架空の虹

笹森賢二

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#16 有り触れた午後

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   ──ふらふらと。


 年末で休日で、外は晴れていた。風が少し強い。備蓄品は、十分だな。食い物も酒も煙草もある。なら、外に出る理由も無い。柔らかいソファもあるし、毛布も近くにある。言う事が無い。昼が近いが、このまま眠ってしまおう。夜になったら食えば良い。そんな時に限って来客がある。厭だった。俺は今怠惰を貪っているのだ。邪魔をするな。携帯端末が悲鳴を上げた。見ると隣人だった。なら仕方ないか。重い身体を引きずって玄関へ向かう。
「はいはい。」
 チェーンでドアを固定したまま相手を確認する。
「重い、から、早く開けて頂けるとっ!」
 相当大変なんだろうな。だったら黙って引っ込む方が面白いか。
「あ、あの、マジなんです。お願いします。」
 仕方ない。一度ドアを閉めてチェーンを外してやる。開いたドアの隙間から変な女と食材が飛び込んで来た。
「ぷっへ、冗談は止して下さいよぉ、あっ! 卵!」
 ちゃんと上に収めてあるから大丈夫だろう。割れたら向こう三食が卵になるだけだ。他は、鳴門巻きにかまぼこ、伊達巻き。田作り。里芋に人参と切り餅。ああ。ついでに酒とカップ麺もあった。これは先に食べる物だろう。重いのは、調味料か。未だ備蓄はあるが、日持ちする物が多くて困る事はない。
「随分気が利いてるな?」
「ええ。じゃないと怒るじゃないですか。」
 年が変わるまでは少しある。海老やら数の子やらは未だ少しだけ早い。
「で、ですね。」
 何かあるらしい。
「その前にレシート出せ。」
「え? いえ、これは、」
「良いから。」
 かなり盛大な買い物だったようだ。端数は、良いか。
「あのー、毎回なんですけど、多いですよ?」
「良いよ。つーか残った金でビタミン剤でも買え。」
 頭の後ろに二つの三つ編み。漸く赤い縁にした眼鏡。でも、素材が悪いな。年の割に幼い顔をしている所為で、背伸びして居る女学生にしか見えないし、背も低い。俺も人の事は笑えないか。三十を過ぎて恋人さえ居ない。居て欲しくないと思っている。只でさえ重い日常を、これ以上引き摺りたくない。
「そうですか。あ、で、ですね。」
 まだ小さな袋があった。海老とホタテとトマト缶とバジル。
「作り方、教えたろ?」
「なんか上手くいかないんですよ。」
 とりあえず荷物を片付けて、それはソファに放った。海老は一度そのままグリルに放る。ホタテは生食できるものだったから、最後で良いか。なんだって面倒臭い普通のトマト缶なんか買ってきやがるんだ。少し金を出せば程良く味付けされた物があるだろうに。トマト缶をフライパンに広げて火に掛ける。表面が動いたら嫌って程バジルを放ってやれば良い。隣で湯を沸かす。塩は、どうなんだろうな。一応入れとくか。指先に一握り。湯が沸くまでにキャベツを千切りにする。途中でフライパンが音を上げた。火を弱めてトマトの臭みが消えるまでバジルを振り回してやる。良いだろう。火を止めてまたキャベツに手を付ける。だけでは寂しいが、ペスカトーレにトマトのサラダではな。他に何か、ああ、ゆで卵が冷蔵庫にあったな。レタスを敷けば見栄えはそれなりだろう。鍋が呼ぶ。パスタを放り込む。今度はグリルが呼んだので海老を上げて殻を剥く。頭は落して、別の鍋に放ってやる。フライパンをどかして火に掛ける。少ししたら味噌を足してやって、なら長葱とワカメか。だらだらと調理を済ませるとパスタも茹であがった。パスタをザルに上げながら海老とホタテをフライパンに放って火に掛ける。
「あ、あのぅ?」
「ん? なんだ?」
「な、何か、手伝いましょうか?」
「ああ。皿とフォークとスプーンだな。」
 フライパンにパスタを放る。時間は短くて良い。具と絡んだら皿に上げる。スープは漆塗りの器に。毎回笑ってしまう。なんでパスタにこれなんだよ。硝子の器にはレタスを敷いて、キャベツとスライスしたゆで卵を置いた。ドレッシングは冷蔵庫に。自作の作り置きもある。胡麻油と酢と醤油。基本は同量だが、お好みで。真由の好みのもあったから出してやろう。
「おい、真由。」
「はい。何です?」
「呼んだだけだ。」
 真由は平然としている。
「最近多いですよね、それ。祐さん?」
「なんだ?」
「ふふっ、呼んだだけですよっ。」
「さよかい。」
 食事はテーブルに並んだ。海老とホタテのペスカトーレ。簡単なサラダ。海老の頭の味噌汁。充分だろう。
「わぁ、豪勢ですね。」
「お前が豪勢に海老を買った所為だ。」
 五尾もあれば間に合うのに、真由は二パックも買って来たから十尾以上ある。しかも、割とでかい。
「安かったんですよ。」
「はぁ、まぁ、食うか。」
「はい。頂きます。」
「はい、頂きます。」
 味は悪くなかった。けれど心配事は頭を巡る。
「卵、どうしましょうね?」
「洗い物しながら温泉たまごにでもしておく。勝手に食ってけ。」
 鍋に冷水と卵を放って、泡が上がり始めたら蓋をして三十分放っておく。それで運が良ければ程良くなっている。
「はぁ、確かに。裕さんって料理上手ですよねぇ?」
「そうか? 当たり前を当たり前にしてるだけだぞ?」
 上がったら器に割り入れて鰹節と麺汁を放る。殻に白身が残ったら殻でこそぎ落してやる。
「いやぁ、私そういうのできないんですよね。」
「他にやる事があるからだろ。」
 一瞬、間ができた。
「馬鹿に、しないんですね。」
「ん? して欲しいのか?」
「いえいえ。」
 眼鏡を直しながら丁寧にパスタを頬張る。俺は海老の味噌汁を啜った。良い味に仕上がっていた。サラダも悪くない。真由は自分で整えたドレッシングを使った。俺は市販の紫蘇風味の物を使った。
食事は二十分程度で終わった。
「ふぅ、ご馳走様でした。」
「はい、お粗末様。」
 酒を出しても良かったが、緑茶にした。
「なんか勿体無いですよね。」
「何が?」
「美味しい物って、すぐなくなっちゃうじゃないですか。なんか、勿体ないです。」
「って言われてもなぁ。」
 少し旨い物なら俺でも作れる。けれど、勿体ないと言われたら、立つ瀬もする事も無い。
「なので。」
 真由が背筋を伸ばした。俺も胡坐から正座に変えた。
「これからも、作って下さい。」
「ああ、それは良いが。」
 多分、言葉が足りていない。足りていないし、俺には意思が無い。けれど。けれど、か。こいつなら家に上げても良いと思った時点で、それは決めなければいけなかった事なんだろう。
「真由。」
「はい。」
 大きな目は真っ直ぐに俺を見ていた。
「付き合ってみるか? 俺はこんなだが。」
 真由は一度壁を見た。彼女が描いた絵が飾ってある。傑作ではないが、力作ではある。
「全く、貴方は本当に面倒ですねっ!」
 何か温かい固まりが飛び込んで来た。受け止める。次の絵はこのイメージになるのか、とか。その前に温泉たまごとか、色々な事を考えながら俺はそれに溺れた。
 
 


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