イェルフと心臓

チゲン

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第三部 人間とイェルフ

7頁

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 翌日、足の負傷もほぼ完治したシュイは、村を後にした。
 ポロノシューと、別れの挨拶らしいものはなかった。改まるのもおこがましいし、一日働いたことで義理は果たしたつもりだ。
 妙な男だった。
 一応、イェルフ族に対して、偏見のようなものは持っていなかった。傷ついている彼女を助けるなど、優しい一面もあった。
「でもね……ちょっと暗すぎるのがなあ」
 決して気が合うタイプではなかった。
「キローネと話してるときの反応は面白かったけど」
 そのときの様子を思いだすと、今でも笑ってしまう。
「ばればれなのに、意地張っちゃってさ」
 たった一日で、一人の男の様々な面を見ることができた。
 シュイは何度も思いだし笑いを繰り返しながら、険しい山道を登っていった。人間には判らない、イェルフ族だけの目印を辿って。
 やがて生まれ育った里が見えてきた。
 イェルフ族の隠れ里。部族がここに移って、まだ三十年だが、シュイにとっては間違いなく生まれ故郷だった。
 恵まれた暮らしであることは、口うるさい老人たちから嫌というほど聞かされていた。彼らも、ここに辿り着くまでに相当な艱難辛苦かんなんしんくを乗り越えてきたのだろう。
 今までは比較対象がなかったからピンと来ていなかったが、人間たちの貧相な生活を目の当たりにして、そのことをひしひしと実感することができた。
 少し大人になった気分で、シュイは意気揚々ようよう凱旋がいせんするのであった。
 ところが、里は大騒ぎになっていた。
「二日もどこをほっつき歩いていた!」
 いきなり、父イグセトーンの雷が落ちた。
 父は普段から、長の家の品格だの家格だのにやたら厳しい。
「おまえは、私の娘である前に、里長の娘なのだぞ。もっと自覚を持たぬか」
 シュイが悪戯いたずらを仕出かすたびに、父はこの言葉を口にする。
 うんざりだ。
 たかが二日の外泊で、あれこれ言われたくない。
 せっかくの良い気分を台無しにされて、ふて腐れているところへ、イグセトーンのさらなる追及が続いた。
「今日まで、どこに行っていたのだ?」
「……その辺」
「足を痛めているようだな」
 さすがに父は目ざとい。
「もう治ってるわよ」
「ほほう。包帯を巻くのが、ずいぶんうまくなったものだな」
「あっ……」
 動揺が顔に出た。
 あっさり嘘が露見して、シュイは一部始終を話さざるを得なくなった。
「人間に助けられただと……!」
 よほどショックだったのか、それとも怒りのためか、イグセトーンはしばらく体を小刻みに震わせていた。
「当分の間、里から出ることを禁じる」
「えっ、ちょっと待って……」
「口答えは許さん」
 イグセトーンの顔は本気だった。触れれば焼けてしまいそうなほど、真っ赤に激昂げっこうしている。
「あ…謝るから……」
「これは里長としての命だ!」
 取りつく島もない。
 もはやシュイに抵抗するすべはなかった。
「……あんな頭ごなしに言わなくてもさ」
 部屋に戻るなり、シュイはベッドの上に飛び乗って、ふて寝した。
「あたしだって、好きであいつの世話になったんじゃないのに」
 不慮の事故なのだ。もっとも、己れの過失だと言われれば、身も蓋もないのだが。
 寝返り。
 二日ぶりのベッドの感触は快適だ。
 ポロノシューの診療所のベッドは、寝返りをうつたびに板の感触がして、ちっとも休まらなかった。
 対する我が家のそれは、干し草を何重にも敷いていて、柔らかく、草の匂いがする。
「せめて病人くらい、ちゃんとしたベッドで寝かせてやればいいのに」
 ヤナンの痩せた体や、キローネの弱々しい笑みがよみがえる。
 戸が開き、部屋に母のシューンと兄のイクルが入ってきた。
「人間に何かされたんじゃないだろうな」
 開口一番、尋問じんもんするようにイクルが問い詰めてきた。実直で頭の固いところは、父親そっくりだ。
「乙女に向かって、なんてことを訊くのよ」
 怒るよりむしろ呆れて、シュイは溜め息を吐いた。さすがにばつが悪くなったのか、イクルは言葉をにごした。
「怪我をしたって聞いたけど、大丈夫なの?」
 シューンは温厚で、常にシュイの味方だった。
 父も兄も、母には弱い。悪戯をして叱られたときも、母だけは庇ってくれる。
「医者に診てもらったからね。一応」
 一応、という部分を強調する。
 シューンの口から安堵の息が漏れた。
「無茶しないでね。あなたの身に、もしものことがあったら……」
「わーかってるって」
「本当に判ってるのか」
 イクルはあくまで懐疑かいぎ的だ。
 日に日に、父に似てくる。いずれは里長となるべき器で、仲間からの人望も厚い。だが時々、無理をしているようにも見える。
「とにかく、二度と人間の村には近付くなよ」
「はいはい。もうお父様に散々言われたわ」
「ちゃんと返事をしろ」
「だから、判ったって言ってんじゃない」
 妹の反抗的な態度が気に入らないらしく、なおも小言を続けようとしたイクルを、シューンがなだめてくれた。
「この子も今は疲れてるでしょうから、休ませてあげましょう」
 母らしい気遣いだった。
 結局イクルは、シューンに連れられて渋々部屋を出ていった。
 疲れていないと言えば嘘になる。
 だがまだ日も高いし、体を動かしたい気分だった。誰かの仕事を手伝ってもいいし、近所のガキ共と遊んでやってもいい。
「のんびりしてるわ」
 丸一日、人間の話し相手をしなければならなかった昨日とは大違いだ。
 村の男たちの、土臭い笑顔が浮かぶ。
 彼らは一日じゅう畑をたがやし、家では内職をして、ようやくその日その日を食い繋いでいるという。
 かぶりを振って、彼らの残像を頭から消した。
 しかし、一人だけ、どうしても離れない顔があった。
 シュイは強引に目を閉じた。
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