【本編完結】黒猫王子の政略結婚~ある迷宮の終わりと始まり~

夕月ねむ

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 迷宮の床に人の足では飛び越えられないほどの大穴が空いていた。覗き込んでも底が見えない。今いる階層は明るいけど、下もそうとは限らないらしい。

 テオは……一気に落ちたわけではないとはいえ、この深さを……。

 猫の身を持つ僕だけど。流石にこの高さを落ちたら無事では済まないだろう。湧き上がる嫌な感情を無理やり押さえ込んで、顔を上げた。
『これ、どうやって降りる?』

「騎士団では、こういう場所は風魔法を使用しますが、あいにく私は……」
 トバイアスが得意なのは土魔法で、風には適性がないという。僕? 使える魔法は水とほんのちょっとの治癒だけだ。

『勇者様、実は全属性が使えるとかない?』
「その呼び方はちょっと……」
 エリオットが嫌そうな顔をした。諦めろ、お前は勇者だ。

「私の魔法は特殊でして。全属性と言うか……属性そのものがないと言うか……」
『どういうことか簡潔に』

「私が思い描くものは、しっかりイメージできていれば大抵何でも魔法として作用します。魔力が足りれば」

『……どんな現象でも起こせるってこと?』
「まあ……そういうことになりますか」
 なんだそれ。いくらチートにしてもやりすぎじゃないのか?

『じゃあ、僕たちが怪我をしないようにゆっくり降りていくことも可能?』
「できます」
 エリオットはしっかりと頷いた。テオを敬愛しているみたいだし、エリオットだって主人を助けたいのだ。

 僕たちは穴の近くで休憩を取った。二人は歩きっぱなしだし、僕も人間の姿になりたい。こんな時だからあまり空腹は感じていないんだけど、そろそろ夕食の時間であるらしい。どういう仕組みか、迷宮の中が少しずつ暗くなってきている。

「食事にしましょう。食欲がなくても、何か食べるべきです」
 トバイアスに言われて、迷宮の床に腰を下ろした。エリオットが分厚い布を敷いてくれた。

「バーレイ様には騎士団からの支給品があるとは存知ますが、食事は私にお任せください」
 そう言って、エリオットは収納魔法でローテーブルを出した。テーブルだぞ、テーブル。普段迷宮の中では不便な思いをしているらしいトバイアスが驚きを通り越してドン引きしている。

 更にエリオットはその上に、野菜の入ったスープと薄切りのパン、焼いたばかりにしか見えないソーセージ、小ぶりなサンドウィッチ、湯気の立つお茶、素朴なクッキー、オレンジに似た果物を出して並べた。

「今のルシィ様にも召し上がりやすいものが何かあると良いのですが」

 僕はスープをもらって食べた。甘いものも少し。パンやサンドウィッチは喉に詰まりそうな感じがあって、体が受け付けなかったんだ。

 柔らかく煮えた具材が優しくて、でも味はしっかりしていて美味しいスープだった。こんな状況ではなく、落ち着いて食べたかったな。トバイアスも気に入ったらしく、若干遠慮しながらおかわりしていた。

「これは、王弟殿下の料理人が?」
「いえ。私が作ったものです」
 そうなの? いつの間に料理なんてしてたんだろう。

 そういえば、エリオットはテオの仕事に同行していたわけじゃないんだよな。顔見知りの騎士とかはいないみたいだった。だけど昼間は屋敷にいない日が多いし……薬湯は出てきても、素材から調合している姿は見たことがない。こいつ、外で何かしてるのか。

「お前、これだけ作れるなら料理人にもなれそうだな」
「そうだね、美味しかった」
「お褒めいただき光栄です……」

 エリオットの手元にはオレンジの皮がある。僕のために剥いてくれたものだ。
「そういえば、迷宮の中って、ゴミはどうしてるの?」

「なるべく持ち帰りますが」
「え」
 トバイアスの返事にエリオットが驚いて声を上げた。

「持ち帰るのですか」
「ああ。悪臭の原因にもなりかねん」
「エリオットが知っているやり方は違うの?」

「ええ、まあ……冒険者たちはゴミが出ても持ち帰りません」
 トバイアスが顔を顰めた。「これだから下賤の者は」とでも言いたげである。

「ゴミが原因の悪臭は滅多にないんです。迷宮には黒いスライムが出現するのですが、我々はそれを『ダンジョンクリーナー』と呼んでいて――」
 お前、今『我々』って言ったな?

「もしかして、エリオットは昼間、冒険者を」
「それは、その……!」
「じゃあ屋敷に不在でテオの側を離れている間、何をしてたの?」
 勇者が視線を泳がせる。僕はその顔をじっと見つめた。

「お許しください……テオ様には許可をいただいているのです……」
「別に怒ってるわけじゃないけど」
 エリオットはほっと息を吐いた。

「……確かに私は冒険者として活動しております。薬の材料の確保もありますし、腕が鈍っても困りますから」

「それで、そのダンジョンクリーナーっていうのは?」
「黒いスライムでして、迷宮にとっての異物はどんなものでも食べてしまいます。ほとんどのゴミは放置してもダンジョンクリーナーが片付けてくれるんです。まあ、量にもよりますが」

 ゴミを持ち帰る必要がなかったと知って、トバイアスがショックを受けている。
「迷宮にとっての異物?」
「外から持ち込まれたものや魔物の死骸などですね」

「それって」
 そのスライムが魔物の死骸を跡形もなく喰らうというのなら。なんでもないことのように聞こうとして、声が震えた。
「……人の、遺体は」

 エリオットの顔から表情が消えた。
「ダンジョンクリーナーは体温があるものは食べないと言われています。あいつらが人の遺体を何の痕跡もないほどまで消化しきるのには数日かかります」
「そう……なんだ」

 万が一。考えたくもない可能性だけど、もしかして。テオが迷宮のどこかで亡くなっていたら。数日以内に捜し出せなければ、遺品の回収すらできないのか。

「申し訳ございません、ルシィ様……このような話はお耳に入れるべきではありませんでした」
「いや、いい。大丈夫」
 やっぱり、早くテオを見つけないと。




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