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塚銛イオ

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6.出発です。

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「ほら、行くぞ。」

手を差し出された紫沫はその手をためらわずに握った。

琅は夜遅く・・・だと思うが知らぬうちに帰ってきたようだった。
紫沫はもう眠ってしまっていたから。

やはり身体は疲れていたようで、ベッドに横になった途端意識がなくなった。

まだ暗い時間に目が覚めた時。
紫沫は大きな琅の身体にすっぽり包まれるようにして眠っていた。
そのポカポカとした心地よさにビックリしたよりもうっとりする気持ちが勝ってしまい、紫沫は再び眠りの世界に旅立った。

次に目が覚めた時。
既に外は明るい陽射しが指し始め、隣で寝ていたはずの琅の姿もなかった。
それでも、何となく布団の中は温かくて、紫沫は幸せな気持ちになった。

こんな風に誰かのぬくもりを感じて起きるのは初めてだ。
優しく、暖かで、いつまでもその微睡の中で漂っていたい。
そんな風に思えた。

ドアから聞こえる琅の紫沫を呼ぶ声がなければそのままもう一度眠ってしまっていたかも知れない。
紫沫はモソモソと這い出してドアを開けた。

「おう、悪いな。もっと眠らせてやりたかったんだけどシブキは旅慣れてなさそうだったしな。早めに出発したかったんだ。」

「ううん、ありがう。大丈夫、たくさん寝たよ。」

(あ、いけないっ。敬語忘れたっ。)

そんな風に思ったのに、返ってきたのは嬉しそうな笑顔だった。

「ああ、顔色が昨日より随分いい。簡単に食事してすぐに出発するぞ。」

「う、うんっ。」

(怒られなかったし、嬉しそうだった。)

自分が言った言葉に嬉しそうに返事をされたそれだけで、紫沫の気持ちはポカポカ温かくなる。
それはベッドの中で感じた温かさと同じで、紫沫を幸せな気持ちにさせてくれた。

昨夜と同じようなサンドイッチを食べ(紫沫は今日は水で流し込んだ)部屋の中を片付けると、いよいよ出発となる。

紫沫は琅が用意してくれた長袖のチュニックみたいな裾の長いシャツに、現代で言えばチノパンのようなズボンを履いていた。
サイズがなかった、と言われたのは紫沫が小柄なせいだ。
裾の長い服は子ども用なのだそうだ。

琅は黒いシャツにぴったりとした黒いパンツを履いていた。邪魔だから、とマントは羽織っていなかったがどこか気品のある姿をしていた。

「田舎ものっていうよりどこかの皇子さまみたい。」

「皇子?それは大層なものだな。」

ははは、と笑ってまた紫沫の頭をぐしぐしと撫でる。
何度もされて慣れてきた。


そう言えばドアの外に出るのは久しぶりだ。

倒れた所を助けられてからはずっとベッドの中にいたし、とにかく休養を欲していた紫沫の身体は、外へ出たいという好奇心も沸き起こさなかった。

「わぁっ。」

ドアを開けた途端、目の前を光の層がよぎった。
木々の隙間から差し込む光だったのか、普段よりも明るく感じる。

紫沫はきょろきょろと辺りを見渡した。
琅によると紫沫は道の真ん中で倒れていたという事だが、いったいどこの道だったのだろうか。

「どうどうっ。ほら、大人しくしろって。」

琅が連れてきたのは真っ黒で足の太い大きな馬だった。

「う、馬?」

「ああ、俺の愛馬だ。グレース、今日は頼む。」

優しく馬の鬣を撫でる琅の手で、愛馬をとてもかわいがっているのだと分かる。

「シブキは馬には乗れないだろ。お前は俺と一緒だ。今回は荷物をこいつに持ってもらうからな。」

そう言ってよく見ると、グレースから離れた場所にもう一頭馬が繋がれていた。

グレースよりも一回り小さめで栗毛の馬だ。
大人しくその辺の草を食んでいる。

「こいつはリリーだ。グレースよりも小さいが力はある。大人しくてお前が馬に乗れるんだったらコッチに乗ってもらおうと思っていた。」

「ぼ、僕、馬には。」

「分かってるって。さっきも言っただろう。お前はグレースに俺と2人乗りだ。」

「う、うん。」

生まれて初めて馬を見た。

グレースの黒い滑らかなベロアのような毛並みも。
リリーの艶やかなビロードのような毛並みもどちらも艶やかでうっとりとする。

長く緩やかに動いている二頭の尻尾は、彼女たちが心穏やかである事を表わしている。

(ああ、可愛いっ。尻尾、触ってみたいなぁ。)

思わず手を伸ばしかけて、昨日の琅の話を思い出した。

「あっ、尻尾。尻尾は不味いよね。」

つい口に出して行った言葉を拾ったのか、琅は、ははっと笑った。

「ああ、やめた方がいい。馬の後ろに回ると蹴られるぞ。」

「ひぇっ。」

「俺たち獣人と違って獣体のまま繁栄した種もある。こいつらは話こそ出来ないが俺たちと性質が同じような所があるんだ。身体に触れる事自体がそいつに気に入られないと許されないんだから俺たちよりも高潔かもな。」

そんな気位の高い彼女たちが自分みたいな何の取り得もない男を乗せてくれるのだろうか、とも思ったが琅に呼ばれてグレースに触れさせてもらうと彼女は優しい仕草で頬を寄せてくれた。

「あったかい・・・。」

「ああ、グレースもお前を気に入ってくれたみたいだ。大丈夫、俺がついてる。」

馬に乗って、新しい場所に向かっていく。
これからの事に不安を抱えていた紫沫は、そう言ってくれた琅の力強い言葉に慰められた。

隣にある逞しい存在に胸がきゅんと切ない気持ちになる。
それが何か考えるよりも先にひょいっと紫沫の身体が持ち上げられた。

「うわっぁっ。」

「ほら、動かないで。ちょっと待ってろ。」

そう言うと、今度は琅がちょっと鐙につま先を引っ掛けてひょいと馬上へ乗ってきた。

どうどう、と手綱を上手に操って、2人が乗った衝撃にグレースが慣れるまで待ってあげている。
次第に落ち着いてきたグレースを見て、琅は紫沫に声を掛けた。

「結構高いだろう。歩くにしてもちょっと慣れるまでは苦労するけどな。大丈夫、俺が教えてやるし、支えてやるからな。」

琅はそう言って紫沫を胸元に抱き込むと、慣れた仕草で出発の合図を送った。

「さ、出発しよう。いくぞ。」

「う、うんっ。」

不安や恐れはあっても、きっと大丈夫だ、と根拠のない自信は琅がいるから。
背中に感じる温もりは紫沫に何よりも強い安心感をもたらす存在となった。

「い、行こう。お願い、ロウ。」

「ああっ。」

力強い声が背中に響いて、紫沫は前を見据えるように顔を上げて、街へと向かった。

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