【完結】『勇者』は『料理番』を手放さない

夕月ねむ

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元料理番の決断

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 キーランを追い返して数日。薬草園の仕事が急に休みになった日。僕の住処の窓の下に、豪華な馬車が停まるのが見えた。まさかと思っていると、部屋のドアがノックされて。無視もできず様子を窺えば、立っていたのは勇者様ではなく、貴族のような高そうな服の男。
「ノア様ですね?」
「……確かに、僕はノアですが」
 こんな偉そうな人から様を付けて呼ばれる覚えはない。

「勇者キーラン様が、あなたをお呼びです」
「え?」
「あなたを屋敷に招きたい、それを褒賞として望まれたのです」
 なんで。キーランがそんなこと、本当に望んだのか?
 褒賞代わりに人を欲しがるなんて、そんな男じゃないと思っていたけど……。

「こちらをどうぞ」
 きらびやかな使者が手紙をひとつ差し出した。
「勇者様からお預かりしたものです。それと、言伝がございます。『無理強いはしない、その手紙を読んでどうするか決めて欲しい』とのことです」
 僕はひとまず手紙を受け取り、封を切った。

 手紙の冒頭、高そうな紙にはキーランの直筆らしい字で『急にこんなことをしてすまない』と書かれていた。それから、いなくなった料理番を国が探していること、僕にも褒賞を与えようという動きがあること、魔王討伐直後に僕を見た騎士がどうやら違和感を抱いていたらしいこと。逃げ回るより近くにいてくれた方が守りやすいと、そう書かれている。

 そして最後に『あの夜を覚えているか』と。

 あの夜、なんて。思い当たるものはひとつしかない。縋りついた体と分け合った熱。不安げに揺れたキーランの目。そういえば。先日僕に追い返された時も、キーランは同じ目をしていた。

 僕は手紙を手にため息をついた。もしかして不安なのか、勇者様は。
 思えば僕は一方的に、大きな秘密を守ることを彼に押し付けてしまっている。魔王を倒したのは自分じゃない……それを隠して英雄の地位に就くことは、僕が思っているよりも、ずっと心細いのかもしれない。

 勇者様が強いのは確かだ。僕が魔王を切れたのは、勇者が注意を引きつけてくれていたから。でも、キーランは本当は寂しがり屋で脆い所があると、僕は知っている。

「……ひとつ確認させてください」
 僕は王都からの使者に言った。
「この話を受けたら、僕は勇者様の所有物になるんですか?」
「いいえ、まさか」
 使者が僕を安心させようとしてか、穏やかに微笑む。

「勇者様がお望みなのはもう一度あなたと話すこと、あなたをご自身の屋敷に招くことです。自由は保障いたします」
「わかりました。そういうことなら、一緒に行きます」
 僕はひとつだけ、条件を付けた。
「ただし、僕の仕事先にちゃんと事情を伝えてください」



 ***



「ノア。よかった、来てくれて」
 勇者様のお屋敷は思ったより小ぢんまりとしていて、使用人もほとんどいなかった。僕を出迎えたキーランは、騎士のような服を着ていた。実際に今は騎士なのかもしれない。

「……国が僕を探しているというのは、本当ですか?」
「うん。そうなんだよ」
「騎士が僕を疑ってると……」
「疑うっていうか」

 キーランが苦笑して言った。
「あの状況で落ち着いて応急処置ができたのはすごいって。特に俺は君の手当てがなかったら死んでたって。それでまあ、君のことを『ただの料理人じゃないだろう』って言い出したやつがいて」

「そんな。買いかぶられても困ります」
 加護を持っていたことが普通じゃないといえば、確かにそうなのだろう。でも僕は、戦いに参加していたわけでもなく、あの時だって、必死だっただけで。

「ノア。君は勇者パーティの一員だ。国が本格的に君を探し始めたら。情報が公表されたら。君を利用しようとするやつが必ず出てくる」
 キーランの表情は真剣そのもので、ありえないと笑い飛ばすことなど、できなかった。

 キーランが僕の手を握る。土いじりで荒れた、包丁を持てなくなった手を。
「お願いだ、ノア。俺の近くに居てくれ。君を守るため……」

 キーランが顔を歪めて、首を振った。
「いや。違う。そうじゃない」
 僕の手を持ち上げ、キーランは指先に額を押し付けた。

「俺には君が必要なんだ。偽りの英雄が、これからも『勇者』でいるために」
 キーランの声が震える。まるで怯えているみたいに。
「君が隣に居てくれたら、俺は少しだけ強くなれる。いつだって、君の存在が俺を支えてくれていた」

「それは……僕の、料理が」
 厨房の女神の加護がこもった、特別なものだったから。疲労を軽減し、体を軽くする、そんな特殊効果があったから……。

「違う」
 キーランが言った。きっぱりと、力強く断言する口調で。
「料理は無理にしなくていいんだ。たとえ料理人じゃなくても、君にそばに居て欲しいんだ」

「……それは、どういう」
「ノア」
 顔を上げたキーランの表情は、もう歪んでも強張ってもいなかった。少し熱を孕んだ眼差しで、慈しむように僕を見ていた。

 ああ、これは『あの夜』の。抱き合い縋り合った時の、キーランの顔だ。
 きっとここで逃げたとしても。それは僕にとっての平穏には繋がらないのだろう。

 僕は諦めと同時に若干の安堵を感じながら、勇者の抱擁を受け入れた。
「お願いだ。ここに居てくれ」
 抱きしめ返す勇気は僕にはなくて。それでも、もう逃げることはできないのだろうと察した。

「恋人になってくれ、なんて……今は、言わない。けど、でも……」
 少し照れたようなキーランの声が僕の耳をくすぐる。
「一緒に居て。頼むよ。料理をしなくても、君は俺の特別なんだ」

「……キーラン……」
 ほとんど無意識にこぼれた声に、僕を抱きしめたまま、キーランが笑った。
「やっと、名前で呼んでくれたね」

 その笑顔があまりにも嬉しそうに見えたから。
 僕はただ、抵抗せずに立ち尽くした。


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