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四章
レオという男 5
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◆◆◆
『──何してるんだ、アレン。おいで』
高い声と共に自分よりもやや小さな、しかし女性にしてはしっかりとした手の平がこちらに伸ばされる。
(母さん……?)
まさか、という思いもあったが、すぐにこの光景は夢なのだと気付いた。
これはアレンの記憶が見せる都合のいい夢で、現実の母は殺されてしまったと十分過ぎるほど理解しているから。
それでもアレンから少し先に立つ母は──アンナは笑っていた。
楽しそうに、けれどアレンが自身の手を摑むのを今か今かと待っている。
不思議な思いできょろきょろと辺りを見回せば、そこは見慣れたスラム街だった。
『アレンにいちゃん!』
『アレン、早く』
スラムに居た時よく一緒に遊んでいた子どもや、昔からの腐れ縁だった少年までも、アレンがこちらに来るのを待っているようだ。
(でもみんな、もう……)
意思に反してひくりと頬が引き攣る。
視界に入った仲間はもうこの世にはいない者達ばかりで、アレンを呼ぶ声がまるで死者のそれにしか聞こえなくなった。
『ほら、アレン』
そう思ったのが悪かったのか、やがてアンナの太陽のような笑みがゆっくりと崩れ、次に目を瞬かせた時には骸骨に変わっていった。
『ひ、っ……!』
ひゅう、と無意識に喉が鳴る。
同時に周りに居た仲間達も骨しかない手をこちらに向け、しきりに『おいで』と呼び掛けていた。
(いやだ……嫌、だ!)
アレンはその場にうずくまる。
夢を見るならば、もっと幸せなものが良かった。
そこではアンナが今も生きており、貧しいながらも充実した一日を過ごして終わるのだ。
あまりに小さな願いだが、それはもう叶わないものでしかない。
ただ、これ以上ないほど分かっている事実を反芻するには時間があり過ぎた。
なのに頭が引き絞られるほど痛くて、必死に耳を伏せても入り込む幻聴が怖くて、耐えきれず目尻に涙が滲む。
「ん、っ……」
自身の小さな呻き声が聞こえ、アレンはふっと瞼を押し上げた。
眠りながら泣いていたのか、染みひとつ無かった真っ白いシーツが小さな黒い島を形成している。
(……そうだ、俺)
アレンはゆっくりと起き上がり、やや上の方に視線を向けた。
部屋の中にぽつんとある小さな窓からは、そこだけが煌々と輝かんばかりに眩しい光を放っていた。
(結局このまま寝たんだっけ)
アルフェルに教えてもらうままこっそりとこの空き部屋に入り、自分の身の上と境遇に堪えきれず泣いたところまでは覚えている。
そこから先は泣き疲れて眠ってしまったらしく、レオとの情交の余韻も手伝って身体の節々が痛んだ。
「今、何時だ……」
痛む身体に鞭打って、よろめきつつもアレンはベッドから降りる。
部屋の中にある小窓からはぽっかりと丸い月が姿を現し、いくらか周囲が明るい。
同時にホコリの溜まった部屋に長く留まるべきではなかったな、とやや痛む喉を抑えながら思う。
(きっと探してる、よな)
アルフェルがレオや他の侍従に声を掛けたのかは分からないが、自室からいなくなった自分を探す声が廊下から聞こえてもおかしくない。
なのに部屋の外では足音一つ、自分を呼ぶ声一つ聞こえてこなかった。
多少疑問に思いつつもアレンはうっすらと扉を開け、辺りを見回した。
ぽつぽつとランプの火が等間隔に灯されており、昼間と同じくらい明るい。
しかしまるで嵐が過ぎ去った後のような、形容し難い静寂が辺りを支配していた。
(なんで誰もいないんだ……?)
夜になると衛兵が逐一見回りに来ているのでは、と思っていたがそれはアレンの思い違いだったのだろうか。
警戒しながらも、来た時と同じく足早に与えられた部屋までの道を歩いていく。
なのに衛兵の気配や話し声は聞こえず、ただただ痛いほどの沈黙がそこにあった。
(……不気味だ)
無意識に身体に力を込め、けれどしっかりとした足取りで一歩を踏み締める。
着の身着のままで部屋を飛び出したため、素足に感じる床の感触が冷たくて少し痛い。
部屋を出た時は嫌な臭気が辺り一帯に漂っていたが、今はそれがないため換気を徹底したのだろうか。
どちらにしろ有難いに越したことはないが、問題はここからだった。
不意に二人の衛兵の気配を感じ、アレンはそこで脚を止める。
「っ、あ」
反射的に出そうになった声をすんでのところで抑えたと同時に、低い声が二人分聞こえてきた。
「──なのか、あの少年は」
「さぁな。けど陛下が……だろ。俺らはそれに従うまでよ」
こそこそと何事かを囁き合う衛兵らは、アレンの部屋の前に常駐している者だ。
アレンが部屋にいないのはとうに気付かれているようだが、それでも少し様子がおかしい。
「あー、早く寝てぇなぁ」
くぁぁ、と銀髪を掻き上げながら、衛兵が盛大な欠伸をする。
「なんだって部屋の主がいないのに俺らが駆り出されたのか、おかしいと思わねぇかい」
そのままがしがしと頭を掻き、衛兵がぼやく。
「たった今私を諫めた者とは思えないな。陛下といい勝負だ」
反して赤髪の衛兵が、同僚らしい衛兵の背中をパシンと長い尻尾で叩く。
「いってぇ! 何すんだよ!」
「何か文句でもあるのか」
突然の事に銀髪の衛兵は涙目になり、抗議しようと耳を後ろに倒す。
しかし自分以上の威圧感を覚えたのか、やがて観念したように小さく息を吐いた。
「……仕方ねぇだろ、お前とは違ってあんまし寝てねぇんだ。誰かさんの声でうるせぇってのに、こっちは我慢してやってんだから。ほんと、相部屋なんてろくな事ねぇ」
ぐちぐちと文句を垂れる銀髪の衛兵が足早に先を歩き、その後を赤髪の衛兵が続く。
アレンはそっと死角になっている壁から顔だけを出し、完全に衛兵達の姿が消えたのを見計らってから詰めていた息を吐き出した。
(早く部屋に戻ってないと心配される)
部屋に自分がいないと気付かれているのはもちろん、何よりも脳裏にレオの姿が浮かび、小さく胸が痛む。
昏倒させられて城に連れてこられただけでなく、無理矢理体を開かれたのだ。
恥ずかしさと何をされるか分からない恐怖で、逃げたいと思った時もあった。
けれどレオは『必ず母を殺した獣人を見つけ出す』と、薄れゆく意識の中約束してくれた気がする。
最早その時の事は漠然としか思い出せないが、その言葉を信じたいと思う自分も居て、今の今まで行動を移せずにいた。
レオに対する気持ちは次第に恐怖から同情や期待に変わり、日を過ごすうちに少しずつ絆されていっている。
現にレオのことを考える時、胸の奥が痛んで堪らない。
(俺は……どうしたいんだろう)
衛兵らが誰の命令で持ち場を離れたのかも気になるが、それよりもずっと早くレオの顔を見たいと思っている自分に驚く。
ただ、こうして行動に移したのは他でもない自分だ。
着の身着のまま部屋を出て、空き部屋に飛び込んだ挙げ句そこで泣いていたと知られれば、レオはどう思うだろうか。
そもそもレオが部屋を訪れた時にいないとなれば、よほど心配を掛けてしまったことだろう。
今が何時なのか定かではないが、せめて日付けは跨いでいないと思いたい。
もっとも、レオが自分を探してくれているのかは分からないのだが。
(部屋に戻ったら、きっとレオが待ってる)
こっそりと部屋から逃げ出した手前、顔を合わせる気にはなれないが、どちらにしろ城から出られないと分かっている。
レオと顔を合わせる度に『ここから出せ』と言ってきたが、終ぞ聞き入れてくれることはなかったのだ。
部屋からいなくなったというのにレオ自らアレンを探しに来ないのも、怒っているからだと結論付ける。
(殴られたり……するのかな。嫌、だな)
最初からこんなことを考えなければよかったと思うが、ここまで来るといっそ手酷く身体を繋げられる方が遥かに楽だ。
出会った時からずっと優しくしてくれ、レオがはっきりと感情を荒らげたところは一度も見た事が無い。
正直なところ、ひと目でもいいから怒った顔を見たくて、こうすれば己の言い分を聞き入れてくれる気がして、試したという部分もある。
しかし、アレンには未だに理解できないことがあった。
レオが強引なのは今に始まった事ではないが、ここまで己に執着するのはなぜなのか、いくら考えても分からないのだ。
毎日のように店へ来る凛晟とは違い、数日ぶりにレオが店にやってきた時は、他の客がこぞって取り合う。
今思えば『貴族様』というのは間違っておらず、むしろずっと雲の上に居る存在で、なのにレオは身分を隠して街へ出ているようだった。
一つ思い返せば、二つ三つと次々に疑問が生じていく。
元よりレオは快活でひとあたりがいいためか、店に来るとこちらを気に掛けてくる素振りはあるものの、終始離れたテーブルに居るのが常だ。
スラムからやってきたばかりの自分と、それよりも前から仲良くなっているレオとでは、客の反応はまるきり違う。
もちろん勇気を出せば仲間に入れてくれるのかもしれないが、楽しそうに談笑している客やレオの間に入る訳にもいかず、閉店時間も近くなってきた頃にやっと話せるほどだった。
長くても数分程度取り留めのない会話をするだけで、レオは日付けが変わろうとする頃には店を出る。
理由こそ言わなかったが、今ならばしっかりと理解出来る。
レオが国王という身分を隠し、お忍びで自由に街へ繰り出しているということに。
自由に、というのは言い過ぎかもしれないが、ふとアレンの胸の内に淡い感情が湧き上がる。
(……よく考えたらレオのこと、何も知らないんだな)
アレンは他の獣人に比べて感情表現が乏しいため、話そうにも挙動不審になってしまう時が何度かあった。
その度にレオや凛晟が助けてくれたり、時としてセオドアが間に入ってくれる事もあった。
都に来てからはあの短くも楽しかった日々が一番幸せで、今となっては束の間の夢だったとすら思いさえする。
ただ、どんなにレオが自分を無理矢理城に連れて来て、部屋に監禁した事実は変えられないのだ。
今すぐ逃げ出したくても──アレンにその気があったとしての話だが──、圧倒的な力量差で抑え付けられるのは目に見えている。
けれど一度思い切り泣いたからか、頭の中は不思議とすっきりしていた。
(知りたい。レオのことも、なんで俺をここから出さないのかも)
疑問にすべて答えてくれなくても構わないが、母を弑した獣人だけは一刻も早く見つけなければいけない。
それはレオとて承知の上だと思うが、少しもそういう音沙汰が無いため気になってくる。
「教えてくれなかったらどうしよう、暴れようか。……いや、子どもじゃないんだし」
城の一室に閉じ込められていた頃に比べて冷静になったと思う反面、今しがた考えた事が少しおかしくて内心で苦笑する。
こちらが焦っても何も始まらないと理解していても、探し出せるか不安なのはまたとない事実なのだ。
(レオに謝ってから、あの獣人のことを聞いて……他のことは後で考えたらいい)
アレンは足音を忍ばせて壁伝いに歩きながら、ひっそりと決意する。
衛兵の気配や足音に耳を澄ませ、少しずつ部屋に繋がる廊下を進んだ。
『──何してるんだ、アレン。おいで』
高い声と共に自分よりもやや小さな、しかし女性にしてはしっかりとした手の平がこちらに伸ばされる。
(母さん……?)
まさか、という思いもあったが、すぐにこの光景は夢なのだと気付いた。
これはアレンの記憶が見せる都合のいい夢で、現実の母は殺されてしまったと十分過ぎるほど理解しているから。
それでもアレンから少し先に立つ母は──アンナは笑っていた。
楽しそうに、けれどアレンが自身の手を摑むのを今か今かと待っている。
不思議な思いできょろきょろと辺りを見回せば、そこは見慣れたスラム街だった。
『アレンにいちゃん!』
『アレン、早く』
スラムに居た時よく一緒に遊んでいた子どもや、昔からの腐れ縁だった少年までも、アレンがこちらに来るのを待っているようだ。
(でもみんな、もう……)
意思に反してひくりと頬が引き攣る。
視界に入った仲間はもうこの世にはいない者達ばかりで、アレンを呼ぶ声がまるで死者のそれにしか聞こえなくなった。
『ほら、アレン』
そう思ったのが悪かったのか、やがてアンナの太陽のような笑みがゆっくりと崩れ、次に目を瞬かせた時には骸骨に変わっていった。
『ひ、っ……!』
ひゅう、と無意識に喉が鳴る。
同時に周りに居た仲間達も骨しかない手をこちらに向け、しきりに『おいで』と呼び掛けていた。
(いやだ……嫌、だ!)
アレンはその場にうずくまる。
夢を見るならば、もっと幸せなものが良かった。
そこではアンナが今も生きており、貧しいながらも充実した一日を過ごして終わるのだ。
あまりに小さな願いだが、それはもう叶わないものでしかない。
ただ、これ以上ないほど分かっている事実を反芻するには時間があり過ぎた。
なのに頭が引き絞られるほど痛くて、必死に耳を伏せても入り込む幻聴が怖くて、耐えきれず目尻に涙が滲む。
「ん、っ……」
自身の小さな呻き声が聞こえ、アレンはふっと瞼を押し上げた。
眠りながら泣いていたのか、染みひとつ無かった真っ白いシーツが小さな黒い島を形成している。
(……そうだ、俺)
アレンはゆっくりと起き上がり、やや上の方に視線を向けた。
部屋の中にぽつんとある小さな窓からは、そこだけが煌々と輝かんばかりに眩しい光を放っていた。
(結局このまま寝たんだっけ)
アルフェルに教えてもらうままこっそりとこの空き部屋に入り、自分の身の上と境遇に堪えきれず泣いたところまでは覚えている。
そこから先は泣き疲れて眠ってしまったらしく、レオとの情交の余韻も手伝って身体の節々が痛んだ。
「今、何時だ……」
痛む身体に鞭打って、よろめきつつもアレンはベッドから降りる。
部屋の中にある小窓からはぽっかりと丸い月が姿を現し、いくらか周囲が明るい。
同時にホコリの溜まった部屋に長く留まるべきではなかったな、とやや痛む喉を抑えながら思う。
(きっと探してる、よな)
アルフェルがレオや他の侍従に声を掛けたのかは分からないが、自室からいなくなった自分を探す声が廊下から聞こえてもおかしくない。
なのに部屋の外では足音一つ、自分を呼ぶ声一つ聞こえてこなかった。
多少疑問に思いつつもアレンはうっすらと扉を開け、辺りを見回した。
ぽつぽつとランプの火が等間隔に灯されており、昼間と同じくらい明るい。
しかしまるで嵐が過ぎ去った後のような、形容し難い静寂が辺りを支配していた。
(なんで誰もいないんだ……?)
夜になると衛兵が逐一見回りに来ているのでは、と思っていたがそれはアレンの思い違いだったのだろうか。
警戒しながらも、来た時と同じく足早に与えられた部屋までの道を歩いていく。
なのに衛兵の気配や話し声は聞こえず、ただただ痛いほどの沈黙がそこにあった。
(……不気味だ)
無意識に身体に力を込め、けれどしっかりとした足取りで一歩を踏み締める。
着の身着のままで部屋を飛び出したため、素足に感じる床の感触が冷たくて少し痛い。
部屋を出た時は嫌な臭気が辺り一帯に漂っていたが、今はそれがないため換気を徹底したのだろうか。
どちらにしろ有難いに越したことはないが、問題はここからだった。
不意に二人の衛兵の気配を感じ、アレンはそこで脚を止める。
「っ、あ」
反射的に出そうになった声をすんでのところで抑えたと同時に、低い声が二人分聞こえてきた。
「──なのか、あの少年は」
「さぁな。けど陛下が……だろ。俺らはそれに従うまでよ」
こそこそと何事かを囁き合う衛兵らは、アレンの部屋の前に常駐している者だ。
アレンが部屋にいないのはとうに気付かれているようだが、それでも少し様子がおかしい。
「あー、早く寝てぇなぁ」
くぁぁ、と銀髪を掻き上げながら、衛兵が盛大な欠伸をする。
「なんだって部屋の主がいないのに俺らが駆り出されたのか、おかしいと思わねぇかい」
そのままがしがしと頭を掻き、衛兵がぼやく。
「たった今私を諫めた者とは思えないな。陛下といい勝負だ」
反して赤髪の衛兵が、同僚らしい衛兵の背中をパシンと長い尻尾で叩く。
「いってぇ! 何すんだよ!」
「何か文句でもあるのか」
突然の事に銀髪の衛兵は涙目になり、抗議しようと耳を後ろに倒す。
しかし自分以上の威圧感を覚えたのか、やがて観念したように小さく息を吐いた。
「……仕方ねぇだろ、お前とは違ってあんまし寝てねぇんだ。誰かさんの声でうるせぇってのに、こっちは我慢してやってんだから。ほんと、相部屋なんてろくな事ねぇ」
ぐちぐちと文句を垂れる銀髪の衛兵が足早に先を歩き、その後を赤髪の衛兵が続く。
アレンはそっと死角になっている壁から顔だけを出し、完全に衛兵達の姿が消えたのを見計らってから詰めていた息を吐き出した。
(早く部屋に戻ってないと心配される)
部屋に自分がいないと気付かれているのはもちろん、何よりも脳裏にレオの姿が浮かび、小さく胸が痛む。
昏倒させられて城に連れてこられただけでなく、無理矢理体を開かれたのだ。
恥ずかしさと何をされるか分からない恐怖で、逃げたいと思った時もあった。
けれどレオは『必ず母を殺した獣人を見つけ出す』と、薄れゆく意識の中約束してくれた気がする。
最早その時の事は漠然としか思い出せないが、その言葉を信じたいと思う自分も居て、今の今まで行動を移せずにいた。
レオに対する気持ちは次第に恐怖から同情や期待に変わり、日を過ごすうちに少しずつ絆されていっている。
現にレオのことを考える時、胸の奥が痛んで堪らない。
(俺は……どうしたいんだろう)
衛兵らが誰の命令で持ち場を離れたのかも気になるが、それよりもずっと早くレオの顔を見たいと思っている自分に驚く。
ただ、こうして行動に移したのは他でもない自分だ。
着の身着のまま部屋を出て、空き部屋に飛び込んだ挙げ句そこで泣いていたと知られれば、レオはどう思うだろうか。
そもそもレオが部屋を訪れた時にいないとなれば、よほど心配を掛けてしまったことだろう。
今が何時なのか定かではないが、せめて日付けは跨いでいないと思いたい。
もっとも、レオが自分を探してくれているのかは分からないのだが。
(部屋に戻ったら、きっとレオが待ってる)
こっそりと部屋から逃げ出した手前、顔を合わせる気にはなれないが、どちらにしろ城から出られないと分かっている。
レオと顔を合わせる度に『ここから出せ』と言ってきたが、終ぞ聞き入れてくれることはなかったのだ。
部屋からいなくなったというのにレオ自らアレンを探しに来ないのも、怒っているからだと結論付ける。
(殴られたり……するのかな。嫌、だな)
最初からこんなことを考えなければよかったと思うが、ここまで来るといっそ手酷く身体を繋げられる方が遥かに楽だ。
出会った時からずっと優しくしてくれ、レオがはっきりと感情を荒らげたところは一度も見た事が無い。
正直なところ、ひと目でもいいから怒った顔を見たくて、こうすれば己の言い分を聞き入れてくれる気がして、試したという部分もある。
しかし、アレンには未だに理解できないことがあった。
レオが強引なのは今に始まった事ではないが、ここまで己に執着するのはなぜなのか、いくら考えても分からないのだ。
毎日のように店へ来る凛晟とは違い、数日ぶりにレオが店にやってきた時は、他の客がこぞって取り合う。
今思えば『貴族様』というのは間違っておらず、むしろずっと雲の上に居る存在で、なのにレオは身分を隠して街へ出ているようだった。
一つ思い返せば、二つ三つと次々に疑問が生じていく。
元よりレオは快活でひとあたりがいいためか、店に来るとこちらを気に掛けてくる素振りはあるものの、終始離れたテーブルに居るのが常だ。
スラムからやってきたばかりの自分と、それよりも前から仲良くなっているレオとでは、客の反応はまるきり違う。
もちろん勇気を出せば仲間に入れてくれるのかもしれないが、楽しそうに談笑している客やレオの間に入る訳にもいかず、閉店時間も近くなってきた頃にやっと話せるほどだった。
長くても数分程度取り留めのない会話をするだけで、レオは日付けが変わろうとする頃には店を出る。
理由こそ言わなかったが、今ならばしっかりと理解出来る。
レオが国王という身分を隠し、お忍びで自由に街へ繰り出しているということに。
自由に、というのは言い過ぎかもしれないが、ふとアレンの胸の内に淡い感情が湧き上がる。
(……よく考えたらレオのこと、何も知らないんだな)
アレンは他の獣人に比べて感情表現が乏しいため、話そうにも挙動不審になってしまう時が何度かあった。
その度にレオや凛晟が助けてくれたり、時としてセオドアが間に入ってくれる事もあった。
都に来てからはあの短くも楽しかった日々が一番幸せで、今となっては束の間の夢だったとすら思いさえする。
ただ、どんなにレオが自分を無理矢理城に連れて来て、部屋に監禁した事実は変えられないのだ。
今すぐ逃げ出したくても──アレンにその気があったとしての話だが──、圧倒的な力量差で抑え付けられるのは目に見えている。
けれど一度思い切り泣いたからか、頭の中は不思議とすっきりしていた。
(知りたい。レオのことも、なんで俺をここから出さないのかも)
疑問にすべて答えてくれなくても構わないが、母を弑した獣人だけは一刻も早く見つけなければいけない。
それはレオとて承知の上だと思うが、少しもそういう音沙汰が無いため気になってくる。
「教えてくれなかったらどうしよう、暴れようか。……いや、子どもじゃないんだし」
城の一室に閉じ込められていた頃に比べて冷静になったと思う反面、今しがた考えた事が少しおかしくて内心で苦笑する。
こちらが焦っても何も始まらないと理解していても、探し出せるか不安なのはまたとない事実なのだ。
(レオに謝ってから、あの獣人のことを聞いて……他のことは後で考えたらいい)
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