架空の虹

笹森賢二

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#06 舞い降りる白

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   ──鈴の音を。


 雪が降った。もう今年も終わるから、当たり前か。少し遅いのかも知れない。日々移り変わる世界は雨の量も雪の降る時期も俺の知らないものにしてしまった。それも当たり前か。世界も人間も、同じ姿では居られない。産まれ落ちて死ぬまでに、少しずつ変わってゆく。それが当然だ。それで、全てだろう。でも、どうしてだろう。前よりも眩しくなった街灯の中に落ちて行く雪は、何十年も前に見たそれと変わらないようだった。冷たいコンクリートの円柱に背を押し当てて、煙草を咥えた。手が微かに震えている。寒さの所為か、アルコールの離脱症状の所為か。どっちでも良かった。どうでも良かった。色々な場所で生きた。旅もした。話もしたし、絶望もした。もう、十分だ。今夜死んでも、明日死んでも、それが明後日でも、遠い未来でも、どうでも良かった。したい事、すべき事、もう残っていない。
「おや、お買い物ですか?」
 顔を顰める。妙に明るい声のそれは、どうやら仕事帰りらしかった。少しばかり遠い駐車場から歩いて来たのだろう。頭にうっすらと雪が積もっていた。
「ああ。寒いから早く帰れ。風邪ひくぞ。」
「大丈夫ですよぉ、馬鹿は風邪ひきませんから。」
 ケラケラと笑って見せる。二十歳になったばかりだったか。隣に住んでいる変人だ。見事な黒髪を三つ編みにしていて、赤い縁の眼鏡も似合っているが、趣味は野草の研究。休みの度に山合いに行って採集しては自宅で研究しているらしい。
「まぁ、博士が風邪ひいたところで誰も迷惑しないだろうが、大事にしろよ。見た目は良いんだから。」
「ブスだったら大事にしなくて良いんですか?」
「訂正しよう。女が寝込むトコなんざ誰も見たがらねぇ。」
 煙草を用水路に放った。
「あったかくして寝ろよ。」
「あ、それなんですが、」
 嫌な予感がした。博士は頬を掻きながら俺を見ている。面倒だな。


「いやぁ、済みませんねぇ、ご飯まで用意して貰っちゃって。」
「さっさと食え。酒は? 呑むなら在庫はあるぞ。」
「あ、では、日本酒を、お願いします。」
 灯油を切らしている事を失念していたらしい博士は俺の家に上がった。飯抜きでは大変だろうから適当に見繕った。毛布の類は十分な量があるから、寝るだけなら困らないだろう。
「あ、博士、着替えは?」
「えへ? 下着だけは持ってるんですよねぇ?」
「確信犯か?」
「ですかねぇ?」
 もうコップに並々と日本酒を注いでいた。後は話すだけ無駄だろう。
「着替えも持って来いっての。」
「えー? 良いじゃないですかぁ。ちゃんと洗ってから返しますよ。」
 論点が違うような気がしたが、まぁ、良いか。テーブルにスナック菓子の袋を放ってやって、食べ終えたらしいから食器を下げてやる。
「あ、私がやりますよ?」
「良いよ。明日からやっと休みだろ、ゆっくりしてろ。」
 博士は炬燵布団で口元を隠して何かを言った。聴き取る心算は無い。
「はぁい。」
 食器を片づけて、そういえばと思った。小さな七輪をテーブルに乗せる。燃料は要らない。網だけ乗せて、あたりめを広げる。後はマヨネーズと小皿があれば良いだろう。
「ほぉ、成程成程。」
 簡易バーナーに着火して、炙ってやる。焦げるような匂いは僅かだけ。すぐに香ばしい匂いに変わる。
「これだと熱燗にしたくなりますねぇ。」
 レンジが音を上げた。博士が喜んで走って行った。犬だな、これじゃあ。
「えへへ、流石先生ですね、完璧な温度です。」
「そりゃどうも。呑み過ぎないうちに風呂入れよ。多分そろそろ沸く。」
「その前に、乾杯、しましょ?」
 コップは空になっていた。徳利で温めた日本酒はいつの間にか小さな湯呑みに注がれていた。
「ん? ああ。」
 湯呑みを合わせる。
「クリスマスも、こういう事したかったです。」
 日付は十二月二十七日。もう何をする時期でもない。年が明けるのを待つだけだ。
「でも、先生ですもんね。」
 したい事、すべき事、俺にはもう無いのだった。
「でも、もし、いつでも同じなら、今日でも良いですか?」
「あ?」
 博士は小さな鈴を差し出した。緑の葉で飾ればクリスマスに似合う小道具だったのだろう。
「夜明けに鳴る鈴は、縁起が良いんですよ。」
「ほぉ? 博士が考えたにしたら上出来だな。ほら、さっさと風呂入れ。寝るだけにしといた方が楽だぞ。」
「はぁい。じゃ、色々お借りしますねぇ?」
 溜め息を吐いた。博士はくるくると回りながら風呂場へ消えた。手の中には鈴が残った。摘んで、揺らしてみる。綺麗な音が鳴った。そんなもんか。そんなもんだろう。やや冷めた熱燗を呷って、また溜め息を吐いた。
 
 

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