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第12幕
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半刻もすると、由茄は起き上がり、動けるようになった。
「死人のように冷たかったのに……」
由茄に小袖を貸してくれた農家の妻は、驚きの声をあげた。
照隠も口にこそ出さなかったが、似たような思いに駆られていた。あの流れのなかで、生きていただけでも奇跡に近いというのに。
二人は、すぐに村を出た。せめて今日くらいは休むべきではと照隠は懸念したが、由茄が少しでも先に進みたいと言って譲らなかったからだ。村人が彼女に奇異の目を向け始めていたこともあり、照隠も強く言えなかった。
やむなく、大蔵宿まで戻ることにした。
日は中天から西に傾きつつある。
大蔵宿に入るなり、二人を見かけた者たちは、悲鳴をあげて逃げだした。あるいは戸を閉め家に立てこもった。
次々と姿を消していく者たちを前に訝しんでいると、行く手に数人の男たちが立ち塞がった。手に鍬や棒を持っている。
不吉な予感が胸中をよぎる。川に落ちた際、錫杖を失ってしまったことを悔やむ。
やってきた男たちは全部で六人。彼らは二人の周りを取り囲んだ。
「よくもぬけぬけと戻ってきたな」
四十ほどの髭の男が、声を荒げる。
声が、微かに震えている。他の五人も心なしか浮き足立っているようだ。
男たちのなかに、あの船頭がいた。どうやら助かったらしい。
だが船頭は再会を喜ぶどころか、おどおどした目で由茄を見つめていた。
「いったい、何の騒ぎなのだ」
照隠は冷静に男たちを観察しながら、髭の男に尋ねた。
「話はこいつから聞いた」
髭の男は、船頭を顎でしゃくった。
「その女の持ってる首桶から、妙な声がしたっていうじゃねえかい」
「なに?」
そういえば首桶から漏れでた唸り声を聞いて、船頭が驚いて体勢を崩し、舟が横転したのだった。
由茄が顔を向けると、船頭は、慌てて仲間の背に身を隠した。
「おめえらの正体は、とっくにばれてんだ」
「待たれよ」
照隠は努めて穏やかに制した。
「恐らくそれは、船頭の聞き違いだ。獣の声か何かと間違えたのではないか」
ここは、ごまかすしかなかった。
だが男たちは思い詰めた顔をしている。周りの家々からも、怯えるような視線が集中している。
「それは誰の首だ。ひょっとすると、物の怪の類いでも入ってるんじゃねえのか」
髭の男は由茄の胸元を指差した。
当てずっぽうで言ったのかもしれないが、当たらずとも遠からず。照隠は思わず苦笑してしまいそうになった。
「わしらをどうするつもりだ」
「お役人に引き渡す」
「わしらは旅の山伏とその連れだ。何故、そなたらはこんな仕打ちをする」
照隠は一歩、足を踏みだした。男たちは身を引きながらも、各々、持っていた得物を構えた。
「俺たちを騙そうったって、そうはいかねえ。くらえ!」
髭の男が棒で殴りかかってきた。
照隠は男の腕を取り、背後に回りつつ、さらにその腕を捻り上げる。男は悲鳴をあげて横転した。
残った男たちが飛びかかってきた。
照隠は手前の男の腹を殴りつけると、その手から鍬をもぎ取り、別の男の得物を受けた。
「無体なことを」
もはや話しあいの余地はなさそうだ。
由茄にも二人の男が向かっていた。
獣のごとき咆哮が響き渡った。耳の奥が痺れるような、低い、巨大な唸り声だった。
由茄に飛びかかっていった男が、見えざる力に軽々と弾き飛ばされ、気を失った。
男たちの顔色が、みるみる青ざめていく。
照隠は鍬を放りだし、由茄の手を取ると、きびすを返して宿場の外へ駆けだした。男たちは完全に圧倒され、追うこともできない。
「何をしてやがる!」
怒号を響かせながら、その場へ駆けつけてくる男があった。六尺はあろうかという大男だった。
「あいつらが戻ってきたんなら、なんで俺に知らせねえ」
二日前、入間宿で由茄にちょっかいをかけ、照隠に打ちのめされたあの大男の宗治丸だった。
男たちは、青ざめた顔で宗治丸を仰いでいる。
「くそ、逃がしやがって」
「しかしよう、あいつら本当に物の怪なんで」
髭の男が気弱な声をあげると、宗治丸は舌打ちした。
彼がこの大蔵宿に着いたのは昼前で、照隠と由茄が川に流された直後だった。自力で戻ってきた船頭が、大声で騒ぎたてていた。
すぐにぴんときた。
「それは爺いの山伏と、首桶を抱えた女じゃねえか?」
「へえ。でもあれは、物の怪にございます」
「しめた。ようやく追いついたぜ」
物の怪だとか何だとか、宗治丸は別にそんな眉唾な話を信じた訳ではない。何があったか知らないが、これは使えるとばかりに無い知恵を働かせたのだ。
「俺は新田義貞殿から命を受け、あの二人を追ってきた。皆で手分けして探しだせ。女は殺すなよ。見つけた者には新田殿から恩賞が出るぞ」
口から出まかせだった。だが不安に駆られていた宿場の者たちは、いかにも偉そうな宗治丸の言を一も二もなく信じ込んだ。
しかし策を弄するも、あっさりと逃げられてしまった。こんなことなら、配下の者たちを連れてくるんだった。
「あの爺いめ。くびり殺してやる」
宗治丸は浮き足立っている男たちを一喝すると、二人の跡を追いかけた。
「死人のように冷たかったのに……」
由茄に小袖を貸してくれた農家の妻は、驚きの声をあげた。
照隠も口にこそ出さなかったが、似たような思いに駆られていた。あの流れのなかで、生きていただけでも奇跡に近いというのに。
二人は、すぐに村を出た。せめて今日くらいは休むべきではと照隠は懸念したが、由茄が少しでも先に進みたいと言って譲らなかったからだ。村人が彼女に奇異の目を向け始めていたこともあり、照隠も強く言えなかった。
やむなく、大蔵宿まで戻ることにした。
日は中天から西に傾きつつある。
大蔵宿に入るなり、二人を見かけた者たちは、悲鳴をあげて逃げだした。あるいは戸を閉め家に立てこもった。
次々と姿を消していく者たちを前に訝しんでいると、行く手に数人の男たちが立ち塞がった。手に鍬や棒を持っている。
不吉な予感が胸中をよぎる。川に落ちた際、錫杖を失ってしまったことを悔やむ。
やってきた男たちは全部で六人。彼らは二人の周りを取り囲んだ。
「よくもぬけぬけと戻ってきたな」
四十ほどの髭の男が、声を荒げる。
声が、微かに震えている。他の五人も心なしか浮き足立っているようだ。
男たちのなかに、あの船頭がいた。どうやら助かったらしい。
だが船頭は再会を喜ぶどころか、おどおどした目で由茄を見つめていた。
「いったい、何の騒ぎなのだ」
照隠は冷静に男たちを観察しながら、髭の男に尋ねた。
「話はこいつから聞いた」
髭の男は、船頭を顎でしゃくった。
「その女の持ってる首桶から、妙な声がしたっていうじゃねえかい」
「なに?」
そういえば首桶から漏れでた唸り声を聞いて、船頭が驚いて体勢を崩し、舟が横転したのだった。
由茄が顔を向けると、船頭は、慌てて仲間の背に身を隠した。
「おめえらの正体は、とっくにばれてんだ」
「待たれよ」
照隠は努めて穏やかに制した。
「恐らくそれは、船頭の聞き違いだ。獣の声か何かと間違えたのではないか」
ここは、ごまかすしかなかった。
だが男たちは思い詰めた顔をしている。周りの家々からも、怯えるような視線が集中している。
「それは誰の首だ。ひょっとすると、物の怪の類いでも入ってるんじゃねえのか」
髭の男は由茄の胸元を指差した。
当てずっぽうで言ったのかもしれないが、当たらずとも遠からず。照隠は思わず苦笑してしまいそうになった。
「わしらをどうするつもりだ」
「お役人に引き渡す」
「わしらは旅の山伏とその連れだ。何故、そなたらはこんな仕打ちをする」
照隠は一歩、足を踏みだした。男たちは身を引きながらも、各々、持っていた得物を構えた。
「俺たちを騙そうったって、そうはいかねえ。くらえ!」
髭の男が棒で殴りかかってきた。
照隠は男の腕を取り、背後に回りつつ、さらにその腕を捻り上げる。男は悲鳴をあげて横転した。
残った男たちが飛びかかってきた。
照隠は手前の男の腹を殴りつけると、その手から鍬をもぎ取り、別の男の得物を受けた。
「無体なことを」
もはや話しあいの余地はなさそうだ。
由茄にも二人の男が向かっていた。
獣のごとき咆哮が響き渡った。耳の奥が痺れるような、低い、巨大な唸り声だった。
由茄に飛びかかっていった男が、見えざる力に軽々と弾き飛ばされ、気を失った。
男たちの顔色が、みるみる青ざめていく。
照隠は鍬を放りだし、由茄の手を取ると、きびすを返して宿場の外へ駆けだした。男たちは完全に圧倒され、追うこともできない。
「何をしてやがる!」
怒号を響かせながら、その場へ駆けつけてくる男があった。六尺はあろうかという大男だった。
「あいつらが戻ってきたんなら、なんで俺に知らせねえ」
二日前、入間宿で由茄にちょっかいをかけ、照隠に打ちのめされたあの大男の宗治丸だった。
男たちは、青ざめた顔で宗治丸を仰いでいる。
「くそ、逃がしやがって」
「しかしよう、あいつら本当に物の怪なんで」
髭の男が気弱な声をあげると、宗治丸は舌打ちした。
彼がこの大蔵宿に着いたのは昼前で、照隠と由茄が川に流された直後だった。自力で戻ってきた船頭が、大声で騒ぎたてていた。
すぐにぴんときた。
「それは爺いの山伏と、首桶を抱えた女じゃねえか?」
「へえ。でもあれは、物の怪にございます」
「しめた。ようやく追いついたぜ」
物の怪だとか何だとか、宗治丸は別にそんな眉唾な話を信じた訳ではない。何があったか知らないが、これは使えるとばかりに無い知恵を働かせたのだ。
「俺は新田義貞殿から命を受け、あの二人を追ってきた。皆で手分けして探しだせ。女は殺すなよ。見つけた者には新田殿から恩賞が出るぞ」
口から出まかせだった。だが不安に駆られていた宿場の者たちは、いかにも偉そうな宗治丸の言を一も二もなく信じ込んだ。
しかし策を弄するも、あっさりと逃げられてしまった。こんなことなら、配下の者たちを連れてくるんだった。
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