影響だったかと最後に納得する気分であった。

 しかし久治さんの話の大きさと高揚は、静華さんとは比べ物にならないものがあったし、なにしろいつも紳士の久治さんとは思えないくらい場違い極まりなかった。

 命子は大いにとまどう気持ちで、美那子を見た。すると美那子は、えらく熱心に耳を傾けていると思うや、久治さんの論説の趣旨をしばしば聞き返し、時には反論さえし始めたのだった。

 抽象的なことを言われるたびに具体例を迫ったり、首肯しゅこうすべからざるところはその旨表明したり、どんどん言い返すので命子ははらはらしていたが、久治さんはかえって楽しそうだった。

 論戦が高じてけんかになりそうになるとおたがいにギリギリで話題を変えたり、脱線が過ぎれば共同作業で引き戻したりしつつ、二人して手当たり次第に、ああだこうだと論じていた。やがて、なんの有益な結論を得られもしなかったけれども、久治さんは、晴れやかに、論じ終えた。

 ――まあ、あいつ(静華さん)ともこういう話をするけども、あいつは従順な生徒みたいになるからな。君みたいに噛みついてくれるくらいでないと、話がどこに行くやら俺にもわからない。自分がなにをどうわかっていて、どれくらいわかっていないかが、自分では判然としない、けっきょくはどこにでもいる、つまらない凡人さ。

 …………着いてしまったよ。最後の最後で、キナ臭い、尻切れトンボな、混乱したことを長々話して悪かった。だけど、これで最後だと思うとね。

 ほんとは、あいつも連れて、君たちと四人でどこか行ったりしたかった。そういうことができれば、あいつも楽しいだろうと思っていたんだ。

 それができなくなったんで、取り乱したことをくっちゃべっちまった。俺もこんなんだから、あいつだってしんどいと思うよ。

「でも、お話しできて、楽しかったです」

 と美那子が言うと、久治さんは苦み走った渋みの笑みで、

「そう言ってもらえると救われるよ。ありがとう。俺も楽しかった」


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