呪われ公爵様は偏執的に花嫁を溺愛する

香月文香

文字の大きさ
17 / 28

神の声

しおりを挟む
 状況が掴めない。天地が逆さまになって、視界がぐるぐると回っている。焦りに駆られる状況のはずなのに、なぜか心は凪いでいて、全てがどこか遠くの出来事のように感じられた。

「……ルファス、さま……?」

 辛うじて動く唇を動かした。ルファスが神官服の裾を払い、床に倒れ伏すイリーシャの横に膝をついた。

「おや、まだ話せるとは、さすが大聖女の娘ですね」
「……大、聖女?」

 霞がかかったような頭の中、その単語が一つの記憶を引っ張り出す。確かそれは、今は行方不明の尊き方。ユージンが生まれて四年後に消息を絶ったという。

(……私とロビンが生まれた頃だ)

 ルファスはイリーシャの髪を掬いあげ、たわやかに口づけた。

「大聖女イルシアさまが、マルセル男爵との間に産んだのが男女の双子だと聞いたとき、神の意志が私に触れたのですよ」

 ルファスの笑みはますます神々しさを帯びていく。

「彼らを用いて、人々を救済せよ、と」

 彼の腕が伸びて、イリーシャを横抱きにする。ぐったりした彼女の体を長椅子に横たえ、血の気の抜けた頬を撫でた。

「大丈夫ですよ、乱暴なことはしません。あなたは貴重な胎ですから」
「はら……?」
「はい。大聖女の血を継ぐあなたは、魔力を持った人間を産み増やすのにぴったりです。こちらでも高い魔力を保持する神官を多数用意しましたから、案ずることはございませんよ」

 ルファスの手が触れたところから、イリーシャの肌が粟立つ。吐き気がした。

「そんなことをしてどうするの……」
「決まっています。人々を救うのですよ」
「繋がりが見えないわ」
「この世には、苦しみが多すぎると思いませんか?」

 ルファスが無邪気に笑った。唇の間から、白い歯が見えた。

「私はね、ずっと考えていました。どうやったら人々から苦しみを取り除けるのか。神官として神殿に入ったものの、なかなか答えが見つからずにおりました。けれど迷える人々と接するうちに気がついたのです。彼らが苦しむのは、憎しみだとか嫉妬だとか、負の感情に囚われているからだと。——イリーシャさま、あなたもそうではないですか?」
「なにを……」

 ルファスの手が伸び、イリーシャの懐から落ちたロビンの手紙を拾い上げる。それを指先で弄びながら、澄んだ瞳を三日月の形に歪めた。

「あなたは弟君をユージン卿に殺され、その憎しみから逃れたくて、ここに救いを求めにおいでになったのでしょう?」

 イリーシャは不意を突かれ、視線を揺らした。

 ルファスの言う通り……なのか。

 ユージンを許せないと思い、けれどキスをして熱を知ってしまって。

 憎悪が揺らいで、どうしたらいいか分からなくなって、ロビンの手紙に縋ってここまで来た。
 それは、憎しみから解放されたいということなのだろうか。もう彼を憎むのをやめて、新しい人生を歩みたいと?

(あの手紙を読んで、本当にそんなことを考えたの?)

 そんな——物分かりのいいことを?

 ルファスの演説は続く。目には取り憑かれたような妖しさが宿り、そのくせ輝きは澄み渡っていた。

「私は奉仕に励むうちに、神の声を聞いたのです。そんなものは取り除いてしまえばいい、と」

 たとえば、とルファスはテーブルの上を指差した。カップが倒れ、紫色の液体が広がっている。

「あのお茶は、私が開発したものです。もとは助かる見込みのない患者に与える鎮痛薬の材料でしたが、それを飲みやすくして。美味しかったでしょう? まだ開発途上ですが、あれを飲むと感情が丸くなって、みな穏やかな顔つきになるのですよ。今のあなたもそうです。見てみますか?」

 ルファスはイリーシャの顔の前に手鏡を差し出した。こんな状況だというのに、イリーシャの顔は和やかで、淡い笑みさえ浮かべている。淑女にあるまじく、舌打ちしたくなった。効能は抜群というわけだ。

 ルファスはため息をついた。

「でも、こんなものでは足りないのです。もっと多くの人々を救うためには、もっと多くの人手がいる。それも神官や聖女でなくては」
「どうして……」
「神の声を聞き届けなくては」

 ルファスの眼差しは真剣だった。
 一片の疑いの余地もなく、太陽が東から上るのを説くように、言い切る。

「神の声を聞けるのは、神によって選ばれた人間だけです。そして魔力こそが、神の権能を与えられた、選ばれし人間の証明。でなければ、ただの人間が神のごとく奇跡を起こす意味が分からない」

 ルファスの視線が、ほんの一瞬、遠くを彷徨う。何かを懐かしむように。

「どうして魔力を持つ人間と、持たない人間がいるのでしょう? 皆が神の声に耳を傾ければいいのに。そうすればもっと世界は善くなるのに。強力な未来視をすれば、将来起こる災害を回避できる。医師では救えない重病の患者でも、高位の神官聖女であれば救える可能性がある。——そう、たとえば」

 ルファスは顔を寄せ、内緒話をするように囁いた。

「強力な呪いを受けたものでも」

 イリーシャはわずかに目を見開いた。

 そのとき、にわかに部屋の外が騒がしくなった。迷いのない足音と、それを制止しようとする神官の声が入り混じる。何かが割れたり、ぶつかったりする鈍い音も響いてくる。

 イリーシャの鼓動が高く鳴った。予感がする。こういうときに現れる人間を、彼女は一人しか知らない。

 足音が部屋の前で止まる。一瞬の沈黙ののち、勢いよく扉が蹴破られた。

 開かれる扉の向こう側、姿を現したのは、不吉な闇色の髪を乱し、瞳を炯々と光らせた、

「——イリーシャ」

 ユージン以外、あり得ないのだった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

お腹の子と一緒に逃げたところ、結局お腹の子の父親に捕まりました。

下菊みこと
恋愛
逃げたけど逃げ切れなかったお話。 またはチャラ男だと思ってたらヤンデレだったお話。 あるいは今度こそ幸せ家族になるお話。 ご都合主義の多分ハッピーエンド? 小説家になろう様でも投稿しています。

転移先で日本語を読めるというだけで最強の男に囚われました

桜あずみ
恋愛
異世界に転移して2年。 言葉も話せなかったこの国で、必死に努力して、やっとこの世界に馴染んできた。 しかし、ただ一つ、抜けなかった癖がある。 ──ふとした瞬間に、日本語でメモを取ってしまうこと。 その一行が、彼の目に留まった。 「この文字を書いたのは、あなたですか?」 美しく、完璧で、どこか現実離れした男。 日本語という未知の文字に強い関心を示した彼は、やがて、少しずつ距離を詰めてくる。 最初はただの好奇心だと思っていた。 けれど、気づけば私は彼の手の中にいた。 彼の正体も、本当の目的も知らないまま。すべてを知ったときには、もう逃げられなかった。

ヤンデレ旦那さまに溺愛されてるけど思い出せない

斧名田マニマニ
恋愛
待って待って、どういうこと。 襲い掛かってきた超絶美形が、これから僕たち新婚初夜だよとかいうけれど、全く覚えてない……! この人本当に旦那さま? って疑ってたら、なんか病みはじめちゃった……!

【完結】目覚めたら男爵家令息の騎士に食べられていた件

三谷朱花
恋愛
レイーアが目覚めたら横にクーン男爵家の令息でもある騎士のマットが寝ていた。曰く、クーン男爵家では「初めて契った相手と結婚しなくてはいけない」らしい。 ※アルファポリスのみの公開です。

幼い頃に、大きくなったら結婚しようと約束した人は、英雄になりました。きっと彼はもう、わたしとの約束なんて覚えていない

ラム猫
恋愛
 幼い頃に、セレフィアはシルヴァードと出会った。お互いがまだ世間を知らない中、二人は王城のパーティーで時折顔を合わせ、交流を深める。そしてある日、シルヴァードから「大きくなったら結婚しよう」と言われ、セレフィアはそれを喜んで受け入れた。  その後、十年以上彼と再会することはなかった。  三年間続いていた戦争が終わり、シルヴァードが王国を勝利に導いた英雄として帰ってきた。彼の隣には、聖女の姿が。彼は自分との約束をとっくに忘れているだろうと、セレフィアはその場を離れた。  しかし治療師として働いているセレフィアは、彼の後遺症治療のために彼と対面することになる。余計なことは言わず、ただ彼の治療をすることだけを考えていた。が、やけに彼との距離が近い。  それどころか、シルヴァードはセレフィアに甘く迫ってくる。これは治療者に対する依存に違いないのだが……。 「シルフィード様。全てをおひとりで抱え込もうとなさらないでください。わたしが、傍にいます」 「お願い、セレフィア。……君が傍にいてくれたら、僕はまともでいられる」 ※糖度高め、勘違いが激しめ、主人公は鈍感です。ヒーローがとにかく拗れています。苦手な方はご注意ください。 ※『小説家になろう』様『カクヨム』様にも投稿しています。

【完結】モブのメイドが腹黒公爵様に捕まりました

ベル
恋愛
皆さまお久しぶりです。メイドAです。 名前をつけられもしなかった私が主人公になるなんて誰が思ったでしょうか。 ええ。私は今非常に困惑しております。 私はザーグ公爵家に仕えるメイド。そして奥様のソフィア様のもと、楽しく時に生温かい微笑みを浮かべながら日々仕事に励んでおり、平和な生活を送らせていただいておりました。 ...あの腹黒が現れるまでは。 『無口な旦那様は妻が可愛くて仕方ない』のサイドストーリーです。 個人的に好きだった二人を今回は主役にしてみました。

番探しにやって来た王子様に見初められました。逃げたらだめですか?

ゆきりん(安室 雪)
恋愛
私はスミレ・デラウェア。伯爵令嬢だけど秘密がある。長閑なぶどう畑が広がる我がデラウェア領地で自警団に入っているのだ。騎士団に入れないのでコッソリと盗賊から領地を守ってます。 そんな領地に王都から番探しに王子がやって来るらしい。人が集まって来ると盗賊も来るから勘弁して欲しい。 お転婆令嬢が番から逃げ回るお話しです。 愛の花シリーズ第3弾です。

バッドエンド予定の悪役令嬢が溺愛ルートを選んでみたら、お兄様に愛されすぎて脇役から主役になりました

美咲アリス
恋愛
目が覚めたら公爵令嬢だった!?貴族に生まれ変わったのはいいけれど、美形兄に殺されるバッドエンドの悪役令嬢なんて絶対困る!!死にたくないなら冷酷非道な兄のヴィクトルと仲良くしなきゃいけないのにヴィクトルは氷のように冷たい男で⋯⋯。「どうしたらいいの?」果たして私の運命は?

処理中です...