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始まりの合図 2
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テレビから流れるバラエティ番組を聞き流しつつ、紗耶は持ち帰った仕事をしていた。
手元には『黒木悠牙に聞く10のこと』と題した、蘭から預けられた資料がある。
あまりにもトレンドに疎い紗耶のためにと、黒木悠牙の出演するドラマの原作漫画も、手の届く場所に数冊積まれていた。
序盤は甘酸っぱい青春を謳歌する学生時代から始まり、社会人となった年から物語は動き出す。
その主演に選ばれたのが、黒木悠牙ということだった。
「よし、ひと段落したし今日はこれくらいかな。蘭から借りたやつも読まないと」
ある程度キリのいい所でパソコンの電源を落とし、独りごちりながら視線をテレビに向ける。
「──してだよ。俺はずっとお前が好きだったのに」
どうやら丁度、来週始まるドラマの予告編が流れた時だった。
少し長い黒髪を左右に整えてシンプルなスーツに身を包む男性と、前下がりボブでボーイッシュな出で立ちをした女性が向かい合っている。
次いで『大人になってから恋が動き出す』とテロップが流れた。
紗耶は掛けていた眼鏡を一度外し、眉間を軽くマッサージする。
(黒木さんと……高崎友里香さん、かぁ)
蘭から聞いた事だが、二人は昔から交友があるという。
というのも、友里香とは一度企画の取材で会っているため、そこからプライベートでも会うようになった。
蘭は元々コミュニケーション能力に優れている。男女問わず、初対面の相手とすぐに打ち解けられるところは紗弥にない長所だ。
友里香と仲良くなるにつれて悠牙とも顔見知りになり、今回の取材も快く引き受けてくれた。
友里香はテレビでは可愛らしいが、オフの時は思った事をズバズバ言う気持ちのいい性格をしているらしい。
(聞いちゃ駄目なことも聞いた気がするけど)
仕事柄、芸能人を中心に取材に精を出している蘭だが、悠牙とは今回が初対面らしかった。
だから紗耶は勿論、蘭もテレビでの悠牙しか知らない。
しかし、友里香から事前に聞いた話によると、落ち着いており寡黙な男性らしかった。
ただ、紗耶や蘭と年が同じだからすぐに打ち解けられるのでは、と言っていたという。
「……やっぱり断ったらよかったかも」
紗耶はテーブルに突っ伏し、小さく呟く。
蘭にはポジティブなことを言ったが、よくよく一人で考えた今、恐怖心の方が強くなっていた。
思い出すのは小学生の頃、その同級生だった泰我からされた数々。
今思えば小学生男児特有の照れ隠しという線もあったが、その時の紗耶はあまりにも視野が狭まっていたようで。
「忘れないと、なのになぁ」
小学生の頃の記憶は、ほとんどは時が経てば風化されるものだろう。そして大人になれば忘れてしまう。
けれど、人は簡単に忘れられないと紗耶は知っていた。
少し荒療治でも男性に慣れ、原因となったトラウマを克服しなければと、頭では分かっている。
「……明日また蘭に言おう」
どうすればいいのか、一人で考えていても何も始まらないのも事実だ。
良き同僚であり、心優しい親友は、きっと紗耶の思いを真摯に聞いてくれるだろう。
すっと紗耶は目を閉じ、気付けばそのまま眠りに就いていた。
◆◆◆
「んー。なんて言うのかな、紗耶はこう……過去に縛られ過ぎというか」
翌日の昼。会社からほど近くにあるレストランで、蘭とランチを摂っていた。
二人の目の前には、白い雪のようなチーズのかかったペペロンチーノがそれぞれ置かれている。
「やっぱり……?」
紗耶はフォークにパスタを巻き付けつつ、蘭に問い掛けた。
「自分でも分かってるんじゃない。じゃあ後は簡単、黒木さんと会ってみようよ。友里香ちゃんの話じゃ最初こそ取っ付きにくいみたいだけど、きっと仲良くなったら楽しいって!」
最後の言葉が蘭の予想だろうことは、さすがの紗耶でもわかる。
「……仲良くはなれないかも」
「そういえば初めて来たけど、ここのランチ美味しいよね。また来ようか、今度は違うもの頼んでシェアし合ってさ」
小さな言葉は聞こえていなかったのか、もしくは気遣われたのか。蘭は紗耶の言葉には答えず、ペペロンチーノに舌鼓を打っている。
(暗くなっちゃ駄目よ。蘭みたいにポジティブにならないと)
あまり味のしなくなったランチを口に入れながら、紗耶は気合いを入れ直す。
何事も俯瞰する癖があるからか、先に悪い方向へ考えてしまうのだ。
自分が変わる為にも、過去を完全に断ち切る為にも、今回の企画は紗耶にとってチャンスだと言えた。
arc-en-cielで働く人間は、出版部署だけならず女性がほとんどを占めている。
元々レディースブランドを発足しているというのもあるが、近年は男性社員の就職率が一割にも満たないというのが一因だった。
そのため、arc-en-cielでは異性との接点が無いに等しい。
だから紗耶は二十五となるこの年まで過去と決別する事はおろか、異性だけに発揮する人見知りを克服出来ずにいた。
(昨日から同じことばっかり考えて……何も解決していないもの)
小さな頃の自分と、その当時淡い恋心を抱いていた少年の顔が交互に浮かぶ。
そして、異性が怖くなった原因である少年の顔も。
「紗耶?」
「っ」
顔の前でひらひらと手を振られ、紗耶は思考を停止させる。
それまで話題を逸らそうと話していてくれた蘭が、怪訝そうな表情でこちらをじっと見つめていた。
「ごめん、ぼーっとしてて」
気遣ってくれたという申し訳なさに苛まれ、紗耶は慌てて目を伏せる。
「そこまで企画で悩ませてるなら、やっぱりやめておく? 今なら別の人を──」
「だ、大丈夫!」
今にも蘭が電話に手を掛けようとしたため、紗耶は慌てた。
このままではせっかくの企画が帳消しになり、自分のせいで一から資料などを集めなければいけなくなる。
蘭とてプロだ。
これくらいどうとでもないというのは十分に分かっているが、それでも紗耶は嫌だった。
「昨日仕事を持ち帰ってたから、あんまり眠れてないだけよ。それで打ち合わせっていつなの?」
「あ、うん。えっとね……」
椅子から立ち上がり食い気味に言ったからか、半ば気圧されるように蘭は口を開いた。
そうして昼食を摂りつつ、大まかな内容の説明を受ける。
「いつもならうちの空き部屋を借りるんだけど、何枚かポトレ撮りたいから最初はカフェにしたいの。私が取材するから紗耶はカメラ担当ね」
カメラマンとして、被写体の表情を引き出す事は紗耶の得意分野だった。
どうしてかレンズを通してならば、ある程度は異性の顔を見られる。
口篭る事はあっても、普段より言いたいことがスラスラと出る節があった。
「……大丈夫そう?」
時折紗耶の表情を見ながら『大丈夫』と聞いてくれる蘭に、どれほど礼を言っても足りない。
(やっぱり蘭には敵わないなぁ)
紗耶の性格をよく知ってくれ、フォローもしてくれる女友達はきっと蘭しかいないだろう。
「うん。任せて」
言葉として伝える勇気は、今の紗耶にはない。
その代わり、今できる精一杯の笑顔を浮かべた。
◆◆◆
あっという間に悠牙との打ち合わせの日がやってきた。
その前日はあまり眠れなかったものの、頭の中はすっきりしているから不思議だ。
待ち合わせ場所として指定したカフェは、落ち着いた雰囲気のある所だった。
店先には季節のメニューを書いた看板と小さな観葉植物がいくつかあり、店内に入ると各テーブルに色とりどりの可愛らしい花が置かれていた。
「わぁ……!」
知らずのうちに紗耶は感嘆の声を上げる。
というのも、あまりお洒落は場所には来たことがなく、こうしたカフェですら縁遠い生活をしてきた。
「行くよ、紗耶」
紗耶がキョロキョロと店内を見回している間に、蘭は目的の人物を見つけたらしい。
窓際の席には、ぴんと背筋を伸ばした男性がいた。
遠目から見ても、そこだけオーラが違う事が紗耶でも分かった。
(失礼のないようにしなくちゃ)
きゅっと小さく手を握り締め、紗耶は頭を切り替える。
男性恐怖症を克服する為に蘭が誘ってくれた事であっても、これはれっきとした仕事だ。
加えて相手はテレビに出ている芸能人。
ここからはあまり気負わずにした方がいいだろう。
「はじめまして。株式会社arc-en-cielから来ました、英です。こちらはカメラマンを担当します白川です」
「……よろしくお願い、します!」
しかし、蘭が紹介してくれたと同時に頭を下げてしまった。
(わ、私のバカ~~~!)
加えて少し声が裏返ったようで二重に自分を責める。
「お待たせしてしまいすみません。すぐに準備しますね」
そんな紗耶を落ち着かせる為か、蘭がポンポンと背中を叩いてくれる。
その手に押されて恐る恐る顔を上げると、そこには正真正銘の『黒木悠牙』がいた。
「大丈夫ですよ。俺もさっき着いたところなので」
涼やかな声音は、昨日観たドラマよりも幾分か低く穏やかだ。
やや長い黒髪に通った鼻梁、ほんのりと笑んだ唇はうっすらと赤い。
どことなく韓国系アイドルにいそうな、柔らかい雰囲気があった。
「あ、その前に何か頼みますか? 急いで来てくれたみたいですし」
テーブルにあったメニューをこちら側に向け、悠牙がドリンクの欄を指し示す。
コーヒーから始まりカフェオレにエスプレッソ、オレンジジュースなどといった豊富なラインナップだ。
「んー、じゃあカフェオレを。紗耶は?」
「同じもの、で」
テーブルを挟んで向かい側には悠牙がおり、あまり意識しないように努めても顔が熱くなるのがわかった。
今ですら、蘭の言葉と自分の心臓の音しか聞こえない。
「分かりました。──すいませーん」
悠牙が店員を呼んで注文をしてくれている間に、蘭が資料や悠牙に関する記事をカバンから出す。
手慰みでしかないが、紗耶は既に調整し終えていたカメラを再度確認する。
早くこのカメラで悠牙を撮りたい。
そしたら、少しは本来の紗弥でいられる気がした。
手元には『黒木悠牙に聞く10のこと』と題した、蘭から預けられた資料がある。
あまりにもトレンドに疎い紗耶のためにと、黒木悠牙の出演するドラマの原作漫画も、手の届く場所に数冊積まれていた。
序盤は甘酸っぱい青春を謳歌する学生時代から始まり、社会人となった年から物語は動き出す。
その主演に選ばれたのが、黒木悠牙ということだった。
「よし、ひと段落したし今日はこれくらいかな。蘭から借りたやつも読まないと」
ある程度キリのいい所でパソコンの電源を落とし、独りごちりながら視線をテレビに向ける。
「──してだよ。俺はずっとお前が好きだったのに」
どうやら丁度、来週始まるドラマの予告編が流れた時だった。
少し長い黒髪を左右に整えてシンプルなスーツに身を包む男性と、前下がりボブでボーイッシュな出で立ちをした女性が向かい合っている。
次いで『大人になってから恋が動き出す』とテロップが流れた。
紗耶は掛けていた眼鏡を一度外し、眉間を軽くマッサージする。
(黒木さんと……高崎友里香さん、かぁ)
蘭から聞いた事だが、二人は昔から交友があるという。
というのも、友里香とは一度企画の取材で会っているため、そこからプライベートでも会うようになった。
蘭は元々コミュニケーション能力に優れている。男女問わず、初対面の相手とすぐに打ち解けられるところは紗弥にない長所だ。
友里香と仲良くなるにつれて悠牙とも顔見知りになり、今回の取材も快く引き受けてくれた。
友里香はテレビでは可愛らしいが、オフの時は思った事をズバズバ言う気持ちのいい性格をしているらしい。
(聞いちゃ駄目なことも聞いた気がするけど)
仕事柄、芸能人を中心に取材に精を出している蘭だが、悠牙とは今回が初対面らしかった。
だから紗耶は勿論、蘭もテレビでの悠牙しか知らない。
しかし、友里香から事前に聞いた話によると、落ち着いており寡黙な男性らしかった。
ただ、紗耶や蘭と年が同じだからすぐに打ち解けられるのでは、と言っていたという。
「……やっぱり断ったらよかったかも」
紗耶はテーブルに突っ伏し、小さく呟く。
蘭にはポジティブなことを言ったが、よくよく一人で考えた今、恐怖心の方が強くなっていた。
思い出すのは小学生の頃、その同級生だった泰我からされた数々。
今思えば小学生男児特有の照れ隠しという線もあったが、その時の紗耶はあまりにも視野が狭まっていたようで。
「忘れないと、なのになぁ」
小学生の頃の記憶は、ほとんどは時が経てば風化されるものだろう。そして大人になれば忘れてしまう。
けれど、人は簡単に忘れられないと紗耶は知っていた。
少し荒療治でも男性に慣れ、原因となったトラウマを克服しなければと、頭では分かっている。
「……明日また蘭に言おう」
どうすればいいのか、一人で考えていても何も始まらないのも事実だ。
良き同僚であり、心優しい親友は、きっと紗耶の思いを真摯に聞いてくれるだろう。
すっと紗耶は目を閉じ、気付けばそのまま眠りに就いていた。
◆◆◆
「んー。なんて言うのかな、紗耶はこう……過去に縛られ過ぎというか」
翌日の昼。会社からほど近くにあるレストランで、蘭とランチを摂っていた。
二人の目の前には、白い雪のようなチーズのかかったペペロンチーノがそれぞれ置かれている。
「やっぱり……?」
紗耶はフォークにパスタを巻き付けつつ、蘭に問い掛けた。
「自分でも分かってるんじゃない。じゃあ後は簡単、黒木さんと会ってみようよ。友里香ちゃんの話じゃ最初こそ取っ付きにくいみたいだけど、きっと仲良くなったら楽しいって!」
最後の言葉が蘭の予想だろうことは、さすがの紗耶でもわかる。
「……仲良くはなれないかも」
「そういえば初めて来たけど、ここのランチ美味しいよね。また来ようか、今度は違うもの頼んでシェアし合ってさ」
小さな言葉は聞こえていなかったのか、もしくは気遣われたのか。蘭は紗耶の言葉には答えず、ペペロンチーノに舌鼓を打っている。
(暗くなっちゃ駄目よ。蘭みたいにポジティブにならないと)
あまり味のしなくなったランチを口に入れながら、紗耶は気合いを入れ直す。
何事も俯瞰する癖があるからか、先に悪い方向へ考えてしまうのだ。
自分が変わる為にも、過去を完全に断ち切る為にも、今回の企画は紗耶にとってチャンスだと言えた。
arc-en-cielで働く人間は、出版部署だけならず女性がほとんどを占めている。
元々レディースブランドを発足しているというのもあるが、近年は男性社員の就職率が一割にも満たないというのが一因だった。
そのため、arc-en-cielでは異性との接点が無いに等しい。
だから紗耶は二十五となるこの年まで過去と決別する事はおろか、異性だけに発揮する人見知りを克服出来ずにいた。
(昨日から同じことばっかり考えて……何も解決していないもの)
小さな頃の自分と、その当時淡い恋心を抱いていた少年の顔が交互に浮かぶ。
そして、異性が怖くなった原因である少年の顔も。
「紗耶?」
「っ」
顔の前でひらひらと手を振られ、紗耶は思考を停止させる。
それまで話題を逸らそうと話していてくれた蘭が、怪訝そうな表情でこちらをじっと見つめていた。
「ごめん、ぼーっとしてて」
気遣ってくれたという申し訳なさに苛まれ、紗耶は慌てて目を伏せる。
「そこまで企画で悩ませてるなら、やっぱりやめておく? 今なら別の人を──」
「だ、大丈夫!」
今にも蘭が電話に手を掛けようとしたため、紗耶は慌てた。
このままではせっかくの企画が帳消しになり、自分のせいで一から資料などを集めなければいけなくなる。
蘭とてプロだ。
これくらいどうとでもないというのは十分に分かっているが、それでも紗耶は嫌だった。
「昨日仕事を持ち帰ってたから、あんまり眠れてないだけよ。それで打ち合わせっていつなの?」
「あ、うん。えっとね……」
椅子から立ち上がり食い気味に言ったからか、半ば気圧されるように蘭は口を開いた。
そうして昼食を摂りつつ、大まかな内容の説明を受ける。
「いつもならうちの空き部屋を借りるんだけど、何枚かポトレ撮りたいから最初はカフェにしたいの。私が取材するから紗耶はカメラ担当ね」
カメラマンとして、被写体の表情を引き出す事は紗耶の得意分野だった。
どうしてかレンズを通してならば、ある程度は異性の顔を見られる。
口篭る事はあっても、普段より言いたいことがスラスラと出る節があった。
「……大丈夫そう?」
時折紗耶の表情を見ながら『大丈夫』と聞いてくれる蘭に、どれほど礼を言っても足りない。
(やっぱり蘭には敵わないなぁ)
紗耶の性格をよく知ってくれ、フォローもしてくれる女友達はきっと蘭しかいないだろう。
「うん。任せて」
言葉として伝える勇気は、今の紗耶にはない。
その代わり、今できる精一杯の笑顔を浮かべた。
◆◆◆
あっという間に悠牙との打ち合わせの日がやってきた。
その前日はあまり眠れなかったものの、頭の中はすっきりしているから不思議だ。
待ち合わせ場所として指定したカフェは、落ち着いた雰囲気のある所だった。
店先には季節のメニューを書いた看板と小さな観葉植物がいくつかあり、店内に入ると各テーブルに色とりどりの可愛らしい花が置かれていた。
「わぁ……!」
知らずのうちに紗耶は感嘆の声を上げる。
というのも、あまりお洒落は場所には来たことがなく、こうしたカフェですら縁遠い生活をしてきた。
「行くよ、紗耶」
紗耶がキョロキョロと店内を見回している間に、蘭は目的の人物を見つけたらしい。
窓際の席には、ぴんと背筋を伸ばした男性がいた。
遠目から見ても、そこだけオーラが違う事が紗耶でも分かった。
(失礼のないようにしなくちゃ)
きゅっと小さく手を握り締め、紗耶は頭を切り替える。
男性恐怖症を克服する為に蘭が誘ってくれた事であっても、これはれっきとした仕事だ。
加えて相手はテレビに出ている芸能人。
ここからはあまり気負わずにした方がいいだろう。
「はじめまして。株式会社arc-en-cielから来ました、英です。こちらはカメラマンを担当します白川です」
「……よろしくお願い、します!」
しかし、蘭が紹介してくれたと同時に頭を下げてしまった。
(わ、私のバカ~~~!)
加えて少し声が裏返ったようで二重に自分を責める。
「お待たせしてしまいすみません。すぐに準備しますね」
そんな紗耶を落ち着かせる為か、蘭がポンポンと背中を叩いてくれる。
その手に押されて恐る恐る顔を上げると、そこには正真正銘の『黒木悠牙』がいた。
「大丈夫ですよ。俺もさっき着いたところなので」
涼やかな声音は、昨日観たドラマよりも幾分か低く穏やかだ。
やや長い黒髪に通った鼻梁、ほんのりと笑んだ唇はうっすらと赤い。
どことなく韓国系アイドルにいそうな、柔らかい雰囲気があった。
「あ、その前に何か頼みますか? 急いで来てくれたみたいですし」
テーブルにあったメニューをこちら側に向け、悠牙がドリンクの欄を指し示す。
コーヒーから始まりカフェオレにエスプレッソ、オレンジジュースなどといった豊富なラインナップだ。
「んー、じゃあカフェオレを。紗耶は?」
「同じもの、で」
テーブルを挟んで向かい側には悠牙がおり、あまり意識しないように努めても顔が熱くなるのがわかった。
今ですら、蘭の言葉と自分の心臓の音しか聞こえない。
「分かりました。──すいませーん」
悠牙が店員を呼んで注文をしてくれている間に、蘭が資料や悠牙に関する記事をカバンから出す。
手慰みでしかないが、紗耶は既に調整し終えていたカメラを再度確認する。
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