ずっと君の傍にいたい 〜幼馴染み俳優の甘い檻〜

月城雪華

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再会とキス 1

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 日曜日、紗耶の姿は表参道のカフェにあった。
 紗耶の待っている相手は雅だ。
 悠牙から雅のものらしきSNSのIDを教えられてから、メッセージのやり取りをして数日。

 今日は丁度紗耶が休みの日であり、雅とも予定が合ったためこうして会う事になった。
 予定よりも早く着き過ぎてしまったから、一言『先に待ってます』とメッセージを送る。

 ものの数分でOKとフリップを持ったクマのスタンプが送られてきて、『もう少しで着くから待ってて』と返信が来る。

「ふふ」

 紗耶は小さく吹き出した。
 どうやら雅はスタンプを多用するようで、緩い動物系のものがお気に入りらしかった。
 あまりこうしたやり取りを異性とする経験が無いため、紗耶は最初の一文を考えるだけでも時を要する。

 しかし雅のことは昔から知っているからか、慣れるまでそれほど時間はかからなかった。
 休みの日に会いたいと言われてから、雅と会う事が楽しみになっている自分がいた。

(思えば雅とやり取りするようになって、男の人が怖くなくなった……かも)

 それ以前は確かに異性が怖かったはずが、今はそうでもなかった。
 時々社内に打ち合わせにやってくる男性に対しても、臆することなく接しているから不思議なものだ。

 雅には紗耶が男性恐怖症だということを話していないが、文章面でやり取りをしていてもどこか気遣ってくれている節がある。
 最近の体調や何をしたという事は勿論、雅は一日の最初と最後に必ず挨拶をしてくれる。

 それは昔、紗耶が一方的に雅に話し掛けていた事だった。
 いじめられていた頃の事を雅本人が忘れていない訳がないが、それが昔に戻ったようで嬉しくて、そのメッセージが来た時紗耶はしばらく泣いていた。

(あ、この曲)

 無線イヤホンからとある女性シンガーソングライターの歌声が、紗耶の耳にじんわりと広がって溶けていく。

 ──愛しています、心から貴方を

 女性の歌う曲は、昨今のドラマの主題歌になっているものだ。
 年は紗耶より三つほど下だが、その声音や歌っている時の表情は普通の人間に比べて淡く、儚い。
 それに、どこかに攫われてしまいそうな危うさがその女性にはあった。

 ──願いし想いは貴方のためにあるのだと、そう思わせて……私に

(まるで今の私みたい)

 片思いをしている恋心を歌った曲が、今の紗耶とぴったり重なる。
 元々、雅に淡い恋心を抱いていた。
 巡り巡って直接顔を合わせる事になったが、どこか胸の奥がくすぐったい。

(これも雅だから、なのかな)

 紗耶は珈琲を傾けながら、ちらちらと落ち着かない気持ちで窓際に視線を向ける。
 今日は日曜日のため、家族連れやカップルの姿がカフェにはあった。
 雅が見つけて誘ってくれなければ、きっと紗耶が行かないであろう所だ。

 客の誰もが紗耶から見るとお洒落であり、つくづく自分は着飾ることに頓着がないと恥じる。
 ただ、その中で目立つとはいえないが、白い小花柄のワンピースは紗耶のお気に入りのものだ。

 雅と会う事が決まってから自分に似合う服を漁り、普段はあまりしていないメイクの仕方も変えた。
 自分にしては頑張った方だと思うが、少しの不安も残る。

(はりきりすぎてるかもしれない……)

 最後に会ってから十五年ほど経つとはいえ、雅に幻滅されたくなかった。
 雅の中での紗耶は強く、どんなものからも守ってくれる『女の子』だと思われている。

 それが今では異性が怖く、正義感の強さもなりを潜めてしまった。加えて目立たないよう、普段から地味な服装をしているとは思われたくない。
 雅に嘘を吐くのははばかられるが、昔から大事にはぐくんでいた淡い恋心だけは本物なのだ。

(ううん、暗くなっちゃ駄目よ。……あの頃みたいに明るくしていないと)

 雅が顔を見せた時、笑えている自信は正直なところあまり無い。
 しかし、カフェを出たら軽く散策をするだろう。
 表参道にはあまり行かない、と正直に申し出たら『大丈夫、案内するよ』と言ってくれたのだ。

 雅と隣り合わせで歩きながら、他愛もない話をする。
 それは昔に戻ったようで、紗耶の落ち込みつつあった心を自然と上向かせた。

(よし、……大丈夫。私は笑える)

 ゆっくりと深呼吸をし、珈琲で喉の渇きを潤す。

「紗耶」

 半分ほど珈琲を飲み終えた頃、柔らかな声音が耳朶じだをくすぐった。
 ゆっくりと振り向くと、口元に淡い笑みをたたえた男性──雅が立っていた。

「お待たせ」

 どくん、と心臓が大きく高鳴る。
 上下を白と黒のモノトーンで合わせ、胸元にはシルバーリングのネックレス。
 透き通った高い鼻梁に、弧を描く緩やかな唇がどこかあやしい色香を漂わせる。

 口角を上げて微笑むそのさまは、紗耶の記憶にある笑顔と少し違っていたが紛れもない雅がそこにいた。

「だ、大丈夫! 私も今来たところだから」

 つい口からついて出たお決まりの文句は、珈琲の減り方からすぐに嘘だとバレるだろう。

「そっか、なら良かった」

 けれど雅は問いただす事もなく、にこりと微笑んでくれる。

「珈琲頼んだんだ? じゃあ俺もそれにしようかな」
「あ、どうぞ!」

 すかさず紗耶は自分の方に寄せていたメニュー表を雅に渡す。

「ありがとう」
 軽食の種類多いね、というやや弾んだ声音にとくりと心臓が脈打った。

 こうした雅の態度に、紗耶は救われている節がある。
 人間、誰しも言いたくないことの一つや二つはある。無理に聞いてくる者もいれば、雅のように何事もない振る舞いをしてくれる者もいる。

(やっぱり雅と話していると落ち着く)

 直接顔を合わせていなくても文字のやり取りだけで心が温かくなっていたが、今はそれまでとは違う胸の高鳴りが紗耶の内側を満たしていった。

「……や、紗耶」
「ご、ごめん。何?」

 不意に名を呼ばれ、紗耶は謝罪の言葉を口にする。
 また謝ってしまった、と思ったものの真正面に座る雅を見ていると不思議と頬が熱くなるのを感じた。

(……心臓がうるさい)

 テーブルを挟んで座る雅にまで、この音が聞こえやしないか怖い。
 昔から知っている異性に何を緊張しているのだろう。

 それか、緩やかに頭をもたげた恋心が紗耶をおかしくさせているのだろうか。
 忙しなく動く紗耶の視線に、雅の瞳がふっと細められた。

「どこに行くか希望はある?」
「え」

 雅に言われた意味が分からず、紗耶は小さく首を傾げる。
 そんな紗耶の心情をいち早く察してか、雅は苦笑した。

「ごめん、言ってなかったね。今日は紗耶の行きたい所に連れて行こうってずっと考えてたんだ。あ、勿論ちゃんと叶えるから安心して」

 低く落ち着いた声音が、じんわりと紗耶の耳に入っていく。
 柔らかく笑んだ唇はほんのりと赤く、透き通った高い鼻梁が美しい。

 切れ長な瞳を縁取る睫毛は長く、瞬く度に頬に影を作っていた。
 口元に手をあてて笑う仕草がこの世で似合う者は、きっと世界中を探しても雅以外にいないだろう。

 紗耶とは似ても似つかない大きくやや筋張った手は、雅を紛れもない『男性』だと認識させた。

「……紗耶?」
「あ、ごめんなさい、私ったら」

 自分でも知らずのうちに、紗耶は雅の顔をまじまじと見つめていたらしい。
 怪訝そうな視線に自然と謝罪の言葉が出てしまったが、なんとか頭を働かせる。

「えっと、服とか見てみたいなって。ほら、ここにはあまり来ないから」

 一つ一つを声に出す度、頬に熱が集まるのが分かった。
 それが雅を不審がらせた怖気からなのか、改めて異性と話しているという緊張からなのか、どちらなのかは今の紗耶には考えられない。

「ど、どう……かな?」
 服を見たいというのは嘘ではない。
 ここへ来る途中もお洒落な店頭に並ぶマネキンや、普段の紗耶とは真逆な明るい服の数々に心が躍ったのは事実だ。

 一人でショッピングするよりも、雅と一緒に見て回った方が楽しいのも確かだった。

「わかった。じゃあ俺の行き付けの所に行こうか。きっと紗耶に似合うよ」

 にこりと微笑むその顔は、記憶の中の笑顔と重なった。


 ◆◆◆


 雅にエスコートされながら連れられた店は、所謂いわゆるセレクトショップだった。
 ウィンドウには最新のトレンドであるワンピースやバッグなどが、可愛らしいオブジェと共に展示されていた。

「わ、私に似合うかな」

 紗耶はひくりと頬を引き攣らせ、隣りに立つ雅を見上げる。
 雅が『似合う』と言って連れて来てくれたのだから、その厚意を今更無碍には出来ない。

 店の前まで来て『やっぱり他の所に行こう』と言えば、それ即ち雅のセンスを否定した事になる。
 久しぶりに再会したのに、空気の読めないことを言って雅を傷付ける事だけは避けたかった。

「大丈夫、紗耶は可愛いから。──ほら、行こう」
「っ」

 さらりと流れるように紡がれた言葉は予想していなくて、紗耶は瞠目する。
 安心させる為に吐かれた一時の嘘であっても、反射的に頬が熱くなった。

 雅が店のドアを開けると、カランとベルが涼やかな音を立てて来客を告げる。

「いらっしゃいませ……あらあら、黒木様! 今日はお連れの方もご一緒で?」

 店の奥でこちらを待っていたらしき女性が、満面の笑みで近付いてくる。
 女性の他にも従業員が居たが、その中の誰よりも落ち着いた雰囲気があり、この店のオーナーだろうということは明白だった。

「お待たせしました、津賀つがさん。──紗耶、この人は俺が昔からお世話になってる津賀有美子ゆみこさん」

 雅が間に割って入り、女性を紹介してくれる。

「は、はじめまして。白川紗耶です」

 すかさず紗耶はぺこりと頭を下げ、名を唇に乗せる。

「黒木様からよぉく聞いていますよ。……想像以上に腕がなりますね」

 紗耶が顔を上げると同時に頭から爪先まで見つめられ、先程よりも笑みを深めた津賀にぐいと腕を摑まれた。

「え……?」
(な、なに? それに、黒木って)
「さぁさ、こちらへ。──手が空いてる人は手伝ってちょうだい」

 ふと浮かんだ疑問を考えるよりも早く、紗耶は津賀に背を押されてフィッティングルームへと連れて行かれた。

「行ってらっしゃい」

 背中に雅の楽しげな声を受け、紗耶はますます困惑する。
 いつの間にか数着の洋服を手にした津賀に「よくお似合いですよ」と何度もべた褒めされる事、あと数分。


 ◆ ◆ ◆


 たっぷり一時間、津賀の主導で様々な洋服に着替えさせられた頃には、紗耶はくたくただった。
 それでも心臓はドクドクと不規則な音を立て、緊張から来るものなのか脚がもつれそうだ。

「み、雅」

 それでも意を決して雅の名を呼ぶ。
 用意された椅子に座り、携帯を触っていた雅がふと顔を上げた。
 はらりと落ちかかった前髪が顔に影を作り、どこか面映ゆい心地にさせる。

「ど、どう……かな」

 きっと今の自分は頬を染め、あられもない顔をしているに違いない。
 それも当然だ。
 津賀にあれよあれよと着せ替えられた中の一着には、普段はあまり着ることのない白いフォーマルワンピースがあった。
 何度も着替えさせられたから覚えていないが、これが一番紗耶に似合っていたという。

 同色系統のヒールに、ワンポイントとして黒いベルトを腰に留めている。

 白くふんわりとした裾は、紗耶が歩く度にゆらゆらと揺れる。
 派手すぎることもなく、かといって地味すぎることもない。
 少し手を加えれば日常でも使える優れものだと、津賀が嬉々として言っていた。

(や、やっぱりおかしかった……!?)

 じっと見つめて何も言わない雅に不安な気持ちになる。
 やや低めのヒールが、今になって足元がおぼつかないほど高いものに感じた。
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